1. ポイエティークRADIO
  2. 第百三十五回 多弁なふたり ..
2023-01-30 1:23:32

第百三十五回 多弁なふたり ゲスト:高田公太さん

高田公太さんとの勢いのある雑談。なに喋ったか覚えてません。

00:30
ポイエティークRADIO、お相手は、私柿内正午と、本日はゲストでこの方です。
青森県弘前市在住、作家、詩人、エッセイストをやっております。高田公太と申します。よろしくお願いします。
どうぞよろしくお願いします。
今の俺の肩書どう思う?
そうですね、なんか増えたなって思います。
増えたし、階段作家の階段って取ったじゃん。
階段取ってきましたね。そこ取るだけでだいぶ意味が変わってきますよね。
階段作家ですからスタートして、あんま階段と関係ないこと言うのって、逆に混乱招くと思うのよ。
あーなるほど。はいはいはい。
なんで階段作家の立場からその話してんの?ってなるじゃん。
はいはい、そうですね。
自由度を高めるためには時には作家、詩人、エッセイスト。
詩人っていうのは最近俺ちょっと詩を本当に作ってて。
そうなんですね。もともと階段の話されてるときもちょっと詩の話をされてたから。
びっくりしたんだ、俺。これも時代の流れというか同時多発的だなと思ったエピソードがありまして。
詩を作るっていうのはもう本当に階段と詩っていうのはすごく近いものがあるんじゃないかとかねと思ってたんですよ。
はいはいはい。
なんていうか、階段、階段、階位体験というものをどなたかが体験をし、それを私に表現するときに、
全くもちろん体験したことを語ってる方は詩のことなんか全く意識してないんだけど、
それをこちらに、私が取材する側として取り入れてアウトプットするときに、不思議と史上というものが漂う瞬間が多々あるんですよね。
それはなぜ史上が漂うかっていうと、おそらく私は体験者ではないので、
その体験ってものを言語化するときに、史上がある表現がすごく有効になる。
なんか、史上っていうものが醸し出された方がリアリズムが湧き立つみたいな瞬間がとても多くて。
03:02
なるほど。
うん。なので、すごく詩と階段っていうのはどこか近いものがある。
実は階段というものだと思っていたら、先日階段作家の、コストモダニズム階段作家の、
鈴木ささげさん。
はいはいはい。
階段と詩は近いんじゃないかとツイートしてて。
別に私、ささげさんと深い会話をしたこともないんですよ。交流もないのに、そんな言葉がツイートにポンってきてて。
わーわかってるな、鈴木さんは。と思って。
なるほど。
鈴木ささげさんは、あれですよね。今、とっさにタイトルが出てこない。
えっとね。
花、花。
花がたみ。
あ、そうだそうだ。そうそうそうそう。
ふつう若いな花がたみの方ですね。
そうそうそうそう。なんかね、お若いのかな?ノート見た感じだと鈴木ささげさんはお若いように私は見受けたんですが。
うんうんうん。
なんかね、すごい読書好き。
たぶんそれこそポストモダンと呼ばれるようなもの。ポストモダン以降のものというか、文学と。
あと音楽も好きで、音楽の趣味もちょっと俺に近い感じで。
なるほど。
少し文化圏が似てる感じがあってね。
なんか階段ブーム、コロナ禍以降の階段ブームでいろんな人入ってきた。鈴木さんがコロナ禍以降かどうかは別として。
なんかね、階段、実話階段やってるけど、それがメインではなくいろんなものやってる中の一つの実話階段だよっていう人がすごく増えた気がして。
属性、他の属性を見るとね、すごく幅広いと。
精神科医をやりながら実は階段やってる牧田さん、この方ラッパーだったりして。
はいはいはい。
ラッパーとしても結構ちゃんとしたヒップホップの割とど真ん中の方でいろんな人と。
りょふかるまさんとかと一緒にやってるとかしてて。
はいはい。あれですよね、カオスさんとがMVに出てて。
そうそうそうそう。しびれクラブ周りもリンクしてる感じ。
面白いなと思うのはね、その辺のね、いろんな人が階段、出会いのきっかけは実は階段っていう文化なんだけど、
それ以外の子が持ってる属性の横のつながりでもコラボし始めて、階段と全く関係のところで。
その流れってもしかしてあれじゃね?80年代のラジカルガジブリビーンバシステムとかの流れと近いんじゃねえの?っていうのを俺は。
2000年、2000年、令和になって。
06:00
はいはい。
なんかあの頃のニューウェーブ的なグルーヴがもしかして俺ら階段文化っていうとこから生まれてんじゃないかっていうワクワクが。
勘違いだね。
勘違いなんだけど完全にね、俺。
いやいや。
完全に俺勘違いなんだけど。
でもそんなふうに見ると、確かにこの混沌としつつも何かが生み出されていく感じって、
もしかして俺が憧れていた80年代の感じなんじゃないの?みたいなふうに感じるんですけど、いかがでしょうか。
なるほど。今のところだけども拾いたい話題がいくつもあるんですけど。
まずあれですよね、実話会談の作家さんでいうと、あがつまとしきさんの単価のバックグラウンドがあったりもして、
そのあがつまさんの会談を読んだときにも思ったんですけど、
実話会談のフォーマットって、かなりショートショートみたいな、
わりと短いページ数の中で、ある意味導入から結論というか、最後の詐欺まで持っていくっていうのが、
確かにある意味定型があるんですよね。
構造的な定型であって、因文ではないですけど、
そこが単価だったり定型誌みたいなものとの、ある意味方法論としての親和性みたいなものは、
完全にラブるわけじゃないんですけど、何かしらあるんだろうなっていう気がしていて。
牧田氏さんのラップとかも含めて、定型っぽいからの親和性みたいなものっていうのはあるなみたいなのを、
かなり個人的にも感じていたところではあるなっていうのと、
実話会談がある意味それをメインとしている人が他のことを別でやるのもそうだし、
逆に他でメインでやっている人が後から入ってくるのもそうなんですけど、
ジャンル横断して、そこだけじゃないところでやっていくみたいなのって、
すごい心の広さというか、いろいろやれるの楽しいよなっていうのはすごい感じていて。
何か思い出したのが、僕、出身名古屋なんですけど、
名古屋の演劇会を見ていると、演劇だけだとお客さん集まらないから、
切磋なく他ジャンルとの交流が始まるんですよね。
だいたい名古屋で活躍しているバンドと劇団はみんな顔見知りみたいな。
だからバンドのライブだけだと人集まらないけど、演劇の人を集めてそっちで人集めたりとか、
逆に演劇作品をやるときに、リアルで劇班をつけてもらうために、
09:04
バンドが上演に入っていったりとか、
そういうところで、自分は音楽だからとか自分は演劇だからとかで、
横のつながりなしに閉じていくんじゃなくて、流動的に、ジャンル横断的にやってみせちゃうみたいな垣根の低さがあって、
ある意味それは携わる人の少なさゆえなんだよなというか。
そうしないとなりたかない。
名古屋みたいなところは文化不毛の地の咲いてるところみたいな感じなので。
本当にそうなんですけど。
そういうところだと、何か面白いことやってる人っていうのは、
特に何か自分の専門ここだからって決めつけずにいろいろやってみちゃうみたいな、
いい意味でも切磋納があるよなっていうのがあって、
そういう土地とかとは関係ないんですけど、階段のそれこそ坂田さん周りの方々をちょろっとツイッターで見てると、
同じような切磋納さというか。
ある意味ニッチなところで、新しい人を集めてくるのが大変なジャンルというか、
どうアピールすればいいかなかなか難しいジャンルでもあると思うので、
そこでいろんな人がとにかく面白そうっていう雰囲気作っていこうぜみたいな雰囲気を持って、
