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2023-11-09 1:35:17

第百三十九回:Tak.さんと四方山話

概要は以下のページにまとめてあります。

第百三十九回:Tak.さんと四方山話 - 知的生産の技術

サマリー

魂の文章術」という本が新書で発売されています。この本は昔、「書ける人になる」というタイトルで発売されていたものです。著者は野良鉄ハウスというサイトを運営されており、エヴァノートの利用方法や整理欲求について語られています。具体的には、ノートブックの使い方やデジタルツールの使い方について考えることが取り上げられています。また、データ整理についても話されています。デジタルツールを使う場合には、デイリーノートを意識する必要があります。さらに、デジタルノートツールを使う際には、シンプルな機能と使いやすさのバランスを考える必要があります。本の話の中心は、鉛筆を使った読書方法とEvernoteの活用方法です。本をより深く読むためには、ペンで線を引く方法やセクションごとに読む方法についても議論されています。さらに、デジタルとアナログの使い方や書く行為についても話題となり、倉下さんとベックさんの世代の違いや、書く行為の感覚や編集の重要性についても議論されています。また、文章を書く技術の幅広さや文章の受け取り方の違いについても話されており、知的清算技術やライフハックについての考え方も明らかにされています。

00:01
スピーカー 1
うちあわせCast、第百三十九回ということで、今回もゲストにたくさんお迎えしております。よろしくお願いします。
よろしくお願いします。
久々の連続ということで、あんまりネタがないんですけども。
先週紹介しようと思ってて忘れていたんですけども、
本の話
スピーカー 1
本の話でして、先週かな、「魂の文章術」という本が新書で出てまして、
創冊新書が出てまして、「魂の文章術」でナタリー・ゴールドバーグさんが書かれてる本で、
これ実は前から出てる本というか、昔というか、「書ける人になる」っていうタイトルで、
副題が「魂の文章術」という本がありまして、著者の答弁は同じなんですけども。
それが単行本で出てたのが、新書になって登場という感じで、
文章自体は僕チェックしてないんですけど、翻訳者さんが一緒なんで、
スピーカー 2
たぶん同じ内容ではないかなという、勝手に予想はしております。
基本的には、ベースに置かれてるのはたぶん小説だと思うんですけども、
スピーカー 1
これから書こうと思ってる人とか書けないっていうふうにして悩んでる人に対して、
こういうふうに書きましょうという、
ノウハウというよりも、ちょっと心構えというか、マインド制度が多いんですけども、
いわゆる、僕らがよく言及しているフリーライティング的なものも、ここで語られているというか、
とりあえず書きなさいとか、書いて心の中を出しなさいみたいなことが書かれている本で、
僕、紙の本では持ってないんですけど、Kindleで書ける人になるバージョンを持ってて、
これは結構人に影響を与える本だなと思ってずっと思ってるんですけども、
新書になったことで、また手に入りやすくなったので、
興味がある方はこの辺の話、書くのが難しいけど書きたいみたいなことがある方は、
この本を触れてみると、文章を書くってどういうことなのかっていうのが、
もう一段深いレベルでわかるんではないかなという気がしますね。
でもって、ニュース系で言いますと、
昨日スクラップボックスが調子が悪かったんでね、ちょっと戻った。
あともう一個、ライフハックの道具箱というのを毎年年末に一冊出してるんですけども、
今年ももちろん出すことにしまして、ライフハックの道具箱2023という本を出します。
ライフハックのツールとか可能な限り技法とかも紹介していくという流れなんですけど、
もう最近のライフハックのテーマが大変広いので、僕だけではカバーしきれないので、
いろんな方に寄稿してもらうという形で、ある種のムック本みたいな感じかな。
実証、カタログというよりはムック本みたいな感じで作っているんですけども、
たくさんにも寄稿いただいているんですが、
スピーカー 2
これを聞いている方の中で、僕らが普段研究していないツールとか技法とかに一言申し上げると紹介したいものがあれば、
スピーカー 1
クラスターまで原稿を書きたいというメッセージを送っていただければ、
できれば11月末までに原稿をいただける形がベストなんですけど、
ちょっと遅れるぐらいなら全然大丈夫なので、1000字とか2000文字程度でも全然いいんですけど、
紹介しきれていないツールとかたくさんありますので、
そういうのに紹介にご興味があればクラスターまで連絡してくださいというのが連絡ですね。
スピーカー 2
3回目でしたっけ、もう。
スピーカー 1
21、2、3かな。
3回目ですね。
3冊目ですね。3冊目で、大体全体の7割ぐらいは変わらない情報なんですけども、
一応毎年新しい情報を増やしたりとか、既存の情報をリニューアルしたりとか、
1年経つと大体使用料金とかが変わっていることがあるんで、
確かに。
そこは毎年バージョンアップしていっているところですね。
だから最新版のライフワークツール、キャッチアップ。
キャッチアップというほどではない。
僕らも全然最新のやつにキャッチアップなんて言ってないんですけども。
そうですね。
逆にちょっと3年前に流行っていたツールとかって最近話題に上がってこないんで、
そういう古い情報を確かめたりとか。
古いツールって、逆に話題に上がらなくなっているぐらい身近に使われているツールのほうが、
多分実は利便性が高いというか便利な可能性も高いんで、
そういうのを確認できる良いチャンスかなと思います。
あともう一個取り上げたいのが、
野良鉄ハウス
スピーカー 1
野良鉄ラボさんに個人サイトを作りましたという記事が上がってまして、
野良鉄ハウスというサイト。
野良鉄ハウス.pages.devというドメインで、
リンクを貼っておくんで後で概要欄見ていただいたらいいんですけども、
個人サイトを、個人サイト?ブログ?
スピーカー 2
まあでも個人サイトですよね、これはね。
スピーカー 1
を作られたということで、これは一時期?
僕もRスタイル個人サイトにしてますし、
この前ゴリゴさんのゴリゴ.comが普通のワードプレスから
Obsidian Publishに差し替わるという流れもあって、
存外に脱ブログ形式とか脱ワードプレスというのが徐々にじわりじわり進んでいるので、
それも一つ、この野良鉄ハウスの一環かなとは思うんですけども、
作り方がすごいアイディアですね。
技術よりもアイディアに共感するというか、
3層構造になっているという話で、
文章を書くエディット部分はダイナリストっていうアウトライナーがベースになっていると。
ワークフローリでAPIが公開されていないんですけども、
ダイナリストはAPIが公開されてまして、
ダイナリストを表示しなくてもプログラミング経由でデータを入力したりとか、
あるいは抜き出したりとかができると。
そのAPIを使って自分のダイナリストにブログ記事になるものをマークダウンで書くと。
それをスクリプトなり何なりを使ってAPI経由でデータを抜き出して、
ちょこっと記事風にアレンジしたものをGitHubにプッシュすると。
GitHub上には記事の元になるデータのJSONファイルがプッシュされると。
それをGitHubのデータから抜き出してサイトを作りますよというサービスがいくつかあるんですけども、
それを経由してサイトの形に出力しているという、
つまりダイナリストを書いていろいろやるとサイトとして表示されるっていう形になっている。
考えたことがなかったですね。
スピーカー 2
ほとんどね、デイブワイナーですよね。やってることがね。
スピーカー 1
そうですね、デイブワイナーはアウトライナー上からほぼ直接出力してますけど、
一回行って挟んでるとはいえ、やろうとしてることはほとんど一緒ですよね。
スピーカー 2
すごいですね、本当に。
スピーカー 1
おそらくリストされている機能そのものはそんなに高度なものではなくて、
API叩くとか、正規表現を使ってデータをそれっぽい形式のJSONにするとか、
そういうことで、サイトに出力するのはJSONの形だけある程度整えて、
HTMLファイルを作ってしまえば勝手にやってもらえるので、
高度な技術ではないと思うんですけど、
発想が素晴らしいなっていうのと、
あとこの方式の非常にグッドなところは、
明日ダイナリストが使えなくなっても別の方法でJSONを作れさえすれば、
サイトの運営はできるというところで、ロバストというか非常に強靭さがある仕組みだなと。
データ見れてもやっぱりワードプレスよりはるかに早い表示になっておりますし、
やろうと思えば好きに機能を新たしく書き足していけるので、
面白い展開だなと。
僕も自分のローカルで使っているTextBoxという機能をR3で使っていて、
似たようなことをやっているんですけども、
ライダーの仕組みさえなんとかインポートできたら、
要はダイナリストで記事を書けばサイトができるという言い方にできるので、
幅広いのこっちのほうかなという気はしないではないですか。
スピーカー 2
いろいろ応用できそうですよね。
スピーカー 1
これは結構できるかな。
僕もダイナリストは使ってないし、ワークローリーはAPIないんで同じことはできないですけど、
