00:03
はい、こんにちは、ポイエティークラジオです。お相手は、私、柿内正午と奥さんと、本日はゲストでこの方たちです。
はい、オムラジオ革命児、アオキです。そして、マスクです。どうもです。よろしくお願いします。
ということで、久々のオムエティーク会。
いや、もうお馴染みですよ。一回でも出てくださっていれば、お馴染みのオムラジオ。
もう結構だってね、やりとりはしてますもんね。
そうですね。
ちょっと待って、これ、今回って周年会?
違う違う違う、周年会は来週かな。
じゃあ、一年の締めくくり。
そう、一年の締めくくり。
これ一周年ですか?
一年目、一年目の締めくくりにふさわしい。
すごい、ありがとうございます。おめでとうございます。
今まで忘れてた。
そう、今の今で忘れてた。
でも、オムラジオはそれこそ大先輩ですからね。
あれ、もう今、今年が7年目?8年目ですか?
8年目かな。7年経ったので。
そうですね。
去年は、確か6周年は、
東方さん、東方の砂川さんと、あと詩人の西尾さんと一緒に
イベントさせてもらったりしてね。
そうです。奈良の本屋さんの。
それが去年だったんですけど、今年はもうすっかり忘れてたね。
言ったは言ったけど、7周年とか。
言ってたんだっけ?それを忘れてるってことですかね。
もうすぐ1周年ということですね。
おめでとうございます。
ありがとうございます。まだ1年ですからね。
1年ごときでね。
1年ごときでね、まだね。
急になんか。
もっとなんか、聴いてるせいかもっと長く聴き続けているような感覚に。
僕らももうすっかり習慣づいているはいるからね。
なんかこう1週間ごとにあれ録音ってやったっけみたいな。
忘れてた。
結構あったんですけどね。面白いよね。
本当にね、去年始めたとき、最初の本当に1、2回ぐらい僕一人でやってたんですけど、
そのときはそれこそ全然家から出れないから、なんかやるかみたいな感じだったんですけど。
03:00
だいぶ瞑想してたもんね。
そうそう。だからこうやっていくラジオのやりようというかありようはかなり安定してきたけれども、
特に家の外に出づらい状況、何も変わらないまま1年が過ぎた。
あなたは特に一人で喋るスキルは上がらなかったね。
そうそう。一人で喋るスキルも上がらなかったし、何だったらあなたの話をよく聞くっていうスキルも特に上がらないままに。
とりあえず毎週喋るっていうことだけはできるようになった。
そうそう。毎週録音するってことだけできるようになった。
いやでもそれは本当に全く一緒で、なんかね、どっかのタイミングで僕、
オムラジって話を聞く場として作ったんですけど、
どっかのタイミングで話をする場にしようと。
ちょっと切り替えたんですよ。
切り替えたことによって自分が喋る機会とか時間とかがなくなったし、
自分で困った時に人に触らずに、
自分でできるだけ長く走ってみようというふうに思ったんですよね。
それをやり続けて1年ぐらい経った時に、
これ自分のトークスキル上がってんだろうと思って、
最初の本のやつ聞いてみたら全然変わってないっていう、
あのちょっとショックな感じはありましたね。
そうですね。
奥さんがほぼ寝てても柿内さんは奥さんに語りかけることが大切なんだなっていうのが、
だからやっぱり、とにかく誰かと語るっていうのは必要なことなんだなって思いました。
あれを聞いて。
確かに。
あなたほとんど寝てたもんね。
何回かやったことあるね。
何回かあなたがもう今日は喋れないなってなって、
寝てたら聞いてくれるだけでいいからって喋ってる。
カロージーって合図を打つという素敵な、いい関係だなと。
十分だよね。
そういう存在がいるっていうのはね。
ここカポス館長でもいいと思ってる。
猫とかでもね。
あなたは割とだから、オムラチのマスクさんの合図、爪打ち方とかに、
他の人がいたらそれで変わってもらってもいいみたいなのに対してすごいうんうんって。
いや、今も別にレギュラーないし、純レギュラーではないと言い張ってるからね、私。
ゲストだからね。
06:00
私もゲストなんだから、他のゲストと同じくらい丁重に扱ってくださいって。
わかる。
お願いされてるから出てるんやぞって。
そうだね。
私は別に喋りたいとは言ってないからっていう。
いつ引退しても悔いないですよね。
悔いないです。
一緒です。
はい。
いないとね、喋る。
ということでね、今日はもともとオムラジの方に僕らがお招きしてもらってね、話したときの最後の方で急に、
ちょうどそのときのオムラジだったのはこの4話目くらいだったのか。
そうだね。
その話したかったんだって言いながら、その場合は終わって、
でも次の週とかにやるかとか思ってたんだけれども、
僕らがなかなか毎週ドラマを見るっていう仕方がなくて、
気づいたらずるずると溜まっていったのを一気に見終わって、
よし、やっと見たぞっていうタイミングでお声掛けをして、
今日はその話をメインでできたらなと思いつつね、
ちょっとあの、さっき奥さんと話してたんですけど、
そのドラマを見てると、ちょっとこの先週?
ポリエティックラジオでちょっと話してたよね。
うん、先週した。
先週ちょっとその連続ドラマを見てると、
そもそもその連続ドラマに生きている人たちっていうものが、
2ヶ月半とかの間一緒にいたのに亡くなっちゃうみたいなことを話してたんですけど、
1週間経つと結構忘れちゃうんだよなっていう話もあって、
もうまだ覚えてるかなみたいなところもあったりはするんですけど、
オメラジでお二人がお話ししてたような内容だったり、
コントが始まるは案の定まだ3話までしか見てないままなんだけど、
あ、そうなんですね。
あ、そうか、じゃあちょっと余計なこと。
でも、それでもかすみんはいい子だと思うみたいな話をしようかなとか、
ということを今日はちょっと思っております。
よろしくお願いします。
なんか先週のオメラジかな、
オメラジでちょっとコントが始まるだっけ?
