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山水郷ディレクターの井上 岳一さんに来ていただいています。
山や水の価値というのが、昭和になってからお金にならないものとして捨てられていって、
本来の日本の魅力の源泉であるものが、魅力的なものだと思われていない現実があるな、
それを何とかしたいなというふうな思いがあって、日本列島回復論というもので書いたんですよね。
千年前くらいの方は、そんな何か散歩は良しでみんな楽しくてもったる仕事なんてあるわけがない。
東京チェーンソーズとヤマトワの自然資本論
はい、東京チェーンソーズの高橋です。
ヤマトワの岡田です。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
はい、2024年度の1本目ですよね、きっとね。
そうですね。新年明けましておめでとうございますの回でございます。
おめでとうございます。
明けてないけどね。
その感じありますね。一番シワスのシワスの時ですね。
今回、ゲストに来ていただいてまして、
僕がやってる稲谷シーズンのアドバイザーもお願いしていたりとか、
ホリストカレッジでもご世話になっている
山水郷チャンネル、山水郷ディレクターの井上竹和さんに来ていただいております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
すごい大物に来ていただきまして。
いや、本当にちょっと。
大物とかまつり上げないで。
せっかく下に行ってもぐられてるのに。
緊張しちゃうなって思って。
若干恐縮な感じですよね。
でも、投稿に反応いただいて、ぜひ出たいっていうことで気軽に声かけてって感じだったので、
ちょっとアホなふりして気軽に声かけさせていただいて。
本当に気軽にね。
だってこんな楽しそうなことやっててずるいとか思ってたから出たい。
楽しいですよ。
そう思ってもらってめっちゃ嬉しいです。
ということで、山水郷チャンネルはYouTubeの番組で長らくやってらっしゃって、コロナ禍から始まったんですよね。
そうですね、2020年の4月だったかな。
僕も一度出させていただいたりして、すごく良質なお話がいつも聞けるので、勉強になるなというところなんですけど、
井上さんともフォレストカレッジをきっかけにお行き会させていただいて、そこからいろいろ情報を交換させてもらっているんですけど、
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その時に山水郷、日本列島回復論という本を読ませていただいたりして、
それが結構衝撃的に面白かったんですけど、
ありがとうございます。
それがもう2019年ということで、4年ぐらい経っていると思うので、
井上さんの普段考えられていることも含めて、ちょっと簡単に自己紹介から入れたらいいかなと思っているんですが、よろしいでしょうか。
はい、ありがとうございます。
井上武一と申します。皆さん初めまして、よろしくお願いします。
僕は山水郷って、山と水と里って書いて山水郷って読ませているんですけど、
それはやっぱりこの日本列島の魅力っていうのはやっぱり山と水だよなっていうふうに思っていて、
山には森があるわけですけど、森とその水っていうのはやっぱり深く、これだけ水が豊かだから森もあるし、森があるから水が豊かだしっていうことだと思うんですけどね。
そういう山と水、山水郷とか、実はかつての日本人っていうのは自然っていうより山水というふうに、やっぱり日本の自然のことを捉えていて、そういう世界だったわけですよね。
でも山とか水の価値っていうのが、どんどん特に昭和になってから、あんまりお金にならないものとして捨てられていって、
本来の日本の魅力の源泉であるものが、あんまり魅力的なものだと思われてない現実があるなと、それをなんとかしたいなというふうな思いがあって、
なのでやっぱり中山間地域とか田舎とか農産漁村とか、そういうことではなくて、山水がある里ってことで山水郷っていうふうに、そういう場所のことを名付けていこうじゃないかっていうふうに、日本列島回復論って本で書いたんですよね。
日本列島回復論っていうのは、田中角栄さんの日本列島改造論に対抗してるというか、日本列島改造論って1972年に書かれたんですけど、あれは本当に素晴らしい本で、
やっぱり新潟産区、新潟の出身の田中角栄さんが、いかにこの雪国の暮らしが大変なのかって、そういう生まれたところによってすごく大きな判例を背負ってしまって、東京の人たちはこういうことができるのに雪国ではこれができないみたいな、そういうことがあってはいけないのじゃないかとか、
日本のどこにいても、やっぱり同じような暮らしができるような社会を作りたいっていうのが、田中角栄さんの強い願いだったわけですよね。
