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中村泉の三味線民謡ラジオ。
こんにちは。玉村町在住の三味線木付講師の中村泉です。
この番組は、かごめかごめ、そうらんぶしなど、
知っていた曲が実は民謡だった。
そんな身近にある民謡や三味線についてご紹介します。
今回ご紹介するのは、群馬県で代表的な民謡、ヤギブシです。
この歌の始まりは、幕末の頃、日田郡木崎塾、
現在の大田市の旗子にいた、越後生まれのめしもり女が歌った
「進歩高台軸寿司」という歌が、土地の人気にかない
木崎節となり、ヤギブシへと変化していったと言われています。
ヤギブシは、礼平市回廊沿いに広まり、たまたま八木塾の渡辺玄太郎、
後の堀込玄太という馬形の美声が、これを広めたと言われ、
ヤギブシとも玄太郎節とも呼ばれ、大正3年、1914年にレコード化される際、
曲名をヤギブシとし、大ヒットしたのです。
この歌の歌詞は、国貞忠治、五郎正宗、鈴木門戸などが有名ですが、
よく歌われているのが国貞忠治のお話です。
国貞忠治は、実在の人物で忠治の老いたちを歌っています。
忠治という人は、1810年、上州西郡国貞村、現在の伊勢崎市生まれ。
本名は長岡忠治郎。腕っぷしの強さと度胸の良さで、その名をとどろかせた幕徒。
幕徒とは幕知をして政権を立てているもので、関東一円にその名を知られた大親分でした。
天保の大規権の際は、資材を投げ打って、旧民を救ったというお話も残されています。
忠治の最後は、歌英三年、1850年7月、脳一血で倒れます。
石書破りなどの罪で、8月には逮捕され、12月21日、阿賀妻郡大戸村の石書前で、張り付けの刑に処せられます。
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41歳という短い生涯でした。
後に、国貞忠治の演目は、新国劇や大衆演劇でも人気で、
赤城の山も今宵を限り、のセリフで知られる赤城山の別れは、特に有名です。
それでは、4代目堀込玄太さんの歌で、八木節をお聴きください。
わくわくしてくるこのリズム、何度聴いても古さを感じず、元気の出る歌だと思いますが、皆さんはいかがでしたでしょうか。
中村泉の三味線民謡ラジオ、今月で最終回となります。
1年間お聴きいただきありがとうございました。
今後は地元玉村で、イベントを中心に活動していきます。
どこかでお会いできるのを楽しみにしています。
それでは皆様お元気で、中村泉でした。