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2022-06-05 04:36

【0002】2022/06/05 子どもの頃は声にコンプレックスがありました

2022/06/05
コンプレックスだった声が仕事になっちゃったんです。

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おはようございます。
2022年6月5日、日曜日の鶴岡慶子と、花火と天気と。
花火鑑賞誌で、気象予報誌の鶴岡慶子が、司会者として、そしてラジオパーソナリティとして、経験してきたことや、日々感じたことなどを語る配信です。
日本の秋田県から発信しています。
どうして声の仕事をしたのかっていうことを、ちょっと思い出してみています。
もともと私は小さい頃、すごく声が小さくて、授業の中でも、聞こえませんって周りから言われて、めそめそするような、そんな子供だったんですよね。
国語の音読なんかも、指名されても、とにかくスラスラ読むのが苦手っていうので、どうか指名されませんように、当たりませんようにっていうことを願いながら、国語の授業を受けていた、そんな高校時代を過ごしていました。
大学は英語学科だったので、毎日英会話のゼミがありました。
そこで、とにかくプレゼンをしなきゃいけなかったんですね。
そうなってくると、そんなめそめそしてられないんですよ。
これでは社会に出ても、私は生きていけないんじゃないか。
そう思ったので、アナウンス学校にダブルスクールで通うことにしました。
当然、落ちこぼれですよ。
もうアナウンス学校って、アナウンサーを目指している人たちが、すでに上手な人たちが来ているわけですから、当然落ちこぼれだったんですけれども。
その人たちに負けられないと、負けず嫌いだったんですね。
だから、とにかくトレーニングしました。
千葉市に住んでいたので、海辺だったんですよね。
海にマウンテンバイクを走らせて、海に向かって大声を出したりとか、腹式呼吸ができるようにっていうので、寝転がって声を出してみたりとか、ジャンプしてお話ししてみたりとか、そんなことを日々やっていました。
でも、昨日の自分と今日の自分って何の差があるんだろうって、毎日毎日思ってました。
毎日毎日思いながら、これ何になるんだろうなと思いながら、でもやってくるんですよ、その瞬間が。
ああ、なんか私自分の声が、自分の体の中で響いているっていう感覚になる日が、その時が来たんですね。
ああ、なんかこのトレーニングって裏切らなかったなって思うんです。
で、そこからは少し自信が持てるようになりました。
英会話のゼミの中でも、プレゼンが億劫じゃなくなりました。
もちろん英語力はそんなに高くなかったんですけれども、それでも前に出ることにそんなに抵抗を感じなくなりました。
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そんなところから仕事につながっていくんですけれども、考えてみると、もともとコンプレックスだった自分の声、それがギャランティーをもらえるようになるなんてっていう、そういう喜びもすごく大きかったんですよね。
だから司会の事務所に行くっていうふうに、自分でよく決めたなと思うし、そこから修行時代ってすごく厳しい修行だったんですけど、その修行の話はまた別の機会にお話ししたいと思うんですが、その修行を諦めずに最後までできて、デビューに至るっていうことができたなんてすごいなって本当に思います。
ここに出会えたっていうのはすごいご縁だったなと思います。
そう考えると、自分の声が変わったっていう、その体験って大きかったと思います。
その成功体験があったからこそ、この厳しい修行に耐えられたと思いますし、この厳しい修行の向こうにきっと楽しいことがあるに違いないって思って頑張れたんでしょうね。
そして私はそこからずいぶん長いこと司会の仕事をしてるんだなぁと思いますね。
鶴岡恵子と花火と天気と、今日も一日元気に過ごしましょう。
鶴岡恵子でした。
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