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2024-08-05 14:50

第388回 不思議な我が一族の話 新たに分かったほっこりする話と不思議な話

内容は、不可思議なこと考察・今日あった珍事件・グルメ・毒親VS毒息子・生き方生活術・北海道・新興宗教暴露・音声配信・発達障害・アイドル(坂道)・海外・スポーツ・難病等です。

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不可思議な我が一族の話 新たに分かったほっこりする話と不思議な話がテーマ
洋館とね、この話は度々してて、昨日改めて懐かしくなってね話したんだけども
祖母がね、夏に足を骨折して入院したことがあったんですね。でまたね、入院した理由っていうのはね
炎天下の中、自分がまだ小さかったんで 遊ばせてて、それで
また洋館がそれを後始末をしないで帰ってきちゃったんですね。で、それを片付けてる時に、まあでも
祖母も当時、80ぐらいで、本当危ない、熱中症になる危険だったからね。
まあでも骨折、片付けてる時にプールかなんか置いてたのかな、それで骨折してしまって片付けてて
入院したんだけども、それで毎週のようにね、入院先に電車で何時間もかけて、休日になったら
お見舞いに行ってたわけですよ。洋館と自分が二人でね。人間の記憶って不思議なもんでね
電車に乗ってた記憶はそんなにないんだけども、ただ非常に自分は電車が好きなわけでも
ダクなわけでもないんだけども、なんかすごいね、わかりますかな、実家に帰った時のあの懐かしい感じ。
電車に対してね、そういうなんか特別な感情があるんですよね。で、そしたらまあやって、毎週のようにね、行ってたって聞いてね
まあそれでもね、何か納得しなかったんだけども、最近ね、どういうか一昨日か
キヨスクで、のど飴をね、帰りに買ってもらった記憶がパッと
フラッシュバッグのように出てきたんですよ。それとともにね、こうやって何回もしょっちゅう小さい頃行ってたなっていうことを思い出してきたんですよ
記憶喪失の人が思い出すかのように。これは以前から覚えてたんだけども、駅弁をよく食べてたんですよ。駅弁なんか
高いですよ。あの北海道の有名なやつがあるんだけども、なんかね新しいバージョンのもあって
古いバージョンのかな?それはね、いや本州の人は羨ましいだろうけども、まあそれなりの値段で
千何円かな?でも2千円ほどみたいな、2千円もしないんだけども、まあ千円ちょっと超えるぐらいかな?で
イクラは入ってるわ。まあ洋館が自分で一瞬で全部食べちゃったんでしょうね。自分にあげないで
だからウニはね、もらった記憶一切ないし、入ってた記憶すらないんだけども。ただイクラは入ってたような記憶があるんだよね
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でこの前それを調べたんだけどもね、新しいバージョンにはホタテも入ってて、洋館はウニが入ってたって言うんだけども、たぶん
新しいバージョンの方に入ってて、古いのには入ってなかった記憶があるんだよな。でイクラとカニは、あ、ただカニが入ってないんだっけな
いやちょっとわかんないんだけども。まあただ自分にあげないで、自分一人で食べちゃってたから入ってたのがわかんなかった可能性は十分あります
イクラは必ず入ってましたね。間違いなく入ってました。であと、あとはまあチラシ寿司みたいなものなんだけども
いやそれがね、まあ木の箱というかあれは本物の木、まあでも本物の木なのかなあれは。北海道のね、イズシっていうのがあるんだけども
それなんかもね木に入ってたりして、そんな感じかな、の中に入ってて。でまたね、子供だからそんなチラシ寿司とかもそんな生魚とかもね
酢飯なんかもそんな好きじゃないんだけど、それはねすごい、まあ電車の中っていうあのシチュエーションが大きいんでしょうね
でもね、なんか駅弁独特の雰囲気があってね、当時まだ3、4歳だけどはっきり覚えてますね。でね、洋館から何回も聞かされてる、自分も笑っちゃった話あるんだけども
当時3歳ぐらいでしょ。で自分が言語が遅くてね、言葉がね。3歳、しか2歳10ヶ月ぐらいでやっといろいろ話すようになったんだけど、まあ2語以上話すようになって