あってる。
なんかね、もうすごい不安定なんですよね。
コントを始めるなのか、コントが始まるなのか、
とかもうなんかもうそういうのもちょっと微妙だったり。
コントが始まる。
大豆田とわこと3人の元夫ね。
はいはいはい。
で、なんかその話をちょっとしたんですけど、
で、あれはその、
マスクさんだけポイティックを聞いてたんだよね。
あ、そうですね。
あの収録時点で。
09:01
ロスになっちゃうとか、
しかもドラマって実写だから、
なんかこう日常にすごい入り込んでくる感じとかも、
わかるなと思って。
ね、なんか、
岡田まさき君っていうか、
新人が本当に好きになっちゃった。
どうしようみたいなとか。
うん。
もうね、
っていう話があって、
で、僕はその時はポイティック聞いてなくて、
で、
喋って、
で、オムラジオンエアしてから、
ポイティックを聞いたんです。
2人の話。
うんうんうん。
だから、
ね、ポイティックでもそういう話してたよっていうのを、
オムラジ、あれも喋りながら、
なんか僕もね、
もしかしてこれポイティックで話してる内容と、
なんていうのかな、
なんか、
ちょっとね、
まあ、
摩擦が。
摩擦っていうか、
いや、これ、
なんかめっちゃ言って、
お二人が言ってることをめっちゃ否定してたらどうしよう。
そうそうそう。
すげえディスってたらどうしようみたいな。
そう思ったり、
でも自分が思ったことを言いたいし、
みたいな、
ちょっとあの、
揺らぎの中で収録してましたね。
緊張感がある。
そう。
だけど、
その後ポイティックを聞かせていただいたんだけど、
そんなにっていうか、
僕がやっぱり結局ドラマの話っていうか、
自分の話しかしないっていう。
自分が一番好き。
自分が一番好きっていうか、
まあその、
分かったんですよね。
なんか作品の話ってできないなっていうのは分かった。
例えば寅さんとかも、
寅さんの作品の話っていうか、
寅さんが自分にとっていかに切実かっていう話しかできないっていう。
でもあらゆるものがそうなんですよ。
本もそうだし、
映画もそうだし、
自分、
自分が、
自分の話、
そうそう、
自分が自分がっていう、
自分の話しかできないっていう。
でもポイティックを聞いてると、
ちょっと違います。
やっぱね。
その、
なんだっけ、
あの、
推しに対して、
そうそう、
推しに対しての、
推しを、
スタンス?
距離?
なんかこう、
なんだろう、
推しを極めると、
自分が消えていく。
壁になりたい。
壁になりたいっていう。
壁になりたいって名言なんだ。
だから、
これ僕がおじさんだからなのか、
ちょっとやっぱり、
その辺が、
おじさんだからなのか、
もしくはそういうセンスがないから、
なのか、
やっぱり自分も消せないんですよね。
それが問題だなと思ってね。
すごいですね。
うーん。
っていうんで、
12:00
確かに。
だからちょっとポエティックとは、
ぶつかりようがないっていうか、
ね、
だなーって思ったっていう話なんですけどね。
それこそその有限性みたいな話で言うと、
それこそ、
なんだろう、
僕らもドラマはいつか終わってしまうもので、
それがわりと寂しくもあるけど、
それが没入の条件でもあるっていう話を、
先週はしていて、
そこの有限性っていうものに対して、
話してたところとかは、
なんか通じるところもあるなって思いつつ、
やっぱり今おっしゃっていただいたみたいに、
一番ここが多分違うところなんだなっていうのは、
やっぱりファンであることとか、
何かその作品を好きになることとか、
ある作り手の人に対して、
それこそ押すみたいなことを、
感覚に対しての感じ方っていうのが、
多分こう、
なんだろう、
違ってるところを探していくと、
面白いところなんだろうなっていうのは聞いてて、
感じていて、
まあちょっとでもね、
コントが始まる3話までしか見てないからね。
はい。
有村かすみの距離感がどうなのかっていうのはあるんだけど、
でも3話の時点でも一緒にたこ焼きパーティー、
たこパーしてたもんね。
そうですよね。
お家に来て、
でも妹ちゃんが気にしない感じで呼んじゃって。
そうです、呼んじゃってっていう。
そうだね。
でも、
思い出で喋ってたんですけど、
その、
ね、
かすみちゃんのその距離感ということが、
やはり話してたんですが、
でもやっぱり妹ちゃんが呼んじゃったときは、
さすがに、
これは近づきすぎだと思っても、
ちょっとごめんなさい、
これは近づきすぎなので帰ってくださいとかはならないじゃないですか。
そうです。
でも自分一人の時は、
そんな飛び越えては近づこうとしないとか、
なんかそれがどっちなのみたいな。
そうだね。
もうちょっとその、
葛藤が、
あるんじゃないかなっていう。
その行動が変わること自体が葛藤だったんじゃないのかなって思うし、
それで言ったら、
一応自分では断ろうとするけど、
状況的にもう、
お言葉に余れちゃいますみたいなのは最後まで、
大丈夫だとか、
でもあんまり言わない方がいいけど。
見るかな。
見ると思うけど、
いつになるか。
ぜひ。
下手すると1年後とかになっちゃうからね。
15:00
ちょっとお冷静になって見れるかもしれません。
でもあれかもしれないです。
今日さっきの青木さんの話を聞いて、
なんとなくそこで、
僕らが割とそのなんだろうな、
推しのコントユニットの人たちを都市生活で、
不可抗力で関わっていくみたいなところに対して、
特にあんまりなんとも、
こういう状況だったらそういうふうになっちゃうよねっていう風にしかあんまり思わないで、
特にそこにこうなんていうのかな、
あなたはちょっと違うかもしれないけど、
葛藤みたいなものの必要を感じなかったのは、
もしかしたら好きになり方というか、
推し方として壁になりたいみたいなあり方の時って、
そもそも好きになる時、
その相手と自分との間の一対一の関係じゃなくて、
相手の作品があるっていうことだけを肯定するような感情だから、
特にそのコンテンツの作り手が自分と関わるってなった時に、
特になんていうのかな、
もともとその好きになり方が自分と関係ないところというか、
自分との関係じゃないところで起きていることだから、
特にそこにこう葛藤というかなんていうのかな、
自分の気持ち起点での矛盾はないんじゃないのかなみたいなことが、
今ちょっとまだあまり上手く言ってる感じがしないけど。
3人がやってるコントが好きなのか、
3人のことが好きなのか、
ダンスのことが好きなのかみたいな。
そういう意味で。
それは確かに。
だってそもそもがよく見かけてて、
で、あの3人何だろうってなって、
最初がその舞台上じゃないところから始まってるっていうのが結構ミソ、
というか上手いところだなっていうので、
少なくとも3人がわちゃわちゃしてるのは好き、
でも3人と距離を詰めたわけではない、
で、3人が作ってるものもめっちゃ探してみたら好きでしたっていう状況が、
条件が展開されていて、
じゃあ3人が家に来ちゃったらどうするのかっていう無理なんだよ、
ふっかけた結果、
帰ってくれとは言えない性格っていうまず、
だから一応あの時点では、
なるべく自分は黒子に徹しようっていう、
キッチンにいますからみたいな、
固くなさを見せていて、
でも3人はわちゃわちゃしていて、
わちゃわちゃしてるのは好きなわけだから、
多分別にあのドラマ中のあの性格だと、
断れない性格だからずっと苦労してたわけだね、
18:01
確かに、でもなんかこう台所の、
なんか挟んでこう最初台所にいるのがすごい象徴的っていうか、
やっぱりお互いのキュアですよね、
何か役に立っているとかね、そういう役割がある、
あれ関係ないけどすごいわかるよね、私は、
なんか別に目の前にいるのが推しじゃなくても、
バーベキューとかずっとキッチンに立って、
やり過ごしたりとか、
わかります、
自分出催であってもなんか、
湧いてる場所にいられなくて台所行っちゃって、
なんかレンジとかこうやって湧いてるみたいな、
監督しなくてもレンジがやってくれるのに。
そういう場所が嫌いなわけじゃないけど、
中に入ってわちゃわちゃするのが好きじゃなくて、
わちゃわちゃしてる人たちを見るのが好きっていう、
そういう気持ちもわかるし、
言われたら断れないのもわかるし、
言ってくる相手が、
推しそのものじゃないけど推しコンテンツを作ってる人だったら、
拒否権はない。
だからしょうがないよねっていう風に見てました。
だからすごい明確に意思的な存在として描かれてない。
どういうこと?