この一回GitHubを挟むっていうやり方に感銘を受けたので、
自分が今ローカルで使っているTextBoxをiPhoneとかでも閲覧できる。
全部のデータはアクセスできる必要はないんで、
普段使うようなデータだけGitに入れておいて、
そこから閲覧できるサイトが作れるんかなと、
いろいろアイディアが広がる発表というか実装というか、
研究結果というかいろいろ評価があると思うんですけど、話でしたね。
スピーカー 2
個人サイトとかブログ的なものだけじゃなくて、
長文執筆環境的なものもできそうな気がしますね、これ見てると。
スピーカー 1
ダイナリスト上でセクションごとに文章を書いておいて、
スピーカー 2
あとでドキュメント系で出力するみたいな。
なんかなりそうな気がしますよね。
スピーカー 1
でもできるでしょうね。
だってウェブサイトが作れるやつはいいパフォーマンスを作れるはずですから。
スピーカー 2
そうですよね。
スピーカー 1
電子のデキュメントを作る材料に。
まずやっぱりAPIを公開している強みというのはそこにありますね。
一応ワークロリでもBookMarkletというのを経由することで、
データの取得というのはできるんですけども、
それはやっぱりブラウザを開いてないとできないので、
外部で云々観音というのがちょっと難しいので、
その辺の応用可能性という点ではダイナリストに分があるかなというところですね。
でも本当にダイナリストいつなくなるかちょっとわからないところがあるので、
この方式代は別に終わってしまってもいいんですけど、
ダイナリストとワークロリどっち選ぶか問題はそもそも難しくなっておりますね。
スピーカー 2
僕もついに最近、
今までずっと初めての人にはダイナリストをお勧めするという方針だったんですけど、
ちょっとワークフローになってきたんですよね。
若干先に不安になってきた。
スピーカー 1
それで最近の機能のアップデートを見ると、
非常にツボをついているとか、eSenseのアップデートが多いんで、
長期的にワークフローリーのほうが期待できるかなというところではございますね。
今回はあんまりテーマめいたテーマがなくて、山々話なんですが、
いくつか紹介したいのがあって、
名前が何とつけていいのかわからないですけど、
ポストークとエヴァノート
スピーカー 1
ポストークっていうサービスを使って、
本を紹介する、ポスターみたいなのを作りたいなということで、
リンクにも貼っておくんですけど、
やっぱりタイムライン型というかね、
情報を並べていく時系列で並べていく方式も、
それはそれで作るの便利で、
買いやすいんですけども、
作る方も買いやすいし見る方も買いやすいと思うんですけど、
情報の一覧性とか関係性というのを示すのが苦手だなというのはずっと思ってまして、
ある種のカタログというよりはチラシみたいな感じのものに表示できたらいいなと思ってて、
ポストークでやるのがいいのかどうかは別として、
プロトタイプを作るのがベストだなと思ったのでやったんですけど、
これ結構案外いいですね、一覧でできるっていうのは。
スピーカー 2
特に紙の本の時はいいですよね。
スピーカー 1
確かにね。
スピーカー 2
表紙って大事ですよね。
スピーカー 1
表紙とタイトルとちょっとしたコメントをつけるだけで、
そのある期間、僕は11月に面白いと思っていますよっていう本を一覧できる。
以前からテキストとかブログの一期地でやろうかなと思ったんですけど、
やっぱり同じような感じではならないんですね、不思議なことに文章で書いたとしても。
こういう形式、文章で表現するのは良いとは良いとしても、
レイアウト的なもので出していくというのもウェブの表現の一つとして、
ちょっと増えていったらいいかなと思って実験的にやった感じですね。
話したい話でいうと、最近エヴァノートが熱いという話。
僕最近メールマガでずっとエヴァの話を書いてるんですけど、
エヴァノートの使い方
スピーカー 1
個人的に今が一番エヴァノートとうまく付き合えてる感じがありまして、
焦りもないですし、野望もないですし、
人に自慢できる使い方は特にしてないんですけど、
だからこそ落ち着いて使えてるという感じがありまして。
今エヴァノートの人気って一番下のぐらいになると思うんですけど、
やっぱりエヴァノートっていいよなっていうのと、
例えばノーションにしたらいいかっていうとやっぱ違うよなという思いがずっとありまして。
スピーカー 2
それは間違いなくそうですよね。
スピーカー 1
エヴァのラフにページを作って並べられてそれなりに操作できるというところが、
できただけでデジタルノートのニーズっていうのが満たせるところがありまして、
それも以前まではノートブックを作り込むとか、
タグを回想整理するっていうことを結構必死にやってたんですけど、
やっぱりそれは違うなということにだいぶ年月がたって気づいて、
気づいた頃にはスクラップボックスをずっと使ってたんで、
エヴァノートとは疎遠やったんですけども、
最近再びエヴァノートを使うようになって、
スクラップボックスで得た発見を同じようにエヴァノートにも適用していくという感じをすると、
グッと使いやすくなったというか、気を言いなく使えるようになったし、
情報の選別眼が磨かれてるので、
これを入れる、これを入れへんとか、入れるにしてもどう入れるのかっていうことが考えられるようになってて、
結構全体的に僕の中でデジタルノートについての理解が深まってきたのかなと思っているところですね。
スピーカー 2
なんか器用はないって結構ポイントですよね。こういうものを使うときの。
スピーカー 1
そうですね。頑張ったらやっぱり負けというか、やらなくていいことまでやってしまうところがあって。
エヴァノートとかってノートブックの数も増やすこともそうですし、
タグを回想化するとかもよくやるんですけど、
例えば人名みたいなのを、まず人名タグみたいな親タグを作って、
その下に人名のタグを並べるとか、
増えてくると今度はその人名を分類するために日本人人名タグとかして、
また親タグが増えていくみたいなことをするんですね。
そしたらすごい綺麗にまとまるんですけど、
これ以前も言ったんですけど、その構造が嫌になったときに変えがたいんですね。
変化できない。変化させようと思ったら膨大なロールがいるということになってしまって。
長い間デジタルツールを使って分かったのは、気が変わるということなんですね。
人の気が変わってしまうということが普通に起こってしまって、
気が変わることにツールの変更がついてこないということがやっぱりあったんで、
使う上では変更可能性、変更容易性をどう担保しておくのかっていうことを気をつければ、
案外長いことツールと付き合っていけるんだろうなと。
で、考えてみると、僕らが使ってるこれってソフトウェアなわけじゃないですか。
でもカチカチの構造はハードストラクチャーなわけじゃないですか。
ソフトウェアの上にハードストラクチャーを構築すると、なんかもったいないというか。
ソフトなストラクチャーで変更可能性のあるストラクチャーで使っていけば、
むしろソフトウェアの力を一番発揮できるんじゃないかなという感じで。
で、やっぱりそのハードなストラクチャーを作らなければならないと感じてるのは人間だけであって、
別にソフトウェア作ってくれとは言ってないですね、別に。
僕らが勝手にその構造を作りたがって作って、で、時間が経ったら使いにくいという打撃を出しているという、
ある種自分勝手なことなんですけど、そこの整理欲求みたいな支配欲求みたいなのを一回捨ててしまうと、
存外にスクラップボックスだけじゃなくて、エバーノートでもワークロリでも案外自由に、
例えば1ヶ月前の自分のワークロリと1ヶ月後の自分のワークロリの使い方がくるっと変わってても何も問題ないみたいな使い方がようやくできるようになってきたかなという感じですね。
スピーカー 2
結局その問題って結局アナログの時代から、例えばファイルボックスをファイルキャビネットをものすごい複雑なシステムを何か作っちゃって、
ノートブックの整理欲求
スピーカー 2
凝りまくった整理をするほど、そういうことをやるほど早く飽きるんですよね。
スピーカー 1
まあそうかもね、確かに。
スピーカー 2
だけど変えられないんですよね。凝りまくるほど変えられなくなるんですね。
で結局嫌になっちゃって破綻するというパターンは昔からあったと思うんですけど、
修正なんですかね、もしくはちゃんと整理したいとか、そういうことを思うタイプの人ほど守備的にそういうことに凝ってしまうというところはありますよね。
ある種のオタク気質というか、支配欲求でもあるんでしょうけど。
スピーカー 1
それをずっと続けられるんであれば一つの趣味として確立はされますけど、そうじゃないとしたら、
情報を使うためにやってるのに整理するのが嫌になるというのは本末転倒感があるので、
だからその支配欲求とか整理欲求みたいなのもやっぱり腹八分目というか、
もっと整理できるけどここまでにしそこうっていう線引きみたいなのがあったほうが、
中長期的にはたぶんうまいこといけるんだろうなという感じですね。
スピーカー 2
そうですよね。だから野口さんの超整理法とその前の山根さんの山根式フクロファイルってね、
たぶんいかに凝らないで整理するかっていう方法なんですよね、両方とも。
たぶん二大有効な方法だと思うんですよね、紙の整理に関しては。
スピーカー 1
そうですね、確かに。
