2022-06-13 07:06

プロ野球ONの時代(1) 南海に行くはずだった長嶋茂雄

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プロ野球の巨人は昭和40年から48年まで9年連続で日本一になりました。プロ野球の人気は、王貞治氏(現・ソフトバンク球団会長)と長嶋茂雄氏(現・巨人終身名誉監督)のON(オーエヌ)に支えられ、子供たちの夢をはぐくんできました。

「王は努力の人」「長嶋は天才」とよく言われますが、2人とも、すさまじい努力をし、天才でもありました。産経新聞に連載された「戦後史開封」を再構成してお届けします。

案内役は俳優の内田健介さんです。

 

■この番組は
政治、経済、事件、スポーツ、文化、そして風俗・・・。
戦後の歴史の中から、印象深い出来事を再取材して、知られざるエピソード、報道されていなかった面に新たな光を当て、戦後を振り返ります。

 

【原作】「戦後史開封」(「戦後史開封」取材班 /産経新聞社・刊)
【番組制作】産経新聞社

 

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00:01
戦後史開封
プロ野球OMの時代
第1話
南海に行くはずだった長島重雄
プロ野球の巨人軍は、昭和40年から48年まで、9年連続で日本一になりました。
プロ野球の人気は、王貞治と長島重雄という2人の大スターに支えられ、子どもたちの夢を育んできました。
ONは、どんなドラマを演じてきたのでしょうか。
平成7年に産経新聞に連載された戦後史開封を再構成してお届けします。
案内役は私、俳優の内田健介です。
昭和32年の秋、東京東長崎にある立教大学野球部の合宿にいたエースの杉浦忠志は、突然、サードの長島重雄から暗い食堂に呼び出された。
長島はこう言った。
巨人に行くことに決めたよ。
あまりの突然のことに、杉浦は返す言葉が見つからなかった。
しばらくして、そうか、お互いに頑張ろうと言ったが、理由は聞けなかった。
杉浦はその時、すでに南海に行くと決めていた。
だが、杉浦を南海に誘ったのは東の長島だったのだ。
杉浦は、長島から南海の監督、鶴岡和人を紹介され、一緒にやろうと言われていた。
長島にどんな心境の変化があったのか。
産経新聞の元記者によると、巨人の旧団社長がどうしても長島が欲しいと、立教のOBに手を回したそうだ。
長島は言う。
巨人に入ったのは結果的に正解でした。
あの頃は日本の野球界が、特に巨人軍は、若い世代の、いわば巨人の星を求めていた時代でした。
守って、走れて、攻撃して、三拍子も四拍子も備わった選手が野球界に必要でした。
僕は、プロに行っても力を発揮するという自信は、大学3年で出来上がっていましたからね。
長島に自信を植え付けたのは、立教大学で2年まで監督だった、須直国信だ。
須直はこんなことを覚えている。
03:01
昭和36年頃、夜に長島から電話がかかってきた。
スランプで、どうしても打てません。
その時、須直は国鉄スワローズの監督だった。
お前、明日はどこと試合なのか知ってるのか?
と聞く須直に、長島はこう答えた。
はい、スワローズです。
須直は長島を自宅に呼び、庭で素振りをさせた。
監督が敵の中心バッターにバッティングを教えるなんて、
球団にバレたら首が飛ぶ。
須直がちょっと軸がブレているとアドバイスすると、
長島はそこを直して、次の日にホームランを打った。
入団前からゴールデンボーイと騒がれた長島は、昭和33年の春、
兵庫県の明石でのキャンプで初めて巨人ラインと対面した。
最初のキャッチボールの相手はピッチャーのババ昌平。
後にプロレスラーになったジャイアントババだった。
キャンプインを楽しみにしていた長島だが、
4、5日過ごすうちにがっかりする。
選手たちは昼ごろに練習を切り上げ、
あとはみんなで麻雀に励むという毎日なのだ。
長島は監督の水原茂の部屋のドアを叩いた。
監督、先越ですけど納得いきません。
こんなことで巨人は優勝できると思いますか?
水原は、
新人のくせに生意気言うな!と叱った。
こうして迎えた1年目のシーズン。
開幕の国鉄戦では400勝投手の金田雅一から4打席4三振をくらったが、
長島の思い切りのいいスイングは、
強烈な印象をファンの脳裏に刻み込んだ。
結局、シーズンが終わってみれば、
長島はホームランと打点でセリーグのトップを記録。
堂々たる新人王になった。
かたやパリーグの新人王に輝いたのは、
長島と一緒に行くはずだった南海で27勝をあげた杉浦だった。
杉浦は、
長島が巨人に行ったからプロ野球が盛り上がった。
と振り返る。
今も長島はミスタープロ野球であり続けている。
次回第2話は、
王貞治の一本足打法が生まれたいきさつをお送りします。
06:43
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