いろいろやってみてる感じっていうのは、
肌から見ていてもいろんなものが出てきそうで、それは楽しいなっていうところで。
なんかね、
例えば俺、しみくら、カオス、村上ロックスとしびれクラブっていうね、
あれもしびれクラブっていうものを本当に言葉で説明、言語化するのが難しいんだけど、
簡単に言うと3人でお笑いやってるって言ってもいい気もするけど、
音楽も結構お祭りにやってたってことだよね。
その単体でも一応階段で出会った3人ではあるけど、
ジャンル横断してるわけですよ。
なんだけどね、垣根を壊して何かやるときに我々が直面したのは、
例えば村上ロックスなんてのはYouTubeの登録者何万人?何万人もいるんですよ。
何万人もいる人が、なおかつイベントやれば村上ロックスさん村上ロックスさんってみんながやっぱすごいすごいっていう村上ロックスさんであると。
スミクラカオスさんなんていうのも階段のコンテストのプロデュースからね。
すごい昔からそういう活動、オカルト的なものを紹介する活動をしている人。
私は人気はないですけど15年やった階段サッカー。
だから階段好きっていう全国的に見ると、少ないとはいえ100人は多分好きだと。
12:04
俺らが好きだって人が100人いたとしても、じゃあその100人が会場に来るかといったら来ないんですよ。
なぜなら階段をやってないから。
なるほど。
結構シビアだったよなって。
俺らのことが好きじゃなくて、俺らがやってる階段の何かが好きに興味あるわけで、
あなたの個人活動には興味ないですよっていうのが本当に如実に入場券チケットの売れ行きに出たんですよ。
あんまり売れないもんだから、我々もちょっと腐るというか、
いや何だよ階段ファンは本当に。
なんで好奇心がない連中なんだなんてことも裏では言ってみたものの、話し合ってて当たり前だよねと。
何の約束もないわけですよ。
階段が上手な人たちが音楽やったとって、それがいいという約束が全くないじゃないですか。
だからそれにお金払うってそんな簡単にはできないよねと。
だからいいんだっていうことを別のことでコツコツやっぱりアピールしていかないとダメだよねーなんてことを話してて収客に苦しんでいたら、
昨年のコント公演はなぜか3日で完売したんですよ。
あれはね、コント公演ってはっきり言うと分かりやすいから来るんだなって。
あーなるほど。シビレクラブっていう言い方で、ある意味そこに人のジャンルとのどこに落ち着けていくかがあまりわかんないと。
たとえシビレクラブのレギュラーイベントですって言ってもわけわかんない。何やるのかわかんないけど、
シビレクラブのコント公演ってはっきり言うと、コントだったらじゃあ笑いに行けばいいんだなと。
初めてだから見てみたいが発動するから急に。
で、うちらもうどうしようチケット余ったらって言ってるのが3日で完売だったからびっくりしたんですけど。
でもまあ分かりやすいものっていうのを言うのはやっぱり引きがいいんだななんてことを思って。
今年はね割とねその分かりやすさってことを大事にしながらも、じゃあその中でいろんな色を出しましょうねみたいな。
なんか初期の衝動だけに任せてみんなついてこいのスタンスからはちょっと変わったかもなって感じですね。
こないだ会議したんですけど。
あれですよね、大河さんの収録の前に会議をしてたってyoutubeで仰ってましたね。
大河さんどうですか?見ました?
全部はないですけどちょこちょことつまんで見てますよ。
なんか気になるものありますか?
いや、あの顔隠すのか隠さないのかどういうスタンスなんだろうかってところが一番オカルトだなって思いながら見てました。
15:02
よくない?
いやあれすごいなんかラフさいいなって思いながら見てました。
なんかね、あれなるべくねちょっと見にくくしようと思ってんの。
誰々登場ですって言ってほら会談も今ほらちょっとアイドル性を帯びた演者が多いから
わりとyoutubeに関しては見たい人だけがアクセスすればいいっていう手軽さのおかげで
会談やってないんだろうけどこの人たちのフリートークが気になるなって言って見に来る人いると思うんだ。
あのね、あんな無料のものでね、くっきり人の顔が見てると思うなよって。
なるほど。
無料だから。
本当に俺らのお金払ってきたねっていうのをyoutubeではちゃんと明確にしなきゃ。
ただそのトーク内容の都合上顔を出さなきゃいけない時とか
あるいはこれは顔を隠しすぎって言ってもちょっとあれだよねって時は出したりもするんだけど
本当にね、人の画角によっては本当に細い線しか残らない時は隠しすぎると。
それちょっと俺的にもう残酷だっていう気がする。
その時はバランスとって顔出しをするんだけど、なるべく見せたくない。
まだ俺の中でyoutube文化に対する反抗心があるんだろうね。
なるほど。そこの塩梅がすごいなと思う。
最初の動画で明らかに高田さんだってわかるのに、オカって隠して
ずっとアジオカルトについて語ってるっていう乱戦相変わらず
なんだこれって思ってたんですけど
その後吉田由貴さんと加藤はじめさんと3人で話されてる回で
みんな眼鏡かけてるじゃんって言った瞬間に
それまで固くなりに目元隠してた帯がじわじわと競り上がっていって
普通に顔見せちゃうっていうところで
あ、これ見せていいやつだったんだみたいな
演劇的な構成感じなかった?
ある意味手間暇かけない編集としても固定で帯つけて顔隠してるのかと思ったら
ここで無駄なエフェクトを入れるためにちょっと手間暇かけたんかい
みたいなところが一番面白かったですね。
やっぱね、そこまでおっしゃらけてないね。
大事に真面目に俺はあれをやってるってことの表れだよね。
そうですね。
気真面目にさ、自分なりの面白さっていうのを追求すると
ああいう形になるんだっていうことですよ。
なんかその辺ちゃんと見てくれて嬉しいね、俺はね。
あれだったら、俺の持ってるアプリでは
18:00
何秒単位であれが黒いのが競り上がっていくかなんてできないから
手動でゆっくりやってるの。指で。
あれスワイプして編集してリアルタイムでグーって。
2回くらい撮り直してるんだからあれ。
一気に速すぎると面白くないから、ゆっくり行くようにバーって。
それに結構時間かけたりとかして。
あいつやっぱ細部真面目なんだよ意外と。
真剣に向き合ってるからこそやっぱり顔隠そうって気になるんだし。
なんとなくでいいんだったらそんなことしなくていいわけじゃん。
うまいと一本一本ね、音のバランスとかちゃんと取ってね。
一人でやってるんですね。
すごい。
狂ってるよね。
いやー、おかさんすごいですね。
おかさん、おかさん、おかさん。
要するに高田幸太のYouTubeチャンネルをおかさんっていうのがあるので
フォトキャスト聞いてる方はよかったらチャンネル登録していただければ。
そうですね。
でもすごいだから。
高田さんはポリエティックラジオのスタンスを微妙に感じますね。
ポリエティックラジオのほうが適当なんですけど。
雑談。
柿内さんは雑談ってものをやっぱりすごい大事にしてるっていうのは日を見るより明らかなんですよね。
雑談ってものが本当にいいなと思うのは
何かありそうで何もなくてもいいし、何もなさそうで何かあってもいいし
要は楽しけりゃいい。
何なら楽しくなくてもいいからこそ雑って言葉を使ってるわけじゃん。
言い換えれば自由というものだと思うんだけど
例えば今なんかでも開始してから何分経ったかわからないけど
もう結構な雑いじゃん。
結構雑い。
結構雑いわけなんだけど話も2点3点しててもまあいいじゃんっていう感じで言いたいしさ。
そうですね。
柿内さんってさ、芸能ゴシップ全く興味ない?
