00:01
撮りました。
えっとね、俺さ、大学うち面接あるじゃない?
あるね。
俺そこでさ、特技の欄があって、これもうボケるしかないと思って。
なんでかわかんないけど、別にボケてほしいって言ってないけど。
悩んだのよ。マシュマロキャッチか。
もう一つが、魚を綺麗に食べることだ。
いいね。
いいね。
マシュマロキャッチは嘘なわけ。
その場でやってくださいって言われて、
いや、ないんでできないんですよって、乗り切るかと思ったんだけど、
ここは真摯に行こうと思って。
確かにね。
ロッキーのみ食べることにしたんです。
確かに。
で、俺やっぱ、あのー、一人一人テーブルマナーにうるさい人間なのよ。
うんうん。
俺なんかその、食べ物への接し方が人間の社会とか他人に対する接し方を持ってる節があるから。
魚を綺麗に食べるって書いてあるんだけど、
それで、どういうコツがあるのかって聞かれたのよ。
うん。
で、その時に小骨を我慢して食べることって言ったの。
うんうん。
で、俺なんかそれ最近すげえなんか自分の中で腑に落ちてて、
だからさっき言ったようにこの、食べ物の接し方が社会に接し方するならば、
まずやっぱ魚を綺麗に食べたいんだったら魚の骨の構造とかさ、
理解することがまず大事じゃん。
背骨がどうあって、アバの骨がどうあってっていう。
頭がこうあって。
それを理解して開いて、でも結局は小骨を我慢して食わなきゃいけないわけ。
うん。
そうじゃないかなって思ってる。
社会もまず構造を理解して、まあ他人でもそうなんだけど、
構造を理解してどういうことなのか理解した上で、
でも結局は小骨を我慢して食べないと綺麗には食べられないっていう。
うんうん。
ことなんじゃないかなと思うわけよ、俺は。
はいはい。
なんかその例えで言うと言い方を変えればだから、
でかい骨食わなければなんとかなるってのもあるよね。
あーそうだね。
そうそう。
なるほどね。
でかい骨食わなくて、小骨食ったぐらいじゃ別にっていうのもあるしね。
そうそうそうそう。
確かにうちの親父も食べるのめっちゃうまいけど、
全部何も残らないタイプだわ。
あの、焼き魚を食べると。
うん。
すべて食べるタイプで。
うん。
もう本当に骨しか残んないみたいな、一番思いそう。
うん。
いやほんとあの、テーブルまだ割りで詰めるとげんなりするんだよな。
うん。
この前の松崎がさ、サイゼリ行った時に、
うん。
なんかプレートを頼んだのよ。
うん。
ハンバーグかステーキかの。
うん。
ハンバーグか。
あれハンバーグね。
あれハンバーグ。
ランチですね。
ハンバーグのあの、袖のコーンをさ、ソースに絡んだコーンをさ、
コーンだけ残してんなーと思ったら、そのご飯にぶっかけて食ったのこいつが。
うんうん。
めっちゃドン引きして俺。
めっちゃ、めっちゃ。
いやこいつが俺の前でやるのはいいけど、
うん。
めっちゃ俺一人でもやんないから。
うん。
普通におーって思ったんだよね。
やっぱ美味しく食べたいでしょ。
美味しく食べたいのよ。
でもさ、チキンをご飯に乗せるのOKなんですよ。
そういうのダメ?
あ、チキン?
チキン。
いやでもそれさ、丼物とかだったらいいよ。
03:02
いやでもさ、それとこれちょっと違くない?
違う。
いやあれね、絵面がね、ほんとにね。
絵面だろそれは。
やっぱこいつ一人暮らししてるからっていうのもあると思う。
いやでも、一人でいる時はね。
そう。
まぁな。
決めてきてしまってる。
まぁまぁ。
そんなにやんないっすよオフィシャルな場ではさすがに。
いやオフィシャルな場でしょ私がいるんだから。
お前オフィシャルなの?
