00:09
シゴクリラジオ
こんばんは、シゴクリラジオの大橋です。今回もシゴクリラジオを始めていきたいと思います。
今回は生成AIの話を少しだけしたいと思います。
量産型のタスクは生成AIにとって変わられてしまう。
それが結局どのレベルになったら、駆逐と言いますかね、制圧されてしまうのか。
あまり考えたくないかもしれませんが、少しだけ考えていきたいと思います。
今回もどうぞよろしくお願いいたします。
はい、シゴクリラジオの大橋です。今回のテーマは、生成AIがどういう影響を与える。
もしくは量産型ですよね。タスクがどうなるかというところです。
結論的に言いますと、非常に言い切ることは難しいのですが、
量産型というのは、技術とかを過度に期待しない、もしくは人間が想像的にやる必要性が薄いというような状態かなと思います。
例えば、アイキャッチ画像、記事でアイキャッチ画像ってあると思うんですが、
もちろんアイキャッチ画像自体を作っている人とかいるかもしれないのですが、
それ自体をタスクを否定しているわけでも、仕事を否定するわけではないのですが、
そこまで技術が高くないものってあるわけですよね。
例えば、著作権フリーでかつ、簡単に使えるようなもの。
これはレベルが高かったら終わりですし、もしくはレベルがどんどん高くなっていっているかもしれませんが、
そういうものの対価を払って使いたいという、需要というかニーズがあれば話が別なんですが、
高く払ってもいいとかというのは、著作権的にちゃんとクリアされているとか、
SSAIのストックフォトサービスも使われていたりしますが、どこまで使われているのか正直わからない。
そういうところで高い技術を求めないとか、つき並みでいいというか、
普通でいいみたいな、普通がこれ難しいんですけど、というものがどんどんSSAIを変えていくと、
クロード3とかは日本語が確かにやり取りしていて上手いなと思うんですが、
極端なことに日本語があまり上手くない、論理的じゃない人より上手いわけですよね。
03:00
なったときに一人でも人間がそう思ってしまったら、これは極端な話なんですが、
あまり論理的じゃないことを言ってくる人Aさんよりも、SSAIさんにいらした方が早いし文句も言わないしいいんじゃないかって。
そういうタスクのレベルでまず、仕事がそういう人に振らなくなるんじゃないかなというのが第一スタートなのかなと思います。
これは友人と話していて、あるんだろうなって思ったりします。
もう一方、極端なのが職人の世界で、一人がコツコツとやって作ってくれるのは、
これはなかなか不可分というか、なかなか侵食はされないだろうなと思います。
というよりも、ここから考えられていくことは、今の二つは極端なんですけれども、
結局、人間って何だろうなというふうになるわけです。
これってよくないですか。
例えば、自分がやっている仕事を会社でやっている仕事を、会社を休みましたと。
でも仕事は回るし、会社の誰かがやってくれましたと。
その時に思うのは、自分がいなくても回るということに対して、自分の価値は何だろうかということですよね。
いなくてもいいと。
会社の組織って誰一人いなくなったら終わるということはないので、非常にここが俗人的だと機能しないですし、
俗人的だからこそ、部分があるからこそ、その人がやりがいを感じているかもしれないと。
ここが難しいところですね。
生成AIはこれを全体に圧をかけてきているかもしれなくて、圧というのは、
例えば僕がアイデア出しをする仕事をしているんだけれども、それを生成AIがほとんど変わってしまったら、
僕の存在価値は一応低くなる。存在価値じゃないな。
僕が出すアイデアとか考えるプロセス、過程というものも否定はしないかもしれないけど、
そこで単にお客さんから依頼がないとか、生成AIにあげるからいいやというふうに考える人が出てきてしまったら、
失職というのはおかしいですが、僕の仕事は成り立たなくなる。
そういったときに僕はどうすればいいのか。
そんなことを考えている人が、このリスナーの中にどれくらいいるか分かりませんが、
僕はそういうのを少し考えています。
ここでですね、生きがいやりがい、あとは身体制度化、あとは人間自体は社会的な生き物ですから、
社会形成は絶対あるし、消えないとは思うんですよね。
生成AIを使ったとしてもね。
そのバランスがどうなるかというのはもちろんあるんですけれども、
結局これは哲学をしなければいけなくて、自分は何で生きているのか、どういうふうにしたいのか、
06:03
それって考えておいて損はないようなことかなと思ったりしました。
つまりですね、今回結論はもちろんないです。
生成AIが人間に及ぼす量産型のタスクというのをどんどんやってくれるということになるんだけれども、
なったとして人間が騒動的だというようなことをやるとか言ったりしませんか。
僕も思っているんですけど、でも騒動的なもので何でしょうかね。
大いなる無駄というような、すぐにやけたたたないようなことをやるのがいいのかなと。
これは皮肉じゃなくてですね、大いに遊べばいいんじゃないかなと思うんですよね。
でもですね、そんなふうに遊んで豊かになっていったようなというのが、
1ミリもといったら大げさかもしれませんが、僕はあまり見えていないんですよね。
もしそういうのを知っていたら教えてください、変な情報商材とかそういうのじゃなくてですね。
そういうことを考えていくと、やっぱり人間と同じことを繰り返したり、
AIというものを技術とするならば悪用ですよね。
悪さしていく人が小銭を稼ぐためにやっている、小銭とは言えないような金額で事件を起こしていくと。
なんかあんまりディストピアみたいな世界になってしまうかもしれませんが、
そうなりたくないですし、そうならないように何かやっていかなきゃいけないなと。
そんなことを今回は思ったということで締めたいと思います。
四国居ラジオ大橋でした。ここまでお聞きいただきましてありがとうございました。
以上、失礼いたします。