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それは、それ自体はすごく崇高な思いだったと思うんですけれども、当時やっぱりそれが、山を削って海を埋め立て、道路を作って空港を作り、鉄道の新幹線を引いて、あと木々をバンバン誘致して、みたいなことになっていって。
本来、自然とか山水ってさっき言ってたものが一つの、今になってみると僕らはそれが魅力だって思うけど、当時はやっぱりそれは克服しなければいけない、ある種の課題だったわけですよね。
だからそれを克服するってことは、ある種の否定をしていくというか、自然が豊かだっていうのは決して褒め言葉ではなくて、逆にそれは不便さであったり、ハンディキャップとして捉えられていた。
それを克服したくて、そういうふうに山を削り海を埋め立てみたいな。
それがちょうど土建業っていうことになっていって、どんどん地方に仕事を作っていくっていうときに、最も手っ取り早い仕事が土建の仕事だったわけですよね。
だから日本列島を改造して都市に近づけていくっていうのは、人々の暮らしをいろんな意味で豊かにする。
経済的にも豊かにするし、農林漁業しか仕事がなかった地方にも新しい仕事を作って現金収入が持てる仕事を作っていくということで。
それで都市と地方の所得格差みたいなのも縮んでいくのですが、でも日本全国コンクリートだらけになっちゃったみたいな。
なんでこんな美しい川をこんなにコンクリートだらけにしちゃったんですかみたいなことが各地で行われていって。
ある一定のところで、本来はここまでである程度豊かになってきたから、じゃああとはもう少し景観を綺麗にしていくとか、そっちの方に舵を切ればよかったんだけれども。
なんか不景気になるたびに、とにかくコンクリートで仕事を作っていくのだってことをずっと繰り返してきたから、
日本の地方はどんどん自然の豊かさみたいなのも感じられない世界になってきて、人と自然の距離もどんどん離れていく。
それで一時豊かになったかのようだったけども、それは本質的にすごく豊かになれたのかといったら、バブル崩壊後ずっと経済成長もできないままで、みたいなことになってきて。
なんかやっぱりそういう田中核英以来の日本列島改造の考え方みたいなのも、ここらでいい加減やめるべきじゃないの?っていうのが、僕が言いたかったことの一番で。
それはじゃあ回復っていうのはどういうことかって言ったら、やっぱり山水こそが日本の一番の魅力の源泉なのだから、
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こういうものをもう一回、それはハンディキャップではなくて、そこにこそこれからの価値があるのだっていうふうに思い直して捉え直してやっていこうじゃないか。
で、実際問題、岡田さんたちもそう、高橋さんたちもそうだと思うけれども、都市で働いてたような若い人たちが今どんどん、山水郷と僕は言ってるような、
自然が豊かな地域にどんどん移住をしながら、新しい仕事を作ったり、新しいライフスタイルを作ったりしてるっていう。
なんかこっちのほうに、これからは未来があるんじゃないか。
だからこういうところに意気をして作っていくっていう、これからの21世紀の社会っていうのを作っていく。
20世紀はどちらかと言えば、山を壊して海を埋め立てて川を削って、そういうふうに土木工事をして価値を作ってきたけれども、
これからは山水の価値を最大限発揮していくような先に、21世紀の日本の社会があるんじゃないかみたいなことを書いたのが、日本ネット回復論ですね。
ありがとうございます。
ただそれはやっぱりいろんな、僕も最初の探知だったもんで結構肩に力が入ったところもあったし、
僕もともと林野町出身なんですけど、
ある種マクロでものを考える人たち、大企業の人もそうだし官僚もそうだし。
ミクロにいろんな意味で、例えば若い子たちが移住して面白いおかしく生きてる事例っていうのはいろんなところに出てきて、
それはミクロではわかるよと。
でもマクロとして見たときに本当にそれが日本が良くなることに対してどう貢献するのみたいな議論になるわけですよね。
でもその人たちに対して、やっぱりこういう世界に行った方がこれからの社会は良くなるんじゃないのっていうのをできるだけ説得的に、説得力を持って書こうかなというふうに思った。
どちらかと言えば、皆さんみたいにローカルで頑張っている人たちの背中を押したいっていう気持ちは当然あったけれども、
同時にやっぱりマクロに生きる人たちにとって説得力のあるような書き方をしようというふうに思ったことがあって。
だから結構書き方としてはマクロな書き方として。
そうですよね。特に前半がそういう社会の現状とか。
そうなんです、そうなんです。
それはなんか、自分がもともとマクロの人間だったのもあるし、そういう面で一回自分で納得しておかないと先に進めないなっていうのもあったので、自分に言い聞かせるつもりでも書いてた。