みたいなこと?
どういうこと?
なんていうのかな、
それこそみんながわちゃわちゃしてるその場を、
回していくというか、
作る側にいたいというか、
わちゃわちゃしてる側じゃなくて、
その外で見てたいっていうことだったり、
自分からはいかないけど、
人から言われたら喋っちゃうとか、
そういう巻き込まれていくとかも含めて、
この場で自分がこういうふうに作用するぞっていう意思を、
特にこう、あんまり見せないというか、
かなり消極的というか内向的なキャラ造形をされてるよね。
そうそうそうそう。
だから、なんていうの、だからなのかなって思ったの。
本当にこんなことしていいんだろうか的な意味での、
自分の行為に対する葛藤みたいなものが、
あんまり見えないとすると、
そもそもそこで起きた状況に対して、
自分はこういうことをしなきゃいけないんじゃないかみたいなところで、
動機づけられていくからなのかなって。
自分がこうしたいから行動するんじゃなくて、
周りの状況に合わせて行動するよねってこと?
すごいよくまとまった、そういうことそういうこと。
でも、そういう人だからこそ、
21:00
前の会社でもそういうふうに振る舞ってたら、
いつの間にかそうなっちゃってたって、
苦しい状況に陥っちゃってたっていうのも、
そう考えるとすごいリアルだなって、
今聞いてて思いました。
葛藤がやっぱ、あ、ごめんなさい。
どうぞどうぞ。
葛藤がそこまで、
なんかその場その場ではないから、
いつの間にかってなったんだろうなって。
本人の中では葛藤はあるわけでしょ?
あるけど、
僕が想定してる、
想定中かね、
想定してるようには出ていないっていうことなんじゃないのかな?
葛藤してた気がする。
確かに今話してたらだんだん、
それこそ、
いや、私は結構葛藤してたよねって思って。
なるほどね。
僕は、
芝居が細かすぎるっていうこと。
多分そうなんだと思う。
上村かすみちゃんの芝居の問題っていうか、
もちろんキャラ造形もあるんだろうけど、
相当細かいよね、
ドラマ全体的にリアクションが。
前の会社のことを話してるときの、
途中でフッて上のハイライトが消える芝居が本当に、
この子はこれが上手いから、
いっつも幸せになれない役ばっかりやらされるんだよね。
そうなんだよね。
でもめっちゃ上手いからやらせたくなるよねみたいな。
タチウス系の。
僕の解像度が低かったっていう話なんだと思ったんですよ。
壁になりたいのであれば、
ああいう状況になったら、
もうちょっと、
わーってなるんかなと思ったら、
そうならず、
内面の葛藤の、
微細な出し方によって、
内面の葛藤を表してたっていうところで、
僕から見るとそれは微細なわけです。
そもそもが多分、
自分の壁になりたいという気持ちよりも、
自分以外の人間の意思を尊重するっていう、
キャラ造形がすごい強く出てるから、
タコパしたいって言われたら、
自分がタコパ一緒にしたくないっていう気持ちより、
相手のタコパしたいという気持ちを優先するから、
そこに対して、
NOということすら思いつかないくて、
その状況に対して、
自分が一番どう無理なく振る舞えるかを、
必死に考えながらわたわたするみたいな。
24:02
じゃあ本当に壁になりたかったら、
タコパ自体を断るという選択肢も、
壁になりたいという気持ちが、
他人の気持ちよりも強かったら、
多分あり得るんじゃないかなって。
お風呂場で足洗わせないっていう。
そういうところは多分NGラインなんだなって。
役に立ちたいとかはすごいあるから、
それでお風呂かすことで足がスッキリするのであれば、
貸してあげたいと思う。
そっちが恥ずかしいと。
だから結構、
3人が作るコントそのものに対しては、
多分壁になりたい気持ちはあるけれども、
3人それぞれのリアルな人物に対しては、
多分普通に親切なファミレスのお姉さん距離感で、
だからこそ誕生日の時に、
一生懸命走り回って探したりとかもするので、
それはなんか推しとか関係なくて、
普通に顔と名前を知っている人間に対する心配。
そうですね、人として。
難しいな。
難しいよ。
人間についても。
僕、人間の心が分からないからな、基本的には。
だってさ、もう一個バイトしている、
バイト上の関係っていうかね、
お客さんと店員さんっていう関係もあるし、
それを取っ払ったとこでもあるわけでしょ。
その、えっと、
すごい、すごい手山になってきた。
よかった、今の絵、みんなに見せてあげたかった。
今の良かったですね。
コントが始まった。
コントが始まったね。
コントが始まったね。
今、あゆみさんの話を聞きながら、
スイートを飲んで、スイートを渡し合ってたら、
今、2人でイヤホンし合ってるんですけど、
それが2人とも始めてくるっていう。
何も聞こえなくなっちゃった。
何も聞こえなくなっちゃった。
爆笑するっていう、いい絵が見れました。
いや、難しいっていうのは、
ファンと、なんていうの?
