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2023-06-18 25:43

しゅらシュシュシュの始まり#2~不安ポップアップウィンドウ

ポッドキャストはマニアックな方がいいって面もある?

折角なのでしゅらさんの知見が生かされるような方向性を探したい

不安なことはポップアップウィンドウのように沢山開いてくる

鬼滅の刃の煉獄さんが死んでも取り乱さないけど、自分の不安には取り乱す?

シュウが祖母の葬儀の時のナレーション的な人に感じた違和感

現実とフィクションの境界は、どこに置くのがいいんだろう?

全ての境界を見極めた覚者は少なく、逆に自分のものになってなくても配信しちゃう…


収録日:6月10日


#しゅらシュシュシュ

#樋口塾


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ポッドキャストとマニアックなもの
前回からの続き
マニアックじゃマニアックなんで
そうそう、それがどうなるかなぁと思ったりはしてるんですよね。なんかそういう話
でも、ポッドキャストってマニアックな方が
なんか なんていうかな
ウケるって言うとちょっと浅い言い方なんですけど
そういうマニアックなものの特性の方が活かされる媒体のような
としてはいるんですけどね
そういうなんか マニアックなものがない人の方が始めづらいというか
やりづらいような感じを僕は持っているんですけど
ちょっとでいいですか。せっかく今回しゅらさんが主体という
主体ってあれですけど、しゅらさんを主軸において話していこうってことなんで
なんかそのしゅらさんが持っているようなマインドフルネスにしてもヨガにしても
そういったことの知見がなんかその活かせると非常にいいなぁと思うんですよね
そのひとり語りと違って、じゃあ他の人がそのなんて言うんでしょう
その 癒されたことでもいいですし、他の人がこれ癒してほしいということでもいいんで
そういったことに対してしゅらさんがアドバイスするとは違いますけど
なんかこれはこういうのにどうですかとか、これはこういうのに当てはまりますよみたいなこととか
マインドフルネスについて
例えば先ほどおっしゃってた温泉に温泉に行くみたいなこともめっちゃマインドフルネスだと思うんですよ
そうですねそうですね
なんで世界で広まっているのかわかんないぐらいマインドフルネスじゃないですか
そうですね
でもなんかそうでもなんかその僕らだと気持ちいいなぁぐらいで終わっちゃうんですけど
なんかしゅらさんの知見を生かして、いやこれ温泉入っている時は
あのこんなこと考えるでしょ、これはねその他の手法で言うとこれに相当してみたいなこととか
言ってくれるとめっちゃおもろいなって思います
なるほど
難しいなぁ
難しいですか?ハードライフがクリアしてる
まあなんて難しくはないんですけど
そうそう難しくはなくて
うーん
でもそれは面白いかもしれないですけどね
確かに
不安な時は癒やされる
なんかこう連想ゲームがこう始まってるじゃないですか
なんかこう勝手に
なんか最近少なくなりましたけど
あのインターネットで変な広告とかクリックするとポップアップウィンドウみたいなのがババババって出るじゃないですか
それが自分にも起こってるんですよ不安な時って
勝手に連想ゲームがバババババって
ポップアップウィンドウが開いてって
でそれがインターネットだったらポップアップウィンドウなんで
一個一個消していけばいいじゃないですか
それかリダイレクト、ポップアップブロックみたいなのつけて
それ出ないようにすれば別に怪しいリング踏まなければ大丈夫なんですけど
でもいざ自分にこう不安なことが起こったりとか
なんかこう冷静でいられないとそのポップアップウィンドウがバーってこう
出てるだけなのにパニックになって
そっちのポップアップウィンドウの広告にアクセスしてさらにパニックになるみたいな
ことが起こってしまったりとか
結局そういうことが起きてるんだけどみんなやっぱり気づかないですよね
俺も気づかないです、そのカチューにいたら
まだ今の話がピンときてないぐらい気づいてないですね
なってんのかな
それ起きてないってことは非常に幸せなんですけど
めっちゃわかります、シュラさんおっしゃって
逆にそれしか起こってないのかな、僕の人生はずっとビビってるから
いいポップアップしか出てない
いいのかな、いやわかんないな
それがデフォルトだからなとか思っちゃう
