00:01
はい、こんにちは。ポイエティークラジオです。
お相手は、私柿内正午と、奥さんです。
どうぞ、よろしくお願いします。
なんでそんなハキハキしてんの?
張り切っていこうと思って。っていうのは、冗談で、
最近ね、このポイエティークラジオ、僕あんま聞き返してないんですよ。
出しっぱなしでそのままポーンで、音声チェックだけちょっとして、
前後のジングルとのとこだけちょっとやってさ、おしまいにしてたわけ。
だけど、奥さんと話す前に色々コンディション整えようと思ってね、
前回のやつとかちゃんと聞き返したんですよ。
なんかね、この数回分、僕がすごい声ちっちゃく、
モニョモニョモニョってしてるよね。
すごいハイハイハイってしてて、そもそも聞き取りづらい上に、
滑舌が壊滅的。
すごい何喋ってる?
ハイハイってはハンないんだよ。
ハディマイ。
ハディマイ。
ソスってなってるから、これはちょっとやばいぞというところで、
きちんとハキハキと喋らないといけないなということを反省した結果、
ちょっとやりすぎなくらいハキハキ喋ってます。
まあちょっと経ったらね、飽きてね、いい感じになってくるからきっと。
そうだね。
まあだから、でもやっぱりだからさ、僕ずっとボイトレとかさ、
ボイトレは一つの習い事としての象徴として言ってるだけなんだけど、
意外とそういう時にパッと出るやつってさ、実は真実を含んでたりするじゃん。
だから別にボイトレしてどうするのって言われて、
僕別に特にしたいことないんだよ。
ポッドキャスターとしてレベルを上げるの。
だからやっぱりポッドキャスターとしてのさ、
他のものよりはね、具体的にね。
そう、アマチュア意識をね。
これはプロ意識と同じ意味で使うけどね。
アマチュア意識をね。
DIYポッドキャスターとしてさ、きちんとね、聞き取りやすい声で語るっていうのを
目指した方がいいんじゃないかなっていう気がね。
別にしてるわけじゃないけども、
でもハキハキ喋れた自分の方が好きそうだなって思う。
そうね、ゴニョゴニョ言ってる自分の方が好きはあまりないっていうか、
別にハキハキ喋れる人はゴニョゴニョも喋れるでしょっていうさ、
可能性が広がる方がいいよね。
そうなんだよ。
だからなんかね、もっとチャキチャキ喋れるようになってっていうのを
03:03
まあ一個ね、ちゃんとやってみようかなっていう気がするんだよ。
もうすでに声がちょっと小さくなってるけども、
そういうことを思ったっていう感じだよ。
なんかね、これは結構いろいろとあって、
ずっと言ってますけどこの2ヶ月ぐらい、
僕の今のブームってさ、肉体改造じゃん。
ダンベル買ってさ、突然ポッドキャスターの終盤に持ち上げだしたりとかさ、
そういう気候をね、繰り返しながら、
もうちょっと1回落ち着いてるけど、
ある程度もう体大きくなったからいいかみたいなところで1回サボってますけど、
やってるじゃないですか。やればできる。
あとそれこそストレッチとかしてさ、骨盤を立てたらさ、
途端に座れるのが楽になったとかさ、
要するになんかこう、やったらやった分だけ良くなるんだなって思って、
体っていうのはさ、まだちょっと頭の方がどんどん悪くなってくばかりだから、
今更何も覚えられないしさ、
もうちょっとこう衰えは見え始めてるんだけど、
そもそもでもね、これね、これもあとでもう1回戻すけど、
1回だからね、肉体はまだ可能性があるなというか伸びしろがあるなって思うから、
自分のこのね、体を遊ぶやつはもうちょっとやりたいなっていう気がしていて、
やっぱり身体芸の1つであるね、このポッドキャスター業さ。
ポッドキャスターっていうのがどんどん恥ずかしくなってるけど、
ポッドキャスター業さ。
なんかもう邁進していくためにも、ちょっとチャキチャキ喋るみたいなことはやってもいいなと、
勇気がしている、今日この頃でございます。
うん。
だからやっぱあなたさ、
習い事っていいなっていう時にさ、
やっぱりネットに置いてるのって発表会楽しそうじゃん。
そうそうそう。
毎週発表会があるよ。
そうなんだよ、だからボイトル発表会がないと思ってたんだけど、
それこそだからスナックとかでさ、
一曲歌うみたいなことを趣味にすればいいのかなとか、
本気で考えてたんだけど、よく考えたらこれがね、発表会じゃん。
うん。
だからいいんだって。
うん。
そうなんだよ。
うん。
だからちょっとね、ボイトルいいなって気持ち。
うん。
フォーマしているよ。
うん。
アメンボ赤いなあゆえおみたいなことをさ、
うん。
なんかやっていきたいよね。
おけまにこエビも泳いでる。
生グミ、生ゴメン、生ゴメン、みたいなさ。
うん。
よし!
よし!
そういうことをね、今は考えていますが、
さっきちょっと話したことに戻すとね、
僕今どんどん頭が悪くなってって言ってるじゃん。
うん。
これね、こっちに関してはね、
明らかにね、自分が楽になったところがあるなって思って。
やっぱり10代、20代の頃は自分の知性っていうのは
どれだけでも鋭く研ぎ澄ましていけるもんだっていうさ、
うん。
気概があったわけですよ。
うん。
で、そうするとなんか、もっと頭良くなる。
06:02
うん。
もっと頭良いこと言えるみたいなプレッシャーが自分にかけられてたわけ。
うん。
だけども30になってもうなんか脳みそ、
これ以上発展しないなあみたいなことを言うようになってから、
うん。
なんかそもそも10代、20代の頃からの引き続きの自分の大したことなさを、
うん。
こう、こんなもんでしょっていうところで、
うん。
こう、自分に対してのね、期待をね、
大らかになれた。
整えれた、整えれたなっていう感じがして。
だから大らかポーズなんだよね。
それは楽ちんだなあっていう気がするんですよね。
うん。
マジでバカたかどまってるっていう話じゃなくてね。
うんうん。
愚かさはこれからもまだどんどんこう、
伸びしろがたくさんあるから。
伸びしろがあるだろうけど、あるだろうけど、
賢さに関してはそもそも10代、20代の頃から頭打ちだったことに、
うん。
今はようやくこう、なんか、
まあそんなもんだよねって、
許してあげられる感じがあるよね、自分。
うーん。
まあ賢さが何なのかよく分かんないですけど、
そうですね。
賢さは賢さだよ。
なんか、IQがさ、
120以上あるとかさ、
そういうやつだよ。
うん。
まあいいや、この話は。
うん。
まあみたいな。
うん。
感じで。
うん。
いったいいつから通うの?ボイトレ。
ボイトレってそもそも通えるもんなのかね?
え?うん。
なんかライズアップみたいなのがあるわけ?
教室やってる人がいる。
人がいる。
うん。昔ね、2日ぐらい行った。
えー、そうなんだ。
でね、めっちゃ会わなくてやめた。
あー。会う会わないがあるんだね。
私は明らかに趣味合わないなって思った。
でもまあボイトレもいろいろあるから。
趣味合わないってのはその何?先生との趣味が合わないってこと?
うん。
うん。
だからその先生が最も偉大な歌手であると認める人が私にとっては無理だったから。
あー。
歌じゃないからね。
そうそうそうそう。
だからそこは多分歌の先生だったから。
元アナウンサーとかになればいいんだよね。
そう。だから喋り方教室的な方でしょ?
そうそうそうそう。
昔そういう漫画…じゃねえや、映画がありましたね。
うん。
落語管理が話し方教室であるみたいな。
うんうんうん。
タイトルも全て何もかも忘れてた。
でもなんか知ってる気がする。
なんかあったよね。
うん。あった。
そういうのいいかもしれない。
うん。
ね。
うん。
あーそういうのいいな。
私…
落語やるか。
うん。
りょうたさんになんか…
りょうたさんに落語教えてもらう?
初心者向けのやつを教えてもらってさ。
そうそうね。
あのこう、りょうたさんみたいにチャクチャク喋るためにどうすればいいですかって。
うん。
話し方…
あ、それは…
りょうたさんに話し方教室…
りょうたさんに話し方教室してもらえばいいんじゃない?
まあ落語の喋りが…
まあでもポッドキャスト的にはいい。
いいよね、きっとね。
もう一人で全部、一人でやる。
またね、僕一人が誰かをね。
ゲストとホストを。
09:01
あーそれいいかもな。
りょうたさん、次の本の企画それかな。
りょうたさんとの本の企画。
勝手に。
それどうやって本にするんだよっていうのがあるけどね。
でもポッドキャスト企画としてはありかもしれないね。
りょうたさんの喋り方教室みたいなシリーズでね、全6回ぐらいでね。
やめてくださいよって言われると思う。
やってもらってね。
やってくれないだろうけどね。
まあまあまあ。
まあまあまあ。
そういうのはいいかもしれないね。
ね。
夢が広がるな。
私なんかパーソナルトレーニングに行きたいんだけど、
別になんか、
何がしたいかっていうと、
効率ができるようになりたいな。
で、たぶん基礎的な筋力とか柔軟が足りないから、
なんか、はいやってって言われてできなくてどうできてないかを分析して、
これとこれとこれをとりあえず1週間筋トレしてこいって言って、
じゃあ次はこれみたいなのをやってくれるところないのかな。
どうなんだろうね。
なんかありそうだけどね。
体育教室なの?それって。
難しい。よく分かんないよね。
そう、なんかやりたい、興味があるのはアクロバットとかだから、
体操教室だとちょっと違う。
そうだね。
側転。
まあでも、だからそこの解像度がまずあんまりなくて。
でもまあ体操教室でいいんじゃん。
側転とか、逆立ちだったら。
逆立ちができない男も通える体操教室。
それはやっぱりあなたが行ったさ、静岡のさ、
芸術祭に出てたパフォーマーの人みたいな、
なんかワークショップとかで。
だからなんかすごい渡りに船だったんだなって。
そうだね。
その、倒立ワークショップをやってる人が。
あの人は静岡の人なの?
