1. 小農ラジオ
  2. オーガニックフラワーの美しさ..
2021-07-24 59:39

オーガニックフラワーの美しさ #45

Guest:橋本さん、Mao
オランダから始まったオーガニックフラワー
花育
和花と洋花=水墨画と油絵
生花は空間の美しさ
花から知った、植物を見るということ
自然な姿の美しさに気づく
品種の改良=人間の欲望
ボリビアの花の美しさ、和花の調和する魅力
植物や堆肥から教えられること
生花文化を再興することで、荒廃田を再生する
「文化」
片手に生ゴミ、片手に花、真ん中に堆肥を
自然の美しさとは何か?という本質を問うオーガニックフラワー
「自然」と「栽培」の調和はとれるのか?
なぜ、花をいけるのか?
生花の中の時間、生と老い
鈍色(にびいろ)
花の持っているエネルギーを受け止める能力を持つ、感じる。
美しさは無限に広がる、無限が広がってわかるようになる。
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オーガニックフラワーというものについてお話しするんですけれども、まずオーガニックフラワーとは何かということについて、橋本さんからお伺いします。
一般で言われるオーガニックフラワーというのは、農薬と化学肥料を使わないで栽培された花というのが基本的な定義なんですけれども、
なぜ始めたかというと、始められた原因が、オランダで27、8年前に農薬を使った花を冬の間、暖房と部屋に閉じ込めたところで花を買っておくと、その花から農薬が暴露していろんな障害が出てきて、
その病気の原因を探していたときに、もしかしたら花から暴露している農薬に原因があるんじゃないかということを突き詰めて、実感した結果、花に散布された農薬が健康に被害を受けているということが分かって、確かに27年くらいだと思うんですけど、オランダでオーガニックフラワーが始まった。
オランダが発祥。オランダは第2の農産物輸出国なので、非常にたくさんの花も出荷しているし、日本においても花の栽培は野菜の2倍から3倍使用されていて、農薬がね。
そして食べ物の場合は残留農薬がピックアップされて、残留農薬の検査があるんですけど、花に関しては一切ないという。
まあ、なんとなくそれはね、分かりますね。やっぱり食べるものじゃないから農薬の基準はある程度こういう。
だから農水の中の各振興家ともいろいろ最近まで連絡があったんですけども、花は食べ物じゃないから安い雪には入ってないっていう理由なのね。
花っていうのは綺麗で、綺麗なところに虫がいるとか病気の葉っぱなどといっては価値が半減化。みんな人を振り向かなくて、花の場合は食べ物じゃないから悪くなったものは全部廃棄で焼却処分なのね。
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病気とかでちょっとでも葉っぱに病犯があったりするとダメなのね。
まあ、咲いたる生ゴミなんですけども、気が付かないところで花が綺麗なものとしてみんなの役に立っていると思っているんだけど、実際は生ゴミとしてかなり捨てられる部分が多くて、その大きな原因が化学肥料で作られているという面があって。
化学肥料で作られているために、毎週花を買ってから5日目、5日以降になると腐ってもいいという、腐ってもいいというか、5日間は持たなければならないという境界の協定ができて廃棄されるからね。5日保証というのがあるんだね。
化学肥料を使うようになって非常に腐敗しやすくなったために、オランダでも言われたように病室にね、昔は花を持って行くのがすごく重要なプレゼントだったんだけども、
病室で花がイケバラから腐敗して、その腐敗菌が病院の中に広がることが認識されてしまって、実際その花の切り花を病室に入れてはいけないというような暗黙の了解でもどんどん少なくなってきたんだね。
それから鉢花といって、鉢につけた花は悪くなりにくいんですけど、昔から病院で入院したときに根づくという意味が嫌われて、病院に鉢花を持って行かないという風にして、
日本の花業界がバブリックをものすごく少なくなって、オーガニックフラワーじゃなくても普通の花も売れなくなってきたのね。
この時に大手の花業界はね、日本が花の消費が減ってきたのは学校教育にあるという風に考えて、海外ではプレゼントとか恋人とかいろんな花をあげるというプレゼントをするというのが非常に習慣化されている国もあるんですけど、
日本は花を好きな人に贈るという習慣がほとんどないと言ってもいいぐらいなので、だから花の消費量はどんどん減ってしまったのね。病院にも行かないし、プレゼントもしない。
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それで大きな花の団体がね、花育というね、花を育てる制度を作ったんですよ。花育によって、小学生の時代からね、生け花をするとか花をプレゼントするとか、そういう習慣をつけることによって、花の消費量を将来的に増やすために仕込んだんですよ。
そんなロビー活動があったんですね。
そう。
あまり定着してない。
確かにね。
それがまあ、進まなかったというのね。だけど、5年生か6年生か、なんか1回ね、年1回、地域の花屋さんが行政からお金を少しもらって、生け花にフラワーアレンジを教えているというのは今も続いてるなと思うんだよね。
ん?それは大金フラワーってこと?
