ラビオ
うちの裏に渋垣の木があって、僕の住んでいる家ってお隣さんと棟続きになっていて、
お互いの家がつながっているわけじゃないんですけど、
二棟が軽い屋根みたいなトタンで隔てられて、
お隣さんはもともと農家さんが建てられた家の名屋だった場所を建て直して、
むしろその名屋だった場所の方が新しくリフォームされた家みたいになっているっていう状態。
まあでもそういう感じで敷地内に僕の家とお隣さんの家があるっていう感じなんですけど、
どっちかっていうとそのお隣さんの家の裏みたいな感じの場所にある柿の木、渋垣の木なんですけど、
お隣さんが60代だと思うんですけど、そのお隣のおじちゃんがですね、
これ俺は取らないから全部取っていいよって一昨年ぐらいからかな、言ってくれてるんですよね。
渋垣だから基本的には何かしないと食べれないというか食べれなくはないけど渋いっていうことですよね。
で干し垣を一生懸命作ったりした時期もあったんですけど一昨年とかは頑張って作ったり、去年も何個かは作ってってやってたんですけど、
何やっても僕そうなんですけどだんだん減ってくるんですよね。
なので今回は完熟するまで木の枝の状態でもう真っ赤っ赤になって下手したら落ちちゃうみたいな、
その状態のものをもぎって食べるって、もうその場で皮剥いてというかもう皮剥きつつドロってなるからすすりながら食べるみたいなことをやってるんですけど、
ただそうこうしてるうちに一部完熟してるけど全体としてはまだまだ渋いみたいなのに当たっちゃう、当たっちゃうというかそういうのを間違えて取っちゃうってことがあるんですよね。
でそれもなんかもう干し垣にするのめんどくさいから食べちゃうんですけどそうすると渋いわけですよね。
でも渋がきの渋さってこれなんだろう味覚、味覚は味覚なんだけど僕の感覚ですけどなんか口の中にいっぱいね口の内側の皮膚っていうの、
そこになんかいっぱいくっついてくるんですよねなんか渋みの成分成分なのかな成分って言い方がなんかしっくりこないんですけど、
その渋い部分って皮のすぐ内側の部分みたいな感じがするんですよね。
でそこにある柿の成分って言い方しかできないから成分にしておきますか。
成分が口の内側にこうびとびとってこう張り付いてそいつがこうくっついてすごいくっついてキュってこう口の内側の皮膚をなんだろう噛みつくじゃなくてギュってこう、
その成分が難しい表現難しいんですけど吸い付くみたいな風になってる感じするんですよね。
でそれを口の中で舌でぐるぐる回したり口をもごもごさせたりしてそのくっついてるやつをだんだん剥がしていくんですけどそれが剥がれると渋みがなくなるみたいな感じがするんですよ。
これ前回のブロッコリーがたこ焼き初めてブロッコリー食べたときにたこ焼きって感じたみたいな僕のまた特殊性かもしれないですけど、
なんか柿の渋みって他の辛さとかしょっぱさとかそういうのと違ってその柿の中の成分が口を口の中の内側の皮膚をギュってつまんでるみたいにするからその感覚がなんか渋みの正体なんじゃないかなって思ってます。
いいながら全然自信がなくなってきたんですけどなんかそれさっき食べてたんで今日はこんな風に始めちゃいました。
っていうところで行きましょう。
シューの話すラジオ話すは手放すの話すお隣さんが干し柿にするといいとかお酒を入れて一緒に入れて何かするといいとかなんか教えてくれたんですけど
多分めんどくさくなっていってやらないだろうなって今回も思っております。
はいそんな感じでですねまあどうでもいい話から始めているわけなんですけどなんかポッドキャストやっててあの毎日配信みたいになっちゃってて
週報は週に2回ですけど他に5番組があるから結果的に1週間のうちに僕の番組が配信されない日はないみたいになっちゃってるんですけど
最近ねやっぱりちょっとやりすぎたかなーって思ったりしてますねー
もう毎日何かしらどんなにこう体調があんまりだなーって思う日でも1日のうちの大半をポッドキャストに費やしてるなーっていうのが続いてますね
だからちょっとこれはなんか考えないとまでは行かないですけどね本当に全然余裕がないわけじゃないし融通は全然効くんですけど
絶対量としてはかなりある状態が解消はされない状態になったよなーなんて思ってます
はいまあそれもいいんですけどこれも冒頭の話でも良かったような話でしたけど
なんか今回は週報インプッターの方のご紹介もないし前回までの旅の話ももう終わったし