なるほど。
でもなんかそれが2019年の11月に出るんですけど、それが出たおかげで、やっぱりいろんな地域で頑張っている人たちと繋がる機会が増えた。
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ちょうどすぐコロナになっちゃったので、実はそんなに地方には移動できなかったんだけれども、コロナ禍で良かったことは先ほど岡田さんが言ってくださったように、
例えばオンラインっていうのが当たり前になったっていうことで、なので2020年の4月からサンセイゴチャンネルっていうのを日本デザイン振興会と一緒に立ち上げてやるんですけど、
そういうオンラインで、現地にはいけないのだけどまずオンラインで知り合うみたいなことがすごくローカルプレイヤーの人と増えたわけですよね。
だから必ずしもその当時僕が日本列島回復論を書いたときには知らなかった人たちともいっぱい知り合っていき、
あとやっぱり僕はどちらかと言えば最初山から入っているので、林野町とか森とか山から入っているので、あんまり町づくりとかそんなに詳しくなかったんですけど、
やっぱりローカルのプレイヤー、頑張っているプレイヤーの人たちはみんなやっぱり町づくりに多かれ少なかれ関わっている人たちが多いので、
やっぱりそういう中で町づくりとかアートとかそういう部分のいろんな本では触れてなかったような世界の人たちとどんどん触れ合えるようなことが増えていって、
やっぱりローカルで起きていること、ミクロに対する解像度がむっちゃ上がったっていうのがこの4年ぐらいですかね。
そうですね。
なのですごくマクロ的なところから入っていって、それで今ミクロに対する解像度も上がってきたので、
ここらで次をということで今次のほうをなんとか用意をしているところです。
今年ですか。去年からむさびと一緒に。
そうですね。むさびと去年の11月、武蔵野ビジネス大学さんと提携をして、
僕らは今実はむさびの一ヶ谷のキャンパスに僕らのオフィスというか拠点を持っていて、
僕はだから地方にいるか一ヶ谷のむさびにいるかっていう生活をしています。
むさびのほうではむしろローカルにめちゃめちゃどっぷり足を運びみたいな感じですよね。
そうですね。
むさびは若杉先生っていう日本全国杉だらけクラブという、
まあこれはこの話をね。
そうですね。
杉だらもすごく面白いアレで、まあ杉だらは若杉さんが、
まあ若い杉って書くんですけど、だからじゃないんだけど、
若杉さんが、彼は内田陽光のデザイナーをやってたんですけど、
金儲けのためにデザインするのはもう嫌だみたいなことを会社の中で言ってたら、
じゃあデザインしなくていいよって左遷をされるわけです。
デザインを一切できない。
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デザイナーなのに総務課みたいなところに所属になって、
要するに辞めさせるためのそういう人事ですよね。
で、彼はだからデザインができなくなって、
デザインができなくなったときに向かったのが実は地方で。
それでなんか地方もありながら、その杉っていうのがどうも、
日本全国杉だらけになっているのだが、この杉がどうも価値がないと言って捨てられていると。
その杉が価値がないと言ってこうのけものにされている状態が、
自分が価値がない、会社で価値がないと言ってのけものにされている状態と重ねていくわけです。
だから杉の置かれた状況に我が身をやつしみたいなことをやって。
あ、そうだった。
それでだから杉をデザインの力で何とかできないかってことで地域を回り始めたら、
やっぱり同じように悶々となんかしている人たちがいっぱいいて、
悶々としている人たちと作った悶々としたネットワークが杉だらけクラブ。
うーん。
僕も会員ですよ、杉だらけクラブは。
ですよね、全国2400人。
あ、結構多い。
そうなんですそうなんです。
それでその杉だらのメンバーがやっぱり、
和田杉さんは20年かけて杉だらのネットワークを作ってきたので、
日本全国にやっぱり彼も知り合いがいて、
特に彼が仲良くしている地域にむさびの学生を今送り込んでいるものですから、
僕らもそういうところに一緒に入っていって、
やっぱり美台だけではできないことで、
美台とシンクタンクで組んで、
いろんな地域を盛り上げていくことができないかということを
今ちょうどやっているという感じですかね。
そうなんで、そういう中でいろんな地域のことを見たりとか、
で、三世語とかって結構、なんでしょう、
やっぱり日本デザイン振興会とやっているというのが大きいのかもしれないですけど、
デザイン文脈といいますか、
結構強いなという気はしているんですけど、
自然資源とか自然資本というのをやっぱりうまく活かしていくというのが、
それこそ山水とのつながりを取り戻す上で、