スピーカー 2
たぶん同じ原則はデジタルにも当てはまるんだと思うんですよね、凝りすぎないこと。
でも生地デジタルは凝れるんで。
スピーカー 1
凝れるんですね、それは間違いなく。だからやっぱりそのスクラップボックスの偉いのはそこで、
回想コードを作らないことであって凝る余地をあえて限定していることによって、
もうスラットに使うしかないという諦めの境地に至らせるところがやっぱりすごいなという感じですね。
スピーカー 2
もしかしたらそれ実はツールの大事な機能なのかもしれない。
スピーカー 1
かもしれないですね。
スピーカー 2
凝らせないっていう。
スピーカー 1
やっぱりタグが回想ができるって言われると、回想がしたことになりますからね、これはもう。
スピーカー 2
なんででしょうね。
スピーカー 1
でもやっぱり穴があったら野期待的な感じじゃないですかね。
やっぱり機能があると使える。機能そのものにアホダンスがあるということだと思うんですけど、きっと。
まあそうでしょうね。
あえて設計側がつけないか、使う人間側が自制心を働かせるかのところが多分必要なんでしょうね。
デジタルツールの使い方
スピーカー 1
でもそれができるだけで本当にそのむやみやたらに苦しまなくて済むように今なったかなというところかな。
一番最初はやっぱりエバーノートで全部やろうとして結局失敗したんですけど、結局ある種の支配欲求というか、
一つのツールで達成したいみたいな欲求があったんですけど、それも分化してちょっとマシにはなったんですけど、
それでも整理欲求と構造欲求、適切に収めたい気持ちというのが抜けられなくて、
今例えばエバーノート4つのノートブックしかないんですけど、
メールマガに書きましたが、アルファベットのABCDに並んでるんですけど、
DiaryとBookとCardとArchiveという4つだけで回してるんですけど、
例えば昔の僕はDiaryって書いてるノートブックには、
デイリーノートしか入ってなかったと思うんですよ。絶対に。
だってダイアリーだからみたいな。
今やったら例えば11月の企画案ノートっていうのが入ってるんですね。
これは11月1とか30とか関係なくて、11月投資のノートですし、
あと2023年の目標みたいなのも入ってるんですね。
しづけがらみのものであればオールオッケーみたいな、
非常にラフな感じの整理構造というか、ノートブックの使い方なんですけど、
これを許容するだけでいろんなものがここに入ってくるんですね。
精密さはなくなる代わりに許容度が上がる。
その他のノートブックも、表してるものがなんとなく表現されてるだけであって、
厳密な定義というか、いわゆるGTD的なワークフローを分岐していって、
これみたいな、そういうのではないんですね。
自分の中でアバウトにこれやなと思ったものがそこに入るという使い方で、
これで困るかなと思ったんですけど、困らないんですね、全然。
一件一個一個ちゃんと定まってる方が困らないような気がしますけど、
でもやっぱり困らないんですね、全然。
スピーカー 2
これはなんで困らないかというと、僕がこの情報をどう思うかっていうものの関心によって分類してるから。
スピーカー 1
だからいつ使っても同じ感覚で使うんですよね。
このノートはおそらくここに行くだろうという感覚はぶれないので。
感覚ベース、ロジックベースというよりは感覚ベースでノートブックとかを使うと、
それならうまくいきますし、やっぱり4つしかない。正確に言うと3たす1しかない。
だから忘れようがないんですね。
スピーカー 2
それ大事ですよね。
スピーカー 1
5個があって、5個それぞれ違う役割を持ってる段階で、
もうたぶん4つ目と5つ目の差が分からないってことなんですね、きっと。
でも一時期中、10何個くらい普通にノートブック作ってましたし、
1回アカウントを新しく作って、ゼロから使い始めたときも最初は1個だけって決めてたんですけど、
やがて3個になって、やがて7個になってって言って、増えていくんですね、これ。
これもさっき言った一緒で、自分の中で増やさないっていう逆ルールを決めるというか、
抑止的なルールを決めることで、初めてうまくいく生態系が維持されるという感じがでかい。
使ってるとこれは別の方がいいんじゃないかなって思うときは確かにあるんですよ。
でもそれをそのまま従って増やすとやっぱり使えなくなるんですね、それは時間帯とか。
だからやっぱりこのデジタルの力を最大限発揮させるみたいなものよりは、
自分の人間の認知で扱える程度に収めておくと。
それでも別に情報って探せますし、使えるのがデジタルツールのいいところですから、
最悪全部から検索して見つけたらいいとかいう力技が使えるのがデジタルツールのいいところなんで、
やっぱりそんなに整理にこだわること自体がやっぱりちょっとデジタルツールの使い方ではないんだろうなというのはちょっと思いますね。
スピーカー 2
そうですね、見た目上の構造に凝る必要はおそらくないんですよね。
このノート的なものを扱う限りにおいては。
スピーカー 1
結局だからウェブっていうのがほとんど非構造的というか、ファイルがあってリンクだけがあるという形なわけですから、
それでも別に何も問題なく使えてるわけで、構造に収めたいという僕ら側の欲求があって、
その欲求は結構局所的というか部分的というかある時間的というか、
テンション上がってるときな感じであって、通年的ではない気がしますね。
スピーカー 2
そうですね。何なんでしょうね。何でそう思うんでしょうね。
スピーカー 1
でも物の整理の影響を受けてるからじゃないですかね。
ワークフローリーを今みたいにラフに使えるようになったのもだいぶ経ってからですからね。
やっぱり適切な、それ1位に定まる大項目を立ててっていう、名刺志向というんですか。
そういうのがデフォルトでインストール、脳内にインストールされてる気がしますね。
スピーカー 2
これってあれですかね。普遍的なものなんですかね。
スピーカー 1
文化的なものじゃないですか、きっと。
スピーカー 2
あとこういうことが好きな人の特有のものなのか。
スピーカー 1
傾向としてはあると思いますけど、例えば変な話、日本以外のカルチャー。
例えばその東南アジアの人とかはそこまでこだわらない。
今完全に先入観で問題を申し上げますが、いう気はしますね。
ヨーロッパ的な感じがするかな。だからなんとなく。
西洋的なものですよね。
デジタルツールのデイリーノート意識
スピーカー 1
西洋的な感じがして。で、僕らはそれにどっぷりと使ってるというところじゃないですか、きっと。
スピーカー 2
西洋的というか、近代的というか。
スピーカー 1
そうですね。その両方的なもの。
パソコンもファイルフォルダーは一応そのツリー構造で整理することになってて。
僕らが使ってたパソコンはちゃんとそのフォルダーがないと使えなかったので、
今はスマホはほぼ無視して使えますけど。
染み付いちゃってるんじゃないですかね。デジタルを使う上でもやっぱりちゃんと
1位に定めなければ使えないみたいなのが根強く頭の中にあるんじゃないですかね。
ある種、整理した意欲求と逆らいつつ使っていくのが上手く使える。
でも分けるべきところも分けるという話もありましてですね。
結局、さっきまで言ったように3たす1に分けてますけど、
1個やったらやっぱりちょっとややこしいわけですね。
やっぱ混ざっては困るものはあって、そこは分けた方がいいけど、
細かく分けすぎても使いにくいっていう非常にバランスが難しいところを
維持しなければいけないかなっていうところで。
今ちょうど悩んでる問題がありまして、僕そのエヴァノートに
デイリーノートっていう日々の毎日のノート作って、そこに着想メモとか
走り書きメモ、思いついたことを一行とかフレーズだけで書き留めるってことを
最近エヴァノート上でしてるんですけど。
スピーカー 2
それとは別に毎日のツイッターのつぶやきを
スピーカー 1
IFTTTっていうものを経由でエヴァノートに保存してるんですね。
有料プランなら使える技なんですけども。
それもまた1日ごとにノートがあるので、
僕のダイヤリーノートブックには1月9日のノートっていうのと
1月9日のツイートをまとめたノートが2つあるんですよ。
役割的には一緒じゃないですか。
一時期だから別に作るんじゃなくて、一つにまとめようかなとちょっと思ったんですよ。
自分の着想メモを書き付けるのとツイートしたのが同じところに保存されると。
すごい便利そうなんですけど、性質がやっぱり違うんですよね。
ツイートってどうしたって外向けの言葉、他者に向けて放たれた言葉で
着想メモっていうのは自分に向けた言葉なので、
頭の中のフレーズを書き留めただけのものなので
性質が、種類が違うし、種類が違うってことは読むときの心構えというか
脳のモードが違うというか、文字に接したときの。
だから同じノートにやるとやっぱり気持ち悪かったんですよ、まとめてみると。
だから僕はそこのダイアリーノートブックには
情報整理ツールの設計と利用
スピーカー 1
同じ日付の別のタイトルのノートが1個ずつあって、それを分かれてるんですね。
合理的に一つにまとめたらいいっていうもんでもないし、
難しいところなんですよ。
実際にやって確かめてるしかないというところなんですけど。
そういうことを確かめながら今ちょっとずつエヴァノートを使っているというところですね。
スピーカー 2
これカードとアーカイブって迷いません?
