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  2. 第二百回 人は人に支えられて..
2024-04-29 1:13:47

第二百回 人は人に支えられて飛ぶんだよ

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引き続き2.5次元作品の話を。主に『最遊記』と『鉄コン筋クリート』を対比させて雑談。

00:30
はい、こんにちは、ポイエティークRADIOです。
お相手は、私、柿内正午と奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
ダッコー!
あ、ダッコーね。最高ね。
ダッコーなのかな?まだゲラとか届くのかしら?
ダッコーってどこって言うの?
でも、恒例はさ、別じゃない?
諸行を出したらダッコーでいいんじゃないの?
ダッコーでいいの?
その後、いろいろ続くけど、後、後程が。
ダッコー自体はまあ、諸行を出したらダッコー?
いいのかな?
でも、出して、現行から出したわけじゃない?
ねえ、ちょっとよくわかんないよね。
じゃあ、なんていうの?諸行は?
でも、ダッコーでいいのかな?
まあ、書き終えたぞ、ということでね。
このホエテクラジオでもちらちらとお話ししてた2.5次元論を
2.5次元演劇論ね。
2.5次元演劇論を書いていましたが、この1ヶ月ぐらい。
月の頭ぐらいにね、お得らいただいて。
月末ぐらいに締め切りにということでいただいていたんですけど。
なんとか書き終えましてね。
まあ、もともとどのくらい書きたいのって言われて
8000字ぐらいですかねって返して
結果として、1万7000字?
1万8000近いね。
8000字弱?書いてね。
1万7800。
それは本文は僕が書いて、注釈はあなたと共同で執筆するという形で書きましたが
その何?注釈が?7000つった?
7000。
だから2万5千字ぐらいのトータルで言うと
ちょっと倍。
3倍。
3倍だよ。
人にね、この文振りで一応販布予定の人に寄稿という形で
オファーをいただいて、それもポジティックラジオを聞いていただいて
よかったら触りの部分どうですかっていう依頼をいただいてね。
いろいろ言ってみるもんだなと思いながらウキウキ書いてたんですけど。
03:03
ウキウキしすぎた。
ちょっとウキウキしすぎた。
なんかね、注釈芸をね。
だからやったら注釈がたくさんついてる本さ、いいじゃんと思って
そういうことを頼まれたんだなって思ったから
あなたに注釈書いてって言われた時にすごい張り切って
で、あなたもさ結構張り切ってさ本文たくさん書いたじゃん。
でなんかこう、注釈芸って言うんだったら本文の半分ぐらいね書けたらよかったなって思ったんだけど
数えてみてもなかなか線だったから
冷静にね、聞こう頼んでこれが来たらね、ちょっとね
イラッとするよね。
おい、ってなるなって思って
なんかすみませんってなって
ちょっとね今ね
やっちゃったって思って
あのねやっぱりね、人にね聞こうしてみたいっていうのをずっと常々ねさ
こう言っててさ、一つ夢が叶った形なんですけど
あのね、自分の本だとさ字数がいくらさどうなってもさ
まあ別にこっちで作るからいいんだけどさ
人にね納品するものでさ
文量がバカ高くなってくとさ
それってそのまま印刷コストに跳ねるわけだよね
もうだからもう謝礼とかいらないから
すいませんでしたって
載せていただけるだけでっていう気持ちに
でも読書の音も全然ないのあれ
でもあれ割とちゃんとさ字数守った
守った
てかそのあれはアンソロジーでみんなが同じテーマで同じ字数で書くみたいなのだったから
それもそれ楽しかったんだけど
まあそれはなんつーの
あれは粒感が揃ってるのが大事っていう感じはしたけど
今回はね、依頼いただいた時からその点語のなんかを書いてくださいっていう感じでさ
特にその雑誌のコンセプトとかさ
他のその機構がどんなものなのか
あんまり知らないまま書いてるから
まあ逆にだからそれは気にしなくていいっていうことなんだなってその依頼のね感じから
こういう雑誌のコンセプトでこういう感じで
こういう字数でお願いしたいですじゃなかったわけだよ
だから自由に書いていいんだなって思ったんだけど
ちょっと自由のね幅を広く取りすぎた感はちょっとある
っていう
なのでちょっと申し訳ないなって思っていますが
まあでもあのきちんとね
なんかもう正直文才も考えて
次回に半分回すみたいなのも考えていましたが
っていうようなこともおっしゃってましたが
まああの無事で一挙掲載と相成りましたので
まだ分かんないけど
分かんない他の人もすごいバイト感があって
06:03
全部原稿揃ってなんか組み放してみたら
ちょっと収まりそうになるんで
これはちょっと捨てないとこもして
言われちゃったかもしれない
まあでもそんなのとしたら自分たちでね
なんか何かしらの形で出しはするんじゃないかと思いますけど
っていうところでありまして
やっぱりね
なんか今回割とね
あのね
昨日ちょっと話したけれどもね
あなたとは
あなたと話していたけれども
今回のこのね
2.5次元演劇論はね
正直かなり
かなり
なんかクオリティとかっていう話とは別で
個人的な手応えがかなりあった
というのもなんか書き方がかなり変わった感じがあってね
以前以後に分かれる
この本で
革命ってこと?
