1. 千利休生誕5百年記念作品「茶聖あり」
  2. 第4話 「高弟」荒木村重との..
2022-07-21 07:43

第4話 「高弟」荒木村重との見えない絆【千利休生誕500年 第2部】

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「その日、京都は雷鳴がとどろき、雹(ひょう)が降った」。天正19(1591)年2月28日、天下統一を果たした豊臣秀吉に仕え、茶の湯を究めた千利休が、切腹して果てた。享年70。堺の商家に生まれ、安土桃山時代の武将・織田信長、秀吉の側近として政治的にも絶大な存在感を示したが、秀吉の怒りに触れたという。

政治や武家に通じ、今に至る茶道を大成した千利休は今年が生誕500年になる。多方面の活躍と謎の多い生涯で現代人をも引きつける「茶聖」の魅力に迫る。

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https://www.sankei.com/tag/topic/life_109/

                                                                                       

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政治や武家に通じ、今に至る茶道を体制した千利休は、生誕500年を迎えます。
他方面の活躍と、謎の多い生涯で、現代人をも惹きつける利休。
その魅力に迫るシリーズ、茶聖あり千利休生誕500年を、菅俊介のナレーションでお届けします。
第2部は、戦国時代、茶人と名称、政治がどう結びついたのかを、たどっていきます。
第4話 皇帝・荒木村重との見えない絆
千利休の門邸の一人とされる戦国武将に、現在の大阪府北部や兵庫県東部にあたる節の国を治めた荒木村重がいる。
村重は、天章六年、1578年、石山本願寺との紛争の最中にあった、主君の織田信長に反旗を翻した。
信長は村重の拠点、兵庫県板見市の有岡城を攻撃。
一年近くの攻防を舞台に描かれたのが、米沢ほのぶさんの直木賞受賞作、黒楼城だ。
有岡城は落ち、村重は毛利氏の支援で生き延びたが、西白一族老党が見せしめのため斬殺されたと伝わっている。
村重は後に帝発。本能寺のへんで信長亡きあと、大阪に戻って秀吉に仕えた。
茶の道に入り、千利休のわびさびの枯れた世界を生き、後世、利休の皇帝に数えられるまでの茶人となった。
村重と利休は盛んに茶碗のやり取りをしていたことは、茶碗の箱などに残る記録からも伝わり、近しい関係であったことはうかがえます、と板西文化財担当の中黒飛鳥さんは話す。
ただ、明確に指定関係をうかがわせる資料は確認できていない。
村重にとって茶とはどのようなものだったのか。
当時の武将にとって鉄砲や鉛など軍事物資を調達する面で、功益で栄えた大阪堺州との交流は欠かせないものだった。茶会はその交渉の場で、茶講の舞台でもあった。
荒木家は現在の大阪府池田市に経を構えた池田市の家臣。
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中黒さんは村重自身も若い頃から堺と行き来する中で堺州とつながりができたと推察。
その上で村重は農や狂言にも通じ、つづみを得意としていた。高い教養を身につけていたのではないか、と指摘する。
村重研究で知られる天理大学文学部の天野忠之淳教授によると、村重は天章三年、1575年、武田勝頼に勝利したことなどを祝う明確寺での茶会など、信長主催の重要な茶会には欠かさず参加している。
天野さんは名物茶器を持ち堺商人とも交流を深めた村重は、機内において他の織田家家臣団を寄せ付けないだけの知識を持っていたのでは、と語る。
教養と人脈を武器に堺衆とは濃密な関係にあった村重は早くから茶に親しんだ。有岡城から逃亡したときは兵庫壺と呼ばれる茶壺を背負っていたと伝えられるほどだ。
妻子を捨てた自らの過ちを内面を大事にする利休の茶で立していたのではないか、と推測するのは穿ちすぎだろうか。
一方村重には利休との共通点がある。政治的なネットワークの中心にいたことだ。天野さんは大阪に戻ってきてからも寄せ手人どころかかなり政治的に動き回っている、と話す。
平成26年のNHK大河ドラマ軍師官兵衛の放送の際、黒田官兵衛にまつわる古文書が相次いで見つかった。その中には秀吉が官兵衛にあたらせていた毛利氏との領土確定交渉に関する資料もあり、難しい交渉の橋渡しをしたのがかつて毛利氏に救われた村重だったことが判明した。
妻子を捨てて逃げたため臆病者といった汚名にまみれた村重だが、実像はまったく違う。簡単には腹を切らず、しぶとく、しつこく戦い抜いた精神は、讃えられてこそ非難されるべきものではない。天野さんはそう力説する。
戦国のよう、したたかに生き抜いた村重。利休は茶のネットワークで信長や秀吉といった覇者たちに徴用された。乱世の中、茶で結ばれた利休と村重の見えない絆が感じられる。
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お届けしたのは茶聖有、千利休生誕500年第2部の第4話。皇帝荒木村重との見えない絆でした。第5話は不動の弟子細川三歳、忠実に技を継承をお伝えします。
千利休の弟子で利休七徹と呼ばれた七人の中でも、不動の存在だった細川三歳の人物像に迫ります。なお、産経ニュースでは文章、写真やグラフィックでお楽しみいただけます。産経ニュース千利休で検索してください。ナレーターは菅俊介でした。
産経新聞社がお届けする茶聖有。最後までお聞きいただきありがとうございます。番組をフォローすると最新エピソードが自動でダウンロードされるので、外出の際にはデータ容量を気にせず楽しめます。番組右上のフォローボタンから是非フォローをお願いします。
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