1. Rethink Health
  2. 人間関係(贈与と交換)につい..
2023-01-31 22:42

人間関係(贈与と交換)についてRethinkする

https://twitter.com/rethink_health_

00:06
心と体の専門家が様々なトピックを取り上げて、健康について考え直す番組、Rethink Healthということで、今回は三浦さん、よろしくお願いします。
はい、よろしくお願いします。
贈与と交換っていう仕組みの違いについて、ちょっとしゃべってみたいなと思うんですけども。
はい。
これはですね、最近自分が読んだ本があって、鉄学系の本になるかなと思うんですけど、
人間関係するにあたって、贈与と交換っていう、大きく二つ分けて、細かく見ていくともっとあるんですけど、
結構これの違いを理解したりとかすると、違うなと思うんで、しゃべってみたいなと思うんですけど。
交換っていうのは、結構わかりやすくて、物々交換とか、何か与えたら何か返ってくる、それがお金で交換するとか、
そういうもので、贈与っていうのは、もうちょっと一方的に与えるっていう感じの、全員に基づいた行動っていう感じで、
贈与の一つ例を挙げると、クリスマスプレゼントって感じですね。
親から子供に与えるというか、クリスマスになったらプレゼントあげるって感じですけど、それを親から与えてるって言わずに、
サンタさんがからくれたみたいな感じであげて、子供はプレゼントを親からの贈与として受け取ってますって感じで、
子供は大きくなっていくと、だんだんサンタさんっていないっていうのに気づいて、あれは実は親からもらったものだったんだって気づいた瞬間に、子供にとっては贈与が生まれたって感じで、
親としては別にそこでクリスマスプレゼントあげたんだから何か返しなさいよって思ってるわけでもなく、
そこでありがとうって言われたりとか、逆に子供が大きくなった時にクリスマスプレゼントをまた自分の子供に渡すみたいなね、
ギブアンドテイクの与えて帰ってくるんじゃない人間関係っていうか、こういうのもありますよっていうのが贈与と交換っていう感じで、
これ深掘りしていくと、やっぱりいろんな人間関係を円滑にするとか、いい人間関係を作る時に参考になるかなって感じで、ちょっとしゃべってみようかなって感じですね。
これ、いわゆる見返りを求めない愛みたいな概念に近いんですかね、その贈与っていうのは。
そうですね、そうかなって感じで、でもただその見返りを求めない愛を与え続けるだけだと、与えてる側は疲弊してしまうんですよね。
03:09
そうですね。
負担がないわけなんで、だから贈与を与えれる人っていうのは、ある程度すでに満たされた状態じゃないとあげれないっていうのもあって、
だからボランティアとかだけしてるときついから、両方交換と贈与っていうのはうまく組み合わせる必要もあるっていうのが実際のところかなと思うんですけど、
そういう意味で親子関係とか、やっぱり家族とかだと結構贈与的な意味合いが強いかなと思うんですけど、そこに交換的なことも入ってくるでしょうし、
そういう感じがいいんだろうなっていうのを考えていくといいかなと思います。
理想的には贈与の循環みたいなものが果てしなく続いていけば、お互いに恨みっ子なしみたいな関係になりそうですけど、
でもさっきのやっぱり疲弊してしまうってどうしても付き物なので、交換のうまい活用方法ってあるんですかね?