あんまり興味ないですね。
あんまり興味ないでしょ。
だいたい柿内さんしかり、私のやってる作家あるいは表現などに触れてる人たちって
芸能ゴシップにほとんど興味ないんですよ。
はいはいはい。
俺めちゃめちゃ好きなのね。
はいはいはい。
芸能ゴシップの何がいいかっていうと、あれどうでもいいわけよ。
そうですね。
あれは本当に雑いものだと思ってて、誰がどうなろうって正直どうでもいいっていう感じなんだけど
21:02
虫眼鏡で見る、顕微鏡で見る、よく見ると
割と人間の根源たる醜さっていうのは芸能ゴシップには本当に多くて
人ってこんなに見にくくなれるの?みたいな。
はいはいはい。
最近LINEの流出っていうさ、普通だったら見にくいから
もう世に出る前提ではなく打ち込んでる生身の文章というのが出てくるみたいですよね。
はいはいはい。
それがね、意外とそこに文学が感じちゃってて、ここから目を背けてはダメだと。
はいはいはい。
なんて言ったらいいかな。
日本の芸能界なんていうのは海外の芸能界と比べたら全然収入的なランクは10分の1か100分の1かぐらいになっちゃうんだけど
一応でも日本のシステムの中ではお金ある方々じゃないですか。
人気タレントね。
こんなに裏側見にくいっていうのがもう世に出ちゃうんだっていう時に
リンクするのはハリウッド、バビロンとかサンセット大通りとかさ
ああいう世界観とどっかリンクしてる気がするんだよね。
意外と単なる芸能ゴシップでしょっていうのも奥底にはなんかあるぞっていう気がずっとしてて。
多分俺そこ結構好きでワクワクしながら見てるんだよね。そこを見てる時に。
なるほど。
何かに消化させたいなっていう気持ちもあるのよ。
この汚さっていうのをほとんどの人はあまりにもしょうもないからキャッチしないだろうものは俺キャッチしていこうっていうちょっと使命感があって
だから芸能ゴシップ好きなんだよ。ヤフーニュースめっちゃ見てんだよって言ったら大体みんな白い目で見るんだけど。
なんて俗物なんだと思って俺のこと見るんだけど
俺は俗物じゃないと否定する気もないけど楽しく見てるというか何かフィードバックされるはずと思う。
たまこめてる感覚で俺はヤフーニュースを見てる。
なるほど。
ていうことで今ここでアピールしたかった。どうかな俺の視点間違ってるかな。
今僕なんでこの話になったのかちょっと見失ってほったんなんだったけど。
雑すぎた?
雑談だなっていう話をしてて、そのまま気づいたらこの話になってたんでちょっと途中からなんだっけなって思ったんですけど
雑談だからということで、雑い代表が俺の中で芸能ゴシップだったってところでシナプスがつながってるんですよ。
24:03
なるほどなるほど。
でも今の話で言うと、それこそヤフーニュース的なものだったり、
芸能ゴシップみたいなものを見ちゃうみたいな心声と、それこそ実話会談に対して読むみたいなところっていうのは、
ある層においては一緒なんだろうなというか、似たような欲望で読む人たちっていうのも一定層いるんだろうなっていうのは感じるので、
そこは一つ確かに直接的な取材ではないんですよ、取材の一つではあるようなっていうのは納得するところではありますね。
さっきの話ちょっと戻して組み合わせて合体ロゴ作るとしたら、
あがつまとしきさんの話をしたじゃないですか。
はいはい。
短歌である形式であるって話をしたんだけど、
あいうあがつまさんのそういう特に、あがつまさんといえば文芸にしてるなと思うような会、実は会談に関しては、
何を表現してるかっていうときに、恐怖そのものよりも趣を表現してるんだろうと。
趣っていうものなんだけどね。
この趣を楽しめる勢と、趣と別のもっと植物的な恐怖とかを楽しむ勢っていうのがいると私は仮定していて、
趣だけでやってると正直全然売れないんだよね、本がね。
なるほど。
趣、会談本を買うとき、よし趣が欲しいから買おうなんて人はごくごく少数ですよ。
この人の大向きが好きだからって買うような人は本当に、もしかしたら15人くらいしかいないかもしれない、全国でもしかしたらね。
なんだけど、そんなもんって言い方は素晴らしいものなんだけど、それは芸術点が高いっていう。
商業的ではない。だから数字として伸びなくなっちゃう。
もちろんあがつまさんも怖いのは怖いし、バランスとってるんですけど。
芸能ゴシップなんて植物的だよね。あれは趣を見るもんじゃないから。
そうですね。
だから趣っていうところを抜きにすると、実は会談の覗き見てる感じ。
あるいは他人の不幸を楽しむような、何単習惑さというものを表現してる。
実は会談の植物的で、いわゆる価値コアみたいなのは、
あれはもう人間の習惑さのカルカチュアの構造だから人はうわと思うわけじゃん。
人コアではないんだけど人コアっぽいみたいなさ。
いわゆる訳わかんない系の、何のために悪事するかわかんない回っていうのは、
27:00
あれはもう人間でいうと強靭というもののカリカチュアである。
あるいは自然災害っていうものをまた体現してるものかもしれない。
訳もわからず不条理に酷い目に遭う。
そういうものを頭の中で意識的か無意識かで互換させて、
嫌だなと思ってると思うんですよね。
そこの部分で芸能ゴシップ的な部分っていうのか、
もしかしたらリンクしてるのかもなーなんて無理やり僕は引っ張ることはできるかなと思います。
本当に何の話してるんだろう、さっきからずっとね。
何の話だったんだろう。
催眠術。
何の話だったんだろう。
催眠術みたいじゃない。
雑談の一番醍醐味って自分でも何話してるかわからなかったとき一番いいですよね。
そうなのよ。
聞いてる側溜まったもんじゃないでしょうけど。
柿内さんと雑談したいなって今回の収録は僕から要望を出したじゃないですか。
はいはいはい。
これ何でかっていうと柿内さんがちゃんと雑談っていう土俵を作ってる人だからなんですよ。
なんとなくこういう話してるってやっぱり相手は僕のことだんだん嫌になっていく。
なるほど。
その興味いつから始まったんですかってなるわけですよ。
よく喋るなって取り留めもなくってなるわけなんだけど、雑談っていう土俵の上にも二人乗ってると思うには、
今我々やってることはもう本当に正しく正当なルールにのっとってるわけじゃないですか。
はい。
だからなんかここでやっぱ隙法で話したいなっていう気持ちがね、俺が柿内を求めちゃった理由かな。
いやー素晴らしいですね。
ありがとうございます。
いつかそんな柿内さんも俺に怒るかもしれないよね。
いやー。
もうそれ雑談で聞こえてる。
そうですね。
今日も3、4時間遅刻されてますからね。
マインドまで雑になっちゃダメだよね。
そうですね。
あくまで段の部分で。
スタートからかっていうことですね。
雑ってもどんどん拡大解析しやがって。
そうですね。
いや申し訳ないです。
いやいやでもそれは冗談として。
高田さんは本当にでも、今日はうっかり寝ちゃいましたけど。
基本的にさっきも録音ボタン押す前に話しましたけど、時間も割としっかりされるし。
それこそ普段お話ししてても、締め切りもそうだし、
実際このトークイベントでもうちょっとちゃんと喋ろうみたいなときには、
きちんとそのコンセプトからきちんと準備されたりっていうところで、
すごいしっかりとされてるじゃないですか。
実はね。
それこそゴシップ好きな内談作家みたいなところで言うと、
30:00
パブリックイメージとしてはきっとろくでもないじゃないですか。
確かに。
そこからするとやっぱしっかりしてるなというか、
やっぱりそのある意味なんか、
従業者みたいなものでもあるので、社長みたいなものじゃないですか。
社会性みたいなところで言ったら下手したら全然勤めてる人より、
むしろシビアなところに求められるよなみたいなことを、
思いながら見てたりもするんですけど。
だからこそ、
雑に語るときの雑さはやっぱりちょっと信頼感があるというか、
一応ちゃんとできる人が雑にやってるっていうところで、
こっちも安心しますよ。
プレイなところもあるよね。
そうなんですよ。
この歳になると雑談してるとき、
今雑談してるんだって自分たちでわかっちゃうじゃん。
そうなんですよ。
だからそれがプリミティブな雑談じゃないのかな。
どうなんだろうね。
昔の雑談って雑談って概念ないままやってたわけじゃん。
そうですね。
なんならすごい本当に世界の真理に近づいてるような気がしてたと思うんだ。
若い頃って。
本当はすごい雑なのに、
