シャツを後ろ前で着ることが人一倍多いんじゃないかなって思ってます。
はい、今日もよろしくお願いしまーす。
先週までずっとですね、この9月はシュウさんのゲスト回を流させていただいて、
いや本当にゲストに出ていただいてありがとうございました。
直接会って話せて本当によかったです。ありがとうございます。
ということで、ということでではないんですけど、
シュウ放をずっとずっとずっと聞いてて、ついに10月1日からシュウ放インプッターになりました。
ありがとうございます。ありがとうございます。
わかんないですけど、そのこともシュウ放で放送していただいて、
それは一応概要欄に貼らせてもらいますね。また聞いてください。
はい、で、シュウ放のインプッターについて結構ね、考えた1年でもあったんじゃないかなって思ってて、
一番最初にね、それこそ10月いつだったかな、シュウさんに連絡して、
で、インプッター、単発のインプットして500円だったんですけど、
で、させていただいて、そこからちょっと絡むようになったり、
日口塾に誘っていただいたりとか、で、もう1回やってる散歩の言語化っていう別のポッドキャスト番組で、
シュウさんがゲストに出ていただいてるとかみたいな、この1年で結構絡んでもらって絡ませていただいて、
で、9月の6日、7日に僕が住んでるゆうかんっていう徳島の麦町っていう場所にある建物なんですけど、
そこに来ていただいて、で、喋って、で、次の日もお寺で一緒に掃除手伝ってもらったりとかして、
ご飯も一緒に食べたりとか、で、収録もこれまでのね、先週までの放送で言ってたゲスト会を放送させてもらってるとかみたいな感じで、
もう本当に友達みたいな感じになって、友達みたいじゃないですね、もう友達ですね、本当になってて、
で、その間もずっとこの1年間収穫聞いてて、狙ってるのはあれですよ、ポッドキャストというかスポティファイで1年間あなたがどれだけ聞きましたみたいなまとめみたいなのをしてくれるんですけど、
スポティファイが勝手に、それの中にあなたは収穫を聞いたリスナーの中で上位何パーセントみたいなのもあって、
それの1位か2位かぐらいの上位10パーセントですみたいな人になれたらなみたいな感じで思ったりとはしてて、
で、それでTTギギ、トラベルギキ、タイムトラベルギキをしてて、1から聞いてて、今2000何年かな、ちょっとまだまだあるんで、なかなかなんですけど、
みたいなことをずっとしてると、やっぱりね、ちょっとずつ収穫さんの言ってることというか、世界観みたいなのが僕自身にも入ってきたし、
最初はその、ギチカン聞き始めて、収穫聞いて、高谷さんゲスト回とか、けいじ君ゲスト回の収穫を聞いて、
なるほどそういうことかみたいなことを、結構最初の頃から僕は収穫さんに共感してるというか、
言葉で収穫さんアウトプットが好きとか、無理やりやらないみたいなこと言ってるけど、
そうじゃないところも結構共感する部分があったりとか、価値観って言ったらそれまでですけど、
そういうところが収穫を聞きながら思ってて、
何を思ったのか、本当に去年の今頃にアウトプットしようと思って、収穫さんにインプットしようと思って、
端末のインプットをして、1年間聞いてて、
ちょっとずつ収穫さんの言ってることもわかってきてるし、
僕自身もお金の話になってくるんですけど、
お金があったらいいんですけど、別になくてもみたいなところまで、
そもそも言ってて、会社辞めるくらいから、2022年に会社辞めて徳島に引っ越してきたんですけど、
その時くらいからお金が全くゼロとか資本主義から脱却するというわけではなくて、
お金をそこまで無理に稼ぎすぎたりとか、
必要以上に持ってても、そこまでだなというか、
お金で買えるものはお金で買えるんだけど、
物欲もそこまでないですし、
いいものを食べたりとか、いいものを買うってなると、やっぱりお金は必要なんやけど、
別にそこまで高くもないというか、ちょっと働いたら買えるくらいじゃないですか。
日々の生活だったりとかはそれで賄えるだろうなって思って会社は辞めたんですよね。
一つ。
しゅうさんとの話で言ってますけど、社会福祉を大学の時に学んで、
日本じゃそうそう簡単には死ねないなみたいな感覚があったんですけど、
そこまで高くもないというか、ちょっと働いたら買えるぐらいじゃないですか。
大学の時に学んで、日本じゃそうそう簡単には死ねないなみたいな感覚というか、学問的に学んでて、
別に会社辞めたとしても、もししんどくなったというか、お金にきつくなったとしても、
別に働くところはあるだろうし、死にはしないだろうなっていうところはあったんで、
そこはいいかと思って、それよりも自分の幸福感というか、自分を追求するとか、
自己実現じゃないですけど、そういうもっと自分に自分にというか、土台?