そうですね。だからうまい活用というか、相手にはできないことが自分はできる。
で、自分にはできないことが相手ができる。で、お互いにそれがメリットある形だったら交換した方がいいとかかな。
でもそれも昔の生活イメージすると、多分ね、一つの集落で、例えばこの人は狩りが得意とか、この人は採集が得意とかでしたら、
一緒の集団で住むだけだったら、多分贈与で回ると思うんですよね。
でも他の集落の人とか、あんまり関係性が深くないような人がいて、
でもそこに自分たちが欲しいものがあった時には、まだあんまり信用できないというか、
こっちがもしあげても返ってくるかわかんないから、そういう時は交換する契約みたいなことをして、
これとこれで交換しようって言った方が、圧倒されなく逆に関係みたいな感じがするだろうから。
家庭の中では贈与の循環ができたらいいけど、他の家族とか他の集団との付き合いっていうのは交換の方がうまく機能するとか。
面白いですね。確かに交換の方が見える化しやすい分、この人との繋がり方がわかりやすいから、
うまいこと調整しやすいっていうか。
それは確かに家族以外の人でもそうですし、家族の中でもそういうシーンがあっても、
06:06
お互いの役割が、お互いにやりあいっこができていいのかなとか思いましたね。
昔の生活というか、そのうちの方が贈与の割合が多かったかなと思うんですよね。
でも今現在でいくと、お金さえあればいろんなサービス受けられたりとか、物も買えたりして、
かなり交換の比率が高まってるかなと思うんです。
交換で生きていけちゃうというかね。
だからこそ贈与をもう1回見返すと、そっちも大事さがわかるっていうか。
そうですね。
なるほどね。
確かに社会的に生きていく上では、ある程度やったことに対するリターンとか、
対価みたいなものがあるからこそ、ちゃんと自分が生きていけるっていうものになるけど、
でも精神的には、別にそういうことを求めなくていい人に対しては、
ずっと贈与の状態でいたほうが、お互いにはめちゃめちゃ気持ちいいんだろうなと思いましたね。
仕事関係でも、贈与的な関係のほうが気持ちいい人もいれば、
もうスパッとそこは交換でやってしまったほうがいいパターンとかもある気がするんで、
その辺もまた考えてみようかなと思うんですけどね。
相手次第にもよるんですもんね。
この対象には交換で関わったほうがいい。
この人には贈与的に関わっても、特にリスクがないとか。
確かに。
個人的には贈与の気持ちでやったものが、しばらく経つと、
例えばクリスマスプレゼントあげたのはいいけれども、
しばらく経ってこじれたときに、
あの時あんなにしてやったのに、みたいな気持ちが、
後々発生してしまうこともあると思うんですよね。
それは、だから自分が満たされきってたら、
そうなったとしても、そういうもんだよねって落ち着けれると思うんですけど、
なんかちょっとリターンを期待してたりとか、
ちょっと無理してあげちゃったりすると、
それが自己犠牲って感じで。
だからその自己犠牲状態になるまで贈与してしまうと、
多分メンタル崩れやすいって感じなんですよね。
ほんとですね。
人に何か与えたっていう行動が、
すごく自分的には大きな出来事って、
感じるか感じないかってあると思うんですよね。
そうですね。
だから無意識で、誰かに何か教えてあげるとか、
09:01
お土産買ってくるとかわかんないですけど、
見返り本当に気にしてなくて、
余裕がある状態だったら、純粋贈与になりやすいですけど、
何か心の底であげたのだから返してほしいとか、
思ってると、ちょっと好感というか、
偽善って感じですね。
確かにそうですよね。
見返りを求める善意みたいな。
それもなりやすいんで。
ほんと相手によって関わり方を変えていくと、
うまく逆に付き合えるって感じなんですね。
贈与と見せかけた実は好感だったってことが起きているってことは、
逆に好感だったら好感ってしといた方がいいから、
そこの前提的な、自分のその人との付き合うスタンスってところが、
自分を誤魔化さないみたいなところが大事なのかな。
ですね。
その辺も自分で気づくのも大事かなと思ってて、
だから純粋な贈与だったら、
本当に自分のためにやるって感じだと思うんですよね。
はいはいはい。
でも偽善ってあなたのためにやってるんですよって言っちゃうというか、
思ってるというか、
好感だったら逆にもうウィンウィン、お互いそれで納得する形っていうので、
そうですね。
パワーバランスの違いですよね。
うーん、そうです。
うーん。
