00:04
スピーカー 1
病気を見ずして、病人を見よ。
始まりました。「大人の近代史」よろしくお願いします。
スピーカー 2
よろしくお願いします。
なんか、医者の言葉か、なんかかね。
あ、そうそう。これ、海軍軍医の高木金博さんっていう人です。
スピーカー 1
今日のテーマにもちょっと関係してるんですが、
その、まあ、現場を見ろっていうようなメッセージなのかな、これは多分。
スピーカー 2
病人を見ろだからね。まあ、そうなのかもしんないね。
スピーカー 1
そう、この病気だから、もうこういう対処でしょとか、
そういう決めつけじゃなくて、ちゃんと病人を見ようよっていうようなのが多分込められてると思うんでね。
そうそう。まあ、今日のテーマに深く関係してるんで、
スピーカー 2
これリクエスト回なんで、リクエスト先に読みます。
スピーカー 1
UGさんからいただきました。
毎回牛に餌やりしながら聞いて楽しませてもらっています。
自分は鹿児島の人間なんですが、幕末の話が好きなのでよく繰り返し聞いています。
薩摩を取り上げてほしいです。小松縦脇、おすすめします。
あと日露戦争も興味深くリピートしてますが、
医学的観点からカッケと日露戦争との関連した話は、
お二人の感想を聞いてみたいですっていただきました。
スピーカー 2
ありがとうございます。いろいろとリクエストいただいてますね。
スピーカー 1
そうですね。このリクエストの中から、
今日はですね、医学的観点から牛の餌やりをやりたいと思います。
スピーカー 2
なるほど。牛の餌やりって言うと、なんだろうね。
わらなのかな?ちょっとごめん。わかんない。牛ってわら?
スピーカー 1
やんないよ。
スピーカー 2
え、やんないの?
スピーカー 1
でもね、薩摩はね、鹿児島は牛のね、生産がすごい盛んらしいからね。
ああ、そうなんだ。
まあいいんだけど、後半にあった今日はカッケと日露戦争との関連っていう話だったんですけども、
カッケっていう全体を通してちょっと今日はやりたいと思ってます。
このカッケっていうのは、明治から昭和の初めぐらいにかけて、
血核とともにね、最も恐れられてた病気の一つなんだよね。
そう、国民病とも言われてたんだけど、症状としてはさ、全身の倦怠感とか食欲不振が起こったり、
手足のしびれ、足のむくみなんかも起こるんだよね。
で、悪化すると、まあ心不全で最悪亡くなる場合もあるっていう症状を起こすんだよね。
で、これ多い時でね、日本で1年間にね、2万人以上の死者を出してる時もあるし、広まってたんだよね、日本で。
で、この原因っていうのは、最初にちょっともう言っちゃうんだけど、ビタミンB1の欠乏なんだよね。
そうそう、このビタミンB1の不足がこのカッケを発生させていて、当時そのビタミンって存在がなかったから、すごく対応に苦慮するんだよね。
03:11
スピーカー 1
ということで、ちょっとね、まずはカッケの歴史をちょっと足早に追いかけていきましょう。
古代中国ではね、カッケの症状が確認されていたんだけども、日本ではね、奈良時代の少し前に記録があるんだよね。
上層階級中心に起こって、当時もその原因不明の症状だった。
江戸時代に入るとさ、江戸患いっていうような呼ばれ方もしてるんだけど、これね、なんでこんな呼べ方するかっていうと、
地方から働きに来たりとか、学問を学びに来る若者がこの症状を起こすことが多かったんだよね。
