みんなの声を届けよう、樋口塾。
SHUの放すラジオは、誰でもポッドキャストを始められたらいいという思いのもとに集まった、樋口塾の一員として配信しています。
当時の僕はそんな感じでした。
なんとしてもコテンラジオコミュニティに入って、どんな人がいるのか、そこの中の人たちと喋りたいなぁみたいな気分と、あとは自分でポッドキャストを速攻で配信し始めたいなぁみたいな気分がありましたね。
それで、その先行にありがたいことに、僕は受かって2期生としてコテンラジオコミュニティに入ることができたんですよね。
で、それがディスコードっていうアプリの中でそのコミュニティが動いているわけなんですけど、
で、確かね、12月24日?クリスマスに、もう2期生がバババーって入ってくるっていう感じだったと思うんですよね。
多分、100人だったんじゃないのかな?ちょっと正確には忘れましたけど。
で、もうその100人が一気にディスコードで自己紹介の文面、僕みたいな熱い思いを書いてる人もいるし、
割とそんなに熱い感じじゃないけど、その人なりの個性があるみたいな、それぞれ千差万別な自己紹介がブワーッと並んでいて、
で、僕はもう熱い思いがあってなんとか入るっていうそのフォームにはそんな感じで書いたけど、
この自己紹介のいっぱい並んでいる中にどんだけ熱い思いみたいな感じで書いても伝わりづらいだろうな。
で、あと今日の途中で話したみたいに自己紹介がめちゃくちゃ苦手っていうところで、
もうインパクトだけが誰かにヒットするっていうのだけ残せればいいかなと思って、当時の僕はカモリョをやってたんで、
そのことだけを書いたと思います。
で、その時にそのことに食いついてくれたのは、同じ樋口塾生のぞさんなんですけどね。
うーん、その時は嬉しかったですね。
まあ今はもうカモリョも辞めてしまったっていうようなところはありますけど、
で、結局そこではもう短い文章でいいやっていうふうに思ったっていうのは、
僕はもうすぐポッドキャスト始めるっていうのを決めて入ってきてるんで、
むしろそのポッドキャスト始めるために入ったみたいなところがあるから、
そっから樋口塾っていうのが、じゃあどこにあんの?みたいなふうに、
そのディスコードの中を探したら、なんかそういうチャンネルがあったんですよね。
で、ただチャンネルにはその時リアルタイムでやりとりしたやりとりみたいなのが残されてるわけ、
その、なんていうんですかね、テキストだけで残ってる感じだったから、
そっから読み取ってちゃんとわかるっていう感じじゃなかったんですけど、
当時はもうそういうコテンラジオが自分に響きすぎて、
何かしらをやっぱり社会に対する僕のビビリって、当時は気づいてないけどビビリが反応したことによって、
なんとかしないとっていうのもあるし、僕自身の生き方もそれで最低限の生き方で継続していくには、
今後どうやっていったらいいのかっていうのをただ必死で追い求めてたっていう感じなんだと思うんですけど、
今の僕の言語表現で言うと、途中で言ったみたいな自分じるみたいなのを流すことなんじゃないかなって今思ってるんですよね。
なんかさっきの日口さんがコテンラジオで日口塾について説明されてた回で、
言われていたことの中の一つの表現、これはあくまで表現の一つだから、その文脈はちょっと塾が言ってるのと違うよっていうふうに言われるかもしれないですけど、
何かが誰かわかる人にその言語表現じゃなくて、共鳴するような感じで伝わるっていう言い方をされてたんですよね。
世界の流動性を高めたいみたいなことも日口さんおっしゃってたんで、僕にとってはそういう自分の思いみたいなのを伝える、
僕が感じていることに対してのリアクションみたいなものが、自分っていう、もしかしたらどっちかっていうと個体っていうよりは液体とか気体に近いんじゃないかなって思ってるものからあふれて、
で、それが誰かに伝わるっていうようなことは、もう実は常に行われているんじゃないかなって思うんですよね。
で、それが今となっては、当時はもうなんかコテンラジオが好きだったり感動してたりとか衝撃を受けたり、
メタ認知することによって、今の僕の言い方で言うと、抱きそばに向かう船みたいなもののスピードを緩めるようなきっかけを世界に対して何かしら染み出させることができるんじゃないかなみたいなのも、
その思いの根っこみたいなものは当時すでにあったんじゃないかなと今は思うんですよね。
なんで、ポッドキャストを、なんでみんなポッドキャストやった方がいいっていう風に僕も今でもずっと思い続けてるかっていうのがこの話につながってくるんですよね。
