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(カフェに行く前に)
こんにちは、こんばんは、おはようございます。カフェにわおです。
この前さ、美容室行ったんです。
髪を切ってきたんですけど、
最近、美容室に行くと、
結構タブレットで雑誌を読めるようにしてくれるところが多いじゃないですか。
僕がしばらく通ってた美容室は、そういうタブレットを出してくれるタイプで、
Dマガジンとか楽天マガジンとかがそのタブレットで使えて、好きな雑誌が読めますよ、みたいなスタイルだったんですね。
今回はちょっと今までとは違うところに行って、
久しぶりに紙の雑誌が2冊目の前にポンって置かれたんですよ。
で、結構そのタブレットで渡されると、
結局、なんていうか、自分がいつもそういう時に読む雑誌しか読まなかったりするじゃないですか。
決まって、ある程度興味を惹かれる系のやつなんだろうな。
僕だったらその文房具とか、ガジェットとかが好きなんで、
そういう雑誌をよくそういう場では読んだりするんですけど、
今回はそのポンって置いてくださったうちの1冊が、いわゆるファッション誌だったんですね。
ファッション誌なんか久しく読んでなかったので、
久しぶりにせっかくだし読んでみようかなっていう、ちょっとその偶然の出会いをね、大切に読んでみたんです。
で、そのモデルさんがね、いろんな洋服をこう着て写真に載ってて、
そのモデルさんが着てるベージュのカーディガンがね、
「あ、これちょっとオシャレでいいな」って思ったんです。
ちょっと立体的なデカめのアメメイカーがあるやつって表現でいいのかな。
なんだろうな、ユニクロとか無印に売ってるような、
縫い目がそんなに目立たないペタンとしたカーディガンじゃなくて、
もっとちょっと見た目がボコボコモコモコしてるような感じの立体的なカーディガンをね、モデルさんが着てて、
「あ、いいな、これちょっと欲しいな」って思って。
で、そのモデルさんの下の方にちっちゃい文字でさ、
「このカーディガンはどこどこのブランドでいくらで売ってます」みたいなのが載ってるじゃないですか。
で、その値段を見たら、
「43万」って書いてあって、
「43万!?」みたいな。
「こっちは4000円のカーディガンでいいとこなのに」って思ってさ。
で、どうもね、その雑誌自体が、
僕がこれまで読んできた雑誌よりも年齢層が、
たぶん一番ランク上のものだったんだと思うんですよ。
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たぶん女性向けでもそうだと思うんですけど、
男性向けのファッション雑誌って、
大まかに年代ごとに大体これが合いますみたいなのが分かれていて、
高校生ぐらいだったらファインボーイズで、
大学生になったらメンズノンノとかになって、
社会人になったらジョーカーになってみたいな、
そういう感じのランク分けみたいなのが大まかにされていて、
僕は大体これまで、メンズノンノからジョーカーぐらいのレベルの、
大学生から新社会人向けぐらいのレベル帯のファッション雑誌しか見てなかったんです。
大体そういうやつに載ってるのもまあ高くて、
8万とか10万とかするんですよ。
その時点でそもそも高くて買えなかったのに、
勝手にファッション雑誌のランクを上げられて、
そんな40万とか言われちゃったらさ、
もうなんか読む気なくなっちゃいますよね。
それをその値段を目にして僕はパンと雑誌を閉じたんですけどね。
いやー誰向けなんだろうなあ、あれって。
いつかそんな40万の服とかをポンと買えるようになるものなのかなあ。
全然ね、なんか見当つかないんですよね。
なるのかなあ、ならない気がするけどなあ。
さて、本日の本題ですけれども、
先日ね、前回第14回で僕が夫婦喧嘩をした末に、
一応夫婦関係が修復されたのではないかというふうな回を出しましてですね。
