はじめるラジオキャンパス
シーズン5
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第1コーナー、人生いろいろ。
はじめるラジオさんでぃもシーズン5に入ってなんともう12回目になりましたね。
3ヶ月がたとうとしているという早いですね。
そんな形で今日も思いつくままに台本もなく、
何にも考えてないんですがもう録音ボタンを押しちゃったということでこのまま
基本録ってだしで、多少編集するんですけどね。
多少編集するんですが、基本録ってだしでお送りしているこのはじらぢさんでぃですね。
好きこそ物の上手なれ。
これ元の意味知ってます?
好きこそ物の上手なれ。
元の意味っていうこともないですね。
徒然草にちょっと出てくるんですよね。
誰が最初に言ったのかっていうのは特にわからないみたいですね。調べてみたところ。
でもこれよく使いますよね。
やっぱりこう嫌々やってたら何事も上達しないということで、
だから好きなことやるのは結構、大事だよという。
好きこそ物の上手なれ。
だからやっぱり好きだから夢中になっちゃって、夢中になっちゃうともうそんなに苦労せずに上手くなっちゃうっていう。
だから勉強嫌いだったらやんなきゃいいんです。
仕事嫌いだったらやんなきゃいいんです。
そういうわけにもいかないんでしょうが。
やるんだったら好きになるっていうね、何事もね。
これがやっぱり大事なのかなと思います。
そんなことで私の人生60年生きてきて、ちょっと振り返ってみるけれども、
これはたぶんね、前に話したこととも少し関連するんですけど、やっぱりやらなきゃいけないっていう。
例えば小学校の頃。
もうちょっと遡りましょう。
幼稚園の頃。
幼稚園に行かなきゃいけない。
行きたくないのに行かなきゃいけない。
幼稚園は私は苦痛でしかなくて、途中で帰ってきちゃいましたね。
家を出るんですが途中でもう道くさくって行かない。
幼稚園は本当に行かなかったと思いますね、私ね。
道の途中で、家に帰ると怒られるし帰るわけにいかないから、
ふらふらしてたっていう。
そういう感じでしたね。
だけど幼稚園の先生に見つかって連れてかれたりとか。
そんな記憶がありますね、断片的にね。
どれぐらい行かなかったのか覚えてませんが。
ただ幼稚園に行った記憶があるんで、いやいや行ったんでしょうね。
行っちゃえば行っちゃったで、それなりに楽しかったような気もするけどやっぱり嫌でしたね。
時間が縛られて好きなことができない。
決められたことをやらなきゃいけない。
お遊戯の時間ですとお遊戯しなきゃいけないでしょ。
今もお遊戯したくないし。
音楽、お歌の時間ですと。お歌したくないし。
お絵描きは好きでしたね。
お絵描きとか工作とか好きでしたね。
図画、工作系は好きでしたけど。
歌とかね、なんで歌を歌わなきゃいけないんだとか思ってた。
お遊戯ってなんで踊らなきゃいけないんだって思ってましたね。
これ嫌でしたね。
運動は好きでしたね。
運動と図画、工作系は好きだったような気がしますが、それ以外は嫌いでしたね。
あとは友達と遊ぶのが嫌いじゃなかったぐらいだけど、まあ嫌でしたね。
とにかく集団行動はあんまり好きじゃなかった。
小学校ぐらいに入って、これがまた小学校行きたくないんだけど、
小学校は集団登校だったんで無理やり行くしかないというね。
途中でさすがに帰ってこれなかったので、いやいや行くんですね。
小学校行くともう嫌でね。
なんかもう、だってずっと座ってなきゃいけないじゃないですか、机にね。
あの頃は40分授業だったのかな、小学1年生は。
それでも4時間とか5時間とかあるわけでしょ、6時間とか。
勉強はそこそこ面白かったですね。
嫌いな教科もあったけどのきなみに勉強できちゃったんで、
それはやっぱり面白かったですね。
だから授業は面白かった。
あと友達と休み時間に悪ふざけしたり遊ぶのも、
まあそう嫌いじゃなかったように記憶しているけど、まあでも嫌でしたね。
とにかくそこに縛り付けられてるっていう、
教室に縛り付けられてる、時間に縛り付けられてるっていうのが本当に嫌でしたね。
まあそんな感じで過ごしてきて、
あとはどうでしょう。
好きなことといえば遊び。楽しいことは好きでしたね。
あと図鑑読んだりするのも好きでしたね。
だから好奇心かな。好奇心ですね、やっぱりね。