でももしかしたら普段東京にいるんじゃない?
で、教室やってたりしないかな。
でも多分海外ワークショップが多いっぽい。
まあでもじゃあ東京も来るんじゃない?
そういうワールドクラスのとこってさ。
お試しのレッスンしか行けなくて、
ガッツリやるやつは少年王ジャパンと被ってたから。
少年王ジャパンのために静岡まで行ったからね。
そうだね。
行かなかったんですけど。
そう。
静岡ストレンジシード楽しいお祭りでした。
私は一人で行きましたけど。
いいですね。
はい。
っていう感じでね。
僕は滑舌。
あなたは倒立。
もしこれを聞いている方の中で、
12:01
あ、実はたまたましゃべり方教室や倒立のパーソナルトレーニングの講師なんだよっていう方がいましたら、
お手紙ください。
せいせいと下車払って通いに来て。
通いに来てますんで。
ついでにね、ポッドキャストで宣伝していただいても全然。
構いませんので。
どれだけの宣伝効果があるにあいというところではありますかね。
どんだけの宣伝効果があるのかはわからないんだけれども、
来週は多分、
ビッグゲストをお呼びできるんじゃないかなという風に思っています。
こうご期待ですよ。
はい。
そうなんですね。
誰だろうな。
誰だろうな。
ちょっと楽しみにしていてほしい。
私本当に知らないんだけど。
うん。
言わないけどね。
みなさんが来てくださいますから。
なるほど。楽しみですね。
楽しみですね。
っていうところで、
なんか意外としゃべれんな。
一回ほら、今締めを作ってしまったから、
何も考えずにしゃべりだしたら今日ダメなんじゃないかっていう風に思ってたし、
今日ね、これ金曜日に撮ってるんだけど、
今日って12月上旬並みの寒さらしいじゃないですか。
その寒暖差で僕の自立神経はわっしょいわっしょいなわけですよ。
狂ったメンバーを紹介するぜ。
最悪だった。
帰りの電車の中で何かの限界を迎えてさ、
ずっとTwitterのフォロワーに限る検索でさ、
ずっとセクシーとかさ、
なんで?
ファビュラスとかさ、
そういう景気の良さそうな言葉でさ、
検索をかけてさ、
景気の良さそうなことを言ってるつぶやきを探すみたいなさ、
ゴージャスとかね。
ゴッドザシャンセンスが。
そういう時間を過ごしてた。
やばいね。
やばくない?
ちょっとかなりやばい状況だったんですけどさ、
だからね、今日もこうやって録音を始めたらさ、
また何か言いまし目ができちゃうんじゃないかって思ったんだけど、
生み出しちゃうんじゃないかってね。
意外としゃべれてるから、
ここで油断してまた気を抜くと、
モニョモニョモニョってなっちゃうから、
ちゃんとね、しっかりやっていこうと思いますけど、
いやぁ、寒いのはつらいね。
寒いのはつらいね。
でもマタラシはあったかいんでしょ?
暑いんでしょ?
暑くなったら暑いの最悪じゃん。
最近気づいたんだけど、
夏が嫌いとか冬が嫌いとかさ、
いろいろ思ってたんだけど違うね。
その季節が嫌い。
今自分がいるその季節が嫌い。
うーん。
でも結構これ問題だと思って。
やっぱりさ、物事の、
ここにないものの物事のいい面は見れるんだけど、
ここにあるものは悪い面ばっかり見てるってことじゃん。
15:01
要するに。
だって冬になる前は、
ココアとかおいしい季節よねとかさ、
いろんなものの味が濃くなって楽しいよねとかさ、
いろんな可愛いおべべが重ね着できて楽しいよねみたいなこと思ってるけど、
いざ寒くなると、
ただ一言寒いとしか思わないわけじゃん。
逆に夏のこと薄着で過ごせてさ、
気楽で楽しくてさ、
いいよねって気持ちになるけどさ、
実際夏になると暑いってなるわけじゃん。
なんかちょっとね、
この自分の認識の癖みたいなものがね、
そもそも良くないんじゃないかっていう気がしてきた。
私は、
プルースと読む生活の構成の時に、
投資で読むじゃん。
マジ、毎月のように新鮮に、
今月、すごい具合悪い。
もう一年の中でこの季節が一番嫌いだみたいなこと書いてあるじゃん。
で、いちいちね、ちゃんとね、
分かるよって思いながら読んでるわけ。
で、それをやった結果、
なんか単純にその日その日、
真剣に辛い。
いい言い方だね、その日その日。
その中で、たまに今日はすごい過ごしやすい日だなっていうのがね、
きらりと光るね。
たまたまコスモと自分のバイブスが合ってる日をね、
大事にしたいものです。
でも、だからそうなんだよね。
いつも文句ばっかりなわけじゃなくて、
毎日真剣に具合悪いんだもんね。
いやもう、めちゃめちゃ自分事だしさ、当然。
そうだね。
今はちゃんと生きてる。
真剣にね、
辛って思ってる。
そうだね。
よ。
そうだね。確かに。
だからどの季節が嫌とかじゃないよ。
今この瞬間の気圧と湿度と気温差と前後のね、
自分のバイオリズムがね、合わないっていう日と、
あってんなーっていう日があるだけ。
そうだね。
そういう日だね。
そういう日だね。
そういう日だね。
そういう日だね。
合わないっていう日と、
あってんなーっていう日があるだけ。
すごい。
なんだろう。
別に多分打率としてはどの季節も変わんないし。
すごい。やばくない?
なんかアメリカとかでそういう本書いたらめっちゃ売れそう。
すごい賢さがひくどまってんの。
なんで?
めっちゃなんかすごいシリコンバレー的にスピってそうでよくない?
一期一会?
一期一会?
諸行無常?
諸行無常。
いやまあそんな感じでさ。
今日ちょうどなんかね、ケンドリックラーマーのこと考えてて。
18:03
ケンドリックラーマーの進仏典も何ヶ月前かな?みたいなやつがあるんだけど、
それのね、2枚組のアルバムなんだけど、
2枚目がなんか、
スピリチュアル系自己啓発みたいなベストセラー作家がいて、
その人がフューチャリングされてる構成になってんのよ。
要するにケンドリックラーマーってそのアルバム出す前に
グラミン賞取ってさらにはピリッツアー賞まで取っちゃってるわけですよ。
ヒップホップがジャーナリズムにまでいくぐらいのところで、
すごいなんかめちゃくちゃな評価を受けて、
ある意味もその界隈がそれこそ神的な存在として扱われるみたいなところで。
献身に飾られちゃったのね。
その次に出したアルバムが要するに2部作なんだけど、
その2部目がほぼセラピーなんだよね。
みたいな話でそこで心理学というとかなり危うい、
割とスピっているタイプの自己啓発の人。
現代の人って今に集中するというか今を生きようみたいなタイプの本なんだけど、
日本だと悟るととても人生がシンプルみたいなクソみたいな放題がついてるような本を出してる人がね、
フューチャーされてて、みたいなのを読んでて、
とにかくアメリカって国は大変だなって思ったわけです。
今にフォーカスするみたいなことに対してそういうメソッドみたいなのをね、
でちあげて、しっかり己を見つめなきゃいけないんだみたいな風にしていかないと、
そもそも内政すらもなかなか難しい国なんだなみたいなことを思ってね、
ケンドリー・クラマーのことを考えてたんだよ。
なるほど。
なんでこう話してるんだっけ?
え?私がその日その日?
そうだから、あなたのその日その日の体調不良をちゃんと見つめて、
そもそもその日のバイブスのあってなさをつながっていこうぜっていうのはすごいだから、
ケンドリー・クラマーに響きそうだなって思ったんだよ。
あ、ケンドリー・クラマーに響いちゃった。
いやなんかさ、ルーティンアプリみたいなのをね、入れててね、体調を記録するっていう、
簡単にできるタスクも入れておかないとさ、めんどくさくなっちゃうから、
入れたんだけど私体調というものがあんまりわからないんだよね。
体調というものがわからない。
今日の体調を10段階評価で言ったらいくつ?って言われてさ、
頭痛いから3とかよくわかんない。
21:04
あーなるほど、それは面白いね。
なんかなんていうの?
