第一コーナー。人生いろいろですね。人生いろいろ。
バトンがつながらない話。これいっぱいあるんですよね。
というか人生なんてある意味、バトンがつながらないことばっかりだった。
むしろ、うまくバトンがつながる時の方が少なかったんじゃないかなぁなんて、60年生きてきて思ったりするんですけど、皆さんいかがですかね。
このバトンにもいろいろあるんですけども、例えば親子の間でもバトンはあるでしょうし、あといろんな組織とか社会のレベル、集団のレベルでのバトンっていうのもあるでしょうし。
特にね、やっぱ職場っていうのは結構大事で、そこでうまくバトンがつながったのかつながってないのか、つながってんだけどつながってないんじゃないかみたいなね。
そんなことたくさんあったので、今日は何を話そうかなと思ってるんですが、すぐ思い出すのが、昔PTA会長がやってたことがあって、小学校の3年間やったんですね。
これも前の方がバトンをつなげようと思って、なぜか私のところに話が来て、それまで一切関わってなかったんですけども。
その小学校のPTA会長。小学校がまだできて10年経ってない新しい小学校だったんですが、
それでPTA会長もまだ2代か3代ぐらいで、私が3代目か4代目ぐらいだと思うんですけども。
結構、学童保育所が最初立ち上げにかなり協力してて、学童保育の父母の中からPTA会長が出てたっていうことで。
私はそんなに学童に深く関わってなかったんですが、娘は学童保育所に行ってましたので。
小学校3年生の時ですね。4年、5年、6年の時にPTA会長やったんですね。
3年生の時は副会長やったんだ。だからそれ入れると4年関わったんですね。
ちょうど2年生の終わり頃に、娘が2年生の終わりぐらいに、その娘の母に当たる人ですね。私のパートナーに当たった人ですけども、
その方が学童の運営に関わってて、PTA会長やってくれないかなって話が来てるんだけど、どうすると。
学童の会長かPTA会長をやる前提の副会長をやるか、どっちか選んでって言われて。
どっちか選んでって、その選択おかしいだろうと思いながらも、学童にどっぷり浸かるつもりはなかったので、
じゃあPTAの方やってみようかって言ってね。PTAはいろんな議論があってね、PTA自体が本当にいいのかっていうね。やっぱりノルマだけになっちゃってるわけで、
みんなイヤイヤ関わってたりするし、活動は低調だしね。すべて教頭先生任せだったりっていうところも結構あるし。
そこの小学校も、新しい小学校だったんでそれなりに最初の7,8年っていうのは結構勢いがあったみたいなんですけど。
その後ちょっと次の方向が見えてないみたいなところが、やっぱり感じたんですよね、私はね。
PTAの活動は基本、教頭先生任せみたいな。
あと母代さんと会長さんで打ち合わせして役員会やって、役員会レベルで回して、
あとは各クラスとかクラスの代表に、ノルマで当たった代表にノルマを振って、
この日あるんでこれだけ来てください、ノルマです、と言ってやってたんですが、これは嫌だよね、と思って。
PTA話はいっぱいあるんですけど、それは置いといて。
それでとにかく副会長をやって、だから前の会長は私にちゃんとバトンをつなげたわけですよね。
結構いろんなことをやりました。
だいぶ市内でも結構、有名になるぐらいのいろんな活動をやったんですけども、それはさておき。
PTA改革もやったんですが。いろいろ面白いことあったんですが、その後ですよね。
次に繋ぐときに、次がなかなか出てこない。
母親のほうは結構チームができてて、続いてたんですけども、その次へのバトンっていうのはなかなか難しかったですね。
一応繋げたんですが、これはあんまりここで言っちゃいかんかな。やっぱりちょっとやりたい人がいるんですね。
PTA会長をやるといろいろ学校にコネもできてどうのこうのっていうふうに思ってる節がある某コンサルタントの方が
やる気満々で、僕はもう一人の副会長さんにやってほしかったんですが。
やってくれるって言うんだったらそっちでいいんじゃないってその人には言われちゃって。
お母さんたちに聞いて、じゃあ私、支えますみたいな話になって、それで繋いだんですけど。
結局その後、結構大変だったみたいですね。いろいろとはちゃめちゃになって。
それを1年後かな。1年でだから代えたんだったかな。忘れちゃいました。
