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2024-02-17 21:59

#34 私に「あなたには、組織で仕事をする上で決定的に欠けているものがある」と言った上司との後日談

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30代の頃、「おかさんには組織で仕事をする上で決定的にかけているものがある」と私に言った上司とは、後日談があります。そのお話を紹介します。

#ビジネスパーソン
#コミュニケーション能力
#ストレス耐性
#経験
#プロダクトマネージャー
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おかさん、ハイ。今日あった良かったことは、お昼に、久しぶりに、ケンタッキーフライドチキンのオリジナルチキンを3ピース食べたことです。
このチャンネルでは、美はこのほとり、滋賀県に住む、あらかん、あもなく60歳、丁寧を迎える会社員、プロダクトマネージャーのおかさんが、仕事、生活、人生であったことを、ゆるくお伝えします。
ハイ、みなさんこんにちは、おかさんです。ケンタッキーフライドチキンって、時々無償に食べたくなったりしませんかね。私好きなんですかね。時々食べたくなって、今日もお昼に行っちゃいました。
今日は前回、少し前にお話したテーマの続きをしたいと思います。私が今58歳なんですけど、30代中盤に、当時の上司に、おかさんには、組織で仕事をしていく上で決定的に欠けているものが2つあると言われて、
それはコミュニケーション能力とストレス耐性だと言われた、みたいなお話をしたかったと思います。実はその私に決定的に欠けているものがあると、目の前で言い切った上司とは、その後も接点があるんですね。
その30代中盤に、その上司が私に欠けているものが2つあると言った10年後ぐらいですかね、45の時に、私は当時営業部門で営業の人の支援とかする仕事をしてたんですけど、東京でね。
45になる頃、京都の本社に商品企画、プロダクトマネージャーって今やってる仕事に移動になったんですけども、その時の私を京都の商品企画プロダクトマネージャーに呼んでもらったのがその時の上司だったんですね。
私が45で移動する時には、移動した後に所属した事業部の事業部長という立場でした。
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私はずっと技術を10年間入社してやってて、その後10年ぐらい営業部門で営業支援、マーケティングの仕事をした後、商品企画プロダクトマネージャー、45歳でだって、当然経験もあったこともないという状態からのスタートだったんです、45歳でね。
当時その事業部長だった上司、私に2つ、コミュニケーション能力とストレス解消がないと言った上司が事業部長だったんですけども、移動後にそんなことを私の仕事の役割として、今まで事業部でずっと取り組んでなかった領域と。
そこの事業企画とその事業企画のコアになる新しい商品の企画をやってほしいと言われたんですね。
何が新しい企画だったかここでお話しできないんですけども、今まであまりその事業部では、会社では取り組んでなかった領域があって、そこで事業をするための企画を考え始めました。
それも与えられた要件がそれだけだったので、探りでいろいろ新しい領域のことを調べたり、詳しそうな人、知ってそうな人に話を聞いたりみたいなところから始めたんですけども、なかなかうまく進まなかったんですね。
4月1ヶ月経っても情報を集めてて、5月になったときですかね、合流委員会だけだったと思うんですけど、その上司、事業部長が、岡田さんどうなってると、進捗は?と聞かれて、いやいや、各国近々、情報を集めていろいろ整理するだけでまだ先に進んでいませんと。
みたいな悩みを話したんですけど、そのときに上司、当時の事業部長が私にアドバイスとしてくれたのは、岡田さんが一番詳しい分野、領域を具体的に掘り下げていって、そこから何か仮説とか課題とか設定をするのはどうだと。
というふうに言われたんですね。
新しい領域って、ザクって非常に広いので、広いものを大きく捉えて整理しているのではなく、まず自分が一番リアルに具体的に肌感覚を持っている立ち位置、ポジション、領域からその領域を見たときに、何か一つ具体的な仮説を定義してみたらどうだと。
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というふうに言われました。