本当に今日は気抜いて喋ろうかなーっていう気分がある一方で旅の話をずっと続けてきたから
僕の考え方みたいな話をあんまりできなかったなーみたいにも思っていて
だからまあなるべくだったら今日そういう風に流れていったらいいなーとは思ってるんですけど
ちょっとあまりにも旅の話が続きすぎたせいでどうやって喋ってたんだっけなーみたいな感じで今も喋ってるんですけど
なんとなく本当は喋りたかったなーみたいなことがいろいろ溜まってはいるんですけど
何をどう表現しても
うーんなんていうのかなー
表現しきれはしないよなーみたいなもどかしさを最近ずっと感じていて
本当は最近というかずっと感じてるんですけど
言語化の限界みたいな話でもあるけど
他の番組いくつかやってる中で
クーネル話すではどっちかっていうと聞き役みたいな感じだから
それ以外の主に3つかな
道場も紫さんのだからそれ以外の
道のりとか
ごしゅうしょうラジオとか
しゅらしゅしゅしゅで
なんか頑張って何かを表現したくてでそれには一人語りよりも
聞き手がいてくれた方が表現しやすいだろうと思って
喋ろうとしていることが
なんかすごく全然うまく言えないなーみたいなもやもやがずっと
たまりつつあるなーみたいに思ってて
それってやっぱり
他の人の話に流れていってしまったりして本当に言えなかったなー言いたかったなーみたいなのが
残ってる気がするんですよね
その意味で言うとそれを話せるのは修法だけなのかもしれないと思って今も
出そうとしてるんですけど
なんか
特にあれかなごしゅうしょうラジオで大輝くんとよく話してしまう僕がついつい気になって何回も
聞いてしまう大輝くんがスポッティファイに対して
当たりが強いみたいな
これまた表現が難しいな
まあだからでもその問題に限らずなんですけど
何かに対して
自分の中の怒り的な感情が湧く
許す許さないみたいな許せない特に許せないみたいな感情が湧くことに対して僕が
そう思えば思うほど
それに目くじら立てて真っ正面から
反感をぶつけない方がいいって思ってる話
それにつながる話が
結構何の話でもそこに僕の発想としては帰着しちゃうなーみたいな
感覚があるのでその話がやっぱりしたいかなーって思ってるんですよね
でなんか
陰陽みたいな陰があれば必ず陽があって光と影みたいなのもそうだし
正義と悪あ善と悪か
正義と悪でもいいかな
善と悪みたいなのも善があるから悪があって
悪を完全にゼロにしようとして
悪をなくしてしまうとそのなくなった善の中でまた善と悪が生まれる
これはシュラシュシュシュでシュラさんが教えてくれた
道義さんっていう人の言われてたことだったと思うんですよね
磁石でのs極n極のn極をなくしてしまうと
そのなくしてしまったs極っていう磁石の中でまた
s極とn極に分かれるみたいな状況になる
で僕はその話を聞く前から
ありとかのありのなのかな
8人の法則っていう風に最初は聞いてて
でも最近は262の法則みたいに言うみたいに
どっちもちゃんとはっきりと言えるほど僕ちゃんとしてないから
本当に知りたい方はご自身で検索してほしいんですけど
僕が意識してる部分
そうだろうなーって漠然と思ってる部分だけで言うと
8割のありが働いていて2割っていうのが働かない状態になる
でそれを全部働くありだけの状態にしようと思って
2割を取り除くとその残った8割の中でやっぱり
2割は働かない状態になるっていう話と似てるなーと思ったりしてるんですけどね
そういう引用の法則があるなーっていう風に思うと
何でしょうねその何かに反発したりすると
自分が違和感を感じることはめちゃくちゃ大事なんだけど
それに対してあんまり考えずに強烈に反発しすぎると
かえってその自分が違和感を感じた何かの反作用を強めてしまう結果になるって思ってるんですよね
でその時に僕がどういう風にするのがいいかなって今のところを意識してるのが
まあ一言で言っちゃうとメタ認知なんですよね
なんか平面上で相手と対峙して向かい合ってるみたいな構図で
なんていうのかなぁ
二次元っていうかそういう感覚なんですよね
それに対してメタ認知することによって上空から見るようなイメージで
三次元になるみたいな
これは図で言うとそんな感じみたいな話ですけど
そうしてみて初めて
なんか本来の自分が求めてるものが見える気がするっていうか
自分自身その何かに違和感を感じるんであれば
もちろんそれは自分の心の形っていうか
