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第8回、「大人の近代史」始めたいと思います。
よろしくお願いします。
よろしく。
今日は長まろの方から話していただくということで、テーマは何でしょう?
テーマは、エルトゥールル号遭難事件です。
なんかね、これ聞いたことある。
すごいね。これね、多分ね、いろいろ特集されてたりするんだよ、実は。
テレビとかでもそうだし、なんかあるたんびに、そういうふうに話題に出る事件ではあるっていう感じ。
これさ、合ってるかわかんないけど、外国性をなんか日本人が助けたって話だっけ?
そうそう、もうほんと一言で言うとそれ。
そうだよね。
うん、もうほんとその通り。
詳しいのはわかんないから、ぜひ教えてほしいです。
まあじゃあ、そろそろそれで話し進めていきたいなと思います。
はーい、お願いします。
まず、エルトゥールル号遭難事件っていうものの概要からなんだけれども、
まず、これいつ起きたかっていうと、1890年9月16日。
9月16日は後々関係するけれども、1890年っていうのは時代で言うと、
大体大日本帝国憲法ができたとかその辺の時代。
ああ、そうか。
イメージとしては明治時代が、明治維新って1867年じゃん。
ん?1868年だっけ?ごめん、68だったかも。
そこら辺ね。
68だったと思う。で、68じゃん。
で、そこから大体10年ぐらいが、要は明治の初期みたいな感じなんだけれども、
ほんとその明治の初期に、初期のほんと最後の最後に起きた事件。
事件っていうかあれだよね。さっき尾形郎言ってくれたみたいに、船が沈んだっていう事件なんだけれども。
で、この船ってエルトゥールル号っていう名前からしてさ、日本の船じゃないわけよ。
外国船でどこの船かっていうとトルコです、トルコ。
そっか、トルコだ。
で、トルコって当時トルコ共和国じゃないわけよ。今トルコ共和国だけど。
当時のトルコはオスマン帝国、オスマントルコ帝国だったわけですね。
あー、なんか歴史の教科書出てきた。
オスマン帝国の説明っていうのはちょっと割愛させてもらいたいけれども、
当時のオスマン帝国っていうのは、かつては世界一の帝国って言われてたぐらい強い帝国だったんだけれども、
もう落ちぶれまくっちゃって、当時は。
欧米諸国っていうのはとにかく強いからさ、そこからどんどん領土も奪われるわ、
すごい不平等な条約は突きつけられるわっていう、結構悲惨な目にあってたわけ、オスマン帝国。
そのオスマン帝国の船が日本に来て、日本から帰る時に台風に遭っちゃったわけよ。
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台風って前回に近代史の話でもちょっと出たけど、
日本ってやっぱり災害多くてさ。
9月16日にそんな事件あったって言ったじゃん。
もうもろ台風シーズンだっけ。
日本の人たちはね、ちょっと今帰るのやめた方がいいよって言ったんだけれども、
その乗ってたトルコの船長とかが、でもこれは災害にビビって帰らないなんていうのが知れ渡ったら、
ただでさえ弱ってる国なのに、威厳に関わるっていうことで、
ちょっと精神論じゃないけど、無理やり帰っちゃったっていう。
無理やり帰ったために台風に出会って、
大体場所で言うと和歌山県の串本町ってところがあるんだけれども、
そこの沖合、沖合って言ってもね、実は行ったことあって、この場所。
どこで船が沈没したかっていうところも分かってるんだけれども、
すっごいもう陸に近いのよ。
要は台風で、普通船って陸からちょっと離れて進むじゃん。
陸にぶつかっちゃうからさ。
でも台風で舵切れなくなって、陸の方に押し寄せられちゃったわけ。
で、岸上に乗り合わせちゃったっていうか、激突だね。激突して真っ二つになって沈没。
そうなんだ。
現場見たけど、多分感覚的に陸から数十メートルぐらい。
泳げるぐらいのレベル、ぶっちゃけ陸までは。
たださ、台風の日に沈没したじゃん。