スピーカー 1
迷わないんですけど、
迷いはしませんけど、今どうしようか考えているものがあります。
つまりカードって自分が思いついたものを文章化したもの。
いわゆる情報カード的に書くものも入ってますし、
あとウェブクリップもそこに入ってるんですね。
あれも僕の中ではカード的なんで。
でもウェブクリップって、
情報カードボックスの中に雑誌の切り抜きが入ってるみたいなもんなんですよ、言ってしまえば。
スピーカー 2
そうですね、イメージとしては。
それいらんのちゃうかなと思って。
スピーカー 1
いや、どうでしょうね。
例えばウェブクリップするじゃないですか、何か。
おそらくしたってことは僕の中に引っかかる何かがあったからウェブクリップわざわざしたわけね。
それを文章化してカードとして保存しておけばいいのではないかと。
ウェブクリップそのものはアーカイブに送ればいいんじゃないかなというふうに考えてます。
だから本体はアーカイブにあって、自分からその経由で思いついたものをリンクにして残しておいて、
そのカードの方にしておけばいいのではないかなと、今ジャッジメント中なんですけど。
そんな感じで、迷います。
判断、ジャッジメントの基準を変えることはありますけど、
でも変えてもカードのノートブックからウェブクリップっていうタグが付いてるものを選んで、
全部アーカイブに送るだけなんで。
その大きな構造的変更は不要になってますね。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
ウェブクリップもでも物によって性質が違うんでしょうね。
なんか引っかかったっていうレベルだけのものと、
スピーカー 1
具体的にこれをここに使おうっていうイメージがあるのでは多分違うんでしょうね、位置づけが。
だからイメージとしてカードっていうノートブックを開いたときに、
ぶだっと頭から見ていって、自分なりのインスピレーションが活性化するかどうかっていうところを基準にしたいので、
その時にやっぱり、もちろんウェブクリップそのものがあることによって起きるアレもあるでしょうけど、
むしろその基準を読んで自分が何を考えたのほうが並んでたほうが良いのかなというところを現在模索しているところで、
こんなの変わっていいと思うんで、変えやすいように作ってるんで、
だからまた来月ぐらいには違うこと言わせるかもしれませんけど、
スピーカー 2
そういう感じで変化を受け入れながら使いやすいことを意識している感じですね。
同じ理論でブックのところに本のデータが入ってるんですけど、これもアンカイブでいいんじゃないかなって最近思ってて。
スピーカー 1
考え方もありますよね。
そうするとこのブックっていうノートブックそのものがちょっと別の名前になりかねませんが。
ダイアリーはやっぱり明白だと思うんですけど、
スピーカー 1
これは明らかに明白ですね。
スピーカー 2
ブック、カード、アーカイブはちょっと流動的ですよね。
スピーカー 1
そうですね。変わっていくかもしれませんけど、変わっていっても特に整理してるわけじゃなくて、
大きいカードケースをインデックスで仕切り版で仕切ってるぐらいの感じなので、
別にそれをごそっと入れ替えたら済むっていうだけのことなので、整理構造を作ってないから変えたくなったら変える。
ただしダイアリーが変わることはおそらくはないかなという感じですね。
やっぱり整理構造の中でデイリースラッシュダイアリーはかなり強固ですね。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
これをベースにする考え方は普通に必要というか、
手帳を使ってる人はほぼ自然的にそうなってるはずですけど、紙の手帳を使ってる人は。
デジタルの場合そうなってないことが多いので、自分で使わないとそうならない場合があるので、
そこをデジタルツールで使う場合はちょっとデイリー意識した方が使いやすくなるんじゃないかなと思いますね。
スピーカー 2
面白いもので、デジタルツールを使えるようになったときに、
これからはもっとデイリーよりも広い範囲で試行ができるという、そういう期待があったんですよね。
紙だからしょうがなく日付単位でやってたけど、
デジタルだからもっと広くものを見られるんじゃないかという期待がみんな何となくあった気がするんですけど、
でもそういうもんじゃなかったっていうことですよね。
スピーカー 1
人間の脳が結局それを追いつかないということやと思いますけどね。
情報自体はもちろんデジタルで無細心に扱えますけど、
そもそも例えば1つのディスプレイに表示できる文字の数が限界があって、
人間が読める手サイズの文字っていうの限界がありますし、
例えば7つぐらい情報が同時に並んでいると、並列的に処理するのがまず無理になってくるので、
例えばワークフローリーを使えば、本当に全ての情報をかき寝なしに並べることはできますけど、
まあやっぱり混乱してくるので。
スピーカー 2
あとやっぱり日々の中を生きてるわけですからね。
スピーカー 1
そうですね。結局僕らは日々の中に1日っていう枠組みの中で生きてて、
人が一瞬で考えられる対象っていうのは非常に限定的で、
その制約をサポートするために様々なツールっていうのはあるわけですけど、
サポートをしているだけであって、脳の能力そのものを改変しているわけではないので、
だからそれを埋まるものを言われても困る。
だからこそ最近の生成AIがすごいのはそこなんですね。
僕らの処理を返さない。人間に処理してもらわなくてデータを吐き出すところが多分彼らのすごいところで。
そうですね。
だから情報整理ツールを自分で使う情報整理ツールの場合は、
シンプルさと機能性のバランス
スピーカー 1
やっぱり自分の認知のフレームに沿った枠内でやっていけば十分で、
それ以上求めるのやったら本当にもう間にAIに入ってもらって、
僕がこれまでに考えてきたメモについてのメモ書きの要約を出してくれみたいなことして、
使うっていうのが初めてできるんじゃないですか、きっと。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
そういう感じで、エバーノットとワークフローリーも結構グラットというか、自由というか、
変な話で非構造的と言ったって構造がそこにはあるのはあるんで、
何と言ったらいいか。先ほど言ったソフトかな。
ソフトなストラクチャーを併用しながら使えるようになってきた。
これは一つ大きなデジタルノート論として提出できそうな話ですけども。
スピーカー 2
本当これ至高のOSだなと思います。
スピーカー 1
そうですね、確かにね。
スピーカー 2
この場合はもうエバーノットが至高のOSとして機能している。
エバーノットの上にどういう仕組みを作るかっていうときに、
例えば普通のコンピューターの上で使うアプリを開発するときに、
やっぱり機能がどんどん肥大化して膨れ上がっていって、
使えなくなるみたいなものがあるじゃないですか。
スピーカー 1
それと同じ現象が至高のOSの上でも起きますよね。
スピーカー 2
実は本当に使いやすいツールは、
極めて機能が少なくシンプルなものだったみたいなことが、
スピーカー 1
同じ現象が起きるわけですよね。
そう、だから変な話。
NOは変わってないわけですから。
10年前のMacに最新のMac OSを走らせているようなことになるわけですね。
その機能をどんどんアップデートしていくということは。
昔のMacで使えるOSにし続けない。
NOが変わってない以上、そうせないとダメだというところで。
テクノロジーの進歩が好きな人にとっては物足りないでしょうけど、
やっぱり自分らのNOが扱えるものに留めておくということを思っておく。
紙のツールの場合は、そもそもそんなことは無理なわけですから。
むしろNOを超えるアップデートはそもそもできませんけど、
デジタルはできちゃうからこそ、使う側とか設計側が抑制的に。
例えば、ヘルプを見ないと何かができないってもうダメだと思うんですよね。
スピーカー 2
こういうツールにおいては。
スピーカー 1
それはツール側の設計ですけど、自分がそのツールに作る上に作る
飛行のOSでもやっぱり一緒なんですよね。
自分がカテゴリーを作って、そのカテゴリーの説明を見ないと
そのカテゴリーが何を意味しているのかわからないみたいなことがあったら、
これはもう破綻しかかりだと思うので。
だから全くゼロでもなく、かといって強い構造でもない間で
それなりに使っていくという、あんまり迫力のある提言ではないですけど、
リアルな話じゃないですかね。
スピーカー 2
リアルですよね。
見た目のシンプルさとは裏腹に、そういうものを作るのって結構な
試行錯誤が必要なわけじゃないですか。
スピーカー 1
いりますね。いると思います。
スピーカー 2
それと同じで、最低限の機能なんだけどすごく使いやすいとか、
今のワークフローとか、マイクなんかもそうですけど、
そういうものを設計して実装するのって、
決して簡単なわけじゃないじゃないですか。
巨大ゾフトよりそういうものが簡単かというと、そうじゃないですよね。
スピーカー 1
だから、コストでいうともちろんスペック、ハイパワーのほうがかかってますけど、
それとは違う何かがありますよね。
そういうのを維持するのは、そういう最低限に留めておくには、
思想とか哲学とか理性みたいなものによって、
求めているものにとって必要なものと必要じゃないものを切り分ける
思考が欠かせないでしょうね。
スピーカー 2
あとどう割るべきかっていう哲学みたいなものが。
スピーカー 1
それはもうやっぱり、それがなしには成立しないと思いますね、きっとね。
自分自身ですら、さっきも言ったように、
気がつくとノートブックを増やしたくなっているんですからね。
本当にそうなんですよ。
だから、やっぱり4つこれ以上増やさないって決めてたのが良かったですね。
スピーカー 2
そうですね。そうなんでしょうね。
スピーカー 1
そうやって納まらないものが、ノートブックが納まらないものが出てきたときも、
アバウトなノートブックの分類であれば、
簡単に言うと解釈次第でどこかには収まるわけですよね、結局。
耳づけがこれはこうやから、俺にとってはカードだからカード、
みたいなことを言ってしまえば成立するわけで。
そういう姿勢ってあんまり成立には良くないと思われるかもしれませんけど、
むしろ自分の沸き上がってくる命令に従っていると、
どんどんノートブックとタグが増えていって、管理できなくなってくるんで。
スピーカー 2
だからその場合も、自分にとってカードというのが何かっていうのが、
