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こんばんは、お久しぶりです。現在の時刻、日時と時刻は1月16日の23時46分になります。
明日は月曜日で1.17の日ですね。1.17からもう27年経ってるというのが驚きです。
ちょうど20年の時に私が大好きだったロシアの歌手の方がいて、その方がちょうどその時に亡くなられて、その方が亡くなってもう7年も経つのかっていう悲しい気持ちもあれば、
あの方に胸を張って生きれる大人に私はなりきれてるんだろうかっていうのも、毎年毎年これは思っていることですね。
あの時前を向かせてくれて、あの時暗闇から救い出してくれたあの方に胸を張って感謝を伝えて生きていかなければならないけど、
たまにすごく苦しくなって、自分をやっぱり消してしまいたくなることは誰にでもあるとは思います。
人によって、なんか当時よく見ていたサイトとかツイッターとかで流れてきてた記事では、人によってキャパオーバーしてしまう。
だからなんていうのかな、気持ちの余裕みたいなのをコップで表した時にすごく繊細なガラスでできた小さなコップなのか、
もしくはすごく厚みのあるガラスでとても大きなお鍋ぐらいの容器なのかっていうことの違いで、
意外と値が良くてっていう方は繊細で容量がすごく小さかったりします。
人のことは他人には絶対に分かりません。何を考えているのか、どう感じているのか、分からないのは当たり前なんですけど、
容量がみんな一緒だよみたいな感じでやっぱり接してられる社会では。
一緒ではないけれど、一緒の空間、組織という中にいるので、やはりどこかで我慢しなければならない。
自分の思い通りに動き続けられない。それは当たり前だと思うんですけど、
時にそれを、私はこうだからあなたもこうしなさいとか、私はあなたのことをすべて理解しているよという姿勢で来られると、
違うのにって思うんですよね。おそらく私はレッテルを張られているなと思っております。
レッテルを張るという言葉が死後になっているのか、今はない言葉なのかは分からないんですけど、
おそらく私はすぐ嫌なことから投げ出して、被害妄想が強い方だというふうに思われている。
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気になっちゃって、被害妄想ってあんまり他人に言うべき言葉ではないなと私は思っているんですよ。
周りに病んでしまってしんどくなってしまう方とかはいると思うけど、
例えば被害妄想という言葉一つでも、すごいしんどく感じちゃうんだねとか、
すごい感性が強くて周りのことをものすごく見ちゃうからしんどくなっちゃうんだね人よりって、
いうふうに私は多分声をかけると思います。
被害妄想という言葉の意味を調べたら、自分はこうされている、
自分を落とし入れようとしている人間がいるということに確信を持ってしまって、
人の意見の利く耳を持たなくなってしまうことだというふうに書いてあったんですね。
私の症状は被害妄想ではなくて、ただ不安に感じているということだけでした。
それであの言葉を突きつけられたことに、少し私は違和感を覚えてすごく悲しくなって、
もうこれはネッテルを張られているなと、私はもう挽回できないのかなと、
すぐ投げ出す嫌なことからすぐ投げ出す今時のゆとり世代の若い人だなと思われているのかもしれない。
何年も何年も一緒にいて、それを思われているなら仕方ないんですけどね。
会ってまだ一年も半年も経っていないんですよ。半年も経っていなくて、
おそらくそういうふうに思われているような言動なり態度なりがあると見え隠れすると、
人は自分の本性を全て隠しきることはできませんから、それがあると悲しくなりますよねという話で。
心が繊細な方に向かって、頑張っているのに頑張れよとか、
少し不安に感じてしまう部分が多いところを、君は被害妄想が強すぎるんだって決めつけたりして言ってしまうのはどうなのかなって思います。
私はいじめられた経験があるからこそこれを感じることで、相手の方は特に何も思っていないんですね。
軽く言っている言葉だったり、それは言葉の一つ一つに責任を感じて言葉を言いなさいって言っているわけではないんですけども、
その言葉一つでその人の人生が一瞬で終わってしまう場合もあるんだよっていうことは、私も気をつけてはいます。