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roasting 푸そ内ダチ
和音
比較
第10回目、ぽんすだちのはたしを fueled語ったろ
さあ始まりました。ポッド cuad позったポッドキャッシャーのぽんすだちです。
まずいきなりですが、みなさんは幽霊を見たことあるでしょうか。
自分はここ1年ぐらい 寝てる時に幽霊を
見たと感じることがあります ベッドの横に引き込まれている感じがあったり
誰かが近くに歩いてきたり 実は昨日も
そういったことがあったんですね 幽霊を見たという人で寝てる時に幽霊を見たというケースが多いのではないでしょうか
なぜそう思うのかの根拠を話していきますがまず自分はオカルトを一切信じていません なので朝起きた時に今のは幽霊ではないなぁと夢だなぁと感じます
オカルトを少しでも信じている人はもし夢に 明らかに幽霊だと思うようなものが出てきた場合
そう感じるものが出てきた場合は朝起きて目が覚めても あれは幽霊だったと信じてしまうと思います
これだけなら 夢を見てそれを単なる夢とするかあれは本当に夢ではなく幽霊だったとするか
という議論になり答えは出ない話になるのですが残念ながら今回の話で言うと 自分は一切幽霊を信じていないからこそ朝起きた時に正気に戻り
幽霊を信じている人は確かに今みたいな夢を見たら本当に
幽霊が近づいてきたり ベッドの横に引きずり込まれそうになったりしたと誤解するだろうなぁと
冷静になります もう一つ言うと
幽霊を信じていないからこそ 夢を見ている時点ではこれは本物の幽霊だと思い
しかし朝起きてみると何らいつもと変わらない 夢であることに気づき
普段よりもより一層あれはただの夢でしかない ことに気づいてしまいます
あれは幽霊だったあと他のそのように楽しめないんですよね 自分の母も
一度出ていて誰かが歩いてくるという夢を見たようで知り合いが自殺した 次の日なことだったので
それは未だに少し不思議ですが何か予兆というかそういうものを 単に感じていただけかもしれません
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タイミング的には不思議ではあるけれども自分の経験から言うと ただの夢です幽霊を寝ている時見たという場合それが他の夢と何か違うという根拠は一切ありません
今日のテーマですが 引きこもり時代編です
もう長く10年以上引きこもっているのですが その間に仕事に挑戦して何度も挫折したり家族内での変化
考え方の変化いろいろなトラブルたくさんありました すべてはお話しできないと思いますが大まかに今日は紹介できたらと思います
ではまず1年目ですね高校卒業して浪人することになり
もうすでにその頃にはだいぶうつ病や病悪性障害不安症度合いなどが酷くなっていました そんな中
父親は自分に冷たく当たっていました 親としてはかなり鈍感というか問題が
あったように思います 何か違和感を感じるはずです
一番高1から進路で悩み始め勉強法でも悩み始めうつ病になっていましたが 父親はだらけてるだけただ単に勉強してないだけと
高3の頃 言われましたその時は親戚に対して宗教擁護だったのですがそのように言ってました
それを聞いた時は愕然としました 何も理解されてないからです職場でいろいろ人間関係に困っていたようでそのストレスも
あったのか 高3の頃自分が1階で歩いていると
テレビの音量をわかるようにわざとらしく上げたりしていました いつも今に行くとテレビの音量を上げるのです早くここをされと言わんばかり
本屋に行く途中 ここで降りろと突然言ってきました後ろから車が来ていてちょうど
下ろすの良かったようですが その時親戚の家に来ていて
もし本屋に行く途中迷子になったら大変ですと思ったので ここで降りても行けるかわからないと言いましたが
早く降りなさいと言ってんばり 後ろから車が来てるがここで下ろしていいのかどうかわからない
こういう場合普通なら 携帯の充電はしっかりあって道に迷っても
押し入れるか帰りしっかり待ち合わせることができるか たとえ多少道に迷ったとしても図書館までたどり着けるか
などと いろいろと考慮しなきゃいけませんがそれを考慮する
