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2022-07-04 26:08

河合美智子、「オーロラ輝子」を回想【話の肖像画】(前編)

NHK連続テレビ小説「ふたりっ子」(平成8~9年)でオーロラ輝子を演じたことで知られる女優の河合美智子さんは、平成28年に脳出血で倒れ、リハビリを経て復帰しました。

インタビューの前半はふたりっ子や紅白歌合戦出場の思い出を、後半は闘病生活などを夫の峯村純一さんとともに語っていただきました。(聞き手・産経新聞社 三宅令)


■河合美智子(かわい・みちこ)
昭和43年、神奈川県出身。58年に映画「ションベン・ライダー」でデビュー。平成8年のNHK連続テレビ小説「ふたりっ子」で演じたオーロラ輝子が人気を呼び、ドラマ内で歌った「夫婦みち」もCD化され大ヒット。翌年のNHK紅白歌合戦に出場した。演技派女優として活躍していたが、28年に脳出血を発症。懸命のリハビリで仕事に復帰し、女優業のほか、講演活動なども行っている。30年に兵庫県豊岡市に移住。たじま観光大使も務める。

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00:00
本日は、女優の河合美智子さんにお話を伺います。
なんでオーロラテルコをやることになったかからいきましょうかね。
私は、朝ドラにはトータルで4本出演経験があるんですが、
一番最初が鈴木京佳さん主演の君の名はというものだったんですけれども、
その時にお世話になったディレクターさんが2人っ子を今度やるんだっていう話になって、
その演出家の方は、すごくみんな仲良しで、同窓会とかもよく開いて、
一緒にご飯を食べたり、カラオケに行ったりって言った中なので、
私が少々歌えるぞということをご存知で、
でですね、2人っ子を始めるという時に、シナリオハンティング、色々取材に行ってる中で、
通天閣の歌姫である加野玲子さんという方に出会い、
こんな面白いキャラクターは、もう絶対ドラマに出したいっていうことでできたキャラクターがオーロラテルコなんですね。
で、だから最初は、テンガジャヤの皆さんの癒しというか、
男の人たちがね、お父さん方がそこに通って、テルちゃんって言ってストレスを発散するような、
だから1週間に1回出ればいいぐらいの、エキストラにずっと毛が生えたような程度のもので、
という話だったんですが、
全然違うじゃないですか。
そうなんです。
それはなぜかというと、2人っ子主役の双子ちゃんのお父さん役のダンタヤスノリさんが、
なんかその撮影長いじゃないですか、朝ドラって。
長いです。
その間に前から決まっている舞台があるって。
そうですね。
どうしても3ヶ月間抜けなきゃいけないから、なんかもう断ったそうなんです。
でもそのディレクターさんは、どうしてもダンタさんに出てもらいたい。
そこで考えたのが、誰かと駆け落ちをするのがいい。
その中で、誰にするって言った中で、ちょうどいいのがテルちゃんだったんですね。
03:08
なので最初の話とは全く変わって、
私がダンタさんと駆け落ちする、みたいな感じで。
だからオーロラテレゴすごい強烈なキャラクターで、ずっと出てるみたいな印象皆さん持ってると思うんですけど。
私もありました。
でも実は駆け落ちしちゃってるので、ほとんど出てないんですよ。
そうなんですか。
そうなんです。でもやっぱり朝ドラでね、駆け落ちするなんて、やっぱり言語通りというか。
朝の時間帯のスキャンダルですね。
そうなんです。あの頃、今だったらもっとダメですけど、当時朝ドラでやったことないことばっかりやってるのが2人子なので。
ヒロインが婚前交渉したり、離婚したり。
しましたね。
はい。いろいろタブーに挑戦してるドラマなんですけど、その中の一端は私がね、になっておりまして。
ほとんど出てない、あれ何回ぐらいなんですか?
