『坂の途中の家』のあらすじ
おうちがいちばん、2024年8月12日です。
今日は最近見たドラマの話と、思ったことをちょっと残そうかなって思ってます。
最近見たドラマは、小説からみたいなんですけど、
角田光雄さんの小説かな。 坂の途中の家っていうドラマです。
我が腕元々やってたドラマなんやと思うんですけど、そのドラマを見ました。
見た感想は、いやーって感じですね。
私あらすじを話すのがめっちゃ下手なんで、 ちょっとこれはあらすじを
読もうかなって思います。 ちょっと読みますね。
あらすじは、 柴崎幸を演じる専業主婦の梨沙子が、
我が子を虐待しさせた女性の裁判に補充裁判員として参加するところから物語が始まって、
最初は事件とか害者の女性に嫌悪感を抱くも裁判を経ていく過程で、柴崎幸も3歳の娘の母親なんですけど、
自らの人生と被告の人生を重ねていくっていう話って書かれてました。
そんで、このドラマは主に母親視点なんですけど、
母親だけじゃなくて、 父親とか祖父母とかね、
誰もが子育てに関して何かしらの葛藤とか悩みを抱えているってとこも描かれてたんですよね。
ドラマのメッセージ
見てる途中も終わった後も、なんか考えさせられるなって思ったんです。
虐待でせなせてるわけやから、全く共感できひんやんっていうのじゃなくて、
ドラマの端々に子育てしてたら、わかるわかるって思う要素が散りばめられててね。
うまく伝えられないんですけど、身に覚えがあることもあるんですよね。
あと、一見、主人公の柴崎子の家庭は優しい旦那さんで、うまくいってるように描かれてたんですよ。
裁判員裁判のやつに選ばれた時も、無理するなよとか言ってくれてたりしててね。
でもモラハラって言うんですかね。ガツンと言ってこうへんけど嫌味みたいな言うてくるやつ。
結局そんなやつやったんですよね。
あとあれモラハラじゃなくてもう一個、私最近覚えた言葉なんですけど、
ガスライティングって言うんやったかな。そんな言葉があるんですよね。
ガスライティング、これも軽く調べたら、
パワーのある人からない人へ向けられることが多いことで、
女性やからとか、何言ってるかわかんないとか、相手の価値観とか自己肯定感を下げて、
自分自身の信頼を失わせて情緒的にコントロールしていく方法らしいんですよね。
それがガスライティングらしいんですけど、
自分はね、私はね、ここ1年ぐらいで夫婦喧嘩することは減ったんですけど、
子供がねちょっとちっちゃい時はダメとわかっていながら、喧嘩をねよくしてたんですよね。
喧嘩をするってことはやっぱりお互いを傷つけることを言っちゃうわけやから、
私も言われたし、私も旦那さんに言ったと思うんですよ。
で、その言われたことに関しては忘れることはないと思うんですけど、
家族としてうまくいきたいって思ってるのに、その怒りに支配されすぎて、
ダメやなーって色々気づいた時期が私的にあったんですよね。
で、その時期から色んな考え方を変える、私自身努力したんですけど、
で、そのドラマを見てて、旦那さんを見ててね、めっちゃムカついてたんですよ、私。
で、ガスライティングって、私はされてないんですけど、
例えば専業主婦やった奥さんとかが急に働きに出るとかね、
家庭のパワーバランスが乱れたり崩れ出した時に怒りやすいんかなって、
旦那さんによると思うんですけど、そのドラマを見てね、私は思いました。
女性なんでホルモンとのお付き合いの具合もあるんですけど、
旦那さんに対してね、夜遅くまで働いてくれてありがとうって感謝する反面、
遅くまで働けるのは、私がね、子育てをしてるから不安も心配もなくね、働けるんちゃうかなって思ったりするわけなんですよね。
それはね、もちろん家族のために働いてくれてるのは重々承知してますよ。
でも、専業主婦の時もそうやけど、自分がパートして少なからずお給料をもらっている立場になると、
さらにその感覚で上がってくる感覚があるんですよ、私的に。
なんて言うんですか、名も無き火事って言われていることの割合、私の方がしてるよなというふうに思ってきたら、
本当にね、ダークなモードに入っていくというかね、もちろん感謝はしてるんですよ。
でも、このことは難しい問題やなって、ほんまにドラマ見て思いました。
で、もう一個、もう一つこのドラマでキーワードになっているって思ったのは、
ドラマの中でね、お母さんたちを苦しめている一つの要因として、
世間が決める不通、自分が決める不通、
で、実の母親から求められる不通っていうものに縛られていくところが、