時間なんて今はないということはしょうがないが このまま車に乗っていてもらうしかないという選択肢になるはずです
例えば道路の真ん中にいて前から車が来た時 しかも何か作業をしていた時例えばスマホをいじっていたとかその作業を
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一旦終わらせて区切りのとこにいいとこにして問題がなくなってから道路にずれれば でも大丈夫なのか
それともすぐずらした方がいいのかということを考えればいいですが今そんなことを どちらの方がいいかということを考える時間がないからすなわち
すぐ道路の端に移動する以外に選択肢はないということが判断できます 普通であれば
そういった考える力がないようです 多分この説明を読んでも聞いてもピンとこないでしょ
普通なら 冷静に考えてみて反省できますが帰り待ち合わせしてあった時もまだ起こっていました
話は戻りますが老年仕事になりもう5月頃だったと思うのですが まだ5月というと老年し始めて早いですがもうその時点で父親に会わなくなりました
ある親戚の葬式で 自分のいとこの旦那さんの親が亡くなった時で
その旦那さんの親戚とは面識もないし葬式の後の
みんなに残って 飲んだり食べたりという
誰でも経験があると思いますが それに参加しましたそのいとこの旦那さんの親族以外はもちろん
みんな葬式の後帰りますうちだけですそのようなことをしたのは その人たちと仲良くした方がいいのではないかという考えは
あながち間違ってるというわけではないのもわかりますが明らかに家族を待たせてる ということに全く無神経になってしまってるというのがビンビンと伝わってきました
その時は本当に待たされてるという感じがかなりしたんですね 自分たちのことは放っておいてそうやって自分の考えを貫くためにそういう行動に出て
これは酷いと感じていました そして次の日から会わなくなりました
その後ぐらい多分5月か6月か 5月だったと思いますがある宗教の
先輩 女性の人ですねから電話が来てある集会で感想
シートなるものがあったのですがそれに先輩にお世話になったことを思い出して感謝の気持ちが出てきたというのを書いたら
あの時ああいうふうに書いてあったけどあれは何なのと言ってきました 簡単に言ってしまうとあんな綺麗事をわざわざ書いてしかも的外れだし
感想としてはおかしいだろう もっと言ってしまうと
普段からその性格が気に食わないんだということを言いたいとしか思いません 何も言い返せませんでしたが電話の終盤はずっと無言でした
無言でした さすがに相手も異変には気づいたはずです
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相談に乗ってくれてるのか ただ文句を言いたいだけかというどちらかというかと明らかに文句を言いに電話してきたと
しか思いませんそれぐらい電話の内容のほとんどが文句でした それまでは理学療法士を目指そうと考えていたのですがその日以来少し勉強
しない日が続いていたと記憶しています
その後進路をまた考え始めるのですがだいぶ現実離れした考え方になってきて しまいました
ネットで半年で京都大学医学部に受かるという通信教育を見つけ本気で信じてしまい 受験までも期間はないのに当時も残りだから8ヶ月とかその間ですね
それで京都大学医学部に自分が受かるまで偏差値を高めることは無理なはずなのに そんな思考能力は当時はもう一切ありませんでした
やはりうつ病が原因ですねうつ病は脳が萎縮すると言われてますが本当に高1 あたりからそんな感じでした
うまく思考ができません その通信教育を始めたものの
脅迫性障害だったことがあり手紙が送られてきてそれに従って勉強していくのですが 手紙を送るときに何か落としたものはないか入れてないものはないか
うっとおかしくないなんてないかと不安になり始める そしてポストに入れるまで大変時間がかかるということを繰り返していまして
勉強はうまくいかず当然の浪人2年目に入りましたがその頃には大学は諦めていたと思います 諦めたというより自分はもう集団に入るのが無理だと気づいていました
社会から離れ冷静になってみると自分はいかにも神経で本当に人に傷つけられ人間関係に困って きた
