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昨日このポッドキャストで
その久しぶりにお彦に会って
一緒にバスに乗ったり
ミニカーのカタログを見たっていう話をしたんですけど
今日会社のミーティングで
お世話になっているプロジェクトのチームメンバーに
アチャさんっていう人事の方がいらっしゃるんですけど
その方に
昨日のポッドキャスト聞きました
お彦さんって2歳くらいですかって聞かれて
なんで?なんで?なんでわかるんですかって言ったら
なんかそのアチャさんは教育学部に通われていたそうで
だいたいその自我が出てくるとかそのくらいなので
2歳くらいかなと思いましてみたいな話があって
すごいアチャさんすごいっていう風に思った
面白かった話
っていうのと
あと昨日その久しぶりに
ポッドキャストを録音するっていうのをやってみて
そういえば考えていたことを思い出して
それはですね
日記を書くのがその前から苦手で
あのなんか日記を書いていると
それがブログみたいに公開されてるものとか
公開されるものとか公開しないパソコンの中のメモ帳とか
あと紙に書くとか手帳に書くとか
いろいろ試してみたですけど
やっぱりどうしても続かなくて
日記を書くのが苦手なのは
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書いてるとだんだんその内省が激しくなってきて
自分のことを
なんというか苦しくなってきてしまう
内省するのはいいんですけど
内省がいきすぎると回路がショートしてしまうような
なんかあんまりいい精神状態じゃないなっていう
とはいえなんかこう振り返るってすごい大事で
同じ間違いを繰り返さないようにするとか
あと俯瞰して状況を見ることで
学びにつなげるっていう意味でも
日記一報みたいなのはすごく効果があるから
やってみたいと思いつつ
文章の形で何かを書いていると
そのどうしても文章の方に重きが行ってしまって
そう三文と詩の違いは
マラカワ幼児の本によると
詩というのは人間が感じたまま
感じた順番で編集することなく
人間についたセンサーが反応した順番で
残っていくログのようなものなんじゃないか
そんな言い方はしてないですけど
そういうふうに読んだっていうのが
でもその三文というか
日本一般的な文章の形にするっていうのは
読む人のことを考えて
例えば赤い家を見たみたいな時に
本当は目に飛び込んでくるのは赤っていう情報が先で
それがだんだんあれは屋根なんだっていうふうに思って
で、それは家であるっていうふうに認識していくのが
その順番通りに赤屋根、家みたいな書いても分かんないから
赤い屋根の家みたいなふうにこう
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編集する作業が起こっていて
どうしても生のデータじゃない
文章に落とすことで抜け落ちてしまう
もちろん文章にするっていうのは感じたことを持ち運びができて
流通しやすいようにできる手段なんだけど
文章を書くことによって
本当は俯瞰してみることが目的だったのに
文章を書くことが目的みたいになってしまって
だんだん日記を書くのが辛くなってくる
ですけど
こうやって声に乗せて話すってことは
声に出して
声っていうものってすごい不思議なのが
言葉の情報と言葉にならない情報が同時に含まれているなと思って
話している言葉の意味は言語的な情報なんですけど
この僕の声の感じとか
言葉と言葉の時間とかビート
BPMとか
それによって伝わってくる印象とか
言葉の意味と同時にトーンの意味
印象の情報が乗って
それで
すごく立体的な情報が
今送られているような気がしていて
なんか詩に近いんじゃないかなって思うんですよね
それって
言葉の意味は理解できるけど
なんか聞いててよくわかんないとか
でもわかることを目的としないみたいなことが
声で日記を撮る
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話すことによって振り返るっていうのは
編集が起こらない感じたままのログ
もちろんどうしたって本当のことなんて
残せないんですけど
みたいなことも思って
それでポッドキャストって面白いなって思ったのを
昨日そういえば話して思い出したんでした
っていうことで
なんかいいよなって
他の人のポッドキャスト聞くのも好きだし
あとラジオも好きだし
好きっていうのもあるんですけど
そんなことを思って
また撮ってみるかと思う
パソコンの前に座って録音ボタンを押した次第です
昨日の話で
チームメンバーの方からいただいたのがすごく面白かったので
このポッドキャストでもお便りを募集して
見ようかと思いますね
なんか聞いてる人がもしかしたらいない
ラジオかもしれないですが
メールアドレスは
shikakun@shikakun.com
シカ君のスペルはSHIKAKUNです
どうぞよろしくお願いします
何かありましたら
メールをいただけると読み上げたい
読み上げるなんておこがましいですか
お話したいです
ありがとうございました
ご視聴ありがとうございました
ご視聴ありがとうございました