まあ、だって150回ぐらいあるじゃないですか。
あります、あります。
その中でそんなには出てないですよ。出てない時は1週間に1回ワンシーン出るぐらいの。
なのに。
はい。たまにね、お父ちゃんは今どっかにいるみたいな。
手ついてるみたいな。
歌ってるとか。
ちょろちょろって入るだけで、そんなにたくさん出てないんですけど、お返しする時だとか、その後テルちゃんががんになってね、死ぬ時に何でか知らないけどまたテンガジャーに戻ってきて、
コウちゃんの腕の中で死ぬっていうのは、ちょっと盛り上がってきてたので、おまけみたいなシーンを作ってもらったのかなと思ってますけど。
だから先ほどの撮影中はそんなに人気があることは知らなかったっていうふうに。
そうですね。
おっしゃってたね。
なんか歌を録音したことも忘れてたというか、最初だからそんな大した役ではないというか、
ディレクターさんは、持ち歌がない歌手ってなんか悲しいだろって言って、津軽海峡冬景色だとか、すごい有名な曲を歌って、自分の持ち歌がないっていう演歌歌手でいいじゃないって言ってたんですけど、
当時のマネージャーが、オリジナル曲を作ってきたらそれを歌わせてくれるっていう交渉をしまして。
すごいですね。
しかもそのマネージャーが原哲也さんに作っていただいて。
すごいじゃないですか。
そうなんですよ。
どういうルート?
どういうルートなんですか?
なもんで、やっぱりすごいいい曲だし、そしてあとそれ1996年から始まったやつなんですけど、物語の時代がちょっと前なので、昭和40年代ぐらいから始まるので、
06:14
だからその当時の今ではなく、ちょい懐かしめの演歌にド演歌って感じに作っていただいてるので、それもなんか皆さん刺さったのかなとか思いますけどね。
目音道ですかね。
目音道ですね。
ドラマ内で歌ったオリジナルの曲、目音道がCD化されたHITとか。
10月から始まるドラマ、5月の末とか6月くらいからクランクインしてるので、その前にレコーディングはしてるんですよ。
半年くらい前にレコーディングしてるものを撮影で歌ってるので、レコーディングしたことも忘れてるというか、いつ発売されるかも知らなくて。
でもその劇中で歌ったりとかすると、視聴者の方から、あれ本当に歌ってるんですかとか、CD出てるんですかみたいな問い合わせがあって、
なんかそんなことをスタッフの方とかに聞いて、え、でもレコーディングしたけど、あれいつ出るんだろうみたいな。
むしろ出るんだなみたいな。
あれいつだろうな、11月23日らしいよみたいな。
思ってらっしゃるんですね日付。
だったと思います。間違ってるかな。でもそんなもんだったと思います。
それで、ただ大阪のコロンビアの人も、え、うちから出るんだみたいになって、だったらキャンペーンやろうよみたいな感じで。
大阪2回ほどキャンペーンされた。
震災橋筋を練り歩きながらCDかけて、発表を来たスタッフの方と歩く。
めちゃめちゃ大掛かりじゃないですか。
大掛かりというか、大掛かりかな、練り歩くんですけど、でもラジカセですし、そこにあるレコーディング屋さんに行って挨拶をして、
ビールケースとかの上に乗って歌って、ありがとうございますって言って、また次の店に行くみたいな感じで。
で、オーララジロコが来てるとかっていう。
そんなにでも、ものすごいことにはならなかったですよ。
11月の時点では。
そうですね。だから大阪の皆さんなので、すごい優しいし、しかもNHKの朝ドラに出てると、友達みたいな、娘みたいな感じで、
皆さん接してくださるので、「おー、てるちゃん元気かー?」みたいな。
09:00
この人知ってるかな?みたいな。
あ、なんか痩せたんちゃうか?大丈夫か?食ってるか?みたいに言われると、あれ知ってる人かな?え、どうしよう?みたいな感じだったりとか、
あと女子高生の子とか、「え、誰誰誰?誰が来てんの?」ってワーって来て、そしたら勢いがすごかったんで、スタッフの方がちょっとダメだよって止めたら、
え、ほらお茶でいいわ!ってスタッフの方と握手をして帰ってきた子もいるし、
大阪ってそういうノリがいいので、なんか楽しいな、みたいな感じだけだったんです。仕事って感じではないし。
でもなんかちょっとした人だかりができたりした感じだったんですね。
でも本当にそんな人だかりではないです。大阪の時は。
ということは、どこで人だかりが?
