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まず、そもそも国語力という言葉自体が、範囲が広すぎるんですね。
特に学校で行う国語って、文章に触れたり、人間社会を理解したり、人の感情というものを理解したり、また自分自身の考えをまとめたり、それを発表してみたり、
いわゆる人の精神活動全般を扱う科目になっていますよね。
皆さま、こんにちは。PitPaの富山です。
今回は、国語力についてのお話です。
今回お話を聞いてきた内容、国語力。
ここで言う国語力というのはですね、学校の国語という科目での学力の話ですかね、になるのですけれども、
この国語力を伸ばすというところで、よく思いつくところとしては、例えば、読書が好きですとか、作文が好き、作文能力があるというようなところに注目が行きがちかなとは思います。
しかし、小川先生の話ですと、単純にそういった能力だけが国語力がある、国語の学力が高いとは言い切れないようです。
では、この国語力、国語の科目で学力を伸ばすためには、どういったことを意識すればよいのかということについてお話しいただきました。
特に学校で行う国語って、何でもかんでも扱うわけですよ。
だから国語ってよくわからないっていうのは、当然で人間全体を扱っているから、そんな簡単にわかるわけないよね、というのがまず前提として国語力という言葉がカバーしている範囲が広すぎるから、というのがまず一つ目の視点。
次にですね、では、読書、本を読む体験というのが何を叶えてくれるのかなと考えたときに、それは作品世界に子どもが触れることで視野が広がったり、発見があったり、心が動いたりということもあるし、ボキャブラリーが増えていく、知識が増えていくということもあるし、
好きな本に没頭する時間が結果的に集中を持続させる力を養ってくれる、そんな効果もあったりする。
ただ、読書というのは楽しみでやるものですから、本人自身のこの心の動きがありながらやるもので、矯正されながらやるものではありませんから、読書しているときには誰しも読みたいように読んでるんですね。
読みたいように読み飛ばすし、内容を確実に抑えて暗記しようと思いながら読書しているということはあまりないと思うんです。
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大人になっていく過程で目的意識を持ってビジネスにおけるあるテーマを理解するために、情報なり考えを仕入れるために読むぞと決めている場合は、その目的に合致したところを読み取って、
逆に200ページの本の中で本当に読むのは10ページだけなんてことがありますよね。そういった読書というのもあっているわけですけれども、こうした本人自身の目的、もしくは心の動きとしての楽しみの時間としての読書体験と、
国語の中でも例えば受験国語とどういう違いがあるかというと、結局受験国語というのは情報の整理能力や問われたことに対していかに論理的に回答するかという論理の筋道の力が問われているわけですから、読書ではそれほど意識しない、内容を点検したりですね、
正確に段落一つ一つの内容を吟味して、関係性をつかんでいく、対比関係にあるところ、同じ内容の言い換えだということに気づくとかですね、そういった精度の高さがまず求められるし、
一体この文章範囲の中でいくつの悪いが示され、最終結論として筆者は何と言っているのか、その根拠は筆者自身はどういう根拠を挙げているのか、といったその中身を吟味するということがまず求められる、プラス受験国語の場合には、読書にはない問題がついているわけですね。
問いがなければ受験国語は成立しないわけです。なぜなら、問われることによって初めて読み取り方が決まるからなんですね。
問いがなければ自由に読めばいいし、自分の経験に基づいて好きに解釈すればいい。でも、本文における筆者の考えに基づいたとき、次の選択肢の中で成り立たないものは何か。
という、例えば問いが来た場合には、まず筆者が主張したことが何かを抑えなさい。
かつ、それを具体的に考えていったときに、次の選択肢のうち、成り立たないものはどれか吟味する。言い換えれば、成り立つもの。論理的な文章中の内容と理屈が重なり合うものはどれかを吟味するという判断を要求するわけですよね。
では、こうしたときには、やっぱりその問いが何を求めていて、何に基づく判断を要求されているのかを理解する。それに基づいて、文章中の必要な場所を特定し、その内容を確実に絞り込んで、つかんでいくという、論理操作。
頭の使い方が必要になっている。 だから問題を解く訓練をね。なぜするんですかというと、答えを合わせることの訓練をしているんじゃないわけですね。
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問われたことに沿った文章の読み取りの手順だったり、 理屈の筋道が立った判断の仕方というのを、その頭の使い方を練習する。
というのが、受験国語の訓練ということになっていくわけです。