あれこの会話した後、明日から世界変わらないみたいな。
すごいこれユリイカの連続じゃんみたいなときあるじゃん。
今やっぱりちょっと自分たちが話してる雑談であると、
なんかこう志向のサッカーをしてるわけで、
これ市町市長の試合は終わると。
そうですね。
でもまあ体を動かしたじゃないけど脳を動かしたさっぱり感はあるぞみたいなのが雑談じゃない。
そうですね。
結果的楽しかったね。ちょっと終わればそれでいいっていう。
だからプリミティブ雑談だった頃にはもう戻れないんだろうな。
そうですね。
やっぱり雑談と雑談じゃないものを切り分ける回路ができちゃった時点で、
もうなんか多分純然たる雑談みたいなものはないかもしれないですね。
ないかもしれないですね。
そんなものがあったかどうかもちょっと怪しいですけどね。
純然たる雑談って言葉が。
俺でも娘が今9歳なんだけど、
娘と話してるとやっぱりちょっと純然たる雑談に近づいてる感覚はあるかな。
マジで雑談、マジでどうでもいい子と話してるから。
9歳の興味なんてほら大体どうでもいいじゃん。
なるほど。
だからパパ聞いてパパ聞いてって言ってなんか言ってきて、
一応俺もほら子供と同じ目線で楽しんでちゃんと会話してると。
大人が子供の目を見て投げかけてきたクエスチョンなりサジェスチョンなりに、
しっかり目を見て対応するっていうのは上層教育としていいもんだと思ってるから。
33:02
なるだけしょうもないことでもさ、これはこうなんじゃないかってコメントしっかり投げかけて、
ああこうだよねって意外とキャッチボールが始まる。
もう9歳ってのもなるけど脳がもうかなり動いてるから。
これでも俺もまあまあ楽しくなっちゃった話してるときなんか。
これ雑い、雑いぞと。これいい感じに雑いなと思いながら話してるんで。
あれ結構プリミティブな雑談。
混じりっ気なしの雑談って子供と会話してるとあるなって気がするかな。
雑談って柿名さんの中では雑談っていうのは雑談の本も出してるじゃん。
そうですね、ゾンビについての雑談。
雑談ってものはどういうふうに決定的に言語化してるフレーズがあるの?自分の中で。
雑談の定義みたいなところで。
あんまりちゃんと定義まではしてないかもしれないですね。
僕は基本的に自分の肩書きというか、
二綱みたいな感じで、街で一番の素人だっていうふうに名乗ってるんですけど、
それと似てて、
特にこのポエティックラジオ始めたのが2020年の夏ぐらいだったんですけど、
その頃それこそ初めの緊急事態宣言が出て、
みんな家にいて、暇を持て余して、それこそポッドキャストとかYouTubeとか始めるみたいなことを、
より一個式が下がったというか、
誰でもそれやるようになるのがさらに変更した時期だったんですけど、
そこで出てきたポッドキャストが、みんなラジオを目指してたんですよ。
それがすごい嫌で。
だってお前素人じゃんっていう気持ちがあって。
しかもその時僕が求めてたのって、
レストランが全部閉まっちゃって、外食できなくなったことの一番のストレスは、
外食しに行った時に隣のテーブルで、
全然面白くないカップルが、
全然面白くない会話をしてる、
そのリアリティが好きだったんですよ。
それは亡くなって初めてわかったんですけど。
そういう普通の人たちの普通に思わない会話が、
ただ垂れ流され続けるポッドキャストがあったら、
自分は嬉しいなっていう気持ちで、
こうやってグラジオって始めてるんですよ。
だからこれはパッケージとして雑談として出しはするけど、
ここで言ってる雑談っていうのは、
ちょっとでもなんとなく番組っぽくしようとしてる、
他の番組以上に雑だからよろしくみたいな、
そういう気持ちはあるかもしれないなって。
鼻からショーアップされたものを作る気はないんだっていうことですね。
36:04
そうですね。
これね、またちょっと興味深いなと思うんだけど、
これがね、忘れもしない、
それこそしびれクラブのしみくらカオスに、
真顔でマジマジって言われたのが、
コータお前はオンとオフがないから気持ち悪いなって言われたね。
ハッとするのは、これは本当にそうだなと思って、
俺ステージで上がってる時と、
ステージの下でのトークのテンポというか、
脳の動かし方がそんなに変わんないんだよね。
そうですね。
そうそうじゃん。
俺、前柿内さんとイベント一緒の時のさ、
1回のカウンターで全然これからまだ何時間後にスタートかっていう時に、
俺もうなんかちょっとオン気味で話してたじゃん。
話してました。
新宿に上の町と下の町があるっていう話をずっとしてたんだと思うんだけど。
してましたね。
あれ結構自分でね、なんかいい話だなって思います。
なんか都市論みたいな感じで気持ちよかったんだけど俺はね。
なんだけど、俺そうなんだよ、
オンとオフがなくてさ、
ショーアップしてるしてないっていうのがちょっと自分の中であんまりうまく分けれない。
オフができないからよしオフにせよっていう瞬間があんまなくて。
疲れていて口数少なくなったなんてことはあっても、
それすらもなんかきっかけあって面白くなって喋り出すから、
休もうとかオフのテンションでいこうとかいう意識はそもそもないんで。
だからどうやってもなんかこうショーアップしたような感じの、
まあ言ってるなって自分で思ってて。
この理由の一つになってんじゃないかなって自分の中であるのが、
俺いつもさ、今この時間は映画監督でいうと誰が監督してる時間なんだろうってすごい考えるの。
はいはいはいはい。
例えばだよ、例えば俺が18歳、19歳くらいの頃、
京都西陰という、西の陰と書いて西陰というところに住んでたんですけど、
西陰のアパートの隣接してるセブンイレブンでアルバイトしてたんですよ。
俺はその頃本当に大学入学したものの京都外国語大学というものに入学したんですけど、
俺はなんとなく入学したんですよ。
映画が好きだから、海外文学が好き、海外映画が好きだからなんとなく外国語大学に入ろうと思って入って、
全然面白くなくて、全然行かなくなっちゃって。
39:00
で、ひたすらバイトをする。
そういう時ってもう人間が腐ってきてるから、
当時はまだセブンイレブンの廃棄の弁当とか持って帰れたから自由に。
いくらでも持って帰れたもん。
それをたくさん持って帰る。
そこそこ食うんだけど残っちゃう。
それがどんどん冷蔵庫で腐っていく。
で、腐ったなと思って袋に入れて廊下に置くと、
その廊下に置いたものをゴミの火にちゃんと出さないからまた腐っていく。
要するにゴミ屋敷みたいになってきた。
なんだけど俺は気まじめではあるからバイトにはちゃんと行くわけですよ。
学校には行かずにね。
で、もう家に帰ると腐臭漂う中で俺は出てたりとかして。
一回症状バイが爆発的に出てきちゃって夏場。
壁がゴマ塩みたいなのがビャーってくっついたけど知ったんだけど。
そんなある日、俺が朝のセブンイレブンのバイトに入ってたら、
俳優でいう田口博雅さん。
田口博雅さん。
ちょっとぽっちゃりした感じのメガネかけた。
あんな感じの風景の人がガラケー、当時ガラケーですからガラケーを持って、
すごい挙動不振にパーンって入ってきてコンビニに。
で、店員たる俺に警察呼んでくださいって言うんですよ。
俺と店長が横でカウンターの中にいたんだけど警察呼んでくださいって言って。
え、警察?でもあなた携帯持ってるから自分でかけたらどうすか?
っていう話になって。
で、店長もあなた自分でかけて。
全然こっちでちょっとめんどくさいから。
なんかトラブルだったら自分でかけてくださいって。
でもいやどうしようどうしようどうしようとかオロオロしてるんですよ。
そうするとね、頭から大量の血を流しためちゃくちゃコア持てのスーツ着た人がバーンって入ってきて、
兄ちゃん兄ちゃん外で話しよ外で話しよ。
すげえ冷静に。
しまみれなのに。
はいはいはい。
しまみれなのにね。
本当に冷静に。
店に迷惑だから外で話しよって言って。
で、警察呼んでください警察呼んでくださいって言っても冷静にガンガン話されて、
結局外で何か見えない視界から消えたんですよ。
これ俺をカメラの主軸で撮った時に、
なんだろうなもうこれ多分公演兄弟が監督してる映画だと俺は思ってた。
ジョン・タトゥーロですね。
そうそうそうそう。
でしょ。
完全にそうじゃん。
完全にそうです。
多分このエピソード本編に関わってこないやつじゃん。
そうね。
そう。
何でこんなエピソード差し込んだの?