3歳半とかなのかな、一気にいろいろ話すようになったんですね、あの札幌に着いてね。でゆっくりになっていくわけですよ、駅に近づくにつれ。で嬉しかったんでしょうね
あー着いた着いたーって言ったみたいなんですよ。あー着いた着いたーなんてじいちゃんじゃないですか、完全に。かなり歳いってるじいちゃんですよね
でね、その一帯がね、みんな大爆笑したみたいですね、それ聞いて。相当大きい声で話してたんですね
当時はそんなね、打ち気な感じでもなかったのか、ただ幼稚園ではね、そんな感じじゃないんで。幼稚園入る前はそんな感じだったのか
一便系だったのかわかんないけども。まあ幼稚園に入って社会に出てね、少しずつその明るさがなくなってたという可能性は十分あり得るんだけども
まあ北海道のその駅弁は本当におすすめですね。北海道の景色を眺めながら見ると格別だと思います
でそっから札幌駅着いてお見舞いに行ってそっからねー 叔父が家まで送ってくれるんだけども
叔父じゃなくて祖父が。その車がね昆布だらけなんですよ。でね魚をよく摘んでるんでね
匂いがすごかったんですよ。でねなんで昆布。いや昨日疑問に思ったんですよ。あの昆布はいっつも置いてあったけどあれ何なんだと
したらその海に行くのに 祖父がヌムケザーマスに置いてたんだと。で自分もね
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はっきり記憶あるんですよ。匂いもそうだし。そんな嫌な記憶ではないんだけども。それを
食べてた記憶もありますね。本当椅子の上に乗っけてるだけなんですよ。大量に置いてあって。って思ったんですよ。あれ
ヌムケザマシなんかいらねえんじゃねえかと思って。 昆布とか魚とか魚介類の匂いで
すごいことになってるんですよ。多分ねあの豊洲市場とかね あるいはその漁師さんが魚をなんか貯蔵してる場所とかあったらまあそんな匂いだと思うんですよ
祖父はねー 海で
親が漁師で 海で育って自分が小さい頃ね祖父は海で生まれたんだよって聞いて
ちょっと 不審に思ってたのを覚えてます
海で生まれたのかと思って。でね立て具屋になるんでまあ 海
そのなんていうかな 内陸じゃないけどまぁ札幌に来るわけですよね
で だけどやっぱり海がね恋しいんでしょうね
毎日のようにね 若い時からもう毎日のように職人になってからもですよ
海に行って 札幌から1時間半とかかな
1時間ぐらいに着くのかなぁかけて毎朝仕事前に行くわけですよ 行き帰り3時間。で混んでる時なんか
盆の時期なんかもっとあのお墓があるんでね。だからうちもお墓参りなんか すごい朝早くに行くんだけども
まあそういう時なんかもっと時間かかるだろうし まあそうやって朝早く行ってるのかな
で まあ普段から朝早く行ってるんだろうけども
で漁師の手伝いをするんですよ こんな話聞いたことありますか?ないんですよね
海に釣りに行くって話は聞いたことあるかもしれないけど 漁師の手伝いをして別に人手不足ってわけでもない
ないし頼まれてるわけでもないと思うんだけども 給料なんかもらえない
もらえないですよもちろん ただまあいろいろもらってきてはいたみたいだけども釣ったもの
とにかく好きでやってたんですね あとはまあ手伝わなくてもその海を見に行ってたのか
って洋館は言ってるけども あとは魚を買いに行ったりね
そうやってたくさん普段からいろんな魚もらってくるのに 買ってもくるんですよ
別に買わされてるわけじゃないだろうけども だから祖母もね洋館もね
魚はもうコリコリだって思ってたって言ってましたね また魚か鮭かと今考えてみたらね
こんな北海道産の鮭でしかも取り立てのね おいしいやつ大きくていいやつ
今考えてみると本当にありがたかったとは言ってますけども 当時はもう嫌になったんですよね
あでも仕事前にそうやって漁師の相当体力使うわけじゃないですか漁師の 手伝いして車運転してね帰ってくるってすごいですよね
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それをね死ぬまでずっとやるわけですよ80過ぎてからも ねさすがに漁師の手伝いはしなくなったと思うけども
まあ海を見に行くわけですよね釣りも多分してないんでね ただ見に行くだけ行ってたみたいですね
80過ぎたらね腰も痛いだろうし何時間もかけて車運転 辛いと思うんですよでそうやってお見舞いに行って実家に行って
