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テサノニケ人への手紙、第1、5章、25節から28節をお読みします。
兄弟たち、私たちのためにも祈ってください。
すべての兄弟たちに、聖なる口づけをもって挨拶をしなさい。
この手紙をすべての兄弟たちに読んで聞かせるよう、私は主によって固く命じます。
私たちの主イエス・キリストの恵みが、あなた方と共にありますように。
今日はこのところから、救済の恵みと題して御言葉を取り継ぎます。
みなさんおはようございます。
昨日までの1週間の間、5月14日の木曜日に、緊急事態宣言が39の県で解除されました。
特定警戒都道府県も解除された中、私たちの教会がある埼玉県を含む8都道府県はまだ解除されていません。
可能であれば早めに解除された、そして早く終わりを迎えたい、そのような願いが今も高まっていることと思います。
この緊急事態宣言の終わりを願っているように、終わりといえば、この第一テサノニケ人への手紙、これもですね、今日で終わりを迎えます。
この箇所が最後の段落というか区切りとなっているわけです。
これはパウロの最後の挨拶で、イエス・キリストの恵みを読者のために祈って、神様に読者であるテサノニケ教会の人々を委ねて手紙を締めくくっているのです。
本題に入る前に誤解をないように一つの言葉を解説しますが、聖なる口づけをもって互いに挨拶をしなさいというのは、
この口づけというのはよく皆さんが、例えば中東や今回のコロナ騒動でイタリアがそのような挨拶しなくなったということで話題にもなりましたが、
男性上司あるいは異性との間でも同性との間でも頬と頬をですね、いわゆるほっぺたですね、頬と頬を合わせて挨拶をする。
それをここでは聖なる口づけという表現で記しているわけです。
それをさておきまして、本題に入っていきますけれども、ここでパウロは、恵みがあなた方と共にありますようにと祈りながら手紙を締めくくっているわけです。
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このイエス・キリストの恵みに関わる言葉、この恵みという言葉はこの手紙の冒頭の1章1節にも出ていますし、この一番最後の節の5章28節にも出てくる。
この始まりと締めくりも出てくる。それはなぜかというと、パウロの信仰もさることながら、キリスト教全体の忠確をなすとても大切な言葉だから、この恵みという言葉が始めと終わりに触れられているとも考えられるわけです。
つまりこの恵み、それはキリストの福音の核となる言葉であるわけです。この重要な恵みについて今日1回では語り尽くせませんが、しかし教会に通っているクリスチャン、洗礼を受けたクリスチャンでありながらも、この聞き慣れた恵みという言葉、その理解は浅く終わってしまっている。
それゆえ、今日ここで取り上げて、ある程度じっくり学びたいと思います。そして当然、今のこの中を生きる私たちキリスト社にとっても、恵みは力となる言葉です。今日は3つの点からお話をします。
まず第一のポイント、恵みは神様の一方的で永遠の誠実さに基づいているということです。
この神様の恵みは、このように例えられます。憐れみに満ちた独裁者、そのように例えられるんですね。その神様の自発性と誠実さを恵みの支配という言葉から理解してみましょう。
このことがよくわかるパウロの別の言葉から学んでいきます。それはローマ人への手紙、5章の20節21節です。読んでみます。
イエスキリストにより、義の賜物によって支配し、永遠の命を得させるためなのです。この今読んだ聖書の御言葉、聖句のキーワードは支配するという言葉です。その本来の意味は、王が国民を支配するという意味です。
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長い人類史においても、例えば巨大な支配権を持つ王の下、その国民は王の支配と領地から逃れることができないということがありました。そして現代でも、例えば東アジアのとある国の中には、無慈悲な独裁者が支配する独裁国家があるようです。
そのような国では、国籍を変えることはおろか、特権階級でない限り、国の外に出ることさえできません。その独裁国家から逃げ出そうと、例えば川を渡っている間に見つかり、銃殺される、そのようなことをしばし聞くことがあります。
このことから先に引用したローマの5章20節21節の御言葉、この中の一つの言葉を紐解いてみましょう。
