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2022-05-21 07:43

201 正解がなければ間違いもない

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- テストには問題があり回答をすると正解不正解がある
- 人生には正解も不正解もない
- 人生はテストではない
- 人生の問題は、自分で設定するもの
- 誰かに問題をもらうものではない
- 人生は必ず終わる
- 人生はいつ終わるかわからない
- 人生は繰り返さない
- 死ななきゃイイ
- 人生の成功や幸せは自分で決めるもの
- 自分、自分の周りがどうなのか


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思考のハンマー投げラジオ
毎朝5分のアウトプット週刊
思考のハンマー投げラジオ
肩書考え中のたてみアキヒコです。
こちらは自分の頭で物事を噛み砕いて発信するというテーマでお送りしております。
今日は土曜日ということで、自分の思考の棚から一つ選んで話をします。
今日は正解がないのであれば間違いもないというテーマを採用したいと思います。
どうぞお付き合いください。
まず結論からすれば、正解がないのであれば間違いもないということ。
これ自体が一つの結論みたいなものなんですけれども、
これは概念とか仮説のようなものですね。
もうちょっと具体的に言うと、人生とかでいろいろ悩みがあるわけですよね。
人生の答えってあるのかというと答えはない。
正解というのは答えだと思いますけどね。
よくテストとかではね、答えがあって問題があって答えがあって、
それが正しいかどうかという問題に対する回答が正解か不正解かというのがはっきり分かれると思うんですけれども、
人生というのはテストじゃないんですよね。
テストじゃなくて、逆に自分で問題を作る側になっているのかなと思います。
テストを作る側の方が人生というものだと思いますね。
人生には正解がない。
これは皆さん直感的になんとなく思っていることだと思います。
ただね、勝ち組とか負け組とかね、
成功不成功とか幸せとか不幸とかそういった概念が出てくるんで、
ともすれば人生というのには成功と失敗があるんじゃないかというふうに思われる可能性があるんですけれども、
それを客観的に見た成功とか失敗というのは自分にとっては多分どうでもいいものだと思うんですね。
自分自身が幸せであるかどうかというのがおそらく自分の人生においては一番重要なのかなと思います。
その次に自分の周りの人が幸せなのかどうか。
それがどんどん拡張していって、自分がいるこの世界が幸せな世界なのかどうかということにだんだんなっていくのかなと思います。
極端に自分の枠を拡張していけば世界中が、この宇宙が結局自分と同じものなんじゃないかというふうになってくるかと思うんですけれども、
ちょっと怪しい話になりそうなんで、その辺はあんまり深掘りしないで、
単純に自分自身がどういうふうに生きているのか、生きたいように生きているのかということだと思うんですよね。
自分が生きたい生き方というのは、これは正解があるのかというと正解はないんですよね。
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だって誰もそういう問題を自分に対して突きつけてきて、それに対して自分が生きた結果、それは正解だったよとか不正解でしたよとか間違いでしたよって判定する人というのはいないですね。
判定する人があえているとすれば、自分自身が死ぬ瞬間にこの人生は良かったとかね、良かった悪かったってその瞬間に判断すること自体も野暮な気がするんですよね。
だから、生き切ったというふうに、いかなる瞬間でも思えるように生きていきたいなというふうに私は思っているんですね。
人生というのは必ずいつかは終わる、それがいつ終わるかは分からない、もう一回繰り返すことはない、その3つが人生の唯一言える3原則なのかなと常日頃思っているんですけれども、
そういうことを頭の中に入れつつ、そのもう一つ正解はない、正解は自分で定義するということなのかなと思います。
だから他人に定義される成功とか幸せなんていうのはあまり意味がないと思っております。
だから間違いもないということですね。
だから自分で間違いだって判断するまでは、生きるということに関しては間違いというのは存在しないんじゃないかなと思うんですね。
ただし悩みがある時ですよね、要するにこういうことを考えるのは、どうすればいいのかなって、死ななきゃいいやぐらいの話ですね。
死ななければ子育てとかもいろいろあるかと思うんですけれども、死ななければとりあえずそれでOKと。
間違いっていうのは多分死ぬこと?自分の意図しない瞬間に死ぬとか、それも意図しない瞬間に死ぬしかないんですけれども、
生きれないのに死ぬことですかね。間違いというのもちょっと言い過ぎかもしれないんですけれども。
とにかくそういうふうに生きるということに関しては、なかなか正解とか幸せとかそういう価値判断をしたくなるんですけれども、
みんな迷いながら悩みながら生きている。そういうことで正解がないのであれば間違いもないんじゃないかというぐらいの意気込みじゃないですけれども、
雰囲気で生きていけばもうちょっと気が楽になるんじゃないのかなって常日頃考えているんですけども、
私はどっちかというと正解があるんじゃないかって。どうすれば正しいのかなとか、どうすればみんな楽しくなるのかなとかね、
周りがうまく回るのかなとかそういうのを考えてしまうんですけれども、正解が悩んでも悩んでも正解がないことって、
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どれを選んでも失敗とか間違いでもないんじゃないのかなというふうに思うことがあったので、こういうお話をしました。
今回のテーマとしては正解がないのであれば間違いもないんじゃないかということでした。
今日は、昨日ですね、金曜日だったんですけどもね、一番下の娘が保育園から電話が来て熱があるということで、
結局コロナの検査はしなくて良いというお医者さんの判断だったんですけども、
なぜかというと胃腸炎になっていたのでそれによる発熱じゃないか、あと家族に誰も発熱者がいないということでPCR検査までは行かなかったんですけどね。
昨日はね、私の両親にいろいろサポートしてもらって、私は仕事を普通にすることができたんですけども、やっぱり助け合いで生きていくんだなと思ったんですよね。
ただ、親に対してもね、もうちょっと私は尊敬の念を自然に抱くようにしたいなと思うんですけどね。
親だからこそ、なんか私が侮る気持ちが多分私の中にどっかにあるんで、親だからこそ尊敬する必要がある。
必要があるというか、まあ敬う気持ちが大切なのかなって、ちょっとね、まあそんな風に思ったところですね。
じゃあ今日はここまで。最後までお聞きいただきましてありがとうございました。
お相手は肩書き考え中のタテミヤキコでした。
ではまた。
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