すごい重要だけど実はまだまだ難しいみたいなことだなというのを
僕らもやりながらすごく感じているんですけど、
井上さんはその辺り、どんなふうに最近の地方の動きとか、
自然資本の動きを見ていらっしゃるんですか。
デザイン振興会とやっているのも、
デザイン振興会としては新しいデザインというのがどこにあるのかというのを、
彼らはやっぱりデザインの定義を常に広げていきたいし、
新しいクリエイティブがどこにあるのかというのをやっぱり探しているわけですよね。
そういう時に、僕らが今すごく山水号チャンネルをやっていて、
いろんなデザイナーではない、本当に農家の方とか林家の方とか、
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いろんな漁師の方とか、いろんな普通の人たちがいっぱいいるんですけど、
やっぱりそういう人たちが本当にすごくクリエイティブだなって思うのっていうのは、
やっぱり自然の価値みたいなものを最大限引き出せているようなビジネスができているとか、
本当に循環する仕組みが作れているとか、
そういうのっていうのは、今の主流にあるビジネスにとっての
ある種のオルタナティブなんだけれども、
そこに何かものすごい次の時代につながるクリエイティブなものがあるなというふうに
感じるというところがありますよね。
確かに。本当にオルタナティブな選択肢。
僕らもまさに超オルタナティブなんですけど。
本当そうだね。
でもやっぱり大きな流れ、大きな循環というところから
無理さみたいなものをすごく感じているところがあって、
小さな循環のつながりによって大きな循環を生み出すみたいなのが
大事だろうなと思います。
そのオルタナティブな選択肢を育てていくことが
たぶん次の企業とか大企業の
飛び移り先になるんじゃないかというのは
若干夢見ながらやっているところはあるんですけど。
そうだね。
クリエイティブとかデザインと言われるものがないか、
クリエイティブな部分が生きる部分というのは
ビジネスサプライチェーンの中で決まってきているわけじゃないですか。
ある程度。
でもそういうことではなくて新しいつながりを作っていくとか
新しいサプライチェーンを作っていくとか
新しい循環の仕組みを作っていくみたいなものが
次のデザインとして生まれてきているなという。
それは決して美しいスタイルで生まれていかない。
そういうこととは違うのだけれども
ある種本質的な何か仕組みを作り始めているみたいなこと。
でもそれは大きな循環としてはいきなりは作れないので
すごく小さな仕組みとして作っているんだけど
そういうものが今同時多発的に起きているなという。
そうですよね。確かに。
あとやっぱりネットワーク社会になったことによって
こうやってそのネットワーク社会によって
今までだったら本当にスモールでローカルなことっていうのは
本当に局地でしか局地的なことだったわけですよね。
なかなかつながらなかったけど
例えばこういう番組とかを通じて
お互いのノウハウとかやってることをシェアしたり
考えをシェアすることによって
なんかスモールなものが
若杉さんとはスモールビジネス、ビッグリレーションって僕らよく言う。
いいですね。
小さいけれども関係が豊かになっていくことによって
結局オセロの盤面がいつかゴロンと変わるような
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変革を起こせるような
そういう社会に今なってきてるんじゃないかなっていうふうに思っていて
なんか一昔前だと社会を変えようと言うと
どうしても上から、マクロから変えていかないといけないって感じがあったんだけど
今はすごくちっちゃな取り組みが実は
ちっちゃいところで済まないっていう
なんかいろんなところに入っていかないといけないという
なんかいろんなところに波及して影響を与えていくって
そういう社会になってきてるんだろうなって
メンタリティとしてもなんていうのかな
一昔前のローカルプレイヤーってやっぱり
なんかすごくシャニ構えてて
自分の王国を作りたいみたいな人たちが多くて
結構排他的になる人たちとか
結構学生運動崩れが
行って有機農業やってみたいなのがすごい多かったので
なんかすごく思想的になっちゃったりしてたんだけど
今、奥田さんたちの世代なんかが特にそうだと思う
今の30代以下の方たちっていうのは
やっぱりデジタルネイティブってこともあるんだと思うんだけれども
なんか自分がカリスマになろうとかもしないし
何か強い1人のリーダーとかよりも
みんなでなんかやっていこうって感じとか
あと関わってくれた人たち全員の名前を出して
みんなで盛り上げていくとか
そこはすごく確実に
50代以上の人たちと30代以下の人たちと
メンタリティが違うなという
そうですよね
一昔前だったら
東京チェーンソースとヤマトワーが