プレイベートなの?僕といる時って。
ふったりだからね。
あぁまぁね。
いやさすがに学食ではやんないよ。
あぁまぁね。
まぁ学食でのあなたのテーブルマナーも散々ですけど。
いやいやいいでしょ。
学食は何もないでしょ俺。
学食は何もないよ。
うん。さすがに。
テーブルマナーとしてどういうところが出ると思ってるの?
俺あの、例えばね、あの、たまに片手で食ってるやついない?
ないよね。
両手上に出さない?とか。
うんうん。
俺あと食事中スマホ見るのも好きじゃないし。
うんうん。
あとなんか、米とか食ってるやつ、お椀に片手添えない?とか。
うんうん。
見ると、あぁって思う。
お椀に片手添えるけど手が出ないんだよね。
あのずっと昔の彼女に言われ続けてたの。
片手添えるって。
上に手を出せって。
あぁ。
そういうコミュニケーションもやったわけですけど。
俺でも基本ずっとチャー持ってるな。左手に。
うん。
何食っても。
いや、俺はなんかそういうとこちゃんとしてほしいなって思う。
うんうんうん。
まぁ、せっかくでも人に対してはあんま強くは思わないけど。
うんうん。
まぁ俺はそういうとこちゃんとしたいなと思ってる。
あれもあるしな。実際家庭のルールあるしな。
そう家庭、俺はすげぇ厳しかったから。
うんうん。
食事マナー。
うちもその手出すといいですか?
まぁうちもポイントによる系だな。
なんか、感化できるポイントは感化してもらえるっていう謎のルールがあったから。
うんうん。
そうそう。魚は綺麗に食えばあったけど。
うんうん。
手を出せばあんま言われなかったんだよ。
あぁ、そうか。
いや、俺もちっちゃい頃手出せって言われすぎて。
うん。
手出さないと落ち着かないわ。
あぁ。
あと、肘つかないとかね。
肘はね、最初からね。
肘はね、つかないでしょ。
いや、俺あのね、酒とか飲んでる時に肘つくやついるじゃん。
こういうやついるね。
そう。
あれがちょっとね。
酒飲んで許されると思ったけどないじゃん。
いや、まぁでもね。
厳しいからさすがに。
場合によるけどね。
飯食ってる時の酒はやめてほしい。
うん。
酒だけのバーとかだったらまぁまだ。
うんうん。
かなぁ。
でも気になるマナーって言ったら、
俺あの、私昨日体育の実技でね。
ポケットに手突っ込んだら、
うん。
手突っ込んで話してたらさ、
いきなり教師来て、
ポケット手突っ込むなって怒られてさ。
あぁ、お前ダメじゃん。
普通になんか、
それには俺パッチ切れそうになったね。
あぁ。
なんだお前と思ったら。
それはね、お互い尊重し合うわけでね。
まぁ、体育教師あらゆるさ。
俺も確かにポケット突っ込んで怒られたことあるよ。
高校時代に。
あるよね、みんな。
あるある。
いや、俺は高校時代になかった。
え、あとシャツインしてないと怒られなかった?
怒られる。
あれ一年、みんなやりすぎて途中でシャツインはOKになった。
あぁ。
勝ったよね、なんか。
シャツアウト?
うん。
夏、暑い時は出してもいいって。
マジで?
06:00
なんかでも、体育教師が言うマナーと藤原偉手マナーちょっと微妙に似てるよりは違うよな。
うん。
違うね。
あれは全体の統一のためにやってるマナーだよって。
うん。
なんか、規律じゃん。
藤原偉手のマナーじゃん。
うん。
そうですか。
やっぱ俺、他人に指示されること、誘発されることが一番嫌いだよ。
あぁ、分かるよ。
マナーってどうなってんの?やっぱ他人のためにするのか?
ん?
