2024-06-24 05:30

女優・河合美智子が語る「おしんブームが残したもの」(2)名子役にお米まで届いた

昭和58年~59年にNHK連続テレビ小説として放送された「おしん」は、明治時代に山形の貧しい家に生まれた一人の少女が苦労にめげずに生きていく姿を描き、爆発的な人気を呼びました。
「おしん横綱」や「おしん宰相」という言葉を生み、「我慢の哲学」は海外にまで輸出されました。日本人がおしんに投影させて見つめようとしたものは何だったのでしょうか。ナレーションは、朝ドラ出演経験があり、脳出血から復帰した俳優・河合美智子さんです。
(令和4年に配信したエピソードの再配信です)

「戦後史開封」は、戦後日本の政治史、外交史、エンタメ・服飾芸能史などの様々な出来事を再取材、現代の観点で再構成するドキュメンタリー番組。埋もれていた逸話、報道されていない事実にも光を当てて戦後日本を振り返ります。

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今からざっと40年ほど前、昭和58年7月の大相撲名古屋場所で、大関高野里が優勝。第59代横綱となった。
この高野里、初土俵から横綱になるまで、実に15年もかかるという遅い出世の横綱だった。
致病の糖尿病や怪我に泣かされ、相撲取りにとっては特に辛い。食事制限までして横綱になった。そんな高野里に対し、当時のマスコミはごしん横綱のニックネームを与えた。
高野里の横綱時代、寿司屋に行った時のこと。あくまで節制のため、値段の安い低カロリーのネタばかり食べ、ビールも一本だけ。しかも氷水で割って飲んでいたら、隣の席の男性からビールを差し入れられた。
高野里さん、横綱なんだから、寿司もガバガバ食って、酒も大いに飲みなさい。あんた苦労したんだろう。大根飯しか食ったことないんだろう。
大根飯とはもちろん、ドラマの中でおしんが食べていただけで、おしん横綱とは関係がない。
どうもドラマとごっちゃにしてたらしいんだ。
後に、鳴門おやかたになった高野里は苦笑いしながら当時を振り返った。
おしんの少女時代を演じた小林彩子さんにも、全く知らない視聴者のお年寄りから、ドラマと現実を混同して、かわいそうだとお米が送られてきたことがあった。
小林さんは放送当時、10歳から11歳。
おしんの産みの親である橋田菅子さんは、まだ子供ですから、自分が主役かどうかなんてわからないわけですよ。
オーディションが5回ありましたが、最後の頃にようやく朝の連続ドラマらしいとわかったくらいです。
受かった後も次のオーディションの時に、おしんをやりましたって言えるんだ、くらいにしか思ってなかったと思いますよ、と振り返る。
橋田さんによれば、おしんがあそこまで火がついたのは、小林彩子さんの功績が大きいという。
小林さんの魅力について、ほっぺたが赤くてぽっちゃりしたあの顔、あれが大きかったですね、と褒めちぎっている。
また、おしんの元チーフディレクターによれば、小林さんは自分のセリフだけではなく台本を全部覚えていたという。
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例えば、泉ピンコさんなんかが詰まったりすると、彼女が横でささやいたりするんです。
大人たちも、これは大変だぞ、と発憤したわけですね。
小林さんは、雪の降る寒い山形ロケでも元気いっぱいだったという。
雪のあぜ道を走るシーンで、追いかけながら撮影していたカメラマンが滑って転ぶと、芝居も忘れて助けに行ったこともあったという。
その元チーフディレクターは、小林さんはとっても可愛い目をしていて、顔を見ているだけで涙が出るという視聴者の方もいたほどです。
同じ年頃の子がみんな学校に行っているのを、お芯が赤ん坊をおんぶしながら窓からじっと見ている、そのシーンの彼女の表情は今も忘れられないですね。
悲しいね、悲しいね、というだけで、彼女はじわっと涙が出てくるんですよ、とも話している。
放送が始まってからの小林彩子さんは、誰も予想できなかったほどの国民的アイドルになってしまった。
お芯の放送が終わった昭和59年、女の舞で映画デビュー、その後もドラマや映画、舞台で活躍し、平成18年にヘレンケラーを知っていますか?で映画初主演を果たした。
小林さんは橋田須賀子さんの不法に、今こうして私がお仕事させていただけているのは橋田先生のおかげです。
先生がお芯を書いてくださったおかげで人生の幅が広がりました。人生の幅を大きく広げていただきました。
先生の作品はいつまでもみんなの心の中で生きています、と語っている。
最終話の次回は、お芯が海外に与えた感動と日本の現状についてお送りします。
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