00:00
シゴクリ、シゴクリ、シゴクリラジオ
よろしくお願いいたします。はい、シゴクリラジオ大橋です。今回ですね、近いOSと遠いOS。OSというのはですね、
オペレーションシステムですね。WindowsとかMacintoshですかね、iOSとかAndroidとかでもいいんですが、
そういったオペレーションシステム、パソコンではないんですが、その話についてしていきたいかなと思います。
前回ですね、超身近な話みたいなことに対して、自分がアイディアだったりやりたいことを検証していくことを入れていくといいよと、
それはそうなんだろうけどっていう人がいるかもしれないので、また少し追加みたいな感じでしゃべってみたいと思います。
まずですね、近いOSとか遠いOSって何かというと、難しい話ではなく、まずですね、近いOSというのは自分の考え方ですね。
平たく言ってしまえば、自分が気になってしまう、ついつい気になってやってしまうような手癖みたいなもの、手癖が近いんじゃないかなと思います。
これはですね、わかりやすい例を言うと、漫画家みたいな仕事があって、漫画家になりたいかどうかを置いておいて、
つい時間があれば絵を描くと、漫画風なものを描くと、漫画風じゃなくてもいいんですけど、ついつい絵を描くという人は、たぶん漫画家になりやすいっていう話なんですね。
ついつい僕なんですが、考えてしまうと。
考えるというのも、これは本当に何を考えてどういうふうにしていくかだけなんで、その行為が絶対いいとか、100%それで研究者になれるとかそういうことではないので、そこは勘違いしないでいただきたいんですが、僕の場合はついつい考えてしまうと。
アイデアを出してしまう。考えちゃうね。
なんで、そういう人がそれを役立てるようなことをやった方がいいんじゃないですかって話なんですよね。
だからついつい漫画を描いちゃう、イラストを描いちゃう人はそちらの道、思考というか考えちゃう人はそちらの道。
03:05
っていうのが、誰しも持ってますよねっていう話がポイントです。
でですね、そんなついつい何かやるようなことがないと。
私はそんなものがありませんっていう人はもちろんいるんですよね。そういう人はいるんですけど、その言葉に対してそんなことはないんじゃないですかと。
ついついやっていることが、いわゆる社会的に有意義っていうんですか、意味があるとか、もしかしたら評価されているものではないので、ダメなんだよねっていう感じの人が多いんじゃないかなと思ったりしてます。
でですね、ついつい絵を描いてしまう人が、漫画家として成功するっていうのはちょっと言い方が変なんで、漫画家になっていくみたいなことを考えたときに、一つだけ言うならば、短期的と中長期、長期っていう視点で言えば長期的なんですよね。
で、かつ長期っていう概念には続けていかなきゃいけないんですよね。継続がセットとして概念としてあると。短期ってそんなこといらないですかね。やってもう終わりなんで。
でですね、継続とか続けていくことを意識する、考えていくと、結果的に自分が得意なこと、身近にある、ついついやってしまうような近い大切なことをやらないとやりようがないんですよ。特に個人。
企業においてはちょっと変わるんですが、究極なことを言ってしまえば、個人が作る企業、企業が作る企業もあるかもしれないんですが、その中で継続が保証されていない、もしくは継続していくっていうことがベクトルがなければ、多分うまくいかないんですよね。
それは評価もあると思うんですけど、うまくいかないと。ではですね、その評価の前に、正しい評価の前に、そもそも自分が継続しているイメージだったり、それを続けていくっていうことに対しての、先回の話だとコストじゃないですが、超身近であるってことは、すごい時間をかけてやるとか、お金をかけてやるっていう、時間とお金ですよね、代表的なものは。
かけてやるっていうものでなく、っていうものはまさに自分が自ら空気のように呼吸をするようにっていう話をしたかもしれませんが、やっていることなんじゃないかなと思います。つまりそれこそがまさに近いOSと言えます。
その近いOSを持っている人とか、それを感じてやれている人は、多分継続をしていて、結構いい感じにこのことを取り組んだりできたりしているんじゃないのかなと思います。逆にですね、BATではないんですが、遠いOSですね、遠いほうですね。
06:10
例えば僕が頑張って何かをやり通してこうしていこうっていうのは、全然個人の話だったらいいんですが、頑張るって言っている時点でいろんなものを見失っている可能性が結構あります。
要は普段の力の2倍とか3倍とか、ものすごいテンションを張ってやったとしても、もちろんそれはそれで否定しづらいことですし、別にやりたいことで否定することはないんですけど、持続性がないって感じですよね、サステナビリティがないんですが。
そうなると一回でなくなっちゃったり壊れちゃったりするんですよね。もちろんそうやって新しい取り組みに対してチャレンジしていくってことを全部否定しているわけじゃなくて、それを中長期的にやるかどうかはまた別なんで、頑張って何かやろうとしている時点で遠いってことなんですよね。
だから、もし漫画家になりたい人とかがいて、漫画を描くことに対して遠い感じがするっていうのであれば、近づけていくしかないんですよね。
というところで習慣化とか、違うアプローチというか、自分が遠くないよと、超短いよというふうにある種の脳をごまかすって言ってもいいんですが、ぐらいにしておかないとまず持続、継続ができないっていう話なんですね。
これを知っている人は多分近いOSで何とかしようとするんですよ。問題は近いOSだとか遠いOSだとかを誰か認定していいですね、悪いですねっていうことじゃなくて、遠いOSっていう人が近いOSでやってる人を非難したり批判したりしてしまって、自身が近いOSがないことを嫉妬ではないんですけど、羨ましがったりすると。
羨ましがるのはいいんだけど、そのやり方ではダメだみたいな遠いOSならではの視点があると。それは100歩、1万歩ぐらい譲ってもいいんですけど、そういったときに近いOSでやってる人から見ると、なんでそんな頑張って短でもないことを一生懸命やろうとしてるんだろうかと。
自分の近い部分を見つけていったらいいのではないでしょうかという話になるんじゃないかなって僕のほうはいつも考えたりします。このネタは時代変わらずあるんじゃないかなと思ったりします。
自分が身近なことを仕事にしたり、生き方の中に入れていくことが皆さん全員全用というか、できていたらこんな話にならないので、そうなってはない現状があるということなのかもしれません。
09:05
今回は近いOS、遠いOSというわけで、なるべく近いOSのほうで超身近な自分がついついやってしまうことを仕事にしなくてもいいんですけど、日々入れていって楽しいなという感覚を日々入れていくというのがいいんじゃないかなという話でした。今回は以上となります。
四国ラジオ大橋でした。お聞きいただきありがとうございました。