僕思ってるのは、例えばスマホとかを使う時、新しい何かを使う時に説明書読んだりしません?
設定めっちゃ頑張ってるとかはしません?
僕結構それで最近iPhoneに買い替えたんですよ。Google PixelからiPhoneに買い替えて。
その時にもう2日か3日ぐらいかけて設定し直したんですよ。
し直したっていうか、AndroidからiOSに変わるんで、結構設定が変わるんですけど、
必要以上に設定を僕やるんですよ。
通信のデータ量を気にするとか、着信音とかバイブとか、
操作性をよくしたくて、タッチ速度とか、キーボードの細かい設定とかみたいなところまで僕するんですよね。
たぶんそういうところもあると思うんですけど、そもそも使う機械のことを知らずに、
その機械のことって使えないなって思ってて、
それって自分にも当てはまると思うんですよね。
つまり、自分のことを知らないと自分の人生に乗りこなせない感があると思ってるんですよ。
だから、自分のことも知らないのに社会貢献とか、企業に入ってビジネスするとか、
そういうことってちょっとずれてるというか、土台がないまま進んじゃってるみたいな感覚があったんですよ。
それは僕がレールというか、小・中・高・大と進学していって、大学卒業したから就職するみたいな、
そういうあるじゃないですか、これまでの先人たちが作ってきていただいたルートというか、
大多数の人が通る道みたいなところがあると思ってて、
それも僕も抜け漏れなくそこに乗らせてもらったがゆえに、
自分というものがどこにあるのかなみたいな感覚が出てきちゃって、
それをしゅうさんとも話した、物心がついたみたいな話につながるんですけど、
それを考え出したんですよね、2020年とか、社会人になってから。
そうなった時に、あれ、自分というものどこにいるんだっけみたいなことになってたんですよ。
そもそも行き着く先は自分なんてないみたいなところにもなるんですけど、
それはまた別の話で、だから自分の土台というか、自分自身みたいなのを知ってないと、
理解というか、腑に落ちてないと自分の人生をうまく乗りこなせないなみたいな感覚があるんですね。
だから、自分を知りたいなって思って会社を辞めて、お金よりもそっちの方が大事だろうな、みたいな感覚があるんですよ。
今それこそ、師匠をやったりとか、本を読んだりとか、
自分の興味というか関心が赴くままに進んだりとか、それをポッドキャストで配信したりとか、
このポッドキャスト自体も僕の興味というか関心が赴く先で、
たぶん働いてたりとかしたら、正社員でね、してたら、たぶんそういうことにはなってなかっただろうし、
こうやって発信するとか、配信するみたいなのってちょっと恥ずかしくてできなかったんじゃないかな、みたいなのも思ったりするんですよ。
あとは絶対的な時間がなかったりするかなって思うんで、
そうじゃなくて、会社を辞めて、自分の時間というか、自分の中に何かがあるんじゃないかなというか、
自分の世界をもう少し広げるような方向に進めようと思って、会社を辞めてきたんですよ。
その時に、お金ってそんなにいらないなというか、
お金が食べる分というか、食べる分というか、
お金が食べる分というか、住む分、飲食中が叶う分というか、
それこそ最低限、必要最低限のお金さえあればいけるんじゃないかなみたいな。
その必要最低限のお金って、普通に正社員として働く分だとちょっと余剰が出すぎるというか、
だし時間の制限がありすぎるみたいなのがあったんで、
そうじゃない働き方というか、フリーで働いたりとか、アルバイトでやったりとかみたいな、
時間に重きを置く生き方の方がいいんじゃないかなみたいな、お金よりも。
って思って、お金の価値観というか、お金を手放そうと思ったんですよ。
そういうところが、しゅうさんとも通ずるんじゃないかなと思って。
さっき言った土台の話ですよね。自分自身の土台がどうとかみたいな話は、
自分の土台があるからこそアウトプットできるというか、何か余剰が生まれるというか、
その余剰にちゃんと気づけるというか、そういうこともあるんじゃないかなと思って。
正社員とか、大学で学んでる時とか、自分なしで進んでた時を思い出すと空虚というか、
進んでるんですよ、実際。人生的には。時間もそうだし。
やってることとか、成長度合い、それは社会的に見たというか、周りから見た成長度合いは進んでるし、
自分もその感覚はあったんですけど、でもそれってやっぱり社会的な成長というか、
自分の中での成長みたいな、成長というか変化というかみたいな、
内発的動機から生じるものではなかったなーって、今思うと思うんですよ。
なので、もう少し自分の内面とかに目を向けようかなと思った次第ですね。
そう、みたいな根底があったんですね。