自分の中でクリアになっていれば良いわけですよね、そこは。
スピーカー 1
そして逆に言うと、問うときにクリアになるんじゃないですかね、初めて。
スピーカー 2
そうそうそうですね。
スピーカー 1
だから無作為にやっていると、それぞれが何かを自分で吟味しないままに
ノートブックとかが増えていくから、多分問題ないじゃないですかね。
スピーカー 2
そうだね。
スピーカー 1
毎回問うことになるじゃないですか。
カードとは何かっていうことと、このカードノートブックに何を期待しているのか。
これを開いたときにどういうふうに使えたらいいのかっていうのを
常に問うことで、そこの中身をアップデートしていっている。
だから、あずまさん風に言えば訂正していっているわけですね。
常にノートブックの使い方というか、ノートの定義そのものを
訂正しながら使い続けていくということなので。
これが多分一番使いやすい方ですね。
ノーションの使いやすいテンプレートを作りましたみたいな話とは
程遠いぐらい地味な話ですけど。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
でもこういうのが地に足のついたデジタルノートブックの使い方かなというところで。
スピーカー 2
そこで面白いのが、何年か前にすごく複雑な使い方をしていたことが
無駄だったかというとそうではないわけですね。
スピーカー 1
それは間違いなくそうですね。
これから始める人に同じ無駄なことはしてほしくないとは思いつつも。
思いつつもというか、昔は思ってたんですね。
昔は思ってたからあれなんですけど。
今例えばこの4つのノートブックにしましょうと。
なんせ僕たちの認知は限られてるんですからっていう使い方を提唱したとするじゃないですか。
でもね、やっぱり人は増やすと思うんですよ。
スピーカー 2
思いますもんね。
スピーカー 1
増やした後にうーんってなって、
ああそういえばあんなこと言ってたなっていう風に理解されたらいいんじゃないかなと。
スピーカー 2
こういうことか。
スピーカー 1
だから人は結局逸脱するんじゃないですかね、そこは。
だからやっぱりこっちがどんだけ遠回りさせるところを配慮したとしても、
人はやっぱり遠回りしてしまうしそこで学ぶことがあるんで、
僕としては言える最善のことを言っていけばいいんじゃないかなという感じかな。
あるいは考えの育て方っていう本のように、
自分が遠回りしてきた経験そのものをエッセイの形で伝えることで、
何か訴えかけるものがあるのかもしれませんけど、
僕みたいな天邪鬼な人は4つだけにしなさいって言われたら逆に増やしたくなるよっていうタイプもいるでしょうし。
受け取り方は人それぞれですね。
スピーカー 2
まあでもその過去はこうだったけど今こうなってるんですよ。
なぜならばこういう経緯があってっていうのってまさに、
それこそ東さんのいう訂正じゃないですかね。
スピーカー 1
まあそうですよね、確かに。
訂正可能性の哲学は、
かつてどこかでこうあってでも訂正されてきたというヒストリーを示すということでもある。
スピーカー 2
ヒストリーごと示すことが結構大事じゃないかなと思うんですよね。
スピーカー 1
確かにそう思うよな。
そういう意味でああいう感じのノウハウ本が増えた方が長期的には有益だし、
自分で言うのもなんですけど読み物として面白いので。
まあそれ難しい。
でも現代の場合4つのノートブックでうまくいくみたいなビジネスショーが出がちじゃないですか。
出がちですね。
そういう本と素直な人が出会うと結構不幸な話になるんですけど。
スピーカー 2
これだったら4つのノートブックでうまくいくABCDなんとか見せられるそうですよね。
ABCDになってますもんね。
スピーカー 1
話をまとめるのは確かにそういうフレームワークで整理した方が単純ですし、
受け取る方も情報量で言うとエッセイ読むのも3分の1ぐらいで済むと思うのでコスパはいいんですけど。
結局でもなぜそうなっているのかというところがわからないと、
最終的に応用ができないというところがあるのかな。
スピーカー 2
確実にこの4つにするんですよという情報だけを受け取ると多分確実に、
よし俺流にもっと改良してやろうと思ってもっと増えていくんですよね。
スピーカー 1
そうかそうか。ABCDは足りひんからEとかFがあればより完璧なものになるみたいな感じになるわけですね。
スピーカー 2
なると思いますよね。自分だったら多分そうなると思うんですよね。
スピーカー 1
そうやって基本的に増やして破綻して学ぶというのが人の学びの道かな。
そういうのは別にいいんですけど、例えばCはカードやからカードしっかり入れたらあかんとか、
あるいはこれはカードなんだろうかどうなんだろうかってすごい悩むとかってのはノウハウのあり方としては間違ってるなという気がするので。
ノートブックの作り方というよりもそのノートブックがどんな考えで作られているのかという情報の方が価値はありそうですね。
スピーカー 2
そうですね。
スピーカー 1
ネバーノートについては結構原始的というか、思いついたことを一つの、その日やって思いついたことをその日のノートに書くっていうのが、
すごい懐かしいというか、昔ポケットにミニノートとか入れてた時の感じに近いんですけど。
で、やっぱり一時期、ファストエヴァという紙アプリがあったわけで、1着想、1ノートになってたんですね。
で、それはなんかカードフォーテの理念にも沿ってるような気がするんですよ。1着想、1ノートとして残っていたら。
結局全く使えなかったんですけど。
1ノートの中にその日の着想を複数まとめることは何がいいかというと、新しいのを書き留めるたびに少し前に書いたことを見返すんですよね。
で、やっぱりファストエヴァは便利すぎた上にそれがなくなってたんですね。
常に新規画面を送る終了みたいな、もうある種の効率化の最上級みたいな、最高峰みたいなことになってたわけですけど。
結局、かつての紙のノートをペラペラ書き込むときに、昔のノートがパラッと目に入ってたような出会いが喪失してたんですけど。
いろんなエヴァノートをあんまり使わなくなって以来、例えばワークフローリーにメモするとか、いろいろ試したんですけど。
結局全部一緒なんですね。書き留めることだけをして終わってしまう。
ワークフローリーもそのときはデイリーごとに分けてなくて、いわゆるインボックスみたいなところに思いついたことを書き留めるとしてたんですけど。
そうなるとめっちゃ量が増えるんですよ。こうなると逆に人は見なくなるんですね、やっぱり。
日ごとに区切ると、そんなに量が多くないから、ちょっと読み返す気持ちになりやすい。
で、実際読み返すっていうことが起きてて。だから、やっぱりアナログ的な感覚を引きずってますけど、
アナログが人間の認知に扱えるような情報を扱ってたからでしょうね、きっとね。
スピーカー 2
そうだし、デジタルだから完全にアナログ的なものを排除していったら、単なるデータ処理になっちゃうわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。そりゃそうだね。
だから、その辺でうまいこと塩梅がついてきたかなと。
だから今はエバーノートに走り書きメモだけして、カードにしたいものはスクラップボックスに書きますし、ツイートした方はツイートしますし、
これ前考えたのと近いのあったなーみたいなのを思い出したら、それらを抜き出してワークローリーに転記するみたいなことをしてまして、
全部全然一元化できてなくて、エバーノート中継地点なんですけど、でも一番いい使い方に至った感じがありますね。
鉛筆を使った読書方法
スピーカー 1
デジタルツール話で、最近たくさん新しくツール使い始めたとかってあります?
スピーカー 2
最近はですね、鉛筆。鉛筆とダーマトグラフ。
スピーカー 1
書いている対象はノートですか?紙?
スピーカー 2
紙、まず紙の本を読むときに、ダーマトグラフで黄色いやつで線を引くようになった。
大昔やっていたのをまた始めたんですけど、なんか心理的に引きやすいんですよね。
インクじゃないから引きやすい。心理的に抵抗がないというか。
あと、あんまり大事なところだけ引こうというふうに考えないで、かなり大量に引くんですね。
なんかすごく感覚的に読みやすくなったというか、集中して読めるようになったような気がしますね。
この線を引っ張ろうとすると、ポイントって結局その場で読んでてもわからないんで、このあたりが大事そうっていうのをかなり長く引くことが多いんですけど、
一応全てに引いても意味がないんで、まあ選ぶじゃないですか、引く場所を。
じゃあどこに引くのがいいのかなって考えようとすると、結局よく読まなきゃいけないんですよね。
読み流しちゃった後で、一番わかりやすいのは読み流しちゃった後の方で、なので先ほどとは逆に何とかで何とかでって書いてあったとするじゃないですか。
そこがすごく興味深いと思ったときに、あれ先ほどとは逆で先ほどって何だっけって戻るわけですね。
で、先ほどってよく見たら飛ばしちゃってたけどここも大事だなと思って、そこにも引いてみたいな、本を読み流さなくなったと。
スピーカー 1
はいはい、わかりますわかります。
それ以前もそういう読み方を紙の資料とかではすごくそれやってたんですね。
スピーカー 2
でも本に線を引くっていうのはどうしても抵抗ができなくて。
スピーカー 1
わかります。
スピーカー 2
で、それが鉛筆で書き込みをするのとダーマドグラフで線を引くっていうのだと、消せないから同じなんですけど、なんとなくインクじゃないから抵抗が少ないっていうところがあって。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
っていうのでずいぶん日常的に変わりましたね、本の読み方とか。
で、そこで鉛筆を使うようになったんで逆にメモとかも鉛筆を使うようになっちゃって。
Evernoteの使い方
スピーカー 1
なんか最近すごくインクが排除されてる。
2つまず疑問があるんですけど、読書の方から言うと線を引いたものって後で処理とかされるんですかね。
スピーカー 2
いや、別に決めてないですね。
スピーカー 1
することもあるし。
スピーカー 2
するときにはその黄色い線を引いたところを後からもう1回読み直したりもするし、黄色い線を引いたところの中でさらに赤いやつでキーワードをマークしたりすることもあるし。
まだそれ変わるかもしれないですけど、機械的にこれを全部後からキーボードで入力してみたいなことは絶対やらないようにする。
やりたくなっちゃうんですけど、やらないです。
スピーカー 1
鉛筆を何で削ってます?
