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2021-01-30 19:55

音声015:倉下忠憲さんと「2021年のWebクリップ」について話す(1/3)

倉下忠憲さん(@rashita2)をお招きし、「2021年のWebクリップ」をテーマに以下のトピックについて対談しました。

今回は全3回のうち第1回です(第2回第3回

※ファイルサイズが大きすぎてアップロード時にエラーになったため3つに分割しました…汗。

▼Webクリップしていますか?

* 2008年から12年間にわたって続けてきた「Webクリップ」とは何だったのか?

* テキストコンテンツはEvernoteなどに「全文クリップ」がワンクリックで可能

* クリップ時は必ず自分の言葉でタイトルなりクリップした理由や用途を書いておく

* 目下のEvernoteは「ちりとり」と化している

* 一方、音声コンテンツは「全文クリップ」ができない

* おのずと自分の言葉でメモを「起こす」必要がある

* このとき、無意識のうちに自分の文脈に寄せることになる

* しかし、これこそがアウトプットの第一歩になるのではないか?

* そもそも「読む」とか「理解する」ということはそもそも誤解なり曲解なり(言わば誤配)があるもの

* 図らずも「読み替える」ことによって、それがアウトプットの起点になる

* クリップする際に自分の言葉を使って自分の文脈に寄せることによって、後から見つけ出しやすくなる

* クリップした内容をScrapboxに転記し、目に付く言葉をリンクに変えるという行為の意味

* オレンジになると思ったら青になる

* 「え? それの何がおいしいの?」

* 知的生産は「手間」がかかる

* 何かを書くことになったとき、書く材料はScrapboxを探せば容易に見つかる

* とはいえ、書き始めてみるとまったく別の話が書き上がる

* その別の話もまたScrapboxに還元することで肥やしになる

* 「何かアウトプットをしなきゃ」ではアウトプットは進まない?