だから、そうだな。
だから家庭の関係で、親子関係はやっぱこういう贈与っぽいことが多いんですけど、
例えば、なんか子供を習いごとに行かせるとかっていうのを考えた時に、
子供が行きたくないって言い出したとするじゃないですか、
はい。
そういう時の親の反応って結構違うなと思ってて、
はいはい。学校とかもそうですよね。
私がお金払ってるんだから行きなさいよっていうのは、
はい。
全員贈与ではないって感じですよね。
ちょっと見返り求めてるっていうか、
そうだねー。
確かに一回ね、習いごと行かせるために何千円かかってるってことは、
すぐ電卓頭の中で弾いちゃってるみたいなね、感じだと、
すでにちょっとそういう尊徳感情生まれちゃってますもんね。
そうそうそう。
うーん。
こういうのとかね。
いろいろありますね。
うん。
学校もそうだな。
だから交換と贈与が本当にうまくいったんで、
今だから家庭の話だったらそうだし、
そうですね。
仕事においても、
仕事っていう時は逆にちゃんと交換のルールを決めるっていうのが大事なのかなって感じがしますよね。
もちろんそうですね。
12:00
それはすでに気をつけてやれることと思うんですよね。
うん。
だからやっぱりなんかちょっと家族とか、
そういうお金が絡まない関係とかだと、
どうしてもなんかそのこじれやすいっていうところがあるんだろうなっていうふうに思うんですよね。
そうですね。
あとおそらく思い出して、
うん。
その贈与っていう時に、
受け取る側の知性と想像力が必要っていう話ですね。
はいはい。
が、さっきのクリスマスプレゼントをレイにあげた時に、
はい。
子供が成長してきて、
そのサンタさんの存在はいなくて、
あれは親から受けてたんだ、ありがとうっていう、
それも知性がついてきて、
そういう想像力が生まれたから気づけたっていうところがあるんで、
だからもし贈与的に誰かに関わろうと思った時に、
今は気づかなくても、
いつか気づくだろうなと思う人に与えるようにした方が、
お互いに結局いいのかなって感じですかね。
いやー、それは本当に期待するわけじゃないけど、
なんかこう時差で伝わるみたいなのって、
時差ある気がしますね。
あの時あの人こう言ってたのって、
実はこういう意味だったんじゃないかとかって、
時間たってから気づくみたいな、
一気になんか、
あ、めっちゃあの時思ってくれてたんだみたいな、
実感が生まれるってありますよね。
そうそう、それが気づかないままだと、
与える人は与えたんですけど、
受け取った人は気づかずに終わってしまったら、
だからそれもなんか、
郵便に例えた時に、
送った誤送、
誤って届くっていうか、
誤って配送されるって感じで、
誤送の状態になるわけですよ。
だからそれでも納得できるのであれば、
増揚したらいいし、
相手が気づかないと困るまでは、
やっぱ増揚しなくていいって感じだと思うんですよ。
確かにその子の表し方も難しそうですね。
なんか背中で伝えるみたいなのって、
気づきにくかったりするのかなと思うので、
やっぱりそこで一応伝えるっていうことが、
言葉とかコミュニケーションで大切になってくるんですよね。
そうですね。
だから時間差をどこまで共有できるかっていうところですかね。
交換っていうのは即時的に短期的なところじゃないですか。
そうですね。
与えたら返ってくる。
その期間が長くなればなるほど、
また与えるものが大きくなればなるほど、
15:01
与える側の余裕がないとできないって感じだと思うんで、
特にセラピスト的な人ってちょっと自己犠牲的というか、
与えるの多くなりがちかもしれないんで、
フリーランスとかもし自分で仕事するっていった時に、
増揚的な活動しすぎると逆にきつくなるから、
ちゃんと交換しましょうっていうのも大事だし、
逆にビジネスに寄りすぎると交換ばっかりしすぎて、
そうすると短期的なことばっかりなんで、
長期的な成長性がなかったりとかっていう可能性もあるから、
増揚を増やしましょうっていうのもあると思いますし、
その人の特性によっていいバランスを取るっていうのが多分、
大事なのかなと思いますね、こういう考えとって。
そうですね、いきなりどういう形の増揚を与えていけばいいかっていうのは、
本当にいろいろなカラーがあると思うんで、
それ以前にまずお互いにどういう人かってことをつかんだ上で、
この人に対してはこういう連絡のやり方が安心感を与えられるんだとか、
そういうのを模索していけたらいいと思うし、
その中でいろいろ修正を加えながら、
