逆に冬一郎君はね元気モリモリですね。もう雪が降ると元気元気。
はい本当に元気で、こっちは本当にロング散歩に付き合うの大変ですが。
まあそんなことはさておき、今日もお送りして参りたいと思います。
はじらぢさんでぃシーズン5、27個目のエピソード。生き延びるだけの人生。
はじめるラジオキャンパスシーズン5
プレゼンテッドバイキャンパス。
第一コーナー人生いろいろ。人生いろいろ。生き延びるだけの人生これね。
まあいろんなあれがありますね。歳とって80、90、100とかなって。
まあそういう人の方が意外と元気だったりします。生き延びるだけの人生なのかな。
生き延びるための人生なのかな。長生きは本当にいいことなのかなとかいろんなことを思ったりして私61歳になりましたが。
あんまり長生きしたくないですね。一方で結構70代半ばとかで亡くなられる方が結構ちょこちょこいますね。
火野正平さん、西田敏行さん。あとどなた亡くなりましたっけ。このとこちょっと寂しいですね。
ある意味今の寿命との関係ではやや早く亡くなるってことですが。
そうやって考えると私61ですから75だとあと14年しかないなとかね。
80でもあと19年。そんなにあんのか。19年は長いな。
15年はちょっと微妙かな。そんな感じで。あんまり生き延びたくないなと。
でこれ、生き延びる。君は生き延びることができるかってね。アムロの世界ですけど。
まあそもそもホモ・サピエンス全体が生き延びれるのかっていう問題もありますがこれはまあ第二コーナーで展開するとして。
人生いろいろ。生き延びるだけの人生。私の今の人生は生き延びるだけの人生になってしまっているのか。
それともそうでもないのか。じゃあ何をしているのかってことを考えちゃうわけですね。
今日はちょっと哲学的な話になるかもしれませんね。人はなぜ生きるか。生きる意味はあるのか。
君たちはどう生きるか。僕たちはどう生きるか。僕はどう生きるか。ホモ・サピエンスはどう生きるか。
SNSは生き延びれるか。生き延びるためだけのSNSなのか。何をやっているのか。よくわからないみたいなことが結構起きてませんか。
ここでまあ一つは意味ですね。生きる意味はあるのか。これ永遠の問いですね。生きる意味。
これ私悩みまして。ちっちゃい頃から。高校時代大学時代も結構悩みまして。生きる意味ってあるのかな。
生きてる意味ってあるのかな。みんな悩むと思うんですけど。
それが青春時代過ぎちゃうともうそんなことも考えずに目の前のことだけで生きちゃう人も多いんですけれども。
これ一つは意味ね。意味。もう一個があるんですね。目的。生きる目的はあるのか。人生に目的はあるのか。
これどうやって皆さん答えるんでしょうね。私の結論はっきりしまして。
例えばこんな言い方する人もいました。宇宙の彼方の星にもし生命体があるとしてそこから見れば、
違うね。生命体がないとして、宇宙から見れば地球なんてちっぽけな存在でね。もう血しつぶより小さな存在で。
そこに生きてる人類なんてね。もっとちっぽけな存在で。そもそもそこに意味があるのかなんて。
宇宙から見た時には意味なんかないんじゃないか。話をする人もいたんですが。
これ意味を考えること自体、宇宙とかあんまり関係ないんですよね。ホモ・サピエンスだから考えちゃう。犬は考えないね。
うち我が家冬一郎くんいますけど、冬一郎くん。
俺の生きる意味何かなって。俺いつまで生き延びるかな。何歳まで生きるかなって考えてる風には見えないし考えてないわけね。考えれないわけね。
ホモ・サピエンスだけが考えるようになったんですね。生死の問題。生き死にの問題を考えれるようになったっていうのはホモ・サピエンスだけなんですよね。
それで生きる意味とか生きる目的っていうのを思い悩むわけですが、意味は自ら付与する。
あるいはホモ・サピエンスの社会の中で付与される以外の意味は存在しないっていうのがこれが一つ、私が導いた回答ですね。
二十歳代の時にね。自分で見出す意味。要するに意味存在だってことですね。
人間ホモ・サピエンスは意味存在、意味を問う存在だっていう。
だからホモ・サピエンスの世の中でしか成り立たない問いであるっていうね。宇宙に問われても困っちゃうわけね。宇宙はその問いかけをそもそもしないわけね。
僕は問いかけはしないで、宇宙は問いかけないわけね。神様もいないので神も問いかけはしないのね。
神はなんで我々人間を作ったんだろうなんて神がいないのにそういう話を妄想してしまうのは、
これはホモ・サピエンスが勝手にやってることで、神の与り知らぬことをやっているというだけのことだってことで、
結局、人生に意味を付与するのは、自分であり社会でありホモ・サピエンスであるっていうのが一つと。