今のシュラさんのお話聞いてちょっと思ったんですけど
それって一人の頭の中だけじゃなくても
社会レベルでも起きてるなって感じることがあって
例えばですけど、いまそこまで言わないですけど
いい大学入らないといい会社行けない、いい会社行けないといい暮らしできない
いい暮らしできないといい労働起これないみたいな
再現性ないんですけど不安が連続
不安を取り除かないと次の不安が取り除けないみたいな連続してる感じとか
美容、あんまりここで茶化すとあるんですけど
美容系でもあんまり良くない美容だと
これやらないと今はもうモテないですよみたいな
めちゃくちゃ雑ですけど
そういうような言い方ってさっきシュラさんがおっしゃってたような
連続したスパムみたいなポップウィンドウがボボボボって開いていくような感じ
つながってるかなと思うんですよね
まさにそんな感じですよね
なんかインターネットやってて
変な広告が出たらわかるからもうそんなの無視するじゃないですか
だけど今なんずぐるさんが言ったように
自分に関連することの不安
いい会社行かないと、いい大学行かないといけない、いい会社行かないといけない
いい会社行かないと労働が遅れない
これぐらい貯金がないと労働は生きていけないみたいなのが
今別に怒ってないけど不安がボンボンボンボンって
なるほど
行くと普通広告だったらアクセスしないのに
いざ自分が何て言えばいいんだろう
例えば映画とか
例えば鬼滅の刃とか
鬼滅の刃見ました
見てないですか
読んでます
立ち読みで途中まで立ち読みできた時だけ読みました
映画や漫画などによる不安の表出
コンビニに置いてあった時期だけ売り切れちゃって
その続きが読めなくなりました
ぐらい
鬼殺隊のその人気の人気のというか柱とか
鬼に殺されてしまうじゃないですか
殺されちゃう人もいるじゃないですか
煉獄さんが死んだところは読みました
でも煉獄さんが死んで
煉獄さんって思うけど
みんな映画だから
映画って分かってるじゃないですか
映画とか漫画とか
だから本当にそれで自分自身が取り乱すっていう人は少ないじゃないですか
不安からの幸福追求の落とし穴
感動するとかそういうのもあるけど
だから本来ならそのはずなんですよ
その見えてない不安老後とか
なんていうかそれも映画なんですよ
ただ不安っていうのは
だけど映画を見てるんじゃなくて
自分が主人公で
立てようとしたけど出口が分からなくなっちゃいましたね
当事者になっちゃうんですよね
なるほど
どういう感じですかね
本来は自分の人生ってオーダーメイドの主人公のはずなのに
その社会不安とかっていう
あくまで他の条件とか
想像の中の話ってところに
自分が当事者だって感覚を持っちゃうってことですかね
ああそうですね
本来なら映画とか社会不安とかがある意味
映画とか漫画と同じようなものなのかもしれないのに
あたかも自分がそこで
そこそこしか道がないと思って
そこにどんどんのめり込んでしまうっていうことが
起こりますよね
マイナフルネスとか学んでる人でも起こるんで
むしろそっちの人のほうが危ないのもあるんで
え?そっちの人のほうが危ない?
そっちの人もある意味なんだろう
俺も気をつけてるんですけど
救われるとか必ず良くなるっていうふうに思うと
そっちに行っちゃうんですよ
それベースになっちゃうっていうか
依存しちゃうっていうか
それがないと
それがないと生きていけなくなってしまう
ちょっとまだわかってないかも
おそらくなんですけど
さっきの社会不安の話と鏡合わせになってるイメージだと思って
さっきの話は
起こってもない悪い状況に対して必要以上に不安に思って
自分の行動選択がせめめめられてしまうっていう
一方でマイナフルネスとかに凝りすぎたりとか
依存しすぎたりすると
自分は幸せにならなければならないんだっていうような
一見その幸せになるっていう良いイメージなんですけど
実際のところは不安になりたくないっていうか
悪いことを避けたいっていう
ネガティブなマインドセットになっちゃうってことですよね
そうですね
それが結局のところ
スピリチュアルやマインドフルネスにおける独善性
さっき言った社会不安に行きたくない
不幸を避けたいってことで幸福になりたいってことが
そしたらどちらも
自分にとっていいものしかいらないみたいな
考えの表裏になっちゃうってことですかね
そうそうそうなんですよ
自分独善独善的とは違いますけど
そう独善的とか排他的になっていったりとかする傾向が