この罪が死によって支配する、その言葉の意味はこのようになるわけです。それは、私たちを苦しめる罪は独裁者のようで、そのため人は誰も死を免れることができない、そのような意味になるわけです。
このことを踏まえて、今度はこの聖句の後半部分、恵みが私たちの主イエスキリストにより、義の賜物によって支配するということについて、順序を立てて説明してみましょう。
この今の一文には、先に挙げた、死による罪の支配と対応している部分があります。しかし、この恵みの支配の文章には、一つの言葉、ワンフレーズといいますか、一つの言葉が多いのですね。
まず対応している言葉は、死による罪の支配と恵みの支配が対応しています。もう一つは、死による支配と義の賜物による支配が対応しているわけです。
罪の支配と恵みの支配が対応しており、死による支配と義の賜物による支配という言葉がそれぞれ対応しています。
そしてそれに比べて、恵みの支配の中にある一つ多い言葉、それはこの言葉です。私たちの主イエスキリストによりという言葉です。
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つまり、義の賜物とは、義のプレゼント、その義のプレゼントを受け取るための道は主イエスキリストにあるということをここで意味しているわけです。
もう少し説明しますが、このような意味です。
もし私たちが、そしてあなたが、イエス様の十字架の死を自分の罪の償いとして、そしてイエス様の復活は自分を新しく生かすための復活である、そのように信じて、イエス様を自分の救い主として信じるならば、
私たちは、あなたは、神様の前で罪なき義人、義なる人と見なされるわけです。
そのより、神の前で義なる立場がプレゼントされる、それが義の賜物、イエスキリストにある義の賜物という意味です。
そしてこれをいわゆる福音と呼ぶわけです。
冒頭述べましたように、恵みとは憐れみ深い独裁者、憐れみに富んだ寛容で誠実な権威者です。
それゆえ、恵みの支配のうちにあるならば、あなたも私も決してその国から逃げ出すこともできませんし、いやむしろそこから追い出されることはないわけです。
ですから、もし私たちが自分の罪で悩むたびに、恵みの神様は、こう私たちに言い続けてくださるというわけです。
このような言葉です。
あなたが正直に自分の罪を認めていれば、それで十分である。
私の使わしたイエスの十字架と復活の家に、あなたを義人と私は認め続け、そして永遠の命へと導こう、こう言ってくださるわけです。
そして恵みの国のパスポートや恵みの国のマイナンバーカードを私たちのために用意し、そしてそのカードの中身を、パスポートの中を指し示してですね、
私たちが例えば日本人であるばかりか、私たちが義人だと、そのように確認させてくださるわけです。
そうして、義人であるがゆえに、私たちは永遠の命、天国にまで導いていただけるというわけなんですね。
今の私たちの状態に当てはめて考えてみましょう。
私たちは、たとえイエス様の十字架の救い、復活の新しい命を信じ受けられたとしても、罪の根っこが残ってしまいます。
それは先週学んだ通りです。
そのような罪の根っこが残るゆえ、私たちが正しく生きようとしても、悪しき思いや、その悪しき行動を完全にやめられないということが起こるわけです。
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ましてや、今の緊急事態宣言下の中では、なかなか外出できない、そのイライラが溜まってしまう、そしてついに言ってはいけないことが口が出てしまう、
あるいは、してはいけない行動に手をさめてしまう人を傷つけてしまうことがあるかもしれません。
そうして自分を責めて後悔することもあるでしょう。
そのような完全な罪と分かりやすい状況ではなくても、今は自分で判断しなきゃいけないことが多いわけですよね。
そんな中では、何が正しく間違っているか、それを判断することが難しく、いわゆるグレーです。
罪とは言えなくても、自分が正しかったのか、間違っていたのかで悩むことがあるかもしれません。
しかし、もしあなたがイエス様を救い主として信じているのならば、その揺れ動く自分に悩み、足掻いていようとも、
あなたは恵みの国の国民で、私たちの立場は偽人である、そして永遠の命へと導かれるわけです。
これがですね、恵みは神様の一方的で、永遠の誠実さに基づいているという意味です。
第2番目のポイントを見ていきましょう。
この恵みには行動が伴っているということです。