いや、大金フラワーって普通の花屋さんが。大金フラワーってないから、全国見ても。
まあ、あんまりないですからね。
まあ、それがね、将来の子供たちに花をね、家に飾ったり、また誰かにプレゼントしたりっていうのに結びつかないかわかんないんだけども。
まあ、教育の一環としてそれをね、取り入れたっていうのは、いいことなんか悪いことなんかよくわかんないけども。
確かにね。
だけど、どのぐらいに花の消費量を増やそうっていうね、大きな意図があって、まあこういうふうに進んできたっていうのは、なかなかよくわからない世界だと思うんですけども。
僕とすれば、もっと花の香りなり、持ちがいいとか、花の魅力を感じられるような花作りなり、プレゼントの方法とかを小さい頃から学んでおけばかなり花に対する感覚は違うなという風に変わると思うね。
僕たちが花が好きになったのはね、母親がすごく好きで花が好きだった。
いつも家に飾ってあった?
飾ってはなかったと思うけど、家の裏とか、あちこちにサツキの木があったり、金木犀があったりね、どこどこにこれがあったっていうのはね、かなり僕は小さい頃から花が好きだったからね。
じゃああれですね、切り花で花瓶で飾るっていうのではなくて、
その時庭にあったのね。
庭に花木があるっていう。
一部はね、恋の陶器があって、そこに花が生きられたのも記憶があるんだけど、とにかく小学校に行き帰り、1.2キロぐらいあると思うんだけど、道端に咲いてある花が季節によって変わるでしょ。
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それを見て歩くのがものすごく好きだった。
花に対する感覚っていうのが感動しやすいタイプなので、花がとにかく好きだった。
山行ったら綺麗な花がいっぱいあるでしょ。
それを見るのがすごく好きだったけど、弟も姉も全く関心がない。
関心があるっていうのかと思っちゃった。
関心がない。
花が人間に与える影響っていうのは、感じられる人は感じられるし。
そう、だから感じられる人は感じられるんですよ。
感じられない人は感じられない。
僕はだから感じられないことはないんだけど、そこまで僕はね。
かわいいとか言うでしょ。
言う言う言う。けど、そこで終わっちゃうんだよね。
僕はこのオーガネフラワーを始めたのは2007年にボリビアに行って、
上松さんと一緒に出会って、その花畑見たときに感動して、もう帰ってやろうと思って始めたのよ。
どんな花をやるかって言うと、自分の好きな花をやろうってことで、
ホームセンターに行って、好きな花を買ってきて植え始めたのよ。
でも好き嫌いはっきりしてるもんで、僕はね。
好き嫌いな女性とそうじゃないって言ったら、なんか変だけど、自分の好みの花と好みじゃない花がすごく明確に分かっとるって自分で。
好きな花だけを植え始めたのね。
そしたら大体8割ぐらいがカボク類なのね。
木になって枝を利用するカボク類。自分の好みで。
どっちかというと地味な感じの。
地味というか、生け花に適したものが好きなのね。
だからフラワー味向きのカレンジュラとかトルコキキョウとかね。
スイットピーとかバラとか。
いわゆる洋花って言われるものに対する感覚は全然ないんですよ。
それは油絵と水墨画の違いみたいなもんで、水墨画っていうのは空間を生かす技術なんですよね。
技術というか世界だし、油絵っていうのは全部埋めていくね。
空間を潰していくって言ったら変だけど、空間を全部埋めていく世界なんですよ。
だから墨絵やら水墨画の世界っていうのを、僕はたぶん小さい頃から見てると思うけど、
さっき言ったゴホとかセザンヌとかね。
そういう海外の絵画も触れてるけども、
ゴホにセザンヌにしても日本の浮世絵の世界を模していろんなことが変わってきたわけです。
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だから日本の浮世絵とか、水墨画は中国から入ってきたと言われてるんだけども、
浮世絵の世界は独特な日本の世界で、ピッキリ色で描くんじゃなくて、
全部雲のようなのをごまかしたりね。空間を盛り沢山とっているんですよ。
そうすると美を表すのに空間がすごい必要で、
そうしたらそれはアレンじゃなくて、やっぱり行き場の世界になる。
これって花が美しいとかそういうだけの話じゃないと思う。
花ではないんですよ。美しい花をいけるのはアレンジの世界だと思う。
それをパッといけてね。デザインしていけるのはね。
だけど、生け花の世界っていうのは花が対象じゃないよ。
花は植物の一部なの。
だからそれについている枝とか葉っぱが大事だよ。
枝振りっていう言葉を使ってるけどね。
枝振りの美しさを感じるんですよ。空間の美しさを感じるってことだ。
これはちょっと厚見先生に聞かせてあげたいな。
いやいや、厚見先生は大原先生だけど、
大原先生が住んでいる世界っていうのは、僕らにすごい必要だと思って、
今週死ぬまで学ぼうと思ってね。
厚見先生は、花をずっと花して、六輪目の先生なんですよ。
一番最初は、いもえいの高齢化クラブというおばあさんの人に習って、
名前忘れてしまったんだけど。
その人はね、一輪出しっていうことを、高齢化クラブという団体でね、
半年間、花を並びに行くとね、
生徒に、この中で一番好きな花を一本選びなさいって言う。
それが終わったら、柿が置いてあって、
今の選んだ花にふさわしい、一番いい柿を選びなさいって言って選ぶんですよ。
この二つの出会いの中で、最高に綺麗に、自然に生きてください。
自然に近い、綺麗な形に生きてくださいって言われて。
それまで僕、花のあんまり裏表とか、花に裏表あるとか、
あんまり葉脈のこととかのバランスとか考えなかったんだけど、
そこで初めて植物との出会いがあったんです。
それまで一生懸命、適当に野菜作ってきたんだけど、
植物は全く見てなくて、大根なら大根の大きさとか味とか、
そういうところに目が行くだけで植物自体の、
人参の種とったらね、メロンパンみたいないい匂いがするとか、
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動きが可愛いなと思っておったんだけど、全くそこまで感じてなかったんだけど、
それをすごく一輪出しによって、植物の美しい姿なり、
自然系を分かってきた。
花の美しさを通して、野菜を作る技術だったり、大肥を作る技術の方にそれが広がっていった?