この本で以前以後があるね僕の中で
書けない証拠
2.5
2.5が始まる
かね
っていう感じのする
文章になったかなっていう風に
思いますがよさ
だいぶ論考らしい
文体というかね
うん
なんか一個言うと
ちょっと構成の段階がちゃんとあれば
本当にそうだったら真面目にちゃんと見なきゃいけないんだけど
最初ね
この2.5次元論僕はね
いつも通りね
一印象僕で書いてたんですよ
これは読書人の書評とかも割と
意図的に僕を混ぜたりとか
しているわけ
これはやっぱり街で一番の素人という
野後を出していて
でいまだに肩書きもさ
会社員に基本据えているのと同じで
やっぱりなんかようわからんその辺の人が
急に僕よくわかんないんですけど
って言って
よくわかんないまましゃべる
でもほとんどの人が
そうやってよくわかんないまま本って読んでるわけで
そういう人たちに向けた書き方として
あえてそういうこうなんていうの
最初から顔出してしまう
っていう
こうスタンスでさ
書いていたわけですよ
なんだけど今回は
僕を封印した
確かに
僕を封印するっていうのは結構ね
大きいなって思った
例えばね
違うね
でも別に何が違うかっていうと
09:01
論じたり表したりすることの
やらしさが強まる
僕を使わない
僕だとあくまで個人の感想ですって
言えちゃう
逃げ場でもあるわけでこの一人称っていうのは
エクスキューズがくどい
でもこれはね僕辞めた途端に
なんかそのちゃんと
一つの一般論というか
を目指そうとしている態度になるんだよね
構えとして文章の
これは結構でかいなって思いましたよ
その上でどういうスタンスで書く
逆にその上でじゃあどういうスタンスで書くのっていう
どういうスタンスの一般解を
お前は差し出してくるのっていう形で
むしろね
なんかねその画に対するね
要請というかね
眼差しを強まるんだよね
僕を封印した方が
これは発見だった
なんか僕を使わない方が
ある意味僕が考えていること以上のことを書けるというか
なんかもっと別のことを書こうと思えば書けてしまう
それは
なんかなんていうの
むしろその一つの書く時のさ
語りのこう
ペルソナみたいなものから
ある種自由に拡張できることだと思っていたけれども
そうではないね
むしろ
むしろこう強く
書き手の自我的なものに
規定される書き方なんだなっていうことが
わかったというだけでも
それもかなり大きな違いでしたし
それ以上にはそもそもめっちゃ気遣った
いろいろめっちゃ気遣って書くっていうのはね
疲れるね
なんか疲れたなって思ったよ
すごい疲れた
すごい疲れてた
すごい疲れたよ
書いてる間なんかすごいぐったりしてたもんね
書き終わった途端に元気だもん今
この間表情がなかったもん
もうね
やったぜって感じよ
マシュマロだから書き上げた後の
テンションでね
ちょっとこう
どれだけのものになってるか
あんまり自信ないんだけど
そういう意味では
でもなんか
すごいこねくりましたわ
っていう感じでね
面白かったよ
いつもはさ
めっちゃ書いた後に削るんだよね
今回さ
書いた後にさ
なぜか増えてくるんだよね
なおせば
それが面白かったんですよ
いや本当に
あなたが増えると私も増えるしね
だから無事ね
これで日の目を見れば
12:00
ありがたいなと思いますし
5月19日日曜日のね
東京流通センターでの文学フリーマンを
川切りに
もっとそこから展開があるのかどうかは
ちょっとよくわからないけれども
なんか続報は楽しみに
お待ちいただきたいなと
いうような感じですか
うん
まずね
まずね
頭出しとして
まあこれを
それは今回聞こうさせてもらった
陣の話で
それはそれとして
このスタイルでもう一冊
自分たちで書けるのかどうか
いやでも書かないといけないなって思ったね
もう
天皇については
我々が
我々書かないといけないよ
何の使命感かはわからんが
そうよな
いやなんか
その
前回も話したんだっけ
あスガワさん
だっけ
ちょっと今名前をね
なんか一応ね
このタイミングで見つけてよかったねみたいな話がしてたから
あそうそうスガワ明子先生のね
2.5次元文化論っていう本が
あって
これ正直だからその天皇論の
読みたいのが全然ないみたいな
気持ちに対してある程度
その不満を解消してくれる
本では
あったんよ
2.5次元文化論っていうのはね
正直だからその
なんか序論として書いていくことに関しては
まあこれだけ一冊がきちんとまとまっているのであれば
正直もう僕らに役割はないなっていう
気持ちもあるので
まあとりあえず何かそういうことに興味がある方はこの
スガワ明子2.5次元文化論をね
まず読んでいただきたいなと
いうところではありますが
とはいえやっぱりねなんかね
自分たちが書いたほうがいいなって思うところも
なんか徐々に明確になってきた感が
あるんですよね
なんか
僕はね
正直そんなに
好きなんだよ2.5次元
というか
死ぬ捨てとかね
何かしらそういう
書く作品に好きなものがあるけれども
正直天語というもの自体に対しては
正直そこまで
15:01
なんだよ
俳優2.5次元俳優と呼ばれるような
まあそういう舞台にたくさん出ているような俳優さんたちに対しても
割とだからそのテイストとしての好みはあるけれども別に
どっちかっていうと興味関心って技術に向いているから
別にその個人は正直そんなどうでもいいんだよ
だけどその2.5次元演劇を成り立たせている
それぞれの構成要素すべてには
割と尊さを感じる
っていうスタンスなわけ
そういうスタンスでね
書く人はあんまりまだいない感じは
してるんよ
なんていうのトータルの思い入れとしては強い
その舞台としてとか演劇としてとか
そのスタッフワークとしてとか
アダプテーション論としてとか技術論としてとかって
その相場としてあらゆることを語れる場としての好きさはある
だけど部分に対する端的は弱い
っていうのは結構ね
なんかちょうどいい気がするんだよね
ちょうどいいところであり
弱点ではあると思うんだけど
その弱点を補うのは別の人がしてくれると思うから
なんかまずそういう
その側の部分というか
ちゃんとある程度整理しておくっていうのは
やっておいたほうがいいなって
はっきり言って推しを見つけてしまうと
演出家でも脚本家でも役者でもいいんだけど
推しを見つけてしまうとはっきり言って目が曇るので
見つけないうちに書かないといけないなって思う
私はもう手遅れだから
そこで手遅れの人間がいるからいいよね
手遅れの人間が中を書いてくれると
なんかちょうど良くなるんじゃないかっていう気はしてるんだけど
だからなんかね
推し
あんまり推しよくわかんない
この文脈で推しっていう言葉を使うのはあれだから
要するに
なんだろう
演劇だとあんまりないかもしれないけど
ダンスとかバレエとか見るときって
別に個々を認識してなくても
自動的に上手い人とか好みの踊りをする人を見ちゃうじゃん
その何も意識せずに視線が吸い寄せられるっていうのを改ざんしちゃうんだよね
18:00
地域がいると
だからもうかつては私はホンダレオやフレアアマトの踊りを
なんかこの人はちょっと格が違うって思って
またこいつかみたいな感じで見てたけど
もう私はホンダレオを見ちゃってるから
なんかその良いから見てるか好きだから見てるか判別できないんだよね
でそれはすごい嫌だなって思ってる自分で
あとそのなんかあんまり作品そのものと相性が良くない自分が
っていう時にそこででも作品全体と一旦付き合おうっていう選択をさ
基本的にはしようとするんだけどさ
その秘域が出てるともうなんかもう秘域をずっと見ることで
