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2024-09-02 24:30

#79 【教育とはなにか?その1】 国語教育からのきっかけで始めた勉強

ごうくんとPodcastを録ってみて/宿題終わりました。が…/学ぶとはなにか、そのきっかけは『国語』/「教育とは適切な行動を増やし、不適切な行動を減らすこと」ってほんと?/勉強とは自分なりの生き方を探求すること/なぜ探求が必要か/リスクとコストが最も低くチャレンジできる時代


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こんにちは。 冷蔵庫の開ける開封をできるだけ少なくなるよう努力してます。
りゅうです。
はい、今日もよろしくお願いします。 いやー、先週まではね、ゴーちゃんとの
対談というか、コラボさせていただいて、いや本当に楽しかったですね。 あのー
撮って
自分のコメントだったりというか、ゴーちゃんと喋ってみた感想みたいなのを
収録した最後につけようかなと思ったんですけど、やっぱり
あれで結構完成されてたなぁと思って、で、あのお気づきの方はいらっしゃるかなと思うんですけど
BGMを作りまして、はい
つけさせていただきました。どうでしたでしょうか? 結構ね、あの最初の始まり方と終わり方が気に入ってて
で、真ん中のずっとのループ音楽に関しては、もう少し遊べたかなぁみたいなところありつつ、まあでも
気になりすぎず気になるぐらいの音頭感で作れたんじゃないかなと思って、結構納得のいくBGMになったかなと思います。
みたいな感じで、あのBGMをね、作るっていう課題を一つクリアしました。 夏休みの宿題一つ終わってます、リュウジ君
はい、でまぁゴーちゃんと喋ってみての話なんですけど、 いやぁ良かったっすよね、めっちゃ聞いてみてどうでしたでしょうか?
やっぱポテキャストやってる分、慣れてる分もあってすごくやりやすかったですし、
まあとかね、掛け合いの部分とか、何を聞いてくるかとか、それの受け答えみたいなのも、やっぱりポテキャストやってるとそれを常に意識して喋ってるから、そういうのがたまにあって話しやすかったんじゃないかなって思ったし、内容については
僕自身こう麦に2年弱住んで受け入れる側であり、まあこういう施設だったりとかね、構えて人が来るのを待つ側なので
まあそういう麦人というか麦の町民となりつつあって、外からの視点をくれた時になんか嬉しいなというか、いいなみたいなことを感じれるようになっていったのかなって、なんか心の変化的にありましたね
やっぱり外から来てくれたら嬉しいですし、こうやってなぜ来たのかとか、で来てみてどうだったのかとか、でこれからどうなるのかみたいな
でちょくちょくまた連絡くれたりするのはなんかすごく嬉しいし、なんか僕もそういう連絡を取り合えるような中でいたいなみたいなことを思ったので、またよかったら来ていただきたいなと思いますし、後ちょっとまたポテキャストを収録したいなと思うんで、楽しみにしてるのでまたお声掛けください
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はい、ということで話は変わりまして、宿題ですよ、習ったやつの宿題の話、でBGMを作ったんで一つクリアですね、でもう一個の宿題が挙げてたのが、勉強について学ぼうと思って、教育について学ぼうっていうところを課題として挙げてました
すごくざっくりしてるんで、きっかけからちょっと話していきたいなと思うんですけど、これ初めて、りゅうちゃんの独り言初めてシリーズにしていきたいなと思ってて、今回から3回か4回ぐらいに渡って話そうかなって今のところ考えているので、続けて聞いていただけたらなと思います
で、まず今回の1回目は、なんでそれを課題にしたのか、課題と考えたのは何かっていうことと、あとその概念的な教育とは何だよみたいなところを僕が調べた限りというか、僕は今どう思ってるのかってところまでを話すことができたらなみたいなのを思ってます。はい、じゃあいきましょう
ということで、きっかけですね。きっかけは家庭教師をやってて、今年の4月から。で、もう9月なんで5ヶ月目に入りまして、まぁちょっと若干慣れてきつつありけど、なんか僕自身のび悩んでるというか、このままでいいんかなみたいなところを思い始めて。
