その根っこには全部ビビリがあって、そのビビリが地球全体っていうとこまでに派生してる、自分を拡張して考えられるみたいな特徴が僕にはあるなと思ったんですね。
なんかビビリって言うとあんまりいい意味に捉えられない言葉って僕はずっとそう思ってきたんですけど、
逆にあんまり他の人、ここまでビビリじゃない人には気づけないことが気づけるのかなって僕は思って、
そうなったときに僕は自分の一番才能っていうとちょっと大げさなんですけど、自分にできることっていうのを生かすことをすごくやりたいなと思ったんですね。
僕ももう48なんですけど、残りの人生ね、そういうふうに全振りしたくなっちゃってるんですよ、今。
だから仕事も僕ね、やめちゃったんですよ。去年の年末で。
1ヶ月に5万円だけ僕生活費がかかるっていうところまで来てたんですね。
生活費を削って削って、さっきみたいな形で頭でご飯炊いたりとか、
トイレとかもね、水道代が少ないとか、そういうの全部合わせて5万円っていうところまで落ち着いてたんですけど、
それも一旦ゼロにしてみようっていう。
貯蓄がないことはないんで、一旦まずはゼロにしてみようっていうところを今実験的にやってるんですね。
それが何でかっていうのが、今はさっき言ったみたいな、お金による欲望が増幅されたっていう表現もできるんですけど、
僕の表現で言うとですね、インプットが先っていう発想で回ってる社会になってるんじゃないかなって思ってるんですね。
収入と支出で言うと、収入がインプットっていう言い方を僕してるんですけど、
何かを売り替えしたりするにしても、物を買うとかラーメン屋に食べに行ったりして千円払ってラーメン食べるとかいうのは、
そのお金、千円を払う代わりにっていう、そのインプットが条件になってるっていうふうに僕捉えてるんですよ。
で、経済っていうか、人の活動で物を循環させていくときに、インプットとアウトプットが両方必ずあると思うんですね。
何かを得る、自分たちはこれが欲しい、みたいな、さっきもお金に関して欲望っていう表現使いましたけど、
それがベースになって動いてるから、ちょっと人が、自分たち人間の欲望だけを拡大させた結果が、
地球環境とかを帰り見ない形になっちゃってしまっているんじゃないかっていうふうな発想で捉えたときに、
それをインプットじゃなくてアウトプットが先の社会にした方がいいんじゃないかなって僕は思って、
だから僕は、自分のインプットを得るための活動っていう、今までアルバイトをしてたんですけど、
完全に一人で成り立つってなると、世界の課題っていうのはところと独立して生きられてしまうじゃないですか。
生きられたら生きられたらいいんですけど、僕の場合はそこを目指すというよりは、
社会とのつながりの中で人とその価値観、人がそういう社会の課題みたいなものをメタ認知するきっかけみたいなものを持ってもらうために、
このポッドキャストで話すっていうところをメインで考えてるって感じですね。
そのためのなるべくお金を使わない暮らし、順番としてはそっちの順番っていう感じなんですよ。
なるほど。例えばなんですけど、インプッターっていう方がどんどん増えていって、
例えばまあ毎月30万40万っていう収入を仮にね、得ることができるようになったとするじゃないですか。
まあまあまずないと思いますけど、まあごめんなさい、仮に。
そうしたときの生活様式っていうのはどういう感じになるんですか。
まず僕の想定ではですね、今の月に必要なお金が5万なので、5万になった瞬間に打ち切ります。まずは。
それ以上の募集は受け付けないっていうことですね。
受け付けません。僕の中ではですね。そこが目的じゃないからです。
僕はその情報発信することにも今後の人生を前振りするって決めてるんで、
そういう社会にアウトプットが先な社会になっていれば、それだけでも成り立つはずっていう思いでやってるんですね。
でも今の社会はそうなってないから、その一時的なインプットをっていう表現もしていて、
そういう社会が来るまでの間の一時的な炎上をお願いしますっていうだけの話なんですよ。
じゃあ最終的には、今5万円になってるけど、それもゼロにするみたいな感じってことですか。
はい、ゼロになるっていうところが、要は僕のイメージ、そういう社会になったらいいなっていうイメージを持って動いているって感じですね。
すごいな。
僕が生きてる間にできるかどうかわかんないぐらいに思ってるんですけど。
ちなみに、生産者じゃない限りは、自分の食事を得るってなかなか難しいじゃないですか。
アウトプット社会が成り立った後の話ですか?成り立つ前?
成り立った後、どういう世界かちょっといまいちまだつかみ切れてるんですけど、
ゼロ円で生きていくっていう概念の場合、食事は自分で作るっていうことですか。
僕のイメージ、これも勝手なイメージなんですけど、農業が得意な人であったり、料理が得意な人っていう人も今後の世界でももちろんいると思ってるんですよ。
そういう人も今はインプットが先な流れの中で活動してるんですけど、それが仮にアウトプットが先になったとしたら、
そのことをやり続けると思うんですね。自分が好きだから。もしくは必要だと思ってっていうのも僕は好きに含めてるんですけど、
そうした時に完全に自分のピッタリ、自分の分ピッタリしか作らないよっていう人もいるかもしれないですけど、いっぱい作る人も出てくると思うんですよ。
僕は人間の特性として社会貢献みたいなものも、みんなの中に欲求としてあるっていう感覚を持っていて、
その意味でいっぱい作って余った分は人にあげたいっていうのは、人の自然な行動な感じがするんですね。
だからそういう人からのアウトプットっていうのは少なからず回ってくるんじゃないかなっていうふうに僕はイメージはしてます。
なるほど。
でももっと今よりも多くの人が自分で食料を作ろうっていうふうにはする社会になっていくんじゃないかなっていうのは漠然とイメージしてますけど、
そこらへんは本当に僕完全イメージ先行型で、こういうふうにできるっていう具体的な案はないままに、
そのイメージを発信してその人の意識みたいなものに先にアクセスするっていうことをやってるつもりなんですよね。
だから今のところやってみないとわからないことでもあるし、
これこれこういうふうにやったらほらできますよっていう案がちゃんとあるわけじゃないです。
ただ、今の社会が人の欲望みたいなのがベースっていう言い方さっきしましたけど、
それとあとは人をあんまり信頼、周りの人を信頼しない世の中っていうふうに僕は言えると思っていて、
今までずっとそうやってきたから、信頼をベースにした世の中っていうのはこういうふうに歴史上にあったからできるよねみたいなことでもないんですけど、
今こうやってネットも普及して、ほとんどすべての人というか今までに比べてすごい多くの人がメタ認知をしやすい社会になったと思ってるんですよね。
地球の他の場所のこと、地球全体のことの情報を得やすい時代になったときに、
あんまり信頼をベースにしないで生きているっていうことはメリットがあんまりないんじゃないかなっていう感覚があるんですよ。
その意味で、自分がやりたいことっていうのをやっていく人で、世の中があふれたらその循環で逆に自分にも何かしら回ってくるんじゃないかなっていう確信みたいなものがあるっていう感じなんですね。