スピーカー 2
鉛筆、普通の小さいカリカリカリという。
スピーカー 1
鉛筆削り、小さい大型で売ってるやつですね。
スピーカー 2
最近鉛筆は確かに使ってないな。
これは別にシャーペンでも全然いいんですけど、なんとなく先祖返り的に今はちょっと鉛筆になってるっていう感じですね。
スピーカー 1
本に線を引くのは、例えば教科書に線を引く勉強法は効果がないみたいな研究結果があるらしいんですね。
線を引いただけで、自分がそれを覚えたと思ってしまう。全然覚えてないのにみたいな、そういう安心感を生んでしまうからっていうことだと思うんですけど、
本を読むときに線を引くというのは僕は結構重視しておりまして、さっきも言われたように、線を引くためにはどうしてもそこに注意を向けなければならない。
絶対もう一回読むんですよ、そこを。
そんなに効率の良い採得の方法は全然なくて、人の注意ってなかなかコントロールできないんですけど、
呼吸と一緒ですね。呼吸って唯一自分の神経の中でコントロールできるものなんですけど、線を引くことで最初に注意を向けるっていうのが非常に安価な方法で。
例えばその線を引いたものを後でどうするかというと、別にどうしなくてもいいというか、線を引いただけでちょっと2回か3回読んでるんで、それで全然利益があるというか、ベリフィットがあるというか。
でも読み返すときに線が引いてると邪魔やという人もいるんですよね。今の自分が重要と思っている感覚とそこの書き換えた線の重要な感覚が合わないから気持ち悪いっていう人もいるんですけど、
でもやっぱりその差異がわかるっていうのは僕は重要なことで。今の自分はこれが重要だと思わないんだなっていう発見も一つの発見だと思うんで。
だから基本的にはお勧めしたいですね。でもやっぱりその神の本に線を引くっていう、ある種道徳的な背徳が生まれてしまうこともあるらしいんですけど。
でもやっぱり知的生産っていうものをもし心出すんであれば、やっぱりそれはちょっとやった方が個人的にはいいかなと思いますね。
スピーカー 2
やっぱりちゃんと読めるようになる感覚は間違いなくありますね。
ありますね。
ただ引っ張ったからその引っ張ったとこ覚えてるかっていうと全然そうじゃなくて、ただ引っ張るためによく読むようになるっていう。
そうですね。
他は間違いなくあると思いますね。
スピーカー 1
それぐらい人間で結構流し読みしちゃうものなのでね、やっぱり。
だからそう、役立たさないは別に線引くっていうのがいいのとと同様の問題で、Kindleのハイライト。
Kindleはペン持たなくても指だけでハイライトつけられるんですね。これはもう僕の中では革命的なんですけど、線引くの好き派としてはね。
やっぱりそのハイライトつける時でもやっぱりそのタッチ箇所を結構精緻にやらなあかんので、その部分に迷惑入れるんですけど、先ほどのデジタルの話と一緒でね、ハイライトしたらAmazonのサーバーに送られて、あとページで一覧できるようになるんですけど、
なんかそれを活用しないとまずいという、なんかもったいないことするみたいな謎の罪悪感に襲われるんですけど。
例えば読みながらハイライトしてハイライトしたものがサーバーに行って、それをコピーして自分のノートネームツールに移動させたとして、そんなに役を立たないんですね。
特定の部分を読み返した時にハイライトがついてて、それを転記するとかはいいんですけど、やっぱりさっき言われたように機械的にやっても、
自分の覚えてるとか重要とかというか、あんまり関係なしにハイライトされてるんで、そういうのでノートツールに取り込み始めると、
スピーカー 2
結局特に読んでもいないウェブクリップが増えて、エバーノートに増えていくみたいなと同じような状況になりますね、あれは。
だからハイライトも紙の本の線も引くという行為に意味があるような。
スピーカー 1
だからそこで読み返してるんだったらもうそれで十分やしっていう、それ以上の効率性というか実効性っていうのを求めてしまうと過剰というんではないですけど、
何か作業のための作業みたいなのが生まれてまいりますね、これは。
たしかにそうですね。
まあこの辺のティップは難しいのと、やっぱり図書館で本借りてる人は線引けないから、ここはだいぶ差があるんですけど。
スピーカー 2
いやそうなんですよ、だからその図書館で借りた本、それをやり始めてから図書館で借りた本を読むのにすごいストレスがたまるよね。
スピーカー 1
だから僕、本に線を引くようになってからやっぱり図書館は利用できなくなりましたね。
あまりにも高価で入手できないけど、参考文献に載せるからみたいなものは図書館とかに行きますけど、
そうじゃないものは高価でもやっぱり買わないと、さっき言ったように落ち着かない、読みづらいんでどうしても。
そうですよね。あとスキャンして紙なり、PDFなりにしてそこで線を引く。
でもそこまで多分しないと思うんで。
だから日常的な本はフル音であっても新刊であってもどっちでもいいんですけど、
僕の中で何段階かって、線引くが間で、文字をコメントを書くがハイヤー、ローがドックイヤー、そのページの箸をっていう。
それぞれ違うんですけど、結局どれも持ってる本でできないので。
だから本をうまく使いたいんだったら、できれば変えたほうが好ましい。
スピーカー 2
そうじゃなかったら、蓄一メモ取りながら読むしかないっていう感じですね。
この間、図書館で借りた本にすっごい書き込みと線が引かれてる本があったんですよ。図書館の本に。
これだけちゃんと本を読む人が図書館の本をこういうふうに扱うっていうのが結構衝撃的ですね。
でもそれ、寄贈されたってことはないですか?誰かの蔵書が。
逆にそういう本を寄贈されたら、どうなんでしょうね。
でも返却されてそうなってたら、どうなんだろうな。
スピーカー 1
中身チェックして。
スピーカー 2
チェックしますよね。
スピーカー 1
だからもう前提なんじゃないですかね。わからない、何とも言い方ですが。
でも本に書き込みをしなさいっていうルールはたぶん本を借りるときに言われないから。
どこかで学ぶ必要があるのかもしれないけど。
スピーカー 2
そうですよね。
でもあれか。
なに入っていた本だったから、もしかしたら誰かが借りない状態で線引いたのか。
でもそれじゃ意味ないんですよね。よくわかんないけど。
スピーカー 1
そうですね。そのへんも難しいとこですけども。
線を引くという行為、これは別に本だけじゃなくて、
さっき言ったように資料でも論文でも何でもかんでも。
スピーカー 2
できればウェブページでも線を引きたいところですが。
スピーカー 1
注意のコントロールとしての線引きみたいな。
これも結局人間のある信頼感覚に根差した情報処理の仕方ですね。
そうですね。
インプットっていう言葉が通用性なのも結局そういうところがあるからですね。
読んだら、はい入りましたと言わなきゃいけないというのが難しいところで。
それこそどこにどう線を引くかっていうのはすでにアウトプットの要素が含まれているわけですね。
選択してるわけですからね。
逆に機械的に引いてしまうとアウトプット感はなくなるかな。
頭を使って線を引くことが多分関与。
例えば知らないこういう名詞が出てきたらとりあえず引くみたいな引き方もあるわけじゃないですか。
そういうのは多分意味がないとは言いませんけど、意味は薄そうな気がしますね。
うちの父がそうでしたね。
スピーカー 2
知らない言葉とか難しい言葉に鉛筆で丸印がついてるんですよ。
スピーカー 1
それは後で調べて貼るんですかね。
スピーカー 2
わかんないです。あんまり調べてるのを見たことはないんですけど。
でも丸印したら一回目に止まるから、次見たときにあれこれ見たぞって思いやすくなるのはあるでしょうね、きっと。
スピーカー 1
鉛筆はでも最近使ってる。
最近僕、その吹っ切り言うとフリクションボールペンをめちゃめちゃ久しぶりに使いまして。
出た当時は結構喜んで使ってたんですけど、あるとき消すことないなって思ったのと、
インクが結構早くなくなるんですよね、一本のボールペンに対して。
ちょっとコスパ悪いなって思って使ってなかったんですけど、
最近はその他のユニボールワンとかをよく使ってるんですけど、
ファイナルベントさんかな、フリクション書き文字がいいから使ってるって言って、
たまたまコンビニでノートとペン買う機会があったのでフリクション屋なんですけど、
書き文字がいいなっていうのを発見したんで、
新しく書いてるノートはフリクションで使ってますね。
全く消してないですけど。
スピーカー 2
ちょっと独特の書き味ですよね。
そうですね。
普通のボールペンとちょっと違うんですよね。
スピーカー 1
その感じが逆にいいなという、ぬるぬるでもツルツルでもない感じがあって、
画角対象をちょっと選びますけど、
やっぱり自分の先入観とかで、
選択肢を自分で狭めてしまっているところはやっぱりあったなというのをちょっと思った。
やっぱりたまに人の言ってることにそのまま乗っかるノリで、
自分の経験を広げていくということが大切だなと思ったっていう話ですね。
スピーカー 2
なるほど、なるほど。
スピーカー 1
アナログ、アナログノート。
スピーカー 2
最近、はい。
どうぞ。
読書日記と紙のノート
スピーカー 1
読書。
読書を先、よく読むために、ペンを引くとよく読めるようになったっていう話だけど、
結構僕、読書日記というのかな、
メモというんじゃないですけど、
読書日記を紙のノートをつけながら読むように最近し始めまして。
最近って言っても、
3月かな、今年の3月からかな。
で、一つ言うと全ての本に対してやってるわけじゃなくて、
ちょっとこれは手強いなみたいな感じの本に出会ったときに、
一つの章とかセクションごとに、
まず1日にそんなに高速で読まないと決めるんですね。
僕結構読み出したらガーって読み切る方なんですけど、
難しそうな本のときは、
1セクションごと読もうとか、1章ずつ読もう。
毎日1章ずつ読もうっていう感じにして、
その日読んだ分を自分なりの紙のノートに、
しかも万年筆でまとめながら書くっていう、
ゆっくり読むことをしてるんですけど、
やっぱり、すごく平たく言うと理解度の深まりが違いますね。
ひどく時間がかかりますけど、
1日で読むと、
たぶん脳の中で記憶の情報整理されるときに、
たぶんすげー圧縮されてると思うんですよ。
でもその分割して読むことで、
やっぱりその章ごとの内容が頭に残っていくし、
自分なりの言葉でまとめ直すことで、
さらに理解度が深まるということで、
アナログとデジタルの使い分け
スピーカー 1
とても読んでる本全部にそんなことはできないんですけど、
いくつかの本、
主にはいわわなび文庫的な本ですね、要するに。
そういう速度感と道具の使い方で読むようになりましたね。
やっぱ違います?