他人のために守るマナーって、実際。
まぁ、そうじゃん。
本質はそうなんじゃない?別に。
本当はそうだけど。
うん。
まぁ、そうじゃない人もいるだろうけど。
でももうさ、社会通伝としてある以上さ、
他人のためにやるっていう前に、
まず自分としてどうやるべきかってところがあるから。
うん。
自分としてやっぱ、食事に対して正しく姿勢としていたいっていう感覚はあるのよ。
シャワーだったらコーン乗せますよ。
その方が美味しく食べられますから。
コーン乗せんの?
コーンかけてもまずいよ。
いや、乗せなくてもせめてコーン口に入れてからご飯入れてとかさ。
うん。
あなたもソースかけたくても、
そうそう。
ご飯と混ざったのが美味いですか?
一番美味しく食べてあげたいわけよ。
こっちとして。
カレー混ぜて食う派の。
いや、カレーは混ぜない。
いや、でもそれと近いわ。
カレーぐちゃぐちゃに混ぜるやつ俺見たことないけどね。
小学校の給食とかで見たことあるかもしれないけど。
うーん、なんかいるらしいよね。世の中に。
俺も見たことない。
俺もな。
俺もさ、だから多分親の教育のせいなんだけど、
白米と何かでこう乗せて食うっていうのはないんだよ。
分かる?
こっち入れたらこっち入るね。
うん、そうだね。本当にだから親子丼とかじゃない限り。
俺あんま飲むの好きじゃないんだよね。
俺2人ご飯にワンバウンドさせちゃう人だわ。
餃子とか食うときとか。
餃子ご飯?
あー、俺焼肉ぐらいじゃない?
焼肉は許されるな。
でも焼肉もあんまワンバウンドしない。
ご飯の上で餃子切った時にちょっとずつこう肉が落ちてくるじゃん。
そしたら醤油がついてくるじゃん。
ちょっとして肉が割と溜まってから食ったご飯が美味しいわけよ。
そうかもしれない。
なんか嫌だなー。
なんか変な飴トークみたいなのやってるね。
飴トークの。
なんかよくやってない?バラエティでこうバウンドさせるかみたいな。
食うるさいんよな。
よな。
俺、あと細かいところにこだわりが多すぎるのかもしれない。
食事でもう一つ小話みたいになってた。
俺、3歳上の姉がいいのよ。
で、明らかに上の子って可愛がられるのよ。
だから子供ってご飯食べさせないとダメやん。
俺はね食細かったから親が食わせてやらないと食わなかったから。
なるほどね。
俺はそんなことなかったから。
で、そのとことか多分俺イヤイヤ期とか迎えてるのよ。
全部自分でやりたいみたいな。
で、イヤイヤ期どうしてたのって言ったら、やらせてたって言ってたの。
そのに対して自分でやるって言って、やらせてたって言ってたの。
だから俺姉と一人で飯食べるようになったタイミング一緒なんだよ。3個違うのに。
09:05
それは次男あるあるだと思いますよ。
まあ二人目あるあるなのかな。
次男?
君次男?
俺長なんですよ。
俺姉だから立場上長なんだけど。
二人目?
二人目はね、手がかかんないからっていう扱いになるよね。
大抵のこと自分でやる癖つく。
そうだね。だからそれが寂しかった中学の時は。
うちの兄はすごいダメだから手がかかるタイプの。
まあ大抵の長男長女はそうなのかもしれないけど。
いやーでも俺は逆だな。でも上しっかりしてたから。
俺だけプラプラして本当にやりたい放題だったから。
そこのコンプレックスみたいなのがありますけどね。
俺はなんか、俺は頑張ってんのに頑張ってくれない系だね。
あーまあいろいろ家庭によってね。
そうそうそう。
一人っ子だね。
まあということで本題なんですけれども。
本題?
本題まで。
これでまだ10分だよ。
オッケー。
まあいいけどね。
本題なんですけど、本題はですね。
やっぱなんか最近さ、俺思うのが、
最近ね。
本読んでる人しか考えないことしか考えてないのかなって思うんだよね。
自分が?