ライジをやらないだろうなっていう
そうそう、あいつらちょっと違うから
思想が違うんだよとか言い出したりして
なんかお互いでこう
牽制し合うみたいな
ライバル仕様して
今なんかそこがすごく変わってきてるなって感じは
それが生存戦略的でもあるような気がしますけど
狭い業界の中で敵対してても
本当に意味がないなってことがあるので
むしろ
本当だよね
仲間が広がっていって
同じ思想を持った人が違うビジネスを始めてくれた方が面白いもんね
僕らの世代
やっぱり50代以上の人たちって
昭和の価値観がすごい強い中で
オルタナティブなことをやろうとすると
すごくやっぱりとんがっていないといけないとか
強いカリスマ的な個人を押し出すことで何とかしていかないと
埋もれちゃうっていうのがすごくあったと思うんだけど
今の30代以下の子たちは
ある程度50代の人たちが格闘してきた歴史があるから
もう少しそこまで片肘張らなくても
いいんじゃないのっていう世界が作れるんだと
ところもある
今でいう60代の人と一緒に働いてきた時に
やっぱり何か対立構造を生み出して
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酒飲んで仲良くなるみたいな世界観を
教えられてきたんですけど
絶対違うと思ってたんで
めっちゃめんどくさいなと思って
なぜ喧嘩をするのか
対立するのかっていうところで
なんかすごい不思議に
その世代の人たちを見ていたところがあって
それに対する
同じ10年使うのであれば
やっぱり
遠回りのようで近道を行った方がいいなっていう
感覚はやっぱりありますしね
何か数年前から気づいてたんですけど
やっぱりこう
30代今だから奥田さんたちの世代よりも
下の方たちがある
奥田さん以下の人たちって
二向対立って言葉結構使うじゃないですか
二向対立的な世界は嫌なんですよね
誰が言い出してそうなったのかよくわからない
みんなあの
主体と脚体とかね二向対立とか
そういう構造じゃない世界を作りたいんだって
二言論じゃない世界を作りたいってみんな言うんだ
今20代の人たちが
それは戦争的な影響があるんですかね
そうだからそれもあるのかもしれないで
それもあるのかもしれないで
僕らよりも上の世代っていうのは奥田さんさっき言ったように
むしろ逆に二向対立を作り出すことによって
自分たちを尖らせていって
むしろその議論を先鋭化させていくっていう
対立構造をいかに作り出すかみたいなこと
昔はやってた気がする
今はそこを溶かしていくことをしていかないと
ダメなんじゃないかっていう風になっていて
やっぱりその
自立って自分で選ぶって自分で立するんですけれども
やっぱりこう
対立構造の中で無理やりやるのではなくて
みんなが主体的に
コミットしていくような
主体と脚体がない世界っていうのをどうやって作っていくのかなみたいな
やる人やらされる人とかで
やる人やらされる人とかで
やる人やらされる人とかで
生産者消費者ではなくて
みんなが共に作っていくような世界っていうのを
二個対立じゃない世界を作っていこうっていう思いが
すごいあるんですよね
それは若者というか
20代ぐらいっていうことです
いわゆるZ世代とかって言われる
世代がそういう話を抑止してくるっていうことですか
Z世代よりもう少し上の
岡田さんたち以下ぐらいの世代
30代後半ぐらいから下の方たちが
二個対立的な世界ってダメだよねっていうことに
数年前から気づいていて
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むしろ僕らは
対立構造を作り出してくることを
良しとしてきたなみたいなことがすごく気づかされて
っていうのと
具体的に地域に入って何かやろうっていう時に
例えば自治体が何かやるとか企業が何かやるっていうと
どうしても
そこにやる人と企業とか自治体が旗を振れば振るほど
みんなの市民の側の主体性がなくなっていくみたいな
ことになっていくんですよね
そういうのではなくてやっぱり
やる人とかやらされる人とかではなくて
みんなが何か自分たちが
自分たちが自分たちが
前向きに主体的に参加していくような
世界を作ろうと思ったら
これは二個対立じゃない構造を作っていくしかない
主体も客体もない
みんなが溶け合う世界を作っていくしかないなっていう
ことの気づきみたいなこともすごいありますよね
そういうものの研究を抑えていくということですか
そういう組織というか
コミュニティがどうやって作られるのかっていう
研究というと機場でって感じなんだけど
実際に地域に入りながら実践しながら
それを
美大とやってることによって結局
議論してることがそのまま例えば
デザインになってたり形になってたりして
具体的にそれを地域に持ち込んだりするわけで
議論し対話し実践をし
また対話しみたいなことをやって