で、ふるさとにこう帰ると、なぜか治る。だから江戸特有の病気じゃないかっていうことで、江戸患いっていうふうに言われてたんだよね。
で、これがね、幕末になると徐々に庶民にも広がっていって、明治始まって、さらにその爆発的にカッケが一般庶民にも流行していったんだよね。
で、このカッケの原因っていうのが未だわからずにいて、多くのそれまでに研究も行われてきたんだけど、解明ができてなかったんだよね。
で、このさ、理由としてはさ、いくつかあるんだけどさ、例えば幕末から模範としてた卵学とかさ、その西洋医学っていうのはカッケに関する先行研究がなかったんだよね。
これはその西洋にもともとカッケっていうのがほぼないからっていうのがあるんだよね。
で、2つ目はさ、栄養素の中にビタミンの存在が知られてなかった時代なんだよね。
明治の始めにはさ、タンパク質、脂肪、炭水化物、塩類があれば栄養としては十分なんじゃないかっていうことになっていて、ビタミンの存在っていうのはなかったんだよね。
で、3つ目はさ、夏にこれ流行して冬には発生数が少なくなるっていう、なんか変わった症状だったんだよね。
これはさ、後にわかることだけど、冬に汗をかくのが少ないからさ、ビタミンが体から流出しにくいっていうのがその要因なんだけども、
だけど当時の人はなんでこんな季節によって変わるんだろうっていうのが全くわからなかった。
で、あとさ、元気な男性の若者に多かったんだよね。
で、逆に体力のないお年寄りとか女性とか、そういった人たちは比較的少なかったんだよね。カッケになるのが。
こんなことからさ、例えば若い男性が多いっていうのは、セックスのしすぎで精力不足から起きるっていった説も実際にあったんだよね。
いろんな説これ言われてるんだけど、他にもさ、地中に毒が作られて、それが足に当たって起こるとかね。
06:06
スピーカー 1
カッケってさ、この足のむくみとかしびれとか、そこから始まったりするから、なんか地面から来てるんじゃないかっていうことも言われてたんだよね。
そう、江戸時代後期には過剰飲食とか伝染病とかも言われてたりして、
で、中にはね、漢方医の東田長安っていう人がいて、この人がね、米が原因じゃないかっていうのを説を唱えた人なんだよね。
そうそう、でもこの人漢方医の人で、それからさ、日本って西洋医学に移行していくから、なかなかこの漢方医の意見っていうのが強化されなくなっていった時代でもあったんだよね。
で、このカッケがさ、徐々に増えてきた理由、幕末から明治にかけて増えてきた理由っていうのは、もうこれはね、米を食べる風習の変化なんだよね。
日本人のさ、主食は昔からその米だったんだけども、明治より前はさ、精米技術も発達してなくて、雑穀米っていうさ、白米にさ、冷えとか泡なんかを混ぜて食べてたりとか、
あとはその玄米、稲の実からもみ殻を取ったような茶色い状態の米、そこにはさ、ぬかとか肺があってさ、そこにビタミンB1っていうのは多く含まれてるんでね。
そうそう、それがさ、精米技術の発達によって取り除かれちゃったってことによってビタミンB1の不足が起こっているんだよね。
で、現在もさ、今は白米だけじゃん。精米された綺麗な白米食べてるよね。
これってさ、やっぱり炭水化物とかさ、あと少しのタンパク質と脂質くらいしかないんだよね。
でも現在カッケになる人はいないわけじゃん。
これはね、おかずで補ってるんだよね。ビタミンB1も含めて他の栄養素。
長室って白米派?