チケット代を取り戻そうみたいな逃げを
に行っちゃうの良くないって思ってるけど
やっぱりそことの葛藤が発生するわけ
どっちを選ぶかはさておき
そのことそのものがなんか邪念だなって思ってる
なるほどね
そうなんだよね
でも正直とはいえそういう邪念と無縁ではありえないジャンルだから
COS2.5は面白いっていうところはあるわけですよ
だから別にいいんじゃないとも思うんですけど
でとりあえずだからあなたはどちらかというと目が曇るとすると
その俳優やスタッフに対する秘域が出てくる時に目が曇るわけじゃん
僕はどっちかというと多分ね原作に目が曇るタイプだと思うんだよね
要するに僕そもそも基本的にその実写化アンチだからさ
そうだね
そうだね
明らかに自分が先に原作を知ってて見た舞台に対して
辛口というかさ
いいってなるもんね
うん原作アンチだからさ
あ原作アンチじゃなくて実写化アンチだからね
なんかね
あの僕の中で
あなたの中で多分そのことだから
今の話だとパフォーマーというか俳優が作品より優位に立ってしまう事態がある
っていうことへの
まあこうさ
良し悪しっていう話だったと思うんだけど
僕にとっては多分それはね
なんかやっぱり原作があるとなった時に
やっぱりその原作のことを好きであればあるほどに
他の翻訳ものは受け入れられない
21:06
だよ
いやてかそれさ具体的にさタイトルを出しちゃうとさ
鉄拳キンクレートとハンター×ハンターが顕著だったじゃん
まあハンター×ハンター割とありだけどな
両方ともさすごいこう漫画である
漫画が一番面白いに決まってんじゃんみたいなさ
スタンスがあなたの中では割とあるじゃん
そういうアダプテーションのハードルがめっちゃ高いんだよね
いやいやでもそういう話は全然ない
そうなの
そういう話は全然ないというか
そもそも漫画でしかできない面白いものを
なんでわざわざ同じところで勝負しようとするのか分かんないって話だから
だからなんか漫画でしかできないことをやっている漫画を
舞台にするのであれば
それはもうそもそも舞台にしかできないことに置き換えていくしかないわけじゃん
だから僕の原作もの縁の気持ちとしてあるのは
原作を一部の隙もなく完璧に再現しろって話では全くないわけ
そうじゃなくてそこの成立要件をちゃんと把握しとけよって話なわけだよね
そういう意味だとだからハンター×ハンターは割合は
ビジュアルをめちゃくちゃ寄せていくっていう方向で
なんか一個そこだけ再現できていれば
後の詳しいところ別に脳内で保管できるでしょっていうスタンスとして
割とそういう方向でいくっていうスタンスが明確に見えたからありだと思う
コンクリートはダサく
あれもダメだと思う
っていう感じ
そもそも漫画において何がなされていたかということを
まず把握した上で次に舞台に何やるかを決めないといけないわけじゃない
それができてなかったからダメでしょっていう感じですね
そんな感じですよ
今あんまり本論の話に入っちゃうとあれだなって思ってしゃべるから
結構しゃべりづらいなって思ってるんですけど
失礼しました
今回個別の作品の話はほぼしてないから
そういう話の前段階として
こんな風に面白がれるよっていう話として書いてる
僕なりに原作を先に知ってるほど実写感知になるという気持ちに
どう折り合いをつけるかというか
24:00
今は別に割とそこの過激作が何を仕留めているから
なぜ何を仕留めたかっていうところについてもある程度書いたつもりで
なかなかいいんじゃないでしょうかというところですね
左右気は?
左右気はあり
左右気はありでしょ明らかに
私は本当に左右気が一番わからない
原作もさ
原作への思い入れが強すぎるのと役者への思い入れが強すぎるのが両方あるから
でまぁ音楽は再三だし
もうなんか全部の最初なの
私にとって漫画の最初だし
天豪を見始めた初期の作品だから
何もわかんなくなっちゃってるの
だってもう外伝の時すごく
めちゃくちゃになってたじゃん私は
なるほどね
分かったじゃあ
左右気過激伝に関しては天豪を初めて見る人に見せちゃって
すごいソース感というか
そもそも左右気知らないってなって
あーっていう経験があるから
であなたはさ
知ってを過激伝を見た後に
外伝の原作を読んだ状態で過激伝外伝を見に行ってるじゃん
あれそうだっけ先に原作読んでなかったっけ
外伝はね
外伝は先に読んでた
そうか
けどどうなんだろう
読んでから見たのか
読んでから見た
で私はすごい好きなんだけどさ
どうだったんだろうってそういえば
そうだね
だから今日そこの天豪論の話を
普通に喋っちゃうと今書いたばっかりだから
すごい全部喋っちゃいそうだから
そこは喋らずに喋るとすると
あんまりそこで格論に入ってないから
予告編として左右気過激伝と
鉄コンキンクリートを比べた上で
何が違うのかっていう話を今日しようかな
じゃあリスに書き起こしてもらって
それを元ネタにして
というわけで今日はあと3時間くらい喋ってね
2万字くらいにしてもらって
っていうところなんですけど
じゃあ鉄コンキンクリートと左右気っていうのは
漫画としてはかなり似てると思うんですよ
ちょっとさ
あれだな
1回考えまとめていい?
ちょっと喋ってて
27:00
今の発言受けてでもいいし
舞台の方の説明をすると
鉄コンキンクリートは演出が松崎文也
エーステの演出をやっている松崎文也さんがやっていて
まあなんだろうな
私は原作後から読んでる
鉄コンキンクリートは
そのうち思おうと思ってたら
松崎さんが舞台化してるから
見てみようと思って見て
なんかそういう話なんだって
左右気かゆき伝は
峰倉和也原作の同盟漫画
同盟じゃないな左右気が原作で
最初の2作は少年社中の森さんが演出
多分森さんにとっても初めての典語だったのかな
3作目以降は三浦遥さんが演出をしている
っていう形で
2作目と3作目の間って7年近く
7年は嘘
7年は経ってないや
でも結構経ってる
え、7年経ってるのか
2008年に鈴木ひろきがデビューして
結構3作目とか2作目とかで出たのが左右気かゆき伝で
弱ペダンの1日目と2日目の間で
3作目やってるから2015年とかかな
7年経ってるのか
その間でキャス編
ちょっともう7年経ってるから
もう舞台の仕事やってませんみたいなこととか
スケジュール合わせるのが難しいっていうので
メインのキャストでキャス編があったりもしたけれども
えっと
三蔵と悟空はずっと同じ2人
鈴木ひろきと品太蔵がやってますっていう形で
去年とりあえずもう原作でやれるところ全部終わったから
終わりましたで15年かけて
シリーズは終了したっていうのが
左右気かゆき伝です
つなげた
ありがとう
じゃあまず原作の左右気とデコンキンクリートの
共通点といえば何でしょうか
そうオーバンコミックであるということですね
両方ブックオフだと全ての出版社が
30:00
今は知らんけど
出版社別に分かれていたブックオフのコーナーの中で
オーバンコミックは雑にオーバンコミックでまとめられていたでしょ
左右気とデコンキンクリートは同じ棚にあったんだよ
確かにね
まずそれが一番の特徴です
そしてもう一つは中二病であることです
確かに
左右気とデコンキンクリート
というかこの頃の峯倉和也と松本太陽っていうのは
我々思春期の少年少女たちを
この心は静かにしてたるような
中二心をくすぐるギミックがめちゃくちゃたくさんあったわけですよ
でその一つにオーバンコミックであるということがでかかったわけ
要するに絵なんだよね
峯倉和也の絵は
まあとにかく
何て言うんだろうね
ちょっとこう
何て言えばいいの