受験国語の訓練においては、自分がどう考えたのか、なぜそう考えたのかという考え、自分の頭をどう使ったのかの振り返り点検がすごく重要になるわけですね。
だから解きっぱなし、読みっぱなしっていうのは、いわゆる受験国語力を上げることが非常に難しくて、なぜこの段落を読もうと思ったのか、なぜこの表現で答えようと思ったのか。
質問を読んだときに、何をすればいいと判断したのか、神の上に現れていない、本人自身の思考の流れというのを手伝ってあげれるんだったら、確認したり、問いかけてあげる必要があるし、自己学習で高めていく場合、中高生とかであれば、自分自身の考えの筋道と解説を踏まえたときのその違いを理解すること。
によって次からの考えの手順というのに生かしていく。そういう学習をするわけですよね。
この情報を整理し、論理的に思考を進めるという、ここの部分を受験国語では特に強く扱っているというのを理解されておいたら、読書は本人自身を豊かにすることに役立つのも決まっているから、読書はする。
でも論理の筋道点検という要素は読書の中だけにはないので、やはり物が分かっている大人が関わってあげないと、なかなか難しいよね、という話です。
確かに子どもにとっても、読書をするというのと問題を解くために文章を読むというのは、全然目的も意識も違ってくるので、その辺のところの切り替えをしながら、
勉強と趣味の読書というのは全然違うというところを意識しながら、親の方も関わってあげると良さそうですね。
そうですね。だから一番まずい国語、受験国語を関わる上で一番まずい大人の語りって、だってこうでしょう。こういう時は何々決まっているじゃないの。
その答えがそういうものだという渡し方をしてしまうと、国語の学習を通して本来育むはずの論理的思考力、手順の整理といったものが全然響かなくなるので、
なぜこうなのか、こういう根拠に基づいて判断するというところは関わる大人は、ちゃんと整理して伝えてあげないと、国語嫌いになるだけということが起きるんでね。
国語の学力といった時に単に読書が好きですとか、作文力があるといったことと、国語の学力が高いといったことはそもそも違うというお話でした。
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特に受験国語といわれるような分野に目を向けると、国語の学力というと、文章を実際に読むだけではなく、論理的に紐解き、筆者が言わんとしている内容を吟味する、いわゆる分析力というんですかね。
これが必要になってくるということでした。
読書はですね、あくまでも主体が自分で、自分が楽しむためのもの、自分の思考力を広げるものという学習なのに対して、それはそれとして非常に大切なことではあるんですけれども、
この国語の学力を伸ばすということとは違うというのを親側は認識しなければならなさそうですね。
この話を聞いて、正直受験国語というとですね、文系科目というよりは理系科目のような気がしましたね。
国語の勉強というと、なかなかよくわからないところがあったりするので、とりあえず漢字ですとか、四字熟語とかの意味調べの勉強とかに特化してしまいがちかもしれませんが、
一番必要なのはこの文章を分析する力というところで、ここを訓練するのは親としてはなかなか難しそうではあります。
ですので、この分析力を伸ばす演習については、やはり塾とかなどのプロに任せることが必要だと思うんですけれども、
親側の関わり方として小川先生の方からのアドバイスとしましては、子どもとの会話の中で、
例えばその物事の判断、ルールとかをですね、決めつけのように押し付けるということではなく、
子どもたちに何かを伝えたいときには、その背景にある理由ですとか、なんでこのことを言うのかというような、
その結論に至る過程みたいなところをですね、ちょっと面倒ではあるんですけれども、細かく子どもたちに会話をしていくことで、
普段から論理的な思考、なぜそうなるのか、なぜ親はこれを言おうとしているのかという考えが子どもたちの方に行き渡りますので、
その論理的思考能力が高まる、伸ばせる可能性があるのではないかなということでした。
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確かにその命令してしまうと、それを理屈なしに受け入れてしまうというのはですね、
子どもたちのその思考をある意味排除してしまうというので、ある意味排除してしまうというような感じも受け取れますので、
それはそれで確かに良くはないような気はしてきますよね。
といったことで、今回は子どもの国語力を伸ばすには、その親の関わり方という内容でお送りいたしました。参考になりましたでしょうか。
さて、この子育て受験ラジオでは、リスナー様からのテーマのリクエストや、また小川先生への子育てや受験についてのご質問などお待ちしております。
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今回も最後まで聞いていただきありがとうございました。