そういうことをやりながら
本当にそういう二号対立じゃない中で
みんなが参加するような
在り方ってどうやって作っていけるのかなみたいなことを
できるだけ言語化できるように
していこうということになります
いいですね
コミュニティの在り方の
そういう実例を
どんどん深めていって
みんなが主体的になっていく
自分ごとになっていく
人ごとになっていかないということの重要性は
やっぱり地域で暮らしているとすごく感じるんですけど
それと先ほどの
先ほどって言ってもあれなんですけど
収録の前の話なんですけど
企業の組織みたいな
企業としての組織と
ローカルが面白くなっていく
そういうコミュニティ形成ということ
文化的違いが
言語を通じなくさせる要因だったりもするのかしらって
今聞きながら思ってたんですけど
一方その地域では
みんなでやろうぜっていう話があって
企業体では
ステークホルダーに対してどう
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関係できるのかっていう議論があったり
そこを交わせていくのは確かに
すごく難しい話なんだなっていうのが
なんとなく今の話を聞いていって
思ったところではありますね
理想はやっぱり
みんなが主体的に参加して
みんながモチベーションを持って
いろんなことが起きていくような組織を
みんな作りたいんだと思うと思うんですよ
でもそんなことをやっていると
勝手な動きが結構生まれてくるし
企業としてコントロールできないし
これだけコンプライアンスだなんだっていうのが
言われてくる中で
あんまり勝手な動きが生まれてくるし
企業としてコントロールできないし
むしろ昔よりも今
管理主義的になっているところが今
すごくあるんだと思う
だからすごく
心理的安全性とかいろんな言葉があって
どうやったら一人一人がモチベーション高く
会社にコミットしてくれるかみたいなことを
みんなすごい組織心理学的にも研究をしているのかな
と思うんですよ
一方でそんな民主的な組織
みんなが好きなことを一人一人が
思い思いにいくような組織だと統率が取れなくなって
それこそコンプライアンス違反も起きてくるから
むしろガチッと締めてこうみたいな感じになって
今のすごく
ツールも発達してきたこともあって
マイクロマネジメントがガチッと
企業に対して
縛り付けている気がしていて
その中でみんなガチガチになっているというのが
今の企業なんだと思うんですよ
企業が大きくなると
なんとなく自分が経験してきているところも
話とも合致するなと思うんですけど
どうしても全員が同じ方向に向いているのか
というところを確かめる術すらあまりない
というところ
だから管理しないといけないみたいな
方向になってしまうんだろうなというのは
そういう組織にいたから感じるところはあります
逆に言うと一方で
転職した後の東京チェーンソーズはある意味
代表から入ってくれた人
みんなが信用しているから
同じ方向向いてやっていこうと
だから任せるみたいな感じの動きになっていくから
ある程度好きにやらせてもらえるとか
だから仕事が楽しくなるっていうところは
あるんだろうなと思うので
創始期のサイズ感とかもちろん違いなのかも
しれないんですけど
結構難しいなってすごく思いますね
33:00
大企業にいた時に本当にそういう
自立した形でできるのかって
考えた時にどうやったらできるのか
めっちゃ今
アイデア出そうとしても全然出てこないですよね
法人って言うじゃないですか
法律で認められた人格みたいなことで
それが法人なんだけど
法人っていうのは本来は人格はないわけだけど
だけど個人の集合体である法人が
いつしか個人の集合ではなくて
法人という一つの人格に統合されていく
会社の中にいるとよく組織としてはとか言われるんだけど
組織の論理ではとか組織としては
こういう決定を優先せざるを得ませんとか
組織って誰だみたいに思う
組織としてはと言われるわけですよね
やっぱり組織に合わせて個人が
押しつぶされていくっていうのが
あって
でもそれは企業だけの問題で
地域が本当にみんなが自由に
自由活達に生きられてる社会かって言うと
地域は地域でやっぱり
地域の住人みたいな人がいて
そういうのもあるし
単純にもう少し女子どもは黙っとれみたいな
法権的な価値観があったりとか
企業は企業でそういう
一つの法人であって
地域は地域でやっぱり
そんなに本当に自由でオープンなコミュニティができてるかって言うと
そうでもない
特にやっぱり明治維新以降
そういうガチガチのコミュニティが結構
地域もできてきちゃった部分はあるんだろうな
っていうふうに思っていて
やっぱり若い人たちが
田舎にいても未来がないからって言って
出てきちゃった部分もある
捨てさせてきた部分というのもあるわけじゃないですか
だからローカルなコミュニティが必ずしも