恵みは神様の一方的で、永遠の誠実さに基づいていると先に見ました。
しかし、この神様の恵みには必ず行動が伴うわけです。
ある信学者はこのように表現しています。
神様のその恵みには動的な、アクティブな概念があり、それは神の力強い行動を示すと。
これは言い換えると、原稿一致の恵みと言えるかもしれません。
まずイエス様の十字架の犠牲に神様の恵み、私たちを許すといった神様の原稿一致の恵みが見られます。
そしてこの原稿一致の恵みは私たちの罪からの救いに留まりません。
それは私たちの生涯を通して私たちを救い続けてくださるアクティブな恵みだということです。
罪を許し続け、そして人生の中で助けが必要ならば、檻に触れて私たちを助け、救い続けてくださる、そのような恵みです。
それが例えられるようなあるエピソードを見つけました。
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昨日の東京新聞の長官に、東京文教区の52歳の小児科の開業医の方の当初がありました。
それによると、乳幼児の集団方式の検診、乳幼児検診が緊急事態宣言下で中止に追い込まれていると。
特に乳幼児の最初の公的検診である4ヶ月検診は大切で、この数々のチェック項目には虐待聴講も含め、この4ヶ月検診をして見つけて手をほどかさないと手遅れにならない項目があるとその医師は述べています。
そして彼は行政に掛け合って、個別検診に切り替えて実施するように進言しているわけです。
しかし、このコロナ対策で予算がないのか時間がないのかなしのつぶてだと嘆いているわけです。
そして彼はその当初の中で最後にこう呼びかけているんです。原文通り引用します。
全国の小児会の皆様、やりましょうよ。それぞれの診療所で4ヶ月検診を。費用はもちろん無料です。
経営が苦しいのは承知ですが、僕は未来に投資したいと思います。
そのように締めくくっています。
これこそ神様のアクティブな恵みを表す自発的で寛大な措置です。
そしてこの投資を神様の恵みに例えて続きを考えると、こうなるのではないかと私は思うわけです。
つまり、仮にその4ヶ月検診、医者が慈悲で開いた4ヶ月検診の中である子に一生涯治療の必要な病気が見つかったら、
その医者が自分の財産でその子供を治療したり、そして生涯の面倒さえ見る。
それが神様の生涯続く真実なアクティブな恵みと重ね合わせて考えたこの話の続きです。
そして今の話にあるのはこのような考えですね。
援助者による自発的で溢れるほどの肝良さです。そしてそこには生涯貫かれる誠実さです。
先ほども言いましたが、この原子一致の恵みは罪からの救いに留まらず、私たちの生涯を通して救い続けてくださる恵みです。
そのような神様の原子一致の恵みを知る私たち、あるいはそのような原子一致の恵みで私たちを救ってくださる神様を信頼する私たち、
そんな知なる神に信頼するべく私たちにイエス様はこのような御言葉の進めを述べておられるわけです。
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マタリの福音書から引用して読んでいますね。
あなた方は悪いものではあっても、自分の子供には良いものを与えることを知っているのです。
とすれば、なおのこと、天におられるあなた方の父が、どうして求める者たちに良いものをくださらないことがありましょう。
マタリの福音書、7章の11節です。
ここでは悪いものと良いものが比較されていますね。
悪いものとは単なる人間の善悪の悪いではなくて、神様に比べたら不完全という意味の意味です。
それは神様の完全さと恵み深さを際立たせる言葉ですね。
この神様、私たちを合致なる神様と信じている神様は、
善知善能で、愛に満ち、気前の良い、そして豊かな神様です。
その神様に信頼して、私たちは祈ることができるわけです。
この現状の状況と先行きを考えた時に、私も人間的にはあるいは常識的には強くて大変だ、先行きが暗いという方が簡単です。
しかし、この聖書が述べる神様の偉大さと愛の深さ、そしてその恵みの有り余るほどの豊かさを根拠に、
そして私たちの主イエスキリストの恵みがあなた方と共にありますようにとのパールの祈りをもとに、思い切ってこうお伝えしたいと思います。
この神様の多大なる恵み、溢れるべく多摩物を体験する機会がやがて訪れます。
その神様に信頼して、期待して、祈りましょうと。
私はですね、具体的にこれから私たちが、あなたが知ることになる神の多大なる恵みが実際、
多大なる神の恵みが実際何であるかを言い当てることはできません。