大肥のところに花の技術はね、花が美しいということは大肥には結びつかないと思うけど、
植物はちゃんと見る気持ちになったってことだよね。
例えば人参の花がどのように、葉っぱがどのように、
全部秘宝属性になるために五条とかなんかで出てるわけよね。
そういうこともたぶん農家の人は気がつかないと思うけど、
そこで分かったことは何かというと、葉脈とか花の形なりバランスが美しい植物は、
味もすごくいいんですよ。味がいいってことは分かってきた。
だから肥料を入れたらね、葉っぱの色が黒っぽくなるとかね、
ショウタンタッチ素が増えるとか、そうすると葉っぱの葉脈が乱れるとか、
五条で土と規則正しく葉っぱが出ているのが乱れるとか、
そういうことが気になってきて、
やっぱり植物が健康に美しく育っていることによって、
味や香りや病虫害と関係あるなっていうことは分かってきた。
それが分かるっていうのは気が付いてきたってことだけど、
最終的にやっぱり美しい野菜なり花っていうのは、
できるだけ人間が肥料をやったり耕したりしない方がいいものができるってことが分かって、
花を作り始めて3年目くらいから耐火も入れない、
福岡に変わってきたんですよ。
四連葉とかって言われる分野に入ると思うけど、
それは何のためになったかというと、
花の美しさっていうのは、
僕は山奥で育ったので、小さい頃からいろんな植物、花を見てきたので、
何が自然なのか不自然かってパッと自分で分かるところがあって、
分かるって感じるところがあって、
肥料を入れたら花の色とか大きさとか変わってバランスが崩れるよね。
これおかしいと思って耐火もやめて、その次に耕すのをやめた。
そうすると、今でもよく体験してるけど、野菜畑を花畑に変えるときに、
野菜の4分の1くらいの養分しか花は必要としないよね。
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ペヤハでいくと、野菜だとペヤハ6から6.5くらいが必要なんやけど、
花は4.5から5くらいの養分量で済むわけやね。
そこにたくさん入れると、花は油虫が発生したり、色んな病気になったりするね。
普通花って言ったら、油虫やツリップスとかいろんな、
テント虫とかね。
なんか生姜が出るんやけど、ほぼそういう生姜がなくて最初から。
僕にとってはそれはすごい遠回りというかですね、
結局オーガニックフラワーをやれやれとずっと言われているんですが、
僕はやってないんですけども、
そういうアプローチが必要なのかなというのはなんとなく感じてはいるんですけど。
椎茸さえいえばどう?
椎茸?
椎茸はもうほとんどほったらかしですけどね。
だけど椎茸のキノコは綺麗じゃない?
綺麗ですね。タイミングよく取れてる。
ぐにゃぐにゃ曲がった薄っぽいやつはあんまり綺麗じゃないやん。おいしくないやん。
木工室はきちっとしたやつは、どんこって言われるやつは綺麗やん。そのものが。
芸術作品なんよ。そこに美しさを感じるはずなんよ。
花と一緒なんやん。キノコなんかぼっかりしてるからね。
じゃあ感じてるわ。
感じるよね。
うまいかどうかっていうのもやっぱり形で決まるやん。
やっぱおいしいですよね。
見た目すごくさ、もっこりした綺麗なやつは味もいいんよ。香りもいいわけね。
ほとんど気がつかないけども野菜もそういうところがあって、
ひどい入れすぎた野菜はおいしくないし。
やっぱそれは見た目アンバランスというか。
味の色とか。
でもそうなってくると、どういうことに美しさを感じるかってことですよね。
大きくて、例えば赤いものはより赤くとか、緑のものはより濃く緑にっていう美しさとは違うじゃないですか。
花のね、野菜の歴史も一緒なんやけど、花の歴史も小さい花よりも大きい花の方に美を感じるようになって、
どんどん新種改良が進んでね。
花の大きさがだんだん大きく変わってきたのね。
例えば僕なんか見ると気持ち悪いと思うんですよ。
厚見先生も言ってるけどね。
グロテスクって言いますよね。
もうバランスがめちゃめちゃ悪いんですよ。
新種の改良っていうのは人間の欲望の改良みたいなものなんだよね。
結果みたいな感じ。
だから、花の美しさ分からない人が大きな花を改良してると思うね。
21:03
そうすると、ケーキの甘さも一緒なんやけど、ケーキの甘さ。
どんどんタトを入れていって、甘いのがいいと思って、庶民たちはそれにお金を払ってくっついていくんやけど、
あるところケーキに甘いのも嫌だと。
もっとナチュラルな自然の甘さがいいと言って、それに変わってくるんよね。
最近はかなり済んだと思う。昔に比べたら。
そういうのありますね。
花も一緒で、改良された花は本当に不愉快なんや。気持ち悪い。
自然の花に比べたら。
そうすると、もともと自然の持ってる性育とか美しさとか形とか、
それは花は花らしくあることで、自分の健康とか病中害から守って生き延びてきたわけなんやね。
それを人間が肥料をやって耕して、品種改善をやって応急することによって不自然になってしまった上に、
病中害が発生して農薬が必要なんていう風になってるわけやね。
生け花をすることによって自分の軸みたいな。
いや、というより、柏さんの野菜とか食べても同じように思うんですけど、
本来あるべき味はどういうことなのかっていう感じをすごい感じさせてくれるんですよね。
例えばニンニクとかだったら、売ってるやつほど匂いも強くないし、味もきつくないんだけど、でもいい味で、
本当はニンニクってこういう味なんですよっていう感じがする。
それと似てて、花も、例えばオーガニックフラワーの生け花やってて、
厚見先生がおっしゃってたことに、普通花屋さんの花っていうのは喧嘩しあっちゃうと。
自己主張が強いの?