とにかくそのちょっと別の方に、その後、結局、代わったってことで。バトンっていうのは繋げるの難しいなぁなんて思ったりした経験があったのと。
あとは、そうですね、やっぱ職場ですね。
大学に勤めて、名古屋の大学で学長をやった後のバトンですね。
これが、やっぱりうまく繋がらなかったなぁ。
結局、本当は繋げる人いたんですけど、その方ちょっとね、結局その後亡くなってしまったってことがあって。
私とそう年変わらないんですけど。
結局、学部長までやってもらった方が次やってくれるといいなと思ってたんだけど、違う方向に外れちゃったんだよね。
これまたね、いろんな動きがあってね。嫌だね。
それで、うまく繋がらなかったな、結局。
バトン繋げ失敗という。バトンが繋がらない。
今度、札幌でね。
お鉢が回ってきてきてやって、次のバトンは、
一応繋げたんだけど。支える体制が十分なくて。やっぱり繋げたはいいけど、繋がらない。
そこで結局、思うのは、トップですよね、一種ね。PT会長もトップだし、学長もトップだけど。
やっぱトップやりたがる人がやるとダメだね、一言で言うとね。
僕はもう、やりたくなかった。極力やりたくなかった。最初の時もやりたくなかった。
PTA会長もやりたくなかった。学長もやりたくなかった。札幌でも本当はやりたくなかった。
けどまあ、そういう話になっちゃって、やっちゃったんだけどね。
やっちゃったし、やったことはよかったと思うんだけども。
でもやりたがる人っているんだよね、やっぱりね。
やっても、いいことないんだけどね。
それで思うのは、いろいろと、やったら大変だっていうのがわかってたらやりたいと思わないと思うんだけど。
そこがわからない部分があるから、やりたいとどっかで思っちゃうんでしょうね、きっとね。
というふうに私は勝手に思ってるのね。正しいかどうか知りません。
バトンはやっぱり手を挙げて、やりたい人に渡すとそういうのはうまくいかないなっていう経験ばっかりしてきたな。
そうじゃない、やりたくないと言いながらも、やった人っていうのはやっぱりなんかいろいろ発揮するというかな、その後ね。
そんな気がするんで、バトンの繋げ方どうなんでしょうね。
とにかくバトン繋ぎは、成功例もいくつかあるんですけども、ちょっと失敗した経験がありますね。
まあ抽象的な話でよくわからないかもしれませんが。
その時によく、例えばピーター・ドラッカーなんかはね、やっぱり後継者を見つけるっていうことが非営利組織にとっては特に重要だなんて話をするんだけど。
これはだけど賭けだって言うんだよね。やってみなきゃわかんない。
しかもこっちに指名権があればいいけどね。ないからね。後継指名権ってないからね。
そんな意味で、わけのわかんない話で、自民党総裁選にいきなり飛ぶんですけども。
岸田さんが9月の総裁選の再選の芽が完全になくなりまして。
7月7日の七夕決戦で東京都知事で小池さん勝ったら、芽が残るのか残らないのか、でも残らないでしょうね。
それ以外の選挙もあるんで、そこでやっぱり自民党・公明党候補が負けていくことが続くし、もうすでに地方から反乱が起きちゃってるんで。
地方票は岸田さんには流れない。総裁選挙ね。
それから議員票ですね。これももううごめき始めちゃってるんで、麻生さんもちょっともうだめだなと思ってるし、菅さんも動き始めたし、みんな動き始めて。
ただ次のね、次の総理総裁候補がいるのかっていうね。バトンがつながらない。
岸田さんはバトンつなげる気なくて、自分がやる気でいるんだけど。やりたい人がやるといいことないよってのは、岸田さんもいい例なんですけどね。
やりたがりにやらせちゃいけないっていう。組織のトップはね。
そんなふうに思ったりしているということで、何の話かわかりませんが、人生いろいろバトンがつながらない話の断片を語ってみました。
詳しい話はね、また今後の人生いろいろで、のんびりゆっくり一つ一つ語っていこうかなと思ってます。
だから石器を使った人類はホモエレクトスも使ってたんです。だから石器を使った人類がたくさんいたのに、その中でホモ・サピエンスだけが生き残ったっていう。
なぜかって話があるわけですよね。人類の歴史の中で。
ホモ・サピエンスは一つは、集団規模が大きくできたということ。コミュニケーション能力が高かった。友好性を持ってた。フレンドリーなタイプだったっていうね。