芸人。
芸人。
ファンと芸人さんのレイヤーと、
店員とお客さんのレイヤーと、
困ってる人と、
助けてあげたい人のレイヤーがあるわけでしょ。
これ、3つもあっちゃう、これは。
すごい、そういう話だった。
でも、分かった。
今、ちょっと解説してもらって、
そういうことだったんだな。
でも、今、すごいなんか、なんだろう、
また全然違う話になっちゃうかもしれないけど、
今日、あんまりすっきり言えない日みたいなのがあれだけど、
なんかその、
27:00
寅さんが、
青陽さんにすごいハマるのっていうのも、
そこもちょっとこう、
あるのかもしれないなって今、
思ったというか、なんていうのかな。
寅さんってそれこそ、
パターンが1個しかないじゃないですか。
誰と会っても寅さんだから、
それによって、
いろんな人に舞いを潜められたり、
実際何かが、
こじれちゃったりするわけだけど、
それって何でかっていうと、
それこそだから、
妹さくらのお見合いの場に行ったときも、
旅先誰かに会ったときも、
寅屋の団子屋に帰ってきて、
そこで団子屋のお客さんに対しても、
全部同じ寅さんで接するわけ。
だからずっと、
卑猥な冗談とか、
がさつな言動を、
どこでも気のいいおじさんとしてしちゃうから、
同じ、
柴又だったら許容されるけど、
結婚式場だと許容されないとか、
全部そういうところで、
圧力が生まれて、
周りの人たちは、
そこを常識的に遠眼を合わせていくから、
いやいやお前、今そういうのじゃないからってことを言うと、
寅さんは怒るわけ、水くせえじゃねえか。
結構その、
そんなシーンに合わせて、
人を、
TPOとかわかんないんだよね。
そうそう、変えていくなんて、
TPOじゃねえかっていう、
のが結構寅さんが、
あるところで、
割とTPOをわきまいようとしちゃう、
僕、
いや多分奥さん見てないけど奥さんとしては、
見てるとヒーってなる部分があるんじゃないかなって、
思って、
寅さんに対してそこに対して、
どうしてこの人こうなんだろうって思ってたけど、
実はそういうその、
なんていうの、
TPOに合わせてそのまま変えていくみたいなの、
って、
なんか、
なんかおかしくないかみたいな気持ちも、
それはそれでもう一面でもっているわけじゃん。
なんかそこのこう、
そんな細けいことわかんねえっていう、
考え方と。
そうかも。
僕もやっぱりそういう人だもんね。
そうだね。
TPOとか、
ふざけんじゃねえっていう人だもんね。
ふざけんじゃねえってことはないけど。
だから普段からなんかそもそも、
ずっと問い直してるから、
すごいいろんなことに時間がかかるなっていう。
それはあるよね。
ものすごいその、
一面的な人間ですよね。
そうですね。
裏とかは、
一面的じゃない。
深みのない人間なんで。
いやいや、
でもそれなんか同じ聞いてても、
やっぱりそこが、
すごいところだなって。
あの、
ポエテックラジオに関しては、
それこそ奥さんと一緒に喋ってる回と、
たまにこう、
ゲストが来る回とで、
僕が全然違うんですよ。
僕の態度が全然違ってて。
30:01
だからそれこそ。
すごいうなずいてるけど。
奥さんが。
本当に定調よね。
ゲストが来たときは。
公式なんだねあれは。
そうそうそう。
だからあれは結婚式なんだ。
私は団子屋なんだ。
で、
だからすごいのは、
奥さんのすごいところは、
奥さんは確かに、
どの場でも奥さんなんだよね。
だからこう、
全部、
なんかこう、
同じ振る舞いであって、
でもだからこそ周りの人たちが変わったときとか、
話してる話題が変わったときに、
そっちの変化に集中できるわけ。
うんうんうん。
だから奥さんが喋ることによって、
そのこう生まれるものっていうのが、
この他の人たちだったり、
場所だったりで変わっていくってときに、
そこの奥さんって変数は別に変わらなくても、
他のところが全部変わってるから、
全部違う話になるわけ。
うんうん。
すごいそれ、
こう、
いいなというか。
あなたは前提条件からひっくり返してくれる。
そうそうそうそう。
それが理想じゃない。
それが理想じゃない。
その根底から変わっちゃうから、
なんか会によって結婚式だったり、
なんか団子屋で待ってる。
団子屋。
なんかそういうこう、
ね、
なんか違いが出てきちゃうっていうところが、
あるな。
うんうんうん。
他人が他人間なんですね。
楽しすぎないって。
楽しすぎない。
複雑な、
ね、
いやだから、
実行の。
いや僕も、
やっぱり、
ポイエティックラジオ聞いてると、
これもすごいその、
ボキャブラリーがね、
貧しすぎて、
乏しすぎて、
申し訳ないけど、
頭いいなっていう。
トラさんっぽいわ。
トラさんっぽいですね。
いややっぱりね。
エリートやなって。
インテリア。
インテリア。
いや本当にそう思いますよね。
だからどうだっていうことでもないんじゃないかな。
いや本当に、
すごいなっていうか。
私、割と、
お二人の回を聞いてることが多くて、
ゲスト回はちょっと気合い入れて聞こうと思って、
まだ結構撮ってあるから、
そこに注目して、
今度聞きます。
面白い。
気合いが入るのってそういうことだよね。
僕が気合い入ってるからね。
気合い入ってるからね。
そういうことか。
なんかちょっとこう、
よしよしみたいなのが。
あなたがこう、
しゃちょこばってるから。
聞く側もね。
なんか緊張するというか。
なんかね、
二人とも割とオフビートな感じで、
喋ってることが多いから、
33:00
そっちもオフビートでゆっくり聞こうかな、
みたいなことになるのかもしれないですね。
でも、
何か時々奥さんが言ってる、
事故の連続性ということとも、
もしかしたら、
関連しているのかな。
そうなんだね。
あ、でもそっか。
何か今、
無理やり繋げるわけじゃないけどさ、
大豆だとはもうさ、
変わんないよね。
変わんないよね。
あー。
なんていうの、
三人の元夫っていうのを中心にいる、
大豆だとは子は、
その三人のどの人といる時も、
大豆だとは子なんだよね。
ちょっと発作に優しいけどね。
まあ発作に優しいのはあるんだけど、
でもなんていうの、
それは別に態度の違いと、
渡す行為のさ、
量の差じゃん。
質として、
人が変わるってことは。
そうじゃないと、
三人の元夫が集まって、
大豆だとは子は最高ってことだよ、
って話にはならないもんね。
いや、そうなの。
だから、大豆だとは子も、
こう、
なんかね。
三人から見て思う最高なところっていうのが、
ある程度一致するからこそ、
なぜか元夫が三人集まって、
元嫁を褒めたたえる会が発生する。
あと、社長でいるときとさ、
家で、
娘といるときとかでもさ、
大きく変わらないじゃない。
だから、
あそこでおだぎり嬢がね、
出てきて、
オンオフスイッチの切り替えがえぐい人っていう、
あの極端なキャラクターが出てきたことっていうのは、
実はそういう、
あ、そうか。
なんだろう。
リモコンやろ。
リモコンなんてないよっていう、
そうそう。
リモコンなんてないよっていう、
だから全部一面的だよっていう、
あと、
いや、オンとオフは別なんでっていう、
こう、
多面型との、
なんか話だったのかもって。
あ、確かに。
確かに。
だからその、
多面型だったシンシンが、
あそこで止めに来るっていうのは、
あ、そうそう。
元多面的、
オンオフの役割だったんだね。
そうだね。
だからその、家でだけ人間だって、
他のとこではない、
あ、もういります?って聞いてたシンシンが、
ちゃんと雑談もできるようになって、
最後ね、最後、
メイリージュンと雑談してた。
そうそう、みたいなこと、
だんだんこうできるようになってきて、
あ、両方ともだから、
スイッチで切り替えるもんじゃないんだ、
みたいになった時に、
オンオフ切り替えられるやつはやべえぞっていう、
話をしに来たっていう。
仕事をして働く人だからっていうのを、
はっきり言ったりもするしね。
36:00
そうだね。
だから、ああ、
そういうことかもね。
確かに、だって、
悪い社長が相手でも、
大豆だとはこう、
大豆だとはこう、
でしたもんね。
そうですね。
うーん。
確かにね。
そういう話だったのか。
いや、分からなかったなあ。
難しいね。
でも、そう考えると、
直接描かれなかったけど、
多分結婚したら、
あのー、
苗字が変わるわけでしょ。
あ、ねえ。
だから、最初に田中さん、
鈴木さん、
あ、違う。
鈴木だっけ?
田中。
あれ?
田中さん、
なんだっけ名前?
英時新聞。
英時新聞、鈴木じゃないよね。
なんだっけね。
田中鈴木中村?
田中鈴木中村?
え、なんかすごい、
そういうよくある苗字だったけど、
なんか怪しい。
だめだ。
なんだっけな。
片朗さんは片朗さんが強すぎて。
うん。
えっとね、田中、
佐藤。
佐藤か。
あ、間違えちゃった。
ねえ。
なんだっけ、名前は変わっても、
大豆だ、トマホーであるという話?