スピーカー 2
白米派っていう質問の意味がわかんないけど、白米しか食わないね。
スピーカー 1
まあそうだよね。俺一時期ね、その雑穀米とまでいかないけど、なんかこう混ぜて食べてた時もあった。
スピーカー 2
いや別に、なんだろう、めんどくさいっていうのが多分一番にあって、健康とかあんまりそこは気使ってないな俺。
スピーカー 1
確かにめんどくさいんだよね。俺もめんどくさくてやめちゃったんだよね。
スピーカー 2
だって白米美味しいしね。
スピーカー 1
そう、美味しいんだよね。それがね、当時の人も言われてた。あと消化にいいというか、玄米とか消化に悪いからね。
そうそうそう。俺ちょっとこれ思ったのがさ、長室がこの前やったさ、宮沢賢治のさ、玄米4合と味噌と少しの野菜を食べっていうのがあったじゃん。
なんか玄米4合はいいとして、味噌と少しの野菜だけだとカッケになっちゃうかもよっていうのをちょっと今日は伝えたくて。
09:00
スピーカー 2
なんだよそれ。
スピーカー 1
そうそうそうそう。で、ちょっとこっからね、軍隊のお話をしたいなと思ってます。
リクエストにもちょっと日露戦争絡みの関連の話もあったので、1872年に、これ明治5年に陸軍と海軍っていうのはそれぞれ分離して独立するんだよね。
で、陸海軍の兵士になると、当時ね白米を1日6合食べれるっていう条件があって、それがさ、やっぱ当時日本ってそんなに豊かでもなかったし、白米6合なんて食べれるっていうのは珍しいことだったんだよね。
ただその時おかずがさ、味噌汁とか漬物とかさ、すごい粗末なものだったんだよね。
で、さらにさ、日本ってインフレになっていくからさ、物価が上昇して、おかずっていうのはそのまま粗末のままでさ、あの贅沢にならなかったんだよね。
で、軍隊では白米中心の食事をしてるから活気がこう流行しちゃったんだよね。
で、海軍を見てみたいんだけど、海軍ではね、あの有名な人だとさっき冒頭で言った海軍軍医の高木金博っていうのがいるんだけども、
この人ね、イギリス留学で医学を学んで、このイギリスの医学って特色はさ、当時さ、抗議中心だけじゃなくてさ、
人体の解剖実習とか手術の立ち合いとか研究所で実験だけをするっていうんじゃなくて、現場で実際に学ぶっていうような方針だったんだよね。
そうそう、だからこの人さ、冒頭でも言った病気を見ずして病人を見ようっていうような考えがここから現れてくるのかなっていうふうに思ったんだけど、
で、この人イギリスから帰国して、日本で活気がこう流行しているから、この活気をこう改善していこうと取り組むんだよね。
そこでね、あるヒントがあって、海軍の援養公会に行った時に、例えばさ、アメリカのサンフランシスコに行って、海軍がそこで停泊している時に活気患者が少なくなるっていう現象が起こるんだよね。
これはね、オーストラリアのシドニーに行った時もそうで、同じような現象が起こって、で、ただ日本に帰国する際にまた海軍の中で活気患者が急増するんだよね。
で、これをヒントに何が違うんだろうって考えた時に、海外にこの停泊中は現地の食料調達をしていて、現地のその食事を取ることが多かったんだよね。
だからあれ、これ食事が原因じゃないかっていうふうに思って、食事に注目をするんだよね。
でね、その当時海軍って食費をお金でこうもらって、兵員たちが各自が食料を買い入れるっていうようなやり方をしてた。
だからなんかもう一番下っ端な菓子ソースとかさ、なんかは食費をこう節約して、できるだけさ、それで余ったお金で貯金をしたいっていうふうに思うんだよね。
12:07
スピーカー 1
だから食事っていうのが粗末なものになっていて、大量の白米に塩辛い漬物だけとか、そんなんで食事を済ませてる人が多かったんだよね。
これでたかきが原因を探っていった時に、おそらくこうじゃないかっていう推論を立てたんだけども、
それがね、食べ物のタンパク質と炭水化物のバランスが悪いから起こってるんじゃないかって覚悟が。
この理想の比率はタンパク質1に対して炭水化物4なんじゃないかっていうふうに推論を立てたんだよね。