まぁというのも、教育者でもないし、教育学部卒でもないし、そこを教育とは何ぞやっていうところを抑えておかないと次には進めないような気がしたので、そこを突き詰めていきたいなっていうのが一つと、実際問題、勉強ね、教えてて、国語の教科あるじゃないですか、漢字の学習とか、
文法もそうですし、文章読解ですよね、国語、これどうやって教えたらいいんやろうっていうのが、まず一番最初に出てきた疑問で、漢字ってどうやって教えたらいいですか、これ本当に僕の疑問なんで、知ってる方は教えていただきたいなって思うんですけど、漢字ってどうやって教えたらいいんですかね、
めちゃくちゃ難しいなと思って、もう書くしかないかと言うか僕のところは、漢字ドリル見て、白と黒の猫とか色んな茶色の猫が乗った赤色のほど長い漢字ドリルみたいなのをひたすら読んで書いて、漢字ノートに書いて、振りがな振って読みがな書いてみたいなのをひたすら繰り返すみたいなのが漢字だったんで、
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これを教えるってなると、どうしたもんかなーって思ってて、まあその例えば、ヒント、人弁とか、ヒント、草冠とか、部首をヒントに出してみたりとか、
読みがなを言って、で、他の読み方、例えば、自然っていう漢字を書かないといけないとして、自然の死は自分の死だよとか、自然の善は全然良くないの善だよとか、なんかそういう言い方で教えたりとか、
あとは、自然の善で言うと、たーみたいなやつにーとか犬、書いて、てんてんてんてんだよーみたいな、それをちょっとずつ小出しにヒントに出していくとか、みたいなのしかできなくて、でもそれってその子の勉強になってるんかなーというか、次それを使えるんかなーみたいな、って思ったりとかして、
で、もう一個が、意味をちゃんと、言葉の意味を分かりながら書いた方がいいよなーというか、覚えた方がいいよなーって思って、この前出たのは神話、神様の話って書いて神話なんですけど、これ、神話っていう言葉は僕も昔から知ってましたけど、なんか風に落ちてるのは最近というか、神様っていう存在がいて、それについてのまつわる話があるんだよっていう話を、
頭に入れましたけど、これは小学生の、中学生の子らが聞いて、どれだけこう自分の言葉になってるんだろうっていうことを考えたときに、まあ言葉は言葉としてまず教えるのがまあ、いいのかなーと思いつつ、まあでも意味をちゃんと使えるように教えた方がいいよなーって思いつつ、でもそれの教え方って、みたいなことになって、すごく一つの言葉を深掘っていくと、
やっぱり時間かかるし、でもそうじゃなくて感じ取れるって、1ページに5、6個書いてるし、それを宿題で10個、15個ぐらい書かないといけない、で、覚えてこないといけないので、すごく難しいなーっていうのが出発点で、
で、そこから国語を教えるってどういうことだろうっていうところから、そもそも教えること、もしくは教育、もしくは学ぶことって何なんだろうかなーっていうところが、僕が今回自分への宿題に対して出した問いですね。
で、それをこうどうにか自分なりに調べてみて、主に本で調べて、いろんな著者の方々の意見とか研究を見つつ、自分なりに答えを出していこうかなーって思いました。
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で、勉強すればするほどなんですけど、これね、わからなくなっていくんです。ほんまに。勉強すればするほど、え、学ぶって何やったっけか、そもそも勉強する意味って何やったっけーっていうのが余計にこんがらがってくるので、これはすごく迷宮入りになってくるんですけど、
まあでもそれでも知識というか、必要なスキル的なものも身についているとまでは言わないんですけど、理解しましたし、考え方、教育においての考え方とか、教え方のこちら側のマインド的なのも学ぶことができたので、それはそれですごく良かったかなと思います。
ただ、そのなぜ学ぶのかとか、勉強したときに何があるのかみたいなところの問いに関しては、まだまだ僕はこれから勉強していきたいなーって思ってます。
