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こんにちは、ポイエティークRADIOです。このポッドキャストは、日々を何とか楽しいものとしてやりくりするための実験場、デジタルリトルプレス、ポイエティークの音声版になります。
もともとこのデジタルリトルプレスというのは、PDFの形で販布する個人制作の小さな本だと思っていただければいいかなと思っております。
このポイエティークを制作している、私柿内正午は、もともとデジタルでないリトルプレス、紙で作る小規模な印刷物、個人制作の小さな本を作るのが楽しくて色々とやっていたんですけれども、
今なかなかリアルな場で、リアルな物質をやり取りするということが難しい状況の中で、下北沢の本屋B&Bさんという素敵な本屋さんが、このデジタルリトルプレスという概念を発明して、
本はPDFの形で販売できるような形で作るリトルプレスがあってもいいんじゃないかというような発明をされて、それがすごくいいなと思ったので、自分でも作ってみようと思って作ったものになります。
もともとこのポイエティークというのは、フランス語で制作学というような意味で、物を作るということに対する学問みたいな意味があります。
もともとこれはフランスのミシェルド・セルトという哲学者の人が書いた本の翻訳版になぜか、日常的実践のポイエティークというタイトルが付けられていて、
現代の方には特にこのポイエティークということは使われていないんですけれども、おそらくこの翻訳が出た頃の一つの流行語だったんだろうなと思っているんですけれども、
この本がとても好きで、なんとなくその本自体もそうですし、この制作学という言葉自体もそうなんですけれども、個人個人からいろいろやっていけるぞみたいな気持ちを励ましてくれるような本で、
ずっと家にいて、なかなか外で街を歩いたりとかお買い物したりみたいなことができない状況の中だと、より一層普段自分は外でお金を使うことでしか遊んでいなかったのかもしれないなみたいなことに気が付かされるような日々がもうすでに2、3ヶ月続いていますが、
そんな中であまり外でお金を使わないと楽しくないみたいな状況はヘルシーじゃないなというような気持ちから、だったらなるべく家から出ずに、なるべくお金も使わずに一人でできることっていうのを探求していくようなことを、せっかくだったらそれを探求しながら記録に残して、本のような形に残しておく、
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それを制作していく過程そのものも含めて全部見せられるような形にできたらいいなというような形でポイえていくという雑誌を制作しております。
これは今、私、書きないしょうごのノートからPDFを無料でダウンロードすることができて、今これを収録している段階では第2号までできています。
楽しい雑誌になっているといいなと思うので、もしよかったらそちらも読んでみてください。
今回このポッドキャストの配信自体も、とにかくポイえていくというので、家でいろんなことを試してみよう、自分でやってみよう、自分で作ってみようというところをテーマにしているので、
最近在宅でのお仕事も増えてきて、だいたい作業中に人目を気にせずにガンガンにラジオをかけたりとか、それからポッドキャストを聞いたりということが増えてきたので、
それをただ受け手としているのではなくて、自分でもちょっとやってみながら、何がどう難しくて、
普段聞いているものの何がどうすごいのかというのを、もっと解像度高く楽しめるようになれたらいいなと思いながら、ちょっとやってみようと思いながら話し始めています。
もともと本を自分で作ったりというのも、何でやってみたかというと、もともと本を読むのが好きで、本というもの自体も好きで、
その本というものを自分で作ってみたり自分で書いてみたりすることで、実際に書いている人であるとか、実際に本を作っている、ものとして作っている人というものが、
どんな大変な思いをしているのかというようなところであったり、
普段お店に並んでいて何気なく手に取っている本というのが、一体どんなプロの仕事というか、
普通にパッドでできるようなことではないような技術を使って作られているのかというのを実感したくて作ったようなものだったので、
今、普段聞いている音声配信みたいなものが、どのぐらいの手がかかって、どのぐらいの考えがその中に投入されて作られているものなのかというものを、
この配信を通じて実感できたらなと思っております。
元々紙で作った本が、プルーストを読む生活という、
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1年間マルセル・プルーストの失われた時を求めてという、やたらに長い小説を読みながら、
書き続けた1年間の日記を一冊の本の形にまとめたものを作ったんですけれども、