したらねこれ不思議なんだけども割と小さい頃からいとこが家にいた記憶なんだけども いとこのお姉さんの方ね
いとこの弟の方のいとこが当時は家にまだいて アルバイトをしててパチンコ屋でねで祖父がいて
だからねおじなんかおじ夫婦なんかは仕事行ってるんで 休日昼間から行くじゃないですか
でそのいとこがねいろいろハムスター見せてくれたりでねー まあなんとなくそうやって遊んでくれた記憶あるんだけども
いやそうやってね片方のいとこがいなくてそうやっていっつもそのいとこだけ 家にいてしょっちゅう遊んでくれたっていうそれは記憶ないんですよね
で祖父と会ってた記憶も 写真を見てねああそうだったのかと思う思い出すぐらい本当ないんですよでも今の話
からするとねそういないし いとこと祖父とずっと休日いたっていう感じなんで
いとこのねルービックキューブをねもらったというかもらっちゃったっていう記憶と でいとこと一緒にベッドでいとこの部屋でね
寝てたっていう記憶とでも暗いし暗いしっていうかね いつも家族で寝てるわけだからなんか怖いし
パーティー行っちゃったっていう記憶とかさっきのハムスターの記憶なんかもない全くないし 部屋の記憶もないんですよね
相当遊んでくれてたと思うんですよいとこはね でねこれもちょっと理解できない話なんだけども祖父祖父は当時もガンでかなり
肺で苦しかったみたいなんだけどもいとこの食事を作るために家に行ったみたいなんですよ そばがいないからねでもその時も高校卒業して就職してて辞めて
アルバイトしてたって言うんでも十分社会人なわけですよね でもなぜか使命感みたいなものなのか祖父が食事をそんなガンになってでも作ってあげてた
っていうねなんか不思議な家族だなぁと思ったんだけども でまぁ病院に祖父が迎えに来てくれたとかね
駅まではトモロコセが送ってくれてたとかそれも昨日聞いてわかったんですよね 全然覚えてないんですよ
ただね車バスには乗って駅には行ってないなとか帰りもね 駅からまあバスに乗るとやがると
当時まだ小さかったねそれは体力的にきついだろうととかいろいろでも思い出してきましたね 本当
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記憶って不思議なもんでね徐々に徐々にお話聞いてて思い出してくるんだけども 痩せてくるとそうするとねすごい懐かしくてねさっきの
駅弁の話もそうですけどね駅弁とかね祖父の車の中の 記憶とか地下鉄に乗ってたっていう記憶もね昨日結構
鮮明に思い出してきてこれは今思い出したことだけども あの地下鉄北海道の地下鉄独特なのかなあの
列車と列車が 車両と車両がねつながっているところがあの
なんていうのかなのゴムみたいな素材でできて 床育てでその上はね鉄でなってるけどもそこが不思議だったんでしょうね
子供ってそんなものなのかな二つ障害だからなんかね そこに立ってねあの揺れるのをね
とかカーブになったらその別の車両が 角度が変わるのを見たりねそれを楽しんで結構地下鉄も
しょっちゅう乗ってたんですよね 毎週そうやって洋館に手引かれて
いやー行ってたなぁと思ってね本当に感慨深くなりますね ただね最後にこれ大事な話なんだけども祖母のお見舞いに
毎週行ってたのにお見舞いに行った記憶は一切ないんですよ 病院に行ってた記憶はあるんだけどもそれはねまぁ他の
親が宗教入ってたんでね そのじいちゃんばあちゃんもおいしい
お見舞いっていう可能性 まあそうですねじいちゃんばあちゃんでなくても何人か覚えてますね
あーそれでね今覚えてるんですよそのコップが汚いなぁと思ったりね あとはああ
チョコレートをもらった人もいたなぁとか 祖母のお見舞いは1回も記憶ないんですよ
たぶんお小遣いもらったりもしてるだろうしいろいろ話もしてるだろうし 祖母と祖父のねー
小さい頃の記憶が一切ないいや不思議ですね 毎週行ってるのにまぁもちろんね年齢的なことから言ったらまあそれはそうなのかもしれないけど
だからこそですよ さっき言った電車の帰り気をつくよったなぁとかそういった記憶が思い出したっていうの
結構奇跡的なんですよ まあでもね祖母のことを思い出しないで電車の中の記憶が
鮮明に思い出してくるっていうのも面白い話ですよね
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