だけど橋本さんの育ててるような花は、適当にバッと集めてもお互い喧嘩してないから、別に変じゃない。
いける具合から結構バランス取れてて。
バッと置いたの。
自然の。
だからそれはね、自己主張する花と強調する花の違いなんよ。
これはまあ人間的な感性なんやけど、まさにネッタ植物っていうのは特にね、
ボリビアって言ったときに思うけど、すごく色鮮やかなのね。
そうですよ。
なんで鮮やかなのかっていうのを考えたら、
私はいますよってこんな花でって言って、蝶々や鳥をおびき寄せるためにネッタの植物の花はどぎついっていうか、色彩が濃いのね。
だけど日本は温帯モンスタウンで、地質もあり、他の植物と共生しながら生きられるぐらいに多様な国なのね。
砂漠みたいにある程度のサボテンやら限られた植物じゃなくて、多様な世界なのね。
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多様な世界に植物が生きるためには、植物はそこ考えてるか考えてないかわかんないけど、
他のものと共生することで自分の住み分けをずっとやってきたと思うけどね。
その住み分けの状態が蝶やっていうふうに思うね。
いろいろ言われてるんだけど、多様性であるってことは、いいとか悪いとかじゃなくて、植物は生き延びるね。
一つのテクニックではないけど、そういう本質的な力かなと思う。
だからこのオーガニックファワーの話は、安全とか農薬の問題とかじゃなくて、
英語じゃないけど、言葉はわからなかった土じゃないけど、花とかアジっていうのは、
習慣化されてアジ味覚が持ってるけどね、国によって。
美しいも美しいっていう共通の言語みたいなものがあるわけだよね。
その共通の言語が、飼料で育った花なのか、自然から山でとってきた花なんかでも全然住んでる世界が違うわけだよね。
訴えるものとか、調和するものとか。
そしたらこの世の中にはね、僕は大秘でも花でも植物でも一切影響しない人間だけど、アピールしない人間だけど、
僕がいいなと思った花は、この世界中の中で誰かがいいなと思う人がいるんですよ。
それは確信的に僕は思ってるんだよね。
そしたら僕がオーガニックフラワーを始めた時に、和花っていうね、生け花を専門とする花が僕は好きだったから、
それをずっと続けることで、その花が好きな人が現れるっていうふうに、
まあと思うんですよ僕はね。
思うと必ず現れるんですよ、好きな人が。
その人が無名であろうと有名であろうと、
僕の乳酸発酵症も一緒なんやけど、
僕が美味しいなと思ったら、その意識が電波を通じて、それを欲しい人が現れる。
それは、調和とか美とかの世界で、
グローゼスティックなものを作ったら、ある一部ではかなり流行して流行るけども、
あるところまで行くと、限界が来るようになってしまう。
僕は感じるよね。
だから対比の技術開発も、オーガニックフラワーの世界も、
自分の目指しているものは、自分でこれが正しいとか、これが美しいとかっていう、
自分で定義するんじゃなくて、植物や対比から教えられるものなんですよ。
27:01
教えられて、このバナナ美味しいですよって言ったら、
その美味しいバナナを自分が作ったり食べたりすることで、
その意識が誰かの元へ行って、その人が欲しいって現れて、
そこで今の開発価値では必要なお金の取引が始まるだけのことだと思ってる。
だからちょっと美しさから突然お金の話だったら変だけど、
花から学ぶことが多いってことだよね。
対比からもいろんなことを学んだだろ。
簡単にファイト発光の違いもわからない人間がね、
だんだん発光のレベルもあるし、
それをメッセージしてくれるのは全部匂いだしね。
こんな地層離散化になんて数値はどうでもよくて、
やっぱり対比作りの中で発光するという匂いが何百度あって、
その匂いに感動して僕はずっと対比作りやってきたし、
腐敗はよくないし、自分も嫌いなので、
できるだけ発光が出てくるようにレシピは作ってきたんやけど、
花は対比ランチのあれ、はっきり言えば屋根の下でね、
レシピを作って自分の思い通りにやるという技術がすごくある仕事なのね。
ある程度型ができてますからね。
屋根の下でやる技術はね。
だけど自然栽培というか、路地で花作りするというのは、
90何パーセント、指導もいらない、下返さないからね。
自然任せのやつだ。
自然任せで、シカにはやられてるけど病虫害にほとんどやられなくて、
そしてその花がね、
いかに健全に育つかということを考えて、
普通なら花の栽培地は密集栽培でね、
単位面積が足りるのでどれだけお金をあげるかということに関してなんだけど、
僕は十分株元に光が当たるようにして、
1.8メートルか2メートルとか3メートルくらいの幅に植えて、
一本の木からいかに健全な株をと、枝を取るかとか、
そういう風に考え方がだんだん変わってきたのね。