その分、外の敵に対しては敵対性が強かったなんてね。残虐性も強かったなんて言うんだけども、内と外をきれいに分けたのがホモ・サピエンスだなんて言われるんですが。
それとやっぱり集団規模が大きくなったことで、技術が発達したんですよね。結局、技術革新なんですよね。
より精巧な道具を作れるようになったと。石器だけじゃなくてね。より精巧な道具を作れるようになった。
だからそれが釣りや狩りや採集活動にやっぱり役立つわけですよね。
また集団規模が大きくなって、コミュニケーションがとれて協力ができるから。狩りとかもね。
例えば、ネアンデルタール人は、マンモス。マンモスはいたのかどうか知らないけど。
獣に向かってってやられてしまうみたいな戦い方をしてたのが、ホモ・サピエンスはそうじゃなくて、
集団で、うまく武器も、より自分に危害が加わらないような武器を生み出して、特に何だったっけ、飛ばす矢だったかな。
ネアンデルタール人は長い槍で戦ってたんだったかな。忘れちゃいましたけど。
ホモ・サピエンスはそうじゃない。飛ばす矢を、しかも矢の先っぽの石もすごく獲物を仕留めるのに、
精巧な、木と石を組み合わせた細石器って言ったっけ。正確な情報が手元にないまま喋ってますけども。
結局、道具の進化、そして社会的なコミュニケーション能力が高まったことで、バトンをつないできたのがホモ・サピエンスなんだよね。
だから、そこを失うと、つまり技術革新によるイノベーションってことと、あと社会的なコミュニケーション。
ここに失敗するとホモ・サピエンスは滅びると、私は思ってるわけね。
だから、道具が作れなくなった、使えなくなったっていう時点で滅びの道に入ってるっていうふうに勝手に思ってるのと。
あとコミュニケーションがとれなくなっていくっていうね、だんだんね。
コミュニケーション能力が下がっていくとすれば、これもやっぱり滅びの道に入ってるっていう、その2つの指標があるわけですよね。
だからこだわるのは、コミュニケーション能力。これグローバル規模でコミュニケーションがとれるわけだから。友好にコミュニケーションがとれる。
しかもよりイノベーションとか技術革新につながるような、これ社会的なイノベーションも含めてですよ。
単なる物を作るってことだけじゃなくて、社会的なイノベーションも含めたイノベーション能力っていう。コミュニケーション能力とイノベーション能力。
でも本当はもう1つあるんですけど、それでホモ・サピエンスはバトンをつないできた。
だからそこが衰退すると、滅びの道に入る。私の勝手な見立てでは、すでに滅びの道に入ってるみたいな話になっちゃうんですが。話は飛んで、
エジプトやメソポタミアから文明が始まるわけですよね。それがギリシャ、ローマに飛び火するわけですが、そこで文明がかなり進化したんですけど。
その理由は、石器時代を脱して、青銅器時代に入って、さらに鉄器時代に入って、武器を持って戦うようになったっていうね。
そこで権力ができるわけですよね。軍隊を伴った。重装歩兵なんか出てきたりとかね。
要するに強いわけですよ。スパルタなんか筆頭にね。アテネも強かったわけですけど。
結局、軍隊として新しい戦法、イノベーションですよね。組織のイノベーションも含めて。
そういうことをやったことで、やっぱり権力の中心ができて、文明も進化してきて、その背景には青銅器とか鉄器とかっていうね。
そういう革新があった。もう一つがそれと連動したのが農業革命ですよね。
農業革命。定住して農業、農産物。植物の家畜化っていうんですけど、ドメスティケーション。植物を、野生の植物を家畜化したんですね。
合わせて野生の動物を家畜化していったんですね。ドメスティケーションと言いますけど、結局人類も、ホモ・サピエンスも自らを家畜化していった。
自己家畜化仮説ってあるんですけど、結局、家畜化の歴史なんですよね。これ日本語で言うと、家畜化の歴史って言うと、あれですけど。
これドメスティケーションって、植物は栽培化って言うんですよね。栽培化、作物化がドメスティケーション。
日本語にするとそれが分かれちゃうのね。動物の場合には家畜化、植物の場合には作物化・栽培化っていう言い方になっちゃう。