すごい人だかりになって、これはちょっとただ事ではないなと思ったのは、もう撮影が終わって、全部私はクランクアップした後の2月の9日だったかな、
に銀座の山野楽器さんでCD握手会みたいな、なんかやったんですけど、その時に3000人ぐらいお客さんが。
すごいですね。
クランクアップして、8ヶ月ぐらい皆さんと一緒にやってきたから、大阪で打ち上げとかしたいなと思ったのに、
テルちゃんは雪祭り、札幌の雪祭りのNHKのブースで歌ってくださいって言われて、私そのまますぐ札幌にやられたんですよ。
みんなで飲みたかったのにと思いながら、雪祭りでマフラー巻いて、スノーブーツで目音道を歌った時に、初めて100枚だったかな、50枚だったか、持ってったCDが全部売り切れたんですね。
それで、すごいってなって、マネージャーにお寿司を食べに連れてってもらって、やったね、やったね、明日は山野楽器だから、じゃあ待ち合わせは木村屋さんでアンパンと牛乳を買っていこうねみたいな感じで行って、
支度をして出て行ったら、人がすごいからびっくりみたいな。
出待ちの人たちですか?
お客さんが。
山野楽器の。
山野楽器の店頭にステージがあって、上で支度をして、出番ですって言われたから行って、
観客の皆様。
お客さんがすごいから、え?と思って、誰か他に来てるのかなみたいな。
うちの誰もいないよみたいな。
私を見に来てるんですか?みたいな。
だから、徐々に上がっていったら、私もそういう心持ちでいたんですけど、突然だったんですよ。
12:07
撮影が終わって。
初めて着物を着て、みんなの前で歌ったっていうのは。
それまでは普通に、衣装とかじゃなくて、普段着で歌ってたので、キャンペーンとかも。
で、それからテレビで引っ張るようになったんですか?
そうですね。
いろいろ歌番組に呼んでもらったりとか、全国いろんなところで。
営業ってやつですか?
そうですね。
やりました。
そして、その前夜は、翌年というかその年ですね。
その年のNHK紅白歌合戦に出て。
1997年の大晦日に紅白歌合戦に。
大晦日にオーロラテルコとして。
出ました。オーロラテルコ、かっこかわいい三つ星先生。
当時、一番長い名前で記録だったんですけど。
すごいですね。
すごいですね。
なかなかだって、歌手として活動されてる方も紅白出られない。
そうなんですよ。それはちょっと申し訳なくて。
申し訳なくはないと思いますけど。
そう、ポッと出のね。
いやいやいや。
でも、もともと歌には自信があまり。
自信はそんなにないんですけど、歌は好きで。
一応、歌手デビューもしてるんですよ、私。デビューの時に。
じゃあ、全然ポッと出じゃないじゃないですか。
歌手活動はあんまりちゃんとしてきてないので。
ちゃんとしてきてない。
自分は俳優って思ってたので、役者の方がいいなと思ってたから。
歌歌うのは好きだけど、それが職業って感じは自分としてはなかったので。
本当に私からしたら、もうタナボタというか。
タナボタ。
その紅白の出場で思い出に残ってることってありますか?