はいはい。
当時の日本だから、すごい光が多いような場所でもないわけよ。
だから真っ暗で海に投げ出されてさ、もちろん船でそのまま沈んじゃった人も多いだろうけど、
結構な人が死んじゃったわけよ、これ。
そうなんだ。
だいたい600人ぐらいこの船で乗船してたわけよ、トルコの人たちが。
結構いたね。
うち、生存者が69人って言われてて。
えー。
だから、550人ぐらいはだいたい死んじゃってるわけよ。
船長も死んじゃってるんだよ、ちなみに。
そうなんだ。
結構、そういう事件としては悲惨な事件。
で、なんでこれ、じゃあ日本と関係あるのかっていうところに、ちょっと長くなったけど、
そこに持ってくるまでが、手どころなんだけれども、
さっき、ていうか冒頭で尾形郎が言ってくれたことなんだけれども、
和歌山県の串本町って、言ってしまえば田舎なわけよ。
当時の日本だからさ、そこはちなみに漁業が盛んっていうかな、漁師が多いような場所だね、イメージとしては。
とにかく、日本人、当時のそういうとこに住んでる。
で、なんつーの、この事件が起きるじゃん。
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で、69人、なんとか岸まで這い上がってくんのよ。
はいはい。
這い上がってくるけれども、もう大怪我したりとかさ、
なんつーの、そもそもさ、だって外国人がさ、
自分の知らない土地でさ、事故にあってさ、
そういう事件が起きて、
そもそもさ、
で、そんな状況下で、当時串本町にいた日本人っていうのが、
献身的に助けてくれたわけよ。
自分たちは貧しいのに、
そもそも医者なんてさ、当時あんまりいないわけじゃん。
で、そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
そもそも、
当時あんまりいないわけじゃん。
でも医者を、これは政府が用意してくれたんだけど、
医者を用意してくれたりとか、
で、串本町の人たちは食べ物とか、
自分たちが食うのだって結構精一杯なわけなんだけれども、
食べ物とかを、その生き残った人たちに、
献身的に渡してあげてっていうような感じで、
とにかく尽くしてくれたわけよ、生存者に対して。
で、トルコ人っていうのは、そのことをすごく、
本当に今でも覚えてるって言われてるぐらい、
この事件ってトルコでは有名、
日本でもめっちゃ有名だけど。
それがこの事件の全体像っていうところなんだけれども、
ここからちょっと歴史の話になって、
そもそも、なんでトルコ、日本に来たのかって話じゃん。
だって、トルコと日本なんてさ、
正直地理的にもめっちゃ離れてるしさ、
で、トルコが日本に来るってなるとさ、
陸路で来るっていうのは結構もう当時、
不可能、不可能とは言わないけどさ、
大変じゃん、シルクロード通ってさ、
来るとかさ、結構辛いわけじゃん。
いろんな国通ってさ、
船で来るわけじゃん、そうなると。
でも船っつったって当時さ、そんなにさ、
オスマン帝国も、
所詮当時の欧米列強からは遅れてる国だからさ、
やっぱそんなに進んでないわけよ、文明としては。
旧時代の船にちょっと、
蒸気機関が増えたかなぐらいのレベルだと思う。
で、そんなさ苦労してまで日本に来るにはちゃんと訳があって、
これは小片郎のさ、第1回目か2回目かな、
不平等条約の話出たよね。
オスマン帝国もさ、不平等条約を結ばれてたわけよ、
欧米列強、列強閣が。
でさ、日本もなんだよ。
日本もさ、その通りじゃん。
不平等条約を結ばれたわけじゃん。
要はあれ?同じじゃね?っていう。
日本も。
で、そこで、これなんかいい意見もらえるんじゃねえかなって。
お互いで協力して、もちろん不平等条約撤廃しようとか、
両国間で、そもそも日本とトルコ間で条約を結んで仲良くできたらいいねっていう、
本当親近感だよね、簡単に言ってしまうと。
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ああ、じゃあもう好意的で来てるんだ。