自分で聞き返していても、なんとも歯切れが悪くて恥ずかしかったんですけど。
でですね、その回を出した後にですね、
僕のポッドキャスト関係の友人からですね、
僕の基準で言うと、2回飲食を共にしたらそれは十分友人だと思いますので、
年上の方ではありますが、友人というふうに呼ばせていただきますけれども、
その僕の友人から松井秀吉さんの座右の銘をご紹介いただきましてですね。
松井秀吉さんはあれですね、野球界のレジェンドの方ですね。
とりあえずそのまま読み上げます。
心が変われば行動が変わる。
行動が変われば習慣が変わる。
習慣が変われば人格が変わる。
人格が変われば運命が変わる。
だ、そうでございます。
はぁ、なるほどと思ってですね。
あの、まぁその先日のあの夫婦喧嘩では、
僕が普段子供に対して接している時に、
子供のアクションに対してリアクションを返しているのではなくて、
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子供がアクションを起こして、それに対して妻がリアクションをして、
そのリアクションを見て、僕がリアクションするという風な手順になっていたなっていう風なことに気づいて、
これはいかんということで、
妻のリアクションは一旦度返しして、
子供のアクションに対して率直な僕のリアクションを行っていこう、みたいな、
そういう感じでね、あの行動を変えていったんですけれども、
大体なんというか、その、行動だけ変えようとしても、
ヘテしてうまくいかないものだなという風に、
この格言を見て感じたと同時に、
僕がそういう風に、あの心を改めて、行動を改めたことによって、
まあゆくゆくは、なんというか、
我が家一家の運命がいい方向に傾いてくれているのであればいいなって思ったりとかね、
まあちょっといろんなことを、この言葉を見て考えたんです。
で、あの僕、この言葉と言いますか、
その主に冒頭のところですね、
心が変われば行動が変わる、というところについて、
今まで似たようなことを考えたことが人生の中で2回ありましてですね、
どちらもちょっとこう仕事絡みの話になるんですけれども、
うち1回は、患者さんが、
みなテレビでやっている健康体操みたいなことをやって、
痛くなっちゃいましたって来てしまうのは何でだろうって考えた時が1つ目と、
もう1個は、僕が個人的にコーチングの勉強をしている時なんですよね。
で、僕はその理学療法士という仕事をしていて、
患者さんにリハビリを提供することをね、
なりわいとしてやらせていただいてるんですけど、
まあみんなね、
テレビでやっている体操であったりとか、
雑誌に載っている体操だったりとかを非常によくやられるわけですね。
テレビのワイトショーなんかだとね、
コロナ禍入った主婦なんかは、
運動不足になって肩こりが起きるから、
解消するためにこのストレッチをしましょう、みたいなのが結構よく見受けられましたけれども、
だいたい肩こりであったり腰痛であったり、
諸々の問題があって悩んでらっしゃる方は、
それに関してご自分で調べられて、
テレビでやっている体操とかをやるわけですね。
で、よくなる人ももちろん一部いらっしゃると思うんですけども、
それなりな割合で悪くされることが非常に多いんですよ。
で、悪くなっちゃったんですって言って、
その僕らのところに来て、
我々側でそれに対するこういうことは負担が大きいからやっちゃいけませんよ。
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まずはこれぐらいの運動からにしましょうね。
よろしくお願いします。
じゃあお疲れ様でしたって言ってこう帰っていくわけです。
で、次来た時にまた別の体操をやったら悪くなっちゃいましたって言って、
こういうことは負担が大きいからやめといた方がいいですよ。
こういう運動でやった方がいいんじゃないですか?