なんかうまく言えないけど、ポケモンで言うとHPは結構あるんだけど、
麻痺と毒と眠りが入っているときに、
それはHP的には10だけど、
全体としては3とかつけるべきなの?みたいな。
だからあれだよね、体調というものをさ、
実は定量的に測定するというか言語化することは、
割と難しくて、割と体調というのは定性的なものというかさ、
そういう話よねきっとね。
多分ね。
だから数値化して、一つのメーターだけでこうっていうよりは、
なんかもうちょっと感性的なものというかさ。
だからワインとかと一緒よね。
このワインは100点満点中何点とかそういうことじゃなくて、
ここは酸味がちょっと立っているけど、
こっちは副陽化でみたいな。
レーダーチャートならつけられるかもしれないけど、
10段階って言われるとよくわかんないなみたいな。
だからさっきのポケモンの例で言うとさ、
HPはあります、状態異常はついてます。
だからなんかいける気がしてるんだけど、
一旦後にね、ステータス異常が全部治ったらね、
もうドリャーっていける気がしてるんだけど、
相手が相性不利のとき、勝てないじゃん。
そうだね。
でも、
HPを10段階評価したら10なわけじゃん。
でもさ、HPってさ、10だからさ、
10っていうHP基準で決めろとは言われてないわけじゃん。
でもだからその軸をね、
わかんないって思って毎日5とか4とかをしてるんだけど。
それ結構さ、むずい話だよね。
一つシンプルに数値で測ることの良さも良さであるわけじゃん。
今の話で思い出したのは、
それこそなんか鬱っぽい、
何かしらの不調を負ってしまった人が、
治療の最初の段階で、
とにかく自分の感情、というかその気分を、
ちゃんとこう、
気づけるようにというか、
しましょうみたいなところで、
1個のレッスンとして、
今の自分の気分の良さを、
それこそ10段階評価で数字で言って、
周りに積極的に伝えていきましょうみたいなことを言われるんだみたいなことを言っててさ、
今は4ぐらいみたいな話をするわけだよ。
でもそれはそれで1個確かに効果的だろうなって思いもありつつ、
普段自分の日々の具合の悪さとかをレコードするときに、
24:01
その10段階評価で果たしていいのかとか、
軸が一つで足りるのかみたいなところはさ、
結構おもろいよね。
体力・気力とかさ、
何個かにパラメータ分けてくれたら私もさ、
体力・気力・状態異常の有無とかさ、
せめてポケモン的に言ってもそのぐらいは必要じゃん?
みたいなのがあるよね。
体力10だけど気力0の日もあればさ、
両方5なんだけどなんかステータスは綺麗だから、
意外となんとかなるときもあればさ、
ガッツがついてるときもあればさ。
寝起きだけど寝た気がしない。
だからまあ体力的に不安があるけど、
なんかやれる感はある日?
すごい困るんだよね。
分かる分かる。
気力はあるけど体力がない。
パラメータ以降だと難しいよね。
それ何?アプリだからあれだよね。
だからそういう書き方できないんだよね。
できない。
手書きだったらあんまりできない。
微考覧ついてるから、
そこに頭痛い、年不足とか書いてると、
どう考えても語彙状はつかない。
なーって思いながら、
でも別になんか元気ないっていう感じじゃない?
なるほど。
だから1個2個不調なのさ、
状態化してるからさ、
なんかそれで、
だから10段階中10の自分が分からない。
まあそうなんだよね。
それはそれですごいよく分かる。
でもさ、私の軸で書けばいいんだからさ、
まあ普段よりちょっと元気だったら、
足とかつけちゃえばいいわけじゃん。
でもそれってさ、
もっと元気な時があるかもしれないって。
可能性を狭めるじゃん。
元気があれば何でもできるはずだからさ、
やっぱり自分のマックス元気はさ、
遠くに置きたいじゃん。
いやでもさ、マックス元気をさ、
遠くに置くとそれはそれでなんか辛くない?
もう今まで4以上つけたことない。
うん、だからそれはずっと元気ないんだってなるじゃん。
だからぼちぼちの時に蜂とかつけといた方が、
むしろなんか、
私の蜂ってこの程度なんだってなっちゃう。
めんどくせえな。
めんどくせえけどそれはよく分かるというか、
その数値化にね、
あまり外面化しすぎるのもよくないからね。
ある意味そことの距離の取り方として、
そういうやり方をしてるんだろうね。
だからやれる感だけはずっとあるよ。
もっと本当は私の元気があるはずだって思って。
なんかやれる感の項目があればいいのに。
そこは意外とずっと10とかかもしれないね。
そう、っていうね。
でもそれはあるよ。
さっきさ、僕さ、
僕がどんどん愚かになっていく一方みたいな話したじゃん。
これある意味よくなくてさ、
やっぱり勉強とかにもさ、やれる感って大事なわけじゃん。
27:01
なんか僕って本当に中学高校の時さ、
全然勉強できなかったはずなんだよ。
え、そうなの?
全然勉強できなかったはずなんだけど、
やれる感は常にあったわけ。
だから大学どこにするんだろうみたいなとこからさ、
地元出たかったから東京やろうみたいなことを思ってさ、
やれる感しかないから。
最初からめっちゃ偏差値高いところしか見てなかったわけ。
だから今でもだから、
なぜか知らないわけでやれる感があるからさ、
あんまり東京の大学のことよく知らないんだよね。
最初からその時名前知ってるところに、
当然やれるって思って勉強してるから。
なんだけどたぶんね、
本来やれないぐらいだったんだよ。
でもね、私も全く一緒。
だからやれる感っていうのは実はすごい大事で、
やれる感があれば実力伴ってなくても、
そこまで実力が伸びるんだよ。
大体のことは。
そうよね。
だって例えばさ、
統律はさ、まだ今さ、
ちょっとさ、やれる感がさ、
ちょっと出てきてるわけじゃん。
えっとなんていうの?
例えばバク転はもうやれる感ゼロじゃん。
だからきっと一生バク転はやれないじゃん。
だけどなんか、
統律ぐらいならできるかもってやれる感、
今ちょっとあるから、
統律は多分できるようになるじゃん。
でももしかしたらやれる感、
やれるかもぐらいだからできないかもね。
もっとさ、
何事もさ、
やれる感が高みにないとさ、
だからさ、私たちさ、
私たち、
やや大きく出たよ。
ややなんだ、それでも。
私たちやれる感思った頃に対して、
やれなかったことがほぼない。
そう、ないんだよ。
人生じゃん。
そうそうそう。
最初からこう、
なんていうの?
慎重にやれる感。
シビアに見込みつけてるみたいな。
そう、シビアに見込みつけてるから、
そもそもやれないことに
やれる感を感じないっていうのはあるけど。
けど、
でも、だから、
でもね、
社会人になってね、
やれる感以前に
やらなきゃいけないことが増えるじゃん。
やらなきゃいけないことをやって、
お給料をもらうのがサラリーマンだからさ、
そうするとさ、
別にやりたくもないことをやれるように
しなきゃいけないことさ、
やれる感持ちようがないじゃん。
やりたくないんだから。
そうそうそう。
そうすると、
中期目標というか、
再分化して、
WBS引いて、
1個1個クリアしていくみたいなのの、
効能を知るっていうか、
だからいきなり統率にやれるかを持つのは無理で、
まず変える統率をやれるようになるのは、
まだ現実的にできる気がするから、
まず今私は変える統率を、
たまに練習してる。
いいね。
でもやっぱりやれる感ってさ、
ブレークスルーズがあるじゃん。
急にやれる感くるじゃん。
で、来たら勝ちなんだよね。
あれ面白いよね。
でもね、すごい面白かったの。
統率ワークショップは、
それこそ子供に引っ張られてね、
お母さんがね、
30:00
私はいいよって言いながら、
言いつつは、
先生が割と、
はいはいやってやって、
みたいな感じだから、
付き合ってやってたら、
子供より先にお母さんが統率できて、
で、超テンション上がってて、
できる時はね、力とかいらない。
すごい!すごい!ってなってて、
めっちゃいいな。
めっちゃ楽しそう。いいな。
やれる感。いいな。
いやそうそう。
僕のやれる感で一番覚えてるのは、
僕ね、幼稚園の頃とか味噌汁が嫌いだった。
味が無理で。
名古屋だったか赤味噌なんだけど、
なんか無理で。臭くて。
絶対こんなの食べれるようにならないって思ってたの。
小学生、低学年ぐらいだと思うんだけど、
こうさ、布団で寝てるじゃん。
寝てる時に急に、
口の中にその味噌の味がね、
急に思い浮かんだわけ。
うわーって思うんだけど、
よく吟味してみると、
あれ?これ美味しいなって思った。
これいけるって。
味噌汁に対してやれる感きたわけ。
翌日味噌汁飲んだら、
美味しいわけ。
やれたー。
そこでもなんかもう、
そっから僕にとって味噌汁は、
飲めるものになった。
すごいあれ感動して。
イメージトレーニングって、
こういうことかもしれないっていうのを、
その時すごい体感したんだよ。
それ以来何か苦手そうな食べ物があると、
とりあえず寝る前に思い浮かべるわけ。
これはとてもじゃないけど、
食べ物の味じゃないっていう期間を乗り越えると、
ある日ふと、
あれ?これ美味しいなってなるんだよ。
あれはね、僕の中でかなり大きい経験で。
イメトレって大事だなって。
やっぱり何事もやれないときは、
ひたすらイメージトレーニングを重ねて、
やれる感が来るのを待つっていうのは、
かなり有効な手立てだなっていうのをね、
未だにちょっと信じてるところあるよ。
なるほどね。
じゃあイメトレしよう。
なんか今日結構役に立つ話してるな。
いやでもね、なんか今日いける気がするって思ってね、
カエル通りずつやるといけないんだよね。
あーじゃあ、やれる感センターで。
体がふわってなる気がするって思ってやるんだけど、
肘痛になる。
やれる感。ちょっと弱まってきてる感じ。
ちょっとね、身体勢にやれる感。
難しいかもしれない。
まあちょっとね、時期にもあるしね。
また磨いてね。
磨いていかないといけないかな。
気持ちの上ではもう倒立してるみたいなね。
うん。ところまでね、行くとね。
うん。
いけるんじゃないかと思いますよ。
うん。
33:01
なんかいい話しちゃったな。
うん。
なんかすごい役立つ話だったんじゃない?