俺が。
なるほどな。
俺が向き合って考えてることって、
今いろいろ物作ったり書いたりする機会があるじゃないですか。
それを書いた時に意外と伝わんないなって思う。
もちろん俺の技術不足とかやり方の問題とかあるかもしれないけど。
やり方ね。
それにしてもなんかこう、
俺が考えてることは、
みんなが考えてるわけじゃないんだっていうのが、
当たり前なんだけど最近ちょっとしたショックだったっていうか。
でやっぱそれに超えてなんか本を読むとか、
まあ最近は私先行は映画ですけれども、
映画でも社会派の映画とか昔の古典映画とか、
意外と見られてないじゃないですか。
それってなんかもうそういうのって難しいというかさ、
意外と遠ざけられてるのかなって思うんだよね。
小学生の頃とか本読んでると、
本読む人なんだみたいな感じだったじゃない。
俺中高は新学校だったからあんまそういうの感じなかったけど、
やっぱ大学行くとなんか言葉遣い違うねみたいなこと言われたこともあるし。
俺難しい映画見ないとか、白黒見るのきついとか聞くじゃないですか。
でも俺は映画は白黒好きだし、
簡単な映画なんて見たくないし、
でやっぱされども作れるような映画なんか作りたくないわけじゃないですか。
今カットしたいね。
まあそうだね、でもどうなんだろうね。
結局さ、自分が本を読んできてるからこそ、
頭の中の言語がさ、
そういう本の中で書いたような言語になってるから
考えてることが本的に寄ってくっていうのが一つあるかもしれないよね。
12:01
そうだね。
どうなのかな。
考えてることは実はみんな一緒なんだけど、
その文法が違うからっていうことなのかもしれない。
あーなるほどね。
それはあると思う。
それはあると思う。
なんかあの、言葉にできない人っていうのは結構いるから、
思ってる以上にいるね意外と。
確かに。
なんだっけ、最近俺聞いた話でなんだっけな。
話し言葉なら伝わることも書き言葉になった瞬間にわかんなくなる人が
いろんなのが一定数いるみたいなのを記事かなんか読んでるわ、最近。
でもさ、ある種のさ、日常的な感覚だったらわかるけど、
そっから一個抽象性にいくというか、
それをこう、本読んでる人ってそっからこう、
落とし込んで何かを考えるっていう癖がついてるから、
そこに至らない人が多いのかな。
想像力の欠如って言っちゃうとつまんないね。
でも俺はなんか逆にさ、本読んでれば偉いの?って思う。
そうなんだよな。
確かにそこ良くないわ。
エリートぶってる。
どうなんだろう。
とりあえず俺、他人がどれくらいそういう、
自分が抱えてる問題と同じくらいの問題を考えてるのかあんまわかんないけどさ、
どうなんだろう、だから文法が違うだけで、
内容が同じなのかもしんないし、
例えば俺が、
例えば白黒映画に求めるものはさ、
今エンタメを主に見てる人たちの、
実は意外と思考してるものは一緒なのかもしんない。
暮れてきたカルチャーとか、
いろんな言葉とかの文法が違うから、
行き着いてる場所が違うだけで、
内容が違うのかどうかっていうのは正直。
白黒映画は難しいよね。
白黒映画は別に、求めてるものがカラー映画と違うってわけじゃなくて、
白黒映画には白黒映画の芸術性と文法があるっていうわけだから、
でもさ、一つ白黒っていうのはさ、
古さとアカデミズムみたいなそういう、
難解さみたいなのと結びつけられちゃうような記号的なさ、
そういう記号に落とすような、
カルチャーとかそういう一つのコンテクストがあるのも多分事実だと思うよ。
確かに途中からちょっと白黒は芸術的になりすぎた節もあるもんね。
あと単純に古いものよりもは、っていうのがあるじゃないですか。
俺、中学時代マジでなぜか70年代にフォークばっかり聴いたからさ、
古い音楽聴いてた時になると、古いことがちょっと何?
