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こんにちは。ちょっとだけ時間があったので、チャットGPTさんと勉強する、中世ヨーロッパ。
中世ヨーロッパ、何をしたかったかというとね、音楽の歴史をちょっと勉強したかったんですよね。
何を勉強したかったかというと、調律方法というのがあってですね。
何かというと、ドレミファソラシドというのがあるわけじゃないですか。
ドとレの間、レとミの間、ミとファの間、音と音の間があるじゃないですか。
これがね、今は平均率という音の割り方になっているんですよね。
僕たちというか、多くの人はそれしか知らないんですよね。
でも実はですね、そうじゃない時代があって、ドとレの間とレとミの間、ちょっと違うような割り方をしている時代があってですね。
もともとそっちが先なんですよね。
それを純正率って言うんですよね。
正確に言えば、もっといろんなドレミファソラシドの作り方、もっといろいろあるんですけど、とりあえず平均率と純正率っていうのがあって、
どのタイミングかで、最初は純正率だったんですよ。平均率になったんですよ。
で、そういうことをですね、ちょっと調べてみたいなぁと思ったんですよね。
で、大体調べはついてるんですけどね。
実はね、純正率から平均率に行ったのはね、多分ピアノ業界だと思いますよ。
ピアノ業界。日本のピアノ業界じゃないですよ。
ヨーロッパでピアノを流行らそうという団体がいて、多分力を持ったんですよ、その人らがね。
その時代、優れたピアノニストもいっぱい出てきて、
ピアノという楽器が音楽の真ん中に来るようなことがあったんでしょうね。
で、そこから純正率から平均率に移り変わったみたいな。
で、そういうことをですね、ちょっと別にいいんですよ。いいっていうか。
それを平均率にやろうとか、そういう気はないんですけどね。
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なんとなくそういうことを知ってた方がいいじゃないですか。
知ってた…。知らなくてもいいのかもしれないけど。
まあまあ、なんとなくそういう話を作ってみたくて。
とはいえ、ちょっとそれ以前の音楽ってどうなってたんだろうなーっていうのを調べてみたいなと思ったんですけど。
なかなかね、なかなか残ってないと思うんですけどね。
なので物語にはなると思うんですけど。
では、チャットGPTさん呼び出してみましょう。
中西ヨーロッパの生活を知りたいです。
中西ヨーロッパの何についてお話ししたいですか?
中西ヨーロッパの封建制度。
中西のヨーロッパにおける封建制度は、領主と人家の間に結ばれた関係でした。
領主は土地や保護を提供し、人家は忠誠や労働を提供するという関係でした。
領主は土地を与えて人家に不動、フィーフとして与え、その代わりに忠誠と軍事奉仕を求めました。
これにより中西ヨーロッパの社会的組織が形成されました。
中西ヨーロッパの貧富の差はどのあたりから生まれたんですか?
中西ヨーロッパにおける貧富の差は、封建制度や農土制度などの社会的組織に起因して生じました。
領主や貴族は土地や財産を所有し、労働力を支配する権限を持っていました。
一方で、農民や労働者は地主や領主に従属し、自らの土地や財産を持たず、彼らの労働によって生計を立てていました。
このような社会的構造により、貧富の差が顕著化しました。
貧富の差が広がっていくと、革命や暴動などは起きなかったですか?
貧富の差が広がっていくと、社会や経済に様々な影響が生じます。
例えば、貧困層の増加や社会の不評と政治的不安定化などが起こる可能性があります。
また、経済成長や社会の発展が一部の富裕層にのみ恩恵をもたらし、他の人々は取り残されることもあります。
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このような状況は、社会的不満や不公平感を引き起こし、社会全体の安定性や持続可能性を愚かすことがあります。
暴動や革命、テロは起きなかったですか?
貧富の差が広がると、社会不満や抗議行動が高まることがあります。
その結果、暴動、革命、テロが起こる可能性があります。
歴史上、貧困や富裕等に対する抗議や反乱が多くの国や地域で発生してきました。
これらの事件は、貧富の差が極端に拡大し、社会的不安定や不満が高まった結果として発生することがあります。
ヨーロッパの主な階級は、貴族、農民などですか?
ヨーロッパの中世における主な階級は、貴族、農民、そして都市の商人や手工業者からなる市民階級でした。
貴族は土地や領地を所有し、政治的な権力や特権を持っていました。
農民は土地を耕作し、領主に従属していました。
都市の市民階級は商業や手工業に従事し、都市での生活を送っていました。
これらの階級間には、社会的地位や権利、そして経済的な格差が存在していました。
中世ヨーロッパに国家というものは存在しなかったのですか?
中世のヨーロッパにおいては、現代のような国家としての統一された政治組織は存在しませんでした。
代わりに風権制度や地域の支配者が権力を持ち、複数の小さな領域や地域が分裂していました。
この時代の政治的組織は、城西や領地を中心とした地方的な支配権が主であり、中央集権的な国家組織はほとんど見られませんでした。
国家という形が成立したのは、いつぐらいの話になるのですか?
国家としての形が成立したのは、中世から近世の時代にかけてです。
具体的な時期は地域や国によって異なりますが、一般的には中世後期から近世初期にかけて国家の形成が進展しました。
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例えば、フランスやイングランドでは王権の強化や中央集権化が進み、国家としての統一された政治的権力が形成されました。
はい、ありがとうございます。
なるほどね。なかなか音楽には近づけないんですけどね。
なかなか音楽には近づかないけど、なんとなくヨーロッパというのが、まだまだちょっとよくわかんないんですね。
だから、国家というのは元々ないんですよ。国家なんかないんですよ。
誰かが無理やり国家というのを作ったんですよね、きっとね。
だって、日本だって国家というのはなかったんですよ。
日本だって国家は、明治時代に初めて国家というのが誕生して、それまで藩というのはありましたよね。
それぞれの大名が収めていた。
たまたまその大名の中でも力を持っていた徳川幕府というのが、一応はリーダーだったけど、徳川国じゃなかったですからね。
なんとなくヨーロッパの歴史を勉強しましたね。
だから、もうちょっと庶民の生活とかを聞いてみようかな。
なんとなくまずはヨーロッパの歴史というのを勉強していきつつ、イメージをもっと膨らましていきたいなという感じではありました。
はい、とりあえずこんな感じです。失礼します。