* 粛々と読書メモをまとめているだけではアウトプットにたどり着けない

* 継続のインセンティブとしてのフィードバック

第2回に続きます。

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00:00
はい、今日はですね、倉下さん、倉下忠則さんをお招きしまして、2021年のWebClipというお話をしたいと思っています。
はい、で、WebClipっていうのをですね、皆さん、されている方、まあそんなにはいないかもしれないですけど、
まあでも、知ってる人は毎日知ってると、知ってない人は全く知ってないというのがあって、
で、僕はどちらかというと毎日知ってる方なんですけれども、そんな中でですね、
去年、一昨年ぐらいからPodcastとかですね、音声コンテンツというものがインプットの割と大きな領域を占めてきましてですね、
で、その中でですね、WebClipってツールによりますけれども、全文をですね、特にEvernoteなんかはクリップできてしまって非常に良いんですけど、
でも、このWebClipというのはクセ物で、クリップすることによって何か分かった気になるというかですね、そこで安心してしまうと。
で、まあなので僕はWebClipするときもですね、必ずこう自分でなぜそのWebClipをしたのかっていう理由と、それからまあタイトルですね、
記事タイトルをその元の記事タイトルのままにすると自分のものにならないので、
少なくともタイトルだけは変えるとかいうことをして、後でEvernoteのレビューをしたときにこれが何のために取ったのかとかですね。
あとはこの記事を起点にしてこういうことをやろうと思いついたんだったっていうですね、多分タスクの元みたいなものだったりするので、それは必ずするようにしていると。
ちなみにクリップの瞬間にタグ付けとかってします?
えっとね、毎日読んでる伊藤石健太さんのダーリンコラムがありますよね。
あれは毎日読んでるんですけど、あれうまいですよね。毎日読まざるを得ないという。
聞いていきますからね。
多分10記事か20記事に1本ぐらい追って思う内容があるので、それに関してはWebClipをして、そこで今日のダーリンというタグを付けてますね。
でもそれを付けても付けなくても結局スクラップボックスに転記するときに必ず伊藤石健太さんのリンクを貼るので、そんなにエバーノート上にタグっていうのは最近はちょっとこうだんだん。
もう完全にエバーノートがチリトリみたいな感じですね。
はい、わかりますよ。
最終的に行くところがスクラップボックスなので。
WebClipしたときにワンアクション、ワンテマ加えていくっていう習慣はもうエバーノート初期の頃からですかね。ある時期から始めたんですかね。
最初の頃は付けたり付けなかったりだったんですけど、結局そのたまったものを見返したときに付けてあるものと付けてないものとで、明らかに違うなということに気づいてからは豆に付けるようになりました。
これは多分ですね、買い物から帰ってきて肉をこうバラして冷凍するのか、まんま入れるかの違いな気がするんですよね。
03:07
まあそうですね、下ごしらえというわけですね。
そうそう。それ手間なんですけど、その手間を惜しむと後でああもうこれいいやってなっちゃうので。
気が付いたら腐っててみたいな感じですね。
そうですね。
なるほど。
結局だから今何を話したかというと、ウェブクリップに関してはそういった責め方というか扱い方っていうのが割と定式化できているんですけども、
でも先ほど言った音声コンテンツについてはですね、特にPodcastとかですね、小ノートとかですね、原稿というかメモが用意されている場合はいいんですけど、されてない場合はですね、自分でメモしなきゃいけないんですよね。
はい。
その時に、これ不思議だろうと思うのはですね、この音声で聞いたコンテンツっていうのは、言った通りそのままの形、そのままの言葉を使わずに、なぜか自分の言葉に置き換えてですね、何か勝手に圧縮したりとか。
はい。
で、あとは無意識のうちにですね、自分の文脈に寄せてしまうんですよね。
はい。
要するにこの人が言っていることは、自分が考えているところのこれに近いなという変換を勝手にして、その変換をしていることに気づかないんですよね。
なるほど。
だから、この人が言っていることは自分が考えていることと同じだという形で、自分の知っている記号に置き換えちゃうので。
はい。
もしかすると、その聞いた内容、話した人が言っている内容と自分が聞いて分かった内容に不一致が起きている可能性が非常に高くて。
そうですね。
でも、いずれにしてもですね、この聞いた内容をもとに自分でこの言語化能力を一部駆使してメモを作るというのは割とアウトプットの第一歩というかですね。
はい。
そういうものになっていると思うので、これ音声コンテンツを聞くだけじゃなくて、ちゃんとそこで少しここもやっぱり負荷がかかるんですけど。
はい。
自分で言語化しておくっていうのは、割とこのWebClipに比べると知的生産的レベルが高いんじゃないかなと。
だから、本来はWebClipでも同じことをすべきなんですね。
そうなんですよね。
ただ、非常にWebClipというのがボタン一つでやりやすいがゆえに、テクノロジーがアフォーダンスする力が弱いんですよね。
そうですね。
そういう知的能力を発揮させる。
音声コンテンツの場合はもう仕方がないからやらざるを得ないみたいな感じで、知的生産作用が発動されると。
そうですね。
で、そっちのほうが全体的にインプットとアウトプットで、雑な言い方ですけど、インプットしたものを使いやすくなるってことですよね。
そうなんです。
これはだから、私たちがインターネットを、このEvernoteが2008年に日本語版を使い始めて12年間ぐらいポチポチWebClipボタンを押してきたことって、実はほとんど役に立ってないんじゃないかっていうことになるんですけども。
06:07
そうなんです。