えっとですね、紅白は自分は歌手じゃないと思ってるから、ただ楽しい。
お祭りって感じだったので、なんか全然緊張もしてないし、めちゃくちゃ楽しかったんですけれども。
私、オーロラテレコって飾りを頭の上にオーロラ飾りを乗っけてるんですけど、
通天閣って間違われることが多いですけど、オーロラ飾りっていうのをつけてて、円柱状のものが回るものなんですけど。
それ撮影中は、ドラマの時はただ回るだけだったんですけど、
紅白ということで、2人このスタッフの方が回って上がってって開いたら、中にプチ大阪があるみたいな。
15:01
つぼらいのフグがいたり、通天閣があったりみたいな、バージョンアップして飾りをつけることになってたんですね。
で、そのいいタイミングでね、やっぱりパッて開いた方がいいじゃないですか。
それをするためには、どこでスイッチを入れるかなんですけど。
リモコンでやるだとか、いろいろやりましたけど、自分で押すのが一番確実だろうということで。
自分で押してたんですか。
はい、押すことになったんです。
で、そういうのすごく自分として得意だったのに、本番でサプライズで、
ダンタさんが来ることは知ってたんですけど、手塚さとみさんと主役の岩崎ひろみ子さんと菊池舞子ちゃんがサプライズで来たんですよ。
応援に来てくれて。
そしたらスイッチを押そうと思って持ってたのを、嬉しさのあまり、はーって話しちゃったんですね。
で、そのまま忘れて、歌いだしちゃったんですよ。
だから、3日3晩、3日じゃ聞かないぐらい、ずっと徹夜をして作ってくれた飾りが、うんともすんとも言わない状態のまま1番終わってしまって。
私たちすごい気持ちよく歌ってたんだけど、セリフ喋ろうかなって思った時に、自分のシルエットが床に映ってるのを見た時に、回ってなくなって気づいて、はー、どうしようと思って。
そこで必死に探して、スイッチを押したんですけど、はー、もう歌いながら泣きそうだし。
それどころじゃない。
それどころじゃない、本当にそれどころじゃない。
でも最後はブンブン頭を振って、なんとか開いたのは開いたんですけど、でも全然自分たちが思い描いた姿ではなかったので、それはもう落ち込みました。
いやまあでも、サプライズする方が悪いんで大丈夫です。
いやいや、それはもうすごいありがたいんですけど。
まあだから、そうですね、それが失敗しちゃったっていうのが、まあ心残りといえば心残りなんですが、でもなんかあの元旦のね、スポーツ新聞に、オーロラテリコ、オーロラ飾り、謎の故障みたいな、号泣みたいに書かれてて、いや故障じゃないし、私が押し忘れただけだし。
なんかちょっとそれはそれで楽しかったですけど。
でも本当、あれ生だから結構いろんなハプニングがありますよ。
いろんなハプニングがあると思いますよ。
ほんとあります。
はい。
まあでもすごい楽しかったです。
三河健一さんが飛んでるのを横から見れたし。
貴重な体験を。
でも先ほどそのなんか、自分は歌手ではないからただ楽しいっていう話をされてましたけれども、でも、もともとその俳優を志したきっかけって何だったんですか?
18:06
俳優も志してはいない。
志してないんですか?
え、ちょっと待って、さっきの話が違う。
あれ?
そう、そうだ、そうです。
もともとも、自分でやりたかったわけではなくて。
なんか誰かに命令されたんですか?
父親が、私が中学校2年生の時に、新聞にオーディションの告知が載ってて、それを見て、お父さんオーディション見たいからちょっとお前出せ、みたいな。
え、そんな。
そんな理由です。本当にお父さんが、父親がオーディションというものを見たくて応募したんです。
それは自分の娘がオーディションに出てるのを見たから?