まあ体とも紐づいてると思うけどその形の特性みたいなものだから
そこを感じるのはめちゃくちゃ大事だって思ってるんですよね
それは無条件にその場では嫌悪感であったり
反発したい気持ちとして現れるから
何も考えずにその場で反発したくなるんだけど
実際その場で反発してもいいはいいんでしょうけど
なんか言語化すると
これ話し始めた時にも他の番組で何か言い切れないみたいな話とも通じてるんですけど
言語化した瞬間に違うものになる
この話はこれもシュラシュシュシュでシュラさんがおっしゃってくれたし
僕も前々から知ってはいるんだけど
でもなんていう名前だったっけな
量子力学のなんとかかんとか
波と粒の話なんですけど
なんという表現だったか表現というかなんとか実験
ちょっとこれ調べたいから一旦止めて調べます
はい今調べました二重スリット実験でしたね
シュラさんがそういう表現でシュラシュシュシュっていう番組の中で言ってくれて
ただまあその実験の名前は知らなかったけど僕も高校生の頃に確かNHKかなんかで見て知ってはいたんですよね
なんか量子力学の世界でというかその実験の中で
光が波であるか粒であるかっていうのを突き止めようとして
観察をすると粒になる観察をしない状態だと波としての結果が現れるけど観察をすると粒になるみたいな
これもう表現間違ってるかもしれないですけど僕の中ではざっくりそんな風に捉えているものなんですけど
その観察した瞬間に粒になるみたいなのが
頭の中で考えていることを言語化した瞬間に違うものになるみたいなのと似てるなーっていうのも今思ったからそれも挟み込んじゃいました
言語化すると変わってくるんですけど
それでもコミュニケーションにおいては言語化した上でその言語に乗せて自分の思いを伝えようとして
一部は伝わってっていう風になると思うんですよね
だからそれが他の番組で今なんかうまく出せないなぁもやもやするなぁみたいなのが最近ちょっとたまってる感じがしていて
それを今日いろんな話と紐付けながらなるべく出したいなぁと思ってるんですけど
なんか今日完全に独り言みたいになってますね
いやそれを望んでそうなったような気もするけど
リュウちゃんの独り言みたいになってますね
リュウちゃん独り言したい人ぜひしましょうみたいに言ってて
あれは対談のこと言ってんのかなぁ
それともあなたもポッドキャスト始めて僕みたいに独り言をしましょうしたらどうですかって言ってんのかな
なんか多分最新回だと思うんですけど
リュウちゃんがコテンラジオでアリアクセスで聞いたのかな民主主義の回を聞いて考えたことだと思うんですけど
Xでもポストしてたりしてなんか今まではリュウちゃんレイヤーで捉えていたけど
なんか個人としての自分がこういうふうに捉えるっていうのと
社会的にそれはどうだっていうことのバランスみたいなものをレイヤーで捉えようとしていたけど
軸を変えるみたいな感じで考えるとしっくりきたなみたいなことを独り言でも喋られてたんですよね
でね僕のちょっとながらぎきだったのとリスニング能力がなさすぎることでかと思うんですけど
ちゃんとまだ全然理解できてないんですよねでもなんか表現面白いなぁと思って
自分は自分で変わらないんだけど自分の中になんか外部からというか軸みたいなものを入れ替えることによって
その軸バージョンの自分みたいになるみたいに捉えたんですよねこれ捉え方違うかもしれないけど
面白い捉え方するなぁリュウちゃんみたいに思ってて
いつか対談したいなぁなんて思ってるんですけどね
でリュウちゃんの考えとは全然僕違うのかもしれないけど
さっき言ったなんか反発すると余計相手の反対を強めるみたいなのを
メタ認知することで回避はできるかどうかわかんないですけど
まずはそのメタ認知するっていうのが一番大事だよねって思ってることと同じような感覚でしかまだそういうふうにも捉えてなくって
民主主義で自分個人と社会とのバランスみたいなのを取ろうとした時に
それを両方ともひっくるめて上空から見て
常に判断していくしかないのかなぁみたいに思っていて
これも昨日ちょっとご主唱ラジオがあって収録があってその時にも喋ったからちょっとネタバレ気味になるかもしれないんですけど
なんか僕ねその何かを固定することある意味法律とかも固定してしまうことみたいに思っていて
それが持つ特徴というかそういうのを考えるときに
基本的に今面に見えるというか感じられるすべてのことって全部が動いてるよねって思ってるもんで
