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第3回、ポンスダチの発達障害語ったろ、が始まりました。
ポッドキャスターのポンスダチです。
今回も前回に引き続き、幼稚園生の頃、どんな子供だったか話していこうと思います。
やはり幼稚園の頃なので、あまり記憶にないこと、曖昧なことも多いのですが、
何か発達障害について参考になることが話せたらな、と思っています。
では参りましょう。
前回は、最後ドラゴンボールにぼっとしていたと話しましたが、
漫画なんかはほとんど内容を記憶していません。
なので、友達、親友がドラゴンボール好きで話が合うはずなんですが、あまり話が合いませんでした。
自分でも不思議なのですが、まず第一に漫画を収集すること自体に興味があったのだと思っています。
あとストーリーを記憶する能力もだいぶ弱いのかなと感じています。
漫画だけでなくアニメも毎日再放送見ていましたね。
取材家なんかは今でも覚えています。
映画も図書館でよく親に連れられていたときに見ていました。
前回、ドラゴンボール以外で何かにぼっとしたことはないと話しましたが、
やはり物心つく前の自分と今では、それ以降の自分ではだいぶ性格に違いがあるようです。
根本的なとこは変わらないはずなのですが、物心つく前と後では全く別人なようなところもあったり、
なかなかそれは興味深いです。
なぜ自分が何かに没頭しないかというと、
まず完璧主義なので、それが一番の原因になっていますね。
何かに興味を持っても、何か不十分なところが見当たると、それ以上続かなくなります。
完全に自分の関数にピタッとくるものは出会うのはほぼ不可能です。
特に熱しやすく寒やすいという性格ではないのですが、
物心つく以来何かに没頭することは一切ありません。
かといって幅広く何かに興味を持つということでもないのですが、
親戚とは小さい頃どのように関わっていたか思い出したのですが、
物心つく頃はあまりまだ人見知りがなかったせいか、
親戚にも可愛がられていたし、それなりにうまく馴染んでいたのだと思っています。
ただ、近所の子供やテレビで子供を見ていると、
やはり積極性に欠けるというか、社交的でないというか、
自ら親戚のところに遊んでいたようにせがんだり、話しかけたりということは、
かなり他の子に比べて少なかったと思います。
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あと、かなり大人に気を遣う子供でしたね。
子供なんだからそこまで気を遣わなくていいというぐらい気を遣っていたと思っています。
今、あまり話しかけてはいけないのではないかとか、
そこまで子供は考えませんよね。
前回、親からは大変理不尽な怒られ方をしたと言いました。
壁に向かって何か不満を言っていたりしていたと聞きましたが、
そういうことってよくあるんですかね。あるんでしょうかね。子供なら。
ただ、大変不満に、子供ながらに不満に思っていたのは間違いないです。
小さい頃は祖母とよく旅行に行っていました。旅館によく行っていましたね。
よく祖母がおもちゃを買って遊びに来てくれていたのですが、
間違って同じものを買ってきてしまったということがありました。
その時も全く同じものがあるというそぶりをせず、
やはりそこからも大分大人に気を遣う性格だったのがわかります。
回せていたと言ってもいいんでしょうか。
祖母にもあまり積極的に話しかけていくという感じではなかったですね。
特に母方の祖母は耳がかなり遠かったので、自分から話しかけるようなことはあまりありませんでした。
一緒に遊んでもらうときには遊んでという感じですかね。
次に家ではどう過ごしていたかですが、一番一人っ子なので家では遊び相手はいません。
親も特に遊び相手になってくれるということは他と比べたら少なかったと思います。
普通は近所や幼稚園の子と趣味が同じような趣味を持ち一緒に遊ぶというのが普通だと思いますが、
これがなかなか不思議なのですが、全く周りと興味が一致することがありませんでした。
それは周りに合わせて楽しみを共有できるものを探そうという気がないのか、他にも理由があるのか分かりませんが、
とにかく全く同世代の子と趣味が合うということはありません。
これは小学生に入っても同じですね。
ただそれで辛い思いをしたりということがないのが何より一番の問題点かもしれません。
家で遊ぶ内容自体はそこまで変わってはいませんが、そこまで人と違ってはいませんが、