はい、じゃあちょっとね、本編じゃないですけど、そのきっかけから教育についてちょっとざっくりお話していこうかなと思います。
で、そもそも教育とは何ぞやなんですけど、一つの本に書いてたのは、適切な行動と不適切な行動は同時には起こらないよーっていうのを書いてて、まあ確かにそうじゃないですか、喧嘩しながら勉強するってすごく難しい。
まあ、喧嘩が勉強なのかもしれないですけど、例えばね、喧嘩が良くないもの、人に暴力を振るとかは良くないものとして、それと勉学は相反しないというか、相入れないものなので、そういう意味で適切な行動と不適切な行動は同時には起こらないよーっていうことを教わりました。
で、そこから派生して勉強というか教育っていうのは、適切な行動を増やすこと、もしくは不適切な行動を減らすことに集約されるんじゃないかなというところがある本に書かれてた、集約された内容でした。
で、まあでもそれは科学的にはこうだよみたいな感じで書かれてあって、で、まあそれ以上の言及されてなかったんですよ。
例えば適切な行動とは何ぞやみたいなところ、まあ本当に例えば暴力だったりとか、まあそういう、まあいけないよねぐらいの、なんかこうざっくりというかぼんやりと漠然としたことで書かれてあったので、そこをもう少し深掘っていきたいなーってところはあったんです。
例えば適切な行動っていうのは誰にとって適切な行動っていうのか、もしくはそれは適切って決めてるじゃないですか、適切不適切って分けてるっていうことは誰かが決めてる、それは誰が決めるのだろう、社会なのかなというか、自分なのかな、自分って何なのかなみたいなところで誰が決めていくんだろうみたいなと思って、
で、適切かどうかって時代とか社会、文化、人にもう全然よるなーって思ってて、それこそ歴史を学んでいくと当たり前に暴力を振るってた、もしくは暴力、武力が善とされてた時代も全然あったし、それで地位が、社会的地位が上がっていく時代もあったし、そうじゃなくて今は暴力じゃなくて民主主義的な全体のコンセンサスを取るような方向じゃないですか。
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それはこの時代が流れてきたわけであって、で、その時代時代によってやっぱり適切か不適切も変わるし、今の世界で言ったとしても文化が違うじゃないですか、日本とアメリカと、もしくは北朝鮮だったりとか中国とかその他諸々のイスラエルだったりとかの文化は全然違うんで、そこのどちどちでの適切か不適切は変わってくるかなと思うんで、
それで教育をどうやって伝えていくかみたいなのは全然変わってくるのかなって感じました。
ただ、適切な行動と不適切な行動っていうのは相入れないので、適切な行動を増やすっていうところには僕もある一部の面に関しては同意したっていう感じですね。
もうちょっと話を進めると、勉強というか学ぶことは自分なりの生き方を探求することが勉強だっていうところを言ってる本もありました。
これはすごく納得するんですけど、これは全部要素分解、自分なりの生き方を探求することっていうのを全部要素分解していくと、
自分なりの生き方、自分って何なのかっていうことと、自分なりの生き方とは何ぞやというところ、それを探求、これは探すに求めるって書いて探求なんですけど、
探求っていうのは何なのかっていうところを深掘っていきたいなと思ってて、自分なりの生き方ってまず何なのかなっていうのを、
まず自分を知らないといけないなってそこで思ったんです。自分を知る、これが好きとか、これが嫌いだなとか、もしくは自分の性格と癖とか、僕が常に言われてる癖だったりとか、
こうありたいなとか、ああいう人になりたいなとか、いい職業をつきたいなとか、みたいな目標だったりとか、将来っていうところも自分を知ることのきっかけになるんじゃないかなって思って、
それをやっぱり減らないと自分がどのように生きていきたいかっていう一つの指針、軸は見れないのかなって感じました。
で、もう一個の自分なりの生き方を知るためには、自分の生き方ではない生き方を知らないといけないのかなと思って、
つまり他の生き方ですね。友達だったりとか、親だったりとか、そうじゃなくて、違う会社の人だったりとか、先輩とか後輩とか、