エピソードを俺が主人公として見るのね。
だから俺この時はこれ完全に公演兄弟だなと思ったし、
42:00
でもやっぱりちょっとまたちょっと視点ずらすと、
もしかしたら明らかにヤクザ風の人って田口博松さんの物語があって、
だとしたらタランティーノ的な撮り方もできるよねとかさ、
いろんなこと考えちゃって。
そういう時が昔からなんだよね。
なんかカメラが俺を捉えてて、
いろんな物語が始まってるから、
俺はカメラの前では気が抜けない。
なるほど。
役回りがあると常に、世界における俺の役回りがあると。
はいはいはい。
気があるんだな。
だからオンオフがないままやっちゃった気がして。
なるほど。
いやーめっちゃいいエピソードですね。
すごいな。
なんか今すごいなんだろう。
実は怪談読む時と同じような気持ちになりましたね。
臨場感あった。
何がいいって、
高田さんは今基本的にオンオフがない人間なんだって導入から入って、
そこから入って、
家がだんだんゴミ屋敷みたいになっていって、
ハエがどんどん増えていくみたいな、
それこそグールド魚類ガチョンみたいな、
割と汚い描写がわーっと続いていくと。
そこを一体どこに繋がっていって、
高田さんのオンオフの秘密に行くんだろうと思って、
ようやくコンビニでの本編っぽいのが始まるんですよ。
そこを田口博雄入ってきて、ヤクザ入って、
いよいよここで何か人生観が決まるんだっていう予感だけ残して、
結局何もないんですよ、高田さん本人に。
そこで話が終わるから、
こっちとしては事前にお膳立ちされると、
なぜ俺がオンオフがない人間なのかというと、
っていうところから入っていって、
高田さんの学生時代の話になって、
そこで学生時代にこういうことがあったからって話になるのかと思ったら、
関係のない、田口博雄とヤクザ門の、
何かしらの事件の予感だけ残して終わるから、
場面転換の感じはすごい確かに楽しいんですよ。
僕も今、公園兄弟の映画みたいな楽しさはあったんですけど、
最終的に、で、何の話だったんだよ。
最終的に、だから、カメラが俺を撮ってるって話よ。
分かるんですけど、分かるんですけど、
それ別に今のエピソードと関係なく単純に、
カメラは常にあるからオンオフがないっていう話じゃないですか。
話としては、特にエピソードの豊かさはあんまり関係がない。
関係ない。
めっちゃ良かったです。
やっぱりそういうところでちょっと何だろうな。
揺さぶっちゃうんだろうな。
いや、すごい良かった。
45:01
この前の岡さんのしびれクラブ会あったじゃないですか。
あれは何だったんだっけな。
なんか恥ずかしい話というか、
失敗だみたいな皆さんが話してて。
自然とそうだったんだ。
しびれクラブ、ポッドキャストもやってたじゃないですか。
今までやってないんだ。止まってる止まってる。
あれもそうなんですけど、
基本的にお三方で喋るときって、
すごいだから、エピソードトークが秀逸なんですよね。
全部一人で語って、一つの芸として、
一つのエピソード語り下ろすっていうのが、
あんだけラフにやっててもちゃんと成立してて、
そこがやっぱすごいなって思ってたんですけど、
実話会談の語りの方の人たちっていうのも、
要するにあれってエピソードトークじゃないですか。
そういう和芸として、
何かエピソードを語って聞かせるみたいなところに関してのスキルっていうのは、
やっぱり一つあるんだなみたいなのを感じてたんですけど、
やっぱり僕も今高田さんと雑談してて、
一番他の雑談と違いがあるとすると、
急に異様なクオリティのエピソードが出てくるっていう。
そこがやっぱり一番楽しいところですね。
エピソードをきっちり話す人。
一生転結なんて頭の中にはその用語じゃないんだけど、
自分なりのグルーヴ感で話してる人って、
それが長けてる人。
俺あれね、みんな多分ね、不安なんだと思うんだよ。
自分がそのエピソードから得たエッセンス、
自分が体験したエッセンスっていうのを、
ちゃんと相手にパスしたいっていう気持ちの現れだと思うんだ。
なるほど。
だから、何とか私の世界観をあなたにちょっと一回見てもらって、
このビデオテープをしっかり見てもらって、
共有しないことには、
私は頭のおかしい人だと思われてしまうぞっていう恐怖心があるんだよ。
さらっと言っちゃうと、もうちょっと本当に全く理解されないだろうと。
でもちゃんとここで俺がこう思ってこう思って、
こういう業者の中でこんなことあったんだよまでちゃんと伝え切ると、
受け入れてもらえる、自分のその時間が。
なるほど。
だからその時間を受け入れてもらいたいから一生懸命話してんじゃないかと。
だからやっぱりトーク上手い人って本当にサービス精神がすごい強い人だから。
そうですね。
エピソードトークなんて本当にサービス精神の現れだなと私は思う。
48:02
そこまで頑張らなくても本来会話ってさ、
もっと本当にはしょっていいしさ、
楽しまなくてもいいわけじゃん。
会話を楽しもうなって言うけど、
意外とその楽しむっていう言葉のハードルって本当は本来もっと世間に低いはずなんだよ。
はいはいはい。
逆にこんな一生懸命喋ってるやつが一人いると、他人と喋りにくいわっていう瞬間。
そうですね。
めちゃくちゃ多いじゃん。
うん。
俺なんか嫌われてたもん、高校の頃。
なんか面白い話、お前がいると面白い話をしないとダメだっていう感じがしてくるから、
すごく一緒にいたくないって言われるんで。
あーなるほど、場全体のそのハードルを上げちゃう。
そうそうそうそう。
そう、なんか何も話せなくなっちゃうって。
なんかつまんないイコール死ねばいいってことですか?みたいな、
圧を感じるってお前からはと。
はいはいはい。
だからすごい嫌だってお前はっていうこと言われたことあって。
そうか。
うん。
なんかちょっとそのことはね、さすがに大人になったからわかったんで。
うん。
うん。
でも、つまんないのに、つまんないっていう言い方もあんま良くないんだけどさ、
合わせるって何なんだろうって思っちゃうし。
うん。
なんで俺だけ合わせなきゃいけないんだって。
みんなは俺に合わせてくれないのに、なんで俺だけ合わせなきゃいけないって話になるじゃん。
まあそうですね。
うん。
だからそういう時、ちょっとやっぱり息づらさは感じるよね。
うん。
すげー喋る人の息づらさ。
でもなんかすげー喋る人の息づらさって、あれですよね。
なんか、すごい同情されないですよね。
されない。
すげー喋るから。
されない。
されない。
うん。
あとね、すげー喋る人で、俺みたいな繊細な人って少ないよね。
あー。
すげー喋る人ってどっちかっていうとあんまりそんなことに考え及ばないまま、ガーッとやっちゃう人が多くて。
うん。
そうするとね、逆にね、受け入れられる。
なんていうか、めんどくさくないから。
はいはい。
もうほんとほんとよく喋るねって言ってさ、ははははみたいな感じで終わるじゃん。
はいはい。
俺はよく喋るねって言われたら、すいませんでしたって急になるから。
怖いじゃん。
そうですね。
大人に言ったらいいの、この人。ガー親父でもねーし。
なんかね、気持ち悪い男だなってなるわけよ。
すいません、なんかいっぱい大きい声で喋っちゃった。すいませんでした。
トークのバランスおかしかったっすよね。ってかって、俺急に反省しちゃうから。
はいはい。
こうなるとなんか扱いづらいよね。
なるほどなるほど。
うん。
それはそうですね。
そうそうそう。だからそこの部分は本当に俺はちょっと怖い。
だからこれも全部俺がカメラがあると思ってるせいで、
うん。
なんかカット!ってかかった瞬間やっぱスニも降るんだろうね。
うん。
そうじゃない、今人見えかけてるよって瞬間がカットだと思うのよ。
あーなるほど。
うん。今すごい場の雰囲気をおかしくしてあがったって瞬間がカットカットっていう瞬間だとしたら、
俺はやっぱちょっと演技プラン考えなきゃなってなるじゃん。
そこで一回ちょっと考える。
一回ちょっと、やっぱちょっと本当に内静的になってる瞬間があるよ、すごく。
うんうんうん。
まあしょうがないよね。この歳になるとそのめんどくささがさ、
51:00
あのー、富を生み出してるというか。
うん。
すごい綺麗な生き方したらギフトじゃん、それも。
ははははは。
そうですね。高田さんあれですよね、別に今の歳になったからじゃなくてずっと喋るんですよね。
ずっと喋る。ずっと喋る。物心ついた時からこの感じだね。
うん。
先生にすげー怒られてた。
あー。
授業中も先生の何か荒探ししてさ、
休み早に突っ込むから。
はいはいはい。
みんなが笑うから楽しくて。
うんうん。
と思ったら小4の時にね、本当にあのー、なんだ、
あのすごい暴力教師が、小学校の担任の時に、
はいはいはい。
信じられないくらい殴られて。
はいはいはい。
以来ちょっとだけ俺はあのー、怖くなって喋ることになって。
なるほど。そこで、そこでちょっと。
そこで暴力によって。
はいはいはい。
あのー、TPOっていうのはあるなっていうのは、
そこで暴力で完全に教える。
あれの先生に出会ってなかったらもっとやばかったんじゃない?