違います。オーディションって、だってもう30、40年近く前なので、オーディションという言葉が一般家庭でそんなにわからない、何のこっちゃわからない時代なんですよ。
お父さん若かったし、36、37だったし、オーディション開催みたいなのを見て、オーディションってなんだ?ってなって、ちょっとお父さんこれ見たいからお前出せ、みたいな。
で、妹は応募の年齢に達してなかったので、お前出せって言われて。
はい。
やだよ、そんなん面倒くさいの、って言ってたんですけど、漫画買ってやるから。出せって。
で、当時ね、足立光さんの日当たり旅行全5巻の1巻だけ買ってくれて。
いや、全5巻買ってくれて。
買ってくれよ、と思うんですけど。1巻だけ買ってくれて。
はい。
はい、当時ね、足立光さんの日当たり旅行、全5巻の1巻だけ買ってくれて
全5巻買ってくれよと思うんですけど
1巻だけ買ってくれて、しょうがないなって言ったら、まさか受かっちゃって
いや、すごいじゃないですか
そうですね
倍率どれくらいだったんですか
1万7千人くらい
すごいじゃないですか
長瀬雅人くんもそれで受かってるから、男の人もいるので、もうちょっと確率は少ないですけど
それでも1万7千人の2ぐらいですね
すごいじゃないですか
びっくりですね、でも監督に聞いたら、お前が一番汚かったからだって
ちょっと待った、ちょっと待った
それがデビュー
それがションベンライダーで
主演で
すごいですよね、1983年
すごいっちゃすごいのかもしれないですけど、本人は相対して
1万7千人分の2の勝ち抜き
中学2年生の夏休みの自由研究にすればいいやぐらいに思ってたので
ちょっと待ってください
別にそれで受かったから、私はこれから女優だなって思ってなかったし
撮影は楽しかったんですけど
でも両親が事務所に呼ばれて
ここにサインしてくださいって言ったのが契約書だったので
21:01
そういうとすごい悪徳事務所みたいですけど
とてもいい事務所なんですけど
だから連続契約を結んで
なりまえにせざるを得なくなり
そうですね、ただ中学生だったので
部活みたいな気持ちで
いつでも辞められるだろうと思ってたんですけど
やったら楽しいから
ずるずる続けている
ずるずる言うんですかね
そういう感じですかね
でもその後、それこそ君の名は
いろいろと出てらっしゃって
そうですね、だから撮影しているのは楽しいです
でもすごい私、人見知りが激しいので
そうなんですか
そうなんです、だから初日とか大嫌いなんですよ
顔合わせとか
たくさん人いますもんね
人います
それでやっぱりドラマとか映画ってすぐ終わっちゃうから
どんどんどんどん新しい人に会わなきゃいけないじゃないですか
そして二度と会わない人もいますよね
そうなんです
それはすごい辛くて
もう嫌だなとか
できるだけ仕事をしないようにしようと思ってた
本当にすごい贅沢ですね
本当にとても良い事務所だったので
私の
才能見抜いて
いい感じで導いてくれたので
今があるんですけど
だから朝ドラとかは撮影期間が長いから
朝ドラは好きですね
それで4本も
それで4本も
呼んでもらったのでよかったなと思ってますけど
朝ドラの撮影期間どれくらいなんですか?
半年のクールだと
8ヶ月くらいかかりました
1年のやつは1年と4ヶ月くらいやってました
君の名は1年4ヶ月間撮影してました
だからずっとこれが続くと思って
だから会った時は本当に寂しかったですけどね
そもそもご自身にとって朝ドラってどういうものなんですか?
やっぱりなんだろう
学校に行く前に時計代わりに
絶対かかってるから
普通に見るものだったし
なんかそうですね
生活の一部みたいなものだったので
大人になってからちょっと忙しくなったりとかした時に
見れてない作品とかももちろんありますけど
やっぱりそうですね
すごい長いスパンで
しかも15分で
毎日毎日歴史が紡がれていくわけですよね
だからそれはとてもいいですね好きですね
贅沢だなと思って
24:02
連続ドラマの中でやっぱり朝ドラはすごいよなって
特別だと
特別ですね
やっぱり普通のドラマよりも違うところってどういうところなんですか?
撮影期間が長いというのと
セットが豪華とかいろいろあると思うんですけど
やっぱり本当に細かいところまで描けるじゃないですか
長いから
そうですね
短いとワンクールにしなきゃいけない
13本、最近は10本くらいですけど
しなきゃいけないってなったら
描きたくても端折っていかなきゃいけないけど
本当になんでもないシーンとかを積み重ねていけるのが朝ドラで
それがやっぱり後々効いてくるから
それはいいなって思います
最近のドラマはやっぱり展開も早いので
行間っていうところは本当に無視して
もう事実だけを並べていくみたいな
ドラマが多いなと思うので
ドラマ好きな私からするとちょっと物足りないというか
セリフ以外のところをもっと見たい
それがやっぱり朝ドラはそれができるのかなと思っていて
ということで今回ですね
戦後史開封を新聞が残したものを
声の出演していただいて
ご視聴ありがとうございました
26:08

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