おだしょー もともと親近感を持って、正確に言うとこれ先に日本が行ってるの。
ああ、そうなんだ。
おだしょー そうそう、日本が当時の後続の人を派遣して、
まあ外交だね、普通に行ってるわけ。
で、それでそれの返礼っていう形で、エルトゥルル王子っていうのは日本に来たの。
ああ、そうなんだ。
おだしょー っていうのがあって、まあ一応そういう理由でトルコは来てたっていうのがあって、
だからそもそも日本に対しては結構有効的だったわけ、もともと。
へえ、知らなかった。
おだしょー で、この話さ、実は船が沈みました、日本人助けました、トルコ人がありがとうございますっていうだけの話じゃないんだよ。
実はすごい後があって、この後の話の方が正直ね感動するんだけど、
1890年にエルトゥルル王事件が起きて、トルコって当時オスマン帝国で、
トルコ共和国に1927年から、そこらで変わるわけよ、第一次世界大戦終わったと。帝国は滅びちゃうわけ。
で、トルコ共和国になって、そこから普通に日本もずっと歴史進んでいくわけじゃん。
で、もちろん日本とトルコの間ではようやく結んで、国交も受立してたわけよ。
で、トルコ時代は、これこそ近代史っていうか現代史の頃まで来るんだけれども、
1985年。だいぶ最近だね。
1985年にイランイラク戦争っていうのが発生するのよ。
当時っていうか、2003年にイラク戦争やったじゃん、アメリカが。
で、あれやるまでって、ずっと中東とかイランイラクとかあたりっていうのは結構、今もそうなんだけどさ、ずっとゴタゴタしてたわけ。
特にイランとイラクっていうのは船川っていう名で、仲悪くって。
イラク当時指導者がサダムフセイン大統領ね。
サダムフセイン大統領がイランイラク戦争が始まりますって時に、48時間後にイラン上空の全航空機を撃墜するっていう命令を下すの。
命令っていうか、世界に向けて発信するの。だからもう撃ち落とされても文句言うんじゃねえぞみたいな。
これ結構急に言ったから、日本人って当時イラクにいたかちょっとわかんないけど、イランにはそこそこいたわけよ。
200人ぐらい。で、やべえってなるじゃん。もう脱出できない。戦争も起きそうなのに脱出できなくなるみたいな。
。
で、ただ48時間後じゃん。日本から飛行機でイランまで行って帰ってくるってなると、もちろん飛行機の準備もあるし、結構時間、タイムスケジュール的にギリギリっちゃギリギリなわけよ。
で、民間の航空会社っていうのはもちろん脱しぶったわけよ。だって下手すぎると撃墜されちゃうじゃん。
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だからちょっと出せないなって。で、政府もさ、どうしようかなって。ちょっと難しいよなって。
で、あ、政府はそもそも出せない。何でかっていうと、政府が飛行機を持ってるっていうよりは自衛隊が持ってるから。
で、自衛隊って当時海外派遣はできない法律だったわけよ。
これ湾岸戦争で変わるんだけれども、湾岸戦争の前だから、もちろん自衛隊を海外派遣するなんてことはまず絶対NGみたいな状況だったわけよ。
だからイランの日本人助けられないじゃんって感じになったところに助け船をくれたのが実はトルコなんだよ。
あ、そうなんだ。
で、トルコは何をしてくれたかっていうと、トルコとイランって、イランが近いっていうかイラクとトルコっていうのは隣接してて、もちろんイランにもトルコ人っていっぱいいたわけよ。
で、トルコ人が脱出するために飛行機を用意してたわけ。でもその飛行機を日本人のために使ってくれたの。
へー。
用意した飛行機を。で、日本人の200人ぐらいは日本に、一回トルコを経由して日本に帰れましたっていう話で。
で、トルコ人どうなったのって話じゃん。そこにいたトルコ人は陸路で帰ったの。
へー、そうか。帰れるからか。
そう、距離的にも日本よりは近いし、帰れるからっていう。でもさ、やっぱ大変じゃんそんなの。陸路で帰るとか飛行機だったら一瞬で帰れるのに。