だから広い面積でちょこっとしか植えてないけど、
そこに本当に自分が綺麗だなと思う花が咲けば、
それを届ければね、
またその花が綺麗だなという人が現れるんですよ。
だからこれはね、
たまたま僕は好きでやってることだけあって、
だけどその好きでやってることが、
僕の持論である公共性とかなり結び取って、
例えば日本の生け花文化で、
花器とか花を作って売ってる人とか、
30:00
生け花を教えてる先生とかっていうのはね、
どんどん少なくなっていってね。
昔は山から大きな木を切ってきて、
東京やら京都の花屋さんに収めている人がおったよね。
結構年配層で。
そういう人がほとんどいなくなってしまって、
なぜかお金にならないっていうところなんだけど、
山の本来深いところからね、
枝を切ってきて東京の花屋さんに収めて、
それで生け花をして、
山奥にある自然を、お茶の石とか色の底で、
味わってきた感覚が、
どんどん人工化されて花に変わってきたのね。
ほとんど洋花っていうのが、
ハウスの中で育てられたために、
自然からどんどん遠ざかっていく。
だから僕はハウスはやらないし、
むしろにしたし、福岡にして、
水が腐らないとかね、花が小さくなるとか、
そういうところもあるんだけど、
かなり農業の本来持っているスタイルっていうか、
それを変える力になるし、
日本の花の生け花の文化を、
将来的に東南アジアや海外で、
ヨーロッパに日本の生け花の文化と一緒に、
引き継ぐっていうのが、
僕は当初からの夢なのね。
それが日本のね、
ありはてたね、
旧公伝とかね、
後輩伝を作って、
山奥でも収入になるような、
ところに結びつけられるっていう風に、
僕は思っているのね。
そこまで理解できる人が現れるのにはね、
まだまだ時間がかかるんだけど、
確実にそうなるんや。
それは僕はいつ死のうかね、関係なく。
それならばやっぱり文化を、
日本のアニメも一緒なんだけど、
文化を売ってるわけだよね、芸術も売ってるけど。
文化を提供しないと、
日本は簡単に僕は滅びるなと思ってるんだよね。
日本の技術もどんどん落ちてしまって、
収入もすごく少なかったでしょ、これ。
経済拡散もいろいろな問題があるんやけど、
やっぱりね、
最後はね、文化だよね。
美しさを感じる心とか、
美しさをね、分かち合うね、
気持ちっていうのが、
本質的な社会を僕は動かすと思うね。
え、今回これ何やった?目的は。
いや、だから大まっくりじゃん。
もうやってるじゃない?
明日もやるんだよね?
33:02
明日も教室ですね。
一年半ぐらい通ってるんですけど、
帰国して割とすぐに通い始めて、
月に一回で毎月通っていて、
ここまで話をちゃんと聞いたのは今日が初めてで、
そういう話だったんだっていう、ちょっと感動しました正直。
本当?
いや、言ってくださいよ、そういうこと。
それ言うとんだけど、聞いてなかっただけじゃない?
いやいやいや、僕断片的に聞いてたんだと思うんですけど、
やっぱ人の魅力の本質みたいのは、
感受性だと思うんですよ。
その人の感覚が好きっていうか、
好きなものが似てる人とはすごく繋がるし、
追求してる美っていうのは深ければ深い繋がりになっていくし、
そこのところを、
そういう感覚で見てるっていうのは、
今聞いててちょっと鳥肌立ちました。
そう?
野菜とかもすごい世界だと思うけど、
花は食べられないし、
純粋に楽しむ。
目で食べてるんだよ。目と花食べてるんだよ。
けど、豊かさってそういうものだろうなって思うんですよ。
お腹がいっぱいになればいいっていうものでもないし。
本当の豊かさっていうのはそういうところにあるんだよね。
それは言葉を超えたコミュニケーションでしょ。
お互いの花を見て、
今日この人あんま調子よくないなとか、
今日めっちゃ出会いって言うんだけど、
花と花と柿とかがすごく合ってるっていうのを
出会ったって言うんだけど、
出会ってますねみたいな。
そういうのが、
めっちゃ面白いんですよね。
そこで問題なのはね、上手に生きようとか、
美しく生きようっていう気持ちがあると、
全然生きられないよ。
そこが難しいの。精神状態が変に野心があると、
うまくいかないんですよね。
本当に植物対話というか。
いざ自分とこの柿に行けてみると、
全然合ってなかったりとか、
適当にちょっとこれ脇に置いとこうって言って、
置いたやつがすごい合ってたりとか、
こっちの方がいいじゃないとか言われちゃって。
それはね、自分でコントロールできない。
自分で作ろうとすれば作ろうとするほど、
ダメですね。狙うほど嫌らしい。
面白くない。
ある意味偶然ですよね。
偶然ではないけど多分、
より自然に即しているっていう。
無心になってスーッと入っていかないと、
いい感じにならない。
音楽とかやってる時とも感覚に似てるなってちょっと思うんですけどね。
どういう?