え、ポエティックラジオとしてダメじゃん。
そう。ちょっと今反してるよ。この番組の趣旨に。
ポリシーに反してる。
反してる。
また役に立たない話しないと。
やっぱみんなが誰一人興味ないゾンビの話を20分するとこ。
いやー本当にね、ゾンビの話は全然興味を持たれませんね。
本当に?そんなに?
いやでもね、それちょっと僕もだからちょっとこうね。
面白がって言ってない?
面白がって言ってるか、僕自身がもうなんかそういうちょっとひねってるか。
どうせみんな分かってくれないみたいな。
聞かないんでしょっていう色眼鏡で見てるから、そういう風に感じちゃってるところは多少あると思う。
うん。
多少ね。だけど多分本当にね、あんまりね。他の話と比べると響かないのは間違いないと思う。
そうか。
うん。面白いね。
でもさ、人数じゃないじゃん。一人はすごいキラキラした目で聞いてたりしたかもしれない。
あ、でもさ、それさ、僕の悪い癖だよね。今これ何の話してるかっていうと、
週末にね、オンリーディングさんで、また名古屋のオンリーディングさんで、
あのね、オムラ寺の青木さんと、ルチャリベルの青木さんとね、お話をしてきたよっていうのがあって、
その様子はオムラ寺で聞けますので、皆さんよかったら聞いていただきたいんですけど、
まぁちょっと終盤ゾンビの話をね、したわけですよ。青木さんがこう雑談ぶざけっと呼んでくれてね。
まぁじゃあゾンビの話でもしましょうかって話したんだけど、あんまりなんかね、響いてる感じがしなくてね。
うん。
そうかと。他の話は割とこうね、反応が返ってくるんだけど。
うん。
まぁちょっとその、なんていうの、導入編でホラーの話を始めたんだけど、そこでもう常にちょっと離れた感じがあって。
うん。
ゾンビの話になるともうなんか、すんっていう感じでね。
うん。
全然反応が返ってこねぇなっていう気持ちになったっていう感じだったんですけど。
はい。
まぁでもこれはだから僕の方の認知も歪んでるところがちょっとあって、
ちょっとね、本当に聞いてない気もするんだけど、ちょっとだって、実際誰もが反応してないわけじゃないわけ。
うん。
でもみんな知ってる人なの僕が。反応が返してくれるの。
うんうん。
で、なんかやっぱりさ、僕の、なんかそういう場で話すときはさ、知らない人の反応が気になるじゃん。
そうだね。
知ってる人はだって何言ったってきっとニコニコしてくれるじゃん。
うん。まぁもうすでになんか書評書いてくれてる、なんていうのあの、レコメンド文とかさ。
あ、そうそうそうそう。
で、こうアグリしてくれてる人はさ、もう味方だもんね。
そうそうそう。だったりとかさ、するから、僕じゃなくて青木さんを見に来てる人とかに対してどれだけこうさ、訴えかけられるかがそういう場勝負だと思うわけ。
36:02
そうですね。
うん。だからやっぱりこういうポッドキャストとはまた別じゃん。
このポッドキャストはそれこそわざわざさ、こう聞きに来てくれてる人たちだから、まぁある程度って思うけど、
例えば僕がこれを他のポッドキャストでゲストに出てそこでゾンビをプレゼンしようってなったら、やっぱりなんかさ、足場のないところから興味を持ってもらおうっていうところで一生懸命喋るわけじゃん。
営業トークだ。
そうそうそう。もう全然ダメ。
営業負けた。
うん。本当に全然ダメだった。
営業トークスキル学べば。
営業トークスキルも学んだほうがいい。
本が売れる喋り方教室。
僕も新宿駅前とかでダスダム・ザ・デッドを持ってさ、ゾンビよって。やったほうがいいかもしれない。
やめたほうがいいと思う。
週末の時は近いですって言って。地獄の定員がオーバーした時、死者が地上にあふれますって。やるべきかもしれないなっていうね。
こういうこと言ってるからみんなゾンビから離れていくんだよね。
いやわかんない。よくわかんない。
っていうところで、そういうことがあったよっていう。
そのおしゃべり自体は大変楽しかった。
だけど、ゾンビは今後僕がどうしたもんかなっていう。
でも読んでくれた人とか聞いてくれた人にはみんな面白がってもらえてるって自信があるわけよ。
そっとじしてる人もいるかもね。
そっとじしてる人は置いといて。
読んでくれた人はね。
難しいよね。
そもそも怖いものを好き好んで見る人っていうのが少数派というかちょっと物好きなんだってことを僕はちょっと忘れかけてる。
これが一番良くなくて。
やっぱり一から説明するのが大事じゃん。
一からの一をスタート地点で。
僕はホラーって楽しいですよねから入っちゃってるところがあるんですよ。
そもそもこれが間違いなんだけどね。
これが間違いだってことをどうしてもいつも自覚できないところがあって。
竹花さんの推薦文を字で言ってるわけでしょ。
そうそうそうそう。
人はなぜこんなにゾンビに惹かれてしまうのかから入ってるんでしょ。
だから違うんだよなって。
皆さんあんまり興味ないかもしれませんけど、
これこれこういう面白いところがあるんですよからちゃんと説明しないといけないんだよなっていうのを久しぶりに感じた。
うん。
うん。
ね。
雑像のブルーベットはこんなに難しいんだって思った。
あの、一つのね、こう、何ていうの?コンテンツ。
39:01
ゾンビ映画というコンテンツをね、看板にかけてしまうと、
これだけ振り落とされるというか、本の内容まで興味を持たれないんだっていうのは結構衝撃的だった。
そう、すごいよね。
別にやってることはさ、別に他のものでもいいわけじゃん。
何かを出しに世界を広げる。
プルーストと全然変わらないんだけど。
だからプルーストは、だからもうあれよね、プルーストに対するパブリックイメージとゾンビ映画に対するパブリックイメージが如実に出てるんだよね。
如実に出てるんだよ。そうなんだよ。
だからやっぱりね、ゾンビっていうものを何かいい感じのものとか、何かオシャレなね、生活、何か北欧っぽいものというかさ、
何かそういう暮らしっぽさをゾンビに持ち込めばもうちょっとうまくいったかもしれない。
そういうゾンビじゃないね。
そうなんだよね。
でもやっぱりそうなんだよね。だからさ、そこ結構ムズいなっていうのを感じますわよ。
私はね。
面白いね。
面白いよね。こんなに?って思うのね。
でもそれを薄々気づいてたっていうかさ、このさ、ポリエテイクラジオでりょうたさんとお話ししてる時から、
明らかにポットヤフトを聞いてる人の数が、毎週コンスタントに出るね。週の再生数だけ。
今最終的にトントンになってるんだけど、週の再生数としては半分くらいだと思うね。そもそも聞いてくれてる人はね。
だからそもそもその時点で気づけよっていうか、気づいてはいたんだよ。気づいてはいたんだよ。
これ求められてないなって思ったんだけど。
僕としては必然性のあるさ、というか連続性のあるさ、話ですから、そのままやってるんですけど。
まあね、難しいなって思ってね。
難しい。
難しいね。
でもやっぱりホラー映画がね、こんなに嫌われるものだと思ってなかった。こんなに避けられちゃうんだって。
うん。私もあれがポッドキャスト初じゃなくて書き下ろしだったら読まないと思う。
マジかよ。
だってホラーはマジでダメじゃん、私。
でも表紙はね、かわいいんだよ。
でもあの表紙も怖いって言われるんだよね。
え?