それを外れるとかっけになるんじゃないかっていうのを思って。
というのはさ、現状、従来のこの食事ではタンパク質1に対して炭水化物が7っていうかなり過剰だったんだよね。
そこでタンパク質の多い養殖に注目をして、養殖を導入するんだよね。
そしたらね、海軍では半分にかっけ患者が減少した。
たださ、いきなり日本食から養殖になってさ、パンと肉みたいな感じになったわけよ。
そうするとさ、やっぱりご飯っていうのは恋しいからさ、実際に現場から不満が出たりとかしていった中で、
じゃあ白米じゃなくて麦飯にしてみようっていうふうなことを採用するんだよね。
で、この麦飯を採用すると実際ね、かっけ患者っていうのがほぼなくなっていったんだよね。
で、こんな中カレーが採用されたのもこの頃なんだよね。
最初その麦飯にカレーとかにして栄養を取ったりとか、その養殖とのコラボというかね、をしたんだよね。
結局さ、高木金博がやった海軍のその対応っていうのは、米を減らして麦をこう食べさせて、
タンパク質を増やして炭水化物を減らしたんだよね。
で、そのさ、食品の中にたまたまビタミンB1が多く含まれてたっていうその偶然もあったんだよね。
そう、結果的に言えば。
で、次はちょっと陸軍を見てみたいんだけど、陸軍はね、海軍と違ってドイツ医学を主軸にしたんだよね。
なぜなら、ドイツって世界の医学の中でもその当時最先端を言ってて、研究施設も整ってたし、
特徴としては実験によって原因をこう追求していくっていうようなスタイルで、細菌学の分野は特に進んでたんだよね。
で、西洋のその医学者たちっていうのは、核系の原因は感染症なんじゃないかっていうのが一番主流だった。
これに影響を受けた多くの日本の医学者たちもそう考えて、
陸軍の軍医の本部長をしてた石黒忠則っていう人も感染症だっていうふうに思った人なんだよね。
15:05
スピーカー 1
で、陸軍のその考えを後押ししたのが、ドイツ留学から帰ってきた陸軍軍医の森凛太郎ってね、これあの森鴎外なんだけど、
そうそう、長丸が大好きな。
俺が大好きなの?
この前ね、舞姫やったからね。
スピーカー 2
まあ別に好きか嫌いかで言ったらどっちでもない人だろうな。
スピーカー 1
で、この人がドイツの留学から帰ってきて、海軍のね、麦飯支給とか養殖の方が優れてるっていうようなことに対して反論したんだよね。
当時そのドイツで学んだ最新の栄養学からは、その日本食の栄養素を数値化して、養殖に決して劣ってないよっていうようなことを言って反論したんだよね。
だから陸軍っていうのは海軍と違って感染病だっていう考えが主流だったってこと。
で、その対策として一つ目は清潔にするっていうことをしたんだよね。
室外のゴミとか下水をきれいにしたりとか、泥の靴のまま室内に入らないとか、部屋の空気の換気を盛んに行ったりとかそういうことをしたんだよね。
あとは体力の消耗を避けるために訓練は暑い日を避けて涼しい時にするとかっていう対応もして。
最後に感染症だとしたら、食べ物も栄養あるものがいいに越したことはないから、これは海軍と一緒で食事の改良をするべきだっていうのを提案を陸軍の軍医の一部でしたんだよね。
ただ陸軍の中枢部はこれを却下するんだよね。
これ食事が改善できなかった理由っていろいろあるんだけども、
例えば海軍とはさ、やっぱり陸軍って規模が大きいんだよね。人の数がね。
10倍ぐらい当時いたって言われてて、
それとね、材料とか調理器具なんかを調達するのが現地で難しいっていうのがあって、
海軍はさ、船の中で調理器具とか厨房も揃ってたりするし、
停泊する港でさ、例えば海外だったら養殖の材料が集められたりもするわけで、
でも陸軍ってさ、どっかの中途にした場所でさ、そういった確保っていうのは必ずしも毎回できるわけではなかったんだよね。
で、改善しなかった理由の一番大きいのはさ、根拠のない対応したくないっていうのがあったんだと思うんだよね。
やっぱりその研究によって解明されたもの、なんでこれ麦飯が効果があるのかっていうのが当時も分かってなかったし、