ピアノとかすごい弾くんだけど、
36:00
うまく弾くぞって思うと弾けないし、
人に見られてていいとこ見せてやろうと思ってもダメだしとか、
そういう。
だけどスーッと力を抜いてでも集中してて、
すっきりしてる時は、
なんかちょうどいい感じになる?
わかる?
ちょっとよくわかんないかな。
いやわかんないっていうかさ、
わかってるけど言ってることはわかるんだけど、
そのように断定する必要はないなと思う。
あるよ。
あえてそういうのがないって思ってるのかも。
クライミングとかしてる時にもしかしたら似たような感じを持ってるんじゃないかって。
ゾーンに入るみたいな感じ言うんだけど。
だからその岩が好きなわけでしょ。
気づくともう終わってたっていう時は。
そんな感じにちょっと近いかもしれない。
わかったようなわからない。
ここじゃないかな。
お得意さをいろいろ話してみても、
まとまりにもつかないと思うけど。
まとまらない話でしたね。
でも私はめっちゃ満足しました。
そしてこれちょっと衝動ラジオでやっちゃって悔しい。
インタビューでやりたかったなーって。
やってほしいなって思ってたんですけど。
やられたなー。
生ゴミも一緒なんやけどね。
花も。
片手に花があって。
真ん中に大秘があるんやけど。
花の持ってる役割とか。
これからのいろいろ発展するものとか。
生ゴミって言ったらね。
資源リサイクルとかね。
資源循環とか食品ロスとか。
最近生ゴミのまつわる機械とか。
かなりYouTubeのチェアフが
されてると思うけど。
花の世界は
正しいとか間違ってるとか。
資源循環とか。
恩懸けがましいね。
追求じゃなくて自分が納得できるものと
出会うっていう感じなので。
もっと素直になれる
心みたいなもんやと思う。
上手か下手っていうのは
ほぼ僕は関係ないと思っとって。
自分で納得できるかできないか。
満足するか満足しないか。
ものすごい疲れるんよ。
意識。
39:02
それに躊躇するから。
それが何気なくね。
簡単にパッと一輪生きられたら
それはそれでいいんやけど
なかなか納得できないし
今言ったように
葉っぱ一枚残さないか迷ってしまうんよ。
切ってしまったら
失敗したと思うよ。
それを訓練してるんだけど
だから
一枚の葉っぱがあるかないかによって
一つの花の様態が変わってしまう。
そんな野菜には関係ないよね。
一本切ろうが。
あとでトマトの剪定
適当にやって失敗したら
横から生えてくるとかあるんやけど
取り返しがつかないよね。
ある面真剣ない。
物事は感性の問題とかね。
美しさの問題とか
適当にするのではなくて
オーガニックフラワーという分野が
どういう意識のもとに
僕たちと関わってるのかってことを考えないと
ただイケバナを入れて
上手くいけたとか切れたとか
出てきた生ゴミをリサイクルして
大変勝負とかっていうような
非常にさつまっとしたところで
終わってしまうと思うけど
僕はやっぱり花を持っている命というか
人間との関係において
花がなかった葬式も結婚式も
非常にさつまっとしたものになると思うけど
なぜ花が生まれたかと言うとね
人間の心の感情なり
悲しみなり怒りなり
いろんなものを
花を見ることによって
救われているというか
人間の心が
簡単につぶれるような花が
人間の心を変えている力を
古代の人たちは多分感じて
よう変えてきただろうし
花を扱ってきたと思うね
特に一番問題はやっぱり
肥料を使って花を育てることで
農薬を使うことになって
肥料を使って花を育てることで
農薬を使うことになって
非常にグロテスクな花が
町の花屋さんに行ったら
全部湿り取ってすごい臭いがして
非常に腐りやすくて全部捨てられているのを見ると
心を痛む人が出てくるのよ
花屋さんで
42:00
そういう人が本当に腐りにくい花とか
グロテスクじゃない綺麗な野生に近い花が
墓地に一生が現れてくるのよ
日本では東京なんやけども
地方ではまだそんなとこ行ってないから意識がね
いずれ大金庫のものを
勧めるようになってくるし
来週も
ラッシュに花を納めることになってるけどもね
そしたら今日来たらラッシュの大金フロアやってるの知ってたよね
女の子が一人
あれ知ってんだと思って
京都から来た女性たちがね
一人がそこから出てるんですかって
言ったくらいね
だからまあね
ある程度関心ある人は
少しずつ城を持って行って
花は特に女性たちが
意識が高いので
環境問題とか
花が全て消極済むされてるとか
ひとつのきっかけからいろんな世界が見えてくると思う
大金フロアは
僕は生ゴミのこととか大変なことをやってるけども