好奇心、好き。好きっていう字は好奇心で、好きっていう字に奇ですね。奇妙の奇ですけど。
奇、興味を持つってことですよね。
好きで興味を持つ心、好奇心ですね。
やっぱり好奇心が、単なる好きというより好奇心なんでしょうね。
ちょっとこう怪しい、危ない、いけない世界みたいな。知らない世界みたいな。
未知の世界、危ない世界、ちょっと危険な世界、冒険の世界みたいな。
そんなイメージのものはやっぱ好きでしたね。
だから行っちゃいけないって言われたところによく行きましたよね。
沼に行っちゃいけない、川に行っちゃいけない。
よく沼に行ってゲンゴロウとかタガメとかヤゴとか捕ってましたね、カエルとか。
沼が近くにあったんです、小学校の時ですね。
幼稚園から小学校時代、近くに沼があって、その沼にタガメとかゲンゴロウとかいっぱいいたんですよ。
それを図鑑で調べてね。
タニシとかね、全部水槽に入れて、昔、理科セットであったんですね、水槽がね。
水槽を持って、水槽を腰にぶら下げて、網持ってね。
網持って、水槽を腰にぶら下げて、タニシを捕って、ゲンゴロウを捕って、タガメを捕って、ヤゴを捕って、
あと何捕った?オタマジャクシを捕って、カエルを捕って、とにかくそういうのを捕って持って帰ってくるんだよね、家にね。
また当時ね、解剖セットって今は怒られちゃうんでしょうけど、解剖セットって売ってて流行ってたんね、解剖セット。
何でも解剖しちゃうというね。解剖しましたね。何でも解剖しちゃいました。
だから小学校何年生ですか?カエルの解剖ってたぶん小学校の4年生か5年生ぐらい、理科でやるじゃないですか。やるんですよ。
5年生ぐらいだったかな?カエルの解剖。
あれみんなできないって言うんだけど、僕なんかもう幼稚園の時からやってるからお手の物でね。
オタマジャクシとかカエルとか、もういくらでも魚捌くように解剖しちゃうみたいなことやってましたけどね。
まあそんな感じで。キャーとかワーとか言いながらカエルの解剖、昔やったんですね、小学校。
高学年でしたね、理科の実験で。何騒いでんだろうと思いましたけど。
まあそんな話とかね。あとね、その、そういうの未知の世界に興味あるわけね。
カエルのお腹ん中どうなってるんだろう。オタマジャクシのお腹ん中どうなってるんだろう。
みんな解剖しちゃった。同じようにね、それが例えばね、家に掃除機あるじゃないですか。掃除機、電気掃除機ね。
電気掃除機は解剖できないんですが、解体しちゃうのね。
全部ネジ部品外して、全部解体しちゃって、また組み立て直すのね。
そういうのもやりましたね。あと時計ね。時計もネジとか外して、全部外して、針とか全部外して、歯車とか外して、また組み立て直すのね。
こんなことやってましたね。とにかくもうありとあらゆるものを解剖、壊しては組み立て、壊しては組み立て。
だからプラモデルとかっていうのもあったんだけどあんまり好きじゃなかったのね。決められちゃってるっていうか複雑じゃないっていうか。
なんか手順通りにやるとみんな同じものができるっていう。なんかすごく嫌で。
掃除機なんかはないじゃないですか。分解説明書とか組み立て説明書ってないでしょ。
だからその未知の領域が楽しくてこれは壊してましたね。壊して組み立てていろんなことやりましたね。
まあ覚えてるのは掃除機と時計だね。ちゃんと組み立て直しましたけどね。全部ね。
だから結構もの作ったりっていうのは好きだったんでしょうね。だから工作は好きでしたね。
あと当時流行ったのがモーター。電池モーターね。電池の電動モーターがプラモデル屋さん行くと売ってるんですよ。
プラモデル買うよりも楽しかったのは自分でバルサ。バルサ分かりますかね。
バルサとかモーターとかあとタイヤとか売ってたんですね。あといろんな歯車とか売ってた。
そういうのを買ってきてバルサ切ってバルサにこう貼り付けてセメダインで歯車とかタイヤとかくっつけて
そこにモーターくっつけて電池入れる場所を作ってスイッチつけて走る車を作るというね。
これはいっぱい作りましたね。だから設計図のないものを作ったりするのが好きでしたね。
プラモデルはあんまり好きじゃなかったな。何が面白いんだろうと。誰が作ったって同じものできるだろうと。
そういうところにも見てとれる。だから今は、今は再び好きこそものの上手なれで好きな方に行く、好奇心に導かれる方に行くというホモ・サピエンスがもうちょっと増えないとダメだけど全部禁止しちゃうんだね、今はね。禁止しちゃう。不適切ですと言って。