少女漫画
すごいぷよぷよ
とかレイヤースとかの
香りがする
その一時のそれこそだからこう
その当時はまだなかったかもしれないけど
女オタク的なね
ファンダムに訴求する絵なわけですよ
松本太陽の絵っていうのは
結構グラフィカルな方向
なんだよね
特にこのデコンキンクリートの頃とかってめちゃくちゃ線が
太くてさ
でその白と黒の対比がめちゃくちゃその画面構成の中で
はっきりとしているっていうところで
まあとにかく美女がかっこいいという点で
両方
共通しているわけですよ
要するにまず面がいいの
面で見てるの
で正直中身はその次っていうところがまず一つ
でもう一つ
太陽記とデコンキンクリートは
両方ともセリフ回しや
キャラ造形や
あらゆるところにとにかくその中二病的なものを
くすぐるギミックに溢れている
っていうのが
あるわけですよ
例えば今パッと開いたところで言うと
太陽記の場合は
俺は生まれて死ぬまで俺だけの味方なんだよ
みたいなところで
とにかくひたすらに
最も遊ぶと書く太陽記だけあって
とにかくそういう
我を通して自分が欲望というものに徹底的に
忠実に向け合っていった結果どうなっていくかっていう
非常に新自由主的な社会の
レイメイキンを予感させるようなものであるわけですね
逆に言うとこっちのデコンキンクリートに関しては
パッと開いてすぐに何かあるかというと結構むずいけど
まあでも
あるよね
ネズミのさ
だが愛は信じろよ大切なことなんだよ
33:02
みたいなねセリフとかね
とにかく全部前編くさいの
前編くさいセリフにめちゃくちゃ溢れてる
でこっちに関してはデコンキンクリートに関しては
基本的にニコイチの話なわけだよね
だからその引用思想みたいな話なわけだよ
でもこれ両方とも非常に90年代から
もっとは言うと80年代くらいから続くサブカルチャーの
お約束に則っているわけ
かたや徹底的な個人主義者たちがそれでも寄り添って
こう議事的な共同体を
過労寿で形作っていくっていう話
でかたやもうめちゃくちゃ相互依存的な
もう二人だけの世界ということに自閉していく
ことがそのまま世界形的なところにつながっていく話
っていうので
ミネクラカティアとアマトモス太陽は
それぞれに
まあだからそれは軸足としてどっちにあるかというか
一人に軸足を置くか二人に軸足を置くか
というところがあるにせよ
割とそのサブカルチャー的ロマンチシズムに
溢れている作品なわけです
でこれの特徴は何かというと
要するに話は大したことない
テコンキンクレートは
なんか仲良っぴな二人が
ずっと仲良しだといいねっていう話でしょ
で左右気は
なんかわちゃわちゃしてるって話じゃん
いやてか話自体本当に大したことないの両方
なんかずっと西に向かって動いてて
なんか敵がたくさんいたりして
強敵になった時にちょっと挫折したりもするけれど
みんなで力合わせて頑張ろうっていうのが左右気
もう話だけで言ったらくそもんないの
でテコンキンクレートもそうなの
なんか二人でずっとワールやってきて
地元じゃ負け知らずだったけど
街の再開発によって
俺たちの地元が地元じゃなくなってきちゃって
このままじゃどうしようか分かって感じだけど
でも二人でいれば最強だよねっていう話なわけ
で松本太陽に至っては
これピンポンも同じ話だからね
っていうので
全部一緒なの
やってることが
一貫してる
一貫してるの
じゃあ何が違うかっていうと
フレーバーの部分なわけですよ
でこれはFGOとかもそうなわけ
やっぱフレーバーテキストってさ
ずっと同じ話してるんだけど
フレーバーテキストの違いで
なんか味変化されたように見えるっていうさ
要するにかき氷のシロップと一緒なわけ
本当の味は一緒なの全部
だけど何が違うかっていうと
そこのもうなんか演出の部分が違うって話なわけ
でつまりここで何が言いたいかというと
最悪期に
最悪期限が良くて
テコンキンクレートダメな理由っていうのは
これでも明確になったわけですよ
要するにあなたのさっきテコンキンクレートは原作
実際は冒涜と言えるけれども
舞台版から先に見て後から原作を読んだわけでしょ
でその時にあなたはさっき
舞台版見た時の感想何つった
そういう話なんだって
そういう話なんだつったでしょ
36:01
そこだよ
話はその話じゃないから
ぶっちゃけ誰もね
これはなんて面白い話なんだって思って
テコンキンクレート読んでないの
テコンキンクレート別に面白い話はないの
あるのは
一つ一つのセリフ回しがやたら痺れるとか
なんか一人一人の死にざまがやたら良いとか
なんかこのコマのこの間距離
エグみたいなところなわけですよ
だからさ一番さ好きなところってやっぱりさ
なんか頭狙うんだよって結構気に入ってんだよこの顔っていう
シーンがあるわけですよ
一応ネタバレを避けてさ
クラッと言うけどあるわけですよ
あそこのさコマのさ
ヤバさヤバいんだよね
あのちょっと今とっさに出てこないけど
あーそうそうそうこれだ
もうねこのねこのねここからのね
ここからのね
ここからのコマ割りですよ
この時間割でさ入っていってさ
この
このねこのねこのねまずね
ここのこのコマよ
キメラのねまずここで最後に話をかける言葉をかけるところでさ
目が映ってないわけよ
目が映ってなくてそっからワーワー喋ってる間に
全然関係のないさ窓の側でさ知らんカップルがさ
こうやってるところがさシルエットでさ入ったさ
その次のシーンでさほぼ顔に影が挟まってる中で
ちょっとだけこう涙を流しているっていうシーンにさ
こう映っていくみたいなさ
このね書き方の
この陰影の付け方のメリハリの付け方が
べらぼうにかっこいいっていうところが
鉄拳キングクルーターの魅力なわけですよ
ってなるとさ
まず鉄拳キングクルーターの失敗の話をするけど
鉄拳キングクルーターの舞台版の何が失敗してるかって
その話がどういう話か分かるようになってた
でもぶっちゃけ鉄拳キングクルーター有名だったってめっちゃ面白いと思うけど
話がどうだったかってあんまりよく分かってんの
ないわけよ
なんだったっけって
なんかエモかったなみたいな話しか残んないの印象として
だから話の大したことなんて弱点になってない
話が大したことないからこそ話以外の部分のディティールや
その質感みたいなものがあまりにもかっこいいから
そのかっこよさに痺れているうちに
漫画を読み終わってなんかいいもん読んだ気がするってなるっていうのが
鉄拳キングクルーターのピンポンもそうなわけですよ
冷静に考えたらピンポンとかも別に
なんだったのってなるわけじゃん
これもなんだったのってなるわけよ
最後の1話とかさ
あれ?結局打ち切り漫画家みたいな終わり方するわけ鉄拳キングクルーターも
でもそれでいいんです
なぜならもうそういう楽しみ方をするものだから
っていうところがあって
だからそもそも筋を分かりやすく整理して筋を提示して
起承転結をつけて舞台に上げるっていう
39:02
その選択自体がまず間違っている
鉄拳キングクルーターに関しては
松崎さんはそこの情報制御がめちゃくちゃ上手なの
どのバラ王の創列もそうだし
結構長いハムレットの本案とかもやってるけど
とりあえずやたら長いものを原作を圧縮しながら
きちんとものすごいスタンダードな起承転結に整理して
再提示するってことにかけてはものすごい整理が行き届いている
でもそれをやっちゃいけないものに反映したとき
クソもんないっていうのが
よくないとこ
なんかもう一個ぐらいあった気がする松崎さんで
面白くないかってやつ
それもねたぶん同じような感じで筋をきれいにしていくだけだったやつだった
あなた見た?