もう一つは、目的ね。これもそうなんですよね。目的はあるのか。人生に目的はあるのか。これはもうやっぱり自分で決めるしかないんですよね。
目的喪失の時代に、目的をいろいろこう、本来目的にしなくていいことを目的にしてる人もいますよね。
SNSでバズるを目的にする人とか、いいねがたくさん付くを目的にしてる人とか、いい大学に受かるっていうのを目的にしてる人とか、
人より上に行くっていうのを目的にしてる人もいれば、いろんな目的を設定する人がいるんですが。それでいろんな悲喜交々が生まれるわけですけれども、この目的設定間違えると
良くない。良くない。良くないって言い方、良くないね。目的設定を間違えると、これはいろいろ厄介ですね。目的は正しくって言い方も変だけど、目的はうまく設定する必要があるんじゃないかなと。
人それぞれね。目的をうまく設定できるといいのかなっていう気がするのが、一つね。それから意味。意味はこれはもう、問うてもしょうがない。意味あるもないも、
決めるのは自分という。ある意味ね。人から見て俺の人生に意味あるかなって考えても、それはそんな人も人でそれぞれなので、そんなこと考えてないのでね。
自分で考えるしかないっていうね。意味はね。ある意味、意味はない。あるとすれば自分がつける。自分が付与する。意味付与は自分でやるしかない。これ結論なんですけどね。問題は目的です。目的。
生き延びるだけの人生。生き延びることが目的なのかっていうね。ガンダム思い出しますけど。君は生き延びることができるか。生き延びるのが目的なのか。サバイバル。
これ、それこそジャングル迷い込んで、もう生きるか死ぬかという時には、生き延びることが目的になると思うんですが、それは極限状態であって。
生死の危険に晒されている時には生き延びることが目的になったりすることは当然あるわけですけども、
だけどもそういう生死の危険に晒されてない時に、生きる目的っていろんな設定の仕方するわけですよね。
おそらくやっぱり生き延びることだけが目的になることは、あんまりないと思うんです。今言った極限状態以外にはね。
なので人それぞれいろんな目的設定をして、日々生きてるんだと思うんですよね。
目的見失っちゃうと無気力になったり、やる気が起きなかったり、もう働きたくねえなぁと。
働く意味あんのかなぁ。もうとにかく食っていくためだけにしか働く意味ないんじゃないかなとかね、いろんなこと考えたりするんですが。
まあそういうこと考えませんかね。結局、生き延びるだけの人生は、おそらく生き死にの境目にある人にとっては重大な問題だけど、でもこれは、
そこで例えばね、生命維持装置を病院でね、つけるかつけないかっていう。最近はつけない選択する人も増えてきたような気がするんですけど。
つまり今の医学の進歩は生き延びさせられちゃうんですよね。
意識も失い、何にもこう呼吸も自分でできなくても、管まいちゃったら、管くっつけたらね、生き延びちゃうみたいな。
だから生き延びるだけを目的にしちゃったら、これはやっぱり意味がない。それこそ意味がない。
そうするとじゃあ生き延びるだけの人生じゃないとすると、何をする人生なのか。何をしたい人生なのか。何をするかですね。
問題はこの何をするかのところだと思うんですけども、いろんな考え方があるんですよね。
新しい科学的な発見をして、歴史を超えて人類に役立つんだなんて思う人は、もうほとんどいなくなっちゃいましたけどね。
まあとにかく美味しい目を見て、金さえあれば生きてけると。
豊かに暮らせるし、贅沢に気持ちよく暮らせると。金儲けを目的にする人もいるし。
働きたくないからファイヤーしたいとか言ってね。やってたら炎上しちゃったみたいな人もいるしね。
まあ例えば政治家の皆さんは、世のため国家のため政治家を志しましたと言いながら、
自分のために選挙活動やってるかもしれないみたいな風に見える瞬間もあるしね。
瞬間ね。政治家として生き延びるだけが目的になってるみたいな人もいるのか、いないのか。わかりませんけど。
他にも例えば、どこか就職して、家庭持って仕事持って、とにかく食っていかなきゃいけないし生き延びるしかない。
まあそんな人ばっかじゃないですよね。
もっと何か目的を持って、ちょっとでも世の中が良くなるといいね、
ちょっとでも職場が儲かるといいね、
ちょっとでも給料が良くなるといいねって。
今はでも、あんまり給料が良くなるといいねっていう発想は生まれないですよね。
昔は頑張れば企業の業績が上がれば賃上げに繋がるってあったけど、
今そういうモチベーションは小さな会社とかベンチャー系は別としてね、
あんまり働かなくなっちゃってる。
高度成長期とはもう全く違う時代になっちゃったということですよね。