うん。
ねえ。
もう変わらないぞという話?
うん。
でも、変わっても変わらなくても、
ドワコはドワコっていう話?
っていう話だったかな。
結婚してたとき、そして離婚するときは、確実に何かが変わったんだなっていうのを、
前半のそれぞれとのエピソードで、
一番わかりやすいのは、やっぱ英時新聞で、
うん、そうだね。
ヒャックリが止まらなくなっちゃう。
そうそう、ヒャックリ止まらなくちゃうっていうのは、
結構象徴的なところだったのかな。
確かにね、それぞれの苗字だったときのドワコっていうのは、
描かないわけじゃん。
うんうん。
あと、なんていうの。
そっか、面白いね。
だからなんていうのかな。
やっぱり大豆田とワコ、大豆田とワコってフルネームで呼ばれる状態のときだけを、
ドラマの中では描くんだなって思って。
確かに。
だから大豆田じゃないときのドワコは描かないし、
39:00
そもそも徹底的に階層を差し挟まないドラマだったじゃん、あれって。
ほとんど。
なんかシンシンのときだけ上縞みたいなの。
でもさ、あれも発作と2人でしてた妄想シーンと結構近いところがあるのかなって思って。
本当にあったかわかんないさ、理想系として描かれることはあっても、
実際のその階層シーンとして描かれることがあんまりない。
うん、過去階層としては出てこないね。
そうそう、感じがすごいあって、あとそれこそなんていうのかな。
例えば一番大豆田とワコが大豆田とワコじゃなくなった瞬間って、
白熊ハウジングの社長としてスカパラの悪いやつと商談に行ったところっていうのは、
全くすごいストンと語り落とすわけじゃん。
そうだね。
あれはだから大豆田とワコは大豆田とワコではなく、白熊ハウジングの社長なりなんだったり、
肩書きの方に飲み込まれてる時間っていうのは、大豆田とワコの時間じゃないから描かないみたいな。
大豆田とワコの時間じゃない。
みたいなことだったのかなって今思って。
すごい。
すごい。
でも確かにあそこ描かないんだって思ってびっくりしましたよね。
だからなんか結構変なドラマだなっていうか、それこそさっきの
有村霞の葛藤をもっとドラマチックに描かないでいいのかみたいなのに近いものがあるというか、
それこそその嫌な社長との対決だったりとか、
結婚してた時のそうは言っても辛かった時期とか、ボタンを掛け違えてしまってすれ違っていく時期とかっていうのを、
あとはそれこそ籠目の直接的にそれの知らせを受けた時だったり、
時間をかけて乗り越えていく過程の時間っていうのを徹底的に全部描かない。
だから一番劇的になりそうなところを全部描くっていう、
あのあり方ってある意味ドラマの見る側からすると、
なんでどこで盛り上がればよいんだって。
こっちが予想してた盛り上がるポイントを全部スルーされたんだけどっていう。
でもそれが多分僕らはそういうところで盛り上げられるのは嫌い。
だからすごい安心して見れたんだなっていうのも。
何の話してるのか忘れちゃったんだけど。
トワコが大豆だ、トワコじゃない時間が一切本当に出てこないねって話をしてた。
だからこの1年間子供たちが水鉄砲で遊んでるとか何も見ないで歩いてたんですっていう。
42:02
だからその1年間はカットだったっていう。
そうだね。だからその時期はもう。
でも正直見てる側にもその時間を欲しい。
そうなんだよ、そうなんだよ。
いきなり私と出会われてもね。
そうなんだよね、語られてない時間が。
一回こっちできないからね。
その空白期間によって整理されるものとかあるじゃないですか。
僕らそういう意味では4週間くらいあったから。
まあそうなんだけど。
そこで4週上げてた。
見て、かごめショックでちょっともうしばらく見れないなって言って。
でも完結してから見てるから。
まあ1ヶ月ね。
そうそう、見てはいないけども、でもそれでもねやっぱり。
1週間しか普通に見てる人は開かないから、なんか結構ぶっ飛んでるみたいなのは結構ありましたね。
そうですね。
でもそう言われるとすごいなるほどなってなりました。
それは普段から連続ドラマは毎週見ないんですか。
じゃなくてたまたま。
あんまり見ない。
基本的に毎週見てたドラマってないよね。
カルテッドは毎週見てた。
カルテッドは毎週見てたかも。
坂本祐治脚本の前のやつあれは見てたか。
あの頃は普通に設備面でレコーダーがなかったから。
あの頃録画ができなかった。
ティーバーで1週間で見えなかったから。
見ないと。
見ないといけなかった。
そのぐらいだよね。ちゃんと録画できるやつとか買ってからは大体まとめて。
続き気になるのは嫌いなんです。
でもカルテッドめちゃくちゃ続き気になりますね。
でもカルテッド途中から前の週でどうなっちゃうんだろうって思ったことは
意外と次の週の最初の5分とかで解決されるってことが分かった。
だったら別にそんなに気にしなくていいんだ。
安心してた部分は。
これを気にしてても絶対次もっと大きいやつが来るから
あんまり気にしててもしょうがないよ。
ちょっと話が違うかもしれないですけど
僕、流行りに乗れないっていうのはあるんですけど
流行ってるものなり
みんな聴いてるとかみんな見てるみんな読んでるみたいなのが
一段落して
からじゃないとそれに手をつけれないんですよ。
だから一回り二回りして
なんで今さらそんなの
45:00
っていう文化との接し方なんですけど
それどうですか?
文化との
文化というか
そういうね
接し方はどうですか?