それこそ皆さんが、私たちが、あなたが、一人一人がですね、祈りながら、
やがて時が来たら、ああ確かに神は恵み深い方だという経験を今後していく、そのことだけお伝えしたいと思います。
最後に第3番目のポイントです。
実はこの圧倒的な恵みの多摩物は一方通行です。
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神様から私たちに対する一方通行の恵みなんですね。
実はこのパウルは恵みという言葉を通して、
神様から私たちに対する一方通行の恵みなんですね。
実はこのパウルは恵みという言葉を当時の社会の常識と変えて使っているんです。
どういうことかというと、当時の常識では、恵みは互いに与え合うという前提がありました。
まあ言い換えると、恵みの相互性とかですね、互恵関係、互いに恵みを与え合う互恵関係ということが、
当時の社会の常識と変えて使っているんです。
互恵関係、互いに恵みを与え合う互恵関係ということが前提の言葉だったんです。
しかしパウルはその概念を覆したんです。
つまりこういうことです。
神様から恵みを受けた人には、それに相当するお返しをすることが不可能であるということです。
そしてこれがこの最後の点につながります。
この圧倒的な神様の恵みに、私たちは釣り合うものをお返しすることができません。
お返しするとすれば、それはただ神様に感謝することです。
パウルもローマの7章25節で、この主イエス・キリストの恵みのゆえに、ただただ神に感謝しますと述べている通りなんですね。
そしてそれがもし具体的な形に現れるとすれば、
それは私たちが他の人に良い行いをして、神様にお返しをするということになるわけです。
実はこのテサノリ家の教会は、そのことを後に実行しています。
パウルはその他の聖書の箇所で、テサノリ家の兄弟姉妹のこの恵みに応えた気前の良い行為を、このような言葉で紹介しています。
コリントビトの手紙第2の8章の1節と2節です。
兄弟たち、私たちはマケドニアの諸教会に与えられた神の恵みを、あなた方に知らせようと思います。
苦しみのゆえの激しい試練の中にあっても、彼らの満ちあふれる喜びは、その極度の貧しさにもかかわらず、あふれ出てきています。
パウルがここで言っていることは、このようなことです。
このテサノリ家の兄弟姉妹は、試練とその結果くる貧しさの中にあって、その中にあってさえ、貧困と貴金にあえいでいたエルサレム教徒たちが、
彼らは圧倒的な神様からの恵みを体験し、その感謝の募金をパウルの呼びかけに応じて、感謝の募金を受け取り、
その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、
その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その募金を受け取り、その
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それは必ず自発的に生まれるわけです。
それも私の仏会知識や教会の大事な理念の一つに挙げているわけですけれども、
この神様の言ENTも一の恵は
私たちをも言ENTの一の人として作り変えてくださるわけです。
そしてそれがうちに働く、整齢の働きでもあるわけです。
ですから私もあなたもこの先 いずれその溢れ出る神様の恵みを経験し
その私たちから あなたから他の人へその恵みの施しが
溢れ出るのは抑えられない その時が必ずやってくるのです
神様の恵みを深く知り それを覚え
また感謝と神様への応答を捧げていく お互いでありましょうお祈りします
天の父なる神様 あなたのお名前を賛美いたします
あなたは圧倒的な憐れみをもって 私たちに一方的な恵みを施してくださいました
イエス様の十字架と復活による罪の贖い 永遠の命への備え
そして私たちの日々の生活や人生における 圧倒的な恵みによる救いを備えてくださっていることを感謝いたします
どうぞ私たちの心の目を開き 心を開き
そのあなたの恵みをさらに深く知ることができるように導いてください
その恵み深いあなたにますます信頼し
あなたに祈り期待して歩んでいくことができるように導いてください
そのあなたからいただいた恵みが私たちのうちに
満ち溢れそれがやがて溢れ出て 他の兄弟姉妹へと他の人々へと流れ出ていく
そのような日がまた訪れることを信じて感謝いたします
この願いと感謝を私たちの救い主 主イエス様のお名前によってお祈りします
アーメン