お金も手放して、弟子予算にインプットさせてもらって、
なんでインプットしたかみたいな話をしていこうかなと思うんですけど、
そもそもそういうところがあったと思うんですよ。お金を手放したんで。
2年ぐらい徳島に住んでみて、余剰が出てきたというか、余剰が出てきたわけではないんですけど、
まあ、そうやな、余剰が出てきたっていいか、余剰というか、出てきたところももちろんあると思ってて。
で、インプットした理由じゃないんですけど、さっき言った人生を考えた時とか、自分の土台みたいなことを考えて、
時にこれっていう理由とかきっかけがあるわけじゃないんですけど、
根底にあるものがふつふつと出てきたり、根底を想像したりというか、
修法を聞きながら、それが多分触発されたりとかもあっただろうし、
あとはそれこそ、修法のアウトプットが先が僕に届いたし、
10月から変わろうみたいなところがあって、10月1日からインプットしたみたいなところがあると思うんですよ。
ちょっと根底のところを話そうかなと思うんですけど、いくつかあって、
お金は天下のまわりものっていうじゃないですか、なんか結構それ僕思うなっていうところがあって、
これ僕が思ってるというよりかは、そういう言葉があるっていうことはそうなんだろうなって思うんで、
そこに同意するというか、自分の中でホールドしててもしょうがないというか、
お金は交換したりとか流通することによって価値が出てくるものだから、
ホールドしすぎても良くないだろうなみたいな感覚はあるんですよね。
みたいなところが一つあって、
もう一つがホールドしてもあまり意味がないっていうのがあって、
それはそうじゃないですか、自分だけ富を作ったときに、
例えばですよ、一丁を手に入れたとして、一人だけ寂しいというか虚しさがある気もするみたいな感じに想像しちゃって、
そうだったら今からでもちょっとしたところからでも分配じゃないけどね、
いろいろ自分の中で貯めておくんじゃなくて使う。
それは人のために使ったらいいと思うし、自分のために使ったらいいと思うし、
未来のために使ったらいいと思うし、いろいろ使い方はいろいろあると思うんですけど、
ホールドしておくのはもったいないみたいな感覚ですね。
それが一つあると。
もう一つが、あるべきところへの最適配置ですね。
人材も最適な配置がしたら企業って盛り上がっていくじゃないですか。
企業だけじゃなくても学祭とかそういうときでも絵得意だからそういう看板を描くとか、
普通じゃないですか、歌うまいから舞台に出てもらうとか、
司会とかまとめるのうまいからやってもらうとか議論任せるみたいな、
ファシリテイトしてもらうみたいな。
普通じゃないですか、ファシリテイトするとか。
よく言われるんですけど、
金持ちだから寄付しているのか、寄付というかアウトプットしているのか、
寄付しているから金持ちなのかみたいな話もあると思うんですよ。
僕もいろいろYouTubeとかポッドキャストとか聞いたりするんですけど、
やっぱりお金持ちだったり裕福だったりする人は寄付するというか、
例えばこの前の小型のノートの地震だったりとか水害マスクだったりとか、
水害もあったじゃないですか、雨が降りすぎてみたいなところもあって、
そういうときに諸米人だったりとかが寄付したりとかすると思うんですよ。
ニュースでね、誰々が来てくれましたとか支援してくれましたみたいな話もあると思うんですよ。
でもあれって多分その人がお金持っているからしているのももちろんあると思うんですけど、
でもその人の作品というか出ているドラマだったりとかバラエティの活動を見ている限り、
SNSとか見る限りやっぱりそういう人なんじゃないかなと思うんですよ。
そういう人というのはお金持ちだから出すではなくて、
そもそも根底にそういう奉仕心じゃないけど優しさみたいな思いやりみたいなのがあるから、
それが出ちゃって、それが手段としてお金を返してというか寄付みたいな形でなっちゃうというか、
それがやっぱりそのお金でこの資本主義の社会だからね、日本もそうだし世界的にはそうだから、
そういう形になっちゃうというか形として出てきたのはそれなわけで、
でもその根底にあるものとかその人の内面にあるものっていうのはそのお金ではない、
温かいみたいな人と人とが接するみたいな言葉で言い表せないようなものが出ちゃった形なんじゃないかなと思うんですよ。
だから決してお金持ちだから寄付しているわけではないと思うんですよね。
絶対に根底にそういう優しさみたいなのがあって、そういう人がやっぱり好かれるというか、
だからこそテレビで出れるというか、大谷選手とかもそうですよね。
すごいじゃないですか。たぶんあれもう狙ってやってないですよ絶対って感じません?