ひぐちさんの言い方で言うと、言語表現を超えた何かが共鳴して伝わる、そういう意味で世界の流動性を高めたい。
僕も、まあ、同じ表現でもいいんですけど、もしかしたら自分っていうのはそういう液体みたいな部分があって、これは伝わらない人には全然伝わらない、
その自分の殻を閉じてる人にはその液体は流れていかないんだけど、ある程度オープンに開いてる人にはそこがなんか染み込んでいったり混ざり合ったりみたいなことが常時起こってる気がするんですよね。
これはだから物理的にっていうよりは言語表現とか、直接対面してというか、今までは対面でしかそれが起こらなかったんでしょうね。
でも今はいろんなきっかけがあって、技術的な進歩とコロナとかそういうことの影響がすべて絡んでると思うんですけど、
ズームとかで、そのコテンラジオコミュニティとかもズームがあることでオフ会みたいなものが開けるっていうのもこれは一つ、なんか結束力というか雰囲気の良さというかリベラルアーツ的な動きを作ってるめっちゃくちゃ大きな要因の一つだったりするんですよね。
だからズーム越しでも何かが自分じるみたいなものが相手に伝わってるし、向こうのものもこっちも混ざり合って受け取っているしっていうことだと思うんですよね。
で、もっと言うと、ズームで顔を見ていなくても音声だけでも伝わる。だからポッドキャストなんですよね。
で、あともっと言うと、ポッドキャストは非同期なんですよね。リアルタイムで相手が目の前にいなくてもこうやって僕も今マイクに向かって一人で喋ってますけど、それが時間を空けてですけど誰かに伝わるわけですよね。
で、コテンラジオとかももう過去何年…どのぐらいになるんだ?何年間かのコンテンツとしてストックされていて、それが未だに初回を今とかもしかしたらこれから先聞いて、初回の吉田松陰を聞いて引き込まれ始める人が多分これからもいるんですよね。だからポッドキャストなんですよね。
なんかズームで顔見ながらっていうのももちろんいいんですけど、要素の一つとしてはこれも僕も過去に何回も言ってるけど受け売りですけど、樋口さんとかの受け売りですけど、声だけの方が嘘を見破られやすいっていうことは逆に言うと嘘じゃない本心、本音の部分っていうのが伝わりやすいもんだと思うんですよね。
だから複数の要因がいろいろ混ざり合って、僕としてはただ生きてっていうことが、もう今の僕のビビリHSPはもう先天的だから生まれてから死ぬまで続くし、そんな僕が心配しないでいいような世の中の状態に少なくとも今はまだなっていないので、
そこを目指して生き続けることになり続けることはわかっている。その中で何ができるかって言ったら、もうこの音声コンテンツしかないんですよね。しかないって言うとちょっとあれなんですけどね、後ろ向きな表現なんですけど、それが、それこそが僕が生きていることそのもの。
自分自…自分汁を出し続けている。もう僕が生きているだけでその汁がはみ出ている。うん。で、だとしたら、もっとそれを求めている人、まあ僕はね、ちょっとあれですけど、自信がないタイプだからそういう表現では言うのは居心地悪いんですけど、
そういうのを求めている人っていうのもいるっていうのは、この修法始めてからやっぱ感じてるんですよね。めっちゃ多いわけじゃないですけど、聞き続けてくれる方もいらっしゃいますし、少なからず良かったっていう風に聞けて良かったとかありがとうございますとすら言ってくれる方もいらっしゃるんですよね。
僕なんてこう、ただアウトプットが先っていう意味ではアウトプットをしてるつもりではいるんですけど、何かしらのもちろんその価値、価値っていう表現だとちょっと微妙なんですけど、そういうものを出しているつもりでもどっかではいるんですけど、ただそれが何て言うんですかね、他の人より優れているわけじゃないことも大事だと思ってたりして、
誰でも誰かに対してのそういうありがとうって言ってもらえるようなものが最初からある気がしていて、だから僕がただ自分事例を垂れ流していることがそれだけでもいいんであれば、もう全員そうなはずだと思ってるんですよね。
で、今回はまあ象徴的なというか、たかしさんっていうのがタイミングとしては僕より2年以上後ろ倒しされてましたけど、同じようにコテンラジオから影響を受け始めて、僕なんかよりすごいですよね。
コテンラジオコミュニティに入っていないのに自分でもポッドキャストを始められてるんで、そういうふうにやってらっしゃる方っていうのはもう僕ね、もうポッドキャスト始めてくれただけで結構たまらん気持ちになるんですよね。