集団の中で全くうまくやれていないのにうまくやってると思い込もうとしていた ことに気づかされました
公認の時浪人2年目は 例えば人間関係が苦手な人でもできる本という本を買ってきてそれをひたすら熟読して
自分にできるものはないか探したり親にも探してもらいました しかし残念なことに一つもできそうなものはありませんでした
やはり何かしら人と関わったり人と関わることが少なくても上司や部下の関係があったり 集団行動があったりなかなか完全に一人でできるという仕事はありませんでした
仕事はいろいろと考えました 学生自体はやはりエリートに憧れていたのでその本には不動産鑑定士なんかも書いてあり
大学は行かなくても何かを勉強したいという 魅力があったので
なおかつ難関なことをしたかったのでそういった難関国家資格を取るという思いでいました 後にネットで調べてみると社会保険労務士は
引きこもりの人が 多いようですなぜかというと引きこもりの人でも試験を受けやすいようで
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そういう理由から多いようです あとDTPオペレーターなんてのもありましたね
これも確か資格が必要で ただ当時は難関資格以外には全く興味がありませんでした
これは資格を取ること自体はそれほど難しいわけではないと思いますが
とにかく腕を磨いていく必要のある仕事です そういった仕事にも憧れていました
ただ自分はデザインの能力は一切ないので これはやめといてよかったです
アクチュアリーという仕事もありました 数学科を出た人が
主に取る資格で国家資格ではないのですがかなり難関です 保険会社で統計学を利用して
こういった病気はこの地域ではこれぐらいの確率になる というようにして料金を
設定する人たちがアクチュアリーです
この資格を取ると別の会社にヘッドハンディングされたり 人とも関わらなくてよく
しかも難関資格これはしばらく進路として考えていました 臨床検査技師というのもありました
自分は高校時代は医療系も目指して考えていました とはいえやはり
アクチュアリーもそうですが集団の中で入って仕事しなければいけません 詮索講師なんてのもありました
これも条件が合わず辞めてしまいました 受験勉強の勉強を考えるのが好きだったので
受験に関われていいと思ったのですがこれも残念でした 浪人2年目はこんな感じでずっと過ごしていました
何かできることがあるかもしれないそう希望を持つができないとわかる そして絶望するこの繰り返しの毎日でした
浪人3年目さすがにこのままではまずいと思い立ち一人暮らしをすることにしました 一人暮らしをすることによって
精神障害について解決できると思っていたからです 環境を変えたらなんとかなるだろうという
安易な考えで自分はとりあえず引っ越ししようなんてことはする性格ではありません
まず地元の不動産を探すために不動産屋に行きました 2つの会社の不動産屋に行ったのですがどちらの人も変わっているというか
一つ目の会社の人は部屋を探していると こちらをちらちら見てきてちゃんと真剣に考えているのかといった感じがとても伝わってきました
学校の教師でもありましてお客さんに ちゃんと画面見てしっかり考えていますよねという態度を示してくるのは失礼気ままにないです
もう一件目は 自分が考えている条件を言うと
他の職員の人になんか今言った条件はちょっとよくわからないけれどもと笑いながら言っていました これも失礼です
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あとすごい厳しい目で ずっといたのでそれも嫌でしたねもう二度と不動産屋には行きたくないです
部屋を回っている時も絶望的な気分でしたね当然安い部屋に住まなきゃいけないのですが 自分は一軒家にずっと住んでたこともあり
周りの雰囲気も悪そうだし部屋の中も どんよりした雰囲気だしその時は辞めたのですが後日
別の市で 探そうと思い電車で2時間
行ったところの市に 部屋を探しに行きましたそこの不動産屋の女性も本当に酷い人でした
自分がメモしてきたのでそれ それに条件が書いているので読みますと言って読み上げると無言でカチカチとパソコンで打ち出し