一旦終わらないと
とか
現在進行形の中に飛び込んでいけないんですよね。
現在進行形の中に飛び込んでいくのしんどいですよね。
青木さんがそれこそ重めだとは毎週見てるっていうのを聞いたときに
そうなんですよ。
なんか
珍しいじゃないですか。
あんまりそれこそ遅れて送ることに
やってきたのにっていう
そうなんですよ。
なんだろうね。
大豆田トワコに関しては結構僕ギリギリだったんですよ。
ツイッターでフォローしてる人たちが結構見てる人たちが多くて
毎週その時間になるとすごい大騒ぎするんですよ。
そこで盛り上がってみるとすごい聞いちゃって
途中からミュートワードにして
ツイッターに表示されないように大豆田トワコマスカダコラジョーとか
徹底的に全部ミュートワードにして
何一つ見えないようにしといたんですけど
それしとかないと
ネタバレが嫌だとかっていうのもあるんですけど
どっちかっていうと
僕が見なくても
それこそ僕より頭いい人だったり
僕より感性豊かな人がたくさん見てるから
僕が見る必要ないじゃんっていう気持ちになって
途中で馬鹿らしくなってやめちゃうみたいなことが
リアルタイムで追っかけてる
アニメでもそうだし、映画でもそうだし
結構あって
だからこそ
例えば映画とかだったら
風切り映画だったら
風切り映画だったら
だからこそ
例えば映画とかだったら
見たいとちょっとでも思ってたんだったら
風切り日なるべく近くに見に行かないと
万が一それがめちゃくちゃ評判が良かったら
みんなが褒め始めたら
もう何か必要ないやって思って
見に行かなくなっちゃうかもっていう危機感で
気になるものを早く見に行く
でも早く見に行けなかったら
一回もうテンション下がりきっちゃうので
それこそ青木さんみたいに1年2年とか寝かして
みんなが何も話題にしなくなった頃に
ようやく見て
なんかそれこそこんな良いものがあったの
皆さん知ってましたかみたいな
気になって盛り上がるみたいなことが
どっちか
やっぱりそれはちょっと青木さんとは
動機が違うかもしれないんですけど
周りで他にいるんだったら
なんか自分はいいやみたいな
気持ちにはなる
どうせ面白いんだったらいいやって思っちゃう
そうそうそう
面白いか面白くないか分かんないものみたいな
うん
おお
でもどうだろうね
48:00
どうでした毎週見て
毎週見て
毎週見た結果
よく分かってなかった
だめだこりゃ
なんかだから
難しいよね
漫画の連載とかもそうだけど
物語の筋って本質的な部分と
連載を続けるための
盛り上がりとか仕掛けがある
ドラマもそうだし
ちょっと引っ張りとか
だから僕は映画が好きっていうのは
やっぱりある程度この2時間
とかで完結
するから
映画で続編作って
引っ張るとかってある程度
映画が好きっていうのは
やっぱりある程度
2時間とかで完結するから
映画で続編作って
引っ張るとかってある程度
だけど
それはなんだろうな
連載の時の引っ張りよりも
だいぶ
薄い
やっぱり本質に近いもので
余れてる感じがする
ですよ
だから
漫画でもそうだったかな
連載を読んでっていうのよりも
やっぱりある程度
単行本とかね
まとまって
出されてるものを
味わいたいっていうか
なんかその
急かされたくもないし
人の時間に乗りたくない
ちょまど 困ったね
そっか
なんかそれ
あとこれも聞きたかったんですけど
それこそ
青木さんが寅さんの話をするときに
結構必ずと言ってほど
寅さんの1作目が封じられたときの
日本の経済状況だったり
時代背景みたいなことを
前置きで置くじゃないですか
この頃は高度経済成長期で
そもそもこの柴又のリアリティが
どれほどあったのかみたいな話から
入るのも含めて
割とその歴史をやってきたから
っていう風に
一元的にするのもあれですけど
ある程度
何ていうのかな
価値判断が固まった過去に対して
その過去の
ある程度定まった文脈に
ある程度
定まった文脈に
載せたときに
その作品がどういう意味を持つのか
っていうような
アプローチの仕方を
青木さんの思考の
何ていうのかな
方法論の1つにあるのかな
っていう風に思っていて
リアルタイムのものって
今っていう時代の
何ていうのかな
歴史的な評価というか
今という時代がどういう時代なのか
っていうのが定まってないじゃないですか
そうです
だから今ギリギリ
それこそゼロ年代の作品を
今見て
今2000年代どんなものだったのか
っていう文脈から
他の作品との比較だったりとか
51:00
その時代背景の中で
この作品っていうのが
どういうふうに社会で
授与されてたかっていうことを
分析することは
確かにちょっと経たないとできないんじゃないかな
っていう風に思って
だから
そういうものもあるのかなっていう
でも
まさにそうですね
そのことにしか興味がないんですよ
どっちかっていうと
すごい見方
だから
最近やっと80年代90年代
っていうのに
興味が出てきた
っていう感じですね
やっぱ30年は欲しい
30年は欲しい
30年結構待つな
でもそうなんですよね
30年寝かせないと読めないとか
見れないとか
30年経たないと歴史にならないから
そうそう
30年後に見るコントが始まるよ
お前らトバコは
もしかしたら僕らより
青木さんのほうがすごい楽しく見るかもしれない
多分でもそうだと思う
やっぱり
そうですね
その時代
時代
時代劇
なんか
そういう意味での時代劇
が好き
だからなぜその時代にそれが
その作品が
出てたのかっていうのも
込み
というかそっちのほうが興味がある
だからその作品自体っていうよりも
作品が
されるための土台としての
その時の社会の
というものが
その作品が受けたっていうことによって
逆説的に見えるっていう
面白さ
そうですそうです
文脈が
作品単体を見ることよりも
文脈が読み取れるっていうか
そうなんですよね
多分今リアルタイムで見てると
なんとなく今自分の気持ちとリンクする
みたいなところで
面白い面白くないをぼんやりと思っちゃうけど
なんか
なんだろう
後から
これは30年前の作品でしたっていう
オプションを念頭に置いてみたとき
多分そこに対して
じゃあその当時見てた
メインターゲットの世代とかは
何考えて見てたんだろう
ということに対しては
確実にこう
なんか自分のぼんやりした主体としての
気持ちよりも
すごい冷静に
分析を噛ませながら
見れるのかなっていうのは
確かに思いますね
それこそそのなんだろう
僕と
あおきさんはって勝手に仲間に引き込むけど
僕とあおきさんは
それこそこうほっといてもさ
一人でベラベラしゃべるじゃん
で、それをさっきあおきさんは
自分の話をするからみたいなこと言ってたけど
多分そうじゃなくて
割とやっぱり社会に興味があるんだよ
54:00
で、それは結局その社会っていうものを
考えるには自分というフィルターを通さないと
見れないから
てか自分の中にある
自分の中に見えないものを
自分の中にある
自分の中にも
身もあるからこそ
その社会っていうものの正体を
突き詰めていくってなった時に
僕は割と今の社会に
何が起きてるのかっていうのを
割とこう考えていく
てか探っていくのが好きで
だから今の事例だったり
今の作品から
今ってもしかしたら
みんなこういうこと考えてるのかも
みたいなことを
しゃべりたくなりがち
っていう風に
ナウのことをね
そう、ナウのことをね
そこがたぶん
30年前のことよりも
今のことの中から
そういうある程度
みんなが感じているであろう
気分だったり
考え方みたいなものを
こういうもんなんじゃないのかなっていうのを