そこで、当時、私がずっと営業を支援でいた、よく関わっていた領域があって、そこのお客様とか業界とか、私は工場自動化をずっとやっているので、その工場の中の仕組みとか、
具体的に絞った業界で、新しい領域のことを整理してきました。
自分で分かっていることから整理するので、非常にそこは書けるんですよね。
例えば、私が知っている領域がこういうふうになっていると。
その新しい領域というのは、自分が知っている領域からこういう関係だみたいなことが書けるようになって、1ヶ月ぐらいでざっくり自分が知っている領域の洗い出しと、そこからの仮説みたいなものは一旦定義しましたと。
一つ目は仮説ですよね。
それを9月に話をすると。
そこからその仮説が定義できるようになったら、その隣、私が知っている隣接の業界とかどうなっているのとかみたいに、少しずつ、1ヶ月に1回ぐらいかな、その上司、事業部長のアドバイス、レビューを受けながら、少しずつ企画の範囲を広げたり、仮説の具体的な検証をしていったんですね。
8月夏休み明けぐらいに、だいたい、上司との間では、ざっくり形になりそうだという雰囲気ができたので、そのうち、ちゃんと一つまとめておいて、他の人にしゃべれるようにまとめておいてねって言われて、
ああ、わかりました、というふうになって、
じゃあそれを8月の終わりから発表できるように、パワーポイントとか使って、仕様とかシナリオとかを立てながら仕様にまとめていこうというふうに思って、進め始めていたんです。
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その後、大きな事件が出来事がありました。
どんな出来事があったかは、この後、次のチャプターでお話ししたいと思います。
4月に商品企画、プロダクトマネージャーの部門に配属されて、そこから何ヶ月かかけて、新しい事業領域とかの企画を考えて、
5月休み明け、5ヶ月ぐらい経った時に、何とか形になりそうかなというので、そこから報告できる状態にしておいてねと言われて、報告するための社内資料を作り始めてやっていた頃ですね。
9月の中旬、その日は実は私の誕生日だったんですけども、誕生日の夕方ですかね、突然ですけど、その事業部長が、
そうかさん、今からその件、話をして欲しいから、「〇〇という会議室に来てもらえないか?」って言われたんです。
分かりましたと。呼ばれた会議室、指定の会議室に入ったら、そこに15人ぐらいがおられて、部屋の奥には役員の方とかもおられるような、
我々社にいっぱい集まっている場だなと思って、ちょっとびっくりしたんですけども、そしたらその事業部長が、今、議題についておかさんが説明します。
おかさんお願いしますって、突然、無茶振りみたいなことをされたんですよね。マジですか?と思いながら、え?とは思ったんですけど、
8割方パワーポイントにまとめていたので、しょうがないなと思って、そのパワーポイントを出して、説明をし始めました。
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パワーポイント5枚ぐらいの簡単なシナリオで、顧客とか業界の市場のこういう課題に対して、こういう価値と競争において実現する新しい商品を提供すれば、逆にこれぐらいのメリットが発生して、
自社にはこのような事業を貢献できます、みたいな話とか、仮説や具体例とか、みたいな話をしたという記憶があります。
いっぱいその場の役員の人とかから、いっぱいいっぱい質問が来て、それに対して、分かるものは答えるし、分からないものは正直分からないと。
どうなんですかねと、そこは私も分からないけど、何とかこんな気がしますとか、みたいな話をしながら、1時間半か2時間ぐらい、結構長かった記憶があります。
その会議の結論として、その役員の方が、よく考えているんじゃないかということで、少し具体化をしてみようと言っていただいたんですね。
結果往来だったんです。
その会議の後から、具体化するというときに、どういう具体化をするかというのを考えて、私としては新商品のプロトタイプを作れればいいんじゃないかと。
でも新しい領域でやっぱりリスクもあるし、いきなり大きな開発投資とかもかけられないから、できるだけ小さく、今風で言うとMVPっていうんですかね、Minimum Viable Product。
それのもっと小さいMVPのプロトタイプみたいなものを定義をして、それを開発するんだったらこれぐらいの期間とか、これぐらいのリソース、どういう人に関わってもらったらこれぐらいでできて、投資開発投資がこれぐらいですと。
そんな大きな額ではなかった記憶があります。
