1. りゅうちゃんの独り言
  2. #72 【人生気づいちゃったよシ..
2024-07-08 27:14

#72 【人生気づいちゃったよシリーズ】飽きないを探すことが生きること 〜食生観から人生観を考える〜

エピソードをシェアする

Share on X Share on Facebook Share on Threads

飽きないことを探すことが生きること/ツイートの紹介/方向性と核の確認の時期キタ/自分を2言で表すとしたら?/方向性がない=つまみ食い/食を人生に転換/いただきものは残さない/食は人生/朝ご飯の答え/答えを出さなくていい昼夜/人生気づいちゃったよシリーズと命名


【みんなの独り言(質問·感想何でもフォーム)】 https://forms.gle/tUtz98NGaDrG9JLX9

【りゅうちゃんめいく】

https://ryuchanmake.base.shop/

【りゅうちゃんの刺繍】

https://instagram.com/ryuchanmake

【りゅうちゃんのX】

https://twitter.com/__ryuchan0907

サマリー

生きるとは、飽きないものを見つけることではないかと思われます。食べながら作ることや、いつもお腹が空いているため食べたくなったりするが、他の情報は限りなくあるため、つまみ食いがちょうどいいかもしれません。朝食の最適な答えが見つかったことで、生きることは飽きないものを探すことだと気づきました。朝食はもう答えが見つかったので、続けることが心地よいが、昼食と夕食については答えはまだ出ていません。人生においても、飽きないものを探すことが生きることだと考えます。食生活から人生観を考える。