結局これはね、大学で授業を聞いてるんだけども、どうせノート回ってくるからって話聞いてないんですよね。
そうなんですね。
で、ちゃんとノートを取ろうと思ったときに話をよく聞くようになるし、よく言われるんですけども、自分の言葉で編成の言ったことをメモするようになるとさらに理解が進むっていう授業ノートの取り方がよく説明されますけども、それと同じ構造があるんですよね。
そうですね。はい。
で、先ほど音声コンテンツをメモしたときに自分の言葉に引き付けてしまうんで、理解が遠ざかっている可能性があるっておっしゃられたんですけど、そもそも何かを読むとか理解するってことは、そのような誤解なり曲解なり、あずまさんの言葉で言うと誤配なんですけど、があるものなんですよね。
そうですね。
で、そのように読み替えることっていうのがある種のアウトプットの一歩なんですよね。つまり書いてあることをそのまま言うだけだったら、その人のことを別に読んだりというわけで、その中間地点の人間は何も別に言う必要はないですよね。
だからある種の誤解というか、これって実はこういうことなんじゃないかっていうところがその人のアウトプットの起点なので、だから読み替えることっていうことをマイナスの方向で言ってしまうと誤解になるんですけど、プラスの方向で言うと想像なんですよね、それは結局。それがコインの裏表なだけだって。
だから別にいいことですし、さらに言うと、もともとの文章の文脈と間違って覚えてるとするじゃないですか。で、一番重要なのが、その記事を探そうとするときに僕たちはどちらの文脈で探すかっていうことなんですよね。絶対に自分の方なんですよ。
だから、もともとの文脈しか残ってなかったら見つからないんですよね。
確かに。
だから実は自分の言葉で置き換えた方が遥かに見つけやすいんですよね。
いやー、その通りですね。たぶん探すときって自分の言葉で探してますね。
あれってこれについて書いてたよなってそれで思うけど、実際読んでみたら全然違うかったってことは普通にあるわけで。
あとで検索して使うっていう意味も、広い意味で利用って言った場合に、知的精査の素材にするっていう意味から検索して見つけるっていうところを含めても、やっぱり自分なりの知的作用を与えておくことは必要不可欠なんではないかなと。
全てをスマートにコンピュータ任せにしようって言うと、やっぱりなかなかうまいこといかないよなっていうのを理論じゃなくて実体験として体験してきた10年ですよね今。
09:02
そうですね。
ここに来てスクラップボックスに勉強を粛々としてるんですけれども、このスクラップボックスに入れると何かというと、結局これだと思った言葉に対してリンクにするんですよね。
それが多分知的作用だと思うんですよね。
確かに。
それをすることによって、何でそれをやるかというと、時折これもう既に使ってあったわっていう囲んだ瞬間にブルーになるとご褒美になるんですよね、ある人のね。
どんどん話を断然させますけど。
いいですけど。
ご褒美になるっていうのは、僕がこの前、ブックカタリストっていうポッドキャストのテスト会で、MODっていう本を紹介したんですけど、ドーパミン。
ドーパミンって期待誤差なんですよ。
期待誤差っていうのは、こうなるだろうと思って予想したことと違うことが起こると人間ってそれに反応するんですよね。
クラブボックスのあれって、おそらくオレンジになるだろうと思ってリンクが作ってるけど、青くなるっていう期待誤差が起きてるんですよね。
あさひさんはオレンジだと思ってます?
僕はだからこの言葉なんか絶対青にならないだろうと思って青になった瞬間が最高にハイになりますね。
僕はね、青になるものと思ってあってますね。
もちろんそういうのもありますけど、そういうのはおそらく自分がこれについて何か書いてあっただろうって感触もありますし、あれ?青になったっていう楽しさもあって。
確かにそれはありますね。
その楽しさがスクラップボックスにわざわざ書くっていう行為を促進させてるというか駆動させてるんですよね。
それがないと多分結構無味感そうな作業に感じるんでしょうけど。
そうですね。
単純に下にパワーッと出てくるのも楽しいですし、自分の予想が裏切られる楽しさもあるというか。
論理で言うと知的生産的にそうした方がいいよっていうのは確実に論章はできるんですけど、
じゃあやりましょうってなった時になかなか難しいんですよね。絶対に面倒くさいのは。
つまり明日から今やってない人はどんどん言葉にしましょうって提案したとして、やるかっていうと多分やらないんですよね。
ここが難しいところで。
そうですね。それ何が美味しいのっていう風になるわけですよね。
やっぱりリンクが変わった時に嬉しいっていう話も結局スクラップボックスにページがある程度ないと発生しないじゃないですか。
だから蓄積しないとわからない価値っていうのがあるんですよね。
それは現状のインターネットでは軽視されていることなんですけど、だからもったいないなと。
そうですね。だからそういう手間をショートカットしたいっていう圧がありますからね。
あり得ます。することがいいことだっていう価値観すらありますからね。
そうですね。
12:01
そうすると知的生産っていうことの頭を働かせてっていうのをゼロにしたら知的生産じゃなくなるよねっていう話になってくるんで。
もちろん知的生産じゃなくて何が悪いねんっていう反論は多分出てくるんですけど、
多分ネタが面白くないっていうことなんですよね。楽しくない。その行為そのものが作業になってしまうっていうことなんですね。
だったらもうやらなくていいっていう。
だから自分の考えが広がっていったり繋がっていったりする楽しさがあって、それを得るためには手間をかける必要があると。
それを音声メディアは促してくれるとかせざるを得ない状況にしてくれる。
でもやっぱりそれも大橋さんがメモを取ってるからですよね、そういうのを後から使えるようにと。
そもそも後から使えるようにってなぜそう思うかというと、
使わざるを得ないというか、使うことが強制されるというか、ちょっと言い方があれですけど。
