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思考のハンマー投げラジオ
毎朝5分のアウトプット週刊
思考のハンマー投げラジオ
おはようございます、アキヒコです。
今日は11月2日の火曜日ですね。
昨日の放送ちょっと聞いたんですけども、
なんかガサガサと音がすると。
何かなと思ったらダウンを着てたので、
足が寒いんで動いてたんですね。
ピンボーゆすりみたいな感じですね。
落ち着いて話をするようにしたいと思います。
今日は何を話をするのかということで、
テーマということで、
昨日は知的生産系ということで、
今日は生き方ということで
予告をしてましたけども、
生き方って何なんだろうっていうね、
そもそも論があるんですけども、生き方。
生き方という言葉はそもそも
息と方に分かれていて、
息っていうのは息をしているってことだと思うんですね。
吸って吐いてって。
生きているということですね。
生きるという漢字については
生まれるっていう字あると思うんですけども、
これは漢字の語源からすると、
植物が地面から生えて、
上の方向に生えて枝、葉っぱが出ていくっていう、
上の方に伸びていくっていうものを
表している小型文字ですね。
生きるっていう字の一番下の横棒は
地面を表しているということですね。
これは白川静香さんの本とか読んで
学んだことですけども、
普通の漢字辞書とかにも載ってるかなと思いますね。
生き方の型ですね。
型っていうのはやり方とか方法とか
そういう意味合いでしょうけど、
型、型紙とかの型とかもありますしね。
ユニフォームとかの型、
そういうやり方、
あと体の型っていうのもありますね。
体の型って端っこにあるわけですよね。
だからその型取りとか輪郭とかっていう
そういう見えているものを
型っても言うのかもしれないですね。
形にするとか。
だから生き方っていうのはそもそも
息をする、生きているっていうか命ですね。
命をどういうふうに
自分のスタイルを、ライフスタイルを
作っていくかということだと思います。
私は今34歳ですね。
34年生きてきたわけで、
最初の4年くらいは意識がそもそもないと。
あったんでしょうけど、
記憶がないっていうことですね。
記憶がないっていうことに対して
いろいろ考えてたんですけども、
今回こうやってフォトバックキャストを
配信して録音して
自分で聞けるようにしたりとかして、
あとはノートのほうで、
ウェブサービスのノートですね。
そのほうにも書き始めたりして、
テーマは結局は
未来の自分に今の自分を伝えるということで、
微暴力っていうのが一番大きなテーマなんですけども、
微暴力っていうものを究極考えていくと、
記憶がなくなったときのための微暴力ということですよね。
一番怖い記憶がなくなっているのは、
記憶喪失とか、
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自分が何者であるかわからなくなるという状況ですよね。
よく生命保険とか、
医療保険とか、
がん保険とか、
いろんな保険がありますけれども、
記憶喪失保険ってあるんでしょうかね。
調べてないからわからないですけども、
記憶喪失になったら、
本当に自分が誰だかわからない、
何を考えているのかわからない。
そんな中で家族がいて、
子供がいて、
親がいて、
友人がいて、
君はこういう人だったんだよとか言われても、
うーんって感じですよね。
その時のために、
このボイシーじゃなくて、
私が今言ったポッドキャストですね。
ポッドキャストを残しておくということが、
記憶喪失になったときに自分を知るということの、
一番いい助けになるんじゃないかなと思いますね。
こうやって話をする、声を出すということが、
声には感情が乗っていくと思うので、
間とか間の取り方とか、
息の仕方とかですね、
話の仕方、
声のトーン、大きさ、
声の高さ、
いろいろありますよね。
節回しであるとか、
口癖とか、
そういうのもありますね。
それは一つの動きですね、声っていうのは。
自分の心の動きが、
こうやって録音できると。
インターネット上に置いておけば、
最悪ですね、
自分の端末とかが全部なくなっても、
ネットで探せば分かると。
友人にポッドキャストの存在を教えておけば、
私が記憶喪失になったときに、
結構君はこういうことを話していたんだよ、
っていう風に言ってもらえれば、
アクセスできるということですね。
それがインターネットのすごくいいところですね。
同じようにノート。
ノートの方にテキスト、文章ですね、
見える形として残していくということも、
一つ大事なことですよね。
それは動画とか写真とかの関係で言うと、
この声っていうのは動画の方ですね。
動きのあるもの。
テキスト、文章、ノートっていうのは写真ですね。
一瞬を切り取ったもの。
ただの写真は、つぶやきとかそういうのは、
スナップショット的な写真は、
ツイッターの短文ですね。
ノートっていうのは、
ある程度まとめて自分の頭の中を整理して、
表すことができるので、
それはちょっと節目の記念写真とか、
フォトブック作るとか、
そういう意味合いになってくるのかなと思いますね。
そういうふうに、
自分のアウトプット先っていうのを、
発信先っていうのを、
使い分けていければいいのかなと思います。
記憶喪失になっても、
自分のことを思い出せる。
その自分に記憶喪失になった私が、
記憶喪失になった私が、
共感できるかどうかはわからないですけれども、
その時のためにできることはしておきたい、
というふうに後付けですけども思いました。
明日は水曜日ですね。
水曜日、3日目はお猿の行事かなって話したいんですけども、
明日は休日なので、
配信できないかもしれないと思っています。
その時は木曜日に話をしたいと思いますね。
ではまた。