人間の場合には使えないわけですけど、英語だといいんですよね。ドメスティケーションで全部、説明できちゃう。
人間、ホモ・サピエンスは自らをドメスティケーションしていった。犬も自らをドメスティケーションしていった。
そして人は、さらに他の野生動物もドメスティケーションしていった。さらにいろんな野生の植物をドメスティケーションしていった。
結果、農業革命が起こり定住をし、そして動物を使って生産力を上げ、動物を農耕に使い、ということで、いろんな作物を自分が食べる以上に作れるようになっていった。
そこにはいろんな品種改良とか、植物のドメスティケーションですけど、それが進んでいくことで、やっぱりまずは農業革命、食糧革命ですよね。
その前提には、道具の発達・進化と、植物と動物、野生のもののドメスティケーションを進めた。
これはホモ・サピエンスが生き延びてきた、バトンをつなげてきた一番の中心にあるわけですよね。
ところが、その古代からしばらくは、そのまま進化しないというと変ですけど、長い中世に入るわけね。
そんなに生産力が伸びない、人口も増えない時代が続くわけですよね。
それがまた再び花開くのが、いわゆるルネサンス以降ということで、古代ギリシャ・ローマのそういったものを再発見して、近代が生まれるわけですよね。
この近代から、また経済成長するわけです。
そこで何が起きたかというと、いろんな、やっぱり一番大きいのは、動力ですよね。
馬とか牛に換わる動力、つまり機械とかエネルギーの家畜化・ドメスティケーションができるようになった。
さらには原子力までドメスティケーションできるようにしていった。
そこですよね、結局、物質のドメスティケーション化っていうのが進んだわけです。
学問の力も借りながら、科学の力も借りながら。医学の領域でもそうですよね、いろんな意味で。
いろんな物質とか、それこそウイルスとか細胞とかも含めてドメスティケーション化していったから、
いろんな薬ができたりとかっていうこともあったわけです。
30年以上が経ちましたけれども、その変遷はほぼSNSの歴史と重なってるわけね。
だから初っ端から知ってるわけですよね。
インターネットが一般に開放されて、モザイクというブラウザーが入ってきて、
その瞬間からもう使ってるわけですね。
モザイク時代から使ってる。
もちろんそれ以前に、いわゆるホストコンピューターにぶら下がる形でのクローズドな
いわゆるパソコン通信につながるようなものっていうのはあったんだけど。
やっぱりインターネットっていう土俵の上での展開とは、ほとんどもう人生重なってるし、
結構そこにどっぷり使ってきた部分があるんですよね。
一ユーザーとしてですけどね、開発とかできないので。
ただ使い倒すことだけができるということで。
いろいろ自分のやりたいことがそこでいろいろできるので、
それを使い倒してやってきたという歴史は一応持ってるわけです。
SNS遍歴は持ってるわけです。30年以上のね。
そんな中で感じたこととかを、SNSあれこれとして語ってるんですが、
今日のテーマは、統一テーマはバトンがつながらない。
これもいっぱいありすぎてね、バトンがつながらない。
別に、SNS上でバトンつなげなくてもいいじゃないかと思うんですが、
もうバトンつながらずに終わっていったサービスなんて、
もう山のように掃き捨てるほどあるわけですよね。
アメリカンオンライン、Niftyサーブと、何があったかな。
3つ4つぐらいパソコン通信系やっぱりやって、
他にもソネットも持ってたし、富士通も持ってましたしね。
パソコンメーカー系が持ってたやつは、ほぼ軒並みなくなりましたし。
あとはいわゆるホストコンピューターにぶら下がるっていうタイプはもうね、
全て姿を消して、今クラウド上に、インターネット上のクラウドという
技術の中で動いてるわけなので。
クラウドってなんだろうと思うんですけども、とにかく
インターネットの雲の中に全部ぶち込んどけば何とかなるっていう。
何とかなるようにした人たちは大変だったと思うんですが、
こっちは利用者としてはこれはありがたいなと。
もうどこにいても世界中つながると。
最近ちょっと、いきなりね、民泊のゲストハウスに
ちょっとこの二泊、韓国の同い年の方が泊まりに来てくれてたんですけど。
AirbnbっていうのもこれもSNSなんですね、グローバルな。