理想的かって言うとそうでもないなと思っている
いや全くそうですね
結局
今まだまだ本当に
ありとあらゆる
コミュニティや組織や
地域や会社が
道半ばと言うと希望的なんですけど
まだ本当に多分
うまくそこを乗り越える術を
見出せていないところはあるんだろうなとは思いますけど
やっぱりサイズ感とか
自分の身の回りの
ヒューマンスケールみたいなのが
越えてくるとやっぱもうわけがわからなくなるなという感覚は
どうしてもありますね
武蔵美さんとの特に
この1年間ずっとやってきて
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やっぱりちょうど今僕娘が
高校で舞台芸術家ってところに入って
公立なんですけど
彼女は彼女でやっぱりだから
彼女とも話している中で表現って何か
みたいなことをすごく考えるわけですよね
武蔵美っていうのはやっぱり表現のための
表現を学ぶ学校なので
だから表現ってことをやっぱりすごく
考えてきた1年だったなと思うんですけど
やっぱりそういう意味で言うと
僕ら日本人っていうのは個人を表現することっていうのを
学んでこなかった人たちだなという
確かに
間違いない
表現って絵とか書いたり歌とか
歌ったりとか詩を書くでもいいし
いろんな表現の手段がある
言いたいことを言うっていうのも一つの表現だと思うんですけど
でもそういうことってずっと押さえつけられてきてるというか
絵とかも
みんな書かなくなっちゃうじゃないですか
表現の手段とかに
本当に日本人ってそこを下手だと思うんだよね
そういうことを教えるというか
変に評価されるっていうのが
いけないですよね
特に新学校とか行く連中とかって
表現のところでむしろ自分が
劣ってるっていうトラウマがあって
だから成績良くしてなんとか
自己表現していくみたいな
成績良くするのが自己表現みたいな
でもねだからスポーツができるとか
本当は小学校の時歌が上手いとかスポーツができるとか
そういうのが実は評価の
モテるやつの条件だったりするんだけど
どっかから
そういうのができなかった連中が
一生懸命勉強して見返すみたいな世界になってて
だから小学校ぐらいまでは結構自由に
みんな表現をしてるんだけど
小学校高学年ぐらいから
自分を出すとか何か表現をするみたいなことを
すごく怖がる
評価されるのが嫌だから怖がる
みたいなことをずっと繰り返してきたんだろうなと思って
美大っていうのはとにかくそこを
表現しろって言って勇気づけて
表現したアウトプットをみんなで評価をして
だから表現をし
また表現をしみたいなことを繰り返していく中で
表現って何かっていうのが学んでいくっていうのが
多分美大だと思うんですよね
だから娘が高校生の時に
演劇とか舞台とかを通じて表現とは何かみたいなことを
考えてるのを見ると
こういうことを本当は高校の時にもっと
僕らも考えてこなきゃいけなかったなみたいな
中学高校の時に
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なんかその話が長くなっちゃうんですけど
地域も企業も
自分を出すとか自分が本当に思ってることとか
思うように生きるとか
そういうことをやっぱり
いやそんなことしてたって生きられないだろうとか
夢みたいなこと言ってんじゃねーよとか
思うように生きられるほど社会は甘くねーんだよみたいなこと
みんなで寄ってたかって潰してくるから
潰された怨念というか
それが一つの嫉妬のエネルギーになって
好きなように生きてる人間がいると
それをみんなして足引きを引きずり落とすみたいな
嫉妬の文化になっていくみたいなことがあるなって
すごい思ってるんですよね
ありますね
企業も地域もみんながもっと思うように
生きられるようになることっていうのが
実はとても大事なんじゃないかっていう
それでも本当根本的な問題として
すごい重要だと思うんですけど
やっぱり仕事もそうですけど
地方でもそうですけど
仕事っていうのは
苦労との対価交換と言いますか
面白くなさの代わりに
お金をもらってるっていう
価値観があって
面白そうな仕事をしてると
それは仕事ではないっていう
言われたりとか
地域で楽しそうに暮らしてると
ヘラヘラしてる感じで
苦労しないといけない
人生は苦労すべきだみたいな感覚が
結構あるんだなって
すごい感じるところがあって
今定年前くらいの方
これ前も話したかもしれないですけど
定年前くらいの方が
フォレストカレッジに参加してて
ヤマトワの事例紹介をした後に
グループディスカッションがあるんですけど
そこでそんな散歩をよしで
みんな楽しくて儲かる仕事なんて
苦労してきたんですねみたいな
信じられないんだ
そんな仕事が存在するわけないみたいな感じで
言ってたらめっちゃ印象的だったんですけど
あくまで労働の対価として
お金をもらってるってことなんだね