飽きないを探すことが生きること
りゅうちゃんの独り言
こんにちは。
割引とかセールとかされたら、ついつい見ちゃいますね。
りゅうじです。
今日も独り言言っていきます。
お願いしまーす。
今日は、ちょっと気づいちゃったかもしれないなーっていうシリーズです。
シリーズ。
結論から最近で言おうと思ってて、
結論としては、
生きるって、飽きないことを探すことなんじゃないかなって思いました。
いや、これ来たっすわ。
これは、飽きないことを探すことが生きることなんじゃないか。
大事なことなんで、2回ちょっと言い方変えて言いました。
あのー、ツイートしたんですよ。
気づきを。
ちょっと言いますね。
6月の、今日は24日の夜10時過ぎぐらいにツイートしたんですけど、
ちょっと読んでいきますね。
つまみ食いしながら生きてるんだなと思った。
料理するときは食べながら作りたかったり、
常にお腹空いてるから常に口に物を入れたかったりするけど、
最高の空腹で最高、これは最も幸せって書いて最高ですね、
のご飯を食べたいという理性が働いて普段はしない。
でも食以外のインプットは無限なのでつまみ食いしてると思う。
これに続いて、与えられたものは残さないが心情なので、
インプットにそれが反映されてる気もする。
何においても学べるんじゃないかって考えてしまう。
インプットを平らげたい。
でも食以外のインプットは底なしなので、
今はつまみ食いがちょうどいいのかもしれない。
これに続いて、
摂取して認識のない外、内と外、あるなしで体の一部となり、
排泄するみたいにインプットして思い出したり思い出せなかったり、
それが思考の一部になって何かの形でアウトプットしてる。
だから良いものを入れたら良いものが出ていく。
良いものを出したら良いものが入ってくるみたいな。
でも食以外のインプットはどれがいいかわからないので、
つまみ食いがお似合いなんじゃないかなみたいなツイートをしたんですよ。
文脈がめちゃくちゃなんですけど、
自分の方向性を考える
最近生きる目的というか、
ここに来てもう一度自分を再認識したいなっていう時期でして、この6月は。
価値観マップ、自分の幸せって何かなとか、
何を大切に生きてるのかなみたいなのをマップに書き起こしたりとか、
今やってること、家庭教室だったり手術だったりとか、
このポッドキャストだったりとか、
お寺の仕事だったりとか、夕刊だったりとか、
色々ちょっとずつ進めてて、
それがどういう方向性になってるのかなとか、
どういう共通項があるのかなとか、
何を大事にそれぞれ動かしてるのかなっていうのを考えてて、
どう繋げていきたい?
生きるとか幸せとかにどうやって繋げていきたいんだろう、僕はっていうことを考えてて、
それというのも、生きてるんだけど、
生きてる心地があんまりしてなかったりするなっていう感じがあって、
でも、今に満足することだったりとか、
欲を出しすぎないとか、
欲まみれにならないみたいなのを大事にしてたりするんですよ、僕。
今を大事にするっていうのは、
先を不安がりすぎたりしなかったりとか、
過去を後悔しすぎたりしないっていうのが、
いいんじゃないかな、大事なんじゃないかなと思ってて、
それはその過去っていうのは、
自分の認識次第で変えれる。
例えば怪我したことも怪我したことによって、
その時はすごく痛かったりとかしんどかったりとか、
辛かったりするかもしれないけど、
怪我したことで今になって怪我した人の気持ちが分かって、
共感できたりとかするかもしれないじゃないですか。
それって認識の仕方次第で過去の捉え方が変わるのが一つあるし、
未来も何が起こるか本当に分かんない。
コロナも起きてきたし、震災だったし、
いろいろ変動する時代だし、
お金の面だったりとか、政治の面だったりとか、
社会の面だったりとか、いろいろ予測不可能が過ぎるというか。
だから不安しすぎるのも生きづらいんじゃないかなって思ってて、
だから今を大事に生きる。
今この瞬間の感覚とか、今感じてることに
ちゃんと集中するっていうのがいいんじゃないかなって思ってるんですね。
だから今を大切にしていきたいと。
そういうことを大事にしてるんで、
でもそれが何につなげたいのかなというか、
ちょっとでも自分の方向性、目標を置いて逆算するのではなくて、
