そうすると知的生産っていうことの頭を働かせてっていうのをゼロにしたら知的生産じゃなくなるよねっていう話になってくるんで。
もちろん知的生産じゃなくて何が悪いねんっていう反論は多分出てくるんですけど、
多分ネタが面白くないっていうことなんですよね。楽しくない。その行為そのものが作業になってしまうっていうことなんですね。
だったらもうやらなくていいっていう。
だから自分の考えが広がっていったり繋がっていったりする楽しさがあって、それを得るためには手間をかける必要があると。
それを音声メディアは促してくれるとかせざるを得ない状況にしてくれる。
でもやっぱりそれも大橋さんがメモを取ってるからですよね、そういうのを後から使えるようにと。
そもそも後から使えるようにってなぜそう思うかというと、
使わざるを得ないというか、使うことが強制されるというか、ちょっと言い方があれですけど。
平日毎日ちょっと今、昨年の9月からですね。
作書とジャーナルという文章を毎日書くと、平日毎日書くということを決めまして。
そうなると必ずその1日平日毎日1回は何か書かなきゃいけないわけですね。
そうなると次に、もはや今ですね、スクラブボックスを騒がすと大体見つかるんですよ。
これについて書こうかなと思ってそのキーワードを入れると、
砂場で磁石で挫折がワーッと絡みついてくるみたいな感じで集められると。
これとこれで組み合わせて書けばいいかって書き始めると、それと全く違うものが出来上がるんですけど。
はい、ございます。
だけどそれによってまたそれが1つの要素になっていくので、
どう転んでもこのスクラブボックスの肥やしが増えていくんですよね。
それが多分ゲーム性があるというか、
当初書こうと思ったものではないものが書かれる、まさにこれ5杯なんでしょうね。
そうでしょうね。
そうやって増えていくことによって自分自身がですね、新しい切り口をどんどん見つけていけるというかね。
この一連の話を求めると、結局アウトプットをするっていうことをアウトプットしなきゃじゃなくて、
何か言いたいことがあって、それをちゃんと具体的にかつ明確に伝えられるようになりたいっていうのがあると、
そのために材料を集めなきゃっていうことになって、
じゃあっていう形で日々のデータ集めが進んでいくのかなって気がしますね。
うーん、だからこう、難しい。
知りがんの状態。
すみません、すみません。
何だっけ。
毎回仕事のジャーナル、タスクシュートジャーナルを書かなければならないっていう、ある種の強制があるわけですよね。
何かやっぱりアウトプットをしなければならないがないと、やっぱり人の行動は駆動されにくいのではないかなと思いますね。
そうですね。何か思いついたら書くみたいな態度がありますけど。
それは無理っぽいですよね、なんとなく。
なかなか出先が回ってくるっていう何か機械的な何かが必要なんですよね。
だからよく、ブロガー成功論で、ブロガー成功論というのをとりあえず呼びますけど、
毎日ブログを書いたらPVがふんにゃらはんにゃーっていう話があるじゃないですか。
僕はあれは全く反省はしないんですけど、
でも一つのトレーニングとして、訓練として、例えば毎日書くっていうことは意義があるなとは思うんですよ。
やっぱりそうやって書くことが矯正されると当然ネタ集めにも敏感になりますし、
そこにある材料から無理矢理文章を展開させていく思考力というか思考の筋力みたいなのも鍛えられるんで、
あれをやるとネタの扱い方がうまくなるようなとは思うんですけど、
それを知ったところでブログがPVが増えるかどうかはわからないですけど、
だからやっぱりちょっと何かしらアウトプットっていう場を持って締め切りを自ら貸すか、
他者と共有する、あなたが月曜日に書いて、私が書いてきますからみたいな感じの締め切りを持たないと知的生産の輪ってなかなかサイクルっていうのは回っていかない。
一回回ったら多分うまいこといくんですけど、最初回す力って結構大きくて、
いろんな人がたとえば書きたいと思っててもよく言われますけど、日常が応式が入っている。
対応の習慣がそれをその駆動を妨げてくるので書こうとしている気持ち。
だからやっぱり何か外部の強制力、自立とは別の力を設定しないと最初の人推しって回らないよなっていろいろ思うんですよね。
今、倉敷さんと五陵子さんがやってるブックカタリストっていうポッドキャストはまさに学習…。
まさにそうです。
あれいいですよね。だから本を読むにしても、この本もしかするとブックカタリストで語ることになるかもしれないからっていうふうになると心して読みますよね。
で、やっぱり五陵子さんも自分の回に間に合わせるように読むようになっているっていうふうであって、
まあ僕みたいなのはほっといても本を読みますけど。
それでもやっぱりこう、ショート回したい本があって読むまでの期日があったときに、他の行動よりも本を読むことが優先順位が高くなったことはあると思うんで。
だからその自分の中で破りにくい約束を持っておくっていうこと、それとは知的生産の工程のどこかを絡めるっていうことはやっぱり重要で、
しかも知的生産という行為の生産という意味を外に出す人に伝えるっていう行為を入れておくっていうことがやっぱり重要なんでしょうね。