鮮明?
鮮明。逆にさ、知りたげられることもあれば、ちょっと距離取られることもあるわけだよね。
まあ、あれかな一つ。
エイジズムみたいなのもあるじゃないですか。
若い方がいいみたいな。
日本ってわりとそれデカいじゃないですか。
19歳なのにこんなに曲が作れるシンガーみたいな。
扱わされるし。
だから一つそういう新しいものが、
イケてるとか、アカヌケてるみたいな、
そういう扱いをされることがあるから、
15:02
例えば白黒とか、古典とかね。
戦前とかになった瞬間に、
そういう遠のくっていうのは一つあるのかもしれない。
俺小説文が古典に走ることが好きだった節があるから。
やっぱ安心感はあるよね。
古典は必ず俺に何かを与えてくれるんだっていう前提があって、
その結果これなんだよ、何がいいんだよって思ったこともたくさんあるけど、
でも別にそれでも一応見ておきたい気持ちもあるし、
あとやっぱ本も映画も、
ずっとずっと触れてきたわけじゃなくて、
数少ない時間で触れてきたから、
やっぱりなんかちょっと、
全部全部見れるわけじゃないし、
新しい映画を覆う暇あったら、
まず見なきゃいけないものを見ようかな、
読まなきゃいけない本を読もうかなって感じもあったかな。
なんかあれだよね、
俺もそういう風に考えたんだけど、
すごいアカデミックな観点で触れてるじゃん、物を。
歴史を見て。
でもなんだろうな、
だからそうではない考え方のことについて言ってるわけじゃん。
そうではない考え方と、
じゃあ果たして我々アカデミックなことを積み上げて、
果たして我々の言語が違うからって言ってることは同じなのかっていうと、
多分俺結構同じだと思うんだよね。
ただそれは、
これとこれが同じ、
同じものが一つになって同じというわけではなくて、
層が違うと思うんだよね。
アカデミック的に積み上げたものの感じ方と、
物自体の直感とかそっちの、
それを感じ取るもの、
イデア的なものって、
イデア的なものは同じでも、
それを受け取る層が違うから、
難しいね。
同じものとは言えないし、
あと最近こういう観点のものが、
文化が追求してるのって我々自体じゃないですか。
社会、個人、生活、人生、
楽しみとか喜びとか。
で、それは社会全体が求めているもの、
我々人間が向き合っているものに対して、
芸術は常に向き合い続けてきたはずなのに、
芸術が向き合っているものが、逆にこう、
普通の人々が考えてないことだったら、
それってどうなの?って思うんだよね。
確かに。
でもその違和感はすごいね、
くしぶしにあるよね。
でも果たして普遍性を持つかという議論に変えちゃうと、
18:00
また持つ必要があるかという議論に変えちゃうと、
いやそうではないよね。
確かに。それは俺が描きたいものを描きたいだけで、
別に誰かに支えたいというのもそんな強く思わないから。
普遍の話、一番無意味だと思うんだよね。
普遍というのは地球の話だから、
日本人が今の文明の上からの普遍とか、
そういう話はマジで興味ないなっていうのはあるけど、
普遍の話はいいかな。
どうなんだ?俺が言ってることもあれだよね。
よく言うじゃん、古典を読んで昔の人も同じことを考えてたんだ。
だからそんなにさ、人間考えることのバリエーションはないかもしれない、実際。
ただ単純寂しいだけなのかもしれない。
俺が考えてることがクラスメイトが考えてないっていう。
考えてないっていうのがね、
言ってたんだけど、変な人間の受講位かもしれない。
そうかもね。
分かんない。
俺はマジで分からないっていうのは、ここで言うのがどうかと思うけど、
実際自分が考えてることってどれくらいみんなが考えてることなのかは本当に分かんないから。
その距離がね。
俺は割と高校の時そう思ったけど、何年か年を経て、