今を大事に生きながら、でもこっちの方向に行きたいなみたいな流れを自分で決める。
もしくは何か選択が迫られた時にそっちに行ける準備をしておくみたいなのは大事なんじゃないかなと思ってて。
それは何を求めてるかというか、何をどういう風に進みたいかみたいなところだと思うんですよ。
つまみ食いしながら生きる
それが価値観マップ、人生の羅針盤というか、
自分の行きたい方向性、北に行きたいのか南に行きたいのかみたいなのだけでも、
方向性だけでも定めておくのはいいんじゃないかなって思ってたんですよ。
それでいろいろ考えてて、考えてはいるけど今考えずに進めてるもの、
それこそさっき言った家庭教師とか師匠とかポッドキャストとかみたいな、
ちょっとずつ自分が好きだなとかやりたいなと思っていることを進めてることの背景、
もしくはその方向性をどうしていくのかなみたいなのを考えたくなって、
考えてたんですよ、ここ2、3週間漠然と。
そして、このつまみ食いしながら生きてるんだなって思ったみたいなのは、
どうして思ったかっていうと、
最近友達に自分を二言、二単語で表すとしたら何ですかって言う質問があったんですよ、もらったんですよ。
すごい難しい質問だなみたいなことを思ってたんですけど、
例えばですよ、例えば渡辺直美さんいるじゃないですか、
あの人はビューティーとコメディーみたいな、
この2つを自分に生きてるみたいなことを言ってて、
確かに納得するじゃないですか、
あーってなる、うんうんってなる、
だからそういう2単語を自分に当てはめたらどうなりますかみたいなことをもらったんですよ。
そうした時に、いやまだ26年ぼっちしか生きてないのに、
2つの単語だけで表せるわけないなと思ったんですよ。
だから僕の答えはなくて、答えれなかったんですよ。
それを何なら今、今今考えてる途中だったんで、
うーんってなって、
そういう質問もありながら、何かなと思ってて、
で、ふとというか、自分の過去を振り返ってたんですよ。
共通項というか、どういう思考で進んできたのかを振り返ってたんですけど、
あんまり一貫性というかなくて、
心は時々動いてはいるんですけど、
あんまりなくて、
で、何かなこれって思った時に、
あまり方向性がないことってつまみ食いしてるんじゃないかなっていう、
そういうことを思ったんですよ。
あ、つまみ食いだと思って。
なんかいいとこ取りというか、
自分が赴くままに進んでみて、
つまんで食べてみて、
あ、美味しいってなって、
もうちょっと食べてみたりとか、
つまみ食いしてみて、
あ、これはそんなもんかってなって、
次のつまみ食い場所に行くみたいな、
なんかそんな感じで進んできた感覚はあるんですよね。
でもそれって別にいいですよね。
試してみてるというか、
一回食わず嫌いじゃなくて、
一回食べてみて、
あ、これ好きだな、嫌いだな、
もう一回食べたいな、
もうあんまり食べたくないかなみたいなのを思ったりして、
しながら進んでるという感じなんですよ。
で、僕料理をよくするんですよ。
今日の昼もなんか30分時間あるなみたいな、
お昼まであと30分時間あるわってなって、
ご飯作りたいなってなって、
よく作るんですよ、そんな感じで。
食べてくれる人がいるっていうのもあるし、
自分で美味しいの作れたらすごく美味しいし、
自分が手を込めて作って、
それが美味しかったらすごく美味しいし、
美味しくなくても美味しく感じちゃう立ちなんですけど、
でもそういう料理するときとかを想像して、
なんか料理するときって、
いろいろお腹空いてるけどって料理するんですよ、僕。
それってすぐ食べたらいいのに食べないんですよ。
料理を完璧に盛り付ける、
完璧にじゃないけど、雑ですけど、
お皿に盛り付けて座って食べるまでは食べないんですよ、あんまり。
もうできてすぐにお腹空いてるんだったら
口に運んだらいいのに、
わざわざお皿に持って、
わざわざご飯する食卓に持って行って、
わざわざいただきますって手合わせて食べる。
このわざわざをしてるんですよ。
そこってなんか癖あるんじゃないかなって思って。
でも本当は、本当の本当はできた瞬間、
もしくはもうできなくてもお腹空いてるんだったら
こう、摂取したい派だと思ってるんですよね。
とか、あと僕結構ね、常にお腹空いてるというか、