そうするとこう
まああとはねなんか推しを見つけて推しのライブに行って、
良かったーというね。
生き延びるとか生き死になんかもう考えない。
いつか死ぬってことも考えずにとにかく今が充実してればいいと。
別に延びる必要はないっていうね。今が充実してればいい。
なんかよくわからない話になってきましたね。
師走、何語ってるんでしょうね。
第2コーナーがんばれホモ・サピエンス
第2コーナーがんばれホモ・サピエンス
生き延びるだけの人生
ホモ・サピエンスはやっぱり生き延びるだけの人生を送ってきたから。
動物全部そうですよね。進化する前ですよ。
やっぱり生き延びる力が強かったんですね。
ホモ・サピエンスは必死で生き延びてきた。
その時、幸せとか幸福とかっていうのは
美味しいもの食べた時ぐらいに感じたかもしれない。
情愛とか家族愛とかそういうのに芽生えていったかもしれない。
幸せだなあと思うような気持ちも芽生えたかもしれないけど、
これ後からだよね。
やっぱりいろんな抽象的な思考ができるようになってから、
おそらく5万年前ぐらいからホモ・サピエンスはようやく
ちょっと幸せ感みたいなのを感じれるようになったのかもしれないけど、
それ以前はもう動物的に生きてたと思うので、ある意味ね。
そうすると幸せ云々より今日の食い物を探して
今日食いつないで今日生き延びるっていう。
もうそれで生きてきたんだと思うんですが、
これがいつしかいろんな農業革命が起きたり
いろんなことが起きて、道具も進化して
だんだん豊かになって物質的な生産力が上がる中で、
逆に何が幸せかっていうことを問うようになったし、
生き延びるだけのことを考えなくてもいい時代に入ってきたし。
ところがそんな中で何で生き延びてんのかと。そもそも。
そもそも何で生き延びてんのかっていう、ホモ・サピエンスは。
生き延びるだけのホモ・サピエンスでいいのか。
ホモ・サピエンスは生き延びた先に何か目的はあるのか。
意味はあるのかということも考えちゃうわけですよね。
ホモ・サピエンスどうなんでしょう。
最近AIとか脳科学とか、
脳の本質なんて本も読んだりするわけですけど。
その前からそういうのにこだわって読んでるんですけど。
面白かった論文はやっぱり、脳ですね、
いわゆる神経系の集積したものとしての脳という構造が
どんどん哺乳類からどんどん進化してくるわけね。
大きくなっていって霊長類、その中でも
ホモ・サピエンスで最も最大化するというか、
実はホモ・サピエンスよりネアンデルタール人の方が、脳は
でかかったけど、無駄にでかかったみたいな。
発達するところが違ったりとかね。
大脳新皮質が大きいとかどこどこが大きいとか。
ホモ・サピエンスは大脳新皮質がとにかくでかくなったっていうね。
ここが最大の特徴ね。
この大脳新皮質を肥大化したことで生き延びてきたんだね。
生き延びるために肥大化させてきたんだよね。
ところがこれが結構、厄介で大脳新皮質とかできてきちゃったもんだから
意味とか目的とか幸せとか考えるようになっちゃったっていうね、
ことも言えるわけで。
そうすると、それで脳が進化してきた結果、
ホモ・サピエンスの脳はいろんな科学を生み出し
コンピューターを生み出しAIまで生み出しちゃったわけね。
ある論文で書いてあって、これちゃんとした論文なんですよ。
脳の進化史。脳が進化する歴史。
ホモ・サピエンスだけじゃなくてね
全ての動物種における生命体における脳の進化史を辿っていくと、
ホモ・サピエンスの脳は人工知能AIを生み出す中継ぎに過ぎなかった
みたいな論文があったりして。
あ、それそうかもねみたいな。
もうマトリックスの世界ね。
要するに
ところがこれは私なりの今の考えで言うと、
結論的にはそうではないんですけど。
そうではないんですけどね。
ただそうなる可能性もあるんだよね。
結局、AIが身体ですね、
AIが身体性、知覚を身体的に身につけられるかどうか。
しかももう一個は運動ですね。
知覚と運動ね
知覚能力と運動能力をAIに組み込めるかどうかですね。
これがロボットに組み込まれたAIっていう話になると、
これ可能性出てくるんですよね、実はね。
AIが個体化して経験によって学習するようになる
っていうのは、これはやっぱり身体を持つと。
人間と同じような五感を持つということがとても重要で、
そこでやっぱり知覚と運動ですね。
知覚と運動によって学習して、
自己の世界とのズレを修正していって生き延びるみたいな
そういうAIが出てくると、
これはまさにホモ・サピエンスは
AIを生み出す中継ぎバトンランナーに過ぎなかった
っていう説に説得力が出てきちゃうっていうことなので。