頭に残る感触とかがだいぶ違いますね。
やっぱり普段読んでるときは、
スピーカー 2
だいぶすっ飛ばして読んでないなっていうのを逆に分かるというか。
スピーカー 1
確かに。
そうですね。
でも本当にこの忙しい中で全ての本にはできないんで、
取捨選択というか、
いくつかの本についてはそういう読み方をする。
スピーカー 2
本の読み方の引き出しが増えたみたいな感じですかね。
スピーカー 1
なるほど。
だからアナログもデジタルも両方は使っていって、
基本的にデジタルは作業量の多い作業的な高速時間が求められるものをして、
アナログはもう少し低速なゆっくりとした、
頭を使うものっていう使い分けが生まれつつあるなと。
一周回ってのハイブリッドみたいなところになってるかなっていうところですね。
スピーカー 2
一周回って。
そうですね。
スピーカー 1
やっぱり僕はハイブリッドっていうキーワードでいくつか本が書いてますけど、
その時代のハイブリッドはデジタルのデジタル性っていうのをそこまでつかめてないままに、
デジタルとアナログのハイブリッドって言ってたところがあるんですけど、
今はもうちょっと深い構造で捉えてるかなという感じかな。
なんて言ったんや。
デジタルとアナログの世代の違い
スピーカー 1
昔はデジタルとアナログを両方使うと便利ですよねみたいな話やったんですよ。
スピーカー 2
でもアナログは便利じゃなくてもいいじゃないですかみたいなことを言えるよねみたいな感じかな。
なんか倉下さんは多分世代、年代の割にはアナログよりなんですよね。
多分昔からアナログ、デジタルの使い方もアナログっぽい印象はありましたけどね、昔から。
スピーカー 1
まだギリギリの世代かな。
僕、前回言ったか忘れましたけど、ワープロ専用機を中学生ぐらいに持ってたんですけど、
でも僕だけでしたからね、そんなの持ってた。
スピーカー 2
まあそうでしょうね。
スピーカー 1
だからやっぱりまだちょっとアナログ感が強い世代やと思いますけどね。
だからそんな。
スピーカー 2
そうでしょうね。
スピーカー 1
ベックさんは僕よりもうちょっと若いですけど、ベックさんごろになるともっとデジタル感があるんじゃないですかね、きっと。
スピーカー 2
まあそうですよね。
やっぱりWindows95以降にそういうものに触れた人とそうでない人の間にはやっぱり明らかに差がある感じがしますね。
スピーカー 1
あると思いますね。
ライフハックで言うとRSSを知ってる人が知ってないみたいな線の引き方があるんですけど、もっと現象的に違いがあります。
そうですね。
書く行為の感覚と編集の重要性
スピーカー 2
そうですね。
手書きから、その手書きからワープロとかパソコンに触れて、
要するに編集したり修正したりできるようになることの感動を味わった世代と、それが当たり前だった世代と、それに馴染めなかった世代というのがいろいろあるわけですよね。
スピーカー 1
そうですね。だからでもやっぱりデジタルの利便性に感動をしつつも、でもやっぱり常にアナログの完全な上位互換ではないというのは多分皆さん感じておられたと思います、その時代。
そこは残ってるんじゃないですかね、今にも続いてるのは。
スピーカー 2
そうですね。
その辺はね、すごい今たくさん80年代の作家とかがワープロについて何を言っていたのかっていうのを集めてるんですけど。
はい。
面白いですよ。全然デジタルじゃないですよ。
スピーカー 1
そうだな。
いやでも、デジタルに、文章書き、文章を書くという行為自体がデジタルじゃないというか、やっぱり身体感覚抜きにはできない仕事なので、
プログラマーと対比できるかどうかわかりませんけど、文章書きは手で書いた時の感覚、フィーリングっていうものの価値は最後まで守り続ける人たちじゃないですかね、きっと。
スピーカー 2
あとやっぱりその編集に対する感覚が遂行なんですよ。
スピーカー 1
なるほど。
スピーカー 2
ワープロは編集機能便利ですよって、ワープロ派の人も言うわけですよね、80年代の。
80年代ってワープロなんかで小説が書けるかっていう大文学者の人とかもいたりした時代に、いやいや全然これからワープロですよっていう人たちもいたわけですよ。
はい。
でもその人たちがワープロいいですよって、遂行がいくらでもできますっていう。
スピーカー 1
なるほどなるほど。
スピーカー 2
その編集機能を評価しているように見えるんだけれども、多分ニュアンスがかなり違うんですよね、今思う編集。
エディットする、要するに切ったり貼ったりして入れ替えちゃったり、それこそアウトラインを組み替えたりするような意味での編集とは随分多分ニュアンスが違うんですよね。
遂行。
スピーカー 1
やっぱその時代は、例えば文章の細かい部品だけ先に書いといて、後で入れ替えて話の筋を通すみたいなのは、やっぱどっちかっていうとラディカルというか、かなり根本的な違う考え方の位置にあったでしょうね、きっと。
スピーカー 2
あったと思うし、もっと言ってしまうと、もうストレートにそんなことをしちゃいけないっていう人もいたんですよね。そんなものは文章じゃないと。
スピーカー 1
そうか。
スピーカー 2
そんなことをし始めたらおしまいだ、みたいな。
スピーカー 1
それはある意味正しいのかもしれませんけど。
考えの生成と主体性の問題
スピーカー 2
そうかもしれないですよ。だから文体が変わる変わらないみたいな議論があるんですけど。
あるんですね。
もちろん変わると思うんですけど。それ以前に、書くという行為の何たるかと、要するに一続きのものとして、頭から出てきたものを原稿用紙に刻みつけるのであると。
それを切り張りして組み替えるなんて、そんな悪くらいの感じですよね。
誤魔化しであると。
スピーカー 1
ああ、そうか。語りを語りのまま出すことが作家としての仕事であって。
スピーカー 2
例えばですね。もちろん言葉はその通りじゃないですけど。ぐらいに考えてる人もいたわけですよね。
スピーカー 1
でも多分その時代の映画作成って普通にエディットされてましたよね。絶対に。
スピーカー 2
さて、ゴダールなんてそれこそ完全なアナログのフィルムをハサミで切ってたわけですから。
スピーカー 1
そういうのもその人たちが見たら冒涜的なことなったんですかね。
スピーカー 2
まあでもだから、映画のファンの中でもあったんじゃないかと思うんですけど。
スピーカー 1
なるほどね。
映画は詳しくないですけど。
まあ、思考のエンジンでタイプライターで印刷したものを切り張りして入れ替えるっていう話もありましたし、
野口幸男さんは超文章術?文章法?で、
とりあえず思いついたことを書いていけばいいみたいなことをおっしゃってて。
ああいう本が出たってことは、あの時代それをいう方法は一般的ではなかったということを逆算して思えるんですけど。
スピーカー 2
そうですね。逆にあとは、英語圏っていうか欧米と日本でかなりその辺の感覚には違いがあった。
タイプライターで書いてた人たちとは随分感覚に違いがあったはず。
確かに。
ですよね。
スピーカー 1
そうか、そうやな。
そうか、タイプライターはまた違うもんな。
1文字押したらもうプリントされてしまうもんね。だからある種その手書きのちょっと強い版みたいな。
スピーカー 2
そうなんです。だから特に機械式のタイプライターは結構技術もいたし力もいる。
ああ、そうですね。
疲れるんですけど。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
電動タイプライターはもう今のキーボードと同じようなもんなんで、楽なんですよね、打つのが。
スピーカー 1
そうか、そうか。
スピーカー 2
そうすると楽に大量に打てるから、逆にアナログなんだけどタイプライターでわーって書き飛ばして、
ダブルスペースっていうちょっと行間隔を空けた状態で書き飛ばして、紙を見ながらペンでエディットしてハサミで切って繋ぎ替えてっていうことをやるようになったんですよね。電動タイプライターが出てきたから。
たぶんそれは60年代70年代ぐらいにはもうそういうことが行われていたはずなので。
で、それに対して日本の物書きの全部じゃないですけどね、ある種の人たちはいかに自分の思考を刻みつけるかという。
それを重視していた人たちはずいぶんたぶん同じ書くという行為でも違うわけですよね。
スピーカー 1
違うでしょうね。
スピーカー 2
そうか。
スピーカー 1
だから手書きがあって、タイプライター前期後期みたいなのがあって、単独のワープロがあって、パソコンがあって、インターネットみたいな感じで、
折々で書く、間に工事と筆記もありますけど、折々に書くという行為の何かが、おそらく変質と言っても変質していったんでしょうね、きっと。
そうでしょうね。
スピーカー 2
もちろん日本でも、それこそ梅沙男太郎とかはもっと違うことを考えてたわけですよね。
梅沙男さんはそもそもどうやってタイプライターで日本語を扱えるかっていうことをずっと考えてた人なわけで。
カードも使ったけども、Kanaタイプライターを使って、いかに日本語を書くかっていう。
スピーカー 1
そうですね。もっと言うと日本語じゃない方がいいと言ってありましたよね、あの人は。
つまり、他の国の人に読めないから、だからローマ字入力がいいと言ってましたし、全世界共通語を作ろうエスペラント語の運動にも参加しておられましたし。
だからもう徹底的に、プラグマティズムというか。
様式というより実行性を重視する姿勢だったんで、当然それは手書きよりもワープロ、ワープロよりもみたいな感じになるでしょうね、当然。
スピーカー 2
そうですね。
そのワープロが出てきたときに梅沙男さんがまた必ずしもそれを高く評価はしてなかったっていうのが面白くて。
っていう歴史の上に今の書く環境とか技法があるかっていうと、意外にそうでもないっていう。
スピーカー 1
そうでもない上に、そもそも今の日本で書く技法があるのかということがまず難しいところですね、これは。
スピーカー 2
逆にそれこそ、今のスマホ以前の携帯から携帯で携帯小説ってやってたときにはもうほぼエディットしない状態で書くみたいなことが行われるようになったりして。
でもそれで優れた作品を書いちゃう人が実際にいるわけで、だから書くと言って面白いなと思いますよね。
スピーカー 1
頭の中からできたものを順番に出すっていうものがあるとして、いわゆる断片的なものを並べて自分のまとまった考えにするっていうやり方が仮にあるとして、
その2つどちらが本当の自分の考えなのかっていうことを問うと結構難しいですね。
スピーカー 2
そうなんですよ。それは僕がアイアウトライナー本を書くきっかけのことの一つですけど。
要するに自分の考えがあって書くと、感覚的には思ってるんですけど、書いてるうちに考えが変わっちゃうんですよね。
特に編集して、後ろにあったものを前に持ってきて、これ前に持ってきたならじゃあこうくるかとかって、
どうやって自分の思ったことを伝えるかっていうことを試行錯誤しているうちに、自分の思っていたはずのこと自体が変わっちゃっていくっていうことが、