常になんか口に物を入れておきたい立ちなんですよ。
でもなんですよ。
最強の朝ごはん
ここで書いてるみたいに、
最高の空腹、めちゃくちゃお腹空いてる時に
めちゃくちゃ美味しいもの食べたら
めちゃくちゃ美味しいじゃないですか。
もうその空腹が最高の調味料って言われてるみたいに。
だから常にお腹空いてるから
常に口に物を入れたいなっていう欲求があるんですよ。
だから本当の本当は常に口に物を入れたいんですよ。
でもそれを理性でストップかけて
美味しいご飯を食べるっていうために我慢するみたいな。
口に常に物を入れたかったりとか
つまみ食い、料理しながら食べ物を食べたりとか
みたいなのが入ってて。
いや、本当の本当はそうしたいのに
最高の一皿を食べるために
料理してる時に途中で食べなかったりとか
わざわざお皿に盛り付けて
ご飯を食べるところに持って行って食べたりとか
完食を全然しなかったりとか
みたいなのがわざわざしてるなって思って。
でも本当はつまみ食いし続けていきたいんだなって思って。
でもインプット、食以外のこと
学びだったりとか、本読むとかもそうですよね。
ポッドキャスト聞くとかも
それって無限にできるじゃないですか。
だから色々興味の赴くままに
インプットし続けるなと思って。
それこそつまみ食いですよね。
人類史とか歴史とかに興味がある時期は歴史めっちゃ読んでるとか
小説とか心の心情、人の心の動きとかに興味がある時は小説めっちゃ読んでるとか
トータルの芸術、総合芸術というか
漫画も漫画、ストーリーもあるし
キャラの立たせ方、もしくはカメラワークとかを
もしくは言葉選びを全部統一
集合させた漫画を読んだりとか
その漫画を読む時もストーリーに着目して読むのか
そのキャラクター一人一人にスポット当てて読んでいくのか
もしくはどこに素敵な言葉とか、どこに自分の刺さる言葉とか
どこに名言と言われているものがあるのかを探しながら読んでるとか
その時々によっても漫画の読み方とか小説とか本の読み方が変わってきたりするみたいな
これもつまみ食い感覚なんですよ。
目的があってこの漫画を読むことで漫画のスキルを上げるとか
ストーリーの構成を考えるために漫画を読むとかではなくて
つまみ食いしてこれおいしそうだからおいしいなみたいな
食べてみようかなみたいな。カメラワーク注意しながら読んでみようかなとか
主人公の心理描写を気にしながら読んでみようかなとか
歴史を俯瞰してみた時に自分がどう感じるのかを考えながら物語を読んでみようかなとか
そんな感じで興味の赴くままにつまみ食いしながら生きてきてるんじゃないかなって思ったんですよ。
次のポストの話なんですけど
与えられたものは残さないっていうのが僕のモットーというか
今改めて気づいた大事なことだなって思ってて
ご飯を節制してる時期があって今もなんかしてはいるんですけど
例えばポテトチップス買わないとかお菓子をなるべく食べないとか
ドーナツなるべく買わないとかサーモン食べないとかカップラーメン食べないとか
今も続けてるものもあれば続けてないものもあって
けどこの僕が課せてる自分に課せてるものを全てひっくり返すことがあって
それは誰かからいただいたものっていうものは何であろうと残さない
いただくっていうのを掲げてるんですよ
これはもうカップラーメンいただいたらカップラーメン食べるし
ポテトいただいたらポテト食べるし
ドーナツもらったらドーナツ食べるしみたいな
そこはもう覆されるんですよね
これは食においてです
でもこれインプットにもすごく反映されてるなと思ってて
提供してくるんですよいろいろなものが情報としてというか
情報としてか入ってくるときに
ここに何か学びあるんじゃないかなとか
自分だったらどう思うかなとか
これってどういうことなんだろうかなとか
その裏側にあるのって何かなみたいな
何かに繋げようとしちゃうみたいなのがあるんですね
でもそれって底なしのものというか
インプットにおいては底がないんですよ
料理においては皿の底が絶対にあるんですけど
インプットにおいてはその皿の底がないんで
平げれないんですよね
だからつまみ食いしちゃうんですよねって思って
これちょっと納得だわと思って
皿の底が見えないことが分かってるんで
つまみ食い上辺だけちょっとつまんだりとか