それはちょっと驚きだった。あんなにかわいいのに表紙。
まあちょっとそこに関しては私も、たぶん、ゴアグロ体制は標準だからね。
そうだね。ちょっと目出てるの怖いってなっちゃうと、ああそうだよねって思って、もうちょっとだからオシャレな表紙にしとけばよかったなって。
42:06
まあきっちりとかわいいじゃないですか。一冊ぐらいそういうの買っても。
まあ嘘だよ。ここまでよかったなって言ってることは全然やる気ないんだけど。
でも面白かったの。その後ね、いろいろ人と話しててさ、言われて面白かったのは、学校の怪談的なもの。芸芸の鬼太郎的なもの。
おばけ、幽霊に関しては、好むと好まざるとにかかわらず、幼少期に触れてるじゃん。
で、なんか怖いものってなって、その怖いものに怖いけど見たいものになるか絶対見たくないものかともかくとして、なんか下地はある。
ああ、あれねってなる。怪談とか幽霊は。ゾンビは。一言だから。そもそもホラーが好きな人がさらに一歩入らないと、分け入っていかないとないジャンルになる。
なじみがないってことね。
そう。だからそもそも。
問い直す以前に問うたことがないので。
でかくてるけど、この国においてゾンビはもう最初から物好きなものであって、最初からポピュラーなもんではないっていうことを指摘されて、それか確かにそれはそうかも。
それはそうだね。
それだと僕はやっぱりさ、昔からその博来物の文化にさ、憧れがあったというかさ、やっぱり昔からハリウッド映画で育てられてきた自覚があるから。
やっぱりゾンビもちょっと近いんだよね。アメリカのポップカルチャーにおいてはみんなゾンビになるからさ。
いやこれもだいぶ極論だけど、でもほら最近だとマーベルもゾンビになっちゃうとかさ。
アメリカ人はみんなゾンビに従うわけですよ。
お約束なんじゃない?
日本人が偽人化が好きなようにみんな偽ゾンビに従うわけですよ。とかっていうのがあるから、なんとなくそういうもんだと思ってたんだけど、そうではなさそうだなっていうのに気づいたし、
衝撃的だったのは、なんかモルカーでさ、ゾンビになる回あるじゃん。
あれ、やっぱりゾンビのキャラだけ全然売り受けが悪いんだってね。
てかなんか苦情も来たらしいよ。
え?なんで?
怖い。
かわいいじゃん。
めっちゃかわいいじゃん。一番モルカーの中でかわいいのあのゾンビじゃんって思ってんだけど、なんかその最大公約数的な意見の中では普通に評判悪いらしくて。
どこで聞いたのか忘れちゃったから、あんまり信頼できる話じゃないんだけど、でもなんかそういうのを聞いて、でも確かにそれありそうな話だなって思って、
ゾンビモルカーすら嫌われてしまうのか。
そう考えるとさ、鬼滅が人気なのって不思議だね。
だからね、そうなんだよね。
なんで鬼滅は。
なんでねずこはいいの?
なんでねずこは良くてゾンビはダメなのかしら。
45:01
不思議だわ。
ねずこね、ほぼゾンビじゃない?って思うんだけど。
あ、腐ってないからな。
東京グールのさ。
グールはママやな。
ゾンビやん。
でもあれも、東京グールの話とかすればよかったな。
いやー。いやー。
まぁなんでもいいんですが、ちょっとそういったところで、
ゾンビはね、難しいなっていう気持ちを。
でもやっぱりコンテンツの話をする不安ってそれだと思うの。
不安?
私すごい苦手でしょ?コンテンツの話を。
最近だいぶなんか。
でもやっぱりスタート地点としてさ、それを、
なんて言うんだろう。
コンテンツばったりなんだろうな。
雑談オブザデッドのコンテンツとの距離感は、
すごいちょうどいいなって思うわけ。
なんかこう、ハーシュキーみたいなのじゃなくて、
ちゃんとそのコンテンツによって世界が開かれていることを
うまく説明してる語りだと思うんだけど、
やっぱりコンテンツを掲げて喋るときに、
コンテンツ以外の話をするのは求められてないんじゃないかっていうのと、
それの人にされちゃうのはよくわかんないし、
あとその、何かの間違いで、
自分を入り口にそのコンテンツを知ったときに、
そのコンテンツの魅力が伝わらないっていうか、
なんか誤解を与えてしまう。
あと、全然私には響かなかったって言われたら、
普通にしょんぼりするみたいな。
あと単純に自分の好きなものを、
好きってしてるところを人に見られるのがめちゃめちゃ苦手っていうのがあるけど、
だからやっぱりコンテンツの話をすること自体は、
多少リスキーなことだと思うんだよね。
私はリスクをすごい過大評価して苦手だなって思ってるけど、
あなたはそのリスクをマジで何も感じなかったなっていう感じ。
そもそもね、今の話の中で既に僕がわかんないところがあって、
コンテンツ語りイコール、コンテンツのプレゼンじゃないじゃん。
48:01
僕は別にゾンビの魅力伝道師になるつもりはないから、
こんなゾンビ作品がありますよっていうのを皆さんにご紹介したいとかさ、
そういう気持ちはあんまないというか、
ザ・スナム・ザ・ジェットに関してはさっぱりないと言ってもいいと思っていて、
なんか僕にとって作品って、
っていうかコンテンツなんでもいいんだけど、
僕がなんかおもろいことを考え出すきっかけでしかないというかさ、
やっぱりいい本っていうのは2ページぐらい読んだら、
なんかああでもないこうでもない考え出したりとかさ、
なんか昔のことをいきなり思い出して、
途中文字は追ってるはずなのに何も覚えてなくて、
自分の頭ん中が忙しくなってるみたいな本が一番いい本だと思ってるから、
こちらの思考を推進するものというかさ、
なんかキックしてくるものとして作品を読んでる、
読んだり見たりしているっていう気持ちがあるんですよ。
ゾンビ映画って非常にそこの優秀だよっていう。
ゾンビ映画を媒介にするとこんだけ喋れるよっていうようなこと以外はあんまり考えてなくて、
だからその作品自体をどうこうっていう気持ちはあんまりない。
それがね、たぶんね、すれ違い、大きなすれ違いだと思う。
いやだからね、そこはね、分かるの。
あなたが言ってることはすごい分かるんだけど、
なんかあんまりそこは分かりたくない気もしてて。
えっとね、だから多分大多数の人にとって作品を語るっていうのは、
Xであり海上八号だと思うのね。
うーん、分かるよ。
じゃああなたが言ってることはタツキなのね。
うーん、いやちょっと違うけど分かるよ。
うん。
うん、いや分かるよ。
そのXとか海上八号っていうのは、
まあ要するに非常に優等生な読解をして、優等生な分析をして、優等生なパスティッシュをして、
確かにそれはそれで一つ綺麗にまとまってはいるんだが、
特にそこに新しい驚きはない作品だってことをね、
最近僕は日記に書いて、それをあなたは言ってるんだけれども、
まあでもなんかちょっと違うかな。
それはだって、まあそうちゃそうちゃそうかな。
まあとはいえだってそれはさ、新しいコンテンツとしてなってるわけじゃん。
Xとか海上八号とか。
うん、そうね。
それはだから別じゃない。
別のコンテンツにしているという意味ではすでに、新しい何かにはなっているとは言えるから。
いやでもだって雑談オブザデッドもさ、雑談オブザデッドっていうさ、一つの本になってるわけじゃん。
だからその本のなり方がね、どっちかっていうことを言ってるんだけど。
ああまあ分かるよ、分かるけど。
51:02
分かるけど。
なんでずっと変な顔してんの。
いやこれなんか難しいな。
納得してない顔なのそれは。
納得してないなって。
ずっと納得してないね。
納得してないなっていうので顔がしわくちゃになっちゃうんだけどさ。
すごい気がついてる。
すごいしわくちゃになっちゃう。
いやなんかね、もうなんか、なんだろう。
もうそのさ、なんだろうね、作品。
コンテンツをね、紹介するみたいなさ、スタンスもそうだしさ。
コンテンツを考察するみたいなね、スタンスもさ。
好きじゃないんだよ。非常にね。
いやだけど、なんかコンテンツを冠にしたものっていうのは基本的にそういうさ、押し語りか考察かしかないみたいな風潮があるっていうような話をさ、今あなたはしているんだと受け止めているわけ。
うん。
でなんかそれすごい嫌だなって。
だから興味あるけどゾンビ映画見れないんだよなって言われるんじゃない?
いや分かるの。分かるんだけど。
もちろんここで語られているゾンビ映画を見た方がこの本も楽しめるし、この本読んだらその映画が楽しめるんだろうけど、ゾンビ映画苦手なんだよなって言われるでしょ?
すごい分かるんだけど、すごい分かるんだけど。
そういう本じゃないよって言わないと言ってるんだけどね。
一回さ、その態度だから売れねえんだよって言われるのは十々承知でさ、一回ちょっと叫びたいことがあるんだけど、そんなくだらない次元で話したくねえ。
じゃあもういいんじゃない?伝わらない人には買わないでもらえば。
今のは一回心の叫びで、今この話をしてる間僕はすぐ顔をしわくちゃにしながら何が一番言いたかったかっていうと、もうマジでそういう次元で話をしたくない。
すみませんね、そういう次元のこと言って。
頭が汚れるみたいな気持ちになっているのがまず素直な気持ちね。
素直な気持ちなんだけど、聞いてちゃんと。ごめん、あなたがしわくちゃになっちゃった顔が。
だけど、だけど、あなたが今それを言ってくれてね、僕がそれに対して嫌だなっていう気持ちになりながらも、あなたが一生懸命話してくれているところを見ると、どうやらそこを突破しないことには脱脳ムタデッドの魅力は伝わらないってことなわけじゃん?
だからさっき僕が言った1から説明するの、1はそこにあるわけじゃん?