わざとらしく何かメモしてペンをパチンと机の上に落としてその後もそんな態度は続きます
不動産屋を3軒ぐらい回って良い部屋がなく その人が自分のせいにしました自分のせいではなく条件が合わないのが問題点です
決して条件を厳しくしているとかそういったことは一切ありませんでした 1軒目は
網戸がなく2軒目は確か工事をしていてまだ入れないといった感じで3軒目は 戸を開けて
すぐそこに冷蔵庫を置くようになっていて 洗濯機だったかなそこに戸が当たってしまうので通ることができない間取りになっている
これは条件が云々じゃないないです誰だってこんなとこに住もうとは思いません それなのに
どういった部屋にするかという考えが定まってないというのを言ってきました 車に戻り条件をすべて洗い出すように言ってきて一つ一つまた言い直させられました
部屋が決まった時は鍵の相談をした時にそれは何に書いてあったのと言ってきました 随分いろいろと不動産について詳しいようだが単にネットで見ただけでしょ
と言わんばかりです そうやって一生懸命不動産について調べてきてくれて
感謝されてもいいぐらいだと思います 仮にそれがネットを見て
表面的な知識で単に言っただけだったとしてもそれをとにかく不動産屋に言われる必要はありません
ちなみにそれは本を見てしっかり調べて聞いたことです 自分がもし不動産屋だったらお客さんに対してそれって
ネットの情報ですかなんてことを問い出すようなことはとてもとてもできません
本で見ましたけど何か問題でもありますかと言ってやればよかったです ちなみにその時に母親に不動産のことで
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話していると 母親も詰めたく走られてきましたどういった感情なのかはよくわかりませんがこういった
親が払う子供にこういう態度は示さないという 酷い態度を示してくることをきて裏切られたという気持ちになったことは何度もあります
一人暮らしをする 何週間か前から準備でいろいろ買い物に出かけました
カーテンだったりサンダルだったり 机だったり
家電屋さんにも行って 冷蔵庫洗濯機を
買いましたそれすべての 買い物の時完全にうつ病になっていましたもう抜け出せないといった感じです
人間感情いくらうつ病になったとしても動くはずです 自分は一切どん底のまま動かないといった感じでした
楽しいという感情が一切ありませんでした 一人暮らしをすることに対する少しは期待なんかあってもいいはずですが
一切ありませんでしたただただ辛くて辛くて仕方がなかったです これから一人暮らしをするってことになってあそこまで期待感のない人は他にいないんではない
でしょうか 一人暮らしをして始めてからもうつ病は続きました
買い物に何かに行っていても行き帰りの道中でも本当にうつ病でした 安い部屋を求めて不動産を探した結果
とても雰囲気の悪い場所で ただでさえうつ病なのに気持ちがいつもどんよりしてました
自分は新興住宅地に住んでいたこともあり本当にあれは雰囲気悪く感じますね 一度家に
帰ることになりました これからは父親とも会うようにしようと決めました
家に帰って久しぶりに 父親と話をしました
しかしまた一緒に生活するのは 無理だと思ったのか反射的に父親が帰ってくると2階に行ってしまうという生活になりました
そしてまた会わなくなりました その翌々年に
障害者枠で働こうと思い 発達障害の診断を受けることになりました
その確か前の年だったか母親が発達障害というのを知っているかと言ってきたんです その時は
仮に自分が発達障害だとしてもだからなんだという感じでした しかしこの発達障害との出会いというのはかなり決定的に自分の人生を変えました
発達障害という概念によって自分の人生観は180度変わりました 発達障害の本を何冊も買い
読みました 専門家が書いている本や辞典なんかも買いました 外国の人が書いている辞典を2冊買い読みました
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とても自分にとっては刺激的でした こんな変わっている人がいるのかということで驚きでした
発達障害の病院というのは 少なくただ精神科で診断を受けてもらうというのでもいいですが