なんで養殖がいいのかっていうのも、その根拠がないものに対して行動しなかったんだよね。
18:00
スピーカー 1
そういった陸軍の食事を結局改良しなかったために、海軍の6から8倍ぐらい活気になる人が多くなっちゃったんだよね。
そこで何か有効な対策を打たなきゃっていうような考えになっていって、
そんな中ね、1888年に日本の監獄の囚人たちに対して、白米から白米と麦の混合食に変えたっていうことがあったんだよね。
これによって囚人たちの活気になる率が減ったんだよね。
翌年にはほぼいなくなったっていう事象があって、それをたまたま聞いた大阪の陸軍軍医が麦飯を大阪の一部の軍隊で採用したんだよね。
これによって活気が激減していって、これは効果があるってことで陸軍全体でも麦飯を採用して活気が減少したっていうことがあった。
これでしばらく経って1894年に日清戦争が起こるんだよね。
日清戦争で日本から外地に遠征した人たちっていうのは、ちょっと数字は書説、本によって変わるんだけど、17万4千人ぐらいいたんじゃないかって言われてて、
日清戦争の戦死傷者は1400人ぐらいって言われてて、
これに対して病気で亡くなった人たちっていうのは11000人とか2000人ぐらいなんじゃないかって言われてる。
これ圧倒的に戦って亡くなった人もしくは負傷した人よりも病死した人のが多いんだよね。
これが日清戦争のすごい特徴でもあるんだけど、この病死した原因の一番はこれらなんだよね。
その次に来るのが滑稽で、滑稽で亡くなる人っていうのはこれらの次だったかもしれないんだけど、
その中に亡くなってないけど入院したりとか滑稽の症状を表した人たちっていうのは3万人以上いたって言われてる。
入院患者の4分の1がもう滑稽だったんだよね。
それぐらい特に陸軍の中で猛威を振るったんだよね、滑稽が。
しかも地域が台湾での患者数が最も多いんだよね。
日清戦争で勝利して日清講和条約で台湾とか方向諸島とかリアウトン半島っていうのは日本に割譲されたんだけども、
そこで台湾を日本が統治するっていう中でその平定に5ヶ月ぐらい結構長期に現地の抵抗もあって苦戦したんだよね、日本は。
これは台湾統治の歴史で話してるんで、詳しくはそっちを聞いていただきたいんだけども。
21:00
スピーカー 1
そこでまた登場するんだけど、森林太郎が台湾の総督部の軍医部長に就任してるんだよね。
そこで長官の石黒の意向もあったんだけど、1日白米6合と粗末なおかずが廃棄をされたんだよね。
おかずも梅干しとか干し魚とか大根漬けとかそんなもので、もう大半がその白米だけで食べるっていうような状況だった。
これによってかっけ患者が急増していって台湾が患者数が多くなった要因なんだよね。
その後さ、急遽森は軍医部長から外されて石井勘っていう人が就任するんだよね。
この人はね、麦飯を黙認して供給をするってことをしたの。
その後石坂と変わった時頼典っていう人も、長官から白米支給の命令があるにもかかわらず無視をして麦飯を供給をしたんだよね。
これはさ、やっぱり過去の実績があったから麦飯って有効だろうっていうのがあって、そういうことをしたんだけども。
これによってさ、かっけ患者が徐々に減っていって最終的にはほぼなくなっていったんだよね。
ここでさ、日清戦争で見ると陸軍って戦争前は白米だけじゃなくて麦飯支給を認めて実際効果があったのに、戦争になるとなぜか白米だけの支給になったんだよね最初。
これなんでだろうって言うとやっぱりその長官だったりとか陸軍の中枢の人たちがその学問上麦飯の効果が立証されてないっていうのがあって、その麦飯支給を積極的に採用しなかったんだよね。
あとさ、麦飯って消化が悪かったり腐敗しやすいっていうのもあってその扱いにくかったんだよね。
しかもさ、この陸軍ってこんなに閣議が広まっちゃったことを隠蔽しようとしたんだよね。
実際にあの超シフスとかマラリアセキリとかの病名とかは公表されてるんだけど、閣議っていうのは公式記録から外されたんだよね。
この時日清戦争って海軍はね閣議患者ね30人ほどって言われててほとんど出なかったんだよね。