うんうんうん。
もっと空気読まない人だったと思う。
はいはいはいはい。
いやすごいなんか、すごいですね。
グレーバーみたいな話になってきましたね。
なんか感じるものある?
いやなんか結局その、なんだろうな、
人が権力というものを内面化していくきっかけには、
暴力ってものが必ず伴うんだなみたいなことを今、
暴力は。
思ってしまいましたね。
暴力どう思う?
暴力、まあどう思うっていう言い方もあるんだけど、
暴力っていうものほら、必要枠として見るか、
はいはいはい。
結局対話でどうにもならない時に、
暴力しかないんだよって局面が人間にはあるみたいなさ。
うんうん。
それを受け、
そういう言い分もありますね。
受け入れるか受け入れないかってことはない?
うーん、そうですね。
僕は基本的には、なんだろうな、
暴力ね、今もそれこそあまりもう、
学校にもないわけじゃないですか、この暴力自体が。
だからあんまり暴力というもの自体が表面化する状況と、
無縁のまま生きてこれちゃってる感じはあって、
だからそうなってくると、あと残ってる暴力ってもう、
構造的な、上からの暴力しかなくなってる感じがあって、
それはあんまり健全じゃないなとは思うんですよね。
難しいんですけど、権力購買のどうしようもなくなって煮詰まったときに、
発揮される暴力の可能性みたいなものが真っ先になくなってしまっている気がしていて、
立場の弱い側からやむにやまれず、
一個の抵抗として出てくる暴力みたいなものが、
54:02
真っ先に良くないものとして規制されていった結果、
むしろ無自覚に暴力を震える立場の強い人たち側の暴力だけが、
ノフォーズになってるみたいな状況が今ある気がして、
そういう意味では暴力は完全に否定しきると、
むしろ今苦しい側が追い詰めてしまうなって気もあるんですけど、
個人的なスタンスとしては、文明人的に文明を発達させるというのは、
暴力なしにうまくやっていく方法の集積でもあるから、
今更そこに戻っていくのかどうかみたいな気持ちはあったりもする。
なんかね、暴力にもほんといろんな、
暴力って言葉ってさ、すごい大きくない?文法、暴力って。
いやそうなんですよ。
すごい大きいんだけど、実は細分化していくといろんな暴力があるじゃん。
ありますあります。
小さな暴力がたくさんあるわけだけど、
そんな中では、この暴力は振ったほうがいいんじゃないかって暴力も多分ね、
いやそうそうそう。
あるんだよね。
そうですね。
だから暴力いけないって言って全て否定せずに、
細分化して何暴力、何暴力っていっぱい細かく定義していくべきだと思うんだよ。
人類は。
そうですね。
この暴力に関しては、それはもう免罪負がある。
やっていいとかやったことによって、もっと良くなる。
暴力だから。
この暴力は振ろうねっていう教育はないじゃん。
そうですね。
その点に付けが果たしてなされているのか。
もうちょっと俺は知らないだけかもしれないけど。
そうですね。
この前にそれに類することがあって、
誰が誰がって名前言っちゃうと生々しくなっちゃうからあれなんだけど、
とにかく言うこと聞かないやつがいると。
本当にごくごく一般の話ですよ。
何かをなそうとしている。
なのだが、ある一人が全く言うことを聞かない。
し、話しても全く応じない。
応じるも何も、そもそも話している内容を理解したかどうかすらも知らない。
なんだけど、ピースとしてその人が歯車を動かしてくれないと、
この大きい動きは動かない。
この時に話せば分かる話せば分かるって言って、
結果何も動かない。歯車が回らないから。
この時になす暴力というのは、もうするしかないんじゃないか。
要するにしたことでこの人は歯車を動かすから。
殺すわけではない。
ただ、こういう目に合うから回らなきゃダメだよってことを教えるための暴力である。
57:00
これはやっていいのかやっていってもやっちゃいけないのかっていう時代に直面して。
やっていいんだってことを信じてる人を論破できないね。
違うんじゃないって言えないのよ。
そこで出ちゃってるから。考え方が。
崩せないんだよね、その人に。
でも暴力動くないと思うよっていう。
抵抗する武器を俺は持ってないわけよ。
なるほど。
でも振るしかないでしょと。
だって話し合ってダメで、
でもずっとこうなっちゃうんだから、
暴力で痛みで分からせたほうが早いんだから。
効率いいでしょって話し合ったんだけど。
どうやったらそれに勝てるのかなっていう。
いや難しいですね。
難しいよね。
そうなんですね。
暴力は、
いやそうでもなんか本当に、
理屈の上でああだこうだっていうよりも、
具体的に本当にどうしようかっていう話にしていくと、
より一層わかんないんですよね。
わかんない。
俺は常に言ってるのは、
その話してもわかんない、応じない、
その人をとりあえず医学的見地から見るっていう。
そこで福祉の観点っていうのが必要なんじゃないか。
っていう感じがしてんの。
だから歯車としてそこに置いてプロジェクトを動かそうとした時点で
間違ってるわけであって。
そうですね。
暴力に代わる何かっていうのは何年もかかっちゃうかもしれないけど、
もしかしたら治療したらその人の話に応じるかもしれない。
断ることに脳のエラーがほとんどの問題を引き起こしてる気がしてるから、
脳のエラーが起こさないようになりが必要かって時に、
ある程度大人の今話してるから、
もう教育じゃないだろうなと。
暴力でそれが教育とはいっちゃいけない気もするから。
そうですね。
そう思ったら文明という暴力なしで解決しましょうに大事なのはもう医学。
特に脳であろうと。
プーチン。プーチン。
プーチンをあんまり象徴的にプーチンと名前を出すのも、
いろんな考え方があるからさ違うって言われるかもしれないけど、
もうちょっと浅く幼稚に考えてほしいんだけど、
プーチンどうしよう。病院連れて行こうよっていうのが文明人のあり方だろうなと。
それも早い段階から病院に行けたらもっといい結果だったはずだとか。
そういう話?
ちょっとイフになっちゃうけど、
このイフをとりあえず持っとかないと先に繋がんないだろうなって感じがしてるね。
そうですね。
本当に難しいですよね。
1:00:03
今それこそ科学的なものもそうだし、
近年だともちろんケア的な領域の話で、精神治療みたいな話にもっていってもいいんですけど、
言説としてはかなり人口に感謝してきたというか、
ポピュラーになってきてる部分ではあるんですけど、
なんでそうなってんだっけっていうのは、
結構いろいろ観点があるなというか、
全部を脳や精神に集約していっちゃうと、
それはそれで個人の自己責任に、
あらゆることをすべて原因をつけていくことにもなってしまうので、
今のあらゆる話の逃げ切らなさって、
やっぱり近代以降の徹底ミスなんですよね。
近代において何が現れてきたかって、
まず個人っていうものが出てきたんですよ。
私って私なんだってことにみんな気づきだした。
要するに私は何かの宗教であったり、何かの村であったりの、
共同体の一員としての私なんだっていうアイデンティファイの仕方から、
そうじゃなくなって、私は私なんだって言えるようになったっていうのが近代のあり方で。
これは日本の話ですよね、今ね。
世界的に見てる?
世界的に見てる。
日本だと近代化ってあんまりうまくいってないと思うので、
主に西洋文明において添えて、まず個人というのが確立してきて、
その上で、私は私であるっていうかけがえのない個人たちが、
それでも盛り合いをつけて、うまく社会をやっていかなきゃいけないっていうところで、
ある意味全体的な社会というものと、かけがえのない固有性を持った個人というものが、
両方ともいっぺんに成立しちゃったのが近代であるとすると、
ここの調整っていまだにうまくいってないんですよね。
だからさっきの暴力の話も、
要するにその社会の規範を何より第一として、
個人というものを暴力的に抑圧することを良しとするのか、
もしくは個人というものは絶対に不可侵のものだから、
社会みたいなものの安定運用を犠牲にしてでも、
尊重しなきゃいけないもんなんだっていうところっていうのは、
うまくまだ調適しきれないまま来ちゃってるなっていうところがあって、
日本は偏てこな国で、いまだに勤務してない国だと思っているので、
島国だからね。
西洋的な個人と社会みたいな考え方がうまく入ってないというか、
うまく翻訳しきれてない部分があって。
1:03:02
GHQ以降ということ?