できれば 発達障害の専門病院で診断を受けたいと思い
探しました 1つ目予約しようとした病院は何度電話かけても繋がらず
2つ目 何度もかけて確か40分ぐらいかけ続けなんとか繋がり予約が取れました
最近知ったのですがその病院は当時できたばかりか移転してきたばかりで まだ予約が多少取れたのだと知りましたたまたま昨日ホームページを見たのですが
今は何人も先生がいるかなり大きな病院になっています ただ当時も
かなり大きい病院でした隣に福祉施設なんかあり食事も取ることができたり 言語聴覚者作業療法士理学療法士なんかもいる病院でした
この診断のことについてはまた今度詳しく話したいと思います この病院の先生は酷い人でとても理解してもらって働くのは無理だと思い障害者枠で働く
のはやめましたそれ以来一切障害者枠で働こうという思いはありません そのたしか次の年に
クラウドソーシングでプログラミングの仕事をしようと思い パソコンを買いました
最初は親のパソコンを借りてプログラミングを勉強していました 買った後に気づいたのですが当時はまだクラウドソーシングができたばかりでこれだけで
仕事をしていくのは難しいかということがわかりました その次の年に
本当にこの生活に限界を感じ 毎日毎日がもう辛くて辛くて精神的にも
限界が来て入院すると親に言いました しかし親二人で話し合い次の日に
入院はやめてほしいと言ってきました もし進路を見つけてくれるならいいと約束しました
進路を 探すと約束してくれるなら
入院はしないと 言いました
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しかしここまで 約10年
その約束は守ってくれていません もしあの時入院していればと今でも
考えてしまいます 特に最近なんかは
大学の私学部を再受験しようなんて考え ていましたから
もしあの時入院していれば と考えてしまいます
奨学金で大学に行けたんじゃないかと考えてしまうのです 先ほどの説明時系列を間違えましたが発達障害だと分かった後
まずプログラマーを目指しパソコンを買いました 次に病院で診断を受けてもらうという流れでした
発達障害を理解してもらえれば人と変わることができると思っていましたが 仕事も難しいことが分かりまた
人は生きていくために病院や歯医者その他人と関わることが必要ですがたとえ仕事を しないとしても
発達障害は生きていくのがほぼ不可能ではないかと思い始めました その後は唯一の外出先であった歯医者にも行けなくなり一切家から出られなくなりました
2016年とても大きな出来事が起きました坂道グループに自分の高校の後輩が入っていて しかも調べていくとどうやら超人気メンバーであることが分かりました
それから毎日ひたすらそのグループの動画やまとめサイトを 見ていました
自分の中では宝くじで何億も当たるぐらいのそれぐらいの確率だと思っています 人生丸なことは
稀にはあるあるのです 坂道グループのただメンバーだというなら応援したがわかりませんが中心メンバー
だとわかりこれは応援しないわけにはいかないと思い応援していました 今も応援しています
先ほど入院をするのを止めてほしいと家に言われ 進路を探せるならそうしてもいいと約束したと言いましたがその約束を
何年も破り続けたのにもかかわらず夜中テレビを見ていたり 言い訳をしてきたり
したので 親戚が亡くなっても
葬式には 行かないと約束してくれるならまだ進路を待つと言いました
祖母が 命の危険があるという時に泣きながら行かせてほしいと言いました
縁を切ると約束するなら行ってもいいと言いました そして反抗しましたなので
この家を出たら 縁を切ることになっています
今縁を切ったら 生活していけないのでしょうがなく一緒にいるという状況です
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ある時アフリエイトに挑戦してみようと思いアフリエイトを始めました いろいろ
ネットでできる仕事はないかと探しアフリエイトにたどり着きました ただどの商品を売るか
迷い始めとうとう記事は一切書けなくなりました どの商品を選ぶかによって自分の人生が大きく変わってしまうと考えていたのです