そうなんだ
本当に空薬技だった時代とかもあるわけで
確かにそういうことを
時代を経てきた人たちの
そういう中で苦労してきた人たちの
ことっていうのもあるので
一概に仕事が楽しくなきゃいけないとは言えないんですけど
でもレビストロースみたいな文化人類学者が
日本の職人の
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っていうのを晩年すごい研究するんですけど
日本の職人はすごく
労働ではなくて
ある種のすごく楽しそうに
本当に生きてるっていう職人が
そこにすごくフランスにはない概念が
日本の労働にはあるみたいなことを
そう思うわけですよ
だからやっぱり
本来人というのは
つらい仕事もつらい部分もあるけど
でもつらい中にもある種の喜びがあったりとか
なんかでも
お金のためだけではない何か喜びのために
やる部分があったりとかあったと思うんだよね
それはハンナ・アレントって哲学者は
3種類あるのだって言ってて
レイバーという
賃労働というのはまさにレイバーだと
それはお金のためにやる
例えば仕事ってワークって言いますよね
アートの作品のことワークって書くじゃないですか
アートワークとか言うでしょ
だからその仕事にはアートの作品のような
まさに作品と呼べる仕事だってあっていいだろう
あるだろうという
そういう側面もあるよね
あとだからアクションっていう
アクションとレイバーとワークって言うんですけど
アクションはまさに何か形にならないのかもしれないけど
アクションをしていることによって
表現なのかもしれないんですけど
その人自身が生きと生きられる部分
アクションとレイバーとワークのバランスが大事だ
みたいなことをアレントは言ってるんですけど
20世紀というのはアクションとワークがどんどん
痩せ細っていってレイバーだらけになった時代だ
っていう言い方をしてるわけです
それはさっきの岡田さんが言う
どこがあっても
さっきアクションとレイバーということが
ちょっと多いですね
ちょっと待ったときに
それでもお互いに
人を支え合わせるような
プロファースとか
人供なんていないんだよって人は
仕事イコールレイバーとしか思ってなくて
みんなで楽しいこととか楽しそうなことっていうのを 受け入れられたりとか自己表現したときに
評価されたり不安になったりせずに 生きられるっていうことが結構基本的な
重要なポイントな気はしますよね
ですよね 例えば林業とかだって当然陳老土としてやる部分はあるけれども
でも干ばつした後山が綺麗になったのを見たときに ある種の風景を自分は作っているのか
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みたいな感覚ってあるじゃないですか それは多分ワーク 作品
ある種の作品的な世界っていうのもあるし でもみんなで力を合わせてやっているときに
笑い合ったりするっていう部分もあって そういうものは多分アクションというか
可能しもお金につながってなくても みんなと共にやってるだけで楽しいなとか
そういうアクション的な部分もあると だからアクションとワークと林業って仕事一つ取っても
アクション的な要素とワーク的な要素と レイバー的な要素が根前一体となっている
今僕らがやらなきゃいけないのは林業っていうのは レイバーじゃない レイバー
当然レイバーだけどワークとかアクションとしての 林業っていうのもあるんだよっていうことを
山戸川さんも東京チェーンソーズさんも ずっとそういうことをやられてきたような気はしていて
だからそういう林業っていうものに対する見方を 変えてくださったから若い人たちがやっぱりそういうところで
働きながらいるということだと思ってるんですよね
本当に会社のスタンスとか社会のスタンス すごい重要なので
やっぱり僕もスタッフに言われてすごく嬉しかったのって 自分が農業とか林業とかっていうのをやることに対して
その山戸は僕らなら素敵に伝えてくれるという信頼感があるから 全力で取り組めますという話をしてくれたことがあって
それは頑張ろうってすごいと思ったことなんですけど
ですね だから多分さっきの表現の話にも通じると思うんだけど
林業とか農業は言葉を持ってこなかったってことだと思うんですよね 言葉とかビジュアルがなかったって
そこに大倉さんは言葉とビジュアルを与えたっていうことだと思っていて
そこはやっぱり重要だなと思いますし
そこが変わらない
外側だけ変えてもしょうがないのですけど
内側から変えていったものが滲み出て言葉や 言葉を持って内側が変わっていくっていうことも多いので
そこを今一生懸命やってる状態ですけど
すみません ありがとうございます
ちょっと長めの回になってきたので 一旦区切ろうかなと思っております
今回はこれらにしたいと思います ありがとうございました
ありがとうございました