それもただ本を読むというだけじゃなくて、本を読みながら自分でも何かを書いてみることで、
小説家の手つきであったりとか、その小説以外の本を読みながら、
文字の扱い方というものを一つ、実作者としての感覚みたいなものを何となしにつかみながら読むのというのは、
また全然違った面白さがあるんじゃないのかなというところで、実験的に作ってみたので、
これはすごく面白い試みで、
僕は特に世の中のなかなか面白そうだけれども理解できないものの一つに野球という存在があるんですけれども、
もともと野球少年だった人たちが野球を見ている様というのを、親戚の集まりなんかで見ていると、
他人が棒を振って球を追いかけているという様を見る見方が他人事じゃないんですよね。
おそらく自分がかつて野球少年だった頃のバットを振っている様であるとか、
そのバットにボールが当たる様子であるとか、
実際にその類に目がけてかけていく様子であるとか、
そういう身体的な感覚みたいなものが自分の中に一つ息づいているので、
プロのすごいプレーというものを見ながらにして、
おそらくそれは自分の体の体験としてちょっとこう、うすうす遠くに感じながら、
それを野球というものを見ているんじゃないのかなという気がしていて、
僕もその1年間日記を書き、日記という形でしたけど、
文字をいじくり回しながらいろんな文字を読んでいくことで、
ここにこの文字を置くというのはなかなかにすごいなみたいな気持ちを持ちながら、
より一層本を読むということを楽しめるようになったかなという実感があるので、
今度は文字だけではなくて声という別の道具を使いながら、
言葉というものを扱っていく難しさであったり面白さみたいなものを、
これはすでに同じような話をぐるぐるしていますね。
とりあえずそういった面白さを実感してみたいと思っております。
今実際こうやってしゃべりながら、
僕もともと文字を書きながらもあえてやっていたりするんですけど、
同じ話をずっとちょっとずつ語彙を変えながらぐるぐるぐるぐる、
話し続けるということをやりがちなので、
文字だとそれを自分でも参照しながら、
あえてやっているんだという気持ちで繰り返せますけど、
声でやっていると、自分が一人でこうやってしゃべっていると、
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むしろ、あれ、この話ってもともとしようと思っていて、
し始めたんだっけ、それとももうすでにした話またしているんだっけ、
というのが無意識になってくるので、
早速、声というトークの扱いづらさを実感しているような感じなんですけれども、
ラジオ、もともとラジオって、
10代ぐらいの時にTBSラジオのジャンクを月曜から土曜日まで、
いじゅんひかるからエレカタまで延々と聞き続けて
助けられてきたというような、
感じだったんですけれども、
もともと聞き出すまでって、ものすごいラジオに対して偏見があって、
地元の、地元は割と車社会だったので、
小学生の時とか、両親に連れられて、
近所のジャスコとかに繰り出していく時に、
だいたいカーステレオからラジオが流れていたんですけれども、
そのラジオの、
喋る人が、みんなちょっと頭悪そうな喋り方をするんですよね。
あえてヘラヘラとした喋り方をしていて、
僕は子供の頃それがすごい嫌いだったんですけれども、
ちょうどそのラジオを聞き出すぐらいの時に、
エリエリレマ・サバクタニっていう映画が公開されて、
世界中のアニメ映画の中で、
エリエリレマ・サバクタニっていう映画が公開されて、
世界の終わりにノイズミュージシャンとして暮らしている、
朝野忠信が何かぼんやりしているっていう映画だったんですけれども、
その映画の中で、そのノイズミュージシャンの朝野忠信が、
俺はラジオ嫌いなんだよねって、
みんなバカみたいな喋り方をするっていう風に言うと、
その朝野忠信のお母さん役の人が、
こういうのわざとやってるんだよって、
ただ簡単に聞き流せたりとか、
なんとなく流していてもストレスなく聞ける、
片肘張らず聞けるっていうのは、
むしろそういうバカみたいな喋り方のおかげなんだよって、
いうようなことを指摘するようなシーンがあって、
朝野忠信がその場で納得してたかどうかは、
すごい覚えてないんですけど、
それを見ていた僕自身はすごい納得をして、
そうか、あの喋り方自身も一つの意味だったんだ、
何かしらのその狙いがあってやってることだったんだっていうことに、
気づけてないことの方が、
なんとなくそのラジオの表面だけを聞いて、
バカみたいな喋り方だなっていうような気持ちで、
なんとなく優位に立っているような気持ちになっている方が、
よっぽどバカじゃないかっていうようなことを、
すごいその時思って、
それからはもうひたすらにラジオを聞くような日々を過ごして、
その時に、
なんかやっぱりその、
特に本を読んだり、
