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おはようございます。このチャンネルは福島県郡山市在住の特撮アニメ漫画大好き親父のピョン吉が日々気になったことをダラダラと話をしていくという番組です。
そんな話の一言を聞きになりまして、もしもあなたの心に何かが残ってしまったら、ごめんなさい、悪気はなかったんです。
不幸にもこの番組に興味を持ってしまったら、ぜひ今後もご非力のほどよろしくお願いいたします。
そんなわけでダラダラといかせていただきます。
改めましておはようございます。このチャンネルのナビゲーターのピョン吉です。
本日の放送は2022年の3月13日日曜日。本日は第14回目のお話となります。
2週間あっという間でしたね。この第14回ということでね。2週間あっという間でした。
次回無事第3週目ができるかというのは、こうご期待という状態ですね。
さてさて、今回は自己紹介の第4回目のお話をいたしたいと思います。
これから大学デビューを考えている人も多いと思うので、何かの参考になるかなと思って語らせていただきますけれども、
多分ほとんど何も参考にならないですね。
前回ですけども、漫画アニメの研究サークルに入ったというお話までをいたしました。
今回は自己紹介の第3回目の続きであります。
その回の話にありましたように、漫画アニメの研究サークルに入ったんですが、
これがガッツリとアニメや特撮を研究するサークルに入ってしまったんですよ。
当時、アニメとか特撮、こういったもののサブカルチャー的なものは、
学問的に研究している人はまだほとんどいないし、まとまった資料らしい資料もほとんどなかったんですね。
だからちょっと調べればあっという間にトップになれるという状態だったんですね。
またインターネットのように簡単に資料が手に入る時代でもないですからね。
ですからちょっと研究すれば、その分で選挙者になれたんですよ。
それで非常にみんなやる気になっていたんですね。
研究したら、もちろんその成果をそのままにしたら意味がないんですね。
というわけで会社を発行するんですよ。年4回。
それがすべてオフセット印刷。書いたやつがそのまま印刷されるというオフセット印刷。
その先言いました会社4号以外、その他新入生号、卒業生号の特別号も発行するんですよ。
つまり年間6冊発行するんですよ。
そしてさらに年に1本映像作品を制作するんですね。
20万円以上の予算をかけて制作します。
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それを大学の学園祭での作品発表を目標にして作っているんですね。
そして学園祭ではイラストだとか模型だとか、そういった作品展示。
その他資金を集めるための販売する品物の製作、そういったこともやっていました。
さらに郡山市のアニメ文化を発展させるために、
郡山市の中央図書館にある視聴画室を使ってですね、
プロジェクターを1回3万円かけて借りてきて、
そしてアニメの上映会などもやっておりました。
それからあと郡山市で始まったばかりの同人誌即売会、
コミックセンチュリーって言うんですが、これなんかも開催の手伝いなどもしておりました。
さらにですね、喫茶店を開いてですね、イラストの展示会だとかそれもやっていました。
さらにとどめはですね、毎週作の会員内向けに新聞を作るんですね。
毎週毎週コピー機で印刷して作っていました。
正直言って今考えると異常ですよね。
本当にすごいよくやってたなという感じです。
原子研っていう漫画があります。
月刊は2人に連載されてた木尾志木さんの作品ですが、
その作品の中のコミックが1巻から9巻までが2004年と2007年にアニメ化になりました。
その時見たんですけども、ぬるっと思っちゃったんですよね。
同じ漫画アニメゲームなどを研究する大学のサークルの現代資格文化研究会なんですが、
同人誌一冊作るのにもすごく時間かけて、確かにオタクのレーンを扱った作品としては面白かったです。
書けなくて申し訳なかったですが、ちょっと私にはついていけなかったなということになります。
当時自分たちはなぜそんなに熱くやっていたのかというと、
大和からガンダムという感じのアニメのブームがずっと続いていたことがあります。
というわけでその漫画サークルに会員数が50人以上いたんですよ。
その会員から会費を集めることができるので資金は潤沢。
その会員の人たちを使って労働力もたくさんある。
というわけでいろんなことにチャレンジできたわけですね。
また当時はあまり世間で話題になっていませんでしたが、
特撮やアニメの実製作ブームというのもありました。
火をつけたのはですね、まあ諸説はいろいろありますけども、
確実なものとしては現在超有名なエヴァンゲリオンとかシンゴジラの庵野監督ですよ。
庵野監督が言ったダイオコンフィルムですよ。
どんなエポックメイキングだった作品だったかというのはですね、
下本一彦さんの漫画青い炎を読んでもらうと一番だと思います。
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また2014年にテレビドラマ化されてますからね、ぜひこれも見てもらいたいなと思います。
いかにですね、すごかったのかと。
当時ですね、庵野監督の作品なども見てなかったとしてもですね、
それによって影響を受けて飛び火して、そしていつの間にかみんなこの火場に巻き込まれてた感じですね。
また当時はですね、機器的なものもあると思います。機械的なものね。
アニメ作りにしたってですね、必要な8ミリカメラ、8ミリフィルムカメラです。
そのやつがコマ撮りできるやつが安価になったというのもあるでしょうね。
安価と言ってもですね、やっぱりいいもの欲しいんで、中古で20万くらい。
大学1、2年生でそんなカメラを買ったりするやつがいたんですよね。
もちろんあとビデオ機器、ビデオデッキを買ってね、そして研究することもできたというのもあると思います。
というわけで、みんなアニメについて研究だとかね、制作だとかそれに打ち込んでいたんですよ。
そんな風な非常に熱い時代だったんですね。
入学者ってことはですね、新入生歓迎コンパが開催されました。
現在のようにですね、どこかの居酒屋を借りてっていうんじゃないです。
もう体育会系のノリなんでね、寮邸の座敷を借りてやりました。
最後にはですね、大学の校歌を歌ってって感じですね。
その間に一時会の終了となります。本当に体育会系の宴会って感じですね。
ところがですね、私たちの入学を祝ってくれるはずの新幹コンパなんですが、何か先輩たちの様子がおかしいんですよ。
なぜかなと思ったらですね、実を言うと、サークルの先輩が大学を辞めるって言うんですね。
それで先輩たちが止める人だとかね、あるいは逆に言うと進めるやつだとか、そういう人がいて議論してるんですよ。
大学を辞めてもどうするかって言うとですね、アニメスタジオで仕事をするって言うんですよ。
そういうわけでアニメ業界って一部の大学生にとってはですね、もう大学を辞めても飛び入りたいっていうのはすごく魅力的な世界に見えたんですよ。
もうアニメっていうですね、大きな波が来ている。それはね、もうひしひしと感じられるんですね。
自分が大学を終えてから参加するのは遅すぎるんですね。今飛び込まれてどうするのか、そんな感じになっちゃうんですね。
実際その大学を辞めた先輩はですね、後にとあるアニメスタジオに入りまして、その後ですけども、機動警察とパトレーバーだとかね、
あとあるガンダムなどの作画監督などになるんですよ。
というわけでね、時代に巻き込まれないようにね、というかね、冷静な面を持ちましょうっていう感じですかね。
はい、というわけで時間が来てしまいました。本日の話はここまでです。
ご視聴ありがとうございました。
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ではここまでです。そのうち辞めた先輩の話とかも漏らすかもしれません。
というわけで、それではまた次回です。よろしければまたお聞きください。
今日も一日頑張りましょう。