平日毎日ちょっと今、昨年の9月からですね。
作書とジャーナルという文章を毎日書くと、平日毎日書くということを決めまして。
そうなると必ずその1日平日毎日1回は何か書かなきゃいけないわけですね。
そうなると次に、もはや今ですね、スクラブボックスを騒がすと大体見つかるんですよ。
これについて書こうかなと思ってそのキーワードを入れると、
砂場で磁石で挫折がワーッと絡みついてくるみたいな感じで集められると。
これとこれで組み合わせて書けばいいかって書き始めると、それと全く違うものが出来上がるんですけど。
はい、ございます。
だけどそれによってまたそれが1つの要素になっていくので、
どう転んでもこのスクラブボックスの肥やしが増えていくんですよね。
それが多分ゲーム性があるというか、
当初書こうと思ったものではないものが書かれる、まさにこれ5杯なんでしょうね。
そうでしょうね。
そうやって増えていくことによって自分自身がですね、新しい切り口をどんどん見つけていけるというかね。
この一連の話を求めると、結局アウトプットをするっていうことをアウトプットしなきゃじゃなくて、
何か言いたいことがあって、それをちゃんと具体的にかつ明確に伝えられるようになりたいっていうのがあると、
そのために材料を集めなきゃっていうことになって、
じゃあっていう形で日々のデータ集めが進んでいくのかなって気がしますね。
うーん、だからこう、難しい。
知りがんの状態。
すみません、すみません。
何だっけ。
毎回仕事のジャーナル、タスクシュートジャーナルを書かなければならないっていう、ある種の強制があるわけですよね。
15:03
何かやっぱりアウトプットをしなければならないがないと、やっぱり人の行動は駆動されにくいのではないかなと思いますね。
そうですね。何か思いついたら書くみたいな態度がありますけど。
それは無理っぽいですよね、なんとなく。
なかなか出先が回ってくるっていう何か機械的な何かが必要なんですよね。
だからよく、ブロガー成功論で、ブロガー成功論というのをとりあえず呼びますけど、
毎日ブログを書いたらPVがふんにゃらはんにゃーっていう話があるじゃないですか。
僕はあれは全く反省はしないんですけど、
でも一つのトレーニングとして、訓練として、例えば毎日書くっていうことは意義があるなとは思うんですよ。
やっぱりそうやって書くことが矯正されると当然ネタ集めにも敏感になりますし、
そこにある材料から無理矢理文章を展開させていく思考力というか思考の筋力みたいなのも鍛えられるんで、
あれをやるとネタの扱い方がうまくなるようなとは思うんですけど、
それを知ったところでブログがPVが増えるかどうかはわからないですけど、
だからやっぱりちょっと何かしらアウトプットっていう場を持って締め切りを自ら貸すか、
他者と共有する、あなたが月曜日に書いて、私が書いてきますからみたいな感じの締め切りを持たないと知的生産の輪ってなかなかサイクルっていうのは回っていかない。
一回回ったら多分うまいこといくんですけど、最初回す力って結構大きくて、
いろんな人がたとえば書きたいと思っててもよく言われますけど、日常が応式が入っている。
対応の習慣がそれをその駆動を妨げてくるので書こうとしている気持ち。
だからやっぱり何か外部の強制力、自立とは別の力を設定しないと最初の人推しって回らないよなっていろいろ思うんですよね。
今、倉敷さんと五陵子さんがやってるブックカタリストっていうポッドキャストはまさに学習…。
まさにそうです。
あれいいですよね。だから本を読むにしても、この本もしかするとブックカタリストで語ることになるかもしれないからっていうふうになると心して読みますよね。
で、やっぱり五陵子さんも自分の回に間に合わせるように読むようになっているっていうふうであって、
まあ僕みたいなのはほっといても本を読みますけど。
それでもやっぱりこう、ショート回したい本があって読むまでの期日があったときに、他の行動よりも本を読むことが優先順位が高くなったことはあると思うんで。
だからその自分の中で破りにくい約束を持っておくっていうこと、それとは知的生産の工程のどこかを絡めるっていうことはやっぱり重要で、
しかも知的生産という行為の生産という意味を外に出す人に伝えるっていう行為を入れておくっていうことがやっぱり重要なんでしょうね。
18:06
祝々と読書メモをまとめてるだけでは知的生産ってあんまり高まらない気がするんですよ。
それはね、真っ先の後回しになりますよね。時間ないときに。
これは今日いいやっていう。
だからあんまり自由を好む人には好かれない発想かもしれませんけど、締め切りっていう外部装置を持つっていうのはやっぱり、
だって知的生産というものが別に生活に出ない以上いるんですよね。優先順位をグッと上げる何かが。
でもなんでそんなものを上げるのって言われたときに、実理的には答えにくいんですけど。
そのあたりが駆動していく上では、いいねとかコメントとかそういうフィードバックは本当に最初は欠かせないというか。
最初だけでいいわけじゃないんですけど。
でもフィードバックってだから僕は質が変わっていかないといけないなと思うんですよ。
初期の駆動を助ける単純なものと、もう少しその行為そのものにコミットしたフィードバックっていうか。
もうツイッターも10年やってると別に1いいねぐらいでは喜ばないわけじゃないですか。
でもやっぱり例えばメルマガで読んだ人が文章をメールの形で返信してくれる文章で送ってくれる面白かったって言ってもらうとやっぱりすごく嬉しい。
それはもう何年経っても嬉しいわけですね。
でそれがやっぱり長期的に続ける上で重要なんで。
ゲーミフィケーションって言ったときにやっぱり単一のインセンティブ設計ではやっぱり継続に関して弱いっていうか質がずっと同じになってしまうっていうかな。
だから段階的に設計し直すことが多分大切でしょうねこれは。
そうですね。
19:55

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