たぶん見たやつ
チェンソーも見てないからな
まあいいやちょっとそれは思い出せないからいいけど
要するにね鉄根キンクレートを舞台にする場合
どうすれば面白くなったかっていうと
簡単に言うともうセリフ回しをちゃんとするだった
あれはさもう普通にさなんかさ
あれじゃん
セリフ回しとして確かにその通りだったかもしれないけど
割ときれいな舞台発生で話をしてたじゃない
えっと今の今ここまでのあなたの話で
あーって思ったのは鉄根キンクレートの舞台を見てから漫画を読んで
これ舞台を先に見てなかったらどういう話かわかんねえなって思ったの
漫画を読んだ時に
でその時点でさそのやっぱりストーリーにさ
私は特にストーリーにこう寄ってっちゃうじゃん
言語変調だからなんかそれがまず間違ってるんだな
まず間違ってる
でやっぱり別に舞台を見てる時も
白は多分これはすごい白なんだろうなって思ったんだけど
でもあのあれ若手刑事も割と良かったんだけど
玉城レオがやってたの
なんか確かにその2人以外はあまりにも明瞭なんだよね
そうなんだよ
だから
例えばですが
鉄根キンクレートを舞台にする場合の一つのあり方として参考になるのは
僕一作目しか見てないけれども通り部だと思う
通り部の舞台っていうのはあれは喧嘩シーンがなんか結構リアル志向なんだよ
すっごい疲れる
だからすごいマジで殴られてる感じがある
縦の応揚な仕草じゃなくて
あっなんか暴力ありますっていう作りになってる
僕はそれを通り部自体があまり好きじゃないから
42:01
あれだけどあの演出に関してはかなり評価してる
で鉄根キンクレートは多分暴力描写をエグくするだけで面白くなった
舞台舞台しちゃいけないと思う
リアリティラインをもうちょっとね
現実寄りに持って行った方が良かった
なぜならそういうひでえ話だから
っていうのがまず例えば一つある
だからなんかもしくはものすごい歌舞伎的な方向にまでど派手にするか
どっちかの方が良かったと思う
その上で基本的にセリフは綺麗に発声させないとか
ちゃんとストリート感を出す
だってもうストリート感が面白いってだけの話なんだもん
だから綺麗な舞台上で綺麗な空調の聞いたところで綺麗な発声で見るもんじゃないんだよ
っていうのがやっぱり一番の違和感としてあった
その雰囲気さえ提示してもらえれば別に何だって良かったと思ってる
それを真っ当に扱ってしまったのが失敗だと思う
鉄根キンクレートの
それで言うと最悠季は最悠季歌劇伝の良いところは
最悠季歌劇伝は初期のやつというか見てないからあれだけれども
リブート後の最悠季歌劇伝の良いところっていうのは
パッと見だけで比べたら最悠季じゃないんだよ
ふざけてんだもん
変なんだもん
もっと真面目にやったらどう?ってなるわけ
だけど真面目にやってないんだよね
そもそも原作のこいつらが
だから真面目にやらなければやらないほど
最悠季だってなるんだよ
それを要するに
ぶっちゃけ最悠季の舞台だけ見てどういう話かよく分かんない
逆に最悠季は
寄り道や枝葉が多すぎて
結局これどういう話なんだっけってなる
原作を読むとぶっちゃけどういう話かよく分かんない
ただわちゃわちゃしてて楽しいとか
この決めごまのこの顔がかっこいいとかしかない
その
切なせは
共有してるんだよね舞台は
だから見事にちゃんと両方最悠季なんだよ
コンキンクリートは明らかにストリート同業議員の幼女様学校ぐらいの
温度差があって全く何も似ていなかった
けれども
だけど話としては確かに同じ話をしてた
最悠季では
なんかもうそもそも
なんていうの
ビジュアルも寄せてる
寄せ方がまちまち
45:00
だしさなんかそのこう
それぞれに
原作に似せようとしてる人と似せようとして
全くしてない人と
独自のそれはいいよねみたいな感じになってるさ
カラーシさんとみたいな
極端にバラバラなみんなが
みんながバラバラでテイストがバラバラであるということが
そのままそのさっき言ったように
決定的に個人主義を突き詰めていった結果
なんとなくたまたままとまることもあるっていうような
最悠季の作品と生徒
見事に合致しているわけですよ
最悠季歌劇伝のほう
で最悠季歌劇伝は
なんか変な歌とかもある
特に最後のやつとかひどかったじゃん
えっとえっと
外伝のやつとかね
二幕頭
あれとかね
あれは普通に最悪だと思うが
思うがでも
なんか許容できてしまうところがあるとすると
やっぱりねこの頃のね
このね
あの
原作のね最悠季もそうなんだけどね
ちょっとちょけるんだよね
だからちょっと照れるんだよ
なんか100%格好やらないの
でこれはなんかその
天皇の全体にも言えることなんだけど
最悠季の場合は原作からそうなんだよね
なんかどっかでちょっと
ずっこけを作るみたいな
こうところがあって
100%格好つけを通そうとしない
この原作のテイストと
舞台とか非常に相性が良かった
っていうのが大きい
それですよね松本太陽はね
そういう遊びないんだよ
100%格好つけるから
でもビジュアルもガチガチに作り込んでるから
もう舞台にするなら100%格好つけるしかない
で舞台で100%格好つけるのって
すごい難しいから
で格好いいをちゃんとやりきるのって
すごい難しいから
しかも格好いいの方向がさ
なんていうの
ハードボイルドとかさ
こう
枯れとかさ
そういうこう
なんていうんだろうな
言ってしまえば天狗の脚ソットと
全然違うんだよ
男の子向けだし
男の子の中でも渋谷のミンド男の子向けじゃん
そうなんだよ
伝わんないんだよね
伝わんないと思うの
やったとしてもあんまり
いやでもやれよって思っちゃうねそこは
それを原作に選ぶんだったら
やっぱりなんだろう
結婚キンクリートの場合は主演がさ
女の子2人っていうのもあるけどさ
なんかそのなんだっけあれ
仁義なき戦いのさ
ちゃんと見るとさ
こういう格好良さなのねってなるじゃん
あれはさやっぱり一回真面目に見ないとさ
格好良いとは思えないじゃん
48:01
なんで梅宮達夫が格好良かったの
菅原文太が
菅原文太はまだ格好良いのは分かるけど
なんで梅宮達夫が格好良かったのか
全然分かんないけど
あれを見ると確かに格好良いになるみたいな
そういう渋格好良いをさ
こう少年に向けて
書いたものとしてさ
松本太夫作品ってあるじゃん
それはねなんか
まずその格好良いがインストールされてない
客席に向かって提示するのが難しいし
それがメインのキャラじゃないっていうのも
結構ね
ネズミはさメインだけど
なんか難しかったよね
難しいと思う
難しいと思うし
あの規模の興行で
その渋さを出すのはかなり難しいと思う
鈴なりだったらできるけどね
鈴なりだったらできるけど
っていう感じがあるから
そもそも無茶を言ってるのは承知ですが