ちょっと美味しかったらもう少し底まで
お箸で食べてみようかなとか
美味しかったからもうちょっとスープまで平げたいから
スプーンで飲んでみようかなとか
これ本当に美味しかったからもう器を持って
ずっと全部飲み干してみようかなとか
そんな感じで動いてるなって思いました
食べ物って食べるじゃないですか
食べるじゃないですかというか
いただいて食道通って胃になって
小腸とか大腸とか栄養になっていくじゃないですか
体鍛えてた時もあったんで
体鍛えてた時はタンパク質いっぱい摂って
筋肉がついたりとか
糖質を抑え朝ごはん糖質を抑えて
昼間とか夕方とかに頭がめちゃくちゃ冴えていく
みたいなことが実感できたりする
けどそれ以外のビタミンがどっかに効いてるとか
ミネラルがどっかに効いてるとか
炭水化物糖質がどっかに効いてるみたいなのって
見えるものもあれば見えないもの
感じるものもあれば感じないものもあるなって思って
でも入れてるんで
接触してるんで
絶対にどっかの体の一部にはなっているのは間違いないですよね
それが脂肪に取られて重なって排泄するみたいな
流れってあるかなと思うんですよ
これってインプットしてることと同じだなって思って
インプットしたことも絶対にどっかの
血肉にはなっていると思うんですよ
思い出せることもあれば思い出せないこともあったりとか
感動したことがまた感動できなかったりとか
そういう違いはあるけど
一回情報として目に入れる耳に入れる
舌で感じる肌で感じるみたいなものって
どっかで細胞が覚えてるけど
それは何かの形でアウトプットしたりとか
どっかの思考の一部になったりとかはするけど
栄養が全て自分の体の中に染み付いて
排泄するときにアウトプットするときに
何かそれが物になるのか言葉になるのか音楽になるのか
それは分からないんですけど
そういうものだなってすごく感じました
これって全部食にもインプットアウトプットにも
すごい置き換えられるなって思って
これで何をしてるのかなって思ったときに
飽きないものを探してるのかなって
それが最初の話に戻るんですけど
思ったんですよ
僕60何回目くらいのシャープ60何回目くらいで
朝ごはん、最強の朝ごはんみたいな話したと思うんですよ
卵と豆腐と混ぜてみたいな話をしたと思うんですけど
これって僕ある種の答えだと思ってるんですよ
朝ごはんの
最強の朝ごはんって言ってるみたいに
最強の答えだと思ってて
これは26年生きてきて
朝ごはんはこれだって決まっちゃったんですよ
僕の中で
それは何かっていうと飽きないし
体にいいものだし
お金もそこまでかからないし
体の負担にもならないし
普遍的にあるもの
普遍的にというか
手に取りやすいものだし
スーパーに絶対置いてあるし
冷蔵庫に絶対置いてあるしみたいな
そういう
なんかいろんな条件が重なり合った答えが
そこにあったんですよ
で、それはなんかこう
食べ続けれる
つまり飽きないんですよね
で、ちょっとアレンジも加えれるんですよ
昼ごはんと夜ごはん
冬だったら鍋の残り物が
そのまま朝ごはんになって
豆腐と卵と混ぜて食べる
醤油じゃなくてポン酢入れてみる
なんかちょっとしたアレンジができる
海藻を入れてみたり
もしくは抜いてみたりとか
なんかそういうアレンジができるようになってるけど
なんか核となるものは
最強の朝ごはんとして存在してるんですよね
これはすごく答えらしい
それを出してることもそうだし
出し続けてること
食べ続けてることもすごく
気持ちがいいんですよね
で、あと
昼ごはんと晩ごはんですよね
これは答えがまだなくて
答えが出さなくてもいいんじゃないかな
みたいなことも思ってるんですよ
というのも食って
一生食べ続けるじゃないですか
朝昼晩
もしくは朝晩だけかもしれないし
一日一食だけかもしれないけど
一生食べ続けるじゃないですか
そう思った時に
ずっと同じものを食べ続けれるかってなったら
食べ続けづらい
朝ごはんは固定でいいけど
昼ごはんと夜ごはんは
人生意味: 飽きないものを探すこと
違うものを食べたかったりとか
何かたまに贅沢するとき
夜ごはんを多く食べたりとか
ステーキ食べに行ったりとか
お寿司食べに行ったりとかするじゃないですか
それって自分の
違う栄養を入れたい
違う楽しみを入れたい
みたいな欲求だと思うんですよ