グローバルなSNSで、目的がはっきりしたSNSなんですね。
あとカーシェア、エニカっていうのもこれも目的がはっきりしたSNSなんですけども。
そのAirbnbのいいところは、これAIの技術も使われてるわけですよね。
メッセージのやり取りができちゃうわけです。
翻訳、自動翻訳で。
向こうは韓国語で打ってる、こっちは日本語で打ってる。
なのに、Airbnbではコミュニケーションがそれぞれの言語でとれてしまう。
これが英語しかり、フランス語しかり、ドイツ語しかり、
ノルウェー語しかり、中国語しかり。
いろんな言語の方がAirbnbでメッセージを送ると、自動で翻訳されて、
届くと。相手のもとに。
時々ちょっとおかしいところもあるんだけど、だいたいわかるわけですよね。
宿を予約するのと、そこまで来るのとのコミュニケーションですから、できちゃう。
ただこれ面白いのは、やっぱりその向こう側にいる人の人となりが、文字だけなんだけど、
AIが翻訳したものなんだけど、やっぱりこのやり取りでだいたいわかるんですよね。
この人はコミュニケーション能力高いな、低いなって言い方は失礼ですけども、
こっちが言ったことに全然ピントぼけたこと返してくる人は、これちょっと大丈夫かなと思っちゃうしね。
そこがもう本当に配慮も効いて、テンポよくコミュニケーションできるっていう。
この感じね、「間」ですよね。
間と緩急。
ここがちゃんとできるか、コミュニケーションがちゃんととれるかって問題ね。
これよく犬の話、私するんですけど。犬とコミュニケーションとれるホモ・サピエンスととれないホモ・サピエンスがいるんですが。
これ言うと、第2コーナー戻っちゃうんで戻りませんが。
そのAirbnb上でも言語の違いを超えてAIの助けを借りながらコミュニケーションができるっていうね。
その時に断片的な言葉のやり取りなんだけれども、通じ合うっていう。
通じ合わない人は通じ合えないという、これがはっきり出るわけですよね。
わずか数行のメッセージのやり取りだけで。
もちろん背景にはそのプロフィール情報とかね。
こっちはこっちでかなり情報を出してるのでね。
そういうのが背景にはあるんですけども、やっぱり人となりっていうのがある程度、本当に断片的な情報で、できちゃうんですよね。
これも第2コーナー戻っちゃいますけど、やっぱりホモ・サピエンスの特性だと思うんですよね。
これ、ネアンデルタール人にはできないだろうと思うんです。
SNSっていうのは、ホモ・サピエンスだから発達・進化したんだっていうふうに、真面目に思ってるわけですよね。
バトンがつながらない話に戻ってきますけども。そんなSNSサービス、いろいろあるんですけれども、
やっぱりバトンがつながらなかったSNSサービスっていうのもあって、終わっていくわけですよ。
例えば、TwitterXはバトンがつながるのか、Voicyはバトンがつながるのかとかね。
ミクシーはなんとか生きながらえてるけど、あれは独自のバトンのつなげ方をして、まだあるということなんですけど。
つなぎ方もあるんですけどね。
その別れ目は何だろうっていうことがあるんですよね。
SNSがバトン、つなげりゃいいってもんじゃないんですけど、終わるなら終わってもらって全然かまわないんですが。
姿を消していったSNSは山のようにある中で、バトンがつながるSNSとつながらないSNSっていうのがあるっていうね。
これは形を変えてどっかでつながってるとも言えるんだけども、やっぱりつながらないSNSの特徴は間違いなく、あるわけですよね。
それが何かということは、またいずれ語りたいと思います。
ということで、SNSあれこれよくわからない話ですが、ここまでにしたいと思います。
ということで、次はザ・冬一郎散歩のコーナーです。
ザ・冬一郎散歩のコーナーです。
今日も1週間分のお散歩音源からお聞きいただきたいと思います。
ということで、6月9日の夕方から、日曜日夕方ですね。
16日日曜日の朝までの収録音源です。
6月9日はちょっと夕方のお散歩、雨がぱらついたんですね。
冬一郎君はもう家の裏の草むらでトトロ状態という感じの散歩。
そして10日は朝、ビスケットおねだりしてお散歩行く前に、朝ごはんも食べてからお散歩行った。ちょっと珍しい日でしたね。