大陸的な子っていうものの解釈が来て以来の話か。
いや明治以降ずっとだと思います。
まず初めに日本に社会って言葉が入ってきたときって、
今でいうと企業とか会社みたいな意味として入ってきてるので、
最初からちょっと微妙にその外側が大きいんですよね。
めちゃくちゃ排他的なものとして社会が入ってきちゃってるんだけど、
本当はそういう個個人っていうものが、
誰一人ある意味取りこぼすことなくうまくやっていくための
枠組みのことを社会とするみたいなところが、
西洋側のもともとの語彙にあったものが、
日本に入ってきたときに、
自分は自分のままで自分でいいらしいってところだけが先走っちゃって、
その上でみんなでうまくやっていこうみたいなところのやり方を、
うまくつかめないまま来ちゃってる感じが個人的にしていて、
より一層私たちがうまくやるために、
ある意味一人一人の自分というものをある程度我慢しながら、
うまくやっていきましょうみたいなことを言ったときに、
でもそこで言ってる私たちって誰だよというか、
その私たちに入ってない人たちが多すぎるんですけどみたいな。
ところがちょっと歪みが大きい感じがあって、
ここがやっぱり一番モヤモヤするところなんだよなっていうのは。
こっていう言葉が美しいか醜いかという、
それほど大事にすべきものなのかどうかとか、
まあ観点あると思うんだけど、
これも例としてあげると、
この前、良気犯罪に詳しいライターさんのスペースに入ったんですよ。
良気犯罪に関するトークをちょうどしてて、
死刑が、話しながらも雑談で結構話が転がって、
死刑は絶対引っかかるって話になってたし、
俺が聞いてたより板玉になくなって、
怒りとかじゃなくて本当に胸が苦しい話だなと思ったときに、
良気犯罪ってはっきり言って偽善に防げないのかと。
そもそも一人が50人殺すとか、養女をどうにかするとか、
そういう話がいっぱい浴びてる中で、
良気犯罪ってどうにかできないもんですかねって、
良気犯罪の専門家のライターの方に聞くと、
でもはっきり言って人間というのは一定数それやるもんだから。
そういう生き物だから。
1:06:02
もう諦めるしかない。
諦めて起きたら起きたな、人間だなって捉える以外にことはできないんだ。
ちっちゃい頃からなんかこの人様子がおかしい。
だから病院に入れようっていうのはおかしい。
何もだってその時点では何も犯罪を犯してないんだから。
それ、未然に防ぐなんてことは本当にできないって話してて、
それも子じゃん。その子の良気犯罪をこれから犯す人も子で。
それが一定数いる。
良気犯罪っていうものをしなかった人も、
ベクトルはそれに向いてるようなメンタルで社会の中で行動する人もいるわけよ。
犯罪はしないけど、まあまあ輪々目指してる。
法にあふれてないだけで相当、
錯乱させてる、覚乱させてる状態にしてるよね、この人って人が子としているわけよ。
この人どうしましょう?
話し合いで何とかなるんですか?
その人をケアするっていう視点はいつ生まれるんですか?
そもそもケアしなきゃいけないのかどうかも、とりあえず犯罪犯しないから。
あんまりちょっとなんか変だなっていうだけで、医者に行かすかどうかなんだけど、
俺の立場は、立場というか立場というか考え方?
なんかおかしいなの時点でみんなカジュラルに医者行って、
子とか私ってものはすべて脳が作り出してるもんでしかないんだから、
やっぱ脳医学を突き詰めた医学の中で、
完全に管理してもいいんじゃねっていうちょっとSF的な危険思想が実はある。
だいぶ危険思想ですね。
マトリックス的な?マトリックスの世界作った縄の思想?
はいはいはい、機械が割れました。
そうそうそうそう、その思想が実は俺あって、
なんかね、ちょっと俺の人間に対する定念っていうのはやっぱり脳ってものを
プログラミングでしかなかろうという諦めがあるんですよ。
今こうやって話してるのもやっぱもう俺がずっとプログラミングしてきた何かが走って
全部言語化されているのに過ぎない。
俺自身がもう過去のアミダクジ、ずっとアミダクジやってるだけ。
ずっと生まれてからずっとアミダクジを知ってる。
すべて俺が行動、目線、全部がアミダクジの結果だよね。
で、それが古代だよねっていう感じの見方をしてるんですよね。
だからここはちょっと俺の過激な思想を、
ちょっと話がかけがえさんとちょっとずれちゃうから。
1:09:03
そうですね。
スタンスの違いが大きく出ちゃうかもしれない。
たぶんそれこそ、さっきの個人と社会との枠組みで言うと、
僕は割と個人主義的なスタンスに偏ってベクテルとしては向いてるんですけど、
たぶん高田さんの今の話だと、どちらかというとその社会側の治安や秩序みたいなもの。
もう超管理世界。
そっちに寄っている感じはありますね。
そうね。
なんかね、飢餓とか貧富の差、共産主義的な話をするつもりもないんだけど、
とにかくみんな爆発的に幸せではないんだけど、
みんなとりあえずそこそこ幸せのラインで、
飢え死ぬこともないし、学問もみんな望むならば得られるし、
理不尽に人が殺し合うこともない。
理不尽は取ってもいいな。
人が殺し合うこともない社会を作ろうと思った時に、
やっぱりもうそんくらい脳をいじっとかないと、
人間ダメだな。やるから。
やってきたじゃん、ずっと。
話せばわかるってすごいみんな言ってるんだよ。
話せばわからなかった歴史が長すぎて、
あ、もう人間ってそういうもんだろうと。
病気犯罪の話聞いた時なんか、やっぱそういうもんだなっていうことをより思ったんですよ。
ちょっと幸せにしたすぎるが、俺の中で暴走してるんだよね。
みんな幸せタレがちょっと暴走した結果、
すごい危険な思想が。
行き着く先はウォルダス・ハクスリーじゃないですか。
素晴らしき新世界じゃないですか。
怖い反面。
人にチップを入れようぜみたいな話もさ、
もう実はその未来って来てるんだよね。
入れてる人もいる、実際。
だいたいほとんどの人ってチップ入れるって言うと嫌だと、
みんな管理されたくないわってなるんだけど、
俺チップ入れることに何ら抵抗感ない。
チップで生産してくれたら俺どんだけ楽かなって思う。
あとずっと監視されるってことに対する抵抗感は多分俺ない。
盗聴される、監視されるってことを俺がされても、
別に俺、それで世の中は平和になるのかなって思える。
これはすごい面白いですね。
そうなんだ。
そんなこと言いそうもない人なんじゃ。
いかにも個人の自由を大事にする。
そうですね。
1:12:00
でもそうなんだよ。怖いよね、これ。
今ちょっと別の恐怖を感じますね。
でもそうなんだよ。
自分で危険するとわかってるだけ偉いなって思うよ。
あとはそれこそ、何にせよそれ誰が管理するんだよってところですよね。
そうだね。いつもそこで俺のシミュレーションが止まるの。
それを管理してるのが結局人間であったときに、
その人間をまた誰か管理してる、誰か管理してるときに、
完全たるパーフェクトヒューマンみたいな人なんかいないから。
そうなんですよ。
そこで俺のシミュレーションは止まるのよ。
悪意をされるっていう可能性は必ずあるから。
止まっちゃうんだけど、
難しいね、そこは。
でもそこまで、俺の危険思想はそこでストップする。
なるほど。
だからまだ健全な方。
本当に今そういう気分になってる人って結構多いんだろうなって気もするんですよ、高田さんみたいな。
みんな管理されちゃったほうが幸せじゃないかみたいな。
結局そこで問題になるので、じゃあ誰が管理するんだってなってきて、
結局人間はクソだっていう前提のもと、
じゃあ人間はみんな管理してやろうみたいな話になってくると、
人間管理するのは人間じゃだめなわけですよね。
だから宇宙人とか。
宇宙人のほうがいるね。
そうだ、そうなってくると結局今AIのシンギラリティがどうのみたいな話とかって、
要するにあれ飯屋しそうなんですよね。
そうだね。
だから人知を超えたより良い合理的な知性みたいなものが現れて、