でもやっぱりね
法を約束された失敗だったとはいえ
やっぱり失敗なんだよあれは
でもそれはだからそういうことだと思うよ
なんかもっとやりようだったと思うんだよな
いっそ野田秀樹みたいにしようとかさ
そもそも松崎さんに頼むのがお気に入ってるから
だったらテコン・キンクリートの舞台が
もしない方が良かったんじゃないかって
そうそうそう
そういう気がする
だからなんか本当にその
なんていうの
真面目にやれ的な意味で
外伝とかは割とずっとシリアスじゃん
話自体がかなり切なくて
ノーマル映画泥棒の謎のパロディーとか
入れるやつ本来は無いはずじゃん
でもあれは元々あったんじゃないっけ
多分無いと思う
あの時点でまだ映画泥棒が無いんじゃないか
なんかふざけてはいるんだよ
分かるよ分かるんだけど
っていうさ
とはいえな
とはいえな
でもそのとはいえなを許容できる
だからあれはそもそもそれまでの文脈もあるしね
っていうのもあるんだけど
っていうのが全然違くて
なんかやっぱりねそこは大きく違うよなって
思うんで
最悪期はマジで俳優のリアリティラインが
結構みんなバラバラなのがいい
フッキーさんと悟空と鈴木ひろきと
みんな違うの演技の質が
ってか次元が違うの
限りなく二次元に寄せていく鈴木ひろきと
めちゃくちゃ圧倒的に元気いっぱいな体が
51:00
飛び跳ねてる悟空と
ちょうどその間ぐらいにいるフッキーさん
みたいな感じで
もうテイストがバラバラなの
でもバラバラであることがいいの
あれを合わせちゃったらつまんないと思う
っていうことなんだと思うんだよね
だから両方とも
ある意味中二病的なものであったり
ビジュアルだったり
別の物語と別のところで
何か独特のリズムや
何かが形成されているものっていうものを
舞台に上げた時に
それを漫画で成立していたリズムやビジュアル
というものを
どのように読み換えるか
っていう作業を
ちゃんとしなくちゃいけなくて
ちゃんとしてるかどうかわからないが
なぜかそれがうまくいっているのが西遊記だと
それはやっぱり原作自体が
なるべく一貫性がなくて
わちゃわちゃしてていいっていう
ものだったからこそ成り立っているんだと
それで言うと西遊記って
めっちゃ個人主義の話なんだけど
継承の物語がすごい強いじゃん
月と太陽のチェスゲームが
上でずっとやってるから
継承の物語とミュージカルって
すごい相性がいいんだよね
リプライズが使えるから
でも私が外伝終盤で
めちゃめちゃになっちゃったのも
それなわけじゃない
もう過去作のアレンジを
もう全部入れて
たたきかけてくることで
外伝って継承の物語の
ビギニングだから
っていうのとこの15年間の
シリーズの集大成っていうのが
クロスオーバーする
大団円だったっていうところに
もうなんか
追い打ちをかけられててさ
だからそういう意味だと
西遊記を過激例にしたのが偉かった
そう思うね
普通にハードボイルドバトルアクションに
しなかったのが偉かったよなって思う
あとはもう一個あるとすると
鉄拳キングルートはやっぱり
漫画であることの強み
ピンポンもそうなんだけど
両方とも重力と時間を
非常にちゃんと静止画で見せながら
動きを作るのが非常に上手なんですよ
例えばね、このね、シロがね
この神社でさ
鳩をバーってするところのさ
鳩がちょうどこう
大きい声を出してまだ
逃げる反応をしきれていない鳩たちと
もうすでに逃げている鳩たちとが
両方とも同じ画面上にいる
みたいな描写とかさ
あとは窓を割った時の
ガラスの散れ場面具合とかさ
倒れた人間が一瞬その場で
54:01
ひっくり返っているところをそのまま
静止画的に撮ったりとかさ
このもう書類や灰皿が
あたりに散らばっているって
この構図自体がかっこよく決まっている
で、これはピンポン玉が
そのどの位置に
キャラクターの体に対して
奥にいる体に対して
手前のどの位置にピンポン玉を書くか
みたいなことと
同じことが起きているわけで
結構だからその
極端なデフォルメがなされている
このちょっと歪んでるじゃん空間が
この歪みっていうのがそのまま視覚の中で
何か一つの動きを
一つの画面の中に収めるとしたら
ああなるわけで
ピンポンとかもラケットがめちゃくちゃ大きく
手前側に擦り出してきたりするわけで
ああいう絵の描き方をする
舞台それ結構苦手とするわけですよ
で、それをやろうとしたら
もう歌舞伎になるんだよね
もう決めでチョンって止まるぐらいしないと
このかっこよさは出てきない
で、このかっこよさを見事に
再現しているのが
死ぬ捨てのハンダトークンが
事務所からパリーンって
窓をパリーンって割って
覚えてろって出てくるシーンの再現は
感動するんだよ
あれはあの良さは
テコン・キング・ルイとの良さに近い
でしょ
あれはこのハンダトークンの体をね
みんなが支えてね
リフトでね
リフトで支えて
覚えてろって言いながらゆっくり
宙を舞っているくっていう
表現をしているんですけど
あれが素晴らしいのは
だって確かに漫画で
僕らが感覚している時空間って
ああなんだよ
やっぱりあれを見たいわけだよね
でもなかなか見れないから
見れたら時に感動するわけで
死ぬ捨てはまさにそういう
漫画でしかない時空間を
ちゃんとやる
そしてそのちゃんとやってること自体が
バカ笑えるっていう
最高の舞台なんですけど
その話はちゃんとどっかでまとめるから
軽く振りにするとして
最悠季のそこで言うと
より舞台向けなところっていうのは
アクション描くの下手
イラストだよね
稲倉和也はアクション描くの下手で
イラストなんだけど
イラストの描き方が実に
ちゃんとしてる
ちゃんとパースがちゃんとしてる
さっきの言い方で
テコンキンクリートはそれぞれ
魚眼レンズみたいな
魚眼レンズみたいな感じでちょっと歪ませるの
だけど最悠季は
なんかね
割とそのままの
パースで描いていく
で、あんまり
躍動感がない
躍動感なくて当たり前なんで
そこだって歪ませてないから
だからあんまり
正直アクションとしてはつまんないの
絵としてね
この漫画の最悠季は
だけど別にそれでいいんだよ
なんかかっこよければいいから
で、このなんかかっこよければいい部分を
歌にしたり
縦にしたりすると
ちょうどいいんだよね
その
しかも縦の場合は
最悪なんだったら漫画よりちょっと面白いかもしれない
ぐらいのものになっていくわけで
57:00
ここがやっぱりね
すごいところですね
最悠季で僕が一個嫌いな作品があるんですけど
みちさんが出てるやつ
あれはあんまり好きじゃなくて
あれはアクションが面白くなさすぎた
てかみちさんの動きが
あまりに小さく抑制されすぎて
特に見てて面白くない
なんか
なんかやってるだけになっちゃう
他の神様編と一緒か?