毎日寝る前とても辛い気分でいたのを覚えています 最初は発達障害について書いていたのですが
pv 数が一切伸びず 徹底的にアフリエイトのやり方を調べて格安スマホをアフリエイトしようと思い
挑戦しましたが何を書いていいのか全くわかりません 自分には向いていませんでした
4ヶ月ほど続けて精神的に限界が来て諦めました もう二度と週を通すのはやめようと決めました
しかしそのルールを破りある時にポイントサイトに登録し挑戦し始めました 楽天ルームも同時に始めました1ヶ月ほど
全く売れない時期がついたのですがある時一つ商品が売れてそれがとても嬉しくて これはアフリエイトもできるかもしれないと思いもう一度挑戦することになりました
最初は5チャンネルのまとめサイトに挑戦しましたが いろいろと試行錯誤したもののうまくいきませんでした
ただなぜか今回はすぐにはやめませんでした次に動画のまとめサイトを始めました それも全くうまくいきませんでした
はいひき飯のコーナーですこのコーナーはひきこもりの普段の食事について 今日食べたものは何なのか
話していこうという企画です 昨晩は
うどんを食べました うどんって小麦と塩だけであんなに美味しく食べれるんだからすごいですよね
最近給食でうどんが出ていたことを思い出しました 多分そういう人は珍しいと思います
給食でうどん食べたという経験のある人はそれほど日本人でいないんじゃないでしょうか ソフト麺は最近は出す学校が少なくなってきているようですが
ここ最近まで出していたようです自分は戦後の食べ物だと思っていました 戦後とまではいかなくてもだいぶ昔の食べ物だと思っていました
しかし割と若い30代の人多分20代の人でも食べた経験があるかもしれません 他の麺も出てるというなら私もソフト麺だけ出すという学校がほとんどなんですよね
自分の学校はソフト麺は一切出ませんでした うどんとラーメンが出ていました焼きそばもです
乾麺の可能性は低いですなぜかというと何百人の茹でる時間があるとはとても思いません 生麺も同じことです
茹でる時間が足りないと思います チルド麺はどうかチルド麺とは冷凍麺のことですが
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それをまさかレンジでチンしてるわけもないし そう考えると茹でられた麺を給食の直前に持ってきていたか
そんなことできないから普通はソフト麺にするんですよね ラーメンはもっと不思議ですまさかカップラーメンの麺なわけないですし
出すところがあっても多分蒸し麺だと思うのですが 明らかにあの蒸し麺の麺がくっついている感じは一切ありませんでした
もっとラーメン屋の麺に近かったです で当然生麺のはずもありません
給食までに伸びてしまいます なんであのあんなことが自分の学校にはできたのか不思議です
ラーメンもうどんもどっちもとても良い麺でした ただうどんが
全然出汁の味はしなく 麺つゆに大量の油を入れているという感じでした
手がベトベトでしたのでラーメンは ラードの色なのか
真っ黄色で油だらけという感じでした 小学生の健康を考えたらあんなもの普通出さないですよね
ただラーメンは自分は給食で一番好きでした ラーメン屋とも違うインスタントともカップラーメンとも違う
比較できないあるあるで本当に美味しいラーメンでした あと今日は遅期間が出ました
餅米が足りなかったようです少なかったですが逆にそれが良かったようでいつも 以上になぜか餅米の味がして
過去で一番の美味しさでした サンマンもとても美味しかったですサンマンは今とても高くなってきているようですね
はいエンディングです今日は浪人中というか引きこもり中ですね をざっくり説明しましたこれは今後何回にも分けて説明していくことになると思います
とにかく進路に悩んでいた時期が長かったです というか今後どうしていくかという意味では今でもそれは続いています
まだ答えは出ていません これを聞いている専門家の人がいたら何か良い案を出してほしいところです
最初は仕事をしようとしそれがダメだと分かり次は住居を探すことになり ただ精神病院には絶対入らないとある時決心し
しかしある時な難病だと分かり今は入院するという方向が強いです 今日も聞いていただきありがとうございました