あまり詳しいことは言えないんですけど、これぐらいだったらOKって言ってもらえるかなというものをまとめて、何か開発とかエンジニアの方にも協力してもらって、計画を立てて、その事業部長に報告をしたんです。
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短期間で価値を見せられるようなプロトタイプを作らせてくださいと。
投資はこれぐらいですと。そんなに大きくはありませんと。
その報告者場では、やりたいけれどもやめとこうかと。
お金を簡単に出すって予算化されていない話でもあるし、なかなか判断できづらいから、わざわざ物を作らなくてもいいんじゃないかというような話をされた気がします。
そのプロタイプを作るという企画はそこで一旦NOだったんですね。
残念だなとは思ってもしょうがないかなと。
でもしょうがないなということで一旦そこの会議を終わったんですけれども、その後2日か3日後ぐらいだったと思います。
その上司、事業部長が、やっぱりあの企画やろうとって言ってくれたんですよね。
お金は何とかなるかなと。
まじですかと。
確かにその企画の報告したのが金曜日で、週明けぐらいだったと思います。
週末とかなんか考えたりとか他の方に相談されたりしてくれたんですかね。
やっぱりやろうとってなって、そこからめっちゃ短期間でプロタイプ。
どんどんその後ですね、披露、展示会に出すとか他の企業の方と協力をしてマーケティングをするみたいにどんどんどんどん物事が動き始めたんです。
それが私の45歳でプロダクトマネージャー、商品企画に役割を背負って初めての仕事でそうなって、
その後この話が広がっていくことが私のプロダクトマネージャーのキャリアを形成して、私はプロダクトマネージャーになれて非常に良かったと。
自分の転職楽しいし、個人的には向いてるかなと思うし、それなりに会社にも貢献できてるんじゃないかなと思うんでね。
転職だと思ってるんですけども、このプロダクトマネージャーのキャリアを確立していくための重要なスタートになったんです。
おかげさまでプロタイプを作ってマーケティングする中で最初のお客さんになる、商品化をするときの一番コアになるお客さん、顧客に巡り合い、
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その顧客と深いコミュニケーション、対話をする中で価値をどこの価値で解らせるべきかどうか、競合他社という部分を最下差別化すればいいか、
みたいなのを練り上げていって、正式に社内の商品として企画開発するという承認を得て、少し後に商品として発売することができました。
その商品が私の商品企画、プロダクトマネージャーになって初めての商品で、それを出したことで、その後事業に貢献したり、どんどんお客さんやパートナーの方と出会う機会が一気に増えたりして、
そのサイクルが回り始めると新しい情報やお客のニーズが見えてきて、新しい商品やサービスを企画するみたいなサイクルが高循環で回っていって、いくつかその後もおかげさまで新商品の企画をしたり、発売したり、
あとは他の企業さんと連携をして、より多くの価値提供を市場とお客さんにするというような、非常に楽しいプロダクトマネージャーキャリア人生を送ることができるようになって、今に至るという感じです。
今日はいっぱいしゃべっちゃいましたけど、58歳、ほぼなく丁寧を迎えるようなプロダクトマネージャーになってよかったと思えるきっかけを作ってくれたのは、私が30中半のときに、私に対してお母さんに決定的にかけているものがある。
それはコミュニケーション能力とストレス耐性だといった教師が、その10年後ぐらいに私を商品企画プロダクトマネージャーの部門に呼んでくれて、テーマを与えてくれて、そのテーマに対して計画戦略を立てて、一度はNOといった企画を2、3日後にやっぱりやろうというふうに言ってくれました。
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非常にその教師といろんな関係や接点があったわけですが、結果的に私が会社でプロダクトマネージャーとしてやっていけているのは、その人がいてくれたからだなと改めて思い返したりしています。
はい、いかがでしたでしょうか。ちょっと今日は長かったですかね。しゃべりすぎちゃいました。はい、でも最後まで聞いていただき本当にありがとうございました。ではまた次回のお母さん配でお会いしましょう。さよなら。さよなら。
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