いろんな違う世界の、もしくは違う社会の、もしくは違う時代の人の生き方を知らないと自分がこうしたい、こうありたいっていうのは、
相対的に出てこないんじゃないかなって思いました。
で、他の生き方は人だけではなくて、動植物にもあり得るのかなと思って、例えばミミズの生き方とか、
この前散歩のギンゴか、もう一個やってるポッドキャットなんですけど、そこでもカイコの話をして、カイコって100%家畜化を稼いこうされてる
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唯一の動物で、例えば自分がカイコだったというか、もしくはカイコの人生を考えた時に、どのように生きていくのかなみたいなところを考えることって、
他の生き方を知っていることになるので、そういう生き方を知った上で、自分はどうやって生きたいのかなっていうのを、相対的に知る必要があるんじゃないかなって思いました。
で、探求ですね。ここ探求学習は、本当にいろんな本で今、むちゃくちゃ言われているホットワードだったなと思います。
で、ちょっと前にこのリュウちゃんの独り言でも話した、自立する子の育て方を紹介したかなと思うんですけど、そこにもやっぱりね、
心理的安全性とメタニュージーっていう大きな表立てでしたけど、その中にも探求学習だったりとかの話は全然出てきたので、やっぱりこの探求を求めていかないといけないのかなと思います。
で、探求学習ってなんないかなというところなんですけど、自分なりの課題を設定して、自分なりに仮説検証して、それを当てるのかどうかとか、自分なりの答えを出していくっていうのが探求学習です。
つまり、さっきまで言った自分の生き方を知るとか、自分は知るとか、他の生物だったりとか生き方を知ることで、その差分、じゃあ自分はどうして生きたいのかなっていうところを課題を設定して、
自分なりの課題を設定して、それをどうやったら実現できるのだろうかっていうところのマインドだったりとか、BDCAを回していくみたいなところが探求学習なのかなと読んでて学びました。
この自分なりの生き方を探求することが勉強っていうのは、多分今の時代かつ今の日本だから言えることなのかなって思って、それこそ数十年数百年歴史をさかなぼると、自分なりの生き方をそもそも実現できなかった社会が普通にあった。
江戸時代の身分政党だったりとか、インドでもカワウソ政党だったりとかするので、本当これは今この時点での日本、この時点での日本、この時代での日本でないと実現できない勉強の定義なのかなって思います。
だからこそ、現代は自分の興味とか得意とか好きを極め続けることができるっていうありがたい時代だなと思ってて、で、極めれば極めるほど輝ける時代でもあるのかなって思ってます。
思ってますというか、極めれば極めるほど輝ける時代でもあると書かれてました。
まあこれはYouTubeとか本当にいろんなメディアが発達していくし、いろんな職業も増えてきたので、本当に一個なんかに特化すれば、もしくはそれを掛け合わせれば本当に自分しかできないことがあるので、極められる時代、好き放題極められる時代かなって思うし、
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で、その最初のコストもリスクもとてもとても低い、とてもとてもありがたい時代やなって思います。
すごい雨ですね。これ今8月末の台風の時に撮ってて、すごいですね。しました台風が。
雨の後、すごいですね。
だからもう一回言うと、現代は自分の興味とか得意とか好きとかを極めることができる時代なんで、コストもリスクも、始めるコストもリスクもとても低い。
だから何でもトライできるし、何でも失敗してもいいし、失敗しても全然リスクないし、お金もそんなにいらないし、時間がいるかもしれないですけど。
で、トライしたらトライした分だけ経験にもなるし、それがどこかで活かせるかもしれないし、みたいなことがあるんで、すごく恵まれた時代だなと思うんで、本当になんでも。
思ったことをすぐに行動に移せるし、この行動に移すかどうかの自分のスイッチだけなので、行動にさえ移してしまえば自分のものになる可能性はもう何倍にも膨れ上がるので、ぜひ行動しようと、行動しないと、みたいなことをどこにも書かれてましたね。
という感じで、教育についてざっくりと調べてみたんですけど、
