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ゆずチャンネルへようこそ。私は2人の子供がいる主婦で、主にweb3での活動のことや、趣味の鉄道の話や、たまに子育ての話をしております。
今日のテーマは、私の育った家庭環境についてというテーマでお話しします。
ちょっと重たいかもしれないので、重たい話になっている方は聞かない方がいいかもしれないです。
昨日の夜に、ナイトラウンジゆず茶という、私がハウスターでやっている大団のスペースをやって、ゲストにオルゴールさんに来ていただきました。
オルゴールさんは、マゾブトの美容男子という、非常に強烈な肩書きをお持ちの方なんですけど、美容とか場所のこともお話ししたんですけど、
ちょっと離婚の経験があって、その話がすごい壮絶で、ドラマみたいな経験をされてて、離婚の話になったので、
実はうちの両親も離婚してまして、その話が昨日になったので、うちの両親のことというか、育った環境について、ここでもお話ししてみようかなと思います。
なかなか離婚した方とか周りにいるかもしれないけど、両親の中で育った家庭のことって、あまり聞く機会というか、聞きづらいですよね。
参考になるかわからないですけど、うちはこんな関係で育ったよというのをお話しします。
うちの両親は結論から言うと、今はもう自分で離婚をしていて、父も母も別々で連絡も取ってないんですけど、
父と母同士はね、でも二人ともすごい幸せそうです。
私は三人兄弟なんですけど、私たち兄弟三人は父のことも母のことも大好きで、
普通に、こまめには連絡取らないですけど、普通に連絡も取るし、年末年始とかはどっちの親にも会いに行くしっていう感じで、
本当に離婚してよかったなって思ってますね、今は。
多分今思い返すと、母はずっと父と離婚したかったんだろうなって思いましたね。
小さい頃、私が小学校の低学年ぐらいまで、母は専業修士というか、たまにパートに出るぐらいで家にいたんですけど、
でもその頃から、すごい勉強を、いろんな資格の勉強とかしてたんですよ。
いつも勉強してるなと思って、なんでだろうなと思ってたんですけど、
私が小学校の5、6年ぐらいの時に就職できたらしくて、フルで働きだして、そこからは完全に家事っ子になりましたね。
私は一番上で、下に二人妹と弟がいるんですけど、妹と弟は小学校低学年から完全に家事っ子みたいな感じで育ちました。
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でもその頃から、様子がおかしくて、母の。
たぶん今思うと、うちの父はかなりの低所感覚で、本当にザ・低所感覚、昭和の代表みたいな感じのタイプだったから、
それが母が嫌だったんだろうなっていうのは、大人になってからもすごい思うんですけど、
本当は離婚したくて仕方なかったけど、専業主婦だし、スキルもないから、
たぶん早く離婚したい一心で、いろんな資格を取ったりとか、勉強したりとかしてたのかなって思ってます。
だから私が小学校5、6年、中学校入ってからは、本当に両親が喋ってるのを見たことないというか、
業務連絡だけ、でもご飯はちゃんと作ってたんでしょ、母は。
食費節約のため、毎回外食とかされるとお金もかかるから、家計のためにご飯はちゃんと作ってて、
今日はご飯いりますかとか、本当は敬語で業務連絡をしている姿しか見てこなかったですね。
私が中学校入ってから離婚するまでは。
もちろん本当に口も聞かないし、父が帰ってくると母は別の部屋に行って姿も見ないみたいな。
だから今は本当にすごい環境だなって思って、しかもうちマンションでそんなに広くなかったんですよね。
だから、よくピリピリとした環境の中で10年間子供たちを過ごしたなってバレながらに思うんですけど、
だから本当に思春期の頃は親のことを聞かれるのがすごい嫌でしたね。
だからって、別にいつも言ってたのは本当にあなたたちには関係ないから、
お父さんといろいろあるけど、あなたたちには関係ないからっていうのをいつも言われて育って、
だから私は父のことも母のことも別に反抗期もなく、思春期の頃も別にそんなに嫌うこともなかったですね。
妹弟とはまたちょっと違う感情があったのかもしれないんですけど、
本当に今思うと、両親とでも本当に大変だったんだろうなって思ってます。
本当に多分離婚したかったけど、離婚したら下で家も別でもう一個借りなきゃいけないし、
子供3人いるから学費もかかるだろうから、多分お金の面で母親は離婚できなかったんだと思うんですよ。
でも結果的に狭い家でみんなで暮らして、ある程度お金も貯まってたりかも、
学費とかも出してもらえてたから、離婚しなかったからきっと私も弟も妹も大学に行けたし、
経済的にもそんなにすごい貧乏とかそういう感じでもなかったし、
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結局一番下の弟が高校を卒業するタイミングで自分で離婚したんですね。
そこまで耐えてくれたからこそ、私たちもいずれ別れちゃうだろうなってずっと思ってたから、
ついにこの日が来たかっていう感じでその離婚を受け入れられた。
すごい悲しかったですけど、受け入れることができたし、
今でもみんな父のことも母のこともちゃんと尊敬して楽しく暮らしてるのを見てるのが幸せかなって思えてるのかなって思います。
その家庭でいろんな環境の違いとかあるとは思うんですけど、
うちは両親が仮面夫婦でいたおかげっていうのもちょっとおかしいな言い方ですけども、
そこで仮面夫婦でいるっていう選択をしたことによって、私たち子供たち3人は普通に幸せに不自由なく暮らしていけたと思うので、
こんな冷房あるよっていうことをお話ししました。
だから本当に思春期の頃は飲食店とか行って、家族のお父さんとお母さんが仲良く喋ってる家庭を見るだけで、
すごい劣等感というか、なんでみんなこんな世の中の家族はみんな仲がいいんだろうって、すごい本当に思ってましたね。
だから両親が仲がいい家庭っていうのに一一倍憧れを抱いてはいたんですけど、
私も最近はね、この前もっとのこと話したけど、最近は割と落ち着いてますけど、
やっぱり本当に子供のちっちゃい頃はもう本当に別れたくて仕方ないとか、同じ空間にいるのが嫌だとかそんな感じもあったし、
今後も正直は何が起こるかわからないから、わからないですけど、
昨日オルゴールさんとの対談でやっぱり感謝の気持ちを伝え続けるのは大事っていう結論に至ったので、
今いる夫がいるのは当たり前だと思わずに、ちゃんと感謝の気持ちを伝えられるときに伝えて仲良くやっていきたい。
なんかあんな思いを子供たちにさせたくないなって、本当にいろいろ大変でしたよ。
本当に10年以上業務連絡しかしてない中で育つ子供の気持ち、想像できますか。
でも今本当に両親も私たちも子供たちもみんな結婚して子供もいるので幸せに暮らしてて、今となっては良かったなって思っております。
そのおかげで兄弟の仲がめちゃくちゃ仲良くて、妹と弟と本当にすごい仲良いですよ、うち大人になっても。
だから良かったです。
というわけでちょっと重たい話だったかもしれないですけど、我が家の育った環境についてお話ししました。
聞いてくださってありがとうございました。