夕方は一目散にというか、最初は家の周りでおしっこした後、ちょっと家で休憩して、いきなり河川敷の方に向かって、うんち散歩でした。
この日は夜7時ぐらいまで、夕涼み。まだまだ明るい札幌ですね、この時期ね。
夏至が近づいてどんどん日が長くなっている札幌。夕方になるとようやく夕涼みができる、そんな音源ですね。
11日、天気が良かった朝散歩。
そして夕方はやっぱり6時過ぎの涼しい夕涼み散歩、トトロ状態。
これは川行かなかったんですね。
12日が28度まで上がったんですね。
ビスケットをおねだりする冬一郎くんの朝散歩。
それから夕方は川に行ってダブルうんちが出たお散歩でした。
そして13日が朝散歩。この日はちょっとだけ気温が下がって24度が最高気温でしたね。
夕方がちょっと曇りで風が出てきた夕方散歩。
そして14日も曇りでちょっと雨模様になるかなみたいな朝散歩。
そして15日が、これゲストの方が見えて。民泊ですね。
なのでゲストの方がいらっしゃると朝が早くなる冬一郎くんということで、朝5時半から、5時過ぎからのお散歩ですね。
15日。そして夕方は川に行ったと。
16日、今日ですけども、日曜日はちょっと風が出てきて雨が降るんですね。
今日はね、午後から昼ぐらいからね。
今日も朝5時21分からの散歩でした。
ちょうど札幌祭りなんですよね。
北海道神宮ではパレードもあるということで、
民泊のお客さん、2日泊まって今日チェックアウトなんですが。荷物だけ置かれて、
札幌神宮じゃない、北海道神宮行ってきますって言って今出かけたとこです。
そんなことで、お散歩音源をお聞きください。
6月9日16時16分。ちょっと雨がばらついてきましたね。
現在気温は19度あるそうです。
でも寒いね。
14度まで下がるそうです、今夜はね。
ということでお散歩行きます。
4時38分。2度目のお散歩に出てきました。
また、トトロの草むら眺めてます。
そんなに草むらがいいんでしょうか。ではまた。
6月10日月曜日朝7時48分。
冬一郎君は朝ごはん食べずにお散歩連れてけと言って
おしっこかなと思ったら玄関先でまずビスケットを要求して
お家の周りを一周回っておしっこして
またお家の前に戻ってビスケット残り2枚よこせと言って
それを食べてお散歩行くかと思ったら行かずに朝ごはんを食べて
今1階のガレージで休憩中。小学生の通学時間です。
今日の札幌は昨日ちょっと夕方雨降ったんですが
雲はありますが青空も広がってきたということで
ちょっと寒いですけどもいいお天気にこれからなっていくのかな
そんな感じの札幌です。ではまた。
6月10日月曜日午後5時50分日が長いですね
まだ昼間のような明るさです。
ようやく日が傾きかけたのでお散歩に出てきました。
暑くなってきましたねだんだんね。
冬一郎君のタテガミにアリンコがたかってますね。
冬一郎は何の匂いに反応してんだお前。
なんか匂いに反応して警察犬やってます。
どこ行くんだどこ行くんだニャンコか。
そっち行かないぞお前そっち行かないぞ
ブーブいるブーブいるから行かないよ。
はいではまた。
6月10日午後6時6分まだ明るいですね。
ようやく夕方になってきたかなっていう感じですが
冬一郎君河川敷に走り出して
河川敷に着く手前の道路でうんちしました。
立派な2日分のうんちが出ました。
いいうんちでしたね。
ということで自転車が来たな、また。
冬一郎君は快調です。快調に走ってます。
はいではまた。
6月10日6時20分夕方です。
まだ日が沈みません。
まだ日が沈みません明るいですね。
ようやく涼しくなってきました。
冬一郎君は河川敷の休憩場所で草の上で涼んでます。
ようやく湯すずみですね。
ひんやりした風が川から吹いてきました。
涼しいねということでうんちも出たし
あとは帰るだけですね。
夏は結局ね、散歩の時間が遅くなるんで
家に帰ってご飯食べてとかやってると
もう夜8時になっちゃうんでね。
まあいいやということでではまた。
6月10日午後7時2分ようやく日が沈みそうですけど
まだまだ明るいですね。
まだ河川敷にいます。
河川敷ようやく帰る気になったんですが
ちょっとずつしか済みません。
冬一郎君帰るよ。
置いてっちゃうよ。
置いてっちゃうよ。
ではまた。
6月11日火曜日朝6時30分
朝の散歩出てきました。
どうした?