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今だとネットのニュースだったりを見ていると、
どうしてもその抽象的な話が多くなってくるというか、
具体的な生活を離れて、
いやむしろ具体的な生活と密接に関わるからこそ、
すごいその、
怒りであるというか、
怒っているというか、
すごいそれっぽい言葉で、
文字と文字にして語りやすくなっている状況があるなと思うんですけれども、
なんか今この時点で、
すごいラジオだったりポッドキャストみたいな、
声の作品に対して、
安心感というか、
面白さを感じているので、
おそらく声だとそんなに抽象的で難しいことを伝えるのに、
やっぱり、
おそらく声だとそんなに抽象的で難しいことを伝えるのに、
向いていない道具だと思っていて、
あんまりここでその、
なんでしょうね、
声ベースで、
マルクスの物証家理論であるとか、
デュルーズの闘争戦であるとか、
そういうような話をされたとしても、
なんのこっちゃ分からんというか、
耳からスーッと聞き流されて、
声にするからにはおそらく、
自分の実感に近いところというか、
今この身の回りの半径30センチぐらいの、
一人部屋にこもって、
ぶつくさ喋っているこの状況って何なんだろうな、
という意味のわからなさも含めて、
それしか表現できないような道具だからこそ、
それしか表現できないような道具だからこそ、
聞いている側としてもそんなに、
自分の生活実感というものから離れすぎずに、
たらたら聞けるというのがいいところなんだろうな。
それとまた別でやってみようと思った一番の理由は、
家にこもりながら、
ずっとNetflixとかも見ているんですけど、
あれのミッドナイトゴスペルという、
めちゃくちゃ楽しいアニメがあって、
そのアニメが大元は普通に、
ちょっと真面目なインタビューメインのポッドキャストが、
原作になっていて、
そのインタビュー音源をベースに、
ちょっとアイケデリックなアニメをくっつけて、
再編集しているということを後から知って、
ポッドキャストって、
こんなこともできるんだというか、
ポッドキャスト自体は普通のインタビューっぽいので、
こんなことはしていないんですけど、
こんなぶっ飛んだことができちゃうんだというのは、
結構僕としては面白かったので、
それも含めて、
ポッドキャストという文化は、
今すごいことになっているのかもしれないな、
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というような気持ちで聞き始めたというのもあって、
自分でもやってみようという、
一つのきっかけになっています。
もともとこのポッドキャストって、
ポッドキャストって言うぐらいだから、
きっとiPodにキャストするよ、
みたいなところから始まっているんだと思うんですけど、
スケルトンでポコンとした、
可愛かった頃のMacちゃんが家にあったときに、
スケルトンと一緒に家に1個か2個あって、
それでポッドキャスト確か聞いていたと思うんですけど、
当時のポッドキャストってそんなにあまりパッとしなかったというか、
ラジオの再放送みたいな、
菊池成吉のいきなり夜電波とかが
ポッドキャストで配信されてはいたけれども、
肝心の音楽が全部カットされているみたいな、
そういうあんまりパッとしないものみたいな
イメージが強かったんですけど、
気づいたら多分あれから10年ちょっとは経っているはずなので、
こんなにいつの間にか人知れず進化している世界が
あったんだなというようなところで
関心をしながら、最近は面白く
ブラックスワンの赤林圭さんの
ポッドキャストであるとか、
あとはリパブリックという会社から出ている
MOMENTっていうすごい楽しい雑誌があるんですけど、
その雑誌の制作秘話みたいなポッドキャストを
聞いたりとかしながら、
あとはあれですね、ルチャリブロのオムラジっていう
ラジオ、ポッドキャストを聞いたりして、
日々を楽しく過ごしてさせていただいている感じ。
最近読んでいる本が、
最近読み終わった本が、
三崎書店という夏ハジャの島田さんが
別で作ったレーベルから出している
ブックオフ大学ブラブラ学部という本を
ちょうど昨日青山ブックセンターで買って、
帰り道からパラパラと読んでいるんですけれども、
この本がめちゃくちゃいい本で、
どちらかというと、
こだわりの、
いわゆる独立系書店と呼ばれているような
本屋さんであるとか、
あとは普通にその
今真面目に出版社の不況みたいなものを考えていくと、
どちらかというと悪者とされがちな
ブックオフというものに対して、
いやいや、ブックオフっていうことに
俺たちはどれだけ助けられてきたと思っているんだ
みたいなことをいろんな執筆者の方々が
書いている本なんですけれども、
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もともと僕は特に出版とは関係のない分野で