花の分野はこれまでにないね
ひとつのつないだができて
僕の人生を
人生を非常に広げてくれてること
だから花は
単なる花なんて過ぎないんやけども
自分の生き方を変えてくれたり
かなり僕は花と出会って変わったからね
付き合う人が変わってくるってことやからね
そうするとよりいい花を
目指せば今度は上野さんっていう人が来るらしいんやけど
もっと深い
花の
好きな人とつながりを持てるってことやね
だから
大金フロアっていうのはね
自然とは何かっていう自然の美しさは何かっていうのを
通ってるわけなので
一部では物訳とかね
そういう分野もあるんやけど
もっと本質的なね
こととつながって
昨日真央ちゃんとね
一緒に白石に行ったら
木村敷自然栽培をやっとって
具体的に見えるのは種類が少ないとかね
生活ができないとかね
自然農法の
いろいろ問題点を聞いてきたんだけど
そこでやっぱり言われてるのがね
自然ってことと農業っていうね
2つの
自然と栽培っていう
45:00
両方とも分野で調和を考えとって
非常に分かりやすいコードなんやけど
栽培というのは人間の経済活動であるしね
環境いいのはね
より環境を守ろうとか環境保全とかっていう
両方とも分野を
両立しようと
考えてることは考えてる
だけどお前らとつながってないので
社会が理念だけじゃなくて
社会がそれを十分に許してくれないというか
受け入れてくれないので
化学の問題とか生産量の問題で行き詰まってるのね
それは僕らの生活
花っていうね
足で踏めば簡単に死んでしまうような
花の命と
僕らの経済の活動とか
生ゴムリサイクルも一緒なんやけども
多くの面の中で
花を持ってる役割っていうのはすごく大きいなと思う
それはかなりの人の心を変える力を持ってるのね
生ゴムリサイクルで言ったら汚いし
資源循環とか言っても
やっぱり花一輪の綺麗なものが一つ当たることによって
人の心なり
色んな仕組みが僕は変わるなっていう
マオちゃんどう?
また来た?
最後に
そういう話だったんですね
そんな風に思ってなかった?
そこまではっきりとは分からなかったですね
イケバナをすることで
植物のことが分かる
見方が変わる
最初は切ってきてもらった花をイケてて
今度は自分で切り出してみようと思って
植物を見た時に
見る目が全然違うっていうか
そうすると畑を見る時も
綺麗だなって
ちょっと言葉にならないんだけど
ここにも美しさがあるんだなっていう
美しさを見つけていく作業でもあるので
例えば厚見先生とかは
わざと枯れた蓮の葉っぱとかを使って
枯れてるっていうのも美しいっていう
そういうところがなんか
面白いなと思いますね
例えばお芽を切る時に
蕾の芽を花が咲いたらイケるのとね
こちらはコケボクって言うんやけど
梅の古い
両方ともイケるんよね
こちらは若くてこれから生きようとするものと
死ぬとするコケボクの花を一緒にイケるんよ
これも
イケるのと
48:01
枯れるのと
コケボクの花を一緒にイケるんよ
これも生と老と一緒にイケて
そこに時間的な差によって
美しさを感じるってことだよ
そういうことを
いつもやっとるんだけどね
僕は厚見先生っていうのは
あの
にびいろっていう言葉を言うんだよね
にびいろ?どんな色?
緑っぽいの?
そういう色じゃなくてね
非常にね
深いコケもしたっていうか
にびいろ
にびいろとは濃い灰色のこと
平安時代には灰色一般の名称であったが
後に灰色ネズミ色にその座を取って変わられた
にびいろは平安時代では美としてされたのね
渋いっすね
めっちゃ渋好みですね
例えば鉄錆あるやん
あれもにびいろに近いだと思うけど
ああいうね
くつんだっていうか枯れかけたっていうか
それって日本の文化にありますよね
わびさびに近い
若干おかしい美しさもあるけど
そういう風にね
枯れた美しさですよね
時間を感じさせるっていう
枯れた美しさですよね
枯れてるっていうよりも成熟なんでしょうね
成熟
年をとっていく感じ
成熟とはちょっと違うと思うけどね
日本が表現しているのって
時間だったりそこから来る
年を重ねたことで感じる知性みたいなものなのかな
って気がちょっとするんですけど
僕の場合は物理的なものが
あるんやけど
例えば錆びた鉄見て美しさを感じるかどうか
ってこともあるんやけどね
これね
錆びた鉄
これが
錆びないようにね
出てきた
後ろに銅が入っとって
これだと錆びるからね鉄が
銅が入っとってここに花を刺すようになったの
厚見先生はこういう花が錆びたのが好きなのね
かっこいいんですよね
かっこよさ?美しさを感じる?