じゃあ自分の考えってなんだろうって分からなくなるんですよね。
そうですね。
だから、まるで場合によっては自分の考えがないみたいに思う。
実体がないものみたいに感じることもありますけど。
スピーカー 1
それは当然のことだと思うんですけど、今となっては。
そうですね。
西田貴太郎という哲学者は、原稿を頭から書いて、編集は入ってるでしょうけど、いわゆるアイアウトライナーの組み替えみたいなことは一切やってないと思うんですね。
そんな形跡が見られない原稿なんですけど。
多分ですけど、まず分かりにくいですし、重複もたくさんありますし、もしかしたら前後で矛盾していることを言ってるかもしれませんけど、
でもその流れそのものが多分彼の考えだという表現方法だと思うんですね。
あえて編集しないことで、流れの変転、思考の変転を踏まえた上でそれを全部表現するというのが多分一つの表現ですし、
もちろんその整いで一つの形にして出すっていうのも、一つの効率的なというか適切な表現の仕方で、
コーツはつけられないかなというのは思いますね。
誰にどう伝えたいかによって変わってくるというところはあるんでしょうけど。
スピーカー 2
結局そういう話を納得がいくように書いてくれたのが思考のエンジンだったんですよね、僕の場合は。
それこそ作家の仕事部屋を例に挙げながら、奥田さんが。
要するに編集する人もいれば、書いたままにする人もいれば、いろんな書き方があるけれども、
それでタイプライター的思考とフリーライティングとみたいな話が出てきたんですけど。
要するに、自分の考えというものが存在するという体でそれをいかにうまく伝えるかっていう考え方もあれば、
要するにプラグマリティックな考え方。
そういう体でやるという考え方もあれば、書きながら書くことによって初めて自分の考えが現れてくるんだという考え方もあるわけで。
やっぱりその後者はフランス現代思想の匂いがしますね、どうも。
スピーカー 1
結局主体っていうものを疑ってるという。
スピーカー 2
そういうこと。主体としての自分がないというか。
スピーカー 1
常に生成されるものであってっていうような感じが起きますね、どうしても。
スピーカー 2
だからすごくそういう話と相性がいいわけですよね。
スピーカー 1
そうですね、きっと。
スピーカー 2
なんでこんな話題になったんだ。
スピーカー 1
後者に共感を覚えるというか、確固たる主体というのはあるんじゃなくて、
その常々に立ち現れてくるものだというのに、どちらかというと共感を覚えますけども。
でも古き人たちが言ってた、最初に立ち現れることそのものが自分の考えなのだという、
文章の書き方と受け取り方
スピーカー 2
ていであるということもまた一つの哲学というか、むしろポリシーみたいな感じもするなというのは聞いてて思いましたね。
だからまた日本の作家の人たちのうちのある人たちが言っていた、
自分の頭から流れ出してくる思考、それを刻みつけるのであるっていうのと、
またその伝えたいことというのがあってそれをいかに効率よく伝えるかっていうのはまた違うことですね。
スピーカー 1
そうですね、確かに。
自分の考えを刻みつけているのと映画をエディットするのは確かに違いますね。
だって片方は作品を作ってるわけですからね。ある種のプロダクトなわけですから。
編集しないと多分成立しないけど、自分のある種の魂を刻みつけるという表現行為だとするならば、
むしろ編集はある種の邪魔者を混ぜるようなニファンスが感じられるのは理解しますね。
問題はそのやり方では文章を書けない人がいっぱいいるということなんですね、結局のところ。
そうなんです。
プラグマティズムに考えれば。
スピーカー 2
だから、結局、情報を扱わなきゃいけないわけですから、
情報はその文章の形で給通するわけですから、誰もが書かなきゃいけないわけですよね。
そうですね。
自分自身もちょっと難しいのは、誰もが書かなきゃいけないから、それをいかに楽にするのかっていう部分と、
そうじゃない、もっと、さっき言ったようなね、
いながら考えを作り出すというよりも考えが浮かび上がってくるみたいなこと。
自分の中で混ざってるんですよね。
アウトライナーならアウトライナーならそういう、いかに仕事で役に立つかみたいな、そういう部分と、
いかに、なんて言うんでしょうね、わからない、自分のわからない考えたみたいなものを剥がし出すかみたいなところと、
結構対極なんですよね。
スピーカー 1
そうですね、話を聞くと対極なことに聞こえますね、それは。
スピーカー 2
いや、対極なんです。実際対極なんですよ。でも両方、アウトライナーと非常に相性がいいということなんですよね。
スピーカー 1
それはでも確かに、その話が一冊の本にまとまってたら面白いでしょうね、きっと。
スピーカー 2
まあ、一応だから簡易版で、簡易版っていうのを書くためのアウトラインプロジェッシングにつけたのは一応そういう意図ではあったんですが。
スピーカー 1
なんかその立理性と表現性と仮に言っておきますけど、っていう観点から見て全く違うことが一つのツール上で可能なのだというメッセージが結構僕今、へーっていう感じで。
言われてみると全然。
本当ですか。
いや、だからたくさん中で融合されてるから、僕もその同じレイヤーのものだと多分勝手に思ってたわけですけど、でも言われてみたらそれは確かに違いますよ。
簡易版っていうような感じ、簡単に言うと。
でもなんか今まで言った一つのレイヤーの両極にあるような処理だったんで、なんか捉え方がちょっと変わりましたね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
でもね、昔から要するにどんな種類の文章も紙に書いたわけじゃないですか、昔は。
スピーカー 2
そうですね、それは。
本音にすなり鉛筆で紙に書いて、紙の上でそれぞれの文章にかなった、その目的にかなったものになるように書いていったわけですよね。
確かに。
だからそれと同じっちゃ同じなのかもしれないですけど。
スピーカー 1
そうですね、究極的にはそうですね。
文章を書くっていうこの術語の広さですよね、結局。
スピーカー 2
そうなんですよ。
受け取り方も人によって全然違いますかね。
全然違いますね、確かに。
スピーカー 1
だからやっぱりそうだな、そういうフォーカス制限議論は難しいんで、やっぱりいかに書けないを克服するのかっていう具体的な事例というか問題解決にフォーカスしたほうがいいでしょうね。
小説を書くと説明文を書くというだけでも近い部分はあるにせよ違いますしね。
スピーカー 2
同じ小説でも全然受け取り方は聞くほど違いますよね。
スピーカー 1
そうですね。文学小説とF説、また村上春樹とグレイク・イーカンはたぶん本の書き方と全然違うでしょうからね。
スピーカー 2
違うと思いますよ。
それこそ三島由紀夫と大江健三郎は全く違う書き方をしてるはずですよね。
スピーカー 1
またここで、それぞれ違うんですよって言っただけでは何のメッセージもないわけで。
まあでも自分の視点で何か言えることを言うしかないというところかな、やっぱりそこは。
考えるために書くっていうことと、決め切りに間に合うように書くっていう。
日本の論文の本って結構間に合わすというか、変な話提出できたらいいっていう感じの、
とりあえず研究者になることはあんまり念頭にいなくてみたいなことが結構何冊か身につくんですけど、
この前紹介したリサーチの始め方っていう本は、
ガチであなたの自身の興味は何ですかっていうの等っていう、
知的清算技術とライフハック
スピーカー 1
自分に根付いたクエスチョンで、それに基づいた論文を書かないと面白くもないし、
もっと言うと魅力ってないですよっていうことを語ってるんですけど。
だから両方とも論文の書き方っていうカテゴリーには入りますが、だいぶベクトルとは違うんですよね。
スピーカー 2
なるほど。
スピーカー 1
だからやっぱり自分がなぜ文章を書いているのかっていうところを掘り下げないと、
多分ここのテーマは見つからないかな、だから。
そうですね。
難しいところですが、知的生産の技術を語る面白いところでもあるんですけどね、結局。
スピーカー 2
そうだと思いますね。
スピーカー 1
見てる部分と全然違う部分が、それぞれの人の中で立ち上がってくるという面白さがありますね、これは。
スピーカー 2
単に文章を書くで、それをデジタル化するっていうことを語るにしても、
例えば80年代、今から40年近く前に語られていたことって、想像以上に今とは違う。
なのにそれよりさらに前に書かれた梅沢忠夫の本を、逆に今読んだりもするわけですよね。
そうですね。
だから面白いですよね、いろいろ。
スピーカー 1
そうですね。残るもの、変化するもの、聞いてしまうものをいろいろたどって、今ここがあるわけですからね。
そうです。
スピーカー 2
カーソルの話もちょっとしたかったんですが、
スピーカー 1
前回、カーソル3号までしか出てないみたいなこと、前々回かな、言ったけど、4号までは出てましたね。
次号をどうするかということで、しばらく原稿を書けてなかったんですけど、
最近ちょっと自分が途中まで書いてた原稿を読み返して、
ああそうか、こういうことを言いたかったんだなというのを再確認したんで、またぼちぼち続けていこうかなとは思うんですけど、
スピーカー 2
やっぱり知的清算技術とかライフハックとかっていうことが、
スピーカー 1
どう言ってんかな、専門化されているとか特殊化されているっていうのが結構僕の中では残念な感じがあるんで、
あと生活の中にもいろいろ工夫とか技術ってありますよねっていうことを確認できるような号にできたらなというのを今のところ考えておる次第ですね。
スピーカー 2
大事なことですよね、それは。
スピーカー 1
案外というかビジネス上では絶対語られないことなので、
スピーカー 2
そういうのをセルフパブリッシングならではで書いていけたらなと今のところは思っておりますね。
スピーカー 1
大体言うべきことは終わった?
僕は来週プラス1日の金曜日に新刊が出る予定で、電子書籍を話に聞くとプラス1ヶ月ぐらいかかるそうなんで、
電子書籍じゃなかったら困るという方は1ヶ月ぐらい待っていただければなと思います。
何か沢山ご連絡したいこととかございますでしょうか。
スピーカー 2
大丈夫です。
スピーカー 1
じゃあこれまではこうか。
感想や。
何やったかな、何やろうな。
そうやな。
デジタルとアナログツールか、皆さんはデジタルとアナログをどのような観点で使い分けているのかみたいな話があれば、
ハッシュタグ打ち合わせキャスト、ひらがなで打ち合わせアルフェットキャストまでいただければクラスターがチェックしたいと思います。
はい、これでは今回はこれまでにしたいと思います。お疲れ様でした。
スピーカー 2
お疲れ様でした。
01:35:17

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