なのでめちゃくちゃ応援したくなるっていうようなところがあるんですけど、だからそれもたかしさんに限らず、もしかしたら音声コンテンツが向いてない人もいらっしゃるかもしれないんですけど、でも何かしらやっぱこう生きていく、最低限生きていく流動性の高まる世の中の中で、
中で なるべく自分らしく
でもその中にね一人で生きてるわけじゃないから僕の中では 極力争いがないようにっていうのは入っちゃうんですけど
一時的にね学ぶためにというかまあそれも後付けなんですけど ためにっていうのは僕こうダービン進化論の話とかする時にその表現おかしいみたいな
言い方しますけどこれは なんていう言い方だっけなこれ機能的にっていうんだっけな
帰る納めるの機能的にこれもいい形がかもしれないですけど 結果的に
ためにっていう表現しても差し支えないみたいな言い方で言うと 学ぶために一時的に
争うみたいなのは避けられもしないししょうがないというか でもそれで結果的に最終的には争わずに
社会の中の一人としてみんなが流動的に生きられるようになったらいいなっていう そういう思いは多分僕生きてる限り抱き続けていくんじゃないかなというふう
に思ってますね はいなんか途中からはもう自分史というか僕の思いみたいな話
自分自分の話の方に 寄ってきちゃいましたけど
だからその後に古典ラジオコミュニティの中でどんなことがあったのか みたいなところは
そうですねあんまあれなのかな 自分史として続けていくほどのコンテンツにはなり得ないような感じが僕の中で
湧いてきたのかな と今のところ思ってます
はい なんでまぁもうちょっと続けられなくもないのかもしれないんですけど
なんか今日のこの始まり方区切り方 いや言葉の置き方っていうそんな感じかな
それでできた空気みたいなところで言うとある程度一つ 山場越えたかなみたいな気がするので今回はこんな感じで終わっとこうかなと思います
ちょっと何分割して配信するかわかんないですけど またねシュウホーインプッターの方がいらっしゃったらそちらをご紹介していかないといけない
と思いますんで 長くなりすぎない程度で今回はこの辺で終わっておこうかなと思います
はい そんなようなところで
シュウの話すラジオ 略してシュウホーは
hsp っていう先天的なビビリとして生まれた僕 シュウが
ビビリだからこそ問題の根本原因に意識が向いて 最終的には個人単位じゃなく世の中全体の問題点にビビリが反応しちゃうこと
それを発信することに僕の生きる役割があるんじゃないかと思って そんな僕の意識を日々発信する番組です
僕からは今の世の中が滝壺に向かう船みたいな 環境問題をはじめとした社会課題が加速度的に大きくなっているっていうふうに感じられてるん
ですね だから僕がビビリすぎるせいでできたメタ認知というか
そこから来る意識と問いを投げるみたいな感じ がこのポッドキャストの位置だと思っています
僕はそんな滝壺に向かう船みたいな状況は間違いなく人間が作り出していることだと 思ってて
人口自体加速度的に増えていることもあるし 人間の欲望も大きくなりすぎてるっていうふうに感じてます
でその原因として人間の欲望を増幅させてしまうような特徴を だんだん強めてきてしまっているお金っていうものが一つあると思っていて
そんなお金みたいな何かが入ってこないとインプットされないと 自分からもアウトプットを出さないよーみたいな
交換条件的な インプットが先な構図も感じてます
だとしたらアウトプットが先な構図に逆転させることで 滝壺に向かうスピードが緩和されるんじゃないかな
って思ってます でそんなアウトプットが先っていうイメージなんですけど
生きていくために最低限のことで満足するみたいなのも大事だと思っていて だから僕はこの手放すをテーマにしてるんですけど
僕は幸せっていうものは相対的なものでしかないっていうふうにも考えてて 人との比較って意味じゃなくて
自分個人の単位で見たときに沈んだ状態からちょっとマシになって浮かび上がってくる そんな風に幸せっていうのは心の状態が相対的に変わったときに感じられるって意味なんですね
それだったらどこのどの位置にいても変わらないんじゃないかな って僕は思ってるんですけど
だから原始人であっても 超貧困国の人であっても全く変わらなくて
お金がないと幸せにならないとかそんなことは全くないし 最低限生き延びられるっていうところで満足する人が増えれば余剰も出やすい
でその余剰分はお裾分けみたいな形で回していける みたいなのが僕のアウトプットが先
のイメージです そのために自分自身の才能みたいなものを
無条件にアウトプットとして先に出す みたいな動きが大事だと僕は思っているので
こんなビビリの僕に一番向いたこととして この意識をポッドキャストで発信してるんですね