子育てがね、苦しくなってしまうみたいなくだりがあったんですよ。
私の思いと変化
それ聞いた時に、私、めっちゃ心当たりあったんですよね。
私は、お父さんが小学校5年生ぐらいで、
ちょうど今の息子ぐらいの時に亡くなっているんですね。
だから、お母さんがね、お父さんがいて、家族としてリアルに暮らしてきた時間は10年ぐらいなんですよね。
そんなこともあって、うちのお母さんの考えが、
夫に寄り添うような考え方っていうよりも、私の方に寄り添ってくれる考え方だったんですよね。
まあ、実の私の母なんで、自分の娘の見方をするのは当たり前の話なんですけど、
でも、私は早くお父さんの存在をなくしたもんだから、
お父さんという存在が、いい意味でというか、いい時期でというか、そこで記憶がストップしてて、
そんで、お母さんもお父さんとの夫婦としての煩わしいような経験が多してないじゃないですか、早くいなくなっちゃったから。
だから、こんなん言ったら怒られちゃうかもやけど、
記憶が、旦那さん、お父さんという点では、私もお母さんも少し乏しいんですよね。
乏しいって言ったら、すごい嫌な言い方になっちゃってるんですけど、
で、お父さんは亡くなってから家族として乗り越え事みたいなのはね、女3人で、私の妹も含めてやってきたから、
だから、女同士の結束力みたいなのは変にあるんかな、変にあるっていうよりは強いんかなって思ってるんですけど、
仲良いがゆえ、夫婦としての愚痴みたいなのを、私が気軽にお母さんにね、
過去に言いすぎてたところがあって、これはね、私があかんかったなって今すごく反省していることなんですけど、
だから、お母さんにね、私、お母さんにね、私に対して同情みたいな発言をされたことがあったんですよ。
そうしたら、当然、旦那さんの株はね、お母さんの中で下がるし、今思ったらいいことないし、親孝行とは真逆なことをしてたなって思うんですよ。
旦那さんにもね、悪いことしたなって反省はそこはすごくしてるんですけど、
でもね、お母さんが同情してくれてたのは、お母さんの時代の夫婦や家族のあり方と、
今の私たちのね、夫婦と家族のあり方が違いすぎて、その差に同情してたんやなって思ったんですよね。
時代も全然変わってるし、その頃の普通と比べると、どうしても家庭を守りつつ仕事をしてね、
悩みもあって、辛労みたいなのがね、尽きないということに対して同情してくれてたんですよね。
今はね、この1年半ぐらいで、その間で私も変わってきてて、いろんな出会いもありつつ、家族としても良くなりつつある最中なんですけど、
で、これは私の体感になるんですけど、何が変わったって聞かれるとうまく言葉にできないんですけど、
今までは世間体の普通と自分が思っていた普通に寄せていくのが、私は正解というか理想やと思ってたんですね、ずっと。
でも、そうはいかないのが現状やったんですよ。
だからそうではなく、家族として幸せに暮らしていきたいっていうゴールをね、目指していることには変わりないから、
そうなるために、普通を模索型でね、探して探して、話して決めていくっていう風に、
ぶち当たってボコボコになりながら、仕事をチェンジしていったんです。
普通というものはあってないようなものというか、それこそ家族のね、あり方が人家族人家族違うみたいに、
自分たちだけの落とし所みたいなのを見つけていきたいなっていうふうに、今は思ってますね。
まあ難しいことではあるかもなんですけど、ぶち当たりながら、ハンドル切り替えしてやっていきたいなっていうふうに、今私は思っています。
ほんまに子育ても、他人同士が一つの家庭を作り上げるっていうことも難しいことだなって思うんですよね。
私には今までの人生で一番難しいのかなって思ってます。
だから、そうやって作り上げるからかけがえないものなんかなと思うんですけど、
なんかしんみりしちゃったんですけど、すいません。
でもこのドラマ見てて、辛かった記憶を覚えてないまでにはいかへんけど、ちゃんとダメなことがあって、自分なりに模索して、
変わりながら家族として成長していく過程をね、忘れたらあかんなと思って残しました。
子育てとか夫婦の問題は悩みがつきんし、正解ないことやけど、お母さんもお父さんも子供もパワーバランス良く健全に楽しく生きることができるのが理想論なんですけど、
そんな家庭の、家族の社会ができたらいいなって私は思うな。
今日はめっちゃ真面目系の話になっちゃったんですけど、もし最後まで聞いてくれてた方がいたらありがとうございます。
ではまたです。