一緒
神様編の前半は
前半がつまんなかったな
神様編はよかったんだけど
神様編のアクション結構ひどくて
だいたい全部プロジェで打って
どうにか処理してただけなんだけど
あのペラペラさが
最悠季の漫画読んだ時の
アクションのペラペラさと結構似てたから
よかった
要するにね最悠季のアクション早いの
で、パーンってやって
二コマくらいで終わらせて
もうその後はアクションじゃないことやってんの
実は
戦いのシーン実は少ないの
それが良くて
戦いのシーンをなるべくささっと
大差なく終わらせちゃうのが良くて
最悠季の場合はプロジェでさっさと終わらせるのが正解だと思う
道さんのとこ微妙に出てたでしょ
愚症が
うん、てか道さん自体が
全部神体でやってたでしょ
あれは金閣のお歌パートの
バックでやってるから
そうそうそうそう
あれはあまり面白くなかったんだよな
てかあのサイズでやるにはちょっと小っちゃいんだよな
っていうのが不満だったんだけど
あれはド派手にささっと
もうなんか
20秒くらいで映像打って終わらせておけばよかったんだけどね
っていう気がしちゃうみたいな
ところが例えばあるけども
まあおおむね良いの
おおむね良いのはやっぱりそういう
元のアクションが大したことないから
別にそこに再現期待値がそもそも低いから
プロジェでささっと終わらせるぐらいが丁度良いっていう
ところで
なんかね
丁度
ある意味ね
最悠季はね
ある意味最強なんだよ
天後のダサいところや苦手なところを
そのまま愚直にダサいままで処理しちゃったとしても
いやなんか最悠季だったらこうかもって思わせてしまうような
隙が割と原作の時点で埋め込まれているっていうのが
かなり強みだとは思う
っていうのが
こう僕の思っていること
これはまず僕は見てないから
ここからは普通に予想だけで話すから
何の話?
予想だけで話すから
あなたに答え合わせしてほしいんだけど
そういう意味で言うと
本来はチェン・ソーマンは
最悠季会議記念になるべきだったと僕は思うんだよ
でもチェン・ソーマンは
鉄骨金クレートを具体化した松崎文也演出でしょ
どうだった?
チェン・ソーマンはね正直私にはね
あんまり分からなかった
そもそもあなたチェン・ソーマン自体が好きだからね
でも鉄骨金クレートの
反省を生かしてっていう言い方はあれだけど
なんか松崎さんにしては
1:00:00
チャレンジしてるんだなっていうのは思ったし
松崎さんのもう一個の強みとして
アンサンブルチームがすごい層があって
もうそれをフル活用してたんだよね
だからそういう
ダブステ00ガンダムの舞台版も松崎さんはやってますけど
あの喜びに近いというか
悪魔が全部違う表現でやるっていうのが見せ場で
だからもうぶっちゃけさ
チェン・ソーマンもさ
姫野先輩がいなくなるところまで
でんじんの情緒ないから話しかないじゃん
正直あんま面白くないんだよ
ここからなんだよ
面白くないとしたら
主人公の情緒がないと
情報をキャッチできる人間の主観がないから
だしてあの人たちみんな情緒も下手くらいもないから
話自体は面白くないのを
悪魔が面白いということで
担保するっていう作りにはなってた
でもそれはちゃんとしてるね
ちょっとね見たいなと思って
ただなんだろうな
それこそ映像を結構使ってたんですよ
松崎さんにしては補助の映像じゃなくて
結構映像が前に出てくる演出で
よくないね
だから私は泳ぎ坊さんの演出が苦手ですけど
あの人は生で見ると
強みになってるところが映像だと弱みになってるし
逆が起きるっていう感じで
その嫌さはちょっとあった
席によって当たり外れが結構あるっていう
Aステはかなり排除されてるじゃん
どうしても立川の大箱でやると
外れ席っていうのはあるけど
やっぱり前でも後ろでも
何かしら楽しめる演出っていうのを
心がけてると思うんだけど
結構その舞台セット自体が
凝ってるというか
よくあるめっちゃ高い階段あるじゃん
ああいう感じなのよ
あれがドーンドーンドーンってあって
それがもう回転しながらバテンするみたいな
そこの演出部のスタッフワークすげえとはなるけど
結構見づらいシーンも席によってあって
っていうので
だからチャレンジだなって
わかりやすさを捨てるのに
1:03:03
強みでもあるわけじゃん
松崎さんのわかりやすさっていうので
弱みでもあって
確かにチェンソーマンっていう作品は
そこを一個犠牲にしてでも
何かチャレンジする作品としては
うってつけだよねっていうところで
今後引きたいって思って見てました
ガンダムは良かったんだよな
ガンダムすごい良かったんだよな
やっぱりだから嘘つかないのがいいよね
やっぱりだから半端にさ
できないことやろうとするのダサいじゃん
できないことはできない方がいいと思う
ガンダムはね
キャタズみたいなのがあるんだよ
動くキャタズみたいなのがガンダムなんだよね
コックピットだけがあるんだよね
コックピットだけがあって
オフィスの椅子
キャスター、チェアーみたいなのが
コックピットとして出てきて
ガンダム本体は出てこない
あれは素晴らしい選択だと思ったね
あれぐらい追い詰められると
あれは本当に良かったな
変な幼稚さがあって欲しいよね
天護よるな
全力のゴッコ遊びなわけじゃん
アニメがさ
マジンガーZとかの真似するみたいな
ゴッコ遊びの延長戦にあるわけだよね
天護っていうのはさ
やっぱりそのゴッコ遊び性をね
失ってしまっちゃいけないなっていうのはね
最悪気は
思い思いにそれぞれのゴッコ遊びしてる感が好きで
テコンキンクレートは
ちゃんと演劇のつもり?みたいなところが
演劇でいいんだよ演劇でいいんだけど
その演劇って割とちゃんとゴッコ遊び的な演劇になってないと
こっちはしらけるからねしっかりっていうところを
ちょっと見誤っている感じが
あったなっていうところがあるから
そこのね違いなんだよな
っていう気がしますわよ
やっぱりなんかね人力で何とかしようとして
するっていうところにこっちはさ
グッとくるわけですから
ダブステの良さはパズルライダーの良さなんだよ
本当にアンサンブルチームがすごい
騒動員してその場を作るっていうところの
1:06:02
全力さに喜びを感じるから
なんかテコンキンクレートはギリやれちゃうからこそ
絶対ね
飛ぶ子供なんだからさ
主役に4人くらいちゃんとアンサンブルで黒子つけてさ
飛ばすべきだったね
例えばね
あとは普通に足場とかをさ
ちゃんとそれぞれ追っていって
ドドドンってちゃんと飛ぶとかさ
そういうのだけで全然違った
そういうのが
やっぱり漫画において飛ぶ
漫画とかアニメにおいて
人物が飛ぶっていうのはね
すごい喜びなわけですよ
漫画やアニメにおいて
嘘をつける時空間で飛ぶことと
舞台上で飛ぶことの意味は違うわけ
要するに
一人じゃ飛べないんだよ
現実だと
一人じゃ飛べないということに感動するんだよ
それでも飛ぶんだから
つまりね
僕が何を話したいかっていうとね
多分今あなたは気づいたと思いますけど
広瀬なんですよね
違った?