全部動いている中で何かを固定することは一定の危険性を伴うなと思ってるんですよね
さっきは法律という言い方をしたけどざっくりで民主主義みたいなことを表現しようとするだけでも
なんかめちゃくちゃ矛盾が現れてきて個人と世間というか社会というかとの間には
常に矛盾みたいなものがあってそこでバランスを取るしかないみたいな感じで僕はざっくり捉えていて
だからルソーとかの社会契約説とかもある意味結構ひいた目線で見たというか
基本的に無理芸みたいなものを無理やり言語化してるから
それを言語の状態でちゃんと理解するっていうのは難しいしそもそも無理だよねみたいに思っていて
常にコクコクと動いているものを自分の目で見て感じて
その瞬間瞬間で判断というか判断とまで大げさなことじゃないにしても
それによって自分の姿勢を変えていくみたいなのをやるしかないし
基本はやってるんだよなって思うんですよね
みんなそうやって周りとバランスを取りながら生きてる中で
なんか無理やり何かを固定して
主義とか法律でもそうだし概念はちょっといいのかな別にいいのかもしれない
でも強制的に何かを止めたり遂行したりするっていうのは一定の危険性を伴うと思っていて
それによるメリットももちろんあると思うんですけど僕はビビリなもんで
なんていうのかな人を傷つける
傷つけるのもどっから傷つけるだよみたいになるし難しいな
その線引きは難しいにしても
なるべく摩擦が少なく柔らかく穏やかにほがらかに笑って過ごせる状態を
意識し続けたいなと思うんですよね
それも瞬間によるから未来英語をどの瞬間も笑っていたいってなると
逆に不自然になるんですけど
ふとした瞬間にそこに立ち戻るっていうのを
習慣にしたい
リュウちゃんの言葉で言うと癖にしたい
癖になってるんだろうな僕の中では僕の癖は
このビビリは癖じゃないんだけど
そのビビリが元になって癖みたいな感じでこういうふうに根っこから考えて
今回話したかったこととしては
何かに強烈に反発するみたいなのが逆に
事態を悪化させる自分が嫌だと思っていることを
より倍増させることになるなって思うこと
と
とというかそれに全部関連して
言語化してしまうことでその瞬間だけは切り取れるけど
それには永続性は基本的になくて
一瞬を切り取ったものに過ぎないみたいな
だから言語化であってもそうだし
民主主義みたいな方針にしても
そういうものだっていう認識を持った上でなんとなくみんなで
こうっていう風になるもんだよね今もなっちゃってるよねって思ってるんですよね
民主主義の原理になっている社会契約説みたいなものって
本当に言語化した状態で見たとしても全然理解できるようなものではない
理解はできたとしても
なんか
もともと無理やり感が拭えないというか
そういうことを言いたかったかな要素としてもっと
話し始める前はいっぱい要素があって
それをつなげたかったんだけど
なんだかんだでその数は減ったし
同じことを何回も言っちゃったみたいな結果になっちゃったけど
今のところこんな感じですね
これからも多分このことを同じことを
手を変え品を変え言っていっちゃうと思うんですけど
僕の形はまあこんな風に今のところなってるし
多分これからもそんなに劇的に変わるみたいなことはないと思うんで
こういう僕が
なんかあんまりビビらずに
でもこれは出したいんだよねみたいなものを
出し切れる最後の砦としてポッドキャストがあるなみたいに思ってるから
今後も続けていきたいと思います
いやー約2ヶ月間旅の話ししちゃってたせいで
台本じゃないけど
エクセルシートにまとめてたものを見ながら喋るみたいなのを続けちゃってたから
何にも台本ないしで喋ることのたどたどしさに
自分でも今びっくりしたりしてますけど
今のところまあこれだからこの状態だからしょうがないっていうところで
なんかきつかったな自分的には
今日の出し切れなさはこれもやもやして今回もきつかったなって思うけど
だからこそやっぱり今後も喋り続けていこうと思います
はい今回はそんなようなところで
週の話すラジオ略して週報は
HSPっていう先天的なビビリとして生まれた僕
週がビビリだからこそ問題の根本原因に意識が向いて
最終的には個人単位じゃなく
世の中全体の問題点にビビリが反応しちゃうこと
それを発信することに僕の生きる役割があるんじゃないかと思って
そんな僕の意識を日々発信する番組です
僕からは今の世の中がたきつぼに向かう船みたいな