そうだよね。
で、そんな感じでさ、トルコがさ、日本のためにさ、こんなことしてくれるわけじゃん。
で、トルコ政府の声明としてはこう言うんだよね。私たちは95年前の日本人の思いを忘れていません。
へー。
これがエルトゥルル号事件のことなんだ。95年前って。
あー、そうなんだ。すごいね。
で、だってさ、オスマン帝国だったわけじゃん。当時って。
人はさ、95年前だからもちろん生きてる人もほぼいないけどさ、人も違うし、国ももう言ってしまえば違うわけじゃん。
で、もうトルコ人っていうさ、そのアイデンティティが日本人に対する恩をずっと持っていてくれて、友好的な感情をずっと持っててくれたってことなんだよね。
あー、そうなんだ。
うん。
すごい。
こんなね、感動的な話があるっていうところで、日本とトルコっていうのはさ、トルコって本当に真日の国っていうんでさ、有名なんだけれども。
あー、聞くよね、今でも。
やっぱりこういうことが背景にはあって、細かく言うともっとあるんだけど。
あー、そうなんだ。
日露戦争とかさ、例えば。日露戦争でオスマン帝国、当時はオスマン帝国だけど、ロシアって超仲悪いのよ。
で、日本が勝って、やったーみたいな。日本さすがーみたいな感じで、やっぱりそういうところでも日本に対する株はどんどん上がってた。
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あー、そうなんだ。
で、未だに日本とトルコっていうのは仲のいい国の一つとして、国交が結ばれてる、そんな状況だっていうことですね。
えー、いやー、結構ためになるというか、なんかいい話だね、これ。
ほんとに日本人のトルコに対する感情っていうのも、なんか自分の感覚だとちょっと薄いなっていう気がするんだよね。
トルコ人の日本に対する感情に比べると。
確かにね。
もうちょっと持ってくれてもいいかなと思うけどね。
で、エルテル号事件、知らない人の方が多分かなり多いと思うよ。
うん、知らない人が多いんだよね、まず。
うん。
それを知らないだけじゃなくて、さっき最後に言ってさ、イランイラク戦争のその下りも知らないのよ、結構。
確かに、それって日本で報道されたのかな?
報道はね、されてるんだよ。で、もちろんさ、有名な話って有名な話だから知ってる人は知ってるんだけど、あんまり語り継がないのよ。
そういう話ってなぜか知らないけど。
うんうん。
もったいないよね。
確かにね、いい話なんでね。
こういう話こそね、どんどん語り継いでいってほしいかなと思います。
OK、ありがとう。なんかいい話だわ。
ちなみに、エルテル号事件、海南1890っていう映画化されてます。
あ、そうなんだ、日本で?
うん、日本とトルコの合作なんだけど、正確に言うと。
あ、そうなんだ。
5年前だっけな、5年前、6年前くらいかな、確かに出てて。
全部見たわけじゃなくて、ちらってばーって流し見にしたんだけど、だいたい事件の概要はすごいわかるって感じになるから。
よかったら見てください。海南1890です。
長丸がさ、エルテル号事件が沈んだところに行ったっていうのは何?目的で行ったの?それ。
正確に言うと全然、和歌山に旅行、和歌山じゃんここって。和歌山に旅行行って、その時に、もちろん事件知ってたからさ。
だから、じゃあちょっと近くに来たから行ってみようって言っただけ。
へー、さすが。
結構ね、行きづらい場所にあんのよ。遠いっていうかさ。
キー半島のさ、ほんとに一番端みたいな感じだからさ。
多分、狙っていかないとなかなか行けない場所。
あ、そうなんだ。結構知ってる人じゃないと行かないね、それね。
そうだね。どこだろうな。熊谷高等とかさ、あっちの方行った人は多分ね、もしかしたら行くかもしれない。ほんとそっちの方なんだよ。
へー。
だから、行かないじゃん、そこ。なかなか。
ありがとう。
いいえ。
いい話だった。だいぶ。
じゃあ、これで第8回大人の近代史終了です。ありがとうございました。
ありがとうございました。