意外とみんな考えてるんだなと分かってきたんだよ、段々と。
俺は孤独で賢くて、そういう男だと思ってたんだけど、意外とそうではないなと。
いや、そりゃそうだよ。
みんな必死に自分は自分で生きてるんだから。
いや、でも作品についてもそうなのよ。
なんかなんだろうな。
うーん、やっぱそういうなんだろうな。
鮮明そうで考えたくないんだよな。
そういう自分がいるのが嫌だよね。
いや、俺は、やっぱ基本的な姿勢としては、
俺は本を読まないよりは読む方がずっといいと思ってるし、
だけど読まないからといってバカとかさ、ダメとかってわけじゃないと思うよ。
それはただ単純に、
俺は本っていう価値基準の中では、
俺は本を読みたい、読んでるってだけで、
別に他のものなんて世の中いくらでもあるわけだから。
やたら本が権威化してんじゃないかっていう気もあるよね。
それは絶対にあれですね。
小学校で朝の15分読書があるんだと思う。
本を読みましょうみたいな感じなのか。
夏の読書フェスとかさ、
読書の秋とかさ、
結局世の中が、
小学校の時とかさ、
本読んだら頭良くなるっていう、
本が非常に、
受験勉強がさ、
例えば受験で使わないからこの授業やりませんみたいなのがあったりするとさ、
割とそういうところで勉強から離れてくる人が一定数いるわけじゃん。
すごい利益のための授業だとか。
結局頭が良くなるための読書っていう、
読書がさ、目的を果たすための手段になっちゃってるから、
読書っていうか、
結果を生み出すための工程になっちゃってるから、
苦痛のものになっちゃうんだよ。
本を読むこと自体が目的じゃなくなってる。
21:02
本を読むことの楽しみみたいなのよりも、
読んだ結果の自分みたいなのに、
フォーカスされすぎな気もする。
それが最近本屋とかでさ、
実用書とか手取り早い教養書がすげえ求められたりとか、
あとSNS見てもやたら読書のことでさ、
なんか読書すればどうなる、だから読書しようとか、
読書書館つけようみたいなこと言う啓発がすげえ多いじゃん。
あれ見えたら読書ってそういうものなの?って思うんだよね。
そういうものじゃないとも言えるし。
ランニングとかだってそうじゃない?
ランニングはランニング自体が目的じゃん。
そうしないとうまくいかないじゃん。
実際ね。
痩せるためにランニングするみたいな感じで、
頭が良くなるために本を読むっていうのはまた違うと思うんだよな。
ファスト教養的な話だよね。
頭が良くなるために本を読んでるわけじゃん。
結局だから、
本読みたくて読んでるわけじゃん。
だからまた結局新聞主義が悪いって。
ファスト教養が最近新書出てさ、
俺まだ読み切ってないけどさ、
結局新自由主義以降の中でさ、
実力主義で見られる世の中になった時に、
パーソンが手っ取り早くいろんなことにアクセスするには、
ってことでファスト教養が流行ってるわけだから、
結局今の社会のシステムで、
金稼いで生活できるようになるには、
野次者がなきゃいけないわけじゃん。
ってなった時に、
ゆっくり本読んでる場合じゃないんだよ。
本を楽しんでる場合じゃないんだよね。
本の大事なとこだけはとりあえず持ってきて、
自分がとりあえず一銭でも稼げるようにとかしないといけないっていう。
稼げるようになんのか。
そこがね。
俺も本読んだとこで稼げるようになった。
あれは教養を得たと思いたい人が。
だから結局本当に変わってるか分かんない。
俺ちょっとよく思うんだけど、
話が上手いやつって、
難しいことを分かりやすく話すやつって、
難しいことを分かりやすく話すと言えばとても聞こえがいいけど、
バカにも理解できるように話すっていうのが、
別の裏の側面じゃん。
ファーストエゴもそういうとこあるじゃん。
バカにも見えるように整えてる。