冬一郎君朝ご飯食べずに
おちっこが先みたいですね。
元気です。
元気元気。
なんでこんな元気なんだろう。
朝から遊んでくれと言って
毎日のルーティンをこなしてます。
冬一郎君。
クン活中。
ではまた。
今日はいい天気ですね。
少し雲がありますけど。
おちっこしてます。
6月11日午後6時2分
夕方6時なのに明るいですね。
ようやく涼しくなってきました。
冬一郎君の散歩に出てきました。
いきなり家の裏の草むらで
トトロは
トトロ待ちですか。
冬一郎君。
ということで
おしっこだけして
今日はあんまりお散歩しないつもりだね。
この子はね。
ということで
ではまた。
6月12日水曜日朝6時45分
冬一郎君おしっこ。
散歩に出てきました。
今日は28度まで上がるそうで
もう暑くなり始めましたね。
暑くなり始めました。
朝のうち16度で涼しかったんですが
ひんやりしてたんですが
日が差し始めたら気温が上がり始めました。
28度は冬一郎君にとっては地獄ですが
おしっこして家に戻ってます。
ビスケット要求するんでしょうか。
おしっこ溜まってるときは朝ごはん食べずに
先にお散歩行きたがるんですよね。
おしっこして
もうすぐお家戻ってビスケット要求して
最近は1階のガレージで朝ごはん食べて
それからもう1回お散歩行く時もありますけど
行かない時の方が多いですけどね。
お家に戻ってきた冬一郎君。
後ろを振り向いて
ビスケット要求するんでしょうか。
はい、後ろ振り向いて見つめてます。
お、なんだ?
どうした?
ビスケット食べるの?
ビスケット。
ビスケット要求してるみたいです。
ふんふん言ってます。
ということでではまた。
朝の7時20分。
最近の冬一郎君は
朝おしっこして
散歩に出てね。
家に戻って
ごはんを食べて
もう1回おしっこ散歩に出るという。
で、にゃんこのところに来るという。
そんな日課です。
ダブル散歩。朝もダブル散歩。
ではまた。
6月12日水曜日。
夕方5時55分。
今日も
河川敷にやってまいりました。
冬一郎君河川敷の
手前の信号でうんち。
河川敷までもたなかった。
はい、おしっこしてます。
暑いですね今日はね。
28度まで上がって。
まだ暑い。まだ日が高い。
風は涼しくなってきました。
日陰は涼しいんですけど。
日が当たると暑いですね。
ということでお散歩続けます。
ではまた。
6時20分。
豊平川河川敷の休憩場所。
ようやく夕日っぽくなってきましたね。
まだまだ明るい
札幌です。
はい。
札幌も人がだんだんいなくなってきて
さっきまで結構
走ってる人歩いてる人多かったんですが。
さすがに6時半も
近づくと。
皆さん家路につくんですかね。
6時半といえば本当は夕方なんですけどね。
明るいですね。
はい、そんなことで冬一郎君は
休憩場所で草の上で
スフィンクス座り。
ようやく涼しくなって今日は一日暑くて
大変だったと冬一郎君ですね。
これからまだまだ暑くなります。
ということでではまた。
6月13日木曜日かな。
朝6時55分。