不適切なことはやっちゃいけない。不寛容だからね。許されないわけね。
例えば沼に行ってヤゴとってきた。ヤゴがいないね、だいたいね。見つかんない。カエルとってきた。カエルならいるね。タガメはもう絶滅しました。いませんね、ほとんどね。
ゲンゴロウも見なくなりました。昔、コオイムシってのもいたね。格があってね、タガメが一番偉くてね、キングで。
ゲンゴロウがその後のジャックかナイトぐらいで、コオイムシっていてね、背中に卵を産みつけられるんだね、オスはね。
卵を背中に背負ってオスは子育てするんだけど、そういうコオイムシってタガメよりちょっとちっちゃいやつがいて、あればっかりよくとれたね。
どうでもいい話ですけど、例えばそんなの捕ってきたらもうお前捨ててきなさいって言われて、そんなの家に持ち込まないでって、だいたい家に持ち込めなくなってきましたしね。
昔は縁側とかあって庭があったんで、そこで好き放題やってカエル解剖してね、それを庭に埋めちゃったわけだしね。
今そういうこともできないし、カエル持ってきた瞬間に卒倒しちゃうよね。
それこそヘビの解剖なんてしたらもう怒られちゃうわけですけどね。
昔はやりましたね、なんでもね。そういうことをやんなくなったホモ・サピエンスはやっぱり滅亡の方向に向かっているとしか思えないんだよ。
そういう自然の中で好奇心を持ったものを。それで掃除機解体したりしたら怒られちゃうね、きっとね。
うちは結構そういうの許されたというか、ちゃんと組み立て直しときなさいよって言われてそれで済んだもんね。
なんで解体しちゃった?どうなってるか知りたくて。
ちゃんと直しときなさいよで済んだからね、よかったねうちの親はね。
ホモ・サピエンスとしては立派だったと思うんですが。
最近はもうね、それこそ掃除機、電気掃除機にドライバー差し込んでネジ1個外そうもんなら何考えてんのやめてちょうだいって言われちゃう。
だからネジもドライバーも締められない子がいっぱいいるのね。
あ、これあまり近所の話しちゃいけないけど。
使えない道具が。道具が使えないホモ・サピエンスは、これよく言いますが私。
火が使えない、道具が使えない、動物が扱えないホモ・サピエンスは滅亡するって言うんですけど。
今日は道具ですね。道具がだから使えなくなっちゃってるわけですよね。
やばいですね。だから調理もできなくなっちゃってるわけね。
料理もね。みんな出来合いのものを買ってきて食べると。やばいですね。
頑張れホモ・サピエンス。これネタいっぱいありますけどね。
好きこそ物の上手なれ。
最近ホモ・サピエンスはそういう実体験に基づくなんか好奇心とか冒険ってのはやらない一方で、
そのエネルギーはどっかにあるんでしょうね。やっぱホモ・サピエンスは好奇心の塊なんで。
それが怒られない方向に行くと。そうすると結構バーチャルな方に行くんですね。
体を使わない、実体験を伴わない、手が汚れない、怪我しない
方向での好奇心の方に行くから、eスポーツとかね。
eスポーツのどこがeスポーツなんだって僕なんか思っちゃうよね。
スティック動かすだけでeスポーツって。
スポーツかよ!みたいなふうに思うわけですが、
いいスポーツだそうで。あとね、踊るやつとかさ。
踊りも流行ってるじゃないですか。
あとスケボーね。大嫌い。大嫌い。見てる分にはいいんだけど、うるさいから嫌なんですけど。
なんかね、なんか違うんだよね。面白くない。
ちょっと違う。好きこそ物の上手なれでいいんだけど。
まあスケボー、言っちゃ悪いけどね。別に僕スケボーはいいんですよ。嫌いじゃないんですよ。スキーもスノボーも。
なんでもそれは楽しいからいいんだけど。
でも、じゃあスケボー上手になったからどうなるんだ。
あとなんか登るやつあるじゃないですか。
あれも登るのが今スポーツになっちゃってるわけだけど。
最近オリンピックあったから見たけど、やっぱりあんまり興味感じないですね。
登って点数取って、ゲームにはなってんだけど、競技にはなってんだけど。
それで?みたいな。その先は?みたいな。終わりですか?みたいな感じになっちゃう。
ダメだね。なんかあんまりそそられないね。
好きこそ物の上手なれはいいんだけど、もうちょっとこう違う好きもあっていいと。
だから禁止されてる好きがいっぱいあるんじゃないかな。そんな気がしますね。