そうそうそう。
まずみんなが思っているのとジャンルの違う本やねっていうことを言わないと。
そもそもコンテンツを語るんじゃなくて、コンテンツで語ってるんやねっていうところをちゃんともっと丁寧に説明するべきだっていうあなたのそのご指摘は非常にその通りだと思う。
54:09
その通りだと思うし、まずそこに、そこにね、傘をあけるための本でもあるから確かに。
その人たちに対してちゃんと届けようとする努力はするべきだと思う。
だけどちょっと今の僕の狭い心だとね、そこに対して優しい言葉をかけられる気がしねえなっていうのが今の僕の素直な感想だわ。
なるほど。
いや、分かった。なんか、なんか僕思った以上にやっぱりね、なんかね、嫌いな人多いというか、嫌いな、作品に対しての態度の取り方として嫌いな、許せない態度、いわゆる地雷的なやつがね、多い気がして。
そうね。
カップリングとかなんでもおいしく食べるけど、そもそもなんか、その作品の読解のスタンスでぶち切れるというかさ。
あの、席の付き方ね。
そうそうそうそう。
皿の上に何が乗っててもいいけど、
そう、皿の上に何が乗っててもいいけど、
椅子の上に膝立てて、
そうそうそう。
あのー。
乗ってたりとかさ、ちゃんとテーブルにはね、両手上に乗っけてとかさ、かっちゃんみたいなさ。
広赤ね。
そう、みたいなところがね、ちゃんとしっかりしてないと、ちょっと足に乗らん、なっちゃうところがあって。
僕実は雑談オブジェットに対して、割とそういう頑固なね、寿司屋のお館みたいな気持ちになってるところがあると思う。
雑談オブジェットのカウンターさ、開けててさ、
はいはいはい。
全然人がゴンってさ、厳しい顔してるんだけどさ、そこに来た人がさ、最初になんかさ、考察一つみたいな感じでさ、頼まれた瞬間にさ、出てくる。
なんかおすすめの、なんか。
なんか初心者向けのゾンビ映画ありますか?
それは全然答える。
それは全然答えるけど、
ロメロ押し語りお願いしますとかさ、
走るゾンビってどう思いますか?
走るゾンビは答えるけど、とりあえず考察とかね、押し語り的な方面でのコンテンツ語りを求められると、
帰れ!
言っちゃうなって思って、言っちゃってるなって思って、
それはみんな寄りつかないわよ。
その状態で客が来ないとか言ってピーピー言っててもしょうがないと思うから、もっとちゃんとポップにね、やるべきだなっていうのはすごい今反省した。
反省したし、僕の中のその偏屈っぷりがちょっとよく出ちゃってるなゾンビにはって思って、
今すごい深く反省してる。
深く反省してるんだが、ちょっとそれを態度で表明できるところまでちょっとまだいけてない。
でもだから私がコンテンツ語りをすることに不安を持つ一番の理由はそれだよ。
その潔癖さとか、好きなものに対してどうしても持ってしまうこだわりっていうものがさ、漏れ出てくるわけじゃん。
57:04
好きなコンテンツについて話すと。
そのね、なんかこう、あの本棚見られるの恥ずかしいに近いわけ。
うん、わかるよ。
好きなものに対する姿勢を見られるの恥ずかしいじゃん。
でもさ、他人の訳わかんないこだわりって一番面白くない?
いやわかるよ。
だから他人の押し語りとかオタクの姫とか大好きだけど、
それはやっぱり匿名じゃなきゃできないわけ、私にとって。
なるほどね。
だから飲みながらエステの話して鼻血になってるのとかすごい。
よく許したなって今思ってるわけ。
うんうん。そんなんね、わかるよ。わかるんだけどさ。
あともうなんかその認知した存在がやってると怖いじゃん。
うん。
圧が、圧がっていうかなんかエネルギーがさ、強くて。
どういう意味?認知した存在って。
その、だから私は今フォトキャストのさ、奥さん、埼玉出演ゲストとしてさ、
うんうん。
ポエティクラジオを聴いてる人にはおなじみなわけじゃん。
はいはいはい。
だから閉熱がどれくらいか分かって。
あ、そういうことね。
バレている中で。
なるほどね、あの階がね、どんどんね。
あの階があって。
熱量がね。
あの階とあのプリリズであの森園和歌の話をして半泣きになってる階とかは。
そうだね。
ちょっとね。
うん。後から聞き返すとね。
なんかこう、まろびでちゃってんなーっていうのがね。
なるほどなるほど。
恥ずかしくて。
うんうんうん。
恥ずかしいっていうのは恥を感じるというよりはなんか、
そういう距離感じゃないのに、そういう距離感じゃないものを見せちゃったみたいな。
あーそういうことね。
なんかごめん。
はいはいはい。
なんかごめんだし、見ないでっていうやつ。
あーなるほど、なるほどね。
なるほどね。
難しいね。
うん。
そうだね。
難しいね。
なんか僕だから別にゾンビじゃなくても小説だろうがさ、音楽だろうが何にせよ、
多分同じような困難を抱えるなって思ったね。
うん。
それはあなたのさ、没入感の無さとは関係ないのかね。
いや関係あるでしょうね。
だからやっぱりだからうっとりできない。
うっとりできないって話を青木さんとさ、僕のことを表してさ、
オムラジでよくマスクさんが言うわけですよ。
お二人ともうっとりできない。
できない、しない人。
しないというか多分できないってことを、
なんかこうことあるごとに言及してくださってるんですけど、
すごいそれを感じる。
私めちゃめちゃうっとりしちゃうじゃん。
そう?
え、なんかお芝居見てるときとかすごいうっとりじゃない?
あーでもそうね。
1:00:00
それその最中でしょ?
あなたの面白いところはさ、舞台に始めるとさ、その最中はうっとりしてるんだけどさ、
だんだんそこでうっとりしてたことに冷静になってさ、
どんどんさ、分析していくっていうさ、
そのさバランスがさ、僕は羨ましいなって思うわけ。
分析してなお、ここはどうしてもうっとりしちゃうんだよなーみたいになって。
いやでもだからそれが最高じゃん。
だからそこがさやっぱり僕に足りないところなわけじゃん。
要するに僕はだからうっとりできないからこそ、
最初から言語としてさ、
あらゆるものテクストとして読んでしまって、受け止めてしまって、
それをこういうふうに読みといたよっていうことを後から感想で言うみたいなのはさ、
まあもちろんなんか言葉にはなりやすいでしょうよ。
言語化しやすい見方ではあるけれども、
そこにうっとりはないから、
なんかこんなにこれに夢中になったんやっていうさ、
のは生まれにくいよね。
だからなんかあなたのそのね、うっとりから入って、
後からそこに言語を付与していくっていうさ、
すごいいいなって思う。
それはだからまさしく最初期の体調の話と一緒なわけ。
うっとりってのは数値化でもなんでもなくさ、
純粋なうっとりなわけじゃん。
そのうっとりは後から、いやあのうっとり、
ここのうっとりはこのなんかステータスで言うと、
ちょっと2点とかしかなかったけど、
何よりここがぶっちぎりで10点以上に関数としてたから、
なんかここでうっとりしたんだなって思うと、
実はこのシーンに関してはあんまりうっとりしてなかったし、
この要素に関してはあんまりうっとりしてないけど、
やっぱりここに関しては明らかになんか異常値が叩き出されてるな、
みたいなことをあなたは言えるわけじゃん。
最初からパラメータ作ってるっていうか、
ここに特化してるのね、みたいな見方をしちゃう、
みたいなところが一番の違いやなって思って。
コンテンツの向き合い方としてね。
なんかね、ちょっとうらやましいよね。
なんかね、最近、
ずっと言語化をしたいんだけどできてないこととして、
ルッキズムと舞台の話があって、
推しもそうだし、推しではないけれども、
とにかくルックスが常に100点。
ルックスがっていうのは、
表情画というよりはもう顔の作りがっていう方の意味合いで、
自分の役者がいるとき、
あとそういう人を扱う演出ないし、
プロモーターのやり口を考えるときに、
すごいそのうっとりを利用されるのがすごい嫌だけど、
自分がうっとりしやすいことには自覚があるから、
すごい距離を取ろうっていうのが強くて、
1:03:02
イケメンという言葉がすごい嫌いなんですけど、
それはなんかそのルッキズム良くないとかよりも、
そのうっとりしろって、
芝居としての表情がいいとかではなく、
その造形の良さでうっとりして、
満足して帰るみたいなものには絶対に乗せられないからなっていうので、
めちゃめちゃ身構えちゃうっていうのがあって、
推しができるとさ、推しって要するにうっとりしちゃう。
暮らしられてるから。
だからこの間見た芝居は、
推しの演技にはうっとりしたけど、
脚本がめちゃめちゃ納得いかなかったわけ。
だから生で見たときは、
いやなんか良かった気がするみたいな。
でも配信見て、いやダメだこの脚本。
あーやっぱりうっとりしてたんだって思って、
すごい嫌だった。
なるほどね。
うっとりは利用されやすいよね。
それは間違いない。
だってプロパガンダとしてめちゃめちゃ優秀な力だから。
その芸術そのものが持つね。
文南さんの一個でもあるし、
だからおっぱいだよね。
今どの文脈で言ってんの?