傾向っていうのはちょっとあれだな
落とし穴って感じですか
そう落とし穴があるんですよね
だから例えがいいのか分からないですけど
宗教とかも本来はその人が自由になるために
幸せになるために宗教ってあると思うんですけど
逆に縛ってくる宗教ってありますよね
例えばこの壺を買わないと幸せになれませんよみたいな
それでそれ怪しくない大丈夫みたいなことを
アドバイスしてくれる友達がいたとしたら
いやその人の言ってることは信じちゃいけません
みたいな
その人は罪深いですみたいなので
どんどんどんどん切っていくみたいな
それはもうカルトの典型的な
典型的な手法っていうか
なんていうかだと思うんですけど
スピリチュアルだったり
マインドフルネスって言われるようなところにも
少なからずそういう匂いっていうのはあって
この道を行くんだったら他の道はダメとか
あれは違うとかこれは違うとか
なんか本来なら全部オッケーってあれだけど
例えば僕もオッケーだし
しゅうさんもオッケーっていうのは
なんか別にしゅうさんは違うじゃないですか
俺となづくるさんも俺とは全然違うけど
それぞれオッケー
承認し合うっていうのが理想なんですけど
でも俺が丸だったら
しゅうさんとなづくるさんも丸じゃなきゃダメみたいな
あいつらは三角とか四角だからもうダメだみたいな
そういうふうになってってしまうような
そのかすかな匂いっていうのがやっぱり
スピリチュアルとかにもあったりするんですよね
マインドフルネスにも
なるほど
まあでも人間必ずしも
必ず誰もがそんな目は持ってるから
それを認めながら
そういうふうになってしまう時もあるから
とは思っているんですけど
そういう場面って結構いきなりやってきたりするんで
だからむずいなって思ったんですけど
なんでこんな話になったんでしょうか
僕もねそのポップアップウィンドウのところが
フィクションと現実の境目について
あまりにもイメージできなさすぎたせいで
ちょっと今の話が
大体のところはなんとなく分かった感じ
伝わってきた感じがしてるんだけど
その鬼滅の刃のところの例えのところとの紐付けが
ちょっとあれでふわっとしてて
ただの例かもしれないんですけど
なんか人生自分の人生の中で誰かが亡くなった時に
例えばそれを悲しむのは入り込みすぎだ
っていう話じゃないですよね
そういう話じゃないですよ
そういう話じゃないですよね
個別がね曖昧になってきちゃって
なんかね連想しちゃっていろいろ
なんかね僕のおばあちゃんが亡くなった時のことを
おばあちゃんが亡くなって葬式があった時のことを
連想しちゃってて
だからこれはたぶん
しらさんがおっしゃりたいこととは違う話なんですけど
それが思い浮かんでたんだっていう話だけ
ちょっと挟み込ましてもらうと
そのねなんかこう最後のお別れみたいなのが
その葬式の中であったんですよね
だいたいそんな感じなのかな
ちょっとねおばあちゃんが神道だったもんで
普段仏教の葬式に出ることはよくあったんですけど
なんかちょっと変わった感じだったんですよね
途中で神楽みたいなのがあったりとか
なんかそんなのあって
でねただその本当にもうすぐその出館って言うんですか
おばあちゃんの棺桶の蓋をもう閉める前に
みんなでお花をこうあげてみたいなのある時に
その手前でなんかナレーターみたいな人
司会の人とはなんか別で
女性の方がこう音楽に乗せて
その場を盛り上げるためにみたいな
めちゃくちゃこう僕からしたら
ちょっと芝居がかりすぎてるよって思ってたんですけど
いろんなこうなんか過去の写真をスクリーンに映しながら
こんな時もありましたねみたいなことを言うんですよ
あなた親族じゃないよねって思って
僕はちょっと引いちゃったんですね
でただそれがもう本当になんかおばあちゃんと関係が近い
その僕からしたらおばあちゃんだけど
うちの母親だったり
母親のお兄ちゃんとか
僕からしたらおじおばの人ほど入り込んで泣いてって
で手の甲間まではいいんですけど
結局その出勘ってなって
じゃあお疲れ様でしたっていうか
みんな行きましょうなった時に
その僕のおじがですね
そのおばあちゃんの長男がそのナレーション的な人に
いやー良かったですよって言ってたんですよ
なんかこれあれ?変な感じするなって自分は思って
何でしょうこの世界は現実なのに
そういう役者がクランクアップした時に
お疲れ様でしたって花束持っていくみたいなことを
僕のおじさんがそのナレーションみたいな人に対してやってるなと思って
すごい違和感あったんですよね