狙ってあんなに人柄がいい人になれるかってそんなわけないなと思ってて、
狙ってたらその狙ってるところが出るじゃないですか。
腹黒さみたいなのがこいつ腹黒いなみたいなのを感じるというか、
言葉の節々にそういうのを感じたりするじゃないですか。
でもそれを感じさせないけど、グローブを小学校に3つずつ送るみたいなのもそうじゃないですか。
あれがいやらしくないみたいなのを感じるっていうのは、
つまりそもそもそういう人なんだろうなって思うんですよ。
そういう人っているんですよね絶対。
それを僕がそうであるみたいな話ではないんですけど、
でも僕はそういう気持ちだと思ってて、
お金があるからやってるわけではなくて、
気持ちはそもそもあって生活資金を貯めれて防衛できて、
自分の身を守れるぐらいはあるから、
その次ですよね。
だからさっきの人生の話じゃないですけど、
自分の土台があるから社会貢献できたりとかビジネスできたりみたいな話と一緒で、
お金も自分の生活一色中がまかなえたから、
そこから出てくる分は出してもいいというか、
出せるんじゃないかなみたいなところでやってるんですよ。
そうなんですよね。
それが最適な自分の好きなところ、
あるべきところ、あるべきだなって思ってるところに配置されたら、
分配されたらすごくいい社会じゃないですか。
そうじゃなくて搾取搾取みたいな、
いやこれ俺のお金やからみたいな、
取って取ってみたいな、
一人一人で勝ち取るみたいなムーブってどうなんかなみたいな、
それで結果的にみんながみんな幸せになれたりするんかなみたいなのは思うし、
その人だけが一人でいることが幸せっていう人もいるかもしれないですけどね。
それはまた別の世界な気もしてて、
僕とか多分しゅるさんもそうですけど、
人との繋がりだったりとか、
一人では多分考えてないと思うんですよ。
誰かがいて、
自分がいて、誰かがいて、
それが集団になったりとか、
村みたいになったりとか、
そういう関係性の中で幸せを感じたりとか、
絆を感じたりとか、
達成感を感じたりとか分かんないですけど、
それを感じる人は多分一人勝ちの方向の世界がまた別の世界だと思ってて、
それはそみ分けさせてもらって、
僕のようなポッドキャストを配信したりとか、
みんながみんな幸せになればいいのになーみたいなことを感じている人は、
やっぱりそういうムーブをしていった方が、
そういう人たち、
みんながみんな幸せになったらいいだろうなーみたいな人たちを繋ぎ合わせて、
ルイとモスとルイヤとモスを呼んで、
その人たちがその人たちの中で伝わるんですけど、
優しく優しい世界ができそうな気もするんですよね。
優しく優しい世界ができそうな気もするんじゃないですか。
そう、うん。
するじゃないですか。
ここは難しいですけど、
お言葉にするのは難しいですけど、
そういう漠然とイメージですけど、
そういう一人勝ちするみたいな世界よりかは、
全体的な、
全体幸福みたいな、
最大多数の最大幸福みたいな、
いやーそれがいいと思うのは、
はっきりとは言えないけど、
悪いところもあると思うけど、
でもその方向の方が、
人類的にというか、
社会的にというか、
生物的にというか、
地球的にはいいんじゃないかな、
みたいなところは、
思ってるんで、
思ってるので、
そんなクソ重たいことを、
インプットに込めてるわけではないんですけど、
でもその現れとして、
僕のこの、
この今20分30分喋ってきた、
思いの一つの、
形として、
アウトプットされた形として、
しゅうさんに、
毎月サブスクで、
インプットするっていうのが、
僕の形として現れた一つの、
行動だなーって、
感じました。
これを、
ふつふつと、
溜めてたんでしょうね、
この一年間、
それこそ言葉に、
こんなにできなかっただろうし、
一年前だとそれこそ、
ポッドキャスト始めて、
まだ4ヶ月とか、
それぐらいの時だったんで、
こんなに、
うまく話してるわけではないんですけど、
こんなにこう、
長々と、
途切れずに話せる人じゃなかったなと思うんで、
それも何か相まってると思うんですよ、
ポッドキャストやって、
しゅうさんのポッドキャスト聞きまくって、
とか、
いろいろこう、
やった上での、
今のアウトプットだなーって、
すごく思いました。
だからね、
本当に一年かけて、
一年聞き続けて、
ようやく、
遅いか早いか分かんないですけど、
ようやくしゅうさんの言う、
アウトプットが先が、
届いたし、
それに答えれるじゃない、
答えれるわけではないな、
答えれるじゃないと思うんですよ、
アウトプットが先をしたと、
思えてるというか、
いやー、むずいな、
別にこれ、
しゅうさんがアウトプットが先って言ってるから、
それに、
リアクションとして答えてるみたいな形、
構図にはなってるとも思うんですけど、
でも、
それはなんか、
しゅうさんも多分そう思ってるんじゃないかな、
と思うんだけど、
根底にそういうものがあって、
人々にね、
根底にあってというか、
いいみたいな、
むずい、