まあそんなことで、犬に向かって吠えてるホモ・サピエンスが来たので、ちょっと見てきますね。
夏休みで気候も良くなってきたので、時々小学生とか自転車でわざと犬に、かまってほしいんでしょうね。
だけどもうちょっとそうじゃない関わり方できないのかね。
興味あるなら興味あるで、もうちょっと違う、からかいとかチャチャ入れる形じゃない形でもう
ちょっと真っ直ぐ好奇心を伸ばしていけばいいと思うんだけど、なんかそれが許されてないからなんでしょうかね。
チャチャ入れて終わっちゃうっていう。
まあただね、いずれにしても実際にはそういう好奇心があるからロケットも飛ぶし宇宙船も飛ぶしね。
いろんな科学の進歩はあったわけだけど、それがなんかそういう新しいものを作っていくという方向じゃないところで同じところを繰り返すみたいな。
やっぱり僕いまだにわかんないのはまあ面白いんでしょうけども。
ゲームとかファイナルファンタジーシリーズとかいって、どんどんそれが進化してるのはわかるんだけど、
僕らの頃はコンピューターゲームといえばテニス、こっちに棒があってこっちに棒があって棒が点を返すだけなんだけど、
それ夢中になってやってましたけど。
あとインベーダーゲームね、インベーダーゲーム。
だけどある程度やって、またインベーダーのすごいのが来たとか、
それがどんどんテレビゲームに進化してマリオとか出てきてね、いくんだけど、
まあ多少やりましたけども、それ以上は、それこそeスポーツなんかにも進化していくわけですけど、あのゲームの世界はね。
だけどそれ行き着く先に何があるの?という。
まあ市場にもなってるしみんなやる人がいるからね。
行くんですけど、なんかあんまりそっち、好きこそ物の上手なれはそっちに行っちゃっていいのかなみたいな。
ゲームの世界で、eスポーツの世界で、ねえ、もうトップ取りましたっていう。
はい、みたいな。それでみたいな風になっちゃうんだよね。
まあいいや、昔オセロがめちゃくちゃ強いとかいましたけど。
まあ将棋は将棋でこれは生き残るんですね。将棋はやっぱりこう、無限の可能性持ってるんであれは。
だけどオセロは無限の可能性持ってないんで。
あと昔、僕の子供の頃流行ったのはルービックキューブね。
あれももう1回できちゃうともうそれ以上、その先がないわけだよね。
だから先がないものはあんまりやっても意味がない。
やっぱり常に未知の部分、冒険の部分があるという。
人が作ったもので先が実はあるものっていうか限界づけられてるものってあんまり興味感じないね。
それだったらそれを作る側に回った方がいいんじゃないかなと思っちゃうんだけど。
まあいいや、そんなこと考えてもしょうがないね。
ということで、ホモ・サピエンスこれからどうなるんでしょうか。
頑張れホモ・サピエンス。
SNSも大好きですね、ホモ・サピエンスね。
最近もうSNSをやらないホモ・サピエンスはいなくなったっていう感じですけども。
次のコーナーはSNSあれこれいきたいと思います。
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はい、はじめるラジオさんでぃ。
8月18日シーズン5、12コ目のエピソードです。
第3コーナー、SNSあれこれ。
SNSあれこれはいっぱい語ることありすぎて
なんですがちょっと過去にさかのぼって
もうすでに聞いたことある話ばっかり出てくるかもしれませんが
やっぱり最初にハマったのはパソコン通信なんですよね。
パソコン買った、仕事のために買ったんですよ。
それはそれでやっぱりそれを突き詰めちゃったっていう
普通そっちまで冒険しないと思うんですけどね
私はだからそれなりに論文を書いて大学の先生になっちゃったわけですが
冒険しなかったんだよね。冒険してもよかったと思うんですが
そこまでやっぱり行く気にはならなかったんですよね。
その後、それが1990年代半ばですよね。
その後インターネットが出てきて
これインターネットにまたハマっていくわけですけどね
ホームページ作りたい。ホームページ作り出すわけね。
HTML言語とか言いながら
でもそれ以上はいかないのね。もうめんどくせえやと思っちゃって
そこで終わっちゃう。だから素人サイト構築までしかやらないわけですよね。
その後ハマってくのはチャットですね。チャットいつ出てきたんだっけ
2000年入るちょっと前ですね。文字チャットが出てくるわけね。