いろいろアニメを見たり漫画を見たりという感じではなく、何かひとつのことをひたすらしかも変わった遊び方で過ごしているという感じですね。
例えばミクロマンというフィギュアがあったのですが、それでずっと戦わせて自分の世界の中に入って遊んでいたり、
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車の中でもそんな感じでしたね。
これは小学2年くらい、1年か2年くらいまでそのミクロマンで遊んでいました。
何か組み立てるガンダムみたいなものがあり、プラモデルみたいなものがあり、それにも一時期ハマっていました。
ただそれ以降は何か組み立てることに興味を持つことはありませんでした。
あと動物のおもちゃを何台も集めたり、積み木で遊んだり、ジムで遊んだり、いずれにせよ自分の世界に入って何か空想の中で遊んでいるような感じです。
これは他の子と違う点かもしれませんね。
近所の子とはほとんど遊びませんでした。
一回親から近所の子と遊ばないと近所の人に問題視されてしまう。
あの子は近所の子と遊ばないと噂されてしまうよと言われたのを言われました。
自分でも多少は問題に感じているというか、このままではいけないなと思っていたのを今日思っていました。
親戚にいとこの子供がいるのですが、一人同級生、一人年の離れた下の子、弟がいて、
自分の親は高齢出産なので、いとこの子供と年が近いのですが、
普通は親戚に自分より年下の子がいたら可愛がってあげたり遊んであげたりすると思うのですが、
自分は全く話したことがないと言ってもいいです。
一度キャンプで向こうから話しかけてきた時に遊んだぐらいです。しかも一度だけです。
これは自分でもだいぶ問題があるなとは思っていましたが仕方がありませんでした。
話しかけ方がわからないというよりも、当時は特に仲良くしたいという思いが一切ありませんでした。
あいつの親にあたるいとこはどう思っていたのかなと思いますね。
親戚で正月に集まる時はキャンプで会った時に会うことが何度もあったのですが、一度も話してその子たちとは話していません。
町内会の子供会があったのについて話したいと思います。
そこでも周りには馴染めていなく、そこに行ってクリスマス会でみんなで一緒に食事をしたりゲームをしたりするのがとても嫌だったのを覚えています。
近所に仲の良い子は一人もいませんでした。
親の仕事場での、親はソフトボールをやっていたのですが、そこでの友達というかメンバーが一緒に旅行に行ったりするのですが、そこの子供たちとも一切一緒に遊ぶことはなく、いつも一人でいたと思います。
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信仰宗教にも親の友達がいて、その子たちとその親と一緒に旅行に行くことが何度かあったのですが、そこで子供たちはテントに入って遊んでいるのに自分は一人で遊んでいたということがありました。
本当に惨めな思いをしていました。
とはいえ、中に入って一緒に遊びたいという思いは一切ありません。
はい、エンディングです。
いやーということで、いろいろ振り返ってみましたが、幼稚園時代は本当に悲惨ですね。
友達は全くいなく、これは詳しくまた話そうと思うのですが、父親には自分から話しかけに行くことはありませんでした。
これは父親にも原因があるかもしれませんが、なかなか変わった子供だったと思います。
またといって、母親に愛着があって、よく話しかけに行ったり遊びに行ったりするという感じでもなかったですが、母親にはたしは自分から話しかけたりをしていました。
幼稚園時代は行事、運動会、日々のいろいろな遊び、ほぼしっかり参加できたのが参加することがありませんでした。
運動会のお遊戯なんかも一切おもぞつなかったのを記憶しています。
あと恐怖心がとても強い子で、いつも泣いていました。
今、新たに思い出したのですが、プールで上からシャワーが出てきて、それに当たって身体を洗ってからプールに向かうというのが、自分は音が怖くてできませんでした。
親に先生にそれを伝えてもらったことがあったようです。
近所にある助水場の近くの橋でダムみたいになっていて、そこで音がうるさくて、いつも自転車に乗ってそこを通るときの恐怖心があまりにも強かったのを今でも思い出すことがあります。
ただ、それは小学校に上がるにつれ慣れてきました。
親に怒られるのも本当に恐怖心があるという意味で嫌でしたね。
ただ、親に怒られるようなことはほとんどしないようにしている子供でした。
次回は小学生に上がってからのことを話したいと思います。
では、ご視聴、聞いていただきありがとうございました。