会社員をやりながら、
たまに本を作ったりとかというような風に
遊んでいるんですけれども、
本屋さんに通って本屋さんを見ていて
すごい楽しいんですけれども、
本屋さん本と言われるような、
出版社の編集者が
自分の編集技術について語った本であるとか、
世界の本屋さんを集めた写真であるとか、
いろいろなことを書いているんですけれども、
そういった自分たちの価値というものを
自分たち側から発信していかざるを得ないぐらい、
今危機感というか、
募っているんだなというのを
すごい感じるんですけれども、
実際にそれを本の形で出したとしても、
すでに本が好きな人にしか届かなされていない
というふうに感じるんですけれども、
自分たち側から発信していかざるを得ないぐらい、
危機感というか、
文外観としてはすごいもどかしさを
感じたりもするんですけれども、
その風潮の中で、
一番真っ当に本というものの
未来を考える本として、
実はこのブックオフ大学ぶらぶら学部という、
タイトルからして割と肩の力抜けた
エッセイ集が、
実はすごい大事なことを言っているんじゃないのかな
というのが、
すごい読んでいると思っていて、
島田さんの同じタイミングぐらいで
三崎書店から出ている、
本屋さんしか行きたいところがないという、
別の本もあるんですけど、
その本も含めて共通しているのが、
こだわりのセレクト書店みたいなものが、
どれだけ大事かというか、
どれだけかっこいいものかというものも
分かってはいるんだけれども、
とんでもなく下品な本も置いてあるような、
普通の街の本屋というものも
自分にとってはすごい大事なんだということを
書かれていて、その態度ってすごい、
今、忘れられかけちゃっているとか
見失いがちな観点なので、
すごい重要だなと思うんですけれども、
本屋さんって、ブックオフ大学の本の中にも
書かれていますけれども、
割とその弱い人、
弱い人のための場所という、
役割というかイメージがすごい強いと思っていて、
大事だと思っていて、
なんですけど、その弱い人のための本屋さんに
置いてある本というのが、
一つのベクトルの弱さに対してだけ
優しい本ではあまり意味がないのではないのかな
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というような気もしていて、
本屋さんだったり、特にブックオフに顕著ですけど、
大事なのってすごいほっといてくれる。
大事だと思っていて、
その本屋さんに置いてあるのは、
堅苦しい小書であったりとか、
文学系の作品だけではなくて、
それこそエロ本であったりとか、
しょうもないパチンコ本であったりとか、
ちょっとこの喋り方からして、
僕はどちらかというと、あまりそういう、
なんていうんですかね、
そういう本ってあまり読んでこなかったので、
すぐバレるんですけど、解像度が低いんですけど、
そういった本を置いてある、
世間というものの成熟度であったりとか、
今どのぐらい社会というものが
しょうもないものになっているのかというものを
肌感覚で感じられるような品揃えというものも
一つすごい大事なのではないかと。
ごぼちのいい空間にただ自閉するだけというのだったら、
特にこのインターネット、
全盛期の時代においては
すごい簡単なことなので、
むしろTwitterであったら即ブロックしたりとか、
ミュートしたりしがちな声というものも含めて、
背拍子として眺められる空間。
その上で自分にとっては何が大事で、
何が好きなのかというところを見つめ直す時間、
1時間でも2時間でもほっといてもらえる空間。
その中で、
そういう空間を必要としている人が
何人かまばらに存在していて、
その人たちと一緒に、
特に何か言葉を交わすわけではないし、
何なら特にそこにいる人たちと友達になりたいわけではないけれども、
一緒に時間を過ごせる空間というものは、
すごい一つの救いであったりとか、
逃避の場であり得るようなというのが書かれていて、
それはすごい僕も
地元でのぱっとしない
中学生、高校生の時代に、
チャリを飛ばしながら近所のブックオフに行っては、
1時間、2時間、
適当な漫画を立ち読みして、
時間を潰して帰るみたいな。
あの時間ってすごい一つ、
ほっと一息つける時間だったよなと。
めちゃくちゃ汗臭いですし、
雨の日とか行くと汗とインクの匂いが、
湿気とともにものすごい強烈さでやってくるので、
たまったもんじゃないですけれども、
やっぱり、
そういう汗臭かったりとか、
あんまり清潔感がなかったりとか、
友達がいなそうな人たちも含めて、
みんなその場ではちょっとほっと一息つきながら、
好き勝手立ち読みしたりとか、
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本を読んでいられる空間という意味で、
ブックオフというのは一つの
オアシスだったのではないのかなと、