だからバカでも頭が良くなったら気にさせるっていう。
だからそのさ、構図があるからさ、
意外と得はしてないんじゃないかなって思うよね。
いや俺得してないと思うよ。
得はしてないと思う。実際。
得た感だと思うよ。
得た感だと思う。本当にさ。
裏心に繋がればいいけどぐらい。
受験生の時とかよく思ってたけど、
英語、世界史とかの大人向けの参考書みたいなのってものすごい流行ってるじゃん。
学びの好きなやつ。
まあでもそれは、別にそれをやろうとすることはすごく俺は素晴らしいと思うけど、
内容自体もはっきり言って教科書のほんと何十倍も進めたみたいな。
教科書を一回ちゃんと読めばもっと深いことが理解できるのにって思うんだよね。
ですからもうそれを学問ですらない何かだったりするじゃん。
そういうのがすごく流行ってる中で、
講談社学術文庫とか岩波とかが全く誰も手に取ってないっていうのを、
よく本屋で見てきたから。
24:00
それでどうなんだ?って思うんだよね。
雑学がアカデミズムより上にされてしまうというね。
ツイッターとかで流行るやつね。
YouTubeのなんだとか、ツイッターのなんだとかで流行っているのもそうだけど。
でも本ってさ、本って単純にみんなで読まれなくなっているんだと思うんだよね。
すごくさ、
個展的なアイディアですね。
もっと普通にみんな娯楽として多分、
もっと前の時代はみんな楽しんでいたんじゃないかなと思うんだよね。
それは多分必ずそうだね。
実際娯楽だとしたらさ、その後にテレビが出てきたわけでさ、
スマホが出てきて、
娯楽的な意味ではさ、
一番どんどん情報量が増えてくるわけじゃん。
それで想像力の余地が減ってくるわけじゃん。
娯楽としては自分で補わない部分が多い方が、
娯楽たり得ると思うんだよね。
そういう意味でさ、本っていうのが今の時代に娯楽になり得るのは割と難しいなと思う。
それで本がどんどん経営化しちゃったのかな。
それも一つあるかもしれない。
だって村上春樹だって本は暇だから読んでたって言ってただけだって。
すげえ本読んでんじゃん。
だけど暇だったから読んでただけで、今の時代だったらどうかみたいなこと言ってたから。
そうね。
別に俺も読者の無視とか活意収録みたいなのあったことないけど、
確かに暇だったから読んでた不思議もあるなと思う。
本を読むこと自体好きだったけど。
暇な時が確かに結局本が一番読むの。
恩返しになってしまった時。
結局な、本でも3人が集まってさ、
本と言う経営化とかに対してさ、
哀れ、なんか寂しいと思ってるだけなんじゃないかっていう。
本にしかできないことっていうのはどれくらいあるのかって話になってる。
いやでもただその先って、
本を読む自体が、
我々社会の中で考えていることが、
本を書いてる人、読んでる人が考えてきたことが、
社会に対してどれだけの効果を持っているのかってことを、
最近よく考えてるよね、映画作る上で。
俺が映画作って何か書きたいことっていうのは、
どれくらいの力を持っているんだろう。
力、それなんかどれくらいの力を持っているんだろうか。
いや俺はやっぱどっか、今まで、
俺が考えてることって、
みんな考えてるでしょって思ってた。
趣があった。
俺が向き合ってることってみんな向き合ってるもんだと思ってたんだけど。
それもだから層が違うんだもんね。
質と量の関係みたいなもので。
結局は同じ問題に向き合ってるんだけど、
系層が違う、形が違うから。
フィルターが違うフィルターと落ちちゃう。
だからそこは噛み合わないんだよ。
27:01
っていう難しさがあるよね。
シンパシーを得る作品を作るというのは。
あと俺が考えてることを形にしたところで、
どんな映画が求められているのかっていうね。
