のらじおの下記のエピソードへの感想です。
父の白い本: https://podcasters.spotify.com/pod/show/noradio/episodes/ep-e25ia5o
kill you & love you: https://podcasters.spotify.com/pod/show/noradio/episodes/kill-you--love-you-e25hn5r/a-a7u963c
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ざっくり内容が想像できるゆる文字起こしの結果はこちら。
文字起こしとサムネイル生成をご自分でも使ってみたい方はこちらのリンクからどうぞ!
https://nariakiiwatani.github.io/PodcastSpeechToWordCloud/
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ベビー日は椅子ベビー始まりました今日もよろしくお願いします
永遠のラジオという番組がありましてえーそこの最新会でですね
えろ人に方られることでその人の人生は物語となり
それによってその人ができたということ生きているということになるのではないかというような話がされていまして非常に共感しましたね
ねー
そこに
まあでも聞いててあれじゃあ僕は切っているのだかこの先生きたということになることができるのだかみたいな漠然とした不安を持つわけですけど
中でも
いや生きねばならないっていう努力をするモチベーションとしては何だと直接的に努力したい対象ではないですよね人に語られることを目的にするっていうのはと僕にはしっくりこないのですが
でまー
だから自分にも生きる意味がちゃんとあるのだということ
そういう
そういう気分になりたくてでちあげる理論なんですが
なのかもしれないんですが
あの人のことを語ることによっても
生きているということになりはしないかなぁと思う訳ですね
誰かこの人には
語られるべき価値があるまあ少なくとも自分はそう認めているということを表明したり実際にその人のことを語ったりするというその行為が
その語っている日と自体の人生
であってもいいのではないか人生の物語であってもいいのではないかということですよね
僕が誰かのことを語ることで
僕のことは誰も語らないんだけども
その木が語りたかった人の話が物語が
このように
生まれる生まれたということを思って
それを語った僕が生きているのだということに
なってもいいんじゃないかなぁって思ったっていう話です
あのこれはおそらく
えーたんですねラブアンド切るいうという会議でおっしゃられていた
間でない感想だと思いますずらした話をしているのでね
まあただその辺から引き出された感想
という位置づけですかね
はい以上です今日も聞いてくださってありがとうございました