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おはようございます。鶴岡慶子です。 この配信では、花火や天気、言葉に関することなどをお話ししています。
司会やナレーションを通じて、日々感じたことなどを語る声の日記です。 毎朝更新しています。
新聞のお悔やみ欄と葬儀終了
今日は、新聞のお悔やみ欄、葬儀終了についてお話をします。 新聞のお悔やみ欄は市町村単位で載っています。
名前と去年、葬儀に行って場所などを載せています。 その他に、遺族が死亡広告を別途出す場合もあります。こちらは有料です。
お葬式のスタイルが、時代とともに少しずつ家族層という形が増えてきていたので、新聞のお悔やみ欄に一切載せないという方が、実際の3分の1ぐらいになっていました。
さらにコロナ禍を経て、人の密集を避けるために、身内だけで済ませましたということで、さらに新聞への掲載をしない、あるいは載せたとしても葬儀終了という形で掲載をする方が本当に多くなりました。
私は、この葬儀終了という報告のあり方がよろしくないという立場です。 そういう立場で、これからお話をしていきますが、よろしければ最後までお付き合いください。
まず葬儀終了を見て、訃報を知るということは、亡くなってから、ちょっと経ってからその方の訃報を知るということになりますよね。
そして何よりも、もう葬儀は終了しているわけですから、お別れをする機会を奪われたっていうことでもあるんです。
もう終わっちゃったっていうことですよね。 葬儀とか告別式に参列できない場合は、弔電でお悔やみを伝える方法というのがあるんですが、
弔電は葬儀や告別式の前の日までに届くように送るものなんですね。 じゃあ葬儀後に訃報を知った場合にはどうしたらいいのかっていうことになると、
手紙を添えて香典や仏前にお供えするお菓子や果物などを送るといいと思います。 直接行くっていう弔問は、従来のマナーとしては49日法要を迎える前に行くというのがあります。
落ち着いた頃に行きますというのは、最もらしいマナーに聞こえるんですが、ちゃんと葬儀をやり終えて気持ちを整えたところに悲しさが何度も戻されてしまうという、そういう一面もあるんだっていうことを、葬儀後に直接出かけていくっていうことはそういうことなんだっていうことをよく知っていた方がいいかなって思います。
実はこれ実際我が家の場合なんですけど、こうやって人を迎えるっていうことがとっても大変だったんです。 個別で迎えることになりますよね。
父は入院先で請求したんですけど、母は看病でその病院に通っていたので自宅のことはなおざりだったんです。
入院先から遺体とともに自宅に帰ってきたわけなんですが、葬儀会社の人と一緒に自宅に到着してそこで自宅の鍵を開けるということになりました。
掃除も半端だし、食事の買い物も半端です。真夏だったのにその夏は初めてエアコンをつけて、その時壊れていることをそこで知るという事態になりました。
まあエアコンはね、もう事故だったんですけど、そんな風にバタバタしてたんですよ。
そんな風にバタバタしている中に急な訪問がどんどんどんどん押し寄せてくるということになって、
さらに葬儀が終わった後も急な訪問も本当に多くて、こんな風にさみだれ的に今日も明日も明後日もっていう、
いろんな方がやってくる事態に本当に疲れ切ってしまいました。 母は一人で迎えていたので、来客があるとお茶を出すこともできない。
葬儀終了の報告の問題点
そしてお茶をいざ出そうとすると立ち上がるわけですよね。 会話をしている中でちょっと立ち上がろうとすると、
長門で訪れた方が何か会話が終わったんだと思って帰ろうとするんですね。
そうなるとこちら側としてはなんか追い返してしまったみたいな感じで気まずくなるんですよね。
そういうことでも本当に気持ちも疲れ切ってしまいました。
いろんな人が周りにいてお迎えできる状況なのは、49日ではなくて実際は葬儀終了までだなって思います。
そこまでは割と親戚の人たちがいるので、お茶を出してくれる人たちもなんかいたりするんですよね。
ちょっと余談ですけど、父が亡くなった時っていうのは私はラジオの生放送中で、ようやく自宅に帰った時っていうのは父が亡くなってからもう5時間ぐらい経ってからだったんですよ。
さらに私は1週間後に花火大会の司会があって、その打ち合わせがあったり、さらにその打ち合わせを受けて台本を書くっていう仕事がありました。
で、台本っていうのは花火の解説台本なので、なかなか代りはいないんですよね。
そういうことで出たり入ったりしていましたし、初7日明けますと仕事に復帰しますよね。
私も姉も通常業務になるわけです。生放送の時間はやってきますし、花火大会もちゃんとやってくるわけです。
だからもう母が一人で対応していたっていう感じなんです。
何回も言いますけれども、姉もいて、まあ私はちょっと出たり入ったりだったんですけども、私もいてっていう状況はやっぱり葬儀終了までなんですよね。
だから落ち着いたらいこうっていう考え方はまずは捨てた方がいいなって本当に思います。
遺族の礼を尽くす儀式の重要性
うちは市町村のお悔やみ欄にも出しましたし、死亡広告もちゃんと出したんですね。それでもこんな風にさみだれ的にやってくるわけです。
じゃあ葬儀終了って出したらどうなのかっていうことなんです。
そもそも葬儀終了っていう報告のあり方がよろしくないからこういうことが起こるわけですよ。
知人に亡くなったことを知らせずにいるっていうのは、その知人に失礼だと思うんですよ。
亡くなった方が誰にも見送られずにかわいそうということじゃなくて、いやもちろんそれはかわいそうなんですけど、そういうことではなくて、ちゃんとお別れを言えなかった知人がかわいそうだと思うんですよ。
故人の意思があったにしても知人に対して礼をかいてはいけないっていうふうに私は思います。
そしてちょっと下世話の話になりますけれども、大きく葬儀をやろうとしても家族葬でやろうとしても人が亡くなることでかかる費用は実はあんまり変わらないんです。
かえって家族葬の方が弔問がない分、会葬者がない分、香典がないということですから、代金は出ていく一方になるんです。
入ってくるものはないわけですからね。 質素に簡単にというイメージの家族葬ではあるんですが、費用は質素になりません。
そういう意味でも果たして葬儀終了という形がいいかどうかっていうことなんですよね。
そうであれば亡くなった方がお世話になった方々にちゃんと遺族が礼を尽くすというのがいいんじゃないかなって思うんです。
そして何よりも儀式には一つ一つ意味があるんです。そこはスキップせずに省略せずにちゃんと亡くなった方を送ってあげたいなと思います。
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ではまた明日もお会いしましょう。 鶴岡慶子でした。