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中村泉の三味線民謡ラジオ。
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こんにちは。玉村町在住の三味線着付け講師の中村泉です。
この番組は、かごめかごめ、ソーラン節など、
知っていた曲が実は民謡だった。
そんな身近にある民謡や三味線についてご紹介します。
高橋竹山の生い立ち
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今回ご紹介するのは、津軽三味線奏者、高橋竹山です。
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竹山さんは、1910年、明治43年、青森県東津軽郡平内町に生まれます。
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幼少の頃、はしかが原因で半失明となってしまいます。
小学校にもろくに行かず、14歳頃、
「ボサマ」と呼ばれる門付け芸人の弟子になり、三味線と唄を習います。
「ボサマ」というのは、盲人の芸人の事、
そして師匠に連れられ、門付けの旅に出るのです。
門付けとは、家々の軒先で歌や三味線を聞かせ、
わずかなお米やお金をもらい、
蔑まれひどい仕打ちを受けたりと、大変つらい旅でした。
この頃、盲人の人たちは、
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按摩か芸人をするしか生きる道がなかったといいます。
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2年ほどで独立し、
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17歳から一人で東北北部、北海道を門付けして歩きます。
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1950年、小学年、津軽民謡の名人、成田雲竹と出会い、
伴奏者として各地を興行、開花していきます。
その頃、師匠雲竹より竹山の芸名を受けるのです。
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以後、雲竹竹山のコンビで多くの津軽民謡を発表していきます。
津軽三味線の普及と魅力
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1963年、昭和38年、キングレコードより、
史上初の津軽三味線独奏、LPレコード、
「高橋竹山の世界~津軽三味線~」を発表します。
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そして昭和40年代、民謡ブームがやってきます。
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1973年、昭和48年、東京渋谷にある小劇場ジャンジャンのライブで、
多くの若者の心をとらえ、広く知られるようになります。
津軽三味線には唄付けと曲弾きがあります。
唄付けとは唄い手に伴奏をつけること、
曲弾きとは最初から最後まで歌なしで演奏することです。
今よく聞かれる津軽三味線は、この曲弾きが多いのではないでしょうか。
曲の前奏部分が独立していったもので、演奏者の即興で演奏します。
同じ曲でも演奏者によって構成が変わります。
そこが津軽三味線の魅力ともいえます。
単なる民謡の伴奏楽器に過ぎなかった津軽三味線を、
表現力豊かな独奏楽器に高めた功績は大きいといえます。
1975年、「自伝・津軽三味線ひとり旅」を出版。
2年後、映画「竹山ひとり旅」が制作されました。
演歌歌手北島三郎さんが1980年にリリースした「風雪ながれ旅」は、
竹山さんの生涯をもとに作られた作品です。
そして、1986年にはアメリカ7都市で10回の公演をしたことで、
世界が津軽三味線の名を知ることになります。
1998年2月5日、咽頭癌により生まれ故郷の平内町の病院で、
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87歳の生涯を終えます。
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今では津軽三味線は若い方が習いたい人気の楽器でもあります。
若手の演奏家もたくさん活躍されており、
津軽三味線全国大会などのコンクールも盛んに行われています。
それでは高橋竹山で津軽三味線の演奏をお聴きください。
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いかがでしたか。
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私が若かりし頃聴いた竹山さんの三味線の音色は驚きと尊敬でした。
そして今聴いてもその感想は変わりません。
中村泉の三味線民謡ラジオ、
今回は津軽三味線奏者 高橋竹山をご紹介しました。
ここで私からのお知らせです。
4月27日土曜日午後2時から、
玉村町小泉の重田家住宅にて「琴と三味線の奏で」
と題して琴と三味線の演奏を行いますので、ぜひお越しください。
この番組はラジオななみポッドキャストでもお聞きいただけます。
また次回お会いしましょう。中村泉でした。