だから僕だからそこに対しては強烈に
現実をフィクションみたいにすることに対する
嫌悪感みたいなのを持ってるんですよね
現実をフィクションみたいになったんですね
スーさんはその時その感じだったんですね
そう感じだった
その人に対してあなたのナレーション良かったですよっていうのを
そのおばあちゃんの長男であるおじが言っていたことに対して
ポップアップウィンドウと不安について
すごい感じだったんですよ
いやあなたの感じた感情はフィクションじゃないでしょ
あんな芝居がかったあの子のナレーションでって言うと本当失礼なんですけど
それが良かったんじゃなくてあなたの人生の中でのおばあちゃん
僕にとったらおばあちゃん
そのあなたのお母さんが本当に大切な人だったっていうことが
大事だったんじゃねえのかなみたいに思っちゃった自分がいて
だからそういう瞬間みたいにして
何でしょう
引いた視点に立つ瞬間があるのはいいんだけど
なんか人生におけるそういう瞬間みたいなのこそめちゃくちゃ大事だなと思っているから
なんかポップアップウィンドウみたいなのの話と
その煉獄さんみたいな難しいな
自分がその境界線が分からないっていう説明をしたいと思いつつ
僕のこの話の境界線が分かってないんですけど
だからシュラさんにとってのここから先はポップアップウィンドウみたいに
本来ポチポチ消してもいい話なのにっていう話と
それは大事だよねっていう話とのその境目みたいなのが
ちょっとさっき聞いてる瞬間には僕そういう今の話を思い浮かべてたことがあったりして
ちょっとくっきりまだ理解できてないなっていう説明をしたかったんですけどね
そうですね
その境目か
境目って多分その境目が分かって全部ポップアップウィンドウをポチポチ消せる人は
おそらく消せた人は多分お釈迦様ぐらいだと思うんですよ
なるほどなるほど
イエス・キリストとかそういう本当に今
歴史が残っている中で言えば
片手なのか両手なのか分からないですけど
10人とか5人とかそういうレベルでしかいないと思うんですよね
なのでただそういう人たちが
さっき言ったポップアップウィンドウだよとか
ポップアップウィンドウと現実の重要性について
今起きてないことだよ不安から来てるよみたいなのを教えてくれてるわけなんですね
それを不安ベースで出てくるところ
出てくるポップアップウィンドウにアクセスしてもそれは広告だし
本来のあなたの人生じゃないよっていうのを
一応そういう本とかお経とかにまとめて
後世の人たちがやっぱりそうだよねつって
2000年ぐらい2000年3000年残ってるものが今現在にあるんで
俺はただそれを読んで読むというか
その研究したら一生終わるぐらいのレベルで残ってるから
俺は読むというかもう見たというか
チラ見したというかレベルだと思うんですけど
それを元に言うとポップアップウィンドウが
すげー立ち上がってるなみたいな雰囲気がするときは
ちょっとわかったりするんですよ
そういう視点で観察してると
だからその境界は分からなくても
不安に思っている俺はみたいな
分かってそれでなんかめっちゃ俺不安に
こういうことで不安に思ってんだよねみたいなのを
パートナー妻とかに言うと不安だったんだね
みたいな不安なんだねみたいな話もできるんですけど
なんかそれが分からずに
自分がそのポップアップウィンドウが開いてるってことが
分からずになんか分かんないけど
モヤモヤする不安っていうかイライラするみたいな感じで
ダメだよそんなのとか
そういう感じでコミュニケーションが積み重なっていくと
ひっきりこじれていくじゃないですか
だから一旦戻るみたいな
ただそれをやっていこうねみたいな感じですね
なかなかできないけど
俺が話したかったの
なるほど
例え話についての感想
そうそうだから映画の例えはちょっと
煉獄さんの例えはちょっとすいません
自分のものになってませんでした
なんかそういう例えをされてたお坊さんがいて
ああそうだね
素晴らしいと思ったんですけど
まだ自分のものになってなかったですね
その中で人に話すまでには噛み砕いて
噛み砕けてなかったですね
いやいやこっちの受け取り力の問題もあるんであれですけど
まあでもまだ自分のものになってないものが
出ていくのも面白いなっていうのを
僕ポッドキャストやりながら感じてて
ここにも多分にその気分を持ち込ませてもらっちゃってるもんで
次回へ続く
25:43

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