長期的には増揚的な精神を持ちつつ、
その中身のところでちゃんと交換していくみたいな形だと、
割と永続的な関係になるのかなと思いますね。
そうですね。
だから本当にやっぱり親子っていうか、人間がまた特殊というか、
生まれたら絶対一人で生きていけないんで。
そうですね。
ある程度の年齢になるまで言って、増育を受け続けてるわけですよね、人間は。
そうですね。
だからそれに気づくのがいつなのかっていうときで、
大半は自分の子供ができたりして、
育てめっちゃ大変だと思ったときに、
そこで親への感謝の気持ちが生まれるとか、ありがちかなと思いますし、
仕事とかって言っても、初期段階の教育とか、
そういうのって誰かからお金払って受ける場合もあるでしょうし、
誰か全員で受け取るパターンもあるでしょうけど、
教育も結構こういう増揚的な側面が大きいところもあるかなと思うんで。
そうですね。
もちろんね、受け取り方っていうのは個人で違いはあると思うんですよね。
気づくきっかけも違うと思うし。
でもそうですよね、やっぱり自分の立場がいろいろ変わる中で、
やっぱり時間っていうのは必要なのかなとは思いますよね。
そうですよね。
そういうのと交換はやっぱり、
18:00
そういう与える側と受け取る側の時間差があるとか、
根本的に多分交換っていうと、
与えるんじゃなくて受け取ったことがメリットじゃないですか。
でも増揚って受け取ったメリットよりも、
精神的には与える側のメリットも結構あるんじゃないかなと思うんで、
そういう違いもありますよね。
なるほどね。
増揚。
だから、年取った時に子供の世話するっていうのが楽しいとかね。
孫の世話って増揚強いと思うんですよ。
すごい増揚感ありますね。
だからやっぱり孫かわいいって感じだと思うんですけど。
そうね。
自分がどんどん余裕出れば出るほど与えると、
精神的な満足度強まると思うんで。
そういうことですよね。
だから若いうちは増揚をまず受けることが多い。
で、ある程度年齢になってきて自分のスキルが高まってくると、
交換できるものを自分が持てるようになる。
スキルとかものとか。
それである程度受け取れるものが多くなってくると、
余裕が出てくるから、増揚を増やすっていうのが健全的な成長の流れなのかな。
面白い。すごいわかりやすく。
すごいわかりやすいですね。
人生の表し方。
前回のウォーカーの話をもう一回考えると。
そうですよね。
結局何か。
ステージによって変わってきてるっていう感じですかね。
そうやって変化してきてるんだろうな、人間の一生体ってことですよね。
基本的な、本当に理想的な成長のプロセスというか。
ずっとね、なかなかそこまで気づききれる人もいないのかもしれないし。
そういう人にはどうしたらいいんでしょうね。
自分がいっぱい与えられてたってことになかなか認知的なバイアスなのか、気づきにくい人っていうのは。
与えてた本人から言うっていうのは、ちょっと押しつけがましい感じがするんで。
そうですね。
やっぱり与えられたことに気づいた人が、まだ気づいてない人に第三者視点で教えるとか、気づきのきっかけを与えるっていうのがいいんですかね。
確かにそれはあるね。
自分の話だとちょっと受け入れきれなくても、人の話を聞いてちょっと自分と共通性とか照らし合わせながら、なんか急にハッと気づくみたいな。
21:09
そういうのが小説とかドラマとか映画とか雑誌とかの中で気づくっていうのはありますよね、たぶんね。
そうですね。初めはもしかして受け止められない抵抗感もあるかもしれないけど、
なんかほんと自分のちょっと共通できるところとかを見つけられたときに、それを糸付きと愚痴っていうのかな、気づきを増やしていけるかもしれないですよね。
ですね。
ってな感じで。
面白かったですよね。
難しそうだけど身近な話。
自分も結構この話聞いてから改めて世の中見てみると、これもそうだな、これもそうだなって気づくとこは意外とあるんで、
ちょっとこれ聞いた後にもう一回自分を見つめ直したりしてもらうと面白いかもしれないです。
かなりすごく子育てとかで特に疲弊しやすいお母さんなんかは、特にこのなんかめちゃめちゃ増揚してるんだと思うんで、
交換でちゃんと自分の絵のケアっていうか、お金払ってマッサージ受けるとか、子供に肩たたきしてもらうとか、
なんかちゃんと自分も何か交換庫でもらうものはもらわなきゃいけないなと思いました。
そんな感じです。
ありがとうございました。
ありがとうございます。
22:42

コメント

スクロール