広瀬なんですよ
広瀬もそうだね
広瀬は
ちょっと飛ぶんだよ
主人公のデク君が
カッチャンを助けるために
飛ぶシーンがあるの
空を飛ぶシーンが
爆風に乗って飛ぶシーンがあるの
カッチャンを助けるために空を飛んで
その空を飛んでる時に
その空中から
キリシマがカッチャンに向かって
声をかけて
カッチャンがさらにそこから
手を伸ばして
地上と空中とで
やりとりをするっていうシーンがあるんだけど
このシーンはすごくてね
飛ぶ側の面々が足場に乗って
その足場の上から
レベル違うところから
そのレベルゼロにいる
レベルゼロって客席か
レベル1にいるカッチャンに
声をかけるっていうシーンなんだけど
その足場を動かしているのはね
本来原作ではその場にいないはずの
クラスメイトたちなんだよ
そのクラスメイトたちが
アンサンブルとして足場を動かしながら
カッチャンの元に
デッキたちを空を飛ばすっていうのは
もうそのまま視覚表現として
今この場にいない全員の思いを
繋いでいった結果
今この救出作戦のために
彼はラバー空を飛んでいるんだっていう
視覚表現として見事に
表現されているわけ
だからもうあそこで
全てのクラスメイトが
みんなでこう
一生懸命足場を動かして
デッキたちを空に飛ばすっていう
もうその光景だけで
こっちは泣けるわけですよ
だからそれだよ
あれが見たくて
天狗見てるんだよこっちは
違った?あなたの話
いやあなた見てないから
1:09:00
当たり前なんだけど出てこなくて
ハイキューは飛ばすんだよ
はいはいはいはい
基本的にジャンプサーブとか
ジャンプサーブは
ちゃんと一人でないのなら
いただく景色が見れるわけだ
日向がビャーンって上がるところとかは
クラスメイトとかアンサンブルが
リフトして上げてるの
ちゃんとネットあるから
ハイキューの場合
ネットから日向がグワッて出てくるのを
人力で全部やるっていうのをやってます
やっぱりそういうことなんですよ
だからやっぱりそれなんだよな
やっぱり人は人によって飛ぶんだよ
舞台は
そこ
いやマジでこのね
ここはもう強調しすぎることはない
ワイヤーで吊っちゃダメ
ワイヤーで吊っちゃうのもダメだし
足場の上ったところから
動く映像を投射するみたいなのもダメ
進撃の巨人の話をしてますが
ダメです
そんなのは面白くない
人で飛ぶ
これ一つのあれだな
サビだね
サビだな
そうなんだよな
それでいうとね
ブーストはね
ワイヤー使っちゃったんだよね
別にワイヤー自体は悪くないというか
そのワイヤーの面白いのは
僕だから最初に初めて小学校の時にさ
校外学習でさ
スーパー歌舞伎見てて感動したもんね
スーパー歌舞伎見せてもらったの?
スーパー歌舞伎かな
2階席まで来るんだよ
すごいね
あの人が
クマ撮りした人がずっとこうやって見ようって張りながらさ
グーってここまで来るんだよ
あれはね
面白かった
逆にそこ以外何も覚えてないけど
あればすげえなって思った
そういうのも別に使いどころなんだけど
使いどころなんですが
基本的にはやっぱりね
ワイヤーも別に人だしね
なんだけど
やっぱりね
舞台上にいる人たちが
一緒に支え合って
空を飛んでほしいなって
いうのが
今日の
お伝えしたいことかな
ちなみに俳句は
オープニングで
チームメイト6人でいう
一人ではないのならを
最後
全キャストでやって
ああもうこれは演劇の話なんだ
っていうのを
初演でやった
ところは好きだった
そうなんだやっぱり
ジャンルとしての自己言及性は
何にせよ
持ってないといけないと思うんですよね
だって別に
これでよかったじゃんとかさ
そういうのになっちゃうんだったら
やる意味ないんだよね
舞台でしか撮れない映像があるから
舞台にするわけだから
それを結局
1:12:00
本来引い通していけない食材でしたね
みたいなものを出されてもさ
かっこ悪いするほうがないんだよ
引い通した結果
全然違うものになってるけど
これはこれでいいねってなるぐらい
でいいの
それは別にオリキャラ出すとか
そういう話は全然ないわけよ
そういうわけじゃなくて
ちゃんと全然違うものになったとしても
でも確かにこれは
確かに原作においてしか
ありえなかったものである
物をこっちは見たいと思っているんだよ
っていうことをね
絶対関係者は聞いていないだろうと
言ってもしょうがないんですけど
思っています
絶対ポッドキャスト関係者は聞いてないけれども
何かしら文字に起こして
紙舞台で作っておくと
万が一どっかに届くかもしれない気がする
っていう淡い期待もあるから
やっぱり書かないといけないなって思っている
1年ぐらいかけて
書こう
なるべく悪口には固定する
すみません
B面
面白いやつをね
していきたいんですけど
はい
そんなところですか
はい
大丈夫ですかなんか
大丈夫です
すごいあなたがこう
一生懸命言葉を選べながら
頑張って喋ってくれるから
あんまり気軽に振っちゃいけないぐらいだったなって
ちょっと思ってる
はい
まあでも
結婚金プレゼントの悪口言えたから
満点です
はい
ということで
本日のお相手は私が記念賞ごと奥さんでした
どうもありがとうございました
01:13:47

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