分かるんだけどなんでこれ美しいと思うんだろう
ただの錆びてる
51:01
そこに美しさを感じるってことやろ
それはその人の価値観だと思う
美しいってかかっこいいというか
シャイニーなものに美を感じる人もいるし
こういう枯れたものの方が好きだ
そこが結局思想的なものが
根底にはあるのかなって私は思うんだけど
理屈ではないよね
説明するもんじゃないよね
今してる話は言葉には限界がある
結局それなのよ
この話がまとまらないわけ
俺も感じてはいるんだけど
例えば僕が高谷さんのことが好きになったらね
例えばね
女性でもいいんだけど
ほとんど理由はないと思うんだよ
だけど好きになってしまう
好きになってしまうわけやろ
それは理屈でもなんでもないよ
説明できないよ
それは生命っていうものが
何かの出会いによって
結ばれてしまう
それは別に男女関係なくても
ある人とある人との出会いもそうやけど
共感してあげるとか
そういうものについてきてるんだけど
今回の美しさのことも
花の美しさっていうのは
非常に分かりやすい
こんな鈍色の世界が好きだとか
もう少しややこしいんだけど
花っていう分かりやすい
黄色だったり赤だったりするんだけど
そういったものを美しいとか
感じるとか
自分の心の状態で花みたいに涙が出るとかね
悲しみがなくなるとか
もっとその花を送られて喜びを感じるとかね
だから本質的に人間の
生命の中に
花の持っている力というかエネルギーを
自分で感覚するというか
自分で受け止められる能力がね
もともと僕はあって
その連続的なものがね
やっぱり文化やと思うのね
それを花を通して感じるってことですね
美しさとかを感じる
自分の言葉にできないその感覚を
正しい
でもそれすら言葉にならないような
なんで花生きるんですかとか聞かれても
ちょっと答えられない
いろんなことに対して自信を持って
自分の感性だけで物を言えなくなっていると思うのね
今の人って
今の人?インテネラル?
54:01
インテネラルなんてありえないでしょ
ちょっと話が別だけど
45年くらい大秘を作ってきた人間なのね
高谷さんが10年作ったらやっぱり差があるよね
それも関与ないのね
そこに大秘の持った美しさなんですか
って思うときに
高谷さんの持っている大秘の持った美しさがどんなんかとか
僕の持っている美しさは別の世界なのね
それは別に共通するところも
共通し合うこともないんだけど
その持っているものはやっぱり違うんよ
40年やってきた人間と10年やってきた人間と
全然違うんよそれはね
花も一緒で
いつも花を触っている人は
花の本当の美しさにどんどんどんどん
ある程度感性も必要だけど近づいていくんだけど
色とか形しか見えないよね
やっていく間に花の持っているエネルギーとか
花の持っている品性って言ったら変だけど
そういうものがだんだん
分かるようになってくるねそれは
はい
今日はこれ
これちょっと何回も聞くわ俺
プロファウンドだったね
はいじゃあ
いやでもこれ聞いて感動できる人だったら
また来ちゃいますよここに
スペクティターの時とかも
オーガニックファウダーの良さは
もっと知ってほしいなと思う
本当に
花をやんなさいとか
生きたらいいよという世界じゃなくて
そういう力とかエネルギーとか
それはやっぱりね感じる時期が来たら感じるだけのことだけどね
だけど
そういうフェーズになったらね
でも花の役割って
基本的に美しくてポジティブなものだよね
花飾ってるところって
すごい良い意味で飾ってるし
ハッピーバースデーとか言ってお花あげたりとか
あるいは喧嘩して花でメイクアップして
ごめんなさいみたいなのとかも
ポジティブなアクションだと思うから
それはもうみんな感じてるんだよね
更に深いものがある
でも多分みんなもう
あまり間近になさすぎてそういうのが分からなくなっちゃってるんだよね
俺なんか田舎に住んでるけどそういうのも
田舎に住んでるから分からないんだよ
他に埋もれて調和しちゃってるから
だから高田さん
自然に山がいっぱいあるわけだから
57:01
花だけじゃなくて枝ぶりとか
植物を見て
自分が美しいなと思ったのに
美しさを感じる心があるわけだから
汚いなと思うことも
美しいなと思うこともね
多分美しさの境目っていうか
それは無限にある
ここまでいったら山が月のまた見えるようにね
無限に広がってる
美しさがこれくらいかなと思って山登ったらまた
もっと綺麗な山が見えて
またそれをまたまた見えるの
そういうのがあるわけだから
そういうのがあるわけだから
それをやっていくと
無限ではなくなって
その無限さが自分の中に入ってきて
いろんな物事がそっと分かるようになる
それくらいしとこうか
はい
いい?
はい
最後の感想を高田さんの方から
これは
最後のところが
一番分かんなかった
スピリチュアルでしたね
いきなり意識が
遠くに見えてるんだよね
でもそれを早く掴みにいくもんではないと思ってるから
僕はあんまり焦ってないというか
掴む必要もないしね
自分の中にそういう準備ができてないというか
多分探しても
手に入れられないかなと思ってて
まだ近づかないでいるという感じなんだけども
でもいつかそういう風になれたらいいな
みたいな感じはあります
だから僕はまだ生け花はやらない
明日やろうか
明日生け花教師さんです
最後はやっとなってしまいましたけども
疲れました
じゃあこれで終わりたいと思います
ありがとうございました
59:39

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