すごい難しいな、最初に言ってた適切な行動とは何ぞやから、自分なりの生き方、緩急するとは何ぞや、自分とは何なのか、自分を知るためには他者を知らないと、他者を知って自分を知って、その上で自分なりの課題を設定して自分なりに検証していく、みたいなところの動きが必要。
それは何で必要なのかなというところも調べてみたんですけど、やっぱりブーカって最近まで言われてた、先が何が起こるかわからない時代、コロナもあったし、大震災もあったし、これからも全然気候変動も起こってくるだろうし、南海トラフも言われてる、もしくはまたパンデミックが起こるかもしれないというところがあるし、
あとはAIの発達、全然AIが出てたりとかして、本当にいろんな時代が変わっていくし、社会が変わっていくので、その時にそこに流されると、流されることはできると思うんですけど、流されていいのだろうかというか、それでまた苦しむんじゃないかなというところもあるだろうし、
自分を持っていないと流され続けて、自分の人生を考えずに亡くなってしまう、自分の人生一回きりなのに亡くなってしまうところがあるのかなということで、自分らしくというか、自分のようにこうありたいというか、好きに生きたいのであればやっぱり自分を知ること、そのために他の生き方を知ること、
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それを知った上で自分はどうやって生きたいのかということを考えたりとか、仮説検証して課題を取り組んでいくというところが大事だと書かれていました。
ここからは僕の見たことというか、意見なんですけど、ある意味この時代、いろんな生き方ができるようになってきて、そうじゃなくてもいいかなと思うし、そうあってもいいのかなと思う。
そういう受け入れられるような時代にもなってきたのかなって感じます。例は例はって言われて、例はやからなとか、多様性やからなとか、例はない生き方やなとか、Z世代やなみたいな感じで、ちょっと幅を聞かせて受け入れてくれるような人たちも少しずつ増えてきたのかなって思うし、
だからこそこうやりたいとかこうしていきたいなみたいなことを考える僕ら世代も増えてきてるのかなって思うし、情報がいろんなところから受け取れるようになったんで、本当それこそいろんな生き方を知れるようになった時代でもあると思うんで、
だからこそ自分はこうやりたいとかこうしたいっていうのが分かり始めてきてる世代でもあるのかなって思うんです。だからいい時代になってきてるんじゃないかなって思うし、でも悲しい事件もあったりするから、その辺はすごく難しいですけど。
これは僕なりの教育というか、家庭教授だったりとか、何かものを教えるっていう立場になって、どうやって活かしていこうかなっていうところはまだまだ考えてはいないんですけど、でも一つ思ってるのは、その子がやりたいこととかその子の好きとかをやっぱりちゃんと伸ばしていきたいなっていうのが一つ思ってます。
何度も言った通り、自分なりの生き方、自分の興味とか得意とか好きとかをすぐに極め続けられる時代にもなってきたし、そういう受け取ろうと思った社会にもなりつつあるのかなって思うんで、その好きっていうふつふつとしたちっちゃい種火をどんだけ燃えやすい薪をくべて、持続できるような薪をくべられるかみたいなところをやっていきたいなって思ってます。
その最初のちっちゃい種、火種、火種を見つけられる人でもありたいかなって思うし、そこにすかさずいろんな受け皿というかいろんな薪をくべられるような人に適切な、いろんなというか適切な薪をくべられるような人でありたいなって思います。
それが教育なんかなってあるし思いました。
自分なりの教育をために適切な薪をくべることかなと思います。
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じゃあちょっと雨も強くなってきたんで、今回はこれで終わろうかなと思います。
次回はもう少しスキル面について話していきたいなと思ってます。
ということで今日はこんな感じで終わろうかなと思います。
ありがとうございました。
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