これはね、白米を制限しておかずの食食費を2割増しにしたりとか、そういった対策をして閣議患者を減少させたんだよね。
で、そんな中、その後1904年に日露戦争が始まるんだよね。
日露戦争ではさ、外地に遠征した人って約94万5000人とか100万人近い人数なんだけども、その半分以上がさ陸軍の歩兵部隊なんだよね。
だから人為的に見ると陸軍がすごく多い戦いなんだよね。
24:05
スピーカー 1
で、戦闘による死者数っていうのはさ、これもちょっと数字って本によって全然ちょっと違ったりするんですけど、戦闘による死者数は約59000人って言われてて、そのうち陸軍の歩兵っていうのは約55000人っていうほぼ歩兵がなくなってるっていう状態なんだよね。
で、7割以上が戦死をした、戦って死んだって言われてて、この比率はさ、日清戦争で病死の比率が圧倒的に高かったけども、まぁちょっと比率は変わってるんでね。
これはさ、それだけ激しい戦闘があったっていうのもあるし、その反面さ、医療の進歩が見られて、マラリアとかコレラっていうのはほぼなくなったし、ただ各家は相変わらず猛威を振るって、戦地で入院した人の数で25万人なんだけども、その半数近くが各家患者なんだよね。
各家による死者数も約27000人って言われてて、日清戦争に比べてもかなり多い数字なんだよね。で、こうして各家は日清戦争の時よりも悪化してったんだよね。理由はさ、陸軍の白米の支給とそれに伴うおかずの貧しさだったんだよね。
現場の各隊の軍医からはさ、麦飯の支給の要望もあったんだけど、これもさ、却下していて、やっぱり医学上の根拠がないとかさ、物資の種類が増えれば運送手段とか保管条件が複雑になるっていうようなことだったりとかして、結果的には却下するんだよね。
しかもおかずってさ、乾燥野菜とかさ、かつお節とか漬物とか、しかもこれらってさ、いっぺんに出るわけじゃなくて、一個ずつ単品でしか出ないの。それと白米だけのすごい過酷な食生活なんだよね。
で、こんな中でさ、陸軍ってやっぱり滑稽の患者数がどんどん増えていって収まらなかったから、これがやっぱり問題になっていって、ついに1905年の法廷改正の終わる頃ぐらいになって、やっと当時の寺内陸軍大臣が米に麦を混ぜる食事を奨励したんだよね。
これによって滑稽患者っていうのは減少していって、ただね、完全になくなることはなかったんだよね。これはね、米と麦の混合だけでも結局おかずが粗末なものだったから、麦をちょっと入れただけでもビタミンBは足りなかったんだよね。
戦争でさ、特に兵士とか激しく体力を使うから、退社も激しいし、消費されちゃうんだよね。だからそれに間に合うような十分なおかずがなくて、滑稽にはその後も苦しむっていうことになるんだよね。
27:04
スピーカー 1
海軍はね、やっぱり日清戦争同様ね、滑稽がほとんど出てない状況なんだよね。その後さ、海軍って高木金博が海軍軍医から退任した後、しばらくして滑稽患者また少しずつ増えていったんだよね。
これはね、おかずの変化があって、缶詰食とか乾燥野菜なんかが導入されるようになっていくと、そのビタミン摂取が十分にできない時が出てきたんだよね。でも、タンパク質を多く摂ればいいんじゃないっていうふうに思ってるから、実際はビタミンを摂らなきゃいけないっていう、そこが結局その時代わかってなかったから、
滑稽を確実になくすってことはできてなかった。で、これ結果的にどうなったかっていうと、1910年頃に東京帝国大学の農家大学教授の鈴木梅太郎っていう人が、米のぬかから滑稽に効く物質を抽出したんだよね。
これをね、アベリ酸とか、後にオリザニンっていう風に名前を改めるんだけども、鈴木梅太郎がね、これを論文として発表するんだけど、日本語だったから国際的に認知されなかったんだよね。このすぐ後にポーランドの科学者のカシミールフンクっていう人が滑稽に有効な物質を発見してるんだよね。
これをね、ユーミンって名付けて、あ、ごめん、ビタミンだった。え?どういうこと?全然あんまり近くないじゃん。ビタミンって名付けるのよ。これが世界中に広まって優しさに包まれたんだよね。なるほど。