だから
人生においてもというか
生きる意味においても
一つ何か固定で
飽きないものがあってもいいし
飽きないっていう
飽きる
ん?
飽きないっていうものがあってもいいし
何も固定させないで
遊ばせるというか
ちょっとアレンジもできるんだけど
かっこたる答えを持たずに
進み続けるのも
ありだなって思ってて
朝昼晩で
朝は固定
昼夜は自由みたいな
たまに贅沢入れるみたいな
そういうことだなって
思ったんですよ
日本人だと
ご飯が主食じゃないですか
だからそういうのもあっていいと思うんですよ
私はこれが好きだから
ご飯が好きだから
ご飯は昼夜絶対に抜かないとか
人生においても
ご飯みたいな抜けない存在
でもおかずはいろいろ変わっていいですよね
豆腐だったりとか
ジンジャーロースだったりとか
これは好みによって変えていくみたいな
カスタマイズしつつ
でもご飯は外せないみたいな
でもたまには炊き込みご飯にしちゃうとか
おじいやにしちゃうとか
オムライスにしちゃう
カレーライスにしちゃうみたいな
そういう暇があってもいいなって思って
そんな感じだなって思って
僕の人生もつまみ食いしながら
興味のある方向に進みながら
そうやって何してるかっていうと
飽きないものを探してるんだなって思って
飽きないものを探してる
それこそさっき言ったみたいに
お皿の底まで平らげれるようなものを
探してるんですけど
でもこのつまみ食いする過程もすごく楽しくないですか?
つまみ食いする過程
過程っていうか
バイキング思い出してくださいバイキング
いろんなものが並んでて
ちょっと食べるちょっと食べるみたいな
ちょっとずつお皿に盛り付けて食べていくみたいな
でお腹いっぱいふーみたいな
でもお皿の底は見えてないみたいな
そんな状態なんですよね
それってすごく楽しく
バイキングってめっちゃワクワクしますね
ビュッフェとか
そうなって思って
それめっちゃ楽しいなって思って
いろんな味が楽しめて
で一つその中でめちゃくちゃ美味しいプリンとかがあった時に
プリンを一生食べ続ける時期があってもいいなって思うし
それを平らげた時に次にイチゴのショートケーキが出てきて
一口食べてみたらそんなやったみたいな
次じゃパンナコッタ出てきて
パンナコッタやっぱりプリンと関係性あるから
卵めっちゃ使ってるし煮てるから
食べたいわってなって
パンナコッタ平らげるみたいな
そんな感じだなと思って
でその飽きない
飽きてる時も飽きない時も
なんか人生だな生きてるなって思うんですよね
それはなんかもうちょっとこう
人生っていう意味の言葉に置き換えると
没頭してるとか
才能が開花してるとか
何かに集中してるとか
なんかそういう言葉に置き換えられるかなと思うんですけど
なんか僕はこう飽きる飽きないで
朝ごはんと人生の関わり
なんかちょっとしっくりきたなって思って
でそれが朝ごはんとかに転用できるんじゃないかなって
ちょっと思ったんで
ここに残しておこうかなと思います
はいこの人生
何て言ってたっけ最初のシリーズの名前
人生シリーズみたいなのを
あの癖とかにも引き続いて
これあるなーって思った
飽きる飽きない
食と人生の関わりみたいなのを話してみました
ちょっといかがだったでしょうか
これちょっと感想とかなんか
思ったこととか
感じたこととか聞きたいですね
てかまぁなんか
人ってどう生きてるんだろうっていうのが
結構僕の中では問い通してあるんですけど
まぁまぁ僕にとっては
生きるとは飽きないものを探すことだなって
一旦はここで仮置きして
じゃあその飽きないって何かなとか
自分にとって飽きるものって何かなとか
ちょっと考えながら
今日から生きていこうかなって思います
はい今日もお聞きいただきありがとうございました
リュウちゃんのひとりごとでは
皆さんのひとりごとお待ちしております
ぜひぜひここでひとりごと言いたいよ
っていう人もお声かけください
あとインスタグラムとか
ベースのショップで刺繍を販売したりとか
投稿してるのでそちらも良ければ
ぜひ見てください
それでは皆さん今日もお聞きいただきありがとうございました
今日か明日かお元気で楽しんで
癖強めで飽きを探して
見てみてください
それではありがとうございました
また来週
27:14

コメント

スクロール