自分としても思い直すような本で。
一番いいところは、
しょうもないベストセーラーから、
なぜこんなところにこんないい本があるという本まで、
等しく、ただ、存在に、
ものとして並べられているということで、
それは、
普通の今の本屋さんが、
新刊書店が持っている、
キケキリンとヘイト本しか置いていないような、
社会の鏡としてのしょうもなさみたいなものとは、
ちょっと時代のずれた、
しかもレトロブームみたいなものと関係なしに、
ただただ、何を買い取ったかって偶然に左右された、
微妙に古かったり、微妙に新しかったり、
一番、ある意味、
今一番無視されがちな文化だったり、
文化の残骸みたいなものが、
ランダムに置かれている、
というような、
ごったにの面白さみたいなものを、
確かにあって、
最近僕はブックオフに行けていないので、
ちょうど一年くらい前にブックオフに行った時に、
根付けがだいたいAmazonと一緒で、
そんなのブックオフじゃないって、
すごい衝撃を受けたことだけを覚えているんですけれど、
あの頃の、僕が知っていた頃のブックオフって、
本当にどんな名町でも、
すぐに105円に落ちてくるので、
すごい宝探しのようで楽しかったっていう、
なんだろうな、
自分個人で、
声であったりっていう、
文字とはまた別のやり方で何かを、
何かの言葉として、
作っていくっていうことを、
これからしていこうかなと思った時に、
自分がこれまで読んできた本だったり、
聞いてきた音楽、見てきた映画っていうものを、
一つそのブックオフみたいな、
なんで紹介していくっていうのが、
いいのかなというふうに思っていて、
特に今トレンドになっている、
今SNSでバズっている本っていうものを、
そのまま紹介するのではなくて、
むしろ微妙に古くなった、
2,3年前のウェブの記事とか、
5,6年前の小説であるとか、
そういったなんで今それなのみたいなものを、
あんまりなんで今それなのっていうのを、
紹介したり、たらたら喋ったりしていけるような、
場所として、
このポッドキャストを続けていけたら、
楽しいかなというようなことを、
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島田さんがこのブックオフを、
大学ブラブラ学部の中で、
ブックオフというのは弱者のための場所であって、
本と向き合いながらほっと一息つける、
この空間というものにどれだけ助けられたかわからない、
というようなことを書いているんですけど、
ミニシアターエイドの、
COVID-19の影響で、
苦しくなっているミニシアター、
短関系の映画館に対しての、
クラウドファンディングの際に、
その一つの賛同者の一人として、
橋本愛さんがYouTubeで上げていたコメントも、
自分が人生で一番弱っていて、
自分が一番苦しかった時期っていうものの時に、
一つの逃避先として、
映画館というものがあって、
そこで大げさでなく命を救われたから、
今度は私が映画館を救う番だ、
というようなことを語っている、
すごい良い動画があって、
それをすごい思い出していたんですけど、
何でもいいんですけど、
何かしらの文化であったり、
空間というものが人を救うとして、
人を救うんですけど、
その救い方というのは、
必ずしもフィルターバブルのような、
自分にとって親近感の湧くもの、
自分にとって納得できるもの、
自分にとって全肯定できるものというものだけを、
相手にしているわけではなくて、
むしろ地域に、ヘイトモンしか置いていないと思った、
近所のモン屋に、
野町美濃子の結婚のやつが、
出版社の本が、
割といい位置に置いてあったりとか、
そういうところでやっと見出せる希望というのも、
本来はあるはずで、
しょうもないものであったりとか、
自分にとってはどうでもいいもの、
自分にとっては許しがたいものと一緒に、
自分の好きなものの居場所もちゃんとあるという、
ただただナイーブに、
理想の世界というものを語るわけではなくて、
今の具体的なこの世界の中にも、
確かに自分の好きなものであったりとか、
自分の支えになってくれるものって、
確かに存在するよなと思える場所として、
自分にとっては本屋さんというものがあるなというようなことを、
ちょっとこの、
ブックオフ大学ぶらぶら学部を読みながらも、
そういう感じでいたところなので、
このポッドキャストも誰かにとっての玉石混合なというか、
分かり身が深いところと、
理解できない解釈違いと、
この裸足い部分とというものが、
いい感じに混じり合っているような、
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変な場所になれたら、
すごい楽しいんじゃないかなと思っております。
すっかりお時間が来てしまいました。
それではまた来週、配信できたらいいなと思います。
ポイエティックラジオ、柿内聖吾でした。