映画専攻してると何の映画が好きとかって話になるんですよ。
それらしく答えるわけじゃない。
逆にどんな映画が好きなんですかって話題でコミュニケーションを聞くと、
やっぱりどうしても描いてくれない。ややこしい映画見たくない。
すげー多いなっていうのが最近すげー多い。
ややこしい映画が求められていないのか。
そうそうそう。
アクションが好きとか。
うちの映画学科ではそれだからね。
うちの学科ですらやっぱりそういうことありますかね。
今は学外の話してましたけど。
学内でもあれかし俺が好んできた映画っていうのは意外と。
そういう映画が社会に対して力強く持って何とかするみたいなのが薄いのかもね。
アメリカニューシネマとかネビルガールとか。
そういった傾向映画とかさ。
そういった力を持ったものが今の時代ないのかもね。
ないね。ないのかな。
今それで娯楽としての力すら薄まっていってしまってるっていうのが一つあるのかも。
5割が見えてくるね。
娯楽としての力が薄まるのはこれだよ。
やっぱり映画って意外と発信力が弱いんだよね。
そこなんかねいつも気になるんだよね。
映像メディアだから。
これはもっとね。
俺さ、ダメだって自分はあんま信用できないのよ俺の感想。
タルコブスキーのナッサイジャー見た時に1秒目が話せると思って見てたのよ。
友達に聞くと全くそんなことはないらしいのよ。
あれはネビルガールらしいのよ。
だから俺映像ってそんぐらいなんか、なんだろうな。
五感取られるものだと思ってるから。
と思ったけど、映画ってさ、そういう多分今そんなに発信力自体が強くないじゃん。
まぁでも映画って本と一緒だからね。
そうか。
本と一緒ってか文化としてただそこにあって、映画は映画のために存在しているのであって
それでなんか社会にどうしようとか感動させようとかっていうこと自体が俺間違ってる気もしてるから
映像としての芸術って性っていうのもあるし、物語としての強さもあるし
だけどそこから感動させようとかっていう方向に行っちゃうとなんか違うような気がするんだよね。
めっちゃいいうんこ読んだもんね、映画って。
そうだね。
出ちゃうもんね。
うなりが。
うなりじゃない。出ちゃうもんね。
映画は、いや作品は作品自体として存在しているのであって
その作品自体が何かの目的になっちゃうと違うと思うから
ある種その社会批判として作られる映画たくさんある。ドキュメンタリー映画とかあったりするし。
だけど本もそうじゃん。
30:00
だけどそことして存在しているっていうのが何か一つのいい要素なんじゃないかなって俺は思ってる。
俺マジ結構割と個人的にうんこって言ってるわけだよさ。
人間って排出しないと生きていけないわけですよ。
だから多分できちゃうもんなんだと思うよ。そういう映画って。
映画は一つの今の時代の中にある文化、歴史の浅い文化120年くらいだけど
でもやっぱり本とか詩とかっていうのはずっとあるじゃん。
だから人間の根源的な要素もいるんじゃないかと思うんだよね。
でまぁそれがやってることが今俺はそうあるはずだと思ってるんだけど
社会に対して孤独なのかっていうことを今日話したかったんだよね。
で孤独じゃないじゃんっていう結論に至った?今。
至れた?
至れた今めっちゃ自己感覚してね。
全然俺は謎深まったけどね。
俺は孤独じゃないはずだと信じたい。
信じたい。
と思って俺はやっていく。
俺もそういう希望持ちたいね。
でも俺この前友達と飲んだ時に伝わんない気がすんだよなって。
いやお前の学校の中だけだって言われたんで。
そんな気もしますね。
教室の一人に届けばいいから。全国の。
俺はただ一つのゼミで教授に分かんないって言われただけで
ファーってなってたけど。
そんなはずないじゃんって指定にも立てました私も。
そうだよそんなはずないんだよ。