どの文脈?
あ、だからうっとりの文脈?
おっぱいはうっとりしちゃう?
おっぱいはうっとりしちゃうっていうか、
今なんかプロパガンダで、
いやあのね、これも僕にしかない文脈か。
そうだからなんかの文脈があるんだよね。
あの三島由紀夫がね、
映画ってのは危険なもんだって話をしてるときに、
おっぱいがビルみたいなデカさになるんだぞって。
スクリーンでね。
そういうわけ。
だから我々の理性的な判断っていうものは、
あんなにビルのようにデカく引き伸ばされたおっぱいは前にはもう無力なんだみたいなことを、
すごい三島由紀夫は語ってたわけですよ。
これはだから三島由紀夫なりのうっとり感じゃん。
そうだね。
みたいなところで、だから映画ってのは危険なもんだって話を。
ちょっと前後の文脈忘れちゃったから、
正確な引用ではないことをちゃんとお答えしておきますが、
三島由紀夫が言っとったんですよ。
それすごいわかるなーって思って。
だから演説とかもそうじゃない。
そうそうそうそう。
それを誰が考えたかっていうのはさ、話せる人とは切り離されてるからさ、
素晴らしい文章を語っているというのも一個の芸術だから、
それにうっとりしちゃうことをさ、
止められないわけじゃん、感受性がある以上。
でもそれとこれとは切り離さなきゃいけないみたいな話とかね。
1:06:00
そうね。でもそれまた難しくてさ、うっとりはさ。
うっとりしに行きたいときもあるよ、もちろん。
だから私ライブに関してはうっとりできた方が嬉しいよ。
だからあんまりバンドマンにルックス求めて何が悪いのって思ってる。
そうそうそう。
いやだからさ、そこはいろいろすごい難しいんだけどさ、
非常に難しいところなんですけど、うっとりはね。
今何を言っても難しくなるなって思った。
けども、難しいな。この話をして収集がつく気がしないな。
録音止めてからにしようか。
そうだね。うっとりは本当に難しくて。
要するにうっとりさせて欲しいところもあるし、うっとりしちゃいけないところもあるし、
でもそれは別に制御はそもそもできないんだけど、
今ね、ちょっとこれむずいけど、言える方から言うと、
うっとりがね、多分みんなうまくできなくなってると思うんだよね、僕だけでなくて。
で、うっとりしないことを良しとするっていうか、
あなたから例えばするとさ、うっとりしない方が冷静に判断ができてとかさ、
いいじゃんっていう部分が、うっとりしない人の良いところが見えてるじゃん、あなたからは。
僕はうっとりしない人だからこそ、うっとりする人の良いところが見えてるわけですよ。
逆に言うと、うっとりできない人の悪いところが見えているわけですよね。
隣の芝生は多い。
でもなんかね、本当にね、これは、
要するに最近よく言うね、最近よく言うかどうかも知らないけど、
冷笑的な態度っていうものがさ、世にあるわけじゃん、1個、数世としてさ。
小学生大人気のさ、小学生レベルのセナーとして有名なさ、
ひろゆきさんっていう人がね、今夜ライトハウスの消防の子たちもなんか言うとったけどさ、
彼とかは明らかに冷笑的な。
要するにうっとりしないタイプの人。
それこそだからうっとりというものをバカにしていくことで、
なんか一つのポジションを取っている。
ご飯食べてる人。
そうそうそう、クソガキたちのわけじゃないですか。
なんかやっぱりあれなんだ、なんていうのかな。
うまくうっとりできないから、うっとりできないっていうことの弊害の人とはさ、
ああいうクソガキを増やすっていうことだと思うんですよ。
かといってうっとりしすぎると、それはそれで困ってことになるわけだから、
それは難しいんだけど、だからね、両極両方ダメだなって思うわけですよ。
それはそうですね。
これもだから、まったくもういつも通りのあれなんですけど、
いいゆかげが大したわけですよ、うっとりもね。
はい。
1:09:01
だから絶対にうっとりしちゃいけないわけでもないし、
うっとりしすぎるのも良くないんだけど、
なんかそのね、うっとりの適量っていうのはきっとあるはずで、
だから僕はそれでちょっとそのうっとりが足りてない感じがあるんですよね。
足りてない?
まあちょっと臨床的とは別の話だと思うけどね、あなたの。
僕のね、僕の話は今ちょっとずれたところで話してるけど、
僕の場合はむしろかなり情熱的にうっとりしないことで、
分析を重ねていく中でどんどんうっとりしていくっていう、
ロジックにうっとりしていくところがちょっとありますけど。
まあだから、そもそも作品の享受の仕方が、
いかに自分のエンジンを回してくれるかっていう咀嚼に非常を置いてるし、
うっとりしてる時だいたいあなたは自分のエンジンがめちゃめちゃかかってることにうっとりしてるなって。
そうそうそうそう。
でもそうやってエンジンをかけてくれるこの作品っていうのは最高だなっていうリスペクトの返し方をしてるから、
なんか別に作品の上をね、足下にしてというかなんかの上にただ土足で立ってるとは思わない。
だからさっき私が言ったその、
Xかタツキかって言ってたのは、日記に書いてないけどさ、
その前にオフで私と話してた時は、巨人の肩にぶら下がろうか、巨人の肩の上に立つかだよねっていうことを言ったけど、
でもそういうことじゃん、うっとりしてぶら下がってるだけと、それじゃないな。
作品に関してはうっとりなんていうの、ぶら下がろうが立ってようがやってることは一緒だから、
ただそのなんかうっとりの対象が、向き先が違うんだよね。
その作品自体にうっとりしてるか、その作品に興奮して踊り出した自分にうっとりしてるかっていう違いは確かにある。
あるよねっていうのはそのストーリーだと思う。
ていうさ?ていうさ?
だから巨人の肩のだから、実はあんまりフィットしないかもしれないね、この感じだとね。
でもなんかその作品っていう巨人の上でさ、あなたがあなたなりの理論を立ててさ、そこに立ってるわけじゃん。
私はもうなんか使っちゃってるから、湯船に。
そういうことだよね。
ていう感じ?
先人たちが積み上げてきたものっていうのがあるわけじゃん、才能変わらぬ石みたいなのがさ。
その石の積み上げ方に惚れ惚れしてうっとりする。
そのさまりというか、良いミニチュアを作るっていうのがXや海上八号の作り方だとすると、
そのこの良い形っていうものを隣の形と組み合わせたらこんなに変なものになるよとか、
1:12:07
さらに上になんかでかい石乗っけちゃおうみたいなところで、
先人たちが作った形をリスペクトしつつもなんか新しい変な形をその上で成立するっていうスタンスが
たつきだったりダンダダンみたいな漫画には見られるよねっていう話だったんよね。
だったんよねっていう。
そうそうだから巨人の肩の上で何かしているっていう言い方だとちょっと積み上げに対するスタンスはちょっと分かりにくいけど、
要するにそういうことだよね。
言うならば巨人そのものをベタ揉めするのか、巨人の肩にちゃんと乗るのかっていうような違いと言った方がいいのかもしれないね。
っていう話がありましたが。
話をしてたんですけど。
そう。だからやっぱりなんかね、
なんかね、それでね、今のこのたつきとかの話でなんか僕がいまいちピンときてなかった理由がわかったんだけど、
要するにそれどっちも作り手じゃん。
僕は受け手の話がした。
読み手受け手が、もう同じスタンスがあるぞっていう話がしたくて。
今の読み手っつうのは、なんかその考察とか押し語りの読み手っつうのは、なんか出来上がった形をさ、見てうっとりしたりとか褒めたりするばかりで、
その上にわざわざよじ登って踊ろうっていうさ、人が稀有なわけじゃん。
っていうことが多分言いたくて。
でも結局これって難しくて、そこで踊りだしちゃったらもう作り手になっちゃってるんだよね。
二次創作的な意味で。作り手になっちゃってるんだけど、でもやっぱり僕は一番読むっつうことはね、
どこか制作になっちゃうもんだっていう、多分心情でいるから。
そうだね。
だから本作んないと、本読んだことにならないと思ってるところがあるから、極端に言うよね。
あなたに限って言えばね。
極端に言うよね。
なんでもいいんだけど、何かしら自分で踊りだしたくならないと、作品を読む意味があんまりないっていうスタンスがいるから、
That's Not What I Saidとかそういうことをね、やるわけですけど。
でもやっぱりそのためには、
え?見たのに踊らないんですか?っていうところをちゃんと語らないといけないんだなと思います。
やっぱりここ麻痺するんだよね。自分が本作ってるとさ、周りに本作ってる人しかいなくなるからさ、
みんな本作ってると思っちゃうじゃん。
そうだね。
そうすると本作ってる人にとっては当然なわけじゃん。受け取ったものをもとにダンスしていくのはさ。
そうなのかな。
わかんないけどね。
僕にとっては当然のものだと思っちゃってたわけ。
そうじゃないんだよな。そもそもそこからなんだよなみたいなのが、
ちょっと僕は今足りてなかったなっていうのを改めて思い知った感じでした。
1:15:01
私、結局この話ってポトキャストでしたんだっけ?
