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どうも、アラファオヤジにある雑談ラジオ【パンジオ】、今日もよろしくお願いします。
今日のテーマは、貧乏自慢についてです。
実はですね、この前、オルゴールさんのスタエフの配信で、自分のルーツを知ろうみたいな話をされてたんですね。
で、僕も自分のルーツ、正直あんまり知らないんですよ。
で、とりあえず自分の過去ってどんな風だったかなってことで、過去をちょっと振り返ろうと思って振り返りました。
その時に、いやぁ、昔めっちゃ貧乏だったなぁと思って、その話をちょっとさせていただこうかなって思いました。
今日も聞いてくれると嬉しいので聞いてください。
早速、その貧乏自慢なんですけども、
うちはね、親が、父親方ですね、父親がブラジルで生まれ育った日系のブラジル人です。
で、お母さんは日本生まれて、途中でブラジルに行ってブラジルで育ってます。
ただ日本人です。
で、その中で、僕はブラジルで生まれまして、6歳の頃から日本に移住をしてきて、日本で暮らしてます。
で、そんなわけですから、日本に来た時に、うちのお父さんは日本語をまずあまり喋れない。
そんな状態なので、仕事もね、やっぱ力仕事とかそういったことをやってて、
なおかつね、結構気性が荒くてすぐ手を出す人だったので、仕事をね、コロコロクビにされては変わってっていう生活をしてたのを覚えてます。
なので、まともにね、そんな良い給料がもらえる仕事なんてできずに、いろいろ苦労してたなっていう思い出があるんですよね。
で、当時はいろいろ必要なもの、よく覚えてるのは日用品、日用品っていうか家電ですね。
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家電系とかそういうのを、昔ってゴミ捨て場に結構置いてあったんですよね。
そのまま捨ててあったのを、なんか結構拾ってきてたイメージがあります。
なんか今考えると衝撃ですよね。
たまにね、家の前にこの素材ゴミとか置いておくと取られることはあるんですけど、本当にね、そういうことしてました。
で、実際にね、家で使ってた家電は、そのゴミに捨てられてきたものをね、拾ってきれいに掃除をして使うっていうのもね、やってましたね。
今考えるとね、どんだけだよって思うかもしれないんですけど、本当にね、当時はね、お金がなくて、
必死だったんだろうなーって。
僕もね、小学校、中学校とね、どんどんお金かかる年頃になってたので、そういった意味ではね、親に感謝してますね。
結局、それでね、何不自由なく暮らすことはできてましたし、結構ね、好き勝手部活とかね、やらせてもらったので、本当に親には感謝しかないんですよ。
ただ、なかなかの貧乏生活だったなって、今思うとね、思います。
まあでも、それはね、何くそって言って頑張ってたね、そんなお父さんがね、お母さんもね、新聞配達とかそういったことをやってて、
もちろん、家族3人で旅行に行くってことはほとんどなかったんですよ。
うちはね、お母さんのお姉ちゃんが隣に住んでて、お姉ちゃんの方は結構頭が良くて通訳とかをやってるので、
そこそこの収入が多分あったんだと思うんですけど、僕の家族旅行といえばね、
お母さんのお姉ちゃんと行く旅行、いとこですよね。
だから、いとこと一緒によく遊びに行ってたのを覚えてます。
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逆にね、うちの親とかはね、一緒にどっか行ったって記憶はあんまないんですよ。
まあそれだけ必死でね、働いてね、稼いでくれてたんだなーって今思うとね、本当に感謝しかないんですけど、
まあその分ね、やっぱちょっと寂しかったなーって思う気持ちもあります。
ただ、まあすごいなと思ったのが、そんなね、生活をしながらも、
僕がどうだろう、高校入る前くらいかな、違うな、大学入る前くらいですね、
名古屋市にね、一軒家建ててね、今ではね、不自由なく暮らしてるので、
まあそういった意味で言うと、なんか頑張れば大抵のことはできるんだろうなーって思いました。
僕もね、幸い今はね、転職して、ある程度の給料ももらえて、ある程度のね、自由な時間もあって、
子供と一緒にね、遊んだり旅行行けたりできてるので、そういった意味でね、恵まれてるなーって思いますね。
同じくらいにね、日本に来たブラジルの知り合いもいっぱいいるんですけど、
年齢が近い子とか、ちょっとしたの子とか、いろんなね、そんな日系の方もいるんですけど、
なかなかね、やっぱみんな苦労されてるみたいで、
まあそういった意味でね、恵まれてるこの今の環境にね、感謝しないといけないなーって、
すごくね、思いました。
だからね、もちろんね、そんな裕福ではないですけど、
まあ、ぼちぼちとね、今あるものに感謝して、頑張りたいなと思いました。
今日は完全にね、あのー、どうでもいい貧乏自慢のお話でしたけど、最後まで聞いてくださりありがとうございます。
それでは、日曜日、今日も一日頑張っていきましょう。
じゃあねー、バイバイ。