探りたくなるから
いちいちだんだんスケールの
でかい話になってきて
奥さんの返事が
哲学書の人なんだね
そういうところはね
そうかもね
哲学書も結局30年ぐらい経たないと
意味わかんないですからね
今書かれてるものって
それこそ何だろう
今やっとそれこそ
ドゥルーズとか
そういうポストモダンと言われてる人たちが
特に難しい本じゃない
本として読めるのって
やっぱり早すぎるんだよね
哲学の人たちが考えてることって
今になってみると
どういうことを言ってたんだっていうのを
今の文脈に沿って読めるから
わかりやすいけど
でもそれって実は結構
見方としてはちょっと
何だろう
ヤクザっぽいというか
本来やっぱり原文
原著が発表された時代背景の中で
どういう意味で思ってたかっていうのを
ちゃんと読まなきゃいけないんだよなっていう
うんうんうん
勝手にマナイズして読んでるのって
どうなのっていうことね
やっぱりそこは自分は素人ですから
どうにかごまかそうとしてるんだけど
でも何か自分の限界としては
やっぱり何でもかんでも
今の社会の話にしちゃいがち
っていうところが
あるのかなって
うーん
そう
そっか
そういう意味で
奥さんの
何だろう
奥さんが出した材料が
全てその
面白い話
社会に
置き換えられちゃう
回収されてしまうというか
そう
そうか
この前反省した
うーん
だからね
なんか結構その
子供の時の
好きな絵本とかも
57:01
なんか男の人って結構その
引きで見たものが
なんかすごい街の
ちょっとこう
長漢図みたいな
絵本とかが好きだったりとか
戦争とかで
すごい引いてみた
この
戦略の状況が書かれているものが
うちの兄とかは好きだったり
私あんまそれが分かんなくて
いやもっと街だったら
この窓の中で何が
このうちの家族がどう生きているかを
見たいよって思っちゃう
からそういう方が好きだったんです
けど
なんかそういうところがちょっとあるのかな
うーん
思ってだから
同じもの見てても
めっちゃ引きでもしかしたら
見てるかもしれないし
でも没入しちゃうのは
本当になんかやっぱり自分の気持ちに
引き寄せて
見たりとかしてるから
そういう意味では毎週見ると
すごいやっぱ自分の一部になっちゃうから
すごい没入しちゃうっていうのは
分かるなって
ちょっと今日も昼も話してたら
それは宗教体験だよって言われて
僕はよく分からないね
宗教はね大事だよね
そうだね
習慣づける大事だよね
やっぱり
縛る戒律っていうのは強力だからね
そうだね
だからそんな
毎週その時間は空ける
とか他
それがやっぱでも
いつか期間限定で終わっちゃうから
ロスになって
その時間
もともと空いてたはずなのに
どうしたらいいか分からなくなるみたいな
ロスはきっとそういうとこ
習慣になっちゃうとこから来るんだろうなって
思って
しっかりロスになるんですけど
うーん
ねえ
そう考えると
なんか
また僕の話になっちゃうけど
あんまり今に興味がないのかもしれないですね
うん
うん
それこそ30年前
僕の中での今っていうのはもう30年前のこと
ちょっと分からない
多分ね
8歳ってことか
8歳っていうのは
そういうことかもしれないですね
自分がでもいるのは今じゃないですか
自分の話したら
今も
そこに含まれて
山岳の夫とかでも日記書いてるけど
なんかちょっと違うよね
うん
だから僕ね
やっぱり柿内さんの
ブルースと読む生活と
同じ日記だけど
こうも日記といっても違うのかぐらいの
うーん
事実の記憶と
それに対する考察みたいな
感じだけど
柿内さんなんか毎日何考えてるのかなって
1:00:00
いうことが
垣間見えるというか
逆に言うとそれしかほぼ書いてないもんね
何してたかほとんど
何が起こったか
うーん
うん
ね
うん
だから
何でしょうね
本当僕は
そうか
今にあんまり興味がないし
人間の心も分からないし
でも
ちょっと
一切コンパスかな
うん
多分人間の心にあんまり興味がないっていうか
2回言った
うん
ないでしょうね
だからそこ
心のきびとかを見てるわけじゃないんですね
ドラマはね
多分
心のきびを見ようと思って見てるわけじゃない
どうなんだろう
でもお二人は何か
芝居についての
すごい
素養があるから
何かそういうとこも見てるのが面白いなと思って
演技のここがとか
うん
演出がとか
うん
実はだから僕らもそんなに
人間の心に興味はない
のかもしれない
なとは
うん
思っていて
それこそ大豆だとは
こう
そういうのが
大豆に関しては
やっぱり僕はその語り方
というかその語り方
みたいなところに
やっぱりすごいこう
関心を持って見てしまうので
さっきも言ったようなこう
大事なところをあえて語らないみたいなところだと
うん
演劇で言うならば
それこそチェイフォークのカモメなんかは
すごいお手本のような舞台だと思うんですけど
あれってその劇局の中で
起きることっていうのの中に
大豆だけじゃなくて
事件の起きた前と後しか書かない
っていう舞台なんですよ
ってなってくると
その一番劇的であろうシーンを
あえて書かずに
その劇的なところに至るまでの間と
終わった後の話だけで
舞台っていうのは
こんな風になり立つんだっていうところを
書いているところに
いやこれをめちゃくちゃかっこいいな
っていう風に思ったりするんですけど
結構だから大豆だとは
の脚本に対して
感じたかっこよさって
やっぱりそういうところに
あったし
あとは何だろう
単純に舞台の演出してると
人間って消えないんですよ
そのシーンが終わって
ここでいなくなってほしいのに
移動しないと
消えてくれないんですよ
そうか
待って
そうです
この舞台の真ん中に立ってて
セリフが終わって
この人が
いなくなって
1:03:00
一日
右か左に吐けて
幕の裏に入っていかない限り
その人がいちゃうんですよ
この人をどうこの空間から
かっこよくいなくならせるかと
逆にかっこよく入ってきてもらうか
っていうのに
すごいやっぱり気を使うんですけど
大豆だとは
映像の中での
人の動線の組み方が
めちゃくちゃ美しい
それこそキッチンに立っていて
どっちが
そのキッチンの中で
パスタが絶対に落ちてきてしまう
棚に近くて
その棚が危ないってことを
知ってる人ではない人が
棚に近い方にいるから
その人が取りに行くとか
お父さんが
ビールを取りに行って
そのビールを
お父さんの缶ビールを取りに行って
お父さんが座ってるソファーに
トワコが語りかけに行って
お父さんがそのビール缶を持ったまま
今度はベランダの方に
ふっと歩いていって
網戸が外れてることに気づくみたいな
シーンとかも
カメラをどっち側から撮っていて
動線側で
誰一人その人物が被らないように
通ってくるんだけど
必然的にドラマを動かす
次のポイントにまで
その人物が自然に
確かにこの位置関係だったら
こっちに動くしかないよね
自然の配置の仕方と
移動の美しさに
これはよく考えられた
ドラマですね
おもしろい
結構建築が好きな人の
手すりの
階段の手すりの
木の利き方とか
窓の最高の撮り方とかに
これはよく考えられてますね
みたいな
テンションの上がり方に
近い見方をしてるんじゃないのかな
そういう感じ
気がしますね
おもしろい
そう聞くと
なんか
もう1回見たくなってる
でももう完全にその見方だけどね
もう
それ以外で見えないよね
でも結構それは
面白いかもしれない
ドラマっていうと
自分の感情を揺さぶらなきゃいけないとか
登場人物に感情移入しなきゃいけないとか
なんかこういう