たぶんね、全部のポトキャスト聞いて覚えてる人誰もいないから何回も同じ話していいと思うよ。
見た芝居の感想予約アカウントをツイッターで作ってて。
めっちゃ思い出したけど、たぶんこの明日な。
結構最近したよね。
結構最近したなってすごい思い出したけどいいよ。
やっぱやろうと思ったのは、見るだけ見て、立川の謎のオブジェのところでアクスターと写真撮ってるだけってバカみたいじゃん。
顔がいいしか言わないのさ。
ダメなところダメって残した方がいいし、言語化しておきたいし。
おきたいしって別にもともと思ってたわけじゃないんだよね。
それこそずっとローム戦していて、同じようなお芝居を見る人たちを。
やっぱり作品を読むことはどこかで制作になってしまうっていうのはそうで、
見た芝居に取り憑かれてしまって全部書き出さないと次に進めない人たちの感想っていうのはもうそれ自体がエモーショナルなわけさ。
そういうのいいなって思ってやってみたら意外とできた。
できた作品だとやっぱり良かったなって思ったり、悪口がはかどるやつもそうだけど、
それはそれとしてもっと撮ってやったぜみたいな気持ちになるけど。
やっぱり言語化が苦手な作品もあって良かったんだけど、見てしか言えない。
見る間にある喜びが全てだから手を描くの野望みたいなさ、ミュージカルは顕著なんだけど。
それこそこの間配信で見たワンオンワンとかはかなり小さい企画だから、
本当にお客さんが見るよって言ってくれたら次もできるかもしれないっていうのをすごい言ってるんだけど、
あんま言うことないんだよ。良かったしかなくて。
なんかもどかしいなって思うから、やっぱり喋りやすいもの喋りにくいものがあって、これは訓練ですね。
1:18:00
いやでもね、今時間を見て嘆くなってんなって思って切るつもりだったんだけど、
その話をちょっとだけすると、やっぱりね、僕は今だから何か見たらそれの良さとかワクワクさを言語化した方が楽しいでっていうのが基本スタンスとしてありはするが、
かといってやっぱり言語化に向いてる作品向いてない作品っていうのは必ずあってさ、
かといってそこは言語化しにくい作品が言語化しやすい作品よりも優れているということはないわけじゃないですか。
でもやっぱり言語空間においてはさ、言語化できる作品の方がありがたがられがちっていうのは間違いない。
じゃん?
なんかここはね、またむずいよなって思います。
だから、いや、むずいよねって思って。
日記の良いところはさ、見たとだけ書いとけばそれで十分機能しちゃうところよねって思うんだよ。
そこで語りやすいやつはそれで語ればいいわけだし、語れないやつはとりあえず見たとだけ書いとけばさ、それで十分とできちゃうっていうところが日記の良いところだなっていうのは感じる。
カラー日記っていいよねって改めて今思うっていう素朴な感想と、いや、むずいよね。なんかむずいよね。
ちょっと今いくらでも広げられちゃうんだけどどうしようかなって悩んでいるところ。
2本取りにする?そこまでじゃないかな。
でもそのゲームオープン版において優位だよねっていうのが加速した結果考察失敗のある作品みたいな話になってきちゃったわけでしょ?
そうだ、それすごい嫌なんだよ。
だから最近あなたの中で絶賛愛読中の最悠奇という作品がありますけど、
正反対で君と僕の話が始まる。
そういう世界がまだない頃の漫画だからさ、最悠奇。
これね、1997年?
7年後の連載開始かな。まだ完結してないんですけどね。
なんか素晴らしいなって思ったよ。もうそういう感想と関係ないところで。
マジで関係ない。
難しいよね。何にせよインターネットどうしたって言葉返帳になっちゃうじゃん。
でもそうじゃないじゃん。
あれ好きなんだよね。
YouTubeとかで最新のディズニー映画とかの予告編ができるとさ、
1:21:05
スターウォーズとかの予告編の最初に見るときのリアクションみたいな動画がたくさん出てくるじゃん。
お兄さんとかがマジかよ!みたいな大騒ぎしてるやつ。
2秒とかしか映らない情報に対してめっちゃ叫ぶみたいな。
あれ好きなんだよね。何があれ好きかって言葉になってないから良いじゃん。
そういう表現が気楽に表明できると多分また違うんだろうなって思って。
Twitterにもたまに言葉にならない叫びを上げる人とかいるけど、あれだから結構正しいというか有効な手立てだよなって。
喜んでる人がいるぞっていうのを伝えつつも、それを言語ゲームの中に投入しないというか。
ワーッとだけ言うっていう。それは一個大事なことかなっていう。
思いついちゃったから話しておくとさ、やっぱりおしゃべりもね、思いつくのが大事じゃん。
思いつくのが楽しいし、たくさん思いついた方が良いおしゃべりだってことだからさ、思いついたことは言うけど。
僕は音楽は何も言語化できないんだよね。
そもそも音感がないから今のこのコードは何でとかさ、音階が何度でみたいなことを言えないからとかさ、
ここのこの重なりはどの楽器がどうこうみたいなそれっぽい話をできないからっていう。
要素に分解できないからっていう特性もあるんだけど、それ以上にやっぱり音楽こそ浄土レベルで止まるから。
いいよねしか言えない。
だから名古屋で施設当所管もんさんとかさ、あと南森町さんとかさ、とお話ししてる時に、
結構なんか音楽の話になったんだけど、なんかアップルミュージックのライブラリーを見せて、これ良かったんですよ。
これいいんですよ。
藤隆いいっすよ。
みたいな話しかできなくて、声がもう良かったしかないわけですよ。
で、門に来てたなんかね、なんかすごいメキキのおじさんみたいな人が途中来てたんだけど、
なんかその人が山下達郎とかさ、なんかジャズとかをね語る時にすごいなんかそれっぽいコメントをねやり取りしててさ、
なんかそれかっこいいって思いつつも僕にそれはできないなって思って。
僕にとって言語化と一番遠遠いコンテンツは音楽やなっていうのを思った。
なるほどね。
音楽はテクストとして読めないところがちょっとあるなって。
1:24:03
そもそも歌詞聞き取れないし、日本語であろうと。
なるほどね。
舞台における俳優の顔とかも多分同じような。
あなたにとって?
いや、なんかその全般的な話として。
僕にとっての音楽みたいな要素としてある可能性もあるよなって思った。
どういうこと?
テクストではないものとして、テクストの外部としてある。
だから言語化しにくいものとしてある。
そうなの?
みたいな要素があるのかもなって思った。
知らんけどね。
M0は言語化以前の情動だよ。
それはそうでしょうね。
いやそう、だからうっとりって言うのは言語化以前の情動のことだよね。
なんかその中でもうっとりの中でも言語化。
先にうっとりして、なんでそこのシーンがそんなに響いたんだろうって考えると、
こことここが響きあって、このシーンで結実したから、すごい良かったんだなっていうのを
後から分析してみると、
なることもあるよね。
それはいろいろあるんだよね、いろんなうっとりがね。
だからそこでうっとりを分解していくと、なんかいいうっとりと危ないうっとりがこう、
ちょっとは整理がつくような気もするね。
だから、そういうのは本当に、
あんまり言語化していないと、
あんまり言語化していないと、
たまに理解ができないうっとりが、
自分の言語化してきたら、
経験を作る現象なのかなって感じると、
そういう状況であると、
まあそういうものが、
何か、
まあそういう canımのことは、
何か自分の言語化した時に、
自分の言語化した時に、
そういうのが、
あったえな、
えっ、
ああ、
うんうんうんうん、、
たまに理解ができないうっとりが存在して あそそそれをなんかもう今その舞台上のものと自分のバイブスがあっちゃったのなぁっていう
いやだからその演出としてのサーメンのうっとりはさ テクストじゃん
読めるじゃんここでこうなったらそれは人は泣くでしょうよっていうさ 読解可能なうっとりのわけじゃん
だけど俳優の顔っていうのはさたまにさ なんでこの場面でこういう顔するのがよくわかんないけど今の顔で何かめっちゃうっとりし
ちゃったみたいなのがあり得るわけじゃん っていう話をさっきはしたかった
私表情はわかんないけど 声?
やっぱり演劇だからね 僕映画だから顔ちゃうってなるんですけど
やっぱり本田玲音を打ちしたのが声というか欲張りだからさ なんか
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すごい 割と大雑把なエンターメンをやってる中で突然針の穴に糸を通すような
レベル感の欲望で 喋ってくる
のに すごい
当てられちゃうみたいな のが多分最初の印象だから
それは なんかうっとり
だね うまく説明できないうっとりというか
なんかそこに情報量多すぎて分析できない うっとりだった
みたいな 感じ
そういうのってあるよね 多分ちゃんと計算してやってるんだけどね
今のは割と言語ができてるしね
なるほど
そんな感じかしら?
無限に続けられそうで ちょっとヤバいなって思ったから
録音がここまでにしないと良くないなと思いますので そんなところでしょうか
いっぱい喋りましたね 最後まで吐き吐きと
途中顔がクチャクチャだと 顔がクチャクチャの声がしてるよね
うるって難しいよね
というところで プリーティックラジオ お相手は私が記念賞と奥さんでした
どうもありがとうございました