その後ね、研究が進められて、滑稽の原因がね、冒頭でも言ったけどビタミンB1の欠乏っていうことに判明していくんだよね。それ以後、滑稽患者がほとんど今、今日いなくなったっていうことなんだよね。
うん。でもこれ思うけどさ、第二次世界大戦になってさ、ビタミンB1の欠乏っていうのが滑稽になるっていうのは分かったけど、結局さ、食料不足でそもそも滑車が大量に出るっていうね。うん。なんか思うとこあるけど。うん。
で、これ現代でもさ、滑稽って完全になくなったわけじゃなくて、例えば自衛隊とかさ、災害派遣で長期に渡って遠征するとさ、ビタミン欠乏症が現れてたりとか、あとまあ普通に一般の人でもさ、食事の偏りによって滑稽のような症状が起こるってことはあるんだよね。うん。
で、まあちょっと今回のテーマで思ったのが、当時その明治とか、その原因がわかるまで国民病っていうふうに恐れられた滑稽なんだけども、その中でさ、原因がわからずに多くの人が犠牲になってるなと思って。うん。で、今はさ、医学の進歩によって亡くなる人ってほぼほぼいなくなったわけじゃん。うん。
で、それはさ、他にもまあ血格だったり、コレラとかマラリアなんかもそうだけど、こういったその、今自分たちっていうのは過去の歴史に活かされてるなって思いました。なるほど。いかがでしたでしょうか。
30:11
スピーカー 2
うーん、そうだね。まあ俺自体結構白米いっぱい食べる人だからさ、で、おかずは貧相なものしか食わなくて。うん。別に俺滑稽の原因とかも知ってるからさ、なんか俺いつか滑稽になるんじゃねえかなっていうような食生活は結構してるね。
あーね、体がだるいとかだけだったらね、滑稽って疑わない人も多いもんね。うーん、まあでもそんなの結構当たり前になりすぎちゃっててさ、それが病気なのかどうかっていうのはもう自分じゃわかんないからさ、まあ多分大丈夫だと思ってるけど、とはいえ野菜ジュースぐらいは飲むようにしてるから。
あー、確かにね。そうそう。まあだからビタミンっていう存在を知ったことによってビタミンを取らなくちゃいけないっていうか取った方がいいっていう考えはあるからさ、食費はすごい節約するけどやっぱりなんだろうな、これは一応飲んどこうとかさ、これは一応食べておこうっていう気持ちはあるからね。まあそれが最後尾形太郎が言ったみたいなさ、その人間の英知の部分だと思うから。
スピーカー 1
そう、これ聞いてさ、ちょっとビタミンB1だけ取ればいいんだっていう風にちょっと思ったらあれなんで、一応バランスの取れた食事が必要らしくて、ビタミンB2だったりさ、ビタミンCもそうだしカリウムとかカルシウムとか、まあそれぞれいろんな栄養素がないと人間ってこうあんまり良くないらしいから。
そうそう、一応補足で。これ聞いてちょっとビタミンB1だけ食べたら体調悪くなりましたって言われたらあれなんで。
スピーカー 2
そんな人いないでしょ。やっぱさ、こういう番組を聞ける人っていうのはさ、ある程度俺はゆとりがある人だと思ってるからね。
スピーカー 1
確かに。
スピーカー 2
やっぱね、ゆとりがないとね、こういうなんだろうな、趣味っていうかさ、の時間を作るっていうのもなんかね、難しくなっちゃうからね。
スピーカー 1
ああ、そうだね。
スピーカー 2
うん、大丈夫だよ。きっと、なんか持病はちょっとわかんないけど、栄養失調的な病気にはならないと思うよ。
スピーカー 1
まあ確かにね、なんか聞いてる人って健康にもすごい気を使って、ちゃんとした生活してそうだね、イメージだけど。
スピーカー 2
まあイメージなんで、あの実際不健康な方いたらごめんなさい。
スピーカー 1
まあということで、今回はかっけについてでした。
はい。
ということで、大人の近代史、他にもSNSやってまして、インスタとかもやってますので、よかったら概要欄から気になったものフォローしていただけたら嬉しいです。
スピーカー 2
はい、コメントもお待ちしてます。
スピーカー 1
はい、それでは最後まで聞いていただいてありがとうございました。
スピーカー 2
ありがとうございました。