文字チャットがハマっちゃったんですよね。
これは結局、私はオンデマンド型じゃなくてライブ型。
ライブコミュニケーションですね。
リアルタイムコミュニケーションが取れるっていうのが好きだった。
オンデマンドは待ってらんないっていうか
それ昨日の話だしみたいな風になっちゃって
やっぱりリアルタイムのコミュニケーションが好きだったんですね。
やっぱ即反応がないとつまんないっていう
向こう側に動いてる人間がいるっていうところにやっぱり興味感じたので
チャットにハマってった。文字チャット、音声チャット、ビデオチャットと展開してって
インターネットラジオをやったというね。
これが2000年、2005、6年ぐらいまではそんな感じね。
だから結局ブログはやんなかったんですよね。
ブログはその後にやったというよりも
インターネットラジオの記録を残すあるいは
それを告知する場所としてブログを使い始めたっていうことなんで。
あくまでもライブ、リアルタイムコミュニケーションのツールとして
オンデマンドを使うというのが基本的な使い方だったんですよね。
私の場合はね。
それはある意味、今でもあんまり変わってないかもしれないけど
かつてに比べたら少し年取った分、オンデマンドにも
何だろう、オンデマンド文化にも慣れてきたっていうかな。
そんな気がするしむしろ
逆にライブのリアルタイムコミュニケーションは
もう食べ飽きたって変な言い方ですけど
やるだけやったというか。
今更やってもまた同じようなパターンが繰り返されるし
同じような人が出てくるし
ああ、このパターンか。
だいたいわかっちゃうのね、最初で。
ああ、このパターンか。
あまりときめかなくなっちゃうっていうね。
最初の頃はいろんなのが新鮮だったんですけど
だんだんやっぱりね、これパターンがある。
下手に大学教員とかやってると
やっぱり学生もパターンがあるんですよね。
人間のパーソナリティなんかそんなに、多様化してる
っていっても意外とパターン化されてて。
だいたいそのパターン外れる人はなかなかいないですよね。
だからSNSやっててもだんだんパターンが見えてきちゃうと
全部想定の範囲内に入ってきちゃうと
ワクワク感がなくなってくるということでね。
だから20年前にワクワクは終わってるのね。1回ね。
2006年ぐらいでワクワクが1回終わってて、私の中では。
それで、あとはちょっとときめく相手とだけ
細々とコミュニケーションを取るみたいなぐらいになってたのが
その後はちょっと仕事でね、ブログとかインスタとか
Twitter、Facebookをむしろ仕事で使うようになっちゃったんでね。
それやっぱり面白くないよね。好きこそものの上手なれじゃないよね。
好きでやってる部分も半分あったけど
やっぱ半分以上仕事でやってたという。
そうなっちゃうとやっぱり面白くないですね。
SNSは好きで好奇心でワクワクする方向でやった方がいいなと思ってて
ずっとワクワク心、ワクワク心がないまま一応ね
やんなきゃいけない仕事もあったしね。
それはそれで頑張ってやって。
それはそれで面白かったんだね。
リアルワールドがやってたんですが。
リアルワールドといわゆるSNSの世界がどんどん近づいてくわけね。
最初こんなに離れてたのがバーチャル、リアルって言われてたのが
もう今バーチャルもリアルだっていう風になってきたのは
やっぱりMixiあたりからなんですけど
むしろリアルワールドでつながることが楽しくて
SNSもやるという風になってたというより
私の場合そっちが早かったですね。
パソコン通信時代も結局リアルで出会うという。
オフ会ね。そっちの方が楽しかった。
オフ会のためにSNSをやるみたいな。
今もそういうとこあってね。
いつかリアルで出会えるだろうと思いながら
こういうポッドキャスト配信なんかもやってる部分は実はあって
もちろんそのリアルで会わない中の楽しみとか
面白さもあるんですけどね。
やっぱりリアルで出会える可能性があることの
ワクワク感、楽しみっていうのも一方であったんですが
これがまあでもすごいくっついちゃったから
しかも仕事で使うようになっちゃったもんだから
そうするとなんかもうリアルのためにやってるみたいなふうに
なっちゃったんですよね。
それが20年ぶりのワクワクですけど
ポッドキャストを始めてオンデマンドの音声配信が
かなりリアルタイムでリアクションがあるような時代に入って