我々のことを管理してくれればみんなハッピーになるっていうのは、
ある意味それこそも本当に2000年から、というかもっと前から、
ユダヤ教以降ずっと。
マイコンって言葉があった。
マイコンってオカルトの範疇だったんだよね。
ブラックボックスすぎて、我々はオカルトとして捉えてた。
だから今言われてるシンギラリティみたいな話って、
たぶんまた50年ぐらいしたら、
ノストラダムスの大予言と同じ扱いを受けるだろうなって思ってるんですけど、
でもそこに託されてる切実さというか、
いいからこの愚かな人間、俺たち人間を誰か。
より良い存在が管理してくれるみたいな気持ちは、
たぶん大きくあるだろうなっていうのは。
俺の生涯のテーマだね。
人間をどうするかっていうのが、
すごい生涯のテーマだと思ってる。
そこにある種取り憑かれてるじゃない。
怪談やってるのもね、人間をどうするかの一環なのよ、割と。
もう亡き魂ってものをどうするのみたいなところも、
1:15:03
ひるがいって生きてる魂の話をしてるわけじゃん。
怪談ってのは、ひるがいって生きてる人の話をしてるってのは、
もう言うまでもないことだと思うんだけど。
でもそうですね。
だから、速攻とか、自分で創作する怪談以外のものに関しても、
やっぱり全部人間ってものがテーマになってて、
人間をどうするかっていうことの何か考えるきっかけ、
あるいは自分の思考のゲームが創作物になってるなっていうのは、
もうずっとそうだね。
ずっとわかんねえわかんねえって言いながら作り続けて、
最後に俺は死ぬ人生と思ってる。
なるほどね。
でも本当にそうなんですよね。
結局オカルト的なものの歴史とか、
僕は好きでよく本読むったりするんですけど、
やっぱりそれ見てて思うのは、
個人ではどうしようもない大きさの問いを見つけてしまったときに、
それでもそれを個人レベルで何かしら理屈をつけたり、
見つけられる議論として、
オカルトっていうのは常々機能してきたんだろうなっていう感じを受けていて、
だからすごい高田さんの、
さっきの危険思想スタンスをある意味踏まえてみても、
やっぱりそれと階段っていうのは確かに密接につながってるんだよ、
みたいなのは今すごい感じましたね。
この収録前に、
ちょっと数日前にDMでやりあった。
ちょっとあれも雑いDMでやり取りしたんだけど、
あの時も同じような話に結局結論さ。
空白を埋める。
結局空白埋めるのは大いなる力しか埋めれないもの。
人間って行間めちゃくちゃでかいじゃん。
人間とか社会の中には本当にでかい行間があって、
俺たちはその行間が不安でしょうがないわけよ。
どうなっちゃうんだろうっていう。
安心なんかないよ、はっきり言って人と人の関わりの中に。
約束したってその人は明日死ぬかもしれないし、
こうなするだろうと思ったことをしない可能性がある。
今日なんかも最たるもの、約束した時間俺寝てたっていうことがあったよ。
この行間果たして垣根は読めたかって言って、
やっぱ読めなかったと思った。
うんうん、忘れてんだなって思った。
でもあれあすかちゃんとドラマがあってさ、
いろんなドラマがあるわけよ。
だからそこの行間ってものを埋めるときに、
やっぱ人はオカルト的なもの、
大いなる力って言う言葉がいいかな、
をそこにはてはめて安心していいんだよね。
なるほど。
だから全部そういう話したかな、今日はもう。
1:18:00
全部それにつながっていくんじゃない?
すべての話が。
そうですね。
本当に途中、
手に負えない話になってきてどうしようかと思いましたけど、
最終的にすごいオカルト論じゃないですけど、
話に巡ってきた感じがありますね。
本当に全部つながるよ。
例えば俺は、これは公園兄弟だって言ってるの。
行間を埋めるために俺は公園兄弟引っ張ってきてるわけだ。
シュールな空間とか自分の人生のどうしようもなさっていうものを、
言語化する言葉が公園兄弟っていう、
監督作品っていう言葉が行間を埋めるから、
俺はそれでしっきりするわけじゃないですか。
でもそれちょっとまた混ぜっかえしますけど、
行間は、余白があったら不安だから埋めたくなるっていうのが、
まさしくそれこそオカルトへの欲望の根本にあるようなもののひとつじゃないですか。
それこそオカルトって隠されたものだから、
隠されたものは見つけたい。
余白があるところは埋めたい。
階段も結局天袋が怖かったり、ちょっと空いてる薄間の隙間が怖かったり。
まさにそういう余白への不安なわけですか。
実は階段って、その余白埋めないじゃないですか。
そこだよね。
だから、余白の存在を教えてるのかな。
そこが今すごい面白いなと思って。
入れ子構造になってるね。
ある意味オカルトの興味関心とか、今岡田さんがおっしゃったみたいな、
すごい大げさに言えば人類愛から来るオカルト的な使命感みたいなものは、
どちらかというと余白を埋め尽くしたいっていう欲望に駆動してるんだけど、
それで出てくる表現としては、
余白そのものをそのまま残しておくものとしての階段っていうアルトプットに、
最終的にたどり着いてるっていうのが結構面白いなって思いました。
じゃあ俺は、問いかけたかったんだ。階段を通して。
余白の存在っていうものを教えたいのかもしれないね。
まず、その余白をどう埋めるかより、
余白があるよ、以上のことはもう俺は言ってないのかもしれない。
実話階段って主にそういうものな感じは。
そうだね、実話階段は主にそうだね。
余白ギチギチにしちゃうとそれはホラー小説になっちゃうから。
そうなんですよね。
冒頭にちょっとお名前出てた鈴木ささげさんの本とかは、
まさにその余白にも何だったら美しさを感じるような。
おもむきのタイプですね。
さっき高田さんがおもむきって表現されてたのって、
1:21:03
やっぱりそれって要するに余白のほどだと思うんですよ。
その残し方っていうものの美学だと思っていて。
ここがさらに重要なのは、鈴木ささげさんの本がどうかは知らないんですけど、
余白内緒はおもむきっていうものを大事にしすぎて、
それしかない階段本っていうのは売れないんだって。
ある意味売れる階段本っていうのは、芸能ゴシップと同じように、
余白を埋め尽くすような、ある意味下世話な、
賊っぽい欲望っていうものの期待を煽りつつ、
それでもなお埋め切らない余白を残しておくっていうことをしていくのが、
ある意味商業的な意味で優れた階段本なんだなって。
そうだね、まさしく。
それを一番上手にやったのが平山ゆめやきさんだった。
というところで、結論付けてもそんな暴論にはならないと思います。
最終的に綺麗にまとまってきたんじゃないかなっていう気が。
ほんとだね。
いやいや、どうしても実りある会話しちゃったね。
いや、実りある会話しちゃいましたね。
なんか、2人で頑張った。
すごい全員が上手くいった感じ。
そうですね。
でも今日のハイライトはやっぱり、応援兄弟みたいなエピソードトークだったなって。
あと俺の危険思想を聞いて、柿内さんがまともに引くっていうところがね、
意外とハイライトだったんじゃないかっていう。
ちょっとこれ音声だけだからあれですけど、
今このズームの画面で僕リアルに引いてましたからね。
どけぞってたやんか。
リアルにコメントから離れてた。
この人やべえなっていう。
俺は前に行くしね。
なんか近づいてきたって。
パソコンの画面からちょっとでも離れてた。
説得しようってつもりはないんだ。
だから本当に危険しそうな自覚もあるし、
究極のところ本当にね、人ってのはしょうがないっていう定念のもとの発想だから。
考え方のゲームだよね。
そうですね。
結構そんな感じ?
そんな感じですかね。
結構いい感じなんじゃないですかね。
いいとこだね。
そうですね。じゃあ一旦ここで切りましょう。
じゃあ一旦切るか。
なんか終わりの言葉あるんですか?
あります。
では、ぽいえていくよ、お相手は、
私柿内聖子と
高田ポータルでした。
どうもありがとうございました。
ありがとうございました。
01:23:32

コメント

スクロール