明日からも頑張ろうじゃないけど
何かしら励まされるみたいなことに
向かっていこうとすると
なんかあんまり
何見ても一緒になっちゃったりとか
うーん
あとそれこそ自分の機嫌悪いときだと
テレビなんて結局プロバカンだじゃねえかみたいな
坂本勇者デマゴーグだみたいなこと
言いたくなっちゃうみたいな
僕も最近三島悠季夫の
バーサス東大で
入ってたんですけど
何ていうのかな
テレビっていうのは結局
メガホンにしか過ぎないみたいなところに
思いがちなんですけど
そうじゃなくて
普通にこれはいい仕事をしてるっていう
1:06:01
僕たちこんなにいい仕事をしてるっていう
見方をすると
割とこうなんだ
そういう自分の感情だったりっていう
日々のコンディションに左右される部分じゃないところで
作品を楽しめる
やっぱり作られた品物を楽しめるみたいな
うーん
そこが結構僕は
ありがたいところ
あんまりそういう演出のことは
私は分かんないけど
あのドラマにおいて
一つ言えるのは
シンシンが可愛いのは気持ちじゃないから
うん
そういう演出とキャラ造形を
あそこまでされたら
9割の人はシンシン可愛いと思うように
作られているから
その作り込みがすごいなって思って見てる
シンシンの可愛さっていうのは
岡田まさきの魅力だけじゃなくって
岡田まさきを一番可愛く見せるための
ヘアメイクさんだったり
衣装さんだったり
照明さんだったり
いろんなあらゆる
全ての人が
シンシンを可愛いものとして
作り上げていく結果の
可愛いは作れると
そうそう
あれなんか一人の力じゃないんだよね
そうだからシンシンじゃない岡田まさきを見たくない
という気持ちがあるとしたら
可愛いは作れる
だからシンシンである
岡田まさきを見たくないって
うーん
確かに
同じ岡田まさきでも
その岡田まさきの髪型整えてる人とか
衣装選んでる人が違えば
もうシンシンではないからね
そうですよね
片朗さんと八作さんが一定のシンシンだし
そうそう
片朗さんにはちょっと強くいくけど
八作には同意を求めるみたいな
関係性もあっての可愛さだから
そこを抜けちゃうから
そうすると
抜けてほしくない衣装みたいになっちゃう
うん
それは別に自分の気持ちがシンシン可愛いって
思ってるわけじゃなくて
もうそれ
そこに向かって全てが言ってるし
他の人物もそうだし
他のそれぞれの関係性も
全部そういう風に思うように作られてるから
うん
そこの作り込みがすごいなみたいな
うん
だからあまり共感とかは
うーん
なんかしないで見る
コンテンツだと思っているのに
しちゃうから
ロクシーになっていいや
そうなんだよ
上手に作られてれば作られてるほど
結局上位にはしちゃうからね
うん
作られてるなーっていう視点はあるのに
なんか
でもやっぱり可愛いって思っちゃう
わかっちゃえるけど可愛い
そうなの
お花もらって嬉しいシンシン可愛いとか
だから多分僕らのディズニーランド好きも
ちょっと結構似てるんだよね
だからディズニーランドの提供するものを
信じているとか
それに対して共感しているっていうよりは
このアルバイトのスタッフまで含めて
なんでこんなにこう
世界観を統一して
仕事を回していけるんだろうかっていうところに
1:09:01
やっぱりね
いい仕事してますね
そう
そう
だから
やっぱりね
いい仕事してますねっていう
いい仕事してますねっていう
グッと聞き方をするのかなっていう
うん
私は平円前のナレーションと署名が好きで
絶対に寂しくなるように作ってある
そうだね
でもディズニーランドはあるから
また行けばいいから
シンシンと違ってね
あるから
シンシンと違って
また来るよってなって
本当だ
えー
来ればいいっていう
前向きな気持ち
そういう意味では
終わらないコンテンツではあるという
そうか
面白い
どうしてもやだったらね
ミラーコースターとか止まっちゃえばいいんだよね
そうそうそうそう
帰れないってことすらできちゃうから
すらできる
確かに
そこまで経っても
抜け出せないよ
そう
ちょっとそれは
もう時間があれだけど
ちょっとね僕今原稿書いてて
80年代90年代とか
って書いてた時に
ディズニーランドの歴史みたいなのを
動画で上げてくれてる
オフィシャルじゃないと思うんだけど
なんか上げてくれてるのがあって
見てて
そういうのが好きだもんね
昔ね前浜を埋め立てて
何ですかね
武蔵野線が止まって
そんなになんか
世界観もまだちょっと
もちろんディズニーランドの中では
世界観
完結してたんだろうけど
まだちょっと
なんとかスカスカな状態から
だんだんね出来上がっていくみたいな
それとともに
これが89年代
80年代
平成始まってんだみたいな
それと一緒に見るみたいなのが好き
やっぱり歴史
歴史の中のディズニーランド
そう
でも
そこが一番楽しいけど
今奥さんの話聞くと
確かに
音楽とか
全て計算されている
し
やっぱり
そういうことかみたいなのが分かる
やっぱり
ちょっと行きたくなりますよね
そういう風に
そういう
そういう装置に対して無防備に
本当に寂しくなっちゃったりとかするから
そうだね
結構恐ろしい
だからちょっとその
バリアっていうか
今の聞いたりしたから
ある程度そういう
これは装置であるっていう
ちょっと一緒に行きたいな
ちょっと一緒に行きたいよね
そうだね
1:12:01
行きたいですね
全然欲しい
そうそう
ちょっと解説してもらいつつ
行って一押し切りやってから
どっか適当に
ランド内のカフェとか入って
そこで録音して
どう?どう?
めっちゃいい
そういうことかみたいなね
すごい
みんなで耳つけて
これ面白そうだね
どっか
やりたい
やりましょう
やりたいですよね
でもねこの話の持ちの良さだと
多分ディズニーランドの話
永遠にしてそうだから
永遠にできるなこれ
何度か行くなこれ
でもその歴史
だから後から語られる
歴史になってないけど
今の状況のディズニー
行っとくのは
少人になれるっていう目で
そうだね
またとない
そう
理解ではありますよね
確かにね
それはそれで面白いんじゃないか
面白いかも
行ける遺跡みたいな感じで
だぜん行きたくなった
そうだね
でもやっぱり僕は
ディズニーランドが
本当の遺跡になってから
行きたいんだよね
本当はね
誰も住まなくなり
軍艦島みたいな
日本沈没してますよ完全に
沈没した後に
ここがとか言ってね
やっぱりなんか
シンデレラ城の上の方の部分だけ
あれっ
鳩が住んでる
そうそう
それぐらいになってから
行きたいな本当はね
なるほど
じゃあまあ
それはそれで30年後ぐらいに
撮っておくとしてね
ぜひですよね
いやー
でもそれはいいですよね
行きたいな
そうですね
なかなかまだ
実はリアルでこの4人でね
お会いしたことない
4人も会ったことないじゃない
そうなんです
私まだお二人にリアルで
いない
だからね
ちょっとお会いして話したい
今度でも
9月は
そうなんですね
これも話して大丈夫ですか
大丈夫だと思う
私も笑ってる
まあまあいいんじゃないですか
9月の
もういいんかな
でもまあいいか
9月にもしかしたらお会いできるかも
そうですね
みんなもお会いできるかもしれない
そうですね
楽しみです
じゃあまあ一旦
1:15:00
その話もしたいから
録音としてはお開きということでしょうか
そうですね
長々とありがとうございました
ありがとうございました
お相手は私の岸本と
奥さんと
本日はゲストで
オブラジオ革命児 青木と
マストでした
どうもありがとうございました
さよなら
こっちか