って返してみたいなことをね、
結構人によってはね3回も4回も繰り返すんですよね。
で、ちょっとこう話が飛躍しますけれども、
前に、なぜ、
二世医学が流行るのか、
で、なぜ我々の言葉が届かないのか、
みたいなことを、
どこかのお医者さんがね、
あの新聞の記事かなんかに載せていたんですけれども、
それをいわく、
患者はその正しい治療を求めているのではなくて、
あくまでも自分が納得できる、
自分が信頼できる治療を求めているのだ、
みたいな、
そういう言葉がその記事には載っていたんですね。
なるほどなぁって思って、
やっぱりこう患者さん方からすると、
当時の僕はまだ20代半ばとか、
26、7ぐらいの年だったと思うんですけれども、
その26、7ぐらいの理学療法士という
得体も知れない資格を持っている若造の言葉よりは、
やっぱりテレビという大型メディアで、
で、代々的に歌われているストレッチであったり、
なんかトレーニングだったりの方が、
よっぽどこう信憑性が高く見えるわけですね。
仮にそれは、僕の方がどれだけ正しいことを提供している、
ここで言う正しいっていうのは、
その方の症状が良くなるっていうニュアンスですけど、
どれだけ僕が正しいことをやっていたとしても、
信用させる力であったり、
納得させる力であったりが、
そういうマスメディアには及ばなかったから、
そういう事態が起きたのであろうと、
いう風に僕は捉えたんですね。
ある意味、僕がこうしたら良くなりますよ、
ということを伝えて、
それを患者さんにやってもらおうとするっていうのは、
そもそも信頼関係が築けている人だったらね、
僕が言っていることであれば、
信じてやってみようという風な、
心が大前提にあって、
行動を変えてくれるんだと思うんですけど、
そこがない中で行動だけ変えさせようっていうのは、
難しいんだなっていうのを、
その時に学んだんですよね。
まあそうは言ってもなんですけど、
ことを、僕の仕事においてはですね、
いろんな方が患者さんとしていらっしゃって、
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真剣に自分の症状を良くしたいと思って、
我々に、ちょっと大げさな言い方になるけれども、
教えをこいに来た、みたいなスタンスでいらっしゃる方もいれば、
例えば家族に言われてやむなく来ましたとか、
若い子とかだと特にそうですよね。
中学生、高校生ぐらいの子が来たりとかすると、
別に本人は大して悪いと思ってないけど、
親が言うから、先生が言うから、やむなく来ました。
何するんですか、俺、みたいな感じの子が来たりとかするわけ。
そういう子には何言ったって、その行動変わりようがないんですよね。
だからそういう子が来た時に、
どれだけヘビーな状態だったとしても、
行動が変えられず、結局勝手に来なくなり、
助けてあげられなかったなっていうふうに思うことが当時あったんですが。
だからまず大前提として、
患者さんとの信頼関係を築くっていうのはやっぱり大事なんだなっていうふうに思いましたね。
そんなことはね、学校でも当然習う話ではあるんですけれども、
ある意味学校とかでは、自分が正しいことをやる、
僕は正しいことをやっていますよっていうことを患者さんに説明する。
説明することによって納得が得られる、信頼が得られるっていうふうな道筋を習うわけですけど、
やっぱそれだけじゃないんですよね。
正しいことを言って、いくら「これこうやったら正しいんですよ」って説明したって
響かないやつには響かないから。
そういう人に対して別のアプローチをしなきゃいけないなと思った部分と、
そういう人は「しょうがないな、僕の料分ではないんだな」って思ったりとか、
いろいろなことを考えたっていうのが一つ。
もう一個、僕個人的にコーチングというものを一時期勉強しておりまして、
ちょっと今途中で放り投げてるところなんですけれども、
コーチングっていうのはすごくざっくりと言うと、
僕がコーチとなって、お客さん、クライアントがいて、
クライアントと対話をすることによって、
うよ曲折を経て、そのクライアントに物事を肯定させるような行動を起こしてもらうよう促す。
そんな感じのニュアンスの技術なんですね。
行動を起こしてもらう、行動変容を起こすみたいなことが、
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このコーチングという技術の最終目標地点になっているわけですが、
行動変容を起こさせるための前準備みたいなのが、
すごい入念にあれやこれやと、
割と理論に基づいて考えられているんですね。
なんか僕が間違ってることを言ったら、
詳しい知識を持っている方は是非訂正してほしいんですけど、
このコーチングという技術は、
あまりクライアントに対して、
「あなたは何々した方がいいですよ」とか、
「何々してくださいね」っていうふうなことを言わないんですね。
クライアントに対して、
「じゃあ、あなたは今何を問題視してるんですか?」
「じゃあ、その問題を解決するためにはどんな手を取れば良いと思いますか?」
「そのために使える手段はどんなことがありますか?」
みたいなことを問いかけをしていって、
クライアントの中から、
「じゃあ、僕はこういうことをした方がいいと思います」
「いいですね、じゃあ是非やってみましょう」
みたいな流れを目指していく技術のようなんですよ、どうやら。
「はぁ、なるほどなぁ」と思って。
あくまでも、こういう行動をしますっていうのは、
クライアント側から出た発想であり、
クライアント側が抱いている考えなので、
その考えに至らせる段階で、
もう心を変えているわけですよね。
心を変えている。
つまり、そういうことをやらなければならないんだなっていうふうに、
自分で認識している状況まで至らせた上で、
その上で、「じゃあ、その行動を確かにいいと思いますよ」
っていう風な肯定をして、やってもらう。
みたいな道筋を取るので、
「あ、これはまさに行動させる前に、
本人に納得を得た上で、行動を変えていくことだなぁ」
ちょっと語彙力が足りなかった気がするけれど、
っていう風に思ったんですよね。
これは、僕の日頃のリハビリの現場でも、
こういう風な発想は持っていかないといけないなって思ったりしたんですけど、
そういうね、僕の仕事面であったり、
コーチングというスキルの面であったりとかで、
「なるほど、確かに心が変われば行動が変わるのだ」
「逆に言うと、心が変わらない状態で行動を変えようとしても、うまくいかんのだなぁ」
っていう風に思った話があっての、
今回の、心を変えずして行動を変えようとした結果、
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失敗して、相手を怒らせて、諸々あって、
みたいな経緯をたどりましてですね。
まあ、改めて反省した次第でございます。
結局、反省しましたっていう回です。今回は。
でも、何事においてもそうだと思うんですよね。
一般的にリハビリを提供する理学療法士が、
どういう発想のもとにあっているかは、僕には分からないけれども、
少なくとも僕個人は、
例えば「腰痛いです」っていう風に来た人に対してね、
その場腰の痛みをとって、
「ありがとうございました」って言われる仕事ではないと思ってるんですね。
腰の痛みが出る要因っていうのは、色々あるんだけれども、
最終的には、その人が日常的に何らかの理由で腰に負担をかけているから、
痛みが出るなわけですよ。
だから、極力その何らかの理由で腰に負担をかけているって、
そこを変えていかなければ、
この人は必ずまた腰痛を繰り返すから、原因を立たなければならない。
また、何かしらの原因によって腰に負担がかかりました、腰に痛みが出ました。
でも、対処法としてこういうことをすれば、
一時的に痛みを変えることはできますよ。
これも提供して、
とりあえず痛みを乗り越えるための術と、原因を立つための術っていうのをそれぞれ提供して、
その人自身が痛みを再発させにくい体になっていく、
痛みを再発したとしても自分で対処できるような人間になっていく、
っていうことを促していくことが、僕はリハビリだというふうに思っているんですね。
そう、だから僕が志しているリハビリを提供するためには、
僕の独りよがりでは意味がなくて、
あくまでも患者さんが自分の行動や生活を変えてくれなければ、
僕の目標っていうのは達成されないわけですよ。
いかに患者さんの行動を、
僕を信用してもらって、
僕の話に対して納得してもらった上で、
自発的に行動を変えてもらうのか、
っていうのは、本当に永遠の課題のように思いますね。
言ってしまえば、そういう細かい理屈抜きに、
「とりあえずこれさえやってくれりゃいいから、とにかくやってくれ」って思う瞬間もね、
相手によってはもちろんあるんだけれども、
「とりあえずやっといて!」って言って、
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「とりあえずやってもらって、確かにちょっと良くなりました。良かったです。ありがとうございます。」
っていうケースもあるんですけど、
やっぱり前提はね、
人間対人間なんで、ちゃんと心と向き合いましょうよっていう話なんだろうなって思いました。
はい。
ということで、僕の反省と決意表明と、
ふわっと僕が考えている理学療法士観みたいな